音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。


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2023年7月の特集は「田家秀樹的 続90年代ノート」。「J-POP LEGEND FORUM」時代に放送した「60年代ノート」「70年代ノート」「80年代ノート」の続編として、今年5月に特集した「田家秀樹的90年代ノート」の続編で、よりパーソナルな内容の90年代特集。PART1は、1990年、1991年のヒット曲10曲をピックアップする。

こんばんは。「J-POP LEGEND CAFE」マスター田家秀樹です。今流れているのは、HOUND DOGの「Ambitious」。
88年のシングルで、アルバムは89年1月の『GOLD』に入っておりました。今日の前テーマはこの曲です。

客席の拳が見えますね。J-POPの伝説を様々な視点で語っていこうという60分。2023年7月は、「続 90年代ノート」。日本のポップミュージックの黄金期・爛熟期。
お祭りのような10年間を改めて辿ってみようという1カ月。「J-POP LEGEND FORUM」の時代に、60年代ノート、70年代ノート、80年代ノートを放送しました。先々月5月、「90年代ノート」は1回お送りしたんですが、前回はメジャーシーンに焦点を当てるのが一つの趣旨だったんで、ちょっと総花的になったかなという印象があって、続編をやろうと思いました。今月はより私的な内容になってますね。極私的90年代ノート。

なんで今週この曲で始めたか理由があります。
88年に東京ドームがオープンして、ライブの規模が飛躍的に大きくなったのが90年代。それまで夢の舞台だった武道館が当たり前になった。1月、どういう状況だったか。元旦にイカ天のライブがあったんです。輝け!日本イカ天大賞IN武道館。1月3日からプリンセスプリンセスが5回やりました。
10日、吉田拓郎さん。11日、ARB。17、18日、氷室京介さん。19日、レベッカ。これはレベッカの結果的に解散公演になりました。22日から松田聖子さんが3日間。
その後1月29日から2月19日までの間に15回公演をやったのが、HOUND DOGなんですね。

東京ドームの単独公演を行った最初のバンドがドッグだったんですが、この15日間の武道館の1曲目が「Ambitious」だったんですね。取材していた僕らの間で交わされたのが、勝ち越しか負け越しか。15日間ありましたから、何回見れたのか。私は8勝7敗。かろうじて勝ち越しでしたね。
面白かったですね。連日の武道館でした。

1月から2月にかけて他にもCOBRA、オイ!パンクですよ。De-LAX、まこっちゃん(高橋まこと)がやってました。X、筋肉少女帯、浜田麻里、ユニコーンが3回、ZIGGYが2回、ジュンスカ3回っていう具合ですよ。6月になっても武道館ラッシュが続いていて、ユーミンが6回やりましたね。今週は90年91年編。極私的90年代ノートは、まず武道館の話から始めたい。90年代の幕開けを飾った人たちが続々登場します。

90年3月1日。デビューから142日目。武道館史上最速公演を行ったのが、JITTERIN'JINN。「にちようび」。

1990年6月発売、3枚目のシングル、JITTERIN'JINN「にちようび」。初めてのシングルチャート1位ですね。この年の年間チャートが26位だった。作詞作曲のギターの破矢ジンタさん。ボーカル、春川玲子さん。かわいかったですね。奈良の大和郡山の出身でした。89年10月にシングル「エヴリデイ」でデビューして、90年3月に武道館を行った時点ではシングルが2枚、ミニアルバムとフルアルバムが1枚ずつしか出てなかったんですけど、もう武道館、即完でしたね。デビュー前にイカ天でキングになったんですね。バンドブームを象徴するような1組であり、象徴するような1曲じゃないでしょうか?

ユニコーン、90年7月に発売になったシングル「働く男」。作詞作曲は奥田民生さんですね。デビューしてから1枚目2枚目は民生さんの曲が中心だったんですけど、89年の『服部』からメンバーそれぞれの個性が発揮されて、みんなが曲を書くようになった。この「働く男」すごいですね。アバンギャルドポップロックっていう感じですが、80年代後半のバンドブームは、89年から90年のイカ天が一つのピークでした。さっきのJITTERIN'JINNはイカ天出身ですけど、そうじゃない流れもあったんですね。まずはその前から活動していたバンド。BOØWYとかレベッカとか、THE BOOM、ユニコーン、ジュンスカ。すでに80年代に脚光を浴びていた人たちと、90年代にそれぞれの個性が花開いた人たち。ユニコーンは80年代組の中では抜けてました。ちょうど「働く男」が出たとき、覚えてます? リゲイン。「24時間、戦えますか?」。企業戦士。あれが世の中を席巻してるときで、働く男をこんな風に歌った。これも彼らの時代のセンスでしょうね。

THE BOOMは自分たちのアイデンティティを探して、島唄に行くようになったわけですが、ユニコーンはこういうメンバーの個性を前面に出すバンドになりましたね。後にダラダラ系とか、脱力系とか言われるようになるわけですが、ナンセンスが面白いというクレージーキャッツに繋がるようなロックバンドでありました。そういう民生色が後半にプロデューサーとして発揮されるんで、それはこの後の話になりますね。80年代にそういうブームを作ったバンドが90年代に入って転機を迎えて、90年代半ばにシーンが変わっていくんですが、その話は再来週ぐらいですね。90年、この年を代表するバンドの曲をもう1曲。90年7月に発売になった、THE BLUE HEARTS「情熱の薔薇」。

情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS

1990年7月発売、THE BLUE HEARTS「情熱の薔薇」。アルバムがこの年の9月に出た『BUST WASTE HIP』ですね。お聴きいただいたのはシングルバージョン。この「情熱の薔薇」は、彼らのキャリアで最初で最後のシングルチャート1位、そして年間チャートも7位だったんですね。この年の年間チャート1位は「おどるポンポコリン」でしたけども、3位にLINDBERGの「今すぐKiss Me」が入って、4位にたまの「さよなら人類」、そして5位にプリンセス プリンセスの「OH YEAH!」、9位がサザンオールスターズの「真夏の果実」。やっぱりバンドが多かった。年間チャートの21位にはXの「ENDLESS RAIN」も入ってた。そういう年ですね。

Xも90年、91年、92年と武道館をやりましたね。92年の武道館は、X単独ではなく、EXTASY SUMMITだったんですよ。YOSHIKIさんがやっていたレコード会社。出たのがTOKYO YANKEESとかZI:KILL、そしてGilles de Rais、LUNA SEA。そういうバンドブームの中に彗星のように登場したのがこの人たちです。89年結成、90年解散。あっという間に消えましたが、90年のアルバムのタイトル曲をお聞きいただきます。COMPLEXで「1990」。

1990年3月発売、COMPLEXの「1990」。アルバムは4月に出た『ROMANTIC 1990』。作詞が吉川晃司さんで、作曲が布袋寅泰さん。吉川さんは、このアルバムの作詞のために2週間東欧を旅したんだそうですね。ベルリンの壁がなくなって東欧が民主化に向かって、天安門事件の起こったという89年。彼は現場にいたんですね。でもそういう世の中の変わり方がロマンチックに見えたんでしょうね。僕らもそう見えてました。シングルもアルバムも2枚出して、彼らは活動休止しました。『ROMANTIC 1990』ツアーのファイナル7月25日の武道館、そして11月8日の東京ドームが活動休止最後のコンサートでした。

90年7月発売、エレファントカシマシ5枚目のシングル「男は行く」。アルバムが9月に出た4枚目の『生活』。7分の絶唱ですね。これを91年1月4日の武道館で歌った。手帳が出てきたんですよ。90年、91年。これが今月の構成に非常に役立ちましたね。91年1月2日、3日、プリンセス プリンセス。4日、エレファントカシマシって手帳に書いてあったんです。思い出しましたね。武道館、3000席っていうコンサートですよ。3000人でいいんだ、それ以上入ってくれなくてもいいんだ。当時の動員では、それ以上なかなか難しかったでしょうけど、照明もセットもなかったですね。彼らの渋谷公会堂もそうだった。ステージ裏、ホリゾント何もなくて、後ろも全部とっぱらいで見えてたコンサートだったんですが、武道館はそれに輪をかけてましたね。

この武道館の事をいろいろ調べてたら、スピッツの草野マサムネさんが客席にいて、最後の「男は行く」のときだけ、赤い照明が使われてたという話をしてたそうなんですね。いやあ、よく覚えてたなと思いました。私は毎日新聞にこのライブ評を書いたんですけど、原稿も残ってないし、当時の新聞はデータとして保存されてないんで、何を書いたか自分でもわかんないんです。でも史上最も痛快な武道館だったことは間違いないでしょうね。この「男は行く」。今はそんなに男女を強調しないっていうジェンダーフリーの時代ですからね。当時はこうやって男が行くんだ!って。これがヒロイックに見えたんですね。でも、とっても愛らしくも思いました。

この年、武道館公演をやったバンドの中には、今はどのくらいの人たちが覚えてるだろうってバンドもあります。UP-BEAT、KUSU KUSU、ECHOES、辻仁成さんは作家になりました。GO-BANG'S、BAKU。バンドブームの象徴のような人たちが武道館を賑わしてくれました。そんな人たちの中で代表的なバンド、91年1月発売、JUN SKY WALKER(S)の「START」。

91年1月発売、JUN SKY WALKER(S)の「START」。アルバムは2月に出た『START』。彼らの初めての1位になったアルバムですね。初めての武道館が1989年。そして90年、92年と毎年3日間ずつやりましたね。ジュンスカを初めて観たのを覚えてます。デビュー直前だったと思うんですけど、日比谷の野音で行われた『勇気ある子供たちが時代を創る』っていうオムニバスのコンサートで、いきなり袖から走り出てきて、宮田さんがモニターに駆け上がって歌った。「全部このままで」だったか「歩いていこう」だったか曲目までは覚えてませんが、「わー、若いバンドが出てきたな!」と思った記憶があります。

で、97年に解散したんですね。でも2011年にユニコーンとの対バンで彼らは復活したんです。そして武道館をやりました。2014年、再開してからワンマンで武道館をやってるんです。つまり解散前、90年代当時に武道館をやって、再開してさらに武道館をやったバンドって他にいるかなっていう感じですね。彼らも息の長いバンドになりました。

武道館と言えば、バンドだけではなくて、この人の話をしないわけにはいかないというアーティストの曲をご紹介します。90年に4公演、91年6公演、92年8公演、去年150回目を迎えるはずだったんですが、150回目が喉の不調で中止されて目下149回という武道館最多公演の記録の持ち主。矢沢永吉さんの91年7月に発売になったアルバムのタイトル曲「Don't Wanna Stop」。

1991年7月発売、矢沢永吉さんの「Don't Wanna Stop」。アルバム『Don't Wanna Stop』のタイトル曲でした。矢沢さんは80年代にロサンゼルスに拠点を移して音楽作りをしてたんですが、88年の『共犯者』からロンドン録音をするようになって、「Don't Wanna Stop」はロンドンとロサンゼルスと両方で作ったアルバムでしたね。新しい扉を開いたという感じがしました。本当に勢いのあるアルバムが出来上がりました。

5月に「90年代ノート」をお送りしたときに、90年代は名曲の宝庫とお話したんですけど、個性派の宝庫だったんです。今日お聞きいただいてもわかるように、同じバンドでも本当にいろんなタイプがいた。いろんな人たちが次々と登場してきた。それをメジャーなレコード会社が積極的にサポートしていたんですね。前回ご紹介した、たまもそういう1組だったわけですけど、次の人たちは決して若いバンドではない。でも、こんなに個性的なバンドがいたんだろうかって人たちが90年の7月に登場しました。レコード会社がエピックソニー、上々颱風の「愛より青い海」。

1991年2月発売、上々颱風の3枚目のシングル『愛より青い海』。この曲は91年のJALのキャンペーンソングだったんですね。90年のJALの沖縄キャンペーンが米米CLUBの「浪漫飛行」ですよ。「浪漫飛行」から「愛より青い海」に流れる振り幅が90年代そのもの、面白かったですね。上々颱風はバンジョーに三味線の弦を張った「三線バンジョー」という楽器を使っていたり、ドラム・ベース・ギターに和楽器、民族楽器、沖縄のカチャーシーとかレゲエとかサンバとか一緒になってる。これぞ無国籍音楽でしょうね。ソウル・フラワー・ユニオンと上々颱風は、そういうバンドの双璧でしょうね。上々颱風はさすがに武道館が似合わないということで武道館はやらなかったと思いますが、彼らの活動は離島とか市場とか芝居小屋とか、かなりユニークなところを回ってましたね。僕が見たのは日比谷野音でした。さすがにやっぱりそういうところになりますね。

彼らの「Let it be」のカバーがあるんですけど、これは世界中の「Let it be」の中でもユニークなものの一つに数えられるんではないでしょうか。90年、91年、改めて思い出すことがいろいろあったりしてるんですが、あなたはどんな思い出をお持ちなんでしょう。90年は、そういう80年代と90年代のバンドの一つの境目にもなってるわけで、次にお聞きいただくのは90年に解散したバンドの曲です。ROGUEの「終わりのない歌」。

今日最後の曲、ROGUEの「終わりのない歌」。87年のシングル。彼らは89年に初めて武道館をやって、年末にニューヨークのCBGBでライブをやったんですね。僕、取材でそれ見に行ってます。残念ながら90年に解散してしまいました。解散の正式な発表があったかどうかちょっと記憶がないんです。解散した後、ボーカルの奥野敦士さんはソロになって、でも2008年に事故で半身不随、車椅子生活になってしまったんです。

2012年に「ap bank fes」で、Mr. Childrenの桜井和寿さんが、この歌をカバーしたんです。そのときに奥野さんが歌えるようになった姿を映像で流したんですね。彼が投稿したサッチモの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」を、桜井さんが奥野さん歌えるようになりましたっていうことで紹介して。僕も彼は歌えるようになったんだって、そのとき知りました。奥野さん、不屈のリハビリで歌えるようになって、2013年にROGUEは再結成しました。今でも活動してます。体の不自由な人たちのためのチャリティーコンサート「GBGB」をずっとやってて、今年の6月、いったんピリオドを打つということで2日間行われました。車椅子のボーカリスト。パラリンピックで彼らが歌ったのは新しい記憶ではないでしょうか? ときを超えて再結成される。「終わりのない歌」が歌い継がれる。90年代が、そんな時代の発信元になればいいなと思いながら、この曲で締めてみました。

流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

5月に続いての「続 90年代ノート」。前回とはちょっと違うぞと思っていただけると嬉しいです。どんな時代だったかが少しでも浮き彫りになればいいなと思います。でも、手帳があったのが大きかったですね。自分で忘れてることがたくさんあった。こんなにライブに行ってたのかと思って、改めて記憶が蘇ってくる。そんな時間になりました。年間200本ぐらいライブを見てましたからね。そういう中に、例えばまだそんなに評価されてないスピッツの草野マサムネさんがエレカシの武道館を見ていたり、ROGUEが再び蘇ったのも、桜井さんがあの歌が好きだったから。

音楽はそうやって続いてるんだなと思っていただけると嬉しい1カ月ですが、そういうバンドブームを彩った人たちが集うイベントが大阪・名古屋・東京で開かれます。題して「バンドやろうぜ ROCK FESTIVAL THE BAND MUST GO ON!!」。バンドが続いていく。大阪公演が8月12日です。ZIGGY、JUN SKY WALKER(S)、RESPECT UP-BEATG。UP-BEATの広石武彦さんは未だに活動を続けていて、広石さんを中心にしたバンド、UP-BEATの曲をやるんだそうです。名古屋公演8月19日、これはGO-BANGS、JUN SKY WALKER(S)、PERSONZ。東京公演が9月2日、プリプリの岸⾕⾹さん、筋⾁少⼥帯、JUN SKY WALKER(S)が出演します。ジュンスカが3ヶ所とも出てるんですね。詳しくはFM COCOLOのホームページをご覧ください。来週は92年、93年編です。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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