テキサス州の州都、オースティンの魅力を音楽ファン目線で掘り下げた観光レポート連載(全4回)。第1回は現地在住のエキスパートから歴史を学ぶ。
※【オースティン音楽旅行記】記事一覧はこちら
「大らかな街」とギター、カウボーイ、ハイテクの共存
連載【シカゴ音楽旅行記】にまとめた数日間の滞在を終え、オヘア国際空港から次の目的地、オースティンに向かう。約3時間のフライトを経てオースティン・バーグストロム国際空港に到着し、ターミナルに足を踏み入れると、音楽の街ならではの光景がさっそく目に飛び込んできた。
手荷物受取所の回転式ベルトコンベアに囲まれてそびえるのは、10フィート(約3メートル)の高さを誇るGibson製ギター。大きく描かれたジャニス・ジョプリンにしばし見入ってしまう。この巨大アートインスタレーション「Eight Guitars」は、カラフルな音楽文化を象徴し、旅行者を迎えるランドマークとなっている。
さらに、オースティン・バーグストロム国際空港では「Live Music in the Air」というプログラムも用意されており、ゲート近くやレストラン内など8つのステージで地元ミュージシャンの演奏を楽しむことができる。年間の公演数はなんと1400本以上。2023年にはフィービー・ブリジャーズらによるスーパーグループ、ボーイジーニアスがサプライズ登場し、運良く居合わせた乗客たちを歓喜させた。
「Eight Guitars」のひとつ、「Piece Of My Heart」はジャニス・ジョプリンの歌唱で知られる同名曲に由来(Photo by Shiho Sasaki)
空港までヴェニュー化しているオースティンは、何百軒ものライブハウスが立ち並ぶことから「世界のライブミュージックの首都(Live Music Capital of the World)」を自負し、その称号をセールスポイントの筆頭に据えてきた。生演奏は同市のアイデンティティを形成し、クリエイティブなエコシステムを育み、観光資源として街の発展を促している。
その代表例が、毎年3月に開催されるSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)。
実際に来てみて思ったのは、オースティンがだいぶ独特のバランス感覚を持った街であるということ。
カントリー、カウボーイ、バーベキューといったテキサスらしい南部の伝統を受け継ぐ一方、ハイテク産業が経済の中心を担い、多くのIT企業やスタートアップが集まる「シリコン・ヒルズ」としての顔も持つ。ホテルの窓からはコロラド川の景観が広がり、外に出てみると建設中の高層ビルがちらほら。素朴と洗練のはざまにあるユニークな風情を保っている。
たまらないのは風通しのよさ。ホテルのチェックインを済ませ、最初の目的地に到着するまでの短い時間で、この街の大らかさに魅了された。行く先々のあらゆる空間にゆとりがあり、出会う人々からもテイク・イット・イージーな寛容さを感じる。
Uberでの移動中もそうで、ドライバーがみんな気さくに話しかけてくれた。最初にマッチしたエチオピア出身の女性は韓国映画にハマっているそうだが、筆者が日本人だと知ると「あいみょんってどういう意味?」と尋ねてくる。「片言の英語でごめんね」と告げると、「私が付き合ってるフランス人の彼氏より全然上手だよ。
コロラド川の美しい夕焼けと川沿いで建設中のビル(Photo by Shiho Sasaki)
テキサス+メキシコ=テックス・メックス
筆者はこの日、オースティン観光局の音楽マーケティングディレクター、Omar Lozanoさんとランチの約束をしていた。同市の名物料理といえばタコスであり、彼のおすすめはLa Santa Barbachaというメキシコ料理のフードトラック。テキサスとメキシコが地理的に隣接していることから、オースティンはラテン文化とのつながりも深く、人口の3割をヒスパニックが占めている。
La Santa Barbachaの店頭でOmarさんと記念撮影
La Santa Barbachaの開放感も実にオースティン的だ。近隣のカクテルラウンジ「The Long Goodbye」、コーヒーショップ「Fleet」、古着マーケット「Howdy's」と小さなコミュニティを形成し、暖かな日差しの差し込むテラスは緑に溢れている。Omarさんが太鼓判を押すだけあり、タコスはめちゃくちゃ美味しい。
Omarさんは温厚篤実を画に描いたような人で、根っからの音楽好きに重要ポジションを任せているのもオースティンの懐の深さ。彼に音楽事情をレクチャーしてもらった。
「Howdy's」で古着をチェックしたあと、La Santa Barbachaのバーベキュータコス、ストロベリーライムソーダをいただく。最高でした(Photo by Shiho Sasaki)
オースティンの音楽フェス事情
「世界のライブミュージックの首都」では、SXSW以外にも毎年たくさんのフェスやアートイベントが開催される。
もっとも巨大なのはAustin City Limits Music Festival。
OmarさんのイチオシはAustin Psych Fest/LEVITATION。改名や復活を経て2024年は前者が4月、後者が10~11月に開催された。サイケデリックを旗印に先鋭的なミュージシャン/バンドが集う、筆者も長年憧れてきたフェスの一つだ。「オースティンでは13thフロア・エレベーターズやShiva's Headbandの時代から、LEVITATIONの主催者であるThe Black Angelsに至るまで、サイケの伝統が脈々と受け継がれているんです」とOmarさんは言う。
この街の音楽史と3つのキーワード
オースティン出身といえば、東海岸とも西海岸とも一味違うパンクシーンは、バットホール・サーファーズという異端児を生み出した。ダニエル・ジョンストンが描いた壁画「Hi,How Are You」は街のランドマークとなっている。ゲイリー・クラーク・ジュニアは同市のヒーローであるスティーヴィー・レイ・ヴォーンに憧れ、10代の頃からAntonesというブルースクラブに入り浸ってきた。
多様なバックグラウンドをもつ人々が共存し、アウトサイダーであることを厭わない。この大らかさはどこからやってくるのか? Omarさんの答えは単純明快で腑に落ちるものだった。
先にも記したとおり、ここにはヒッピーの楽園めいた雰囲気がある。なにせ空港に着くなりジャニス・ジョプリンが目に飛び込む街だ。大学時代をオースティンで過ごした彼女は、Threadgillsというライブハウスでシンガーとしての個性と反骨精神を花開かせた。60年代にこの街は南部におけるカウンターカルチャーの中心地となり、そのことが上述したサイケの文脈ともつながっている。
そして、守護聖人というべき存在がウィリー・ネルソン。ナッシュヴィルの保守的なカントリー業界に幻滅した彼は、移り住んだこの街でヒッピームーブメントと巡り合い、ロック、フォーク、ジャズ、R&Bに影響された新しいカントリーを創造する。
70年代撮影のウィリー・ネルソン(Photo by Richard McCaffrey/ Michael Ochs Archive/ Getty Images)
1972年8月12日、ウィリーは今は亡き伝説のホールArmadillo World Headquartersに出演し、「この街の音楽史を永遠に塗り替えた」とされる名演を繰り広げた。本人はその夜のことを「ヒッピーとレッドネックが初めて肩を組み、一緒にダンスし、飲み交わし、男どうしでキスをした」と術懐している。それはカウンターカルチャーとカウボーイ文化という相容れなかったはずのものが平和に重なり合い、左翼と右翼の線引きがどこか曖昧な「オースティンらしさ」が芽生えた瞬間でもあった。
そこからタウンズ・ヴァン・ザント、ガイ・クラーク、ウェイロン・ジェニングス、クリス・クリストファーソンといった才能も集うようになり、オースティンは「アウトロー・カントリー」と呼ばれる音楽運動のメッカとなる。そこから金儲けよりもクールなものづくりを大事にすること、既成概念にとらわれないアウトローであることが街の気風となり、SXSWを含むインディーカルチャー及びテクノロジー産業の発展をもたらす礎ともなった。
街中でウィリーの写真や絵を見かけるたび、彼がどれだけ重要な存在なのか実感させられる。反体制的なアティテュード、多様性に溢れた音楽観、コミュニティに愛情を注ぐ姿勢は、まさにオースティンの精神風土そのものだ。
アウトロー・カントリーとArmadillosをテーマにした、2018年の展示会『Outlaws & Armadillos: Country's Roaring '70s』のために作られたコンピレーション
South Congress地区(本連載Vol.3参照)にある、「ウィリーを大統領に」と描かれた壁画(Photo by Shiho Sasaki)
同じテキサス州でもダラスやヒューストンではなく、オースティンが特異な立ち位置を確立するに至ったのはなぜか? Omarさんはもう一つの理由に、恵まれた自然環境を挙げる。
「アーバンな景観のなかに緑地が広がっているのは大きいですよね。市内に多くの湖や小川があり、そのまま泳ぐこともできます」
コロラド川やレディ・バード湖は息を呑む美しさで、水泳、カヤック、釣りなどのアウトドア・アクティビティも楽しめる。『ヒッピー、ギター弾き、怠け者、オタクがテキサスの州都を生まれ変わらせた』というタイトルの研究書もあるようだが、ゆるやかな空気がクリエイターに好まれ、彼らの創作意欲を刺激してきたことは容易に想像がつく。
「小ぢんまりとした街なので、遠くまで車を走らせる必要もありません」と語るOmarさんは、ランチを終えるとロードバイクで帰路についた。たしかに、徒歩での移動でもおおよそ事足りるのはこの街の魅力。街中で放置されたレンタルキックボードを何台も見かけたが、そういうイージーなノリもなんだか羨ましい(置き場所の指定がないため乗り捨てOKとのこと)。
「Keep Austin Weird」というスローガンがあることを、筆者は恥ずかしながら帰国後に知ったのだが、ここまで的確な表現も珍しい。オースティンで「奇妙であり続ける」というのは最大の褒め言葉なのだろう。そのユニークさを尊ぶ姿勢は、はみ出した個性を認め合い、ダイバーシティを重んじることの裏返しでもある。
Uberの彼女が脳裏に浮かぶ。聡明さと思いやりをもつ人々にとって、この街は居心地がよさそうだ。彼女の言葉に従い、オースティンを楽しんでみようと思う。
【オースティン音楽旅行記】は全4記事
続きは以下をクリック
【Vol.1】SXSWを生んだ街が「奇妙」であり続ける3つの理由(※本ページ)
【Vol.2】「世界のライブミュージックの首都」どの会場から行ってみる?
【Vol.3】音楽ファン垂涎のレコード店、ホテル、ディープなカルチャースポット巡り
【Vol.4】伝説の音楽番組『Austin City Limits』50年の歴史に触れる
※取材協力:ブランドUSA、オースティン観光局
Photo by Shiho Sasaki
SXSWでもよく知られる同市が特別な街となった理由とは? 観光名所にもなっているウィリー・ネルソンとジャニス・ジョプリンの壁画にそのヒントがあった。
※【オースティン音楽旅行記】記事一覧はこちら
「大らかな街」とギター、カウボーイ、ハイテクの共存
連載【シカゴ音楽旅行記】にまとめた数日間の滞在を終え、オヘア国際空港から次の目的地、オースティンに向かう。約3時間のフライトを経てオースティン・バーグストロム国際空港に到着し、ターミナルに足を踏み入れると、音楽の街ならではの光景がさっそく目に飛び込んできた。
手荷物受取所の回転式ベルトコンベアに囲まれてそびえるのは、10フィート(約3メートル)の高さを誇るGibson製ギター。大きく描かれたジャニス・ジョプリンにしばし見入ってしまう。この巨大アートインスタレーション「Eight Guitars」は、カラフルな音楽文化を象徴し、旅行者を迎えるランドマークとなっている。
さらに、オースティン・バーグストロム国際空港では「Live Music in the Air」というプログラムも用意されており、ゲート近くやレストラン内など8つのステージで地元ミュージシャンの演奏を楽しむことができる。年間の公演数はなんと1400本以上。2023年にはフィービー・ブリジャーズらによるスーパーグループ、ボーイジーニアスがサプライズ登場し、運良く居合わせた乗客たちを歓喜させた。
「Eight Guitars」のひとつ、「Piece Of My Heart」はジャニス・ジョプリンの歌唱で知られる同名曲に由来(Photo by Shiho Sasaki)
空港までヴェニュー化しているオースティンは、何百軒ものライブハウスが立ち並ぶことから「世界のライブミュージックの首都(Live Music Capital of the World)」を自負し、その称号をセールスポイントの筆頭に据えてきた。生演奏は同市のアイデンティティを形成し、クリエイティブなエコシステムを育み、観光資源として街の発展を促している。
その代表例が、毎年3月に開催されるSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)。
1987年、音楽産業のネットワークを構築するために700人規模で始まったインディーフェスは、いまや音楽・映画・テックを三本柱に、約380億円もの経済効果をもたらす世界最大のカンファレンスイベントへと成長した。会期中は市内各地でショーケースライブが行なわれ、日本からも毎年多くのアーティストや業界人が参加しているのは周知のとおり。
実際に来てみて思ったのは、オースティンがだいぶ独特のバランス感覚を持った街であるということ。
カントリー、カウボーイ、バーベキューといったテキサスらしい南部の伝統を受け継ぐ一方、ハイテク産業が経済の中心を担い、多くのIT企業やスタートアップが集まる「シリコン・ヒルズ」としての顔も持つ。ホテルの窓からはコロラド川の景観が広がり、外に出てみると建設中の高層ビルがちらほら。素朴と洗練のはざまにあるユニークな風情を保っている。
たまらないのは風通しのよさ。ホテルのチェックインを済ませ、最初の目的地に到着するまでの短い時間で、この街の大らかさに魅了された。行く先々のあらゆる空間にゆとりがあり、出会う人々からもテイク・イット・イージーな寛容さを感じる。
Uberでの移動中もそうで、ドライバーがみんな気さくに話しかけてくれた。最初にマッチしたエチオピア出身の女性は韓国映画にハマっているそうだが、筆者が日本人だと知ると「あいみょんってどういう意味?」と尋ねてくる。「片言の英語でごめんね」と告げると、「私が付き合ってるフランス人の彼氏より全然上手だよ。
この街を楽しんで」とやさしい笑みを浮かべた。なんて素敵な人だろう!
コロラド川の美しい夕焼けと川沿いで建設中のビル(Photo by Shiho Sasaki)
テキサス+メキシコ=テックス・メックス
筆者はこの日、オースティン観光局の音楽マーケティングディレクター、Omar Lozanoさんとランチの約束をしていた。同市の名物料理といえばタコスであり、彼のおすすめはLa Santa Barbachaというメキシコ料理のフードトラック。テキサスとメキシコが地理的に隣接していることから、オースティンはラテン文化とのつながりも深く、人口の3割をヒスパニックが占めている。
La Santa Barbachaの店頭でOmarさんと記念撮影
La Santa Barbachaの開放感も実にオースティン的だ。近隣のカクテルラウンジ「The Long Goodbye」、コーヒーショップ「Fleet」、古着マーケット「Howdy's」と小さなコミュニティを形成し、暖かな日差しの差し込むテラスは緑に溢れている。Omarさんが太鼓判を押すだけあり、タコスはめちゃくちゃ美味しい。
Omarさんは温厚篤実を画に描いたような人で、根っからの音楽好きに重要ポジションを任せているのもオースティンの懐の深さ。彼に音楽事情をレクチャーしてもらった。
「Howdy's」で古着をチェックしたあと、La Santa Barbachaのバーベキュータコス、ストロベリーライムソーダをいただく。最高でした(Photo by Shiho Sasaki)
オースティンの音楽フェス事情
「世界のライブミュージックの首都」では、SXSW以外にも毎年たくさんのフェスやアートイベントが開催される。
もっとも巨大なのはAustin City Limits Music Festival。
シカゴのロラパルーザも手がけるC3 Presentsがプロデュースし、コーチェラと同じく2週末に渡って開催。2023年は約35万人ものオーディエンスが参加している。地元オースティンの食文化やアートを堪能できるのも大きな特徴だ。
OmarさんのイチオシはAustin Psych Fest/LEVITATION。改名や復活を経て2024年は前者が4月、後者が10~11月に開催された。サイケデリックを旗印に先鋭的なミュージシャン/バンドが集う、筆者も長年憧れてきたフェスの一つだ。「オースティンでは13thフロア・エレベーターズやShiva's Headbandの時代から、LEVITATIONの主催者であるThe Black Angelsに至るまで、サイケの伝統が脈々と受け継がれているんです」とOmarさんは言う。
この街の音楽史と3つのキーワード
オースティン出身といえば、東海岸とも西海岸とも一味違うパンクシーンは、バットホール・サーファーズという異端児を生み出した。ダニエル・ジョンストンが描いた壁画「Hi,How Are You」は街のランドマークとなっている。ゲイリー・クラーク・ジュニアは同市のヒーローであるスティーヴィー・レイ・ヴォーンに憧れ、10代の頃からAntonesというブルースクラブに入り浸ってきた。
多様なバックグラウンドをもつ人々が共存し、アウトサイダーであることを厭わない。この大らかさはどこからやってくるのか? Omarさんの答えは単純明快で腑に落ちるものだった。
「要するに『hippie, small, diverse』なんですよ」。
先にも記したとおり、ここにはヒッピーの楽園めいた雰囲気がある。なにせ空港に着くなりジャニス・ジョプリンが目に飛び込む街だ。大学時代をオースティンで過ごした彼女は、Threadgillsというライブハウスでシンガーとしての個性と反骨精神を花開かせた。60年代にこの街は南部におけるカウンターカルチャーの中心地となり、そのことが上述したサイケの文脈ともつながっている。
そして、守護聖人というべき存在がウィリー・ネルソン。ナッシュヴィルの保守的なカントリー業界に幻滅した彼は、移り住んだこの街でヒッピームーブメントと巡り合い、ロック、フォーク、ジャズ、R&Bに影響された新しいカントリーを創造する。
70年代撮影のウィリー・ネルソン(Photo by Richard McCaffrey/ Michael Ochs Archive/ Getty Images)
1972年8月12日、ウィリーは今は亡き伝説のホールArmadillo World Headquartersに出演し、「この街の音楽史を永遠に塗り替えた」とされる名演を繰り広げた。本人はその夜のことを「ヒッピーとレッドネックが初めて肩を組み、一緒にダンスし、飲み交わし、男どうしでキスをした」と術懐している。それはカウンターカルチャーとカウボーイ文化という相容れなかったはずのものが平和に重なり合い、左翼と右翼の線引きがどこか曖昧な「オースティンらしさ」が芽生えた瞬間でもあった。
そこからタウンズ・ヴァン・ザント、ガイ・クラーク、ウェイロン・ジェニングス、クリス・クリストファーソンといった才能も集うようになり、オースティンは「アウトロー・カントリー」と呼ばれる音楽運動のメッカとなる。そこから金儲けよりもクールなものづくりを大事にすること、既成概念にとらわれないアウトローであることが街の気風となり、SXSWを含むインディーカルチャー及びテクノロジー産業の発展をもたらす礎ともなった。
街中でウィリーの写真や絵を見かけるたび、彼がどれだけ重要な存在なのか実感させられる。反体制的なアティテュード、多様性に溢れた音楽観、コミュニティに愛情を注ぐ姿勢は、まさにオースティンの精神風土そのものだ。
アウトロー・カントリーとArmadillosをテーマにした、2018年の展示会『Outlaws & Armadillos: Country's Roaring '70s』のために作られたコンピレーション
South Congress地区(本連載Vol.3参照)にある、「ウィリーを大統領に」と描かれた壁画(Photo by Shiho Sasaki)
同じテキサス州でもダラスやヒューストンではなく、オースティンが特異な立ち位置を確立するに至ったのはなぜか? Omarさんはもう一つの理由に、恵まれた自然環境を挙げる。
「アーバンな景観のなかに緑地が広がっているのは大きいですよね。市内に多くの湖や小川があり、そのまま泳ぐこともできます」
コロラド川やレディ・バード湖は息を呑む美しさで、水泳、カヤック、釣りなどのアウトドア・アクティビティも楽しめる。『ヒッピー、ギター弾き、怠け者、オタクがテキサスの州都を生まれ変わらせた』というタイトルの研究書もあるようだが、ゆるやかな空気がクリエイターに好まれ、彼らの創作意欲を刺激してきたことは容易に想像がつく。
「小ぢんまりとした街なので、遠くまで車を走らせる必要もありません」と語るOmarさんは、ランチを終えるとロードバイクで帰路についた。たしかに、徒歩での移動でもおおよそ事足りるのはこの街の魅力。街中で放置されたレンタルキックボードを何台も見かけたが、そういうイージーなノリもなんだか羨ましい(置き場所の指定がないため乗り捨てOKとのこと)。
「Keep Austin Weird」というスローガンがあることを、筆者は恥ずかしながら帰国後に知ったのだが、ここまで的確な表現も珍しい。オースティンで「奇妙であり続ける」というのは最大の褒め言葉なのだろう。そのユニークさを尊ぶ姿勢は、はみ出した個性を認め合い、ダイバーシティを重んじることの裏返しでもある。
Uberの彼女が脳裏に浮かぶ。聡明さと思いやりをもつ人々にとって、この街は居心地がよさそうだ。彼女の言葉に従い、オースティンを楽しんでみようと思う。
【オースティン音楽旅行記】は全4記事
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【Vol.1】SXSWを生んだ街が「奇妙」であり続ける3つの理由(※本ページ)
【Vol.2】「世界のライブミュージックの首都」どの会場から行ってみる?
【Vol.3】音楽ファン垂涎のレコード店、ホテル、ディープなカルチャースポット巡り
【Vol.4】伝説の音楽番組『Austin City Limits』50年の歴史に触れる
※取材協力:ブランドUSA、オースティン観光局
Photo by Shiho Sasaki
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