名門の歴史をスタジオ・ツアーで学ぶ
ポーランド移民のチェス兄弟によって1950年に設立されたチェス・レコード(Chess Records)は、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリー、リトル・ウォルター、エタ・ジェイムス、ボ・ディドリーらの名盤を送り出し、ロックンロールやソウル・ミュージックの発展にも大きく貢献してきた。
チェスは1975年に活動停止。事務所とスタジオがあった建物は現在、同レーベルの屋台骨を担ったウィリー・ディクスンが生前に立ち上げたブルース・ヘブン財団が運営するミュージアムとなっており、予約制のスタジオ・ツアーが催行されている。筆者が訪れた日も筋金入りのブルース・ファンと思しき方々が集っていた。
玄関にはブルースの歴史を辿るモノポリー、ブルース・ヘブン財団の創始者ウィリー・ディクスンの肖像画とモニュメントが飾られている(Photo by Shiho Sasaki)
チェス・レコードの歴史を紹介する道路沿いの看板(Photo by Shiho Sasaki)
まず驚かされたのは、シカゴの歴史的建造物にも指定されているオフィスやスタジオが、当時そのままの雰囲気で残されていること。かつてはオーディションに使われたという1階のロビーには、ミュージシャンたちの写真やステージ衣装、楽器やレコードなどが展示されており、漂う空気にも歴史の重みを感じずにいられない。
チェス・レコードの契約などに使われた1階のオフィス(Photo by Shiho Sasaki)
1階ロビーにはブルースにまつわる貴重な写真/ポスターも多数展示されている(Photo by Shiho Sasaki)
ツアーガイドを務める財団のエグゼクティブ・ディレクター、Janine Judgeさんの音楽愛に満ちた語り口も最高だ。ヒット曲「Lovin' You」で知られ、ロータリー・コネクションでの活動でチェスとの縁も深いミニー・リパートンがここで受付を務めていたこと、Janineさんが受付していた頃、生前のエタ・ジェイムスに髪を撫でられ可愛がってもらったことなど、貴重なエピソードが次々と飛び出す。
1階ロビーにて動画も交えて解説するJanine Judgeさん。写真左下はマディ・ウォーターズのツアージャケット、右下はボ・ディドリーの衣装とギター(Photo by Shiho Sasaki)
チャック・ベリーゆかりの品々(Photo by Shiho Sasaki)
チェス・レコードで録音してきた人々のライフマスク。
ストーンズとチェス、60年代から現在まで続く関係
狭く急な階段を上がった2階は、ウィリー・ディクスンの名を冠した部屋。衣装、直筆の歌詞、グラミー賞などの記念品、愛用したアップライト・ベースなど楽器の数々が飾られている。もともとはボクシング選手であり、ベーシスト/ソングライター/プロデューサー/A&Rなど様々な役割を兼任したレーベルの大黒柱は、こだわりも相当強かった。チャック・ベリーが名曲中の名曲「Johnny B. Goode」を録音するとき、当時はスタジオBと呼ばれたこの部屋で40回もリハーサルさせられたあと、ようやくウィリーからGOサインが出たそうだ。
ウィリー・ディクスンの帽子とジャケット、資料の数々(Photo by Shiho Sasaki)
ウィリー・ディクスンが愛用したアップライト・ベース(Photo by Shiho Sasaki)
通路や階段にも貴重展示がたくさん(Photo by Shiho Sasaki)
ザ・ローリング・ストーンズにとってチェス・スタジオは憧れの聖地。彼らは1964年にここで初セッションし、建物の住所に由来する「2120 South Michigan Avenue」を録音しているが、尊敬するマディ・ウォーターズらがコントロール・ルームから演奏を見守っていたため、緊張のあまり歌詞を忘れてインスト曲になったとJanineさんは解説する。
2019年にチェス・スタジオ初訪問55周年記念で写真展を開催したときは、ポスターが瞬く間に完売。ストーンズはシカゴ・ブルースのカバーアルバムとなった2016年の『Blue & Lonesome』 を経て、2023年の最新作『Hackney Diamonds』ではバンド名の由来となったマディ・ウォーターズ「Rollin Stone」(チェス録音)をカバーしている。「彼らが最後のアルバムを作るときはチェスでレコーディングしてほしい」とJanineさんはラブコールを送っていた。
即完売したチェス・スタジオ初訪問55周年写真展のポスター(Photo by Shiho Sasaki)
伝説的ラッパーとまさかの邂逅
実はこの日、思わぬサプライズがあった。パブリック・エネミーが翌日のRiot Fest出演に向けて(本連載Vol.2参照)、チェス・スタジオでリハーサルしていたのだ。
「ミック・ジャガーが感銘を受けたように、みなさんもこの部屋で巨匠たちと同じ空気を共有してください」とチャック・Dが語ると、「あなたも巨匠でしょ!」とツアー客のひとりからツッコミが入る。
チェス・スタジオを訪れていたチャック・D(Photo by Shiho Sasaki)
『The Blues : Godfathers and Sons』で実現したチャック・Dと『Electric Mud』録音メンバーの共演。同アルバム収録の「Mannish Boy」をコモンやクエストラブも交えて再解釈
チェス・スタジオは1956年、当時23歳だったエンジニアのジャック・シェルドン・ワイナーが設計。高さと傾斜のある天井など優れた音響設計によって、太く温かみのあるドラムとベースを録音できたこともチェスの成功に繋がったとJanineさんは語る(Photo by Shiho Sasaki)
「ブルースは赤ん坊を生み、その子をロックンロールと名付けた」というのはマディ・ウォーターズの名言。あらゆるポピュラー音楽の父として、ジャズ、ソウル、ファンク、ヒップホップなど後世のジャンルに派生していった影響をJanineさんも力説する。チェス・レコードの音楽的な功績はもちろん、ビヨンセがエタ・ジェイムス役と製作総指揮、モス・デフがチャック・ベリー役を務めた映画『キャデラック・レコード』(2009年日本公開)でも描かれているとおり、今より遥かに人種格差が横行していた時代にブラックミュージックと白人社会をクロスオーバーさせた功績も計り知れないものがある。
「私たちのミッションは大きく4つ。ブルースの価値を次世代に伝えること、チェスの建物と文化をこれからも保存していくこと、有色人種のギャランティ格差を是正すること、女性のエンジニアを育成することです」とJanineさん。合間に関連曲や動画を再生しながらの1時間半に及ぶガイドを締めくくったのは、エタ・ジェイムスによる「At Last」の名唱。シカゴに来てよかったと思える、心地よくも学びの多いひとときだった。
エタ・ジェイムスとビヨンセが歌う「At Last」
Janineさんも出演、動画版チェス・レコード見学ツアー
※【シカゴ音楽旅行記】は全4記事
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Vol.1:歴史と文化を受け継ぐライブハウス、夜を彩るブルースとジャズの老舗
Vol.2:パンク愛から生まれた「遊園地みたいな」音楽フェス・Riot Fest
Vol.3:ストーンズも憧れたブルースの聖地、チェス・レコード訪問記(※本ページ)
Vol.4:必ず行きたいグルメと観光、音楽ファンを魅了するおすすめホテル
※取材協力:ブランドUSA、シカゴ観光局、斉藤博子(シカゴ美術館 公共教育 客員講師)
Photo by Shiho Sasaki