音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。


2023年6月の特集は「沖縄を知ろう」。沖縄戦で亡くなった方たちの霊を追悼する沖縄の慰霊の日である6月23日。その6月に改めて音楽を通して沖縄を知ろう、沖縄について勉強しようという1カ月間。PART4は、沖縄ロックシーンの中心的存在・紫を迎え、沖縄の音楽に迫る。

田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター田家秀樹です。今流れているのは、BEGINの「島人ぬ宝」。2002年5月に出たシングルで、アルバムはその年に出た『ビギンの島唄~オモトタケオ2~』に入っておりました。今月の前テーマはこの曲です。

今月2023年6月のテーマは沖縄を知ろう。6月23日は沖縄の慰霊の日。約20万人。沖縄県民の4分の1の方が命を落としてしまったという沖縄戦が終結した日ですね。
様々な形で沖縄が取り上げられる6月。この番組では改めて音楽を通して沖縄を知ろうということでお送りしようという4週間を組んでおります。今週のテーマはロック。沖縄といえばロックバンド。70年代から今も脈々と続いている流れをたどってみようと思います。

1945年8月15日の戦争終結以降、米軍の統治下にあった沖縄には本土と違う音楽が流れていました。その象徴がロックですね。基地の中はアメリカだった。60年代にベトナム戦争が激化してからは戦場と直結していたのが沖縄でした。2週目の齋藤悌子さんの話にもありましたね。明日戦地に向かう米兵を相手に音楽を演奏する。今週は、そうやってロックを演奏していた沖縄ロックシーンの中心的存在、紫にスポットを当ててみようと思います。


田家:紫の結成は1970年。今年は53年目、半世紀以上ですね。沖縄のロックの礎となり、日本のロックに衝撃を与えました。78年に一旦解散して、83年に再結成したんですが、これは改めて知ったんですけど、再結成の日がずっとその後「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」として続いてるその日だったんですね。日本最古の夏フェスが「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」でしょう。バンドは今も現役ですね。2016年にはアルバム『QUASAR』を発売して、目下新作アルバムのレコーディング中なんだそうです。先ほどから流れてるのは、6月9日に発売になった新曲「Raise Your Voice 」。お前の声を上げろ。そんな曲ですね。BEGINの3人も、紫がいなかったらロックに目覚めていなかったという話をしております。今月はBEGINに始まり、紫で終わる。
そんな1カ月であります。リーダーのジョージ紫さんとベースのChrisさんがリモートでスタンバイしてくれております。はいさい。

ジョージ紫&Chris:はいさー。

田家:今そちらはどういうところでお話をされてるんですか。

ジョージ紫:メンバーのボーカルのJJのカフェにいまして。先ほどまでメンバーミーティングがあって、その後こうして繋いでる状態です。

田家:今新曲が流れてるんですが、アルバムのレコーディング中なんですよね。レコーディングはどういう段階ですか。

ジョージ紫:カフェの上の方にJJさんがパーソナルスタジオがあって、そこで今、歌とコーラスを録音してました。

田家:レコーディングはChrisさんがプロデュースもされてるんですよね。

Chris:そうですね。
一応、基本的に僕がプロデュースさせていただいてるんすけど、前作からジョージさんと共同でやってるっていう形にはさせていただいてますね。

田家:どういうアルバムになりそうですか。

Chris:簡単に言うと往年のサウンドから最近のサウンドまでっていうのをうまく混ぜたような感じになりそうですね。なんていうか時代にあまり影響されてないっていうか。昔でも今でも聞ける音楽っていう感じを目指してます。

田家:8月19日に日比谷野音で紫、Char、BOWWOW G2っていうコンサートもありますもんね。

ジョージ紫:はい。40年なんぶりです。

田家:今日はそんな話もゆっくりと伺っていこうと思うんですが、まず改めて新曲をお聞きいただこうと思います。これはいつ頃から取りかかってたんですか。

ジョージ紫:これは一昨年に、紫のドキュメンタリー映画の撮影が決まったときに、その前から作り始めてました。

田家:前作2016年の『QUASAR』のときと今回とはアルバムに対しての取り組み方は変わってきてますか。


ジョージ紫:みんなサウンド的にはある程度完成されてるメンバーなんで、それ自体に大きな違いはないんですけど、歌詞の内容とかそこら辺を含めて時事ネタってほどでもないんですけど、そのときに思ったことが反映されてたりとか、俺が言うのもなんですけども、みんな年季が入ったプレーが。

田家:年季入ってますよ。

ジョージ紫:僕が言うのもおこがましい話なんですね。でもそれが十分に、あのときよりも濃くはなってるんじゃないすかね。

田家:そんな話も追々伺っていきます。まずはChrisさんの選曲からお聞きいただこうと思います。76年4月に発売になったアルバム『紫』から「Double Dealing Woman」。Chrisさん、この曲を選ばれた理由はどういうものですか。

Chris:やっぱり紫の代表曲の一角だと。あと、個人的に初めて聞いた紫の曲ですかね。

田家:初めて聞いたのがこの曲だった。

Chris:10代のときに初めて聞いて、ギターイントロのインパクトとか、あと現在もなんですけど、沖縄の某番組のジングルでずっと使われてるんですよ。
沖縄音楽のアイデンティティ的な一つにもなってるんじゃないかなっていうのもあって。

田家:Chrisさんは、1980年生まれ。

Chris:79年です。だから当時の紫が一度解散したときに、僕生まれてるんですよ。

田家:2007年に加わってるわけですもんね。その話をまた後ほど伺います。それでは曲を聞きいただきます。紫の76年4月発売のアルバム『紫』から「Double Dealing Woman」。

田家:1976年4月発売のアルバム『紫』から「Double Dealing Woman」。ジョージさんは1950年生まれですよね。

ジョージ紫:いや49年です。だからChrisとちょうど30歳違います。当時のマネジメントというかレコード会社関係で、みんな誕生日というか生まれ年をサバ読んでて(笑)。

田家:当時のアルバムの資料に1950年生まれって書いてますもんね。で、5歳のときにクラシックピアノを学んで、アメリカンスクールの後にアメリカに行かれて。

ジョージ紫:その後UCLAに行きました。

田家:それもお聞きしようと思ったんですよ。この1枚目のアルバムには、マサチューセッツ工科大学卒業って書いてある。

ジョージ紫:それも全部レコード会社が勝手に書いて。僕は知らない。僕びっくりしました。

田家:紫を結成されたときに、1970年当時、どんなバンドにしようと思われてましたか。

ジョージ紫:当時完全に僕はクラシックしか音楽じゃないみたいな、すごい狭い考えを持っていて。でも、60年代後半ぐらいから、例えばサイケデリックミュージックというか、だんだんロックというか、改革というか変革が起きて、フラワーチルドレンとか言ってヒッピーがいるとか。当時の社会状況というか、そのあたりってベトナム戦争も含めて音楽が内容的にも変わってきて。一番最初に影響を受けたのはディープ・パープルの『Concerto For Group And Orchestra』を聞いたときに、まさしくこれは本当にロックとクラシックの融合というか、自分がやりたいのもこういう感じるものだというのは感じたから、ロックも悪くないなということで、そういうロックバンドができたらいいなと思いました。それで僕は、単純にクラシックとロックの融合だけじゃなくて、せっかく沖縄にいるわけで、沖縄のいろいろ伝統音楽とかいろんなことを融合させたら、これこそ自分のオリジナリティを出せるっていうか。ちょっとだけですけど、「Mother Nature's Plight」とか「Fly Away」という曲がありますけど、こういうロックバンドの形式の中に沖縄の琉球音階とかえいさーのリズムとかを取り入れたオリジナルもあるし、それはある程度ずっと追求してるわけです。

田家:ファーストアルバムの中から、ジョージさんが選ばれた曲をお聞いただきます。「maze」。

田家:1976年4月に発売になった紫のファーストアルバム『紫』から「maze」。

ジョージ紫:これ実はさっきの「Double Dealing Woman」が最初の曲だと言ってますけど、あれは歌詞がついてる曲として最初にできた曲です。でも、それ以前に紫がレコードデビューする話が来る前から、当時僕いわゆるプログレッシブロックっていうか、例えばキングクリムゾンの『ムーディー・ブルース』ですとか、アメリカのヴァニラ・ファッジとかにすごく魅了されてたんで、そういうプログレッシブな曲、インストの曲ですけど、イエスとかいろんなバンドに影響を受けてたんで、ほとんどこれの方が最初にできた曲に近いです。

田家:なるほどね。ジョージさんが今おっしゃったようなバンドは日本にはいなかったですよね、当時。

ジョージ紫:でも当時多分、四人囃子とかいましたけ、割とプログレっぽいことやってました。面白い話、75年の12月に、いわゆる第3期のパープル、日本武道館でのコンサートありましたけど、実は紫をオープニングアクトで出ないかとレコード会社の方からお話があったんですけど、僕断りました。

田家:断られた。

ジョージ紫:なんで断ったかというと、やっぱり世界を目指すんだったら、もうちょっと英語力とかいろんな形でボーカリストも含めてバンド全体の実力をアップさせないと、このまま世界に出ても無理じゃないかという考えがあったので僕は断った。その代わりに四人囃子がオープニングアクトとして選ばれてたました(笑)。

田家:今だから明かせる話ですね。コザで演奏されてるときに、ドラムのCHIBIさんが米兵が審査員だったっていう発言をされてました。で、鍛えられましたと言ってました。

ジョージ紫:ある意味ではそうですよね。

田家:新曲の「Raise Your Voice」には、その頃の経験は繋がってますか?

ジョージ紫:そのせいというよりは、今まで50年近く演奏してる間に世の中がすごいいろいろ変わったわけですよ。朝鮮戦争からベトナム戦争から、あとは例えばアフガニスタンとかシリアとか中東のこととか、いろんな意味で紛争とか、今のロシアのウクライナ侵攻にまでいって。その中から出来た歌詞とか歌になりますね。

田家:ジョージさんは2枚目のアルバム『iMPACT』からは、この曲を選ばれました。「On Wings Of Love」。

ジョージ紫:これはあくまでもラブソングではあるけど、もうちょっと大きなユニバーサルな普遍性のある愛というか。世界平和に繋がるような意味で書いた曲で。楽曲的にはこの曲の中でハモンドオルガンとハープシコードとシンセサイザーとかいろいろな楽器を三つか四つぐらいキーボードを使ってるんですよ。研究というか、試したかったというか。そういう曲なので、これ僕大好きです。

田家:Chrisさんはジョージさんからそういう70年代当時のことは聞いたりしてるんですか。

Chris:ジョージさんに限らずなんですけど、メンバー全員から話をいろいろ聞いたりするんですけど、歴史の先生からいろんな話を聞いてるような(笑)。歴史の先生が5人いるみたいな感じでおもしろいです。音楽のこととかそれ以外の当時の情勢とか聞いてると勉強になります。

田家:78年に解散して、83年に再結成して、その日が今も続いている「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」の最初だったっていうのを今回改めて知ったんです。

ジョージ紫:そのときは、いわゆるファンの方たち、あるいは著名な方たちとかが実行委員会を作ってやることになったんです。そういう声掛けがあったんですね。なぜかというと、いわゆるシティポップスが流行り始めていて、沖縄のバンドもロックじゃなく東京志向みたいになっていたから、この辺で一度喝を入れなきゃいけないんじゃないかみたいなことで、やることになったんですね。実際それがあまりにも良かったから、翌年からはコンサートじゃなくて、いろんなバンドを出してフェスティバルということを始めて。3年目ぐらいからバンドの数も増えたんで、2日間やるとかそういうのがずっと続いてたんですね。

田家:その後には、りんけんバンドとか、チャンプルーズとか、BEGINとか、MONGOL800ORANGE RANGEとかHYとか、ずっと若い人たちがそこから出てますもんね。

ジョージ紫:コンディション・グリーンも含めて、いろんな沖縄のバンドがどんどん出てきて、若いバンドにも登竜門的なフェスティバルになったので。でもこれぐらい長くやってるロックフェスティバルって本土でもあんまりないと思うんです。これが恒久的に沖縄を代表する夏の風物詩みたいになってきたので、そういう意味では沖縄を盛り上げることにトリビュートできたというかね。

田家:Chrisさんが選ばれたもう1曲をお聞きいただきたいと思います。2枚目のアルバム『iMPACT』から「Mother Nature's Plight」。9分あります。

田家:この曲を選ばれてるのはChrisさん。

Chris:歌詞の意味もそうなんですけど、自然環境破壊の警告みたいな部分もあったりとかの内容もそうなんですけど、さっきジョージさんが言ってたロックと琉球音階とか融合のバランスがすごくて。僕では真似できないっていうぐらい絶妙なバランスだなって。この曲を自分でも演奏してますけど、いつも感動するんすよね。

田家:ホームページを見ていて気になったことがあったんですが、2007年10月29日のミーティングというのがありました。再結成を誓ったという。

Chris:その日に(比嘉)清正のお店で全員集まって、その時点で東京と沖縄のライブ2本オファーがあったんですよね。それに出ますかどうしますか、という話の流れで、今のメンバーで再結成しましょうって話が決まった日です。

田家:Chrisさんはそこから正式メンバーということになってるわけですね。

Chris:正式になったつもりじゃないんですけどね。

ジョージ紫:あははは。

Chris:その当時はお手伝いしますって俺返事したはずなんですけど、そっから15年以上経って、メンバーになっちゃってますね(笑)。僕、紫に加入する前から楽曲制作のお仕事はずっとさせてもらってて。楽曲を提供したりレコーディングしたりとかっていうのをやってて、ジョージさんはそれを知ってたんですよ。だから、ジョージさんは僕が入ることの意味として楽曲作ってアルバムを出したいっていう思いが強かったんだと思うんです。実際そのアルバムを作りましょうかって話になってたときに、自分がこのバンドにいる意味って多分これなんだろうなと思って。そっからだいぶ感覚は変わりましたね。

田家:ジョージさんがChrisさんを入れようと思った一番強いものは何だったんですか。

ジョージ紫:実は今のメンバーやる場合、別の形の紫もあったんですよ実は。ただ、割とそのバンドは自然解散的な感じで、Chrisもギターだったんですけど、ベースも弾けるということがわかってから。

Chris:時系列で言うと、僕以外のメンバー5人はもう決まってて、最後ベースどうしますか?ってなったときに当時のマネージャーが「Chrisはどうですか?」ってプレゼンしてくれたっぽくて。その後に10月にみんなでミーティングして詳細を聞いてっていう流れです。

田家:で、今、今回の新作アルバムのプロデュースもされてるということになりますね。

ジョージ紫:Chrisは、今は紫で一番欠かせない人間です。

田家:今日最後は改めて、そうやって作ってるアルバムの先行シングル、新曲を聞きいただきます。

田家:改めて、アルバムの時期についてお聞きできますか? いつ頃発売になるだろうとか。

Chris:いま、8月に野音のライブを控えてるんですが、それまでに頑張って出したいなって今メンバー必死こいてます。

田家:8月19日の日比谷の野音は、新曲が聞けるということになりそうですか。

Chris:ライブ自体は過去の再現というコンセプトでやるんで、往年の曲中心のセットになると思うんですけど、余裕があればやりたいなとは思ってる。ただ、その前にできれば発売して、まだまだ現役で新しい曲も挑戦して出してるよというのは皆さんに届けたいなとは思っています。

ジョージ紫:それで発売通り、もしかしたら年内に発売記念ライブ的なものが本土でできればいいなと思ってますね。

田家:楽しみにしてます。最後に、紫にとってのレジェンドカフェ、お店ってどこになりますか。

Chris:それこそ今僕たちがいるJJが経営してるMAEDA BREEZEというカフェはすごいおすすめです。

田家:どこにあるんですか?

ジョージ紫:恩納村にあります。本当にお店の側面の大きな窓から海が見えます。そこたまに7月あたりだと、クジラが飛んでるのが見れたりします。

田家:わかりました。ありがとうございました。アルバム楽しみにしてます。

流れてるのはこの番組のテーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

紫を聞いたときは驚きましたね。ハモンドオルガンがあんなに活躍するロックバンド、それまで日本ではなかった。ジョージさんが四人囃子の話をしてましたけども、やっぱり四人囃子はプログレのイメージが強くて、ハードロックとクラシック的なことがミックスされたっていう意味では紫が最初だったでしょうね。77年のミュージックライフの国内グループ部門人気1位、78年にプレーヤー部門でキーボード部門、ジョージ紫さんが1位だった。これは当然の結果だったでしょうね。洋楽のファンも、当時の日本のバンドのファンも、彼らには一目置かざるを得なかった、そんなバンドでした。

でも、早く解散してしまって。これは今日お聞きできなかったんですけど、やっぱり日本の音楽業界の注文とかオファーと、彼らがやりたいことが一致しなかった。当時のいろんな問題があったんだと思います。デビューアルバムが今手元にあって、そこにメンバーのプロフィールがあるんですが、ジョージさんのプロフィールは全然違ってたって今日初めて知りました。で、「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」というのが紫の再結成ライブで、それが今もずっと続いてるわけですね。1週目のゲストだったBEGINとかモンパチ、HYもそこに出てる。沖縄に住んで、東京に出てこなくても、ちゃんとした自分たちの音楽の活動をできるんだって見せた。沖縄のアイデンティティは、紫が作り上げたと言っていいでしょうね。沖縄のことは基地問題の是非だけでは語れないんです。いろんな歴史があって、音楽があって、人生があって、ドラマがある。その中で紫が新作アルバムを作っております。楽しみにしましょう。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
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