1994年9月14日、渋谷クラブクアトロで日本での初ライブを行なったオアシス。伝説的一夜の30周年を記念して、米ローリングストーン誌による1996年の大変貴重なカバーストーリーをお届けする。
2ndアルバム『(Whats the Story) Morning Glory?』で歴史的セールスを叩き出し、キャリアの頂点を極めた時期だけに、ギャラガー兄弟の減らず口も絶好調。奔放な発言の数々を心ゆくまで堪能してほしい。

【動画】1994年9月14日、初来日公演のライブ映像

自由を手に入れたロックスター

「俺は女に騙された。先月だけで2回もあったよ。彼女らは俺との”カラミ”のネタを雑誌に売って金を稼いだんだ。まあ、それもありだろうな。何せ俺は事を終えて、そのまま立ち去ったから。俺も彼女たちを騙したってわけだ。だから1対1の引き分けってところさ」(リアム・ギャラガー)

リアムは、イギリスあるいは男性を代表するに相応しい存在とは言えない。彼は自分のことを話すのが大好きだ。中でも、オアシスの23歳(当時)のリードシンガーは、失礼で馬鹿げたことを言ったり実践しているときが最も幸せらしい。要するに、彼はほとんど常にゴキゲンで人生を謳歌している。


オアシス、世界を制した1996年の超貴重インタビュー「あの頃の俺らはマジで最高だった」

ローリングストーン誌 1996年5月2日発売号の表紙

今の状況がいい例だ。ここはイギリス版のグラミー賞にあたるブリット・アワードの会場で、ギャラガーはステージ上にいる。バンドの2枚目のアルバム『(Whats the Story) Morning Glory?』が最優秀アルバムに選ばれ、記念に贈られたトロフィーを手にした彼は、腰をかがめてそれを肛門に刺すふりをしている。しばらくしてから、彼はゆっくりと演壇に戻ってこう言った。「ファック」。

そして彼は、暖かい室内には似つかわしくない冬用コートのポケットに手を深く突っ込んでこう言い放つ。「俺たちをこのステージから引きずり下ろせるほどタフなやつがいるなら、今すぐ上がってこい」。会場にはブラー、レディオヘッド、スーパーグラス、パルプといった、同じく一単語のイギリスのバンドが勢揃いしているが、誰も彼の挑発に応じようとはしない。イングランドはマンチェスター出身のこの労働者階級の5人組が、イギリスの頂点に立つ存在であることがこの瞬間に証明された。彼らよりもビッグで粗野なバンドは、国中どこを探しても見つからない。

1996年のブリット・アワード(2月19日開催)、オアシスの受賞シーン。最優秀ブリティッシュ・ビデオ賞を受け取る場面ではプレゼンターのマイケル・ハッチェンス(INXS)に対しノエルが悪態をつき(映像冒頭、詳しくは後述)、最優秀ブリティッシュ・アルバム賞の受賞スピーチ(01:45~)では当時対立していたブラーの「Parklife」を馬鹿にしながら歌唱。
その後、リアムがトロフィーを肛門に刺すふりをする(03:50~)

ギャラガーとオアシスの他のメンバーはステージを降り、祝杯を上げるべく軽い足取りでテーブルへと戻っていく。パイントのラガービールを片手に先頭を切るのは、リアムよりも5歳年上の兄、ノエル・ギャラガーだ。その後ろには、ギタリストのポール ”ボーンヘッド” アーサーズ、ベーシストのポール・マッギーガン、そして昨年の『Morning Glory』のレコーディング開始直前に、結成メンバーのトニー・マッキャロルに代わって加入したドラマーのアラン・ホワイトが続く。

その夜の焦点は紛れもなく『Morning Glory』だった。シングル「Wonderwall」のヒットに後押しされる形で、このアルバムは今世界中で脚光を浴びている。しかし、オアシスが注目されている理由はもうひとつある。それはギャラガー兄弟に象徴される、バンドの不遜ぶりだ。絶え間ない薬物使用、喧嘩、そしてメディアを挑発する過激な発言の数々で知られるオアシスは、もはやバンドそのものが巡回エンターテインメントとなっている。

「俺たちは人をイライラさせるのが好きなんだ」とノエルは平然と言い放つ。「マンチェスター生まれのやつはみんなそうさ。人をムカつかせるのが好きなんだよ」。

本インタビューのあと、1996年8月10日・11日には伝説の野外コンサート・ネブワース公演が開催された。
公演初日(DAY1)の模様が完全ノーカットで劇場上映される『オアシス:ライヴ・アット・ネブワース 1996.8.10』が、10月18日より東京・TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

派手なヘッドラインの影に隠れている感さえあるが、ブリティッシュ・インベイジョンの影響を受けたオアシスの2枚のアルバムは問答無用にキャッチーだ。お世辞にもオリジナリティがあるとは言い難いが、その中毒性は誰も否定できない。また、1994年のデビュー作『Definitely Maybe』が単なる虚勢だったのに対し、『Morning Glory』のサウンドはより柔らかく厚みがある。最初のアルバムは始終ロックンロールに徹していたが、2作目の楽曲群は穏やかな流れを生み出している。以前はジョニー・ロットンのような嘲笑をトレードマークにしていたリアムも、今は歌っている。

「最初のアルバムが出た後でも、リアムが『Wonderwall』をあんなふうに歌えるとは思ってなかった」とノエルは言う。「『Morning Glory』であんな演奏ができるなんて、俺たち自身も思っていなかった。できたらいいなとは思ってたけど、確信はまるでなかった。最初のアルバムの曲は全部逃避についてなんだ。マンチェスターのクソみたいで退屈な生活から抜け出すことさ。あれはバンドで有名になるっていう夢についてのアルバムだった。それに対して、2枚目は実際にポップスターになった俺たち自身のことなんだよ」。


ギャラガー兄弟にとって、ロックスターであることの最大のメリットは自由だ。人生で初めて、彼らは欲しいものを欲しいときに買える自由を手に入れた。同時に、気の向くままに好きなだけ馬鹿げたことをする自由も手に入れた。

「俺たちは酒を浴びるほど飲み、グルーピーと寝て、ドラッグをやりまくってるって言われてる」。最近、ボディガードを雇うという究極のロックスター的行動をとったノエルは言う。「誰かを陥れようとする輩はいつだっているんだよ」。

オアシスは実際に酒を浴びるほど飲み、グルーピーと寝て、ドラッグをやりまくっているのだろうか? ノエルは背もたれに身を預けて、満足げな笑みを浮かべる。

労働者階級としての生い立ち

オアシスのメンバーにとって、あらゆる問題は階級に起因する。それは社会における礼儀やマナーではなく、労働者階級、中産階級、そして上流階級というヒエラルキーのことだ。彼らはマンチェスター出身で、誰が何と言おうと労働者階級に属していた。それは苗字と同じく変えようのない、彼らのアイデンティティの一部だ。

「労働者階級だからってひがんでるわけじゃない。
俺は俺だ」とリアムは言う。「誰かを見下したりなんかしない。もし俺が中産階級の生まれで、母親が何でも与えてくれたなら、誰かを見下していることを認めただろうね。今は金があるから、もし子供ができたら何でも与えるつもりさ」。

子供の頃、リアムとノエルは寝室を共有していた。ノエルはそのことを今でも不満に思っている。なぜなら、18カ月年上の兄ポールは自分の部屋を持っていたからだ。彼らは毎日同じようなことをして過ごしていた。2人はサッカーをしたり、喧嘩をしたり、音楽を聴いたり、学校をサボってはさらに喧嘩をするか音楽を聴くか、そうでなければサッカーをしていた。

「面白いことに、その頃のことはあまり覚えていないんだ」とノエルは言う。「恵まれていたとは言い難いけど、普通だったよ。今の俺たちとマンチェスターの人間を隔てているのは、俺がここに座ってるってことだけで、やつらはまだヘロインをやってたり、失業手当をもらってたりする。
でも俺たちも似たようなものだった。俺ら5人とも学歴はゼロだ。資格とかそういうのとはまるで無縁さ」。

ノエルにとって、学校での勉強は特に苦痛だった。彼は読字障害を抱えていたからだ。「当時の俺はそれが障害だとは知らなかった」と彼は話す。「俺が書いたものを誰かに読んでもらうと、『意味がわからない』って言われるんだ。俺が自分で読み上げて聞かせると、『言葉が半分ぐらい抜けてる』って言われた。でも俺に言わせれば、ちゃんとそこにあるんだよ」。

ギターに興味を持ち始めた13歳の時、ノエルは学校の音楽の授業から締め出された。さらに悪いことに、その翌年にギャラガー家の父親(昼は建設作業員として働き、夜は時折カントリーミュージックのDJをしていた)が家族を捨てた。

「18歳の時以来、親父には会っていない。今、俺は28歳だ」とノエルは言う。「俺がバンドで活動するようになったのは24歳になってからだけど、18歳から24歳の間もあいつと話すつもりはなかった。金持ちになったからって、それは変わらない。あいつは今でもアホだし、これからもずっとそうだろう。あいつが一人で暮らしていようが、失業手当を受け取っていようがどうでもいい。あいつはずっとクソだった。いつも家にいなかったし、常にパブに入り浸ってた。あいつがついに家を出たとき、俺たちは清々したって喜んだんだ」。

リアムの態度はより単純明快だ。「あいつに会ったら、ケツを蹴飛ばしてやる」。

振り返ってみて、ノエルは母親が苦労していたことを理解している。「俺のお袋は俺ら全員よりも強い」と話しながらも、彼はそういう境遇が「必然だった」と考えている。「よくあることさ」と彼は言う。家庭が崩壊し、父親が家を出て、時には母親が一人で子供を育てることになる。ギャラガー家の場合、9歳のリアムと10代のノエルとポールが残されたが、2人の兄が末っ子に対して父親がわりになることはなかった。

「冷たいとか厳しいとか言われるかもしれないけど、マンチェスターで生まれ育った労働者階級の子供にとって、そういう環境は別に残酷ってわけじゃなくて普通なんだ」とノエルは言う。「小さな弟の感情面について考える余裕なんてないんだよ。生計を立てるために、必死で働かなきゃならないんだ」。

食べていくために、ノエルは犯罪に手を染めたこともある。18歳の時、彼は盗みに入ろうとしたところを捕まった。それからしばらくして、彼はインスパイラル・カーペッツのローディとなり、故郷のマンチェスターを離れる。

家に残される形になった15歳のリアムは、直後に喧嘩が原因で学校を退学させられる。彼は喧嘩の相手から頭をハンマーで殴られて頭蓋骨にヒビが入ったが、さほど気にすることもなく、ほどなくしてフェンス作りの仕事に就いた。

「他のやつらが学校に行ってる間、俺は週に70ポンド(約108ドル)稼いでた」とリアムは話す。「俺はめちゃくちゃ金持ちだった。ざまぁみろさ。先公にはクソでも食らえって言ってやった」。

オアシス、世界を制した1996年の超貴重インタビュー「あの頃の俺らはマジで最高だった」

1994年のオアシス(Photo by James Fry)

オアシス結成のきっかけを作ったのは、9歳の時に父親に丸刈りにされて以来「ボーンヘッド」と呼ばれていたポール・アーサーズだった。彼はリアムとマッギーガン(同じく喧嘩で退学処分となっていた)、そしてドラマーのマッキャロルをバンドに勧誘した。その時点では成功の見込みはほとんどなかったが、1992年にノエルがマンチェスターに帰ってきたことで風向きが変わる。4年間にわたって他人のギターをいじっていたノエルは故郷に戻り、自分がリードギターを弾いてすべての曲を書くと主張し、オアシスを完全に乗っ取ってみせた。メンバーからの抵抗はほとんどなかった。

「何かが起きるような気がしてた。それが何なのかは分からなかったけど」。リアムはバンドの初期の頃についてそう語る。「でも働きたくないってことだけは確かだった」。

兄が曲を書かなかったらどうするつもりだったのか?

「それって『もし世界が四角だったら?』って言うようなもんだろ」とリアムは言う。とことん挑発的な表現を探すかのように間を置いてから、彼はこう続けた。「それか『もし女王におっぱいが10個あったら?』ってな」。

歌詞に意味なんていらない

ノエルがバンドに居座り、エリザベス女王が在位するなか、オアシスは2年にわたって練習を重ねた後、満を持してスコットランドのグラスゴーにあるクラブのステージに立つ。結果として、バンドはわずか6回のライブでレコード契約を勝ち取る。その後、『Definitely Maybe』はイギリスで史上最速の売上ペースを記録したデビューアルバムとなり、ドラマーのマッキャロルは解雇され、マッギーガンとノエルはロンドンに移住し、『Morning Glory』はアメリカでトップ5入りを果たした。もはやマンチェスターは、オアシスにとって過去となりつつある。

「俺はまだマンチェスターに住んでるけど、もうそこに自分の居場所はない」。今では結婚し、1歳の娘がいるボーンヘッドはそう話す。「バンドを始めた頃は、誰かから『パブに来いよ、ビール飲もうぜ』って誘われても、『悪い、リハーサルがあるんだ』って断ってた。幼馴染の2人が結婚することになって、結婚式に来てくれって言われた時も、『すまないが仕事なんだよ、リハーサルがあるんだ。悪く思わないでくれ』って答えた。それくらい真剣だったんだ。結果として、この街には友達と呼べるやつはもういない。みんな『くたばれ』って吐き捨てて離れていったんだ。でも今、俺たちはいい暮らしをしながら、『勝手にしろよ、クソが』って感じでそいつらを見下してるんだよ。昔からずっと支えてくれてるのは、たぶん1人だけだ」。

マイケル・ハッチェンスが武器を隠し持っていると疑う根拠はないが、もしそうだとすれば、オアシスのメンバーは重大な危険にさらされていることになる。

「マイケルは俺の顔を引っ叩きたいはずだ」。リアムは身の危険を理解しつつ、ハッチェンスから授与される賞を受け取るために、ふらつきながら壇上に向かう。INXSのフロントマンは静かに傍に寄り、ノエルが弟よりも先に前に出る。一瞬、良識と理性が勝ったかのように思われたが、そうではなかった。

「落ちぶれたやつに賞のプレゼンターをさせるべきじゃない」とノエルは言い放った。少しの間を置いて、彼は受賞スピーチをこう続けた。「俺は金持ちで、お前はそうじゃない」。

これもブリット・アワードでの一幕だ。「Wonderwall」が最優秀ビデオ/ソング賞に選出され、オアシスは獲得したトロフィーの数をさらに増やした。

多くの点で、「Wonderwall」はオアシスというバンドを象徴している。タイムレスなメロディが美しいこの曲は、実際にはそうでなくとも、ごく自然に生まれてきたかのような印象を与える。しかし、歌詞の意味を理解することはほぼ不可能だ。

「ワンダーウォールは何にでもなり得るんだよ」とリアムが言う。「ただの美しい言葉さ。バスのチケットを探してるときなんかにさ、チクショウとか何とか言いながらポケットやら何やらを全部ひっくり返して、ようやく見つけて『すげぇ、やっぱ俺ってワンダーウォール』みたいな感じさ」。

リアム、わかりやすい解説をありがとう。だが実際には、「Wonderwall」はノエルが当時無職だったガールフレンドのメグ・マシューズのために書いた曲で、彼女を大切に思う気持ちが込められている。「Wonderwall」という言葉(ジョージ・ハリスンのソロアルバムのタイトルでもある)を選んだ理由については、ノエル自身もよくわかっていないようだ。おそらく彼の音楽的なインスピレーションはビートルズから来ていて(多分歓迎すべき)、歌詞のお手本は(絵本作家の)ドクター・スースなのかもしれない(考え直すべきだろう)。歌詞の一部を例に挙げよう。「シンクは魚でいっぱい/彼女の頭の中は汚れた皿でいっぱい/俺の犬はかゆがってる/またキッチンでかゆがってる」。

「わかってるよ、俺は怠け者さ」とノエルが言う。「俺はジョン・レノンじゃない。何かを伝えようとしてるわけじゃなくて、ただみんなを楽しませたいだけさ。歌詞に意味なんていらねぇだろって思う時もあるよ。たかが歌詞だろ。全部インストのアルバムを作るべきかもな」。彼はそう言って、短い沈黙を挟む。「シラフの時は、歌詞について考えすぎてしまうんだ。俺は酔っ払ってる時が一番が調子いいんだよ。何も考えずに、ただ手を動かす。例えば『Roll With It』とかさ……」。彼は言葉を区切り、おどけるように首を振りながらこう吐き捨てた。 「誰が気にするんだよ。『Dont Look Back in Anger』みたいな素晴らしい曲でさえ、まるで何の意味もないんだ」。

彼の言うとおり、「Don't Look Back in Anger」は素晴らしい曲だ。だがそれはまるで、魅力的なブラインドデートの相手が、実は極端な会話下手だったようなものだ。リアムに聞いてみればわかる。

「曲には意味がたくさん詰まってるんだよ」とリアムは話す。曲に何の意味があるのか知らないとさっき言ったばかりなのだが。「俺にはわからないけど、意味は確かにあるんだ。何かを意味してるけど、それが何なのか俺にはわからないだけさ」。

『Definitely Maybe』の楽曲は、曲そのものよりもアティテュードが魅力だった。「Cigarettes and Alcohol」「Rock n Roll Star」「Supersonic」は、まさにロックソングについてのロックソングであり、『Morning Glory』の「Cast No Shadow」「Dont Look Back in Anger」「Champagne Supernova」も、歌詞の内容ではなくその優雅さに主眼が置かれている。新作が盗作で訴えられなかったことを、彼らは誇りに思うべきだろう。それは進むべき道の第一歩だ。デビューアルバムの「Cigarettes and Alcohol」はT-Rexの「Bang a Gong」の冒頭のリフを完全にパクっていると批判され、「Shakermaker」はコカ・コーラのジングル「Id Like to Teach the World to Sing」のメロディ(と歌詞の一部)を盗用したとして訴訟を起こされた。最終的に裁判所は、バンドに一部の歌詞を変更するように命じた。

「パクったのは事実だから、やつらには俺らを訴える権利があった」とボーンヘッドは言う。「みんなやってることさ。他のバンドの曲をパクって歌詞だけ変えるんだよ。俺たちも同じことをやったけど、歌詞の一部もそのまま拝借したんだ」。彼は少し間を置いてこう言った。「今はペプシに乗り換えたよ」。

CM曲の盗作疑惑をかけられたことで、ノエルは自分が侮辱されたと感じなかったのだろうか?  お世辞にも、広告業界のお偉方たちは斬新さで知られているとは言い難い。もしかすると、キャッチーでも度が過ぎるということがあるのかもしれない。しかし、彼はこう反論する。

「ニルヴァーナがいい例さ」とノエルは言う。「彼らはマジで最高だったし、あの男(カート・コバーン)はキャッチーなロックの王様だった。彼よりキャッチーな曲を書けるやつなんていない。だからキャッチーすぎるなんてことはないんだよ。マーシャルのアンプの音量を最大にして、客の目に涙を浮かべさせたら勝ちさ」。

ギャラガー兄弟の荒ぶる関係

「Champagne Supernova」のビデオ撮影の2日目、リアムは限界だった。何時間も横たわっていたベッドから飛び起き、撮影現場から足早に立ち去ろうとする。「カメラを向けられたまま、こんなところに何時間も寝っ転がってられるか」と彼は怒鳴る。「風邪ひいてるんだよ」。監督のナイジェル・ディックが座っているリアムに歩み寄り、ひざまずいて静かに話しかける。しかし、リアムは腕を振り回しながら言う。「無理だって。カメラを顔の真ん前に突きつけられたままずっと横たわってるなんて」。鼻を指差しながら、彼はこう続ける。「マジで風邪ひいてるんだよ」。

ランチ休憩の時間だ。楽屋に向かうノエル、ホワイト、マッギーガンを尻目に、ボーンヘッドとリアムは(奇跡的に風邪が治ったらしく)パブに行く。これが典型的なパターンだ。騒がしいリアムとボーンヘッド、そして寡黙なマッギーガンとホワイトがそれぞれペアになる。ノエルはというと、多くの時間を一人で過ごすか、バンドに関する雑務をこなしている。結局のところ、オアシスはノエルのグループなのだ。楽曲、歌詞、ビジネス面の意思決定に至るまで、ほぼすべてを彼が担当し、他のメンバー4人もそれを進んで受け入れている。

「5人全員でやるよりも、誰か1人に任せたほうがいいんだよ」とボーンヘッドは話す。「その方がずっと早く片付くんだ」。

パブでボーンヘッドの隣に座ったリアムは、しばしば衝突する兄との関係について語る。「俺とノエルは同類だ。あいつはクソ野郎だし、俺もそうだ。あいつに騙されるなよ、マジで最低の奴だからな。俺ばっかりクソ野郎扱いされるのは、あいつがそう仕向けてるからだ。あいつが俺をクソ野郎ゾーンに押し込むんだよ」。

リアムとノエルは同じゾーンにいるかもしれないが、それだけではノエルと他のメンバーとの距離感を説明できない。リアムや他のメンバーがオアシスを結成するまでイングランドの外に出たことがなかったのに対し、ノエルがインスパイラル・カーペッツと共に世界中を回っていたことは、その距離感の一因なのかもしれない。「俺は他のメンバーよりもずっと冷静だよ」とノエルは言う。「オアシスが初めて日本に行った時、俺はそれが6回目の来日だった」。

「ある意味では残念だけどな」。彼は珍しく感傷的になってそう言った。「あいつらと一緒だったらよかったのにって思うよ」。

面と向かって話していると、ノエルは弟よりも落ち着きがあり、思慮深い人物だと感じる。リアムが次々に発する挑発的な言葉を、彼は無理して考え出しているような節もある。もちろん彼はやり遂げるが、温厚な本来の自分と戦っているように思えることも少なくない。彼と弟が喧嘩しているところを録音したテープを聞いたとき(飛び交う罵声はシングルとしてリリースされ、イギリスのチャートで52位を記録)、ノエルの友人たちは怒りを露わにする彼の様子に面食らったという。

ザ・キンクスのレイ・デイヴィスはノエルと接点がある。バンドのメンバーである弟のデイヴとの衝突を経験しているだけでなく、彼は昨年のブリット・アワードでオアシスに最優秀新人バンド賞を授与した。「バンドに兄弟がいると、状況がエスカレートして何かとピリピリしがちなんだ」とレイは話す。「嫌でも一緒にいる時間が増えて、摩擦が生まれるんだよ。でもその反面、ある種のテレパシーが働くのも事実なんだ」。

オアシス、世界を制した1996年の超貴重インタビュー「あの頃の俺らはマジで最高だった」

Photo by Paul Slattery

ギャラガー兄弟の荒ぶる関係は、イギリスのタブロイド紙で毎日のように大きく取り上げられている。彼らの薬物使用や喧嘩に関する記事は、今や王室の浮気や離婚のそれと同じくらい一般的になっている。

「『オアシスのドラッグショック』っていうヘッドラインが雑誌の一面を飾ったことがあるよ」とノエルは言う。「一体誰にとってショックなんだ? 俺たち全員が教会に行ったら、もっとショックだろうな。『オアシスの宗教ショック』ってか」。

流動的だったバンドメンバー

昨年、他の問題が仕事に影響を及ぼした。まず、バンドがマッキャロルを解雇し、現在は不当解雇で訴えられている。「あいつは何かとクソだから、さっさと消えてくれればいい」とリアムは言う。「あいつとはほとんど交流もなかったし、友達じゃない。単にドラムが叩けたっていうだけさ。もっと良いドラマーが必要だったから交代させたんだよ。たとえあいつがツレだったとしても関係ない。ドラマーとしての腕に問題があった、それだけさ」(マッキャロルはコメントを拒否している)。

穏やかで好感の持てるロンドン出身のアラン・ホワイトは、過去にドラムが不満でオアシスのコンサートを途中退場したことがある。ホワイトは日曜日にノエルと会い、水曜日にはイギリスの音楽番組『Top of the Pops』に出演し、翌週末には『Morning Glory』のレコーディングを開始した。「ビールを飲みに行って、戻ってからジャムセッションをして、それで終わりだった」とホワイトは話す。「クレイジーな連中だと思ってたけど、実際はそうでもないよ」。

新体制となったバンドが新たなツアーに出ようとした矢先、マッギーガンが神経性の疲労により、ベッドから這ってトイレに行くのがやっとという状況になってしまう。それは恐るべき事態だった。なぜなら、マッギーガンは神経性疲労を患うようなタイプとは程遠いからだ。彼の普段の活動レベルを基準とした場合、仏陀がスピード狂のように思えるはずだ。ミュージックビデオ撮影の2日間で、彼は同じ椅子に座ったままほとんど動かず、ただ次々とジョイントを巻き、ボソボソと話すだけだった。

「正直、俺は何もしていない」とマッギーガンは言う。「今はしないけど、昔はひどく喧嘩っ早くて、人を殴ってばかりだった。昔は怒りっぽかったけど、今はそうじゃない。変わったんだ。今は隅っこに座ってクサを吸うだけさ。サッカー観戦が一番の趣味だね。サッカーの試合を見て、サッカーの映像を見て、サッカーについての記事を読んで、サッカーの話をする。他はどうだっていいんだよ」。

マッギーガンが床に伏せている間、オアシスは別のベーシストを採用したが、その人物はアメリカでの数回のライブの後に辞めてしまう。結果として、マッギーガンの回復を待つ間、バンドはツアーを中断することになった。

「何もかもが急過ぎたんだ」。パブでビールを片手に、ボーンヘッドはそう話す。「グイグスが脱落して、バンドとして動けなくなっちまった。現実を突きつけられたんだよ。まるで予想外の事態だった」。

バンドのクルーがおかわりのビール3杯をテーブルに置くと、ボーンヘッドは椅子にもたれかかりながら話題を変えた。新たなトピックは、シャーラタンズやストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、インスパイラル・カーペッツといったマンチェスターのバンドが、大きな注目を浴びながらなぜ失敗したかについてだ。

リアムは身を乗り出しながらこう話す。「何でか知りたいか? 知りたい? 知りたいか? やつらは怖くなかったんだよ、誰一人としてね」。だが実際のところ、オアシスの面々はそんなに怖いのだろうか? リアムは満面の笑みを浮かべてこう続ける。「あぁ、俺たちは十分怖い」。

その直後、ボーンヘッドは突然テープレコーダーを掴んで尻の下に持っていくと、屈んだ状態でマイクに向かって大きなおならをした。それを見たリアムは、まるで女王の10個のおっぱいを見たかのように大笑いした。

オアシスじゃない人生なんて誰が欲しがるんだ?

ノエルは言うべきことが尽きたようだ。ステージ上の彼はシャンパンのボトルを武器のように振り回し、バンドのメンバーや興奮している観客に黄金の液体を浴びせかけている。オアシスはブリット・アワードのグランドフィナーレである最優秀グループ賞を授賞し、またひとつトロフィーを手にした。

審査員たちの傾向について軽く触れておくと、グリーン・デイ、フー・ファイターズ、ガービッジ、TLCがノミネートされていた最優秀インターナショナル・グループ賞を受賞したのはボン・ジョヴィだった。それでも、会場にいる誰一人としてオアシスの英国での圧倒的勢いを否定することはできない。わずか2日前、ノエルはこの結果を予想した上で、今まさにアルコールを浴びせている他のバンドへの苛立ちをぶちまけていた。

「俺は最高のバンドにいて、最高のアルバムを作った」とノエルは言った。「だからさ、俺に言わせれば、みんなまとめて消えちまえばいいんだよ。他のバンドなんて、今の俺のギターの弦すら張れやしない。負け犬どもさ」。

ノエルは高らかに笑った後、しばらくの間沈黙した。「本気で言ってるんだよ。俺らの成功を受けて、他のイギリスのバンドもアメリカで結果を出せるなんて、世間のやつらは本当に思ってるのか? 絶対に無理だね」。

それは事実だ。いくつかのバンド(エラスティカやレディオヘッドなど)はアメリカで控えめな成功を掴み始めているものの、それが新たなブリティッシュ・インヴェイジョンという大袈裟な触れ込みに見合っているとは言い難い。これらのグループは自国で、オアシスを現在の地位から引きずり下ろすことは到底できていない。今夜、オアシスはブリット・アワードの賞をほぼ総なめし、最大のライバルであるブラー(彼らの主な罪はイギリスの中産階級について歌っていることだろう)を完全に蹴落とし、アワードでの演奏を一度は承諾しておきながら掌を返して拒否することで、自国のメディアの関心と怒りを煽った。

ノエルによれば、今後の2カ月はオアシスにとって極めて重要な時期だという。というのも、双子座であるノエルは1年のほとんどを通じて眠っている自身の作曲能力が春になると開花すると信じているからだ(※編注:ノエルは2023年のインタビューでも「ほとんどすべての曲を春に作ってきたんだ」と語っている)。過去数年間、彼はバンドの曲の大半を3月から5月末までの間に書き上げており、他のメンバーにそれらを聞かせるのはスタジオで集まる時だった。

「悲しいけど、それが現実なんだ」とノエルは言う。「それについては何も隠し立てできない。俺が仕切ってるんだ。あいつら4人はどうせやる気もないしな」。

オアシスの基本的な姿勢はこうだ。「ビートルズっぽい音なら録音しろ。迷ったらノエルに任せろ。できるだけ自分に注目させろ」。多くのアメリカのバンドが成功を望みながらも世間からの注目を嫌がるのに対し、オアシスはロックスターがグルーピーのお腹の上でコカインを吸い、その後ホテルの窓からテレビを投げ捨てたような時代を生きようとしている。彼らが欲しているのは匿名性ではなく、絶え間ない称賛と喝采だ。

「イタリアでは2000人くらいのファンにもみくちゃにされたよ。もうプライバシーとはおさらばだな」。ノエルは満面の笑みを浮かべながらそう話す。「でも、それも今後5~6年の話さ。それ以降は誰からも相手にされなくなって、家で好きなだけのんびりできる。今は俺たちの番だ。今俺らは台風の目にいるけど、それもいつかは過ぎ去る。30代後半には特に悩みもなく、当時をこんなふうに振り返るんだろうな。『あの頃の俺らはイカしてた。いや、マジで最高だった。そしてこれが俺たちが築いたものだ』って。今は小さな代償を払う時なんだよ」。

しかし、オアシスという肩書きが常に付きまとう今の生活を窮屈に思うことはないのだろうか? ノエルは他のメンバーなしでも、同じくらいの成功を収められると主張する。「いいものはいいんだよ」。そう話しながらも、彼は最近ソロとして映画『クロウ II』の音楽を手掛けるという、約80万ドルのオファーを却下している。その理由について彼は、自分が書くのはあくまでオアシスの曲だと話す。

「オアシスじゃない人生なんて誰が欲しがるんだ?」とノエルは言う。「音楽がなければ、生きている意味なんてない。自殺するってわけじゃないけど、もし交通事故で手を失ったとしても、俺は音楽をやってなきゃダメなんだ。音楽が俺の人生のすべてなんだよ。アートなんてクソくらえだ。絵なんて描いて何が楽しいんだよ。俺は読書もしない。たまにバンドについての本は読むけど、フィクションの本は読んでいられないんだ。他人の話なんて退屈でしかない」。

作曲が退屈だと感じる人もいるとか、ここ数年だけでもビートルズよりも大きい存在だと自称しながら消えていったイギリスのバンドが掃いて捨てるほどいるとか、そんな主張でノエルが言い放ったことに反論するのは無意味だ。おそらく彼は、話すことがなくてただ嫌味を言っているに過ぎない。しかし、それでいいのだ。弟に聞いてみればわかる。

リアム、あなたはデタラメばかり口にしてうんざりしないのですか?

「いいや」とリアムは即答し、悪びれる様子もなくこう続けた。「俺は自分のことを話すのが大好きなんだよ」。

※ローリングストーン誌 1996年5月2日発売号より掲載

From Rolling Stone US.

オアシス、世界を制した1996年の超貴重インタビュー「あの頃の俺らはマジで最高だった」

映画『オアシス:ライヴ・アット・ネブワース 1996.8.10』
監督:ディック・カラザース
出演:オアシス
上映時間: 約110分
制作年:2021年/制作国:イギリス 
2024年10月18日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか、全国ロードショー
© Big Brother Recordings Ltd
© Jill Furmanovsky
公式サイト:https://www.culture-ville.jp/oasisknebworth1996810

オアシス、世界を制した1996年の超貴重インタビュー「あの頃の俺らはマジで最高だった」

『Definitely Maybe(邦題:オアシス)』30周年記念デラックス・エディション
発売中

<2CD>
■豪華ハードカヴァー・デジブック×三方背スリーブケース仕様
■日本盤のみの仕様
・高品質Blu-spec CD2仕様
・英文ライナー訳/歌詞・対訳/新規解説 (妹沢奈美) 付
SICX30217-30218 税込¥4,400 【完全生産限定盤】
購入リンク:https://SonyMusicJapan.lnk.to/Oasis_2cd

<4LP>(輸入盤国内仕様)
■日本盤のみの仕様
・英文ライナー訳/歌詞・対訳/新規解説 (妹沢奈美) 付
・日本語帯付き
SIJP185-188 税込¥16,000 【完全生産限定盤】
購入リンク:https://SonyMusicJapan.lnk.to/Oasis_4lp

<デジタル>
配信リンク:https://sonymusicjapan.lnk.to/Oasis_DM30

オアシス、世界を制した1996年の超貴重インタビュー「あの頃の俺らはマジで最高だった」

【展示会情報】
リヴ・フォーエヴァー:Oasis 30周年特別展
会期:2024年11月1日(金)~11月23日(土)
会場:六本木ミュージアム
主催:ソニー・ミュージックエンタテインメント、ソニー・ミュージックレーベルズ、ソニー・ミュージックパブリッシング
後援:ブリティッシュ・カウンシル 協賛:ADAM ET ROPÉ
公式サイト:https://oasis-liveforever.jp/
公式X:https://x.com/Oasis30th
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/oasis30th/

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