マーダー・キャピタルがこのたびリリースした3rdアルバム『Blindness』は、現時点までのバンドの集大成であり決定打だ。2019年リリースのデビュー作『When I Have Fears』ではジョイ・ディヴィジョン直系のダークなポストパンクを荒々しく掻き鳴らし、パンデミック期に録音された2作目『Gigis Recovery』ではミニマリストやダンスミュージックも視野に入れた緻密なサウンドプロダクションを展開した彼らだが、『Blindness』ではそんな1stの衝動性と2ndの洗練を理想的なバランスで両立させている。
例えばアルバムの幕開けを飾る「Moonshot」は初期の獰猛なサウンドに回帰しているが、ギターサウンドが持つテクスチャーの奥行きなどは2作目を経たからこそ生まれたものだろう。これは間違いなく今作を象徴する楽曲のひとつだ。
他方、「Love Of Country」や「Trailing A Wing」といったアコースティック調のバラッドは新機軸。特に6分超の長さをシンプルな演奏とボーカルの迫力だけで聴かせきる前者は、バンドの表現力の進化を感じさせる。初期は実存的苦悩という個人の内面にフォーカスしていた歌詞も、愛国心や信仰心、そしてそれらと表裏一体の関係にある人々の分断といった社会問題にまで言及する射程の広さを手に入れた。その意味では、『Blindness』は音楽的集大成であると同時にバンドの成長が様々な形で刻まれた作品だとも言える。
現時点ではまだ日本語で読めるマーダー・キャピタルのインタビューがほぼウェブ上に存在しないため、今回はボーカルのジェイムス・マクガヴァンにバンドの結成から最新作『Blindness』に至るまで、その歩みを総括してもらった。この対話に目を通せば、マーダー・キャピタルというバンドと『Blindness』への理解が一層深まるはずだ。
そして3月27日(木)には、代官山 SPACE ODDにて待望の初来日公演が開催。デビュー当初から英国メディアに絶賛されてきた彼らのライブの強烈さを、ぜひその目に焼きつけてもらいたい。

Photo by Hugo Comte
バンドの結成とダークな初作、フォンテインズD.C.との交流
─マーダー・キャピタルが結成された2010年代後半は、世間的にはラップやポップの人気が高く、ロックバンドは脚光を浴びることが少なかった時期だと思います。そのような中で、あなたたちがバンドを始めようと思ったのはなぜだったのでしょうか?
ジェイムス:音楽大学にいたときに、適当にバンドを作ったり、大学のショーで一緒に演奏するために人を集めたりしてたんだけど、そのときに僕の名前を冠したジェイムス・マクガヴァンというバンドを作って、何度かパフォーマンスしてたんだ。で、大学のショーで演奏するうちにどんどん音楽性が広がっていって、今みたいなサウンドになった。僕は色々な音を聴いて育ったけど、その中心はフレーミング・リップスやマーキュリー・レヴ、ボブ・ディランやデヴィッド・ボウイだった。それに、僕らが持っていたのはギター2本とベース一本だったし、若かったから、とにかく激しい音楽をやりたかったんだ。ロックバンドをやろう!と思ったっていうよりは、本能的にそうなった感じだね。それに、ギラ・バンドやフォンテインズD.C.とも仲が良かったから、彼らからも影響を受けていたと思う。周りもそんな感じだったから、かなり自然な流れだったんだ。
─フォンテインズD.C.とは古い付き合いのようですが、どのように知り合ったんですか?
ジェイムス:僕らはアイルランドのThe Workmans Clubってところでジェイムス・マクガヴァンの名前でショーをやってたんだけど、そのヴェニューの経営者がフォンテインズのマネージャーの一人だったんだ。それでカルロスと仲良くなったんだよ。あそこでは、アーティストの友達同士でよく一緒にパーティーをしたり、みんなでショーを観にいったり、ガレージバーに入り浸ったりしてた。アイルランドでは夜10時を過ぎるとアルコールが買えなくなるから、夜遅くまでワインを出すインド料理屋にいったりもしてたな。
─フォンテインズをはじめ、先ほどあなたが挙げたアーティストやバンドからは、どのような点で影響を受けたと思いますか?
ジェイムス:激しさとか早いテンポとかかな。最初のレコードを作った時のことを思い出すと、モーガンとマットが脱退して、ドラマーとベースがいない状態だったんだ。あの頃はレーベルやエージェントから声がかかり始めた時期で、業界からのオファーも増え始めていた。僕はロンドンに行ってレーベルやエージェント、マネージャーと25回もミーティングしたんだけど、それはもう大変だったよ。いないのに、ドラマーとベースもいるフルバンドに見せかけようとしてさ(笑)。
―(笑)。
ジェイムス:でも、アイルランドに戻ったらすぐにディーとゲイブが見つかった。で、7月にKnockanStockanっていうアイルランドのフェスで5人で一緒にプレイして、翌年の2月くらいには(1stアルバム『When I Have Fears』のプロデューサーである)フラッドと一緒にスタジオ入りしたんだ。だから、たった6カ月くらいでお互いのことを知りながら、アルバムの曲を書いたんだよ。そんなキツキツのスケジュールだったから、サウンドは本当に直感的なものだった。
─リリース当時、『When I Have Fears』はメディアから「ジョイ・ディヴィジョンみたいなダークなポストパンク」とレッテルを貼られることが多かったと思います。それに対してはどのように感じていたのでしょうか?
ジェイムス:正直なところ、全てがあっという間だったから、あまり深くは考えてなかった。ジョイ・ディヴィジョンと同列に語られることは、僕らにとってはクールなことだったしね。ジョイ・ディヴィジョンをかなり聴いて育ったし、ポストパンク全体がクールだと思っていたから。あの頃は、シェイムやアイドルズ、フォンテインズといったバンドと一括りにされていた感じだったけど、彼らは全員友達だから、その一部になれたことは僕たちにとっては嬉しいことだったんだ。
─では、当時サウスロンドンのウィンドミル周辺のシーンと比較されることが多かったのも、そんなに嫌ではなかった?
ジェイムス:確かに僕らはサウスロンドンのシーンで、しばらくぷかぷか泳いでいた時はあったと思う。ブリクストンのウィンドミルでは1、2回演奏したし、シェイムなんかともすごく仲良くなったし。でも、僕らはそこまでどっぷりではなかったんじゃないかな。他のバンドは、いい意味で今でも深く繋がっているからね。
音楽性の幅を広げた2ndアルバム
―『When I Have Fears』の歌詞はジェイムスの親友の自死に触発されて書かれたもので、主に実存的な問題をテーマにしていたと思います。ただその一方で、アイルランドの若者の自死率の高さや、それに政府が十分な対応をしていないことを当時のインタビューでは指摘していました。そのように個人的な問題と社会的な問題は切っても切り離せないという感覚は、当時からずっと持っていたのでしょうか?
ジェイムス:そうだね。アイルランドの自殺に関する数字や統計は本当に恐ろしい。そして、自分たちの周りでもそのリソースが存在してるんだ。特に、僕の友人のポール・カランは、本当に才能あるアーティストで、僕の人生にも大きな影響を与えたバンド、バーント・アウトのメンバーだった。彼は労働者階級の出身で、それが彼の死の悲劇をより深刻にしたと思う。なぜなら、彼にとってはセラピーを受けることが容易なことではなかったんだ。ポールの人生は色々な意味で豊かで充実していたけど、彼の死によって、助けに容易にアクセスできるということがいかに重要かがより明らかになった。
―ええ、その通りだと思います。
ジェイムス:ダブリンでは、川の北側で生まれると、南側で生まれた人々よりも恵まれない状況に置かれることになる。それは本当に間違っているし、その間違った事実によって、僕たちは、そして世界は偉大なアーティストを失ったんだ。そして、僕たちのベーシストのガブリエルの母親も、アルバム制作中に亡くなったんだよ。アルバムのレコーディングを始めて5日目だった。だから、最初の週はガブリエルは来なかったんだ。葬式のためにアイルランドに戻って、そのあとまたレコーディングに戻ってきた。だから、あの時のレコーディングはかなり濃かったね。しかも、そのあとにパンデミックが起きたもんだから、アルバム制作の過程で何か起こる、っていうのが2回も続いたんだよ。
―確かに、2023年にリリースされた2ndアルバム『Gigi's Recovery』はロックダウン期間に制作されたものでしたね。
ジェイムス:でも、『Blindness』の時はパンデミックも終わって、世界が完全に開かれていた。生活も調子が良かったし、逆に自分が何と戦っているのかわからなくなって戸惑ったんだよね。僕はこれまでプレッシャーのかかった状況下でしか、アルバムを作ったことがなかった。だから、何も戦うものがないというのが、逆にすごく変な感じがして(笑)。
─サウンドにも違いが生まれそうですね。
ジェイムス:そうなんだ。今回のアルバムはすごく自由を感じる。1stアルバムはフラッドのスタジオで作業したけど、彼のスタジオは混沌として、クレイジーで、オーガナイズされていた。そして2ndアルバムでは、アイルランドの田舎にある家にこもって、自分たち以外の人間との接触は一切なく、何カ月もひたすらアルバム制作に取り組んでいた。でもそうすると、のめり込みすぎてしまって、何度も何度も書き直したりしてしまってたんだよね。それはそれでいいんだけど、サウンドを作り込みすぎてしまって。で、実際にスタジオに入ってレコーディングする時になって、本当は納得のいく完璧な音にそれを仕上げないといけないのに、デモに愛着がわきすぎて何も変えられなくなっちゃってさ(笑)。それが『Gigi's Recovery』だった。
―なるほど。
ジェイムス:だから『Blindness』では、『Gigi』でも一緒に作業をしたジョン・コングルトンと話し合って、今回はデモを作らないことにしたんだ。ただ携帯を床の真ん中に置いてそれに向かって演奏するっていう方法をとったんだよ。で、それを持ってLAのスタジオに行き、そこから全てを変えた。今回は、スタジオに着いた時点でもすごくオープンでいることができたし、録音した音源がどんな形にも姿を変え得る、何でもありな状態でレコーディングに挑むことができたんだ。
─少し2ndについても訊かせてください。今あなたが言った通り、『Gigi's Recovery』はかなり作り込まれたアレンジやプロダクションになっており、音楽性の幅も大きく広がりました。1stがライブバンドとしてのマーダー・キャピタルの魅力を捉えようとしたものだったとすれば、2ndはサウンドを作り込むことの可能性を追求したものだと考えていいのでしょうか?
ジェイムス:そうだね。『Gigi』では、サウンドと質感を追求する意欲がかなり強かった。それが『Gigi』の全てだったんだ。最初は長い長いセッションをやって、僕たちは新しいペダルや楽器で遊んでいるだけで、曲作りはしていなかった。そこから、新しい領域や新しいテクスチャー、サウンドスケープを色々と試していた。でもそのおかげで、シネマティックな作品に仕上げることができたと思う。もちろん1stアルバムのDNAを受け継いでいる曲もいくつかあるけど、当時の僕らにとってはかなり方向性を変えた作品だったんだ。その反動が『Blindess』にも影響していると思う。
─『Gigi's Recovery』には、ダンスミュージックやエレクトロニックミュージックからの影響もあるように感じられました。このアルバムで新しい音楽的方向性を模索するにあたって、何かしらのヒントを与えてくれた他のアーティストの作品はありましたか?
ジェイムス:スティーブ・ライヒを聴いてたのは覚えてる。アルバムの制作中は、アルバムのサウンドと全然関係ないものも含め、本当に色々な音楽を聴いていたよ。その中でも、アレックス・Gは結構聴いてたな。でも僕たちは、制作中はあまり参考として他の音楽の話はしないようにしてるんだ。自分が誰かアーティストの話をして、メンバーの誰かがその音楽をあまり好きじゃなかったら、勢いがなくなってしまうこともあるからね。でも、僕とゲイブがヤング・リーンにハマってたのは覚えてる(笑)。あと、フローティング・ポインツもたくさん聴いてた。『Promise』っていう彼の素晴らしいアルバムがちょうどリリースされた時だったから。あとはブライアン・イーノも聴いてたな。ナンシー・シナトラやリー・ヘイゼルウッド、ボブ・ディラン、レナード・コーエン、ビーチ・ハウス、ジョン・ホプキンスも聴いてたよ。
ニューアルバムの理想的進化、アイルランド出身であること
─そういった多様な影響が『Gigi's Recovery』に結実したというのは納得ですね。では、ニューアルバムの『Blindness』について訊かせてもらいたいのですが、このアルバムは1stの衝動性や荒々しさと2ndの音楽的洗練を併せ持った理想的な進化形だと思います。あなたたちとしては、どのような作品に仕上がったと感じていますか?
ジェイムス:今回は、自分たちがやりたいことが最初からしっかりとわかっていて、メンバー全員がそれに合意した初のレコードだと思う。これまでは、僕たちは誰も自分たちが何をしているのかよく理解していなかった。これまで、僕らは毎回何を達成したいのかについて大きな意見の相違があって、実際、その摩擦がレコードを前進させる原動力になっていた。でも今回は『Gigi』の反動で、もっと大きな、衝動的でエナジェティックな曲に戻りたい、と全員が感じていたんだ。どんな形であれ、あの切迫した強烈なサウンドに戻りたいと皆が思っていた。そしてそのあとで、そこからどうサウンドを広げるかを考えたんだ。そうやって出来上がったのが「Love Of Country」や「Born Into The Fight」「Trailing A Wing」だね。
―この辺りの曲はアコースティック寄りのバラッドもあり、バンドの新機軸ですね。
ジェイムス:その一方で、「Moonshot」や「Cant Pretend To Know」「Words Lost Meaning」「Death Of A Giant」「The Fall」「That Feeling」みたいな曲は、自分たちのDNAが出てきて、作らずにはいられなかったって感じの曲。衝動的でエナジェティックな曲に戻りたいっていう、自分たちがやろうとしていたことを象徴していると思う。僕らにとってはジャンルで言えばロックアルバムなんだけど、まあ、それはどうでもいい。それはジャーナリストたちが決めてくれるだろうから(笑)。
─アルバムには多彩な曲が収録されていますが、自分たちにとってもっともチャレンジングだった曲を挙げるとすれば?
ジェイムス:一つは「Born Into The Fight」。僕たちはアルバムごとに拍子が難しい曲にチャレンジするんだけど、この曲はその一つだから。あと、もう一つは「Moonshot」。あれは2年半くらい前に書いた曲で、結構前に既に取り組んでいた作品なんだけど、ずっとうまくいかなかった。この曲のために3回も作曲旅行をしたんだよ。ダブリンで2週間、ベルリンで2週間、ロンドンで2週間、そしてLAでも作業した。それでも全然うまくいかなくてさ。で、しばらく放置してたんだけど、ドラマーのディーがまたこの曲に取り組みたいって言い始めたんだ。この曲は絶対ビッグチューンになる!って。だから、もう時間もなくて、最終日の残り二時間半しかないって時に、疲れて、皆エネルギーがない中、重い腰を上げてあの曲を仕上げた。作るのは難しかったけど、素晴らしい作品が出来上がって嬉しいよ。
─『Blindness』というアルバムタイトルは、「Moonshot」で歌っているような、I love youという言葉が形骸化していることになかなか気づけないという恋愛における盲点を言い表していると同時に、「Love Of Country」で歌っているような、他者への理解に欠けた盲目的な排外主義についても言及している言葉だと理解しました。実際、あなたがどのような意図でこのタイトルをつけたのか、教えてください。
ジェイムス:今回のアルバムは、初めてタイトルを決めずにレコーディングに臨んだレコードなんだ。1stはジョン・キーツの詩が僕らを導いてくれたし、2ndのタイトルは、ダブリンのリハーサルスペースの隣に車の修理屋があって、その店の名前がジジズ・リカバリーだったっていう(笑)で、タバコを吸ってる時にそれを見て、それについての曲を書いたら面白いんじゃないかって笑いながら話したのがきっかけで、あのコンセプトが生まれた。
―そうなんですね(笑)。
ジェイムス:で、今回に関しては、正直あまり深くは考えてなかった。制作過程はさっき話した通り、すごく自由で縛られることが全くなかったし、僕たちはただ作りたい音楽を作っていたから。でも、完成した後に2、3週間、歌詞を読み返してみて、歌詞の中に何か共通点がないか考えてみたんだ。『Gigi』の時とは違って、歌詞を書いたページを全部ノートから破って、ベッドルームの壁に貼って、まるで刑事が複数の事件の繋がりを探すみたいにそれを探っていったんだ。気が狂いそうだったよ(笑)。というのも、今回は曲ごとにそれぞれ歌詞を考えたことで、歌詞の幅がかなり広くなっていたから。
―ええ、そう思います。
ジェイムス:歌詞に関しては、より広いテーマを探していたんだ。アイルランドらしさ、ナショナリストのイデオロギー、内省、必然性、信仰、宗教と信仰という混同された観念の探究……本当に幅が広すぎて、そこに共通点を見つけるのは本当に大変だった。でも、これら全ての人間的な経験の間に存在する共通点は何だろう?と考えた結果、僕たちがいかに多くのものを見ていないか、いかに視野が狭く、視野が限られているかということが共通しているとわかったんだ。で、そこから何種類かタイトルを考えたんだけど、『Blindness』が一番しっくりきたんだよ。

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─歌詞のテーマのひとつとしてアイルランドらしさを挙げていましたが、今作にはダブリンで行われたシェイン・マガウアン(ザ・ポーグス)を追悼する葬列にインスパイアされた「Death Of A Giant」のような曲もあります。アイルランド出身であることは、自分たちの音楽にどのような点で影響を与えていると思いますか?
ジェイムス:アイルランドの文化の本質は、音楽、文化、芸術だと思うけど、それ以上に大きいのがストーリーテリングだと思うんだ。ストーリーテリングは社会の構造においてすごく重要な役割を果たしていると思う。その部分には影響を受けているんじゃないかな。どこの出身であろうと、人間は皆自分の文化を何らかの形で持ち続け、継承していると思う。今回のアルバムでは、やっぱり特に歌詞にアイルランド人らしさが現れているんじゃないかな。『Blindness』の前は、歌詞はもっと普遍的だったような気がするから。でも、自分の国について書こうと意識しなくても、自分の周りや環境について曲を書けば、自分が育った場所、自分がいる場所の影響が自然と出てくるんだと思う。
─よくわかりました。初来日が迫ってきていますが、あなたたちはデビュー当初からライブが絶賛されてきたバンドなので、本当に楽しみです。どのようなライブを期待していいでしょうか?
ジェイムス:僕たち全員が、日本でのショーをものすごく楽しみにしてる。日本には3日しかいれないんだけど、今は毎日、色々計画してるところ。ライブの見どころは、とにかく僕たちが作り出すエネルギーだね。そして、逃避的なものにもしたいと思ってるんだ。オーディエンスのみんなには、その瞬間に身をあずけて、ただひたすら僕らの音楽の世界に没頭してほしい。エネルギーと感情に溢れたダイナミックなロックショーになるはずだよ。僕たちはただ、みんなに楽しんで自由になってほしい。そして願わくば、そこに一体感みたいなものが生まれたら嬉しいね。

マーダー・キャピタル
『Blindness』
発売中
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THE MURDER CAPITAL FIRST TOKYO SHOW
2025年3月27日(木)
東京 代官山SPACE ODD
OPEN 18:30 / START 19:30
公演詳細:https://www.creativeman.co.jp/event/the-murder-capital/