イブラヒム・マーロフ(Ibrahim Maalouf)はレバノン出身のトランペット奏者。ジャズにおいて中東と聞くとマイナーな存在かと思われるかもしれないが、彼はジャズ界屈指の人気アーティストだ。
Spotifyの月間リスナーは100万人近くで、ローリングストーン誌のフランス版など音楽誌の表紙も飾っている。グラミー賞にも過去に2度ノミネートされており、名実ともに世界屈指のジャズミュージシャンと言えるだろう。

そんな彼の音楽性を特徴づけているのが、微分音を奏でることができる「クォータートーン・トランペット」を駆使した演奏。西洋のクラシック音楽では使われないが、レバノンをはじめとした中東の音楽を奏でるためには必須の半音の半分(=1/4)を出すことができる特殊な構造を持つトランペットを持ちいることで、通常では鳴らすことができない旋律を奏でながら独創的な音楽を生み出している。

イブラヒムはこれまで、そういった自身の個性を踏まえたうえで、レバノンの音楽をジャズをはじめとした世界中の音楽と融合させてきた。しかし、今年9月にリリースした最新アルバム『Trumpets of Michel-Ange』(『ミケランジェロのトランペット』)ではレバノンの音楽濃度をグッと上げて、自身のルーツに向き合う姿勢を見せている。だからこそ、これまで以上にクォータートーン・トランペットが輝いているのも新作の魅力だ。

ここでレバノンの音楽を強く打ち出すことには様々な意味を見出さざるを得ない。戦後、長らく内戦が続いただけでなく、イスラエルとの戦争が繰り返し起こっている。2020年には首都ベイルートでの大規模な爆発事故が発生し、2023年からはパレスチナとイスラエルの紛争を機にイスラエルからの空爆も受けている。その昔、「中東のパリ」とも呼ばれた文化的に豊かだったベイルートも荒廃している。

イブラヒムはアルバムの制作背景やクォータートーン・トランペットのことだけでなく、レバノンの現状についても語っている。
11月22日~11月24日にブルーノート東京で開催される久々の来日公演を前に、喜びに満ちたダンスミュージックへ込めた深い思いをぜひ知ってほしい。

現在のツアーでは5人のトランペッターと2人のギター、サックス、ドラムという編成。客席総立ちどころか路上までなだれ込む圧巻のパフォーマンスを披露

父が発明したクォータートーン・トランペットを受け継ぐ背景

―新作『Trumpets of Michel-Ange』はどんなコンセプトで作られたんでしょうか?

イブラヒム・マーロフ(以下、IM):僕のアルバムはいろんなレイヤーが折り重なってできているから、一つのストーリーで構成されているわけじゃない。敢えて新作を要約するなら「僕に影響を与えてくれた父と祖父へのトリビュート」かな。彼らのおかげで僕はミュージシャンとして今ここにいる。それから、祖先から受け継いできたものを僕なりに解釈して新しいサウンドを生みだして、後世へと手渡していく。僕らの文化を次世代へ繋いでいく意味も込められている。先祖代々受け継がれてきた文化はどこからやってきたのか、文化を尊重しつつ僕なりにどう表現するか、次の世代へと受け渡す責任。それがこのアルバムだよ。

―祖先から受け継いだものを次の世代へと受け継いでいくコンセプトと、すごく不思議なタイトルにはどのような繋がりがあるのでしょうか?

IM:そのタイトルは一つのストーリーに由来している。僕の父は、23歳でクラシック音楽のトランペット奏者になることを胸に渡仏した。その当時、誰もが知っているトランペット奏者、モーリス・アンドレの元で学びたいと父は思っていたんだ。
当時、世界各国から有名なトランペット奏者が彼の元で学ぼうとパリに集結していて、父もその一人だった。ただ、フランスに着いたはいいものの、彼はフランス語ができなかったし、すごく貧乏で十分なお金もない。フランスの事情はもちろん、正しいトランペットの吹き方さえ知らなかった。そんな状況で、彼は7年間フランスで過ごしたんだ。

長い月日を経て、父はフランス語を習得し、当時最も難関と言われていたパリ国立高等音楽院に入学した。念願のモーリス・アンドレのクラスで学び、ちゃんと卒業したんだ。父はその7年間、血眼で勉強して、練習した。父はフランスに着いた当初、パリのノートルダム大聖堂のそばにある小さな教会、サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会の中にシェルターを見つけたらしい。トランペットを学んでいる間、そこでクォータートーン・トランペットの構想を始めたそうだ。その話における父は、まるでシスティーナ礼拝堂で描き始めたミケランジェロを思い起こさせた。

それで、僕がクォータートーン・トランペットの新ブランドとインターナショナルアカデミーを立ち上げる時、”TRUMPETS OF MICHEL ANGE”(T.O.M.A.)と名付けたんだ。それがこのアルバムのコンセプトを構想し始めたタイミングだった。
子供の頃からずっとミケランジェロのイメージが染み付いていて、父の偉才と発明へのトリビュートとしてミケランジェロを掲げるのがいいと思ったんだ。

―まさしく、あなたの父がクォータートーン・トランペットを発明したわけですよね。そもそもあなたの父はどんな目的で、どんな野心を掲げてトランペットを作ったんでしょうか?

IM:ああ、僕の人生で一番印象に残っているエピソードがある。アルバムカバーって見てくれたかな?

―はい、もちろん。

IM:あれって実は昔のファンファーレの写真なんだ。僕の故郷、レバノンのファンファーレで、1935年に撮られた写真。つまり、およそ1世紀前のものだよ。祖父も写ってる。

―へー!

IM:幼い頃から、父は村のファンファーレを聴いて育ってきた。でも、そのファンファーレはいつもどこかおかしかったらしい。そもそも、レバノンにとってファンファーレはフランスの委任統治下の遺産で、フランスの委任統治下時代にいろんなものが持ち込まれた。金管楽器もその一つ。
その頃から金管楽器が演奏されはじめたけど、実際のところ、誰一人として正しい演奏方法を知らなかった。フランス人は楽器を与えたものの、演奏方法を教えはしなかったんだ。

それもあって、村人たちがレバノンのメロディでファンファーレを演奏しようとすると、いつもおかしなサウンドになってしまう。だから父はファンファーレを聴く度にこう言っていた、「彼らは演奏方法を知らないんだ」ってね。それは父をフランスに向かわせた一つの理由でもあったんだろう。実際、フランスでトランペットの仕組みを学んでようやく、父はなぜ彼らがクォータートーンを出せなかったのか理解した。その理由は、演奏方法を知らなかったんじゃなくて不可能だったんだ。レバノンや中東文化の音楽にはクォータートーンが使われていて、金管楽器でクォータートーンを出すことがそもそもできなかった。

そこで、トランペットでクォータートーンを演奏する方法として、4つのバルブを持ったトランペットのアイディアを考えはじめた(※通常のトランペットは3つ)。つまり、祖父たちのおかしな演奏を聴いて育った父は、フランスに飛び立ち、それはテクニックの問題じゃなく、トランペットでクォータートーンを演奏すること自体が不可能だという事実を理解した。すべてはそんな出来事から始まったんだ。

イブラヒム・マーロフが語る、戦争で破壊されたレバノン文化を祝福するファンファーレ

2024年2月、第66回グラミー賞授賞式に出席したイブラヒム・マーロフ(Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic)

―それはすごい話ですね。
クォータートーンに近づけるのではなく、はたまた諦めてクォータートーンが出せる別の楽器に持ち替えるのでもなく、あくまでトランペットで鳴らそうとした。それは大事なポイントですよね。

IM:そうだね。僕はどちらかというとルールに従うタイプで、ルールに従って何かを学ぶのは、一番正当で手っ取り早い方法だと思ってる。でも、中にはそういった道理から逸れていく人たちもいる。いわゆる天才と呼ばれる類の人たち。ひねりがあって、一般的なものの見方をしない。父はまさにそのタイプだった。付け加えておくと、決して学びに敬意を示していないというわけじゃない。彼はフランスで学んだすべてのこと、特にモーリス・アンドレから学んだことを大切にしていた。ただ、彼はいつもそこから何かを発展させようとしていた。クォータートーン・トランペットの発明はまさに天才で、金管楽器のいっさいの概念を変えたといってもいい。


―ですよね。

IM:まず一つ、彼の発明はまったく異なる二つの文化、アラブと西洋、西と東の文化を結ぶ立派な架け橋となったこと。二つ目に、中東で唯一すべてのキーのアラビックスケールを演奏できる生楽器を作ったこと。例えば、少しテクニックが必要な中東のリュート、ウード、それからシタールのような楽器やカーヌーンは、アラビックスケールは演奏できるけど、すべてのキーは弾けない。このクォータートーン・トランペットだけがすべてのキーを演奏できるんだ。これはアラブ世界にとってすばらしい革命だよ。異なるレベルやキーでスケールを演奏できるって、むしろ全世界的な発明かもしれない。

自分の文化に誇りをもつこと、異なる文化と交流すること

―話を伺っていると、そのクォータートーン・トランペットの存在や意義自体が、あなたがやっている音楽の哲学そのものって感じがしますね。

IM:まさにそのとおり。僕はその二つの文化のミクスチャーの中で育った。よくする話なんだけど、自分の文化を他の文化と交流させることは、決して自分の文化を諦めるということじゃないんだ。それは、自分の文化をさらに大きく発展させるために、新しさを取り入れるということ。

例えば、好きな人ができて、その人は自分とまったく違う性格だとしよう。言うまでもなく、その人と一緒にいるからって君の価値が変わったりはしない。それ以上に、その人は君が今まで知らなかった新しさをもたらしてくれる。例えば、シャイな君に緊張しないようにアドバイスをくれたり、音楽ができない君に「一緒にやろうよ!」ってきっかけを与えてくれたり、逆もそう。その人が料理ができなかったら、君が教えてあげたり……僕は自分の価値を信じて大事にしている限り、他国の文化と交流させたとしても、それは豊かにしかならないと思っていて。それは自信を持って言える。

僕の音楽はクラシック音楽と中東音楽の両方に深く根付いている。一方で、他の楽器を使ったり、ジャズはもちろん、ヒップホップ、エレクトロニック、ロック、ポップ、いわゆるワールドミュージックも聴いている。他ジャンルの音楽からも多くの影響を受けつつも、心に根差している価値を忘れたことは一度だってないよ。

2024年のライブアルバム『PARIS IN LOVE』には、ラッパーのD・スモークなど様々なジャンルのゲストが参加

―あなたの活動は当初からクォータートーン・トランペットの普及活動と同義だったようにも思います。そこは2000年代から一貫してますよね。でも、今作で改めて「クォータートーン・トランペットを広めたい」ってコンセプトを打ち出したのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

IM:僕が7歳の頃のこと、「僕も父さんみたいにトランペットが吹けるかな?」って父に尋ねたことがあった。父は「ああ、できるさ」と言って、僕にクォータートーン・トランペットを渡してくれた。でも僕はこう言った。「いや、これじゃなくてみんなが持ってる普通のトランペットがほしい」って。すると父はこう答えた。「イブラヒム、私を信じなさい。これから20~30年経ってお前が大きくなる頃には、みんな私が発明したトランペットを吹いていて、お前一人だけが普通のトランペットを吹いているんだ。それでもいいのか?」。それで、僕はその言葉を信じて父のトランペットを受け取ったんだ。

―もう最初からクォータートーンを演奏していたんですね。

IM:でも、35年経った今、現実はというと……父の発明には誰も見向きもしなかった。僕だけが父のトランペットを熱心に吹いてる。85歳を迎える父が叶えられなかったその夢のことが、ずっと僕の心残りだった。だから今作……あっという間に19枚目だよ! このタイミングで父の発明したトランペットを世界中のトランペット奏者に知ってもらいたい、それをするなら今だと思った。

さっきも少し話したけど、僕はいまフランスのトランペット職人と一緒にクォータートーン・トランペットを作っていて、新しいブランド”TRUMPETS OF MICHEL ANGE”(T.O.M.A.)を立ち上げたんだ。かなりの出来栄えで、僕もまさに愛用している。それから、無料でレッスンを受けられるインターナショナルアカデミー「TRUMPETS OF MICHEL ANGE INTERNATIONAL ACADEMY」も設立した。クォータートーン・トランペットを購入してくれた人の特典として、生涯の無料レッスン受講と、さらに僕と一緒にステージに上がって無料で演奏できるんだ。数カ月前にこのプロジェクトをスタートさせて、今では世界中で約300人の人たちが購入してくれた。昨日(※取材日の前日)、ちょうどコンサートがあって、その中の12人と早速ステージで一緒に演奏をしたよ。レバノンに住んでいる父にその光景を見せてあげたくて、録画して送った。「ほら、見て! 父さんのトランペットが世界中で吹かれてる。夢が叶ったよ!」って。

”TRUMPETS OF MICHEL ANGE”購入者をステージに呼んで演奏、フランスのTV番組「TARATATA」にて

―素敵な話ですね。そのクォータートーン・トランペットですが、構造や特徴をもう少し聞かせてもらえますか?

IM:ちょっと待ってて。トランペットを持ってきて見せるよ……これがクォータートーンを出すところ(第一ピストンバルブの横にある、クォータートーンのピストンを指さしながら)通常のトランペットにはないよね。ここを押すと、クォータートーンに下がるんだ。

試しにやってみよう。(メジャースケールを吹く)これはドレミだね。次はマイナー。(マイナースケールを吹く)そのちょうど中間がクォータートーン。(ピストンを押しながらクォータートーンを吹く)これはEとEフラットのちょうど中間。

もし僕がジャズを演奏するなら(ジャズっぽい曲を演奏)このピストンを使う必要はない。次にクラシック。(曲を演奏)これも必要ない。でも、アラブ音楽、中東音楽を演奏するなら、(曲を演奏する)これは必須なんだ。この音は唇の動きだけでは出せない。クラシック、ジャズ、ヒップホップ……どんなジャンルでも、中東の要素を取り入れたい時にはクォータートーンを入れている。

【まもなく来日】

イブラヒム・マーロフが愛用する「クォータートーン・トランペット」の特徴をみずから解説#IbrahimMaalouf

▼来日公演の詳細はこちらhttps://t.co/Ml2wKiUrTi pic.twitter.com/IEqZMoAN3I— Rolling Stone Japan (@rollingstonejp) November 12, 2024
―変な質問ですが、その構造を使ったクォータートーン・トランペットならではの必殺技とかありますか?

IM:(笑)幼い頃、父は僕にクラシック音楽で成功してほしいと望んでいた。まあ、親の願いって大抵そういうものだよね。いつも僕にトップを獲ってほしいと願っていたし、そのおかげもあって、25歳でクラシック音楽の数々のトランペット国際コンクールで優勝した。特にクラシック音楽はテクニックが重視されているし、受賞できたのはとても名誉なことだった。でも、その経験を経て僕の気持ちは変わったんだ。幼い頃からの僕の音楽の関わり方ってそうじゃなかったから。つまり、僕にとって何よりも大事なのは、音楽……いや音楽だけじゃなく人生にも言えることで、相手の心に響かせること。テクニックはもちろん魅力的だけど、それで人の心を響かせることはできない。今作では、テクニックや高度な技はできるだけ避けた。それよりも、聴いてくれる人たちの心に届くような心からのメッセージを形にすることに集中したんだ。

―なるほど。

IM:僕のミッションは、異なるバックグラウンドを持つ人の心に響くような音楽を作ること。だから、僕にとってまったく違う文化を持ってる君とこうやって話すのはすごく大切なこと。日本、西洋、中東、世界には多様な文化があって、もし僕の音楽が日本に住んでいる人たちの心を揺さぶることができたなら、ミッションクリア。今作では一切のテクニックは脇に置いた。この特別なトランペットを握っていることすら忘れていたくらい。外部要因は一旦忘れて、世界中のみんなに伝わるような研ぎ澄まされたメロディを作ることに集中したんだ。だから、高度なテクニックを披露するような曲は一つもなくて、それよりも踊ったり歌いたくなるようなワクワクする曲や、ときに切なくて悲しくなるような心に響く曲を作った。それが音楽にできることだと思っているし、僕自身のルールなんだ。

戦時下に喜びのダンスミュージックを奏でる意味

―個人的に、今作は全体的にレバノン由来の雰囲気をこれまで以上に強く感じました。例えば、結婚式で演奏されるファンファーレのような、コミュニティに根付いた音楽が散りばめられているようにも思います。

IM:ファンファーレはまさにぴったりなアイディアだった。父がミュージシャンの道を進んだのも、父からトランペットを教わったのも、すべてのきっかけはファンファーレだったから。今までの全アルバムを振り返っても、一作ずつまったく異なるテイストなんだ。言うなれば、SF、歴史、哲学……一人の作家が一冊ずつ違うジャンルを書いている感じかな。今回も今までやったことのないテイストでやろうと決めてたし、この音楽をやるなら今だとも思ったんだ。要はタイミングだよ。

戦争でレバノン文化の大部分が崩壊しつつある今、僕らのルーツが忘れ去られようとしている。僕はこのアルバムを通して、レバノンの文化を思い出してもらいたいんだ。批判に怯えることなく、自分たちの文化に誇りを取り戻してほしい……とはいえ、テロリストや過激集団がいる以上、アラブ人としてそれすら難しい時代だけどね。アラブの文化がいかに美しくすばらしいものか忘れられている今だからこそ、「僕らは胸を張っていいんだ」って誇りを取り戻してほしい。ルーツに立ち戻ってもう一度見つめ直してほしい。1925年にウェディングで演奏されたファンファーレ、それは僕らの思い起こすべき祝福の時間なんだ。

―100年前に演奏されていたウェディングのためのファンファーレ。それはあなたが子供のころに慣れ親しんでいたものなんでしょうか? それともリサーチをして学んだもの?

IM:慣れ親しんだものだったよ。そうそう、このアルバムのアイディアはウェディングに限ったことじゃないんだ。ウェディングをイメージしてはいるけど、家族とのランチやディナータイムだってそう。僕が幼い頃、日曜日には両親の友人が家にやってきて、みんなでよくランチパーティーをしてた。ミュージシャンが家にやってきて、踊って歌って……そんな日常を過ごしてたんだ。僕らは、戦時下はなおさら、喜びを感じられることならどんなことだってやるんだ。レジリエンス(resilience)っていう言葉があるように、人は悲惨な状況を乗り越えようと困難を生き抜くパワーを備えている。僕は空爆の最中に生まれた。母がいた病院は爆撃されて、そんな状況で僕を産んだ。だから、生きる力は僕にとって使命だと感じている。悲惨な戦争の渦中でも、僕らは音楽とともにあらゆる喜びを生活の中に見いだしていた。ウェディングはあくまでシンボリックなもの。大きな祝福のメタファーみたいなものだね。

―いろんな意味で大変な状況にあるレバノンですが、その状況下で、あなたの記憶に残る美しいレバノンの歴史を、あなたのようなスターが記録して伝えようとしているわけですよね。

IM:もちろん。僕には3人の子供がいて、末っ子は1歳で、一番上は15歳。子供たちに何が残せるかいつも考えている。僕らが大切にしてきた生活、人生のお手本になるようなもの……結局のところ、ミュージシャンとして僕が残せるのは何か大事な意味を持つ「音楽」だと思ってる。僕はまだそれほど年老いてないけど、僕には未来の希望を見せる責任があって、音楽ってまさに希望の力の結晶だと思ってる。だから、「どうして音楽をやるのか? なぜ大事なのか? 文化を混ぜ合わせることの重要性は?」そういうメッセージを込めることは、僕の音楽にとって重要なことなんだ。

それからもう一つ、音楽を作る時に心掛けているのは、全世代の人たちに愛されるような音楽を作ること。実際どの国を訪れても、僕のライブには小さな子供たち、大人からお年寄りまで、全世代の人たちが観にきてくれている。昨日は、99歳のおばあさんがオーディエンスの中にいて、飛び跳ねて踊っていたよ。音楽は年齢や国籍、文化を問わず、それぞれに楽しい時間を与えてくれる。若者たちに社会的な価値観を伝えると同時に喜びを与える、美しい社会を築く唯一の機会を与えてくれる。そうでなければ、音楽はただの退屈なものになってしまう。まさにさっき話したとおり、僕が音楽でやっていることは、より良いものを築くために文化を交流させて、後世へと受け渡していくことなんだ。

最新ツアーの様子を捉えた「The Smile of Rita」MV

―最後に、ブルーノート東京での来日公演はどのようになりそうか教えてもらえますか?

IM:それについて、僕から質問があるんだ!

―なんでしょう(笑)?

IM:知ってのとおり、僕は日本ではまだ数回しか演奏したことがない。前にやった時は僕も若くて、シャイで、日本のオーディエンスをよく知らなかった……みんなとどうやって繋がればいいか分からなかったんだ。もちろんブルーノートがどういう場所か知ってる。立派な人たちがジャズとか聴いてる感じだよね? でも今回のライブでは、みんなに踊ってほしいんだ! 飛び跳ねたり、一緒にダンスしてほしいんだけど……それってできると思う? みんなはやってくれる?

―この前、ケニー・ギャレットは途中で「全員立て!」と言ってましたよ。

IM:よしっ!(両手でガッツポーズ)

―ははは(笑)。

IM:(2012年に)東京JAZZに出演した時のこと、オーディエンスがどれだけリスペクトフルだったかよく覚えてる。みんながちゃんと音楽を聴いてくれてた。そういう光景ってもはやヨーロッパでは見られないんだよ。みんな隣の人と喋ったり、電話したり(笑)。だからすごくありがたい。でも同時に、一緒に歌ったり踊ったりできたらいいよな、とも思うんだ。だから質問に答えるなら、今回は楽しい時間を一緒に過ごせるライブになる。みんなが踊ったり、歌ったり、騒いだり、一緒にしてくれたらいいなと願ってる。それが僕のライブだからさ。みんなが受け入れてくれたらいいんだけど。

―ええ、踊ってくれると思いますよ。でも、歌わせるのは簡単ではないかも……日本人はシャイなので。

IM:大丈夫、歌詞はないから! みんな「ラララー」って歌えるよ。じゃ、ブルーノートでまた会おう!

イブラヒム・マーロフ & THE TRUMPETS OF MICHEL-ANGE来日公演
2024年11月22日(金)~24日(日)ブルーノート東京
11.22 fri.
[1st]Open5:00pm Start6:00pm [2nd]Open7:45pm Start8:30pm
11.23 sat., 11.24 sun.
[1st]Open3:30pm Start4:30pm [2nd]Open6:30pm Start7:30pm
公演詳細:https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/ibrahim-maalouf/
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