晴れた金曜日の午後、西ロサンゼルスにあるGjusta Bakeryは大勢の客で賑わっている。入口付近には、間もなくペイストリーに変わる小麦粉の袋が7フィートの高さまで積み上げられている。メインのスペースは午後の早めの休憩をとる地元の人々で満員だが、裏庭はさほど混んでおらず、飾り気のないテーブルや大きな植物が、金色のタープで作られた即席の屋根の下に並んでいる。
さりげなく姿を見せたアンドレ3000は簡単な挨拶を交わしつつ、我々に共通のファーストネームがいかに素晴らしいかを冗談まじりに語った。筆者も同意し(※筆者の名前はAndre Gee)、抹茶ラテを飲みながら、我々は緊張をほぐしていった。カモフラージュ柄のジャケットに、異なる迷彩パターンのパンツ、そして彼のトレードマークである赤いビーニーを身につけたアンドレは、日本から帰国して以来体調を崩していたという。彼とバンドメンバーは昨年11月に、ブルーノート東京で6回の即興ライブを行ったばかりだ。

Photo by Ryan Pfluger
「日本に行ったことはあるかい?」と彼は尋ねる。ノーと答えた筆者に、彼は興奮気味に語った。「行けばきっとブッ飛ばされるよ。日本に移住しようかと思っているんだ。それが何であれ、日本にいると今の10倍くらい上手くなりたいと思うんだ。
彼が2023年にリリースした『New Blue Sun』は、グラミー賞の最優秀アルバム賞にノミネートされている。長い散歩に出る時の娯楽として始めたフルートの演奏が、このような評価を受けるとは思ってもいなかったと彼は話す。現在49歳のアンドレは、2019年にフィラデルフィアでフルートを演奏している姿が目撃されて以来、世界各地でその木管楽器を吹く姿がたびたび話題になっている。このアルバムが生まれたのは、ごく自然な流れだったと彼は言う。すべてのきっかけは、プロデューサーでパーカッション奏者のカルロス・ニーニョが今我々が座っている場所の近くでアンドレに偶然出会い、アリス・コルトレーンのトリビュートコンサートに誘ったことだった。その後アンドレとニーニョは、ネイト・マーセロー、スーリヤ・ボトファシーナ、ディーントニ・パークスなどのミュージシャンたちと一緒にジャムセッションを重ねるようになる。
【第67回グラミー賞3部門ノミネート】
最優秀アルバム賞
最優秀オルタナティブ・ジャズ・アルバム賞
最優秀インストゥルメンタル作曲賞
椅子にもたれかかり、手を軽く組んだ状態で穏やかに話すアンドレは、『New Blue Sun』を”フルートのアルバム”とはみなしていない。彼はいちフルート奏者に過ぎず、アルバムは他のプレイヤーたちとのコラボレーションの産物だと彼は強調する。だが、アウトキャストの片割れであり、史上最も尊敬されるラッパーの一人であるという事実は、この新プロジェクトに対するファンの反応に少なからず影響している。ヒップホップのファンは長年、彼とビッグ・ボーイに2006年の『Idlewild』以来となるアウトキャストのニューアルバム、あるいはアンドレ3000のソロのラップアルバムを期待し続けている。そのどちらにも応えていない彼は最近、今ラップをすることが自分にとって「リアルでない」と感じると語り波紋を呼んだ。その後の発言では、いつかソロでラップアルバムを作る可能性を否定していないものの、現時点ではそうした形での自己表現はしていないと明言している。
今日、アンドレは工芸家のGuillermo Martinezに特注したマヤ・ドローン・フルートを持ち歩いている。7年間使い込まれたその楽器の擦り切れた指孔をいじりながら、修理に出さないといけないと彼は話す。インタビューの最中に2度、ファンが彼のところにやってきて感謝の言葉を伝えると、アンドレは2回とも丁寧に応じていた。「あなたの音楽が大好きです。新作が待ちきれません」と言った女性のファンに、アンドレは「僕もだよ」と返していた。
日本への移住、ラップと年齢
ー日本への移住を検討している理由は? アーティストとしてのインスピレーションを求めてでしょうか?
アンドレ3000:年齢を考えてのことだよ。今は人生のそういう段階にあって、今後10年の計画を立てようとしているんだ。さっきは日本を挙げたけど、他にも検討している街はあるよ。今の自分にとっては、表舞台に立つことを減らし、自分がいなくなった後も残るような何かに真剣に取り組むことのほうが重要なんだ。歳をとるにつれて、死や限りある時間について考えることが多くなるんだよ。

2024年11月、ブルーノート東京にて撮影(Photo by Tsuneo Koga)
ー自身がラッパーであるという事実と、悲しくも多くの仲間たちが若くして命を落としていることを踏まえて、死についての考えはご自身の人生における優先事項にどのような影響を及ぼしていますか?
アンドレ3000:いずれ辿る道だというだけだよ。大抵のラッパーは若い時に活動を始める。
ーベテランのアーティストの視点は、シーン全体にどのように貢献すると思いますか?
アンドレ3000:とても大切だと思う。歳をとっても続けることは可能だってことを、若いアーティストたちに示すわけだからね。ある若いアーティストと話していたとき、同じような話題になったよ。
それで思ったんだよ。そのトピックについて話すときは慎重になるべきだって。自分が信じていることや感じていることを正直に伝えたいと思っているけど、ネガティブだったり後ろ向きな印象を与えたくはない。自分が感じていることを正確に伝えようとする一方で、誰かが何かをやるのを止めるようなことはしたくないから。
ー過去数十年にわたって、あなたはラッパーとして数々の見事な客演を残してきましたが、そのマジックをれっきとしたプロジェクトに昇華させるのを阻んでいるのは何だと思いますか?
アンドレ3000:わからないよ。それが分かっていれば、おそらくアルバムを作っていただろうね。時々、自問自答するんだ。ソロで活動している人もいれば、グループの一員としてやっている人もいる。僕のキャリアのほとんどはグループでの活動だった。『The Love Below』(アウトキャストが2003年に発表した二枚組アルバムのうち、アンドレが手がけた方)を除いてね。
もしかしたら、僕は単にソロでラップするタイプじゃないのかもしれない。客演をやるのは、そのアーティストからインスピレーションを受けたときだけだよ。多くのアーティストが曲を送ってくれるけど、僕自身がそこからインスピレーションを得ているんだ。それは化学反応以外の何者でもない。

2000年当時のアウトキャスト(Photo by Marc Baptiste/Corbis Outline/Getty Images)
ーフルートのアルバムを作っていると聞いて、あなたの親しい友人や仲間たちはどういう反応を示しましたか?
アンドレ3000:フルートのアルバムを作っているとは言わずに、ただ「今はこういうのをやってるんだ」って言っただけさ。リアクションは良かったよ。好意的な反応を示してくれたのは友達だけじゃなかった。仕事仲間や、下の世代の人たちにも聴いてもらった。
ークエストラヴのポッドキャストでのあなたとの会話を聞いたのですが、彼は眠ろうとする時や落ち着こうとする時にあなたのレコードを聴くと話していました。
アンドレ3000:嬉しいね。このプロジェクトをリリースした大きな理由の一つは、よりスローで穏やかな音を求めていたからなんだ。派手なものではなくてね。アルバムを作っている間も、ミックスを聴き返している時も、僕はこのレコードを一つの作品として純粋に楽しんでいたし、何かをする際のBGMとしてもいいと思っていたから。
ー素晴らしいですね。「あなたの曲を聴いて眠りに落ちている」というのは、ラッパーにとっては屈辱だと思うので。
アンドレ3000:そうだね。面白いことに、ヒップホップのアーティストが普段何を聴いているかっていうと、大半の場合はラップじゃないんだ。実を言うと、『Southernplayalistic』(アウトキャストが1994年に発表したデビューアルバム)の僕の初期のリリックの一部はR&Bの曲に合わせて書いて、後になってからラップのビートに乗せたんだよ。多くの場合、僕たちが反応しているのは何かしらのフィーリングに対してなんだ。ラッパーはR&Bやジャズのアーティストの曲を聴きながらドライブするのが好きだったりする。最近の僕は、昔みたいにラップを大音量で聴いてドライブすることはあまりなくなった。そういう気分になることもたまにあるけど、その時はだいたい若いアーティストの曲を聴くことが多い。例えばフューチャーとかね。何かに縛られていない感じがいいんだ。
フューチャーのようなアーティストでも、決して若手というわけじゃない。それを自覚した上で、彼は特定のサウンドを求めて若いプロデューサーたちを起用している。フューチャーはダンジョン(アウトキャストが90年代にレコーディングしていた、リコ・ウェイドが運営するアトランタの有名なスタジオ)ファミリーの一員だけど、彼にビートを提供してるのはオーガナイズド・ノイズじゃない。もしそうだったら、フューチャーのキャリアは違ったものになっていただろうね。ダメだったとは言わないけど────。
ー違っていたと。
アンドレ3000:そうだね。時代を象徴する若いプロデューサーたちが彼のために新しいリズムを作り、それが彼の中から新しいノリを引き出しているんだ。僕は年を重ねながらラップを続けることを、大好きな叔父さんとピクニックに行くようなものだと表現してる。曲に合わせて踊る叔父さんのノリは、子供たちが馴染んでいるものとは違う。子供たちは彼とはまったく違うリズムで踊るんだ。両者はそれぞれの時代に、まるで異なるリズム感を培っているんだよ。大抵の場合、ラッパーはそのリズム感で大体の年齢がわかるものだし、ダンサーは踊り方でいくつくらいなのか察しがつく。どちらも同じことなんだよ。
ーまさにその通りです。
アンドレ3000:年をとってからでも新しいダンスを学ぶことはできるよ、やる気さえあればね。でも基本的に、リズムと年齢は比例するんだ。「往年のアーティストがシーンに復帰して、斬新かつ画期的な作品を作った」って称賛されるケースがあるけど、そういうアーティストは若いプロデューサーを起用している。僕らが子供だった頃のティナ・ターナーがいい例だ。彼女は当時50歳で、ラジオでウケるような曲を歌ってた。もし彼女がアイク&ティナ時代のスタイルを続けていたら、僕らは彼女のことを知らないままだっただろうね。でも、彼女は新しい方向性を追求するために若いプロデューサーを起用したんだ。カルロス・サンタナにも同じことが言える。彼はクラシックなアーティストっていう認識が定着しつつあったけど、若いアーティストの曲でギターソロを披露してカムバックしたんだ。
「退屈なプロより、面白いアマチュアでありたい」
ーあなたはフルートを演奏することやバンドメンバーとの出会いが運命だったと話しています。ソロのラップアルバムを作るまでの過程も、やはり運命によるものだと思いますか?
アンドレ3000:そうだね。ラップのアルバムを作ろうとするなら、他のラッパーたちとつるむべきだと思う。カリフォルニアに引っ越してきたばかりの頃、僕は曲を書いていなかった。ケンドリック(・ラマー)と会って話したり、一緒にビートを聴いたりしたことがあるよ。ドレイクとも同じことをした。ラッパーがこんなことを言うと驚かれるかもしれないけど、一時期は「彼らと一緒に過ごすことで、ラップするためのエネルギーを得られたら」と思ってたんだ。彼らは常にやっているから、何かしら影響を受けるだろうって。1日に4、5曲も作っているのを見て、「マジかよ」って驚いたこともあったよ。
僕はそんなに頻繁にスタジオには行かないし、ドラムマシンだってもう長いこと触ってない。最近になって、ようやくまた曲を作り始めたところなんだよ。『New Blue Sun』のツアーであちこちに行くから、現地で新しい楽器を買ってはステージに持ち込んで、見よう見まねで演奏してる。
ー今の音楽性を共に追求しているインストのプレーヤーたちのコミュニティに、あなたはどのような形で敬意を示していますか?
アンドレ3000:大いに敬意を払っているつもりだよ。僕たちはジャズ界のトップクラスのアーティストたちと一緒にジャズフェスティバルに出ることも多い。そういう場では大抵圧倒されるよ、彼らがいかに凄いかを知っているからね。彼らが長年にわたってスケールやコード進行を研究している一方で、僕はそういうことを全然やっていないからさ。
気づいたんだけど、みんなバックステージから僕たちのショーをよく見ているんだ。彼らがかけてくれる言葉に僕はすごく感化されているし、僕たちも彼らに何かを与えられているんだと思うと嬉しいよ。トップクラスのプレイヤーたちが、「すごくカッコよくて自由で、飛び入りしたくなった」って言ってくれるんだ。すごく嬉しいよ、僕たちがいい加減なつもりでやってるわけじゃないって理解してくれているってことがね。
この界隈で僕たちは、批判されるよりも称えられることのほうが多いよ。真摯な感情っていうのは伝わるからね。彼らは僕たちの音楽に反応して、具体的な言葉をかけてくれる。うちのキーボーディストにこっそり近づいて、「なあ、本当のところ、前もって練習してたんだろ?」なんて聞いてくる人もいるよ。でも彼は「いや、してないよ」って答えてる(笑)。相手は名の知れたプレイヤーだったりするんだ。でももちろん、ひどいレビューをされることもあるよ。リスペクトされてない時は大体わかるけどね。
最近じゃいろんなミュージシャンから「いつでも声をかけてくれよ、君らと一緒にジャムってみたいんだ」ってテキストが来るよ。フィラデルフィアではマーシャル・アレンと共演したんだ。彼は100歳で、サン・ラ・アーケストラの最長老のメンバーなんだよ。マーシャルがサックスを手にステージに上がって来た時は感動したよ。僕にとってすごく大きな意味を持つ出来事だった。

Photo by Ryan Pfluger
ーフルートと同じくらいの熱量をもって、他の楽器の演奏に挑戦することは考えていますか?
アンドレ3000:もちろんだよ。国内外問わず、僕たちは行く先々の都市で必ず練習してる。アンティークショップやフリーマーケット、楽器店に足を運んでは何かしらの楽器を買ってるよ。いろんなタイプの楽器を買って、実際に使うようにしてるんだ。まさに音の探求さ。これまでもずっとやってきたけど、これは今までで一番自由な形だね。たとえば「Hey Ya!」は、僕が最初に覚えたギターのコードをいくつか組み合わせて作った曲なんだ。僕はそういうことをずっと繰り返してきたんだよ。「Ms. Jackson」も同じような感じだね。
例えば、僕は自分が弾いているのが何のコードなのか把握していない。学校で音楽を学んだミュージシャンなら特定できるだろうけど、僕は適当に指を置いて「この響きいいな」っていうやり方なんだ。いつもそうやって、楽器を適当に触りながらどんな音が出るかを試しているんだよ。発見って、レコーディングや何かを体得することと同じくらい重要だと思う。その瞬間は二度と戻ってこないんだ。初めての経験っていうのは模倣できるものじゃない。アーティストとして何かをマスターするっていうのは素晴らしいことだと思うけど、大切なのは何をやりたいのか、何を伝えたいのかだと思う。ピカソはプロ中のプロだったけど、彼の最も有名な言葉は「僕らはみんな子供の頃に戻る方法を探している」みたいなやつだ。子供の頃の開かれたあの感じ。もしそういう感覚を早い段階で見つけられたら、ずっと追求し続けるべきだと思う。なぜなら、何かをマスターすることで退屈になることもあるんだよ。僕は退屈なプロになるくらいなら、面白いアマチュアでありたい。
自身の歩みに思うこと、アイディアの生み出し方
ーダンジョンで曲を作っていた頃の思い出で、特に印象に残っていることは?
アンドレ3000:みんな貧乏で身を寄せ合っていた頃のことだね。自分たちの世界を作り上げて、それを世に向けて発信すること。僕は一人っ子だったから特に、兄弟のように思える仲間たちと一緒に過ごす時間が特別だったんだ。僕が今やっていることは全部、ダンジョンでの日々に端を発している。周りの人たちみんなが僕を押し上げてくれたことで、僕は自分自身を押し上げる方法を知ったんだ。
ーリコ・ウェイド[ダンジョンファミリーの共同創設者]が昨年他界しました。彼は後世に何を残したと思いますか?
アンドレ3000:誰かの存在意義についてを考えるときに必要なのは、その人物がいなかったら「今の音楽はどうなっていたか?」を想像することだと思う。アトランタのシーンやアウトキャストに限らずね。僕たちを導き、グッディ・モブやTLCを世に送り出したリコ・ウェイドがいなかったら、今の音楽はどうなっていたか? いい悪いはさておき、きっとたくさんのことが違っていただろう。少なくとも、今と同じではないということだけは確かだよ。
ーあなたとビッグ・ボーイは、下積み時代に毎晩優れたラッパーになれるよう祈っていたと聞きます。商業的な成功を収め、単なる優れたラッパーではなく文字通りトップのラッパーとして認められるようになったとき、どんな気持ちでしたか?
アンドレ3000:そんなふうに思えるようになったのは、休憩しようと一息ついたときだった。ど真ん中にいる間は無我夢中だったからね。世間がそんなふうに言ってくれるようになったのは最近のことじゃないかな。4歳になる姪がいるんだけど、最近使い方を覚えたYouTubeでアウトキャストの動画を見てるんだってさ。こないだボイスメッセージを送ってきたんだけど、「アンドレおじさんの動画、InstagramとYouTubeでたくさん見たよ! すごくいっぱいあった!」って言ってた(笑)。そのとき思ったんだ、あの子はたくさん動画が上がってる僕のことをYouTubeスターだと思ってるのかなって。それで改めて、僕たちはいろんなことを成し遂げたんだって実感したんだ。
あと先日、レブロン(・ジェームス)の「The Shop」のインタビューを受けていて、僕の昔のラップの話になったんだ。すっかり忘れていたから、もう一度聴きたくなってYouTubeで検索してみたんけど、それから5時間ぶっ通しで僕たちの動画を漁っちゃってさ。18歳の頃から今に至るまで、自分の軌跡を辿るっていうのは不思議なものだよ。自分が経験してきたことの重みを、今になってようやく理解し始めているところなんだ。

Photo by Ryan Pfluger
ー友達としてビッグ・ボーイと一緒に過ごす時は、どんなことをして楽しんでいますか?
アンドレ3000:ジョーン[南部のスラングで、からかったり、冗談を言い合ったりすること]だね。いつも笑ってばかりいるよ。ジョーンはアトランタの文化なんだ。アトランタで育ったなら、誰かにジョーンされたこともあれば、誰かをジョーンしたことも絶対にあるはずさ。これは遊びの一種なんだよ。ジョーンしたりされることで僕らはタフになるし、自分自身や他人の新たな一面を発見したりもするんだ。最近はInstagramのコメント欄でみんながジョーンしたり、誰かを面白おかしくいじったりしてるのを見かけるよ。僕たちにも内輪ネタがあって、いつもお互いのことや他の誰かをジョーンしてるよ。
ー長い散歩に出るのが好きな理由は?
アンドレ3000:問題解決の有効な手段なんだ。曲を書く上でもそう。延々と同じビートを聴きつつ、歩きながら言葉やフレーズを考えたりするんだ。ここからサンタモニカまで行って戻ってくるのがいつものルートで、距離にして5~6マイルってところだね。その日やるべきことを頭の中で整理する上でちょうどいい所要時間だし、いい運動にもなる。
ーヴァースは頭の中で生み出していると?
アンドレ3000:そうだね、特に書き出す必要はないんだ。文字に起こさないっていうポリシーを持ってるラッパーは結構いるよ。彼らのプロセスがどういうものかは知らないけど、僕にとってそれは一から家を建てるようなものなんだ。場所を決めて地盤について理解し、基盤を重ねていくことで1階部分が出来上がる。そのプロセスを繰り返してさらに積み上げていくと2階部分ができる。50階の建物が完成する頃には、そのプロセスを49回繰り返しているわけで、もう頭の中にすっかり叩き込まれているんだ。
ーヒップホップデュオとバンドに共通する点、異なる点は何だと思いますか?
アンドレ3000:ヒップホップのパフォーマンスに関して言えば、アルバムをリリースした時点でやるべきことはほぼすでに終わっているんだ。観客がサビや歌詞を覚えてしまうからね。それに対して、『New Blue Sun』のようなプロジェクトでは、文字通りあらゆる瞬間に耳を澄ましている必要がある。次に何が起きるのかわからないし、咄嗟に反応しないといけない。そういう意味ではヒップホップのショーとは正反対と言ってもいいね、フリースタイルじゃなければの話だけど。
ー先ほどドレイクとケンドリックの名前が挙がりましたが、あなたからアプローチした時の彼らの反応はどうでしたか?
アンドレ3000:何か一緒にやろうって持ちかけたわけじゃないんだ。そこから何か生まれたらいいなって僕が考えてただけで、実際にはちょっと会おうぜっていう軽いノリだった。曲ってそういう風に生まれてくることもあるんだよ。はっきり伝えたわけじゃないけど、僕は彼らの作品にすごく刺激をもらってる。いいヴァイブスって伝染するんだよ。でも今の僕はそういうモードじゃなくて、もっと軽いノリで声をかけただけなんだ。ライムを書き出すことは滅多にしないけど、考えを文字にすることはよくあって、それがごく自然にライムになっていることもある。今でもいろんな人がビートを送ってくれるし、挑戦は続けるよ。
ー日記はつけていますか?
アンドレ3000:いや、ただ面白そうだと思ったことを書き留めているだけだよ。音楽のことだったり、ビジュアルアートに昇華できそうなものだったり。何かしらの形にしようとしていることのタイトルだったりもする。アイデアを蓄えておくための手段ってことだよ、いつでも思い出せるようにね。
アリを讃える理由、父親になって学んだこと
ーあなたは作業着のブランド "From Now on They Will Have No Choice But to Call Us the Ants" (今後彼らは私たちをアリと呼ぶしかなくなる)」を運営していますが、そのユニークな名前の由来は?
アンドレ3000:アリを讃えているだけだよ。YouTubeをよく見るんだけど、僕はそれを「YouTube大学に通う」って呼んでいてさ。そこからどんどん深掘りしていくんだ。数年前、アリにものすごくハマってさ。アリに関するドキュメンタリーを片っ端から見たんだけど、知れば知るほど面白くてさ、人間がアリから学べることは何かって考えるようになった。この世界で一番の働き者は誰かと問われたら、間違いなくアリさ。
ーアリが自分の体重の何倍も重い物体を運べることはよく知られていますが、他にも興味深い事実があれば教えてください。
アンドレ3000:アリ同士が送り合うシグナルは面白いよ。人間と同じで、中には怠け者のアリもいるんだよ。何もやろうとしないどうしようもないやつがさ(笑)ダラダラしてばかりいることがバレると、アリたちはそいつを巣の外に追い出すんだ。アリの世界はビジネスなんだよ。
ー2025年の抱負は?
アンドレ3000:今後どこに住むかを決めようと思ってる。そろそろ引っ越すタイミングかなって思っているけど、行き先は決まってないんだ。とりあえずいろんな場所を訪れてみて、現地の雰囲気を肌で感じてみたいと思ってる。1~2カ月くらい滞在してさ。今のところ日本が第一候補だけど、アムステルダムやメキシコシティも考えてる。アメリカ国内だとシアトルも候補に入れてるけど、やっぱり海外に住んでみたいかな。
ー『Stankonia』のジャケットの旗にはどういう背景があったのですか?
アンドレ3000:あの旗は僕がデザインして、外注して作らせたんだ。当時の僕はアメリカーナ的なイメージや、MC5みたいなバンドにインスパイアされてた。スライ・ストーンの『Theres a Riot Goin On』もそうだし、パーラメントとファンカデリックにも影響されてた。アメリカ国旗を使って、何か意外性のあるメッセージを発したかったんだ。色を抜いて白黒にしたのは、当時のアメリカに対する僕の感覚を表現するためだった。何ていうか、先行きが見えない感じをさ。
ースピリチュアリティに対するあなたのスタンスは?
アンドレ3000:僕たちの動向を左右する、何か崇高な力の存在については信じてる。僕は信仰を重んじる家庭で育ったけど、決して信心深い人間じゃないんだ。宗教というものに、僕は多くの疑問と疑念を抱いてる。宗教から派生したものを楽しんでいる以上、腹を立てる道理はないけどね。宗教の中には、人間が作り上げたものも多いはずだと思ってる。人間的な部分ではなく、本質的なものを見極めるための努力はしているよ。
ー父親になって学んだことは?
アンドレ3000:いつでもそばにいることが大切だということ。絆を深めていくこともね。49歳になった今でも、僕はまだいろんなことを学び理解しようとしている最中だけど、子供に伝えられることがあるとしたら……親には子供を守る義務があるし、ついお手本となる完璧な存在であろうとしてしまいがちだけど、それは「完璧でなければならない」っていうプレッシャーを子どもに与えてしまいかねないんだ。僕が35歳くらいの頃に母から学んだ最大の教訓は、困難が訪れても、完璧でなくとも、進むべき道を見つけて乗り越えていかなくちゃいけないということだった。人類にはまだまだ解決しなくちゃいけないことが山ほどある。人間はこれまでにすごくクールなものをたくさん発明したけれど、1700年代に生きた人たちだって、きっと先は長いと感じていたはずだよ。
ー「これ以上良くなりはしない」という考えは常に存在しますよね。
アンドレ3000:その通りだよ。1960年代の人たちは「これぞ未来だ」って興奮していたけれど、今の僕たちからすれば「いや、これが未来だよ。これからは量子コンピュータやAIの時代なんだぜ」って感じだからね。
それでも100年後には皆「昔の人々は……」って思うんだろうね。僕が思うに、人類は常に壮大な実験の過程にあって、何が本物で何がそうでないかを学び続けているんだ。僕たちが本物だと思っていた何かが、実は取るに足らないものだったっていうこともある。その頃僕はもういないけど、数百年後の人々が今の時代を振り返って、僕たちがやっていたことを笑い飛ばすんだろうなって思うと楽しくなるよ。今僕たちが必死で取り組んでいることが、未来の人たちには滑稽に映るんだろうから。「ちょっと待って、彼らは一体何をしていたの?」ってね(笑)。
アウトキャストの未来、グラミー賞について
ー俳優としてのキャリアの再開についてはどの程度考えていますか?
アンドレ3000:常に考えてるよ。今も脚本が送られてくるしね。むしろ自分で脚本を書いてみたいと思っているけど、まぁ常に頭の片隅にはあるよ。ピンとくるものに巡り会えて、何かしら貢献できそうだと感じたら、その時は迷わず飛びつくつもりさ。いくつかアイデアもあるしね。
ーそれは特定のジャンルの映画ですか?
アンドレ3000:コメディとスリラーだよ。それが僕のお気に入りのジャンルなんだ、大抵はね。ホラーにも好きなものはあるけど、基本的にはスリラーの方が好きなんだ。
ーアウトキャストの新作についてはどう考えていますか?
アンドレ3000:10年か15年前には、アウトキャストの新譜を作ることを考えてたと思う。でも、未来のことは分からないけど、今はその可能性から随分かけ離れてしまっていると感じてる。必要なのは化学反応であって、僕たち自身がやりたいと思わないことには始まらない。今の僕にはラップをやることが難しくて、なるようになればいいと思ったりもする。
あれは自分の人生において素晴らしい時期だったし、僕たちの化学反応がある特別な場所に疑いなく存在していた。オーディエンスは何かが永遠に続くことを期待しがちだけど、僕はそうは思わない。あらゆるアートフォームはその反対で、きっと永遠に続くべきではないんだ。それは製品じゃないからね。僕たちは確かに製品を提供したけど、その製品を生み出したのは僕たちの人生の特定の時期だったんだ。
コカ・コーラみたいにフォーミュラが決まっていて、ボタンを押せばいつでも出来上がるわけじゃない。オーディエンスはそう思っている節があると思う。でも彼らはいつだって、自分たちが享受しているものを生み出すために何が必要かは知らないんだ。それを責めることはできないけどね。
ー解散ツアーをやる可能性は?
アンドレ3000:多分やらないだろうね。最後にツアーに出たのは2014年だ。25歳くらいの頃には、僕は自分がある年齢に達した時に、ステージで自分たちの曲を演りたいと思わなくなるだろうと思ってた。それには特定のエネルギーが必要だったから。正直に言って、僕はあまり過去を振り返らないんだ。興味がないんだよ。自分が経験したことに感謝しているけど、もう過ぎたことだ。それだけのことだよ。あれは素晴らしい時間だったし、みんなが覚えてくれていたらいいなと思う。
ーファンの権利というものについてはどう感じていますか? 彼らはあなたのラップが好きでもっと聴きたがっていますが、あなたは自分のやりたいことをしています。
アンドレ3000:確かに、時にはファンの期待とアーティストのやりたいことが一致しないこともあるし、ファンの気持ちは理解できるよ。ファンがよく知っているものを求める気持ちを責めることはできない。これからもずっと、「アウトキャストのアルバムをもう1枚出してほしい」って言われ続けるであろうことは分かってる。でもさ、ファンの立場になって考えてみると、僕はこう思うんだよ。「20年もアウトキャストとしてアルバムを作っていないのに、今頃になって実現するわけないだろ?」って。
『New Blue Sun』が出たとき、世間は「彼の17年ぶりのソロアルバムだ」って言ってた。17年間ソロアルバムを出していなかった誰かに、そのリリースを本気で期待するかい? 僕の考え方が世間とずれてるのかも知れないけどさ。僕なら延々待ち続けたりはしない。

Photo by Ryan Pfluger
ーグラミー賞のノミネートを知った時はどこに滞在していましたか?
アンドレ3000:ヴァージニアにいたよ。多分リッチモンドだったと思う。目覚ましがてらに散歩に出ていた時にマネージャーから連絡があって、「グラミー賞にノミネートされたよ」って言われたんだ。オルタナティブ・ジャズのカテゴリーに入ればいいなとは思っていたんだ、世間はあのレコードをジャズアルバムだと見なしているから。でも年間最優秀アルバムのカテゴリーだと知ってすごく驚いた。冷静になるために、しばらく歩き続けたよ。
ー受賞したら何をするか考えていますか?
アンドレ3000:受賞についてはあまり考えないようにしてるんだ。月並みだけど、ノミネートされただけで本当に嬉しいからね。それだけで十分さ。考えてもみなよ、ビヨンセやビリー・アイリッシュのアルバムがノミネートされてるカテゴリーに、歌のないインストのアルバムが入っているんだよ。僕らにしてみれば、それだけですでに勝った気分なんだ。実際に賞を獲ったわけじゃないけど、きっと大勢の人がこのアルバムを聴くだろうからね。誰かに聴いてもらうこと、あのレコードで僕が成し遂げたかったのはそれだけなんだ。でも、授賞式でパフォーマンスできたらいいなとは思うよ。きっと最高の気分だろうね。
From Rolling Stone US.

アンドレ3000
『New Blue Sun』
再生・購入:https://lnk.to/Andre3000NBSIA

「生中継!第67回グラミー賞授賞式(R)」 ※二カ国語版(同時通訳)
2月3日(月)午前9:00~[WOWOWプライム][WOWOWオンデマンド]
案内役:ジョン・カビラ、ホラン千秋スタジオゲスト:小瀧望(WEST.)、ヒコロヒー、大和田俊之
「第67回グラミー賞授賞式(R)」 ※字幕版
2月3日(月)午後10:00~[WOWOWプライム][WOWOWオンデマンド]
※生中継終了後~90日間WOWOWオンデマンドにてアーカイブ配信
番組サイト:https://www.wowow.co.jp/music/grammy/