【画像を見る】フルヌード、官能的な3P、世界の官能映画30選
いつの世もセックスにおののくモラル・パニックは存在する。
だがこの1年あまり、数々の映画やTVドラマがそうした流れを完全に断ち切った。端的に言えば、2024年はかなりエロい1年だった。テニスを舞台にした三角関係ドラマ『チャレンジャーズ』に始まって、『インダストリー』の変態銀行員、ニコール・キッドマン主演の年の差倒錯祭り『ベイビーガール』にいたるまで、最近一世を風靡した作品はほとんどどれも、きわどいセックスシーンあり、ヤキモキさせる性的駆け引きありと、フェロモン全開だった。特筆すべきは、セックスありきのセックスシーンではなかった点だ。いずれの作品でも、セックスは権力を語る手段として用いられていた――誰が、どんな目的で権力を握っているのか?
ルカ・グァダニーノ監督の最新映画『Queer(原題)』を見てみよう。原作はウィリアム・S・バロウズが1985年に発表した同名の短編小説で、主人公は1950年代にメキシコシティで引退生活を送るアメリカ人のリー(ダニエル・クレイグ)。酒におぼれた老いぼれは日がな酒場を渡り歩き、酔った勢いで魅力的な若い男に身を任せる生活を送っている。
そんな若い男(オマー・アポロ)と逢瀬が不発に終わった後、リーは偶然出会った退役海軍兵士のアラートン(ドリュー・スターキー)にのぼせ上がる。やがて2人の関係は恋愛へと発展――少なくとも最初のうちは2人ともセックスに積極的で、満足していた。赤裸々なオーラルセックスの描写など、劇中のセックスシーンは過去のグァダニーノ監督作品と比べるとかなり生々しい。同じゲイのラブストーリーでありながら、性的描写が「上品すぎる」と批判された『君の名前で僕を読んで』とは雲泥の差だ。
だが、この映画がこれほど話題になった理由はそこではない。2人の関係が進展するにしたがい、若い恋人を失いたくないリーのすがるような思いがストーリーの核になっていく。アラートンが距離を置いていると感じるリーは、彼をつなぎとめておこうと必死になるあまり、南米のジャングル探検へ連れていく。ジャングルの長回しシーンで、ドラッグの幻覚下で、汗ばんだ筋肉質の裸体が絡み合う。夢心地状態のリーとアラートンが、言葉を交わすことなく身体で意思疎通していることを物語る、なんとも意味深なエロティシズムだ。
『Queer』が2024年もっともセクシーな部類の映画だとすれば、それと一二を争うのが、やはりグァダニーノ監督と脚本家ジャスティン・クリツケスのコンビが手がけた『チャレンジャーズ』だ。ゼンデイヤ、ジョシュ・オコナー、マイク・ファイストを主演に迎えた単なるテニス映画ではないこの作品は、4月に全米公開されてから何週間も、ミームだの、ファッションだの、性的匂わせだのと話題騒然だった。テニスコーチのタシ・ダンカン(ゼンデイヤ)は、プロテニス選手で幼馴染の2人、パトリック・ズワイグ(オコナー)とアート・ドナルドソン(ファイスト)の間で心揺れ動く。
クリツケスによると、『Queer』映画化の話は『チャレンジャーズ』の撮影中に持ち上がった。グァダニーノ監督からバロウズの短編小説を手渡され、読んでみるかと言われたそうだ。2つの作品は複雑に絡み合っているとクリツケスは言う。「『チャレンジャーズ』を撮影していた間ずっと『Queer』の脚本を書いていて、撮影が終了した2週間後に完成した」とクリツケス。「この2つはいわばきょうだいだ。『チャレンジャーズ』がなかったら、『Queer』も存在しなかっただろう」。
どちらの作品にも、禁じられた欲望の気配がふつふつと漂う。タシが将来有望なジュニア選手だったころ、パトリックとアートは盛りのついた子犬のように彼女の後を追い回していた。ホルモン最高潮の10代の若者は、ベッドの上でキスし合ったり、互いに裏切ったりと、彼女の気を引くためなら何でもやった。
こうした力関係を掘り下げる上で、クリツケスはテニスが興味深い舞台だと考えた。「ボックス状に区切られた空間に置かれた人間が」「カオス状態のエネルギーを整えること」がテニスの真髄だからだ。テニスはかなり厳格なスポーツだ。ボールを投げる場所、選手の立ち位置、制限時間など、たくさんのルールがある。「ちまたでは『チャレンジャーズ』の性的側面が取りざたされているが、セックスシーンの多くは途中で中断されるか、いたした後だ」とクリツケスは言う。「実際のところ、登場人物の仲がもっとも濃密になるのはコート上だ」。クリツケスはテニス選手同士の関係をボクサーにたとえる。どちらも勝負は1対1――ただし、テニスでは相手の身体に触れることはなく、自分の心と身体をいかにコントロールするかがすべてだ。「自分には、そこに抑圧とエロティシズムが深く眠っているような気がした」。
同様に、『Queer』でも抑圧のテーマが語られている。
実をいうと、2024年の官能モードは2023年年末から始まっていた。賞レースをにらんで年末公開された作品は、ことセックスに関しては生々しかった。イギリスの階級制度を倒錯気味に描いたエメラルド・フェネル監督の『Saltburn(原題)』では、バリー・コーガン演じる主人公が精液まみれの風呂の湯を飲むシーンや、フルチン全裸シーンが出てくる(映画のテーマに忠実なコーガンは、プレスツアーでもしばしば下着姿や全裸で登場し、ヴァニティフェア誌の表紙もヌードで飾った)。ゲイカップルの恋愛模様を描いたアンドリュー・ヘイ監督の『異人たち』では、ポール・メスカルがアンドリュー・スコットの胸元に射精し、それを官能的になめとるシーンが出てくる(撮影ではケーキ生地が使われた)。今年3月にアカデミー賞主演女優賞に輝いたエマ・ストーンは、ヨルゴス・ランティモス監督の『哀れなるものたち』で、セックスに狂う幼児並みの知能の女性を演じた。
これらの作品で印象的なのは、セックスが職場をはじめとする日常生活の文脈から完全に切り離されている点だ。#MeToo運動が始まった2017年、ハリウッドは自分たちが性的トラウマの風潮の片棒を担いでいた事実と向き合い始めた。結果として、職場での不適切行為を取り上げた作品が相次いだ――Foxニュースのセクハラ問題を時系列的に追った、マーゴット・ロビーとニコール・キッドマン主演の2019年の映画『スキャンダル』しかり、マット・ラウアーを彷彿とさせるニュースキャスターが職場内不倫で失墜する『ザ・モーニングショー』しかり。
HBOのTVドラマ『インダストリー』では、ピアポイント&コーという架空の銀行を舞台に、感情が破綻した銀行員たちの職場関係や人間関係の混乱を深掘りするツールとしてセックスが用いられている。製作総指揮のコンラッド・ケイは昨年のインタビューで、ハーパー・スターン(マイハラ)とヤスミン・カーラ・ハナニ(マリサ・エイブラ)は男性主体の職場環境で生き残る2人の女性の姿を象徴していると語った。彼は金融業界で働いていた20代を振り返り、「当時の女性は男性のまねをするか、男性の欲望の対象となるかの2パターンに分かれていた」と語った。「どちらも、ガチガチの男性社会で女性が成功する道だった」。
シーズン3では、男性社員から軽蔑、あるいは卑猥な目で見られていたヤスミンが、セックスを武器にして奪われた権力をいくらか取り戻す。ろくでなしの父親が失踪し、張りつめていた糸がプツンと切れたヤスミンは、上流階級出身で放尿フェチのヘンリー・マックと付き合い始める。最初のデートでレストランに誘われると、ヤスミンはトイレにマックを連れ込み、私をモノにできると思ったらお門違いよと言って鏡越しに振った後、ちょろちょろという放尿の音を聞かせて彼をいたぶる。シーズン1でヤスミンが上司のケニーからセクハラを受けた場面を彷彿とさせるシーンだ。シーズン1では、恋焦がれていた同僚のロブ・スピアリング(ハリー・ローティー)に職場のトイレでマスかきさせて鏡に飛び散った精液をなめ、性的優位に立つことで自信を回復した。
ニコール・キッドマンとハリス・ディキンソンの主演でクリスマスに全米公開されたA24製作の『ベイビーガール』も、やはり企業上層部での力関係が主題だ。キッドマン演じるロミーはニューヨークを拠点とするIT企業の「すべてを手に入れた」CEO。ガールボスを絵に描いたような経歴の持ち主で、影響力があり、夫もイケメンで(アントニオ・バンデラス)、毎朝可愛らしい子どもたちの通学バッグの用意をする時間的余裕もある。だが完璧なイメージの裏には秘密があった。一方的で危険な変態セックスをこよなく愛するMだったのだ。ロミーのフェチを媒介として、性的力関係のもっとも複雑な問題にメスが入れられる。自分を傷つけると分かっている相手や状況に惹かれてしまうのはなぜなのか? そうした相手や状況を欲してしまうのはなぜなのか?
映画の冒頭シーンで、ロミーは夫とのセックスでイッたふりをした直後、ボンデージ系ポルノをオカズにしてオーガズムに達する。やがて彼女はインターンとして配属された大卒のサミュエル(ディキンソン)を相手に性的妄想を満たし始める。ロミーはポスト#MeToo時代のルールを熟知している。サミュエルよりも「立場が上」の人間として、自分の行動が間違っていることをよく分かっている。だが2人の関係は複雑だ。ベッドの上では彼女の方がサミュエルに従属しているからだ――サミュエルは彼女の行動も行く先も命令する。彼女の家にアポなしで訪問したり、思わせぶりな書き置きをデスクに残したり、公共の場で牛乳を何杯もがぶ飲みしろとおかしな命令をしたりと、時に危険な形で権力を行使する。
あなたを傷つけているのでは?とロミーが心配すると、サミュエルはこう答える。「僕を傷つける? 権力を握っているのは僕だと思うよ。電話1本で君からすべてを奪うこともできるんだから」。この返答で彼女はますます興奮する。のちに白状しているように、「危険が伴い、物事が危機にさらされることでないと」欲情しないからだ。ロミーは情事を隠そうとする一方、女性であることとCEOの立場の両方を武器にする。最終的に情事が明るみになると、彼女の部下もまさに同じ方法でのし上がろうとする。そういった意味で、『ベイビーガール』は権力を持つ者が権力によって腐敗し、権力を欲する者も堕落することを的確にとらえている。
ここで思い浮かぶのが、オスカー・ワイルドの発言とされる名言だ。「セックス以外のあらゆるものはセックスが目的だ。セックスの目的は権力だ」。ある程度は正しいが、事情はもっと複雑だというのがクリツケスの考えだ。1人の人間が、単純に私益のために権力をふるっているだけでは話はすまない。クリツケスも指摘しているように、『チャレンジャーズ』でも登場人物が単に私益のためでなく、相手への気配りで行動を起こすシーンがいくつもある。『ベイビーガール』のサミュエルはSっ気があると同時に、心からロミーを気遣っている。ロミーよりも失うものは少ないといえども、どちらかというとサミュエルのほうが危うい関係に心かき乱されている。『インダストリー』のヤスミンはロブを捨ててヘンリーを選んだ。彼女の選択は自分勝手とも、計算高いとも取れるが、後に分かるように、三角関係の解消で3人とも得をした。金、地位、安心感を手にすることができたのも、彼女が手を回したおかげだ。
「いつの世もセックスは権力がすべてだと斜に構えたくなるものだ」とクリツケスは言う。「単純明快な思考だが、人間はそこまで単純じゃない。どんなに斜に構えようとも、人生を単純化したくとも、結局のところ僕らはみなそこまで単純じゃないよ」。ということはつまり、過去1年に登場した性的には劇な映画やTVドラマは、セックスがもつ独特の力を物語っているのではなかろうか――支配と思いやり、危険と欲望を融合し、その間にあるものすべてを取り込む力を。
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