藤井 風やiriらの楽曲プロデュースから映画音楽まで手がけ、自身2作目のアルバム『After the chaos』をアイスランドで制作し、世界最古のクラシックレーベル「ドイツ・グラモフォン」からリリース。独自のサウンドメイクが国内外で高く評価されているYaffleは、世界とどのように向き合ってきたのか?

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Yaffleが語る、世界との向き合い方「同時代の音楽と競っている感覚はあります」

Yaffle(ヤッフル)
TOKAのプロデューサーとして、藤井 風やiri、SIRUP、小袋成彬、Salyu、eill、adieuなどの楽曲をプロデュース。
2021年10月に発売されたポケモン25周年を記念したコンピレーション・ アルバムに唯一の日本人アーティストとして参加。映画音楽の制作も担当しており、サウンドトラックを手がけた『映画 えんとつ町のプペル』(2020年)ではアニメーション界のアカデミー賞と呼ばれる第49回アニー賞で最優秀音楽賞にノミネート。(Photo by Kazushi Toyota)

―『After the chaos』はどういう経緯で作ったアルバムなんですか?

Yaffle:まずは自分のアルバムをリリースしたい、という意欲がもちろんありました。今回のようなビートレスなアプローチも自分のパレットにあったんですけど、外的要因もなく自分からやるのはなんとなく気恥ずかしくて、これまでは部分的に取り入れてきたんです。それで去年の頭くらいに、「ドイツ・グラモフォンが近年取り組んでいるポストクラシカル路線でアルバムを作ってみませんか?」とオファーをいただき、アンビエントな音響という縛りで作ってみるのもいいかなと思い、そこに振り切ってみました。

―ドイツ・グラモフォンといえば、125年の歴史を誇るクラシックの名門です。

Yaffle:気合を感じますよね(笑)。もともとは老舗のイメージだったので、近年ポストクラシカルを押しているのは(若いリスナーを獲得するうえでの)危機感があるのかなとも感じています。僕もマックス・リヒターだったり、グラモフォン以外だとオーラヴル・アルナルズ、イギリスのレーベルErased Tapesは聴いてました。

ジャンルとしてのポストクラシカルは、(クラシック音楽と)ラウンジミュージックとの境界線が曖昧なところもありますよね。あまりにもラウンジ寄りだと自分としてはファンクショナル過ぎて、ただのBGMみたいに思えてしまう。そういう意味では、ポストクラシカルの中でもある程度、主題が明確なものが好きですね。


―よくわかります。

Yaffle:ポストクラシカルは、その人が「音楽をどう聴いているか」の試金石になりそうな気がします。構造的に考えている人からすると、「F-G-Am」(456進行とも言われる定番のコード進行)をずっと繰り返しているだけだから、ラウンジ的とも捉えられかねない。僕が大学時代(国立音楽大学)に専攻した現代音楽の人たちからすれば、唾棄すべき存在でしょうね(笑)。一方で、サウンドデザイナー的に考えれば、これは「新しい音響」だと思います。エモいコードの繰り返しは客寄せパンダみたいなもので、本当にやりたいのはそこじゃないんですよね。ポップさを担保しつつ、テクスチャーの面白さを追求したいんだろうなと。
 
今の僕は構造の進化には興味がなくて、そこを放棄したほうがモダンになるという考えなんですよね。だから、ポストクラシカルは自分がやってきたポップスのアプローチにも織り込みやすかった。なぜ洋楽を聴くようになったかの原体験を振り返ると、展開する音楽が好きじゃなかったからだと思うんです。もともとストロークスとか、コードが3つくらいしかないガレージロックから音楽に入ったので。

―たしかに、ポストクラシカルにとってエモさは重要な要素ですよね。
それはガレージロックにとってのキャッチーなリフとも通じるものかもしれない。

Yaffle:そう、自分が青春時代に聴いてきた音楽とほぼ同じだなって。ポストクラシカルがオチに使うものは、90年代オルタナとかコールドプレイのエモさと近い気がするんですよ。ディープハウスがオチに使ってくるシンガロング的な進行もそう。前振りを頭よさそうに見せるか、敷居を下げるかの違いでしかない(笑)。

マックス・リヒターの「春」がわかりやすいですよね。ヴィヴァルディの「春」の断片を使っているという文字情報で商売っ気がないように聴かせつつ、フレーズや「F-G-Am」のエモさで落としてくる。ただ、オチにエモいコード進行が出てくるからグッとくるのであって、最初にいきなりやってしまうのはヤバいので(笑)、さも複雑な何かが働いているかのようにノイズで汚す必要があるんですよね。ポストクラシカルが特殊奏法を取り入れたり(テクスチャーを)汚したりするのは、そういう背景もあるのかなと。

チョンマゲを生やすか、脱臭するか

―『After the chaos』はかなり聴きやすい部分と音響的にこだわった部分が同居しているように思いましたが、そこはYaffleさんのポストクラシカル観とも関係している?

Yaffle:部分的に曲の中にもフリとオチがあります。人間がいいと思うオチってそんなに種類はないけど、フリの種類は無限にある。そして、フリを汚くすればするほど、最後のオチが綺麗に鳴るのかなと。


―そのフリとオチは世界共通だと思いますか?

Yaffle:何がフリで、どれをオチと思うかは(聴く人が共有する)文脈にもよるけど、基本的には世界共通だと思います。実際には「世界」なんて文脈はなくて、ローカルの組み合わせみたいな感じなんでしょうけど。

―とはいえ、Yaffleさんは国内の市場=ローカルだけに向けて音楽を作っているわけでもないですよね。

Yaffle:逆に「ローカル全振りで曲を作ってください」って言われる方が難しいですよ(笑)。自分は敢えてやらないのではなくて、できないと思うんです。意図的にグローバルなものにするのではなくて、自分自身の志向がそうなので、そこ(国外)にある程度は拾われる素地があったらいいなって感じですね。

―様々な場所で聴かれるための工夫を意図的に入れているわけではない?

Yaffle:それって例えば、外国人と仲良くするためにチョンマゲを生やすべきか、逆に(日本人らしさを)脱臭してグローバル人材化するか、みたいな話だと思うんですよね。確率論でいえば前者のほうがウケそうな気がしますけど、僕にはたぶん前者はできない。邦楽の家元とかに生まれてたら違ったのかもしれないけど、三味線が今の東京を代表しているとは思えないし、ギターの方が身近でしたからね。

そういう意味で、脱臭しようとはしています。瀧廉太郎チックな要素は極力入れないようにしていて、そういう部分がもし見えたら、なるべく消すようにしています。それでもゴリゴリに残っちゃっているところは、自分のアイデンティティだと思うことにしようと。
今回のアルバムはレイキャビクで制作しましたが、そういう外的要因に頼って自分を脱臭していくのは僕の志向としてあるのかもしれないです。

Yaffleが語る、世界との向き合い方「同時代の音楽と競っている感覚はあります」

Photo by Kazushi Toyota

―このアルバムの曲をふと街中で聴いたとき、日本人が作った作品だと気づく人は少なさそうですよね。

Yaffle:そこがトラックメイカーのいいところだと思います。シンガーはどうしても母国言語の縛りが強いけど、僕らはその歌声をアタッチメントみたいに変えられるので。自分で歌わないことのハンディも大きいけど、その分だけ面白みがあるというか。

ただ今作でいうと、歌詞世界のコントロールに関してはかなり気をつけました。ボーっとしているとコンピレーションみたいになりがちなんですよね。僕が歌詞を書いたわけではないけど、ミュージカルみたいな感じでストーリーを最初に考えて、フィーチャリングの歌手にも「こういう内容の世界観で、こういう歌詞を書いてほしい」と伝えて。ディテールはお任せしていますが、統一感は大事にしたかったので。

―誰もがクラシック音楽だとわかるハーモニーを敢えて使っていたり、グラモフォンからのリリースという「縛り」も統一感に繋がっている気がします。

Yaffle:「ドミソ」みたいな三和音を久々に使ったんですけど、こんなに機能するんだなって思いました。あとは実際、自分のパレットにはいろんな色があって、ハウスも作れるし、R&Bやヒップホップもできるけど、そのなかで敢えて「色を絞る」っていうのは大変でしたね。
でも、その感覚もアジア的なのかなって気もするので、色を絞ったのも脱臭の一環かもしれないです。例えば、K-POPの曲はトラップから始まっても、いきなり歌い上げるところがあったりするじゃないですか。僕はあそこを「東アジア安心ゾーン」と呼んでいて(笑)。みんなすぐ飽きちゃって3分も持たないから、曲のなかにいろんな様式を入れたくなるのは、僕たち東アジアの人間が共有する価値観なのかなと思うんですよ。

―出来上がったアルバムを聞き返したとき、どこにYaffleさんらしさが反映されていると思いましたか?

Yaffle:結局、ポストクラシカルみたいにならなかったところですかね(笑)。「自分らしさ」という話でいうと、プロデューサー・タグって概念は衝撃的でした。自分はストリートでない方から音楽に入り、「常に革新的な音楽を作ることで前進すべき」みたいな価値観で育ってきたから、同じようなものを作って、自分のものだと証明するって発想がなかったんですよね。判を押すように自分の作風を繰り返すようになったらおしまいというか。それか、誰かに作ってほしいですね。Yaffle風のトラックみたいなのを誰かが作ってくれたら、それがきっと自分らしさだろうから。

ワールドトレンドへの意識の持ち方

―普段J-POPをプロデュースするうえでも、日本以外の国を意識することはありますか?

Yaffle:同時代性は担保しようと思っています。マーケティングのことはわからないけど、日本の文脈の再生産みたいなことはやめようとも思っています。
僕が心がけているのは「自分のなかで一歩前へ」ということ。あくまでポップスの尺度ではありますけど、現代性や革新的なテーマが内包されているものを作らなければいけないと思うので。ビルボードでもUKやアジアのチャートでもいいんですけど、それらに載ってる曲と同時期に送り出すうえで、胸を張れるようなものを作ろうと心がけています。

―そこでいう「同時代性」ってどういうものですか?

Yaffle:僕はトレンドというものに方向性があると考えていて。ある一定の方向に沿って、木の枝から太い幹へと繋がっていくような感じ。その発想は進歩主義的だし、性善説的でもありますけど、どの国のどのトレンドもそうだと思うんですよ。

ありていに言っちゃえば、レンジ感(音域の使い方)とロウ感(低音域の扱い)ですよね。グレゴリオ聖歌の時代からロウ感は増加の一途を辿っていて、だんだん編成が太くなって三管オケとかになっていき、コントラファゴットやコントラバスーンみたいな(低音域が出る)楽器を作り、バスドラムを経て、今はTR-808まで来ている。エド・シーランが「このままいくとキックとクラップと歌と808だけになる」みたいなことを言ってましたけど、実際にトラップは効率がいい音楽なんですよね。真ん中にコードがないから歌の抜けがいいし、歌の音数が多いからパーカッションを鳴らさなくてもスピード感が出る。下の音域はスカスカだから、808だけ鳴らしておけば低音がドーンと出る。エンジニアの観点でいうと、昔のオケに比べて、明らかに効率よくスピーカーを鳴らせるんですよ。

その感覚をわかったうえで曲を作るのか、そういう方向性を踏まえずに散発的なものとして作るのか。僕が考える同時代性っていうのはそういうことです。アメリカでもアジアでもヨーロッパでも、ここ(東京)にいる自分としては同時代の音楽と競っている感覚はあります。だから、新しいトレンドが出てきたときには意味を求めてしまいますね。これはドラマーに顕著ですけど、各楽器の最新の演奏技術もチェックしています。もっとも、それをJ-POPでやるにはアメリカの翻案だけだと限界があるので、違う方法で考えなきゃいけないのが大変ですけどね。英語と日本語では言語的な倍音の処理が違いますし、そのままやってもしょうがないので。

Yaffleが語る、世界との向き合い方「同時代の音楽と競っている感覚はあります」

Photo by Kazushi Toyota

―藤井 風「死ぬのがいいわ」が日本語曲でありながら海外でヒットしたことを、あの曲を手がけたプロデューサーとしてはどう受け止めていますか?

Yaffle:手応えは特にないですね、(発表から2年後に)すごく遅れてヒットしたし。自分のなかで、あの曲はローカルではない方に寄せた構造の曲なんですよ。要するに下がトラップで、上のピアノとメロディは歌謡っぽい。つまり、トラップ+サムシング・ニューみたいな曲なので(海外のリスナーも)受け入れやすかったのかなと。ローカルに寄せたものがバズったら意味がわからないけど、あの曲が彼のなかで一番ハネたのは納得できます。とはいえ、グローバルで当ててやろうと作ったつもりは全くないです。

―海外の市場に日本の音楽を届けることに関して、何か思うことはありますか?

Yaffle:K-POPはノウハウを蓄積して、一定の再現性をもたせることでヒットを重ねてきたわけですけど、今のJ-POPには再現性が全くないですよね。むしろ、「SUKIYAKI」待ちみたいなところがあるじゃないですか。いつか神風が吹いて、何かが起きるのを待つだけみたいな(笑)。そういうものでしかJ-POPはワールドバズを起こしたことがない気がするので、産業としてはどうなんだろうとは思いますよね。

自分のなかでも、日本のローカルヒットを考える脳みそを使っていくと、ワールドトレンドに対する脳が動かなくなっていく感覚があるんですよ。昔はチャンネルを変えればいいと思っていたけど、人間はそこまでうまくできてないみたいで(笑)。もちろん、ローカルでヒットさせるのも大変なことだし、ワールドワイドでちょっとバズるのと、オリコンで1位を獲るのでどっちが難しいかなんてわからない。それに、オリコン上位の人たちも洋楽が好きで、「あの感じでやってみたい」とか考えながら作っていて、そうやって作られたものが日本人の心を捉えているわけじゃないですか。ただ、その先にワールドバズがあるかと言ったらそうではない。日本で上まで登り詰めるのが世界への扉になってないんですよね。輸出を考えるうえではそこが問題かなと。

―Jリーグで活躍したらヨーロッパのサッカーリーグから声がかかる、みたいな。

Yaffle:そうそう、それが健全じゃないですか。活躍すればフックアップされるみたいな。でも現状は、海外で注目されている日本人は逆にローカルヒットが全然なかったりする。だから、もう少しリージョンで固まって産業が作れたらいいなと思うんですよ。「死ぬのがいいわ」の流れはタイから始まったし、K-POPも最初はアジアから広がっていったわけで、アジアの国が共同体として一緒にやっていくのはよさそうな気がしますよね。そこから一緒にスターシステムを作れたら、再現性のあるワールドアーティストみたいな人が出てくるような気がします。

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Yaffleが語る、世界との向き合い方「同時代の音楽と競っている感覚はあります」

Yaffle
『After the chaos』
再生・購入:https://yaffle.lnk.to/Afterthechaos
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