20世紀の中盤にブラジルで誕生したボサノヴァは、今や世界中のソングライターが愛聴し、積極的に参照される音楽ジャンルとなった。特にここ数年はベッドルーム・ポップの領域とも接近し、ビリー・アイリッシュやNewJeans、もしくはレイヴェイといったトップ・アーティストも取り上げているし、ピンクパンサレスやジュース・ワールドなど、サンプリング・ソースとしてボサノヴァと遭遇したリスナーも少なくはないだろう。


NYはブルックリンを拠点に活動するハイチ系アメリカ人、ジョン・ローズボロもまた、新時代のボサノヴィスタとして密かに注目を集めているシンガーの一人だ。朴訥とした声と丸く芯のあるクラシック・ギターの伴奏、そのインティメイトな作風を彼は「ポスト・ボッサ」と自称している。実際、かねてから親交のあったメイ・シモネスをはじめ、リアナ・フローレス、UKのスロウコア新世代であるサイン・クラッシュズ・モータリストといったゲストと共に編み上げた昨年リリースの最新作『Fools』は、ボサノヴァ以降のポップスを経由しつつ声とギターにフォーカスした「ポスト・ボッサ」の看板に相応しい内容であった。

徹頭徹尾DIYでありながら、緩やかなシーン(のようなもの)を形成しつつあるジョン。今回は最新作『Fools』に至るまでの道のりを、時間をかけてじっくりと訊いた。青年期の強烈な体験からボサノヴァとの邂逅、そして「ポスト・ボッサ」の精神について。驚きに満ちた人生から溢れ出す、ふくよかなイマジネーションの源泉にぜひ触れていただきたい。

波乱万丈の人生でボサノヴァと出会うまで

─まずは音楽に触れるまでの話を聞かせてください。どのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか?

ジョン:とても貧しかったよ。トラベルナースの母と共に、色々な場所を転々としていたんだ。最初はワシントンD.C.の南東部に位置する、アメリカでも指折りの貧困エリアで暮らしていた。かと思えば16歳の頃にはノーザン・バージニアへ移った。
そこはアメリカでも有数の高級住宅街。この二つのエリアは隣接しているんだよね。ただ、当時は周りの友達も同じ生活水準で、相対的な貧しさを感じることはなかったよ。今になってみれば幸福な記憶だね。

─その後、どのような生活環境の変化があったのでしょうか?

ジョン:僕は進学をせずに、アートギャラリーで働いていたんだ。その給料で寝泊まりできるRV車を買って、アメリカ中を走っていたんだよね。そうしたらある時、急に車が故障して、農場で立ち往生したんだ。実はそこがアーミッシュのコミュニティで、僕は結果的に彼らと1年間生活をすることになった。音楽を本格的に作り始めたのもその頃だね。

─すごい人生……最初から宗教的なコミュニティに所属していたのではなく、コミュニティのある場所に流れついて、それから音楽を始めたんですね。

ジョン:そうだね。結果的には偶然だけど、アーミッシュの人たちは自分を受け入れてくれた。
彼らは自給自足で、電気すらも一切使ってない。そこで農作業を教わったし、宗教についても学んだよ。

ポスト・ボサノヴァとは? John Roseboroが語る、激動の半生とコスモポリタン的感性


─具体的にはどのような生活だったのですか?

ジョン:日の出と共に起きて、各々が聖書を読む。次にみんなで集まって、さっき読んだ聖書の内容について話し合うんだ。その後はそれぞれの仕事があるから、それを進める。この場合の”仕事”は、その人ができることだったり、単に興味のあることだったりする。例えば料理が好きな人なら、その人は料理を仕事にする。だから無理やり何かをすることはないんだ。そうして一日が過ぎていく。

彼らが僕に、今のようなスタイルの音楽を勧めてくれたのもその時だ。クラシック・ギターの扱いからジャズの軽快な作曲法、メロディとハーモニーの関係についても学んだ。僕はそこで多くの曲を作った。
ある日、それを聴いていたコミュニティの年長者が、僕の音楽を「ボサノヴァのようだ」と表現したんだ。それがきっかけで、僕はアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルト、ルイス・ボンファの作品に触れるようになった。

─ボサノヴァへと触れる前に今のスタイルを獲得したと。どのようにしてそのような奏法に辿り着いたのでしょうか?

ジョン:僕は手がすごく大きい。それに当時弾いていたナイロン弦のギターはネックの幅が広かった。だから自然に演奏できたんだ。その上、アーミッシュのコミュニティには他に楽器を演奏できる人がいなかったから、メロディとハーモニーとリズムを一人で同時に弾くようになったんだ。彼らは静かで心が休まる音楽を望んでいたから、僕はジャジーなコードを時折挿入して、それも気に入ってもらえた。気づいたら、僕のスタイルはボサノヴァのようになっていたんだ。

─当時はどのような曲を演奏していたんですか?

ジョン:記憶が定かではないんだけど、最初に発表した「Love」って曲(2020年リリース)は既に演奏していたのかも。今よりもリズミックじゃない、静かな曲を作っていたよ。

─ボサノヴァに出会う前にはどのような音楽を聞いていたんですか?

ジョン:とにかく何でも聞いていたよ。
例えばザ・ドードーズっていうバンド、彼らのピックを使わずに指で弦を弾くスタイルからは影響を受けた。あとは〈True Panther〉に所属していたガールズっていう二人組。作曲の面で色々と学んだな、「こんなに自由に曲を作ってもいいんだ!」って思ったよ。その他にもキング・クルールとかラビングとか、インディーロックをよく聞いてたね。

─そのような音楽は今のスタイルにも繋がっていると思いますか?

ジョン:アティテュードは似ていると思うよ。聞いた印象は(自分の音楽と)違うかもしれないけど、「心の中にあることを他人にコミュニケートしよう」っていうアプローチは一緒だと思う。たとえアウトプットとして出てくる音楽が違ったとしても、 ただ自分と同じジャンルをやってるだけの人よりは共通点を感じるかな。

それと、アートギャラリーで働いてた時期に友達と一緒に暮らしてて、そこでサイケデリックとか実験音楽にも触れた。サン・ラーとかのジャズも聞いていたかな。その1年後に車でアメリカを放浪して、アーミッシュのコミュニティに辿り着き、最終的に自分の音楽が洗練されていったんだ。

─本格的に活動を始めてからの話も聞かせてください。まず、現在の拠点であるブルックリンにはどのような経緯で移ったのでしょうか?

ジョン:当時はブルックリンに住んでいる知り合いもいなかったし、貯金もなかった。
妻とも離婚した直後で、僕はとにかく稼がなきゃいけなかったんだ。そこで音楽を作ろうと思ったんだ。僕は曲が書けるし、そこで良い曲を作れば将来に繋がると思ったんだよね。「良い曲を書かなきゃ死んじゃうかもしれない」って本気で思ってたよ。

だけど、最初は家賃も払えなくてね。オーナーは許してくれたけど、何カ月も滞納していたよ。だから知り合いに紹介してもらって、近くのパタゴニアで働くことになったんだ。世界で最も大きいパタゴニアの店舗は日本にあるらしいんだけど、ブルックリンはその次に大きいんだ。ギターも売って、働いて、ちゃんとお金作ってから音楽を再開しよう……当時はそう思ってたんだ。けれども神様には「もっと良いプランがあれば教えてください」って毎日祈ってたんだ。そうしたらある日、パタゴニアの同僚が「君の曲を聞いたことがあるよ、会社のCMソングに使いたいんだけどいいかな?」って頼んできたんだ。そのオファーのおかげで自信がついたね。


─信じられない……すごい話ですね。

ジョン:そうだよね(笑)。とにかく感謝しているよ。

「ポスト・ボッサ」の定義とは?

─活動を進める中で、あなたは「ポスト・ボッサ」という言葉を用いるようになります。なぜ新しいジャンルを用意する必要があったのでしょうか?

ジョン:「ポスト・ボッサ」という言葉を初めて使ったのは『Jonny』(2023年のアルバム)がリリースされる直前だったかな。自分のスタイルを説明するために言語化をする必要があったんだ。洗練されていながらシンプルで、新しいのにどこか懐かしい。音楽的にはヒップホップやベッドルーム・ポップの影響も受けているし、1960年代のボサノヴァでは取り扱わないようなテーマ──愛や死についてだね──も僕は歌っているんだ。

ポスト・ボサノヴァとは? John Roseboroが語る、激動の半生とコスモポリタン的感性


─あなたが監修した「THIS IS POST BOSSA」というプレイリストには様々なアーティストが集結していますよね。「ポスト・ボッサ」はブラジルにルーツを持たない人でも演奏できる音楽であり、ボサノヴァの固定観念に縛られず、地域やジャンルのステレオタイプから自由な音楽であるようにも思われます。

ジョン:確かにそうだ。「ポスト・ボッサ」というのは、アメリカの影響を受けたブラジル音楽である「ボサノヴァ」というジャンルの進化形なんだ。これは「ブラジルの影響を受けたアメリカの音楽」としても解釈できる……コスモポリタン的だね。

─コスモポリタンであることは、自身の創作にとって重要な要素だと思いますか?

ジョン:うん、すごく大事だと思う。そもそも、僕らは自分たちの文化に誇りを持ちつつ、お互いに影響を与え合っている。例えば、僕がスタイルを確立する前から、ボサノヴァを作品に取り入れている欧米のミュージシャンは大勢いた。反対に、ブラジルを拠点に活動しているミュージシャンがアメリカの音楽から影響を受けて、全く新しい音楽を生み出している。そして、そのことは文化の固有性を剥奪することとは違うと思っているよ。

─「THIS IS POST BOSSA」には若いアーティストだけでなく、ジョビンのようなオリジネイターや、70年代に活躍したブラジルのバンド、ノヴォス・バイアーノスも並んでいます。

ジョン:ノヴォス・バイアーノスは明らかにブラジル以外の影響が感じられる音楽だよね。エレキ・ギターが何本も入っていて、ボーカルも3人の男女の声が入り組んでいて、まるでビートルズみたいだ。先見性があるバンドだと思うよ、ブラジルの音楽っていうより地球のための音楽だね。

─「THIS IS POST BOSSA」には細野晴臣や青葉市子、それにMIZといった日本人アーティストも入っています。

ジョン:うん、素晴らしいソングライターばかりだね。今日において、ボサノヴァはブラジル国内では頻繁に聞かれてはいないんだけど、日本の音楽にはそのエッセンスが残っているように思うんだ。彼らとは同じルーツを共有している気がする。

─日本以外にも、ボサノヴァにインスパイアされた美しいトラックを作る若いアーティストが世界中で増えている印象です。

ジョン:そうだね。恐らく、彼らのほとんどはボサノヴァに直接触れてはいないよね。だからこそ、彼らは全体を踏まえた文脈を持っていないだろうし、今の自分はその文脈を与える側にいると思う。

─「THIS IS POST BOSSA」のリストで、特に「ポスト・ボッサ」の精神を象徴していると思うのは誰ですか?

ジョン:メイ・シモネスだね。実はさっきも彼女の家で演奏していたんだ。彼女は音楽に対する責任感があるよね。僕らはコロナ禍にInstagramで相互フォローになったんだ。その時、メイはデモが1曲出ているだけだったし、僕も2曲くらいしかリリースしていなかった。だけどお互いのやりたいことが通じ合えた気がしたんだ。彼女は学校で音楽を学んでいたけど、同じ頃にニューヨークに出てきて、近いフィーリングを抱いていたんだ。実際に会ってからはお互いに助け合っているよ。

メイ・シモネスは今年5月にデビューアルバム『Animaru』をリリース予定

─二人のデュオによる「三月の水」のカバーも素晴らしかったです。

ジョン:「一緒に曲をやりたいね」とはずっと言ってたんだ。ただ、メイは二人で曲を作って演奏したかったらしいんだけど、僕はとりあえず既存の楽曲を演奏して、信頼関係を築いてから作曲をするっていうステップを踏んだ方が良いと思ったんだ。それで話し合った結果、「三月の水」をカバーすることになった。

サイモン&ガーファンクルのバージョンをはじめ、「三月の水」のカバーは色々あるんだけど、英語詞のバージョンで良いと思える録音が個人的にはなかったんだよね。どれもオリジナルとはちょっと違っていて、曲の持っているオーガニックな要素はコンピューターによって取り除かれているような気がしたんだ。だから自分たちで満足できる英語詞のバージョンを録ったんだよ。

クレイロとの交流、『Fools』について

─昨年はクレイロ「Juna」のカバーも発表していましたよね。オリジナル・バージョンのリリースの約2週間後にカバーを出すという。

ジョン:「Juna」は毎日100回くらい聞いていたよ(笑)。『Charm』の中で飛び抜けて良い曲だよね。当時の自分は、どれだけ曲を発表しても本当の気持ちが誰にも伝わらないような気がしていたんだ。そんな時に、あの曲の中で歌われている恋愛感情みたいなものに感動して、カバーを出すことを決めたんだ。

それと、クレイロとは共通の知り合いがいて、お互いの存在をなんとなく認識していたんだよね。だけど、去年出した僕のアルバム『Fools』は本来『Charm』って名前にする予定だったのにクレイロに先を越されて、なんならジャケットにする予定だったポーズもそっくりだったんだよ。ビッグ・アーティストが小さなところからアイデアを得て、予算をかけてそれを実現するのは良くあることだよね……まぁ確証はないんだけどさ。それで僕は「構わないよ、僕はもっといい音楽を作り続けるからね」と彼女に言ったんだ。同時に「だったら君の曲をカバーするよ」とも伝えた。 そうしたら、僕のバージョンでこの曲を知る人がいるかもしれない。だからカバーしたんだ、ちょっとした反撃さ。ただ、「Juna」が好きなことは確かだよ。

『Fools』に収録された「The Charm」のMV

─そんな背景が……。では最新作『Fools』についても詳しく聞かせてください。

ジョン:最初から特定のテーマを設けていたわけじゃないんだけど、ふと『Fools』を聞き返してみたら人間関係の歌ばかりだったんだ。それは男女の関係でもあれば見知らぬ他人との関係でもあるし、自分自身との関係であったりもする。スタイル的にもテーマ的にも、最もバラエティに富んだ、それでいてまとまりのあるプロジェクトになったと思う。それに、自分の知らない一面を引き出してくれる友達とのコラボレーションも解禁したんだ。自分の幅を見せることができたよ。

─どのようにして自身の幅を表現したんですか?

ジョン:主にソングライティングだね。例えば「I Did The Math」は2つのコードだけで、しかもギターのダウンストロークだけで曲を書こうって決めてから作ったんだ。ある意味ではパンキッシュな曲だね。反対に「Hit」では無数のコードを散りばめて、フレンチホルンとかフルートとか色んな楽器をアレンジに使っている。「This My Home」はギターとクラリネットだけのフォークソングだし、 「ポスト・ボッサ」のアーティストとして簡単には括れないようなアルバムになったね。『Fools』でボサノヴァと言えるのは友達のロン(・ギャロ)からもらった「Psycho Moment」くらいなんじゃないのかな。

─『Fools』の幅という点では、「Crumb」でのリアナ・フローレスの参加には驚きました。『Flower of the soul』は素晴らしかったし、彼女の来日公演も盛況でした。

ジョン:リアナのことはずっと好きだよ。ただ、彼女はシンガーというより曲を作るのが好きなタイプで、共演には中々発展しなかったんだよね。それに、彼女は大学で寄生虫とか幼虫の研究をしていて、とにかく忙しそうだったんだ。それで「Crumb」を作った時に、まずはレイヴェイに曲を送ってみた。だけど返事がなくて。それでリアナに曲を聞かせてみたら「私が歌いたい」って言ってくれたんだ。結果的にはラッキーだったね。

─知り合いではないアーティストにもゲストボーカルの依頼を送ることはあるんですか?

ジョン:普段はやらないんだけど、「Crumb」に限ってはそうしたね。

ポスト・ボサノヴァとは? John Roseboroが語る、激動の半生とコスモポリタン的感性


─リリースから半年ほど経ちましたが、『Fools』は今の自身にとってどのような可能性を開いたアルバムでしたか?

ジョン:このアルバムは僕の中ではまだ続いているから、可能性についてはまだわからない。でも、自分自身の一貫性というか、色々なことに挑戦してもなお変わらないものを発見できたのは収穫だったと思うよ。だから次のアルバムはその逆で、一つのものにフォーカスした内容になる予定さ。ジャズに寄ったアルバムになるんじゃないのかな。

─既に次作を作っているんですね。

ジョン:うん、曲を書いているよ。

─リリースの際には、ぜひ日本にもきてください!

ジョン:そうだね、このインタビューがどう読まれるか次第かな(笑)。メイと一緒に日本に行けば通訳もしてもらえるし、二人のスケジュールが合うタイミングを待っているよ。

John Roseboro
https://www.instagram.com/john.roseboro/
https://johnroseboro.bandcamp.com/
https://x.com/johnroseboro
https://soundcloud.com/johnroseboro
編集部おすすめ