10年ぶりに来日、3月26日(水)、27日(木)に東京・Zepp HanedaでCorneliusとダブルヘッダー公演を開催するザ・フレーミング・リップス(The Flaming Lips)。彼らが日本でCorneliusと共演するのは1999年の新宿リキッドルーム以来。
しかも代表作のひとつである『Yoshimi Battles The Pink Robots』(2002年)の再現ライブを披露するという。これは事前に訊いておきたいことが多過ぎる……と考えていたところ、インタビューにはいつも協力的なフロントマンのウェイン・コインがオンライン取材に応じてくれることになった。

そもそも『Yoshimi Battles~』のコンセプトは、フレーミング・リップスの面々がOOIOOのアルバムを愛聴していたことから始まっている。それがきっかけでYoshimiOとレコーディング、彼女のパフォーマンスに触発されて「Yoshimi Battles The Pink Robots」というタイトルを思いつき、そのタイトルで曲を作り……という流れだった。

このアルバムが出来上がるまでのプロセスについて、ウェインが日本のメディアにここまで詳しく語ったインタビューは今回が初めてだろう。取材が終わってから、YoshimiOがこのスペシャルライブにゲスト出演することも発表された。”当人”が参加する歴史的なライブ、ウェインの発言をじっくり味わってから体験して欲しい。

Corneliusとの邂逅

─2014年のフジロックであなたにインタビューしたとき、「昨日YOKO ONO PLASTIC ONO BANDのライブでCorneliusの演奏を観て、とても良かった!」と言っていたので、今回は日本でダブルヘッダー公演が実現してうれしいです。小山田圭吾さんとはずっと交流が続いていたのでしょうか?

ウェイン:いや、そういうわけじゃないんだ。たくさんの人の電話番号やメアドを持ってるけど、彼のは持ってない。今度交換するよ。1999年にアメリカでツアーを一緒にやったことがあったけど、当時はまだ誰も携帯なんて持ってない時代だ。
気軽に写真を送り合う、なんてこともしてない。それでもCorneliusの近況はなんとなく耳に入ってたって感じかな。

─そのツアーというのは、セバドーやロビン・ヒッチコックも参加した「1st International Music Against Brain Degeneration Revue」のことですよね?

ウェイン:そうだよ! つい去年の9月~10月にダイナソーJr.とツアーをして、ルー・バーロウとその時のことを懐かしんでたところだよ。当時はとにかく運転していた記憶がある。自分たちのバンで、次の会場まで移動するんだ。しかも5日とか6日ぶっ続けで。今は2~3日やったら休むが、当時はそれをこなした上に、深夜1時から9時間ぶっ通しで運転して次の会場へ向かっていた。本当にすごい話だ。どこの楽屋も、いつも大勢の人であふれていた。客にヘッドホンを配布して、僕らの演奏をそれで聴いてもらうなんてこともやったな。Corneliusのことは以前から知っていたので、出演してくれないかと声をかけたら、ラッキーなことに快諾してくれた。最高だったよ。


フレーミング・リップスが語る『Yoshimi』の真実、Corneliusとの邂逅、日本で知った「もっとマシな生き方」

小山田圭吾とウェイン・コイン、1999年撮影(Corneliusの公式Instagramより引用)

─当時、Corneliusの音楽にどんな印象を抱いていたのでしょうか? フレーミング・リップスの方向性にも影響を与えていた?

ウェイン:どうだろうな。当時彼らがやっていたこと……それは僕らもやっていたし、今も続けていることなんだけど……映像と音楽が結びついた、全体的なプレゼンテーションだった。だからこそ、僕らはお互いを好きなんだと思う。まったく同じことをしているわけじゃないが、バンドとしての見せ方という意味では、同じモードにいるんだ。それだけじゃなく、サンプリングを使った彼の音楽の作り方や、「クールに聞こえる」こと以外に決まったストラクチャーがないという要素も、僕らと通じるところがあった。それまでフレーミング・リップスは長いこと、普通の……”普通”っていうのも変だけど……ドラム、ベース、ギターのバンドだった。でも、Corneliusと知り合った頃には、僕らもバックトラックやループを使い始めていた。だからこそ、近くで彼らのやってることを見てるだけで刺激的だったんだ。正直、僕は日本語がまるで喋れないし、彼らも英語が堪能なわけじゃなかったので、深い会話を交わすことはなかった。でも、お互いのやってることが大好きだってことは、なんとなくわかってたんだと思う。

─フレーミング・リップスとCorneliusはほぼ同じ時期に、複数のディスクを同時再生することで1つの曲になるという試みをしています。あなた方は4枚のディスクを同時再生する『Zaireeka』、Corneliusは「STAR FRUITS SURF RIDER」
このことを小山田さんと話したことはありますか?

ウェイン:ないよ。おそらく僕らもCorneliusも、「どのバンドもそういうことをやるもんだ」と思ってたんだよね。なんていうか、それが当たり前のことに思えた。だって、デイヴ・フリッドマン(プロデューサー)はいたものの、僕らは自分たちの音楽を自分たちでプロデュースして、ただ好きなことを自由にやっていただけだったからさ。だから当時は「みんなもこういうことをやってるんじゃないか」と思ってたんだ。でも今になってみると、そうじゃなかったと気づく。やってたのは、僕らとCorneliusだけだった!(笑)。そのことを話したかどうかは覚えてないけど、感覚が合ってたというか、同じような考え方をしてたんだろうね。フレーミング・リップスの音楽は、進むにつれてどんどん感情的になっていったというか、もっと心から湧き出るものになっていったと思う。ただの実験的な音楽ではなくなっていった、というのかな。でも同時に、僕らにはかなりぶっ飛んだ一面もあるんだよ。

YoshimiOとの出会い、「pink robots」と日本語バージョンの真実

─改めて『Yoshimi Battles~』について訊かせてください。
YoshimiというキャラクターがOOIOOやボアダムスのメンバー、YoshimiOをモデルにしていることはよく知られていますが……。

ウェイン:みんながそれを知ってるかと言ったら、そうでもないよ。彼女がアルバムに参加してることもね。僕ですら、たまに忘れるんだ。「そうだ、Yoshimiは本物の人間だった!」って。Yoshimiをキャラクターとして語るのに慣れ過ぎてしまってて……。つい先日、400ページのグラフィック・ノベルを完成させたところさ。Yoshimiのキャラクターも僕が描いたよ。最近、YoshimiO本人ともメールでやり取りを始めた。OOIOOの音楽は死ぬほど聴いてきたよ。ボアダムスも聴いたし、好きだけど、OOIOOほどは聴いてないかな。

─当時、OOIOOの2枚目のアルバム『Feather Float』を夢中で聴いていたそうですね。


ウェイン:ああ。OOIOOは全アルバム聴いたけど、中でも『Feather Float』が大好きで、Corneliusとのツアー中はずっと聴いてたよ。お客さんが会場に入る時にも流してたくらいさ。あそこまで聴き込んだアルバムは他にないかも。今でも聴いてるよ。

─なぜそこまでOOIOOに惹かれたんでしょう?

ウェイン:とにかくユニークだからさ。YoshimiOは素晴らしいドラマーだよ。彼女のドラミングは、まるで何もないところから湧き上がるみたいなんだ。そして、ループを使って曲を構築する方法が実に面白い。「Be Sure To Loop」(『Feather Float』の1曲目)では、彼女の歌のループに歌を重ね、パーカッションを叩いている。そんな音楽はそれまで聴いたことがなかったし、今でも聴いたことがないよ。彼女の叫ぶ様も、歌う様も、ユニークというよりはクールなんだ。
音楽が本当に心に響く時、なぜそう感じるのかわからないことが多いけど、僕にはただクールだと感じられる。それに、僕らは彼女を知っているし、彼女のことが大好きだ。1994年にロラパルーザで会って以来だからね。実際にその人を知っている上で音楽を聴いたから、さらに特別に感じんだよ。

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YoshimiO(OOIOO、SAICOBAB、BOREDOMS)

─そのロラパルーザで会った時、Cornelius同様、YoshimiOも英語を話さなかったと思います。どうやって仲良くなったんですか?

ウェイン:通訳を介してさ。今もYoshimiOとのメールのやり取りは英語が話せる人を介してる。でも1994年って、大昔だ。その時から今まで友情が続いていて、お互いのやってることに関心があるなんて、どれほどラッキーなんだろう。そしてさっき言ったように、フレーミング・リップスのアルバムで一人歩きしてしまったせいで、Yoshimiが実在する人間だってことを忘れちゃうんだ。でも、彼女の存在はアルバム中に散りばめられていて、3~4曲では叫び声や話し声がフィーチャーされている。OOIOOがテキサス州オースティンのSXSWに出てた時、一緒に録音したんだ。数時間で録音した音源は、1秒残らず全部使ったよ。彼女の話し声まで含めてね。また一緒に何かやりたいよ。

─その時に録った音源を聴いたデイヴ・フリッドマンが「Yoshimiがロボットと闘っているみたいに聞こえる」と言ったことから、『Yoshimi Battles~』というタイトルを思いついた、という話は本当ですか?

ウェイン:ああ。あの曲には苦労してたんだ。正確にいうと「Yoshimi Battles~ Part 2」の方が先にできた。その頃はパート1がまだ存在してなかったからね。ただ「Yoshimi Battles~」と呼んでいた。でも「Yoshimiがロボットと闘ってる」っていうタイトルが気に入って、僕がそれを「Yoshimi Battles~」へと発展させた。なぜ”ピンク”なのかはよくわからないけど、僕は気に入ってたんだ。

あの時は別にコンセプト・アルバムを作ろうとしてたわけじゃないけど、何かしらの形で曲同士を繋げる方法を探していたんだと思う。それで、他の曲にもYoshimiOの声やいろんな音を入れ始めた。そうすることで全体のまとまりが出るんじゃないかと……実際にそうなったかはわからないがね。でも制作中って、いちいち「これでいいのかな?」って考えることもなく、勢いのまま進めていくものだ。すごくインスピレーションに満ちた時間だったよ。

それからデイヴ・フリッドマンのスタジオに戻り、アルバムの最初の3~4曲を録音した。この時には「Yoshimi Battles~ Part 1」も出来ていて、「Fight Test」と「One More Robot」、それにもう1曲を録音したはずだ。そうやって、アルバムの完成に向けて一気に加速していったんだ。

─なるほど。それにしても、なぜロボットは”ピンク”だったんですかね。

ウェイン:ピンクという色も好きだし、ピンク・フロイドというバンド名の響きも好きだし……。絵を描くつもりもあった。実際、帰宅後に油絵を描いたんだ。背景を塗って一晩乾かし、残りは10分くらいで描き上げた。ロボットだけではどこかSFっぽすぎるけど、「ピンクのロボット」にするとフレーミング・リップスらしくなると思ったんだ。そういう時って、周りにいる連中も同じような考え方をしてるから「ああ、それいいね」って感じで、「なぜ?」を説明する必要もない。ただ、ピンクは本当に好きだよ。よくピンクを使うし、昔はピンクの服をよく着ていた。歳をとって、最近はあまり着なくなったけど、また復活しないとも言えない。

それと、pink robotsは、ドラッグでいかれてしまい、感情を失った人たちを指すスラングらしい。実際に耳にしたことはないけど、どこかで読んだことがあるよ。そういうスラング的な響きも気に入ったんだ。ドラッギーでアンダーグラウンドな感じがするし、実際、僕らもドラッグでゾンビみたいになった連中を大勢見てきた。別にそれを音楽に込めたわけじゃないよ。でも、そんなクールな意味もあるって知ると「それもいいかも」と思うわけだ。

結局のところ音楽って、意味とか気にしないことも多い。たとえば、ビートルズの『Abbey Road』を聴いても「アビー・ロードって何?」なんて考えもしなかった。ただ音楽が好きなら、それが『Abbey Road』なんだ。音楽にはいつもそういう要素がある。ただ純粋に「これが好きだ」って思えるかどうか、そしてそれが言葉を超えて伝わることを願うしかない。まるで「ああ、これこそがこの音楽なんだ」って感じられるようような、そういうことさ。『Yoshimi Battles~』を作る頃までに、フレーミング・リップスは何枚もアルバムを出してて、完全にいい流れに乗ってた。デイヴ・フリッドマンとも1989年から一緒にやってたし、彼がスタジオを作ったのが1996年。『Zaireeka』を作って、『The Soft Bulletin』を作って、それが終わるとほぼ息つく間もなく『Yoshimi Battles~』の制作に入った。だからもう、5~6年間ずっとぶっ通しで作り続けてたんだ。

─スティーヴン・ドローズ(ドラム他を担当)がインタビューで、「Yoshimi Battles The Pink Robots Part 1」の日本語バージョンを作ることになったのは、その頃日本のNUMBER GIRLをプロデュースしていたデイヴ・フリッドマンのアイディアかも、と言っていたんですが。実際はどうなんでしょう。

ウェイン:確かにデイヴはNUMBER GIRLを手掛けてたけど、あの曲を日本語で歌ったのは彼のアイデアじゃない。ただ、日本のオーディエンスやマーケットに向けて日本語バージョンを作れたらクールだと思ったんだ。だって、ビートルズもディープ・パープルも、クールなバンドはみんな外国語バージョンを作ってたからね。

NUMBER GIRLがレコーディングしてる間は、僕らと入れ替わりでスタジオに入ることもあったし、逆もあった。彼らのスタッフだったMr. Kamo(元東芝EMIの加茂啓太郎氏)にお世話になったよ。日本語の発音をチェックしてもらった。自分がちゃんと歌えてたのか、いまだに自信はないけど……楽しかったな。もっとああいうの、やりたいよ。

「Do You Realize??」が与えてくれた「気づき」

─『Yoshimi Battles~』はアルバムとしてトータル性を感じる作品ですが、実際は全曲に関連性があるコンセプト・アルバムではない、という認識で合っていますか? その後ミュージカル化なども経て、だんだんとストーリーがはっきり見えるようになってきた、という印象もありますが。

ウェイン:最初、コンセプトはなかったんだ。最初のうちは録音しながら、たとえばピンク・フロイドの『The Darkside Of The Moon』みたいな、統一感のあるアルバムをイメージしていた。あれは雰囲気や楽器、歌詞のテーマまで、全てが繋がっているみたいだろ。『Soft Bulletin』もまさにそんなアルバムだった。だから『Yoshimi Battles~』というタイトルで行こうと決めた後、すでに録音していた他の曲を、タイトル曲のサウンドにもっと似せるように変えたりもしたよ。「Do You Realize??」を書く頃までには、いろんなサウンドやアコースティックギター、ドラムマシン、ドラムサンプルを使って無制限に実験してたんで、自然とアルバムの雰囲気に合う曲として書けたんだと思う。作業は速かったよ。自分たちが使っているサウンドのパレットが気に入ったら、もうそれで決まり。だから、アルバムの中に「Yoshimi Battles~」や「One More Robot」という曲があったり、アルバムのタイトルが『Yoshimi Battles~』だったり、カバーアートにもピンクのロボットがいたり、とコンセプト・アルバムのような感じさえしてきた。でも、実際はそうではなくて、時間が経つにつれてそう感じるってことなんだよ。

「Fight Test」2003年のライブ音源、2022年リリース『Yoshimi Battles~』20周年ボックスセットに収録

─ここで歌われているロボットについて、あなたは最近のインタビューで、テクノロジーが悪とは思わないという見解を話していましたね。では、Yoshimiはどうしてロボットと闘わなくてはいけなかったのでしょうか?

ウェイン:今、僕が書いている物語の中でYoshimiが闘ってるロボットは、人間がやりたくない仕事をする素晴らしいマシーンなんだ。山火事を消火したり、放射性廃棄物を片付けたり、雪崩に閉じ込められた人を助けたりする、大きくて、強くて、賢いヘルパーだ。そんなロボットとYoshimiがなぜ闘うかというと、それはロボットたちの素晴らしさを人に示すためのショーだからさ。Yoshimiは「ユートピアの戦士」という、宇宙でピンクロボットを止められる唯一の、訓練された女性戦士の一人。彼女も、ロボットも、自分の凄さを示すために、公開の闘いをする。歌詞の中でも「ロボットが悪」だと歌ってるし、それと彼女が闘っているから、ロボットが悪だと言ってるように思えるかもしれないけど、グラフィックノベルではその辺がもっと明確に描かれている。ただ、僕はそういう部分はあまり気にしてない。結局、リスナーが思うように受け取ってくれていいんだ。

─スティーヴンが当時エイフェックス・ツインなどを気に入って聴いていたことが、プロダクションの変化にも大きく影響したと思います。このアルバムを作った頃によく聴いていた曲でプレイリストを作るとしたら、他にはどんなアーティストの作品が挙がるでしょうか?

ウェイン:エイフェックス・ツインはメンバー全員が聴いていたよ。96年か97年頃だったと思う。すごくミステリアスだったから、彼がレコードを出すたび、「エイフェックス・ツインって何者? 誰だ? 何なんだ、これは?」と気になっていた。でもそれに限らず、なんでも聴いてたと思う。

『Soft Bulletin』の頃には、もっと古めの音楽を聴いていた。『Yoshimi Battles~』の制作中は「どうやってこういうサウンドを作ってるんだろう?」というリファレンスとして、当時の商業的なアルバムを聴いていた。マドンナの『Music』(2000年)はよく聴いたよ。3~4曲、カットアップされた生ギターみたいなのが入ってて、あとは彼女の声の加工の仕方とか、ドラムのプログラミングが独特で、新しい世界に放り込まれた気分だった。

マドンナやミッシー・エリオット、ティンバランド、(彼がのちに手がけた)ネリー・ファータドの曲とか……自分たちがコマーシャルになろうとしてたわけじゃないが、そうした商業的なアルバムをよく聴いてたし、その多くは女性が歌ってるものだった。特に理由はないけど、グランジにうんざりしてたんだよ。だからタフな男が歌ってる音楽は聴いてなかったし、そもそも自分たちもそういうのを作ろうとしたことはない。作れたのかも、作っていたのかも知らないよ。でも作っていくうちに、結果的にみんな気に入ってくれたみたいだ。

今「Do You Realize??」を聴いても、ティンバランドやマドンナぽいとは全然思わないけど、あの厚みのあるサウンドとか『Yoshimi Battles~』のプロダクションは、多分僕たちが今まで作った中でも最高の出来なんじゃないかと思う。完璧そのもので、澄み切ってて、非の打ち所がない。でもああいうレコードを作るのはめちゃくちゃ大変で時間もかかり、細かい部分の作業もあって、毎回作りたいとは思わないんだ。だからあれがうまく行ったことにはホッとしたけど、出来上がった時はもう2度と作りたくないと思った(笑)。今ならもっと簡単にできるし、実際、今じゃ当たり前のようにやってる部分もあるけどね。

「Approaching Pavonis Mons By Balloon」は第45回グラミー賞「最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞」を受賞

─「Do You Realize??」には、お父さんの闘病と死、当時スティーヴンが抱えていたドラッグの問題など、さまざまな要素が含まれていると思います。この曲を書いた時は、どんな想いでこの歌詞を綴っていったんですか?

ウェイン:スティーヴンと書いた曲には「realize(気づく)」という言葉がいくつか使われていて、なぜかそれが頭に残っていたんだ。「気づく」のは「賢いから」じゃない。考えて理解するのではなく、自然と見えてくるもの……としての「気づき」が好きなんだ。それまでにも何度か試したけど、なかなか満足いくものにならなかった。だけど、少しずつ研ぎ澄まされていって「Do You Realize??」の基本部分ができた。「Do you realize?(気づいてる?)」と問いかけるシンプルな1行と、それに対する答えが繰り返される、あの部分さ。その頃にはすでにアルバム制作を進めていたから、この曲のサウンドはすぐにイメージできたし、特に苦労することもなかった。

でも、歌詞はただ思い浮かんだことを歌っているだけなんだ。自分自身のことを表現しようとか、感情を込めようとか、そういう意識はあまりない。「僕らは宇宙を漂っている」「君は世界一美しい顔をしてる」「知ってる人はみんな、いつか死んでしまう」……どれも普段の会話で誰とでも話すようなことだ。ただギターを弾きながら、僕の場合はいつもテープレコーダーを回しながら、何度も何度も歌って、コードや曲の構成を探っていく。

でも、すべてが自然に出てくるわけじゃない。考えなきゃいけない部分もある。ロマンチックな曲のサビで「世界は回ってる」「太陽は沈むわけじゃない、それは錯覚」と歌っていいんだろうか?と思ったりもした。もし、スティーヴンやデイヴ・フリッドマンの反応がイマイチだったら、変えていたと思う。自分では、それが素晴らしいのか、ただの思いつきなのか、わからないから。結局、誰かが反応してくれたり、感動してくれることで、「あ、これでいいのか」と思えるんだ。でも、だからと言って、この曲が特別に個人的だとか、普遍的だということじゃない。ただ言葉を並べて、それがちゃんと伝わることを願うだけ。

音楽を作っていると、常に何百万ものことが同時に起こってるわけだし(笑)、楽しい反面、ストレスもある。でもこれは別に自慢じゃなくて、僕はクリエイティブな人間だ。絵を描くのも、映像を作るのも、映画を撮るのも、音楽を作るのも好きだから、もし誰かに「君の曲、好きじゃない」と言われても、「まぁ、いいか」って思える。他にもやってることはたくさんあるし、みんなに「すごい!」って言ってもらうのが目的じゃない。ただ、作ること自体が楽しいからやってるんだ。

─「Do You Realize??」が今や作者の想像を遥かに越え、大切な人を失ったときに聴かれる曲の代名詞のようになって、あなたは戸惑ったようですね。僕も両親を続けて亡くした時期にこの曲を聴いて、心の深いところに触れた記憶があります。そんな風に作者の手を離れて独り歩きする強い力が、この曲には備わっていた、ということなのでしょうかね。

ウェイン:ああ! あの曲のあと、たくさんのアルバムを作ったが、スティーヴンと僕が書きたいと思うようになったのは「Do You Realize??」のような曲だった。僕らは実験的なバンドだから、常に新しい挑戦をする。でも何をやろうと、音楽には感情が込められていてほしい。僕ら自身、そういう音楽に最も心を動かされるし、そういう音楽を作ることが、常に僕らのテーマのひとつなんだ。コード進行やメロディ、言葉の選び方がハマると、それが自分の感情の中に火をつけ、出来上がる曲の指針になっていく。でも「この曲を作ったら、誰かが親を亡くしたときに共感してくれる」とか、そういうふうに考えて作るわけではない。それでも、そういう感情は自然と曲の中にある。音楽の最大の力はそこにあるんだ。本来、音楽は楽しいものだけど、最大の力は、人を支えてくれることだと思う。音楽は、そばに寄り添ってくれる人間のヘルパーなんだよ。

僕自身、音楽にそうやって支えられてきた。小4から小5に上がる夏のことだ。まだ携帯電話もない時代で、友達と連絡を取る手段もなかった。クラスに白血病の男の子がいたんだ……それがどれほど深刻なことなのか、本当のところは分かっていなかった。でも兄貴の友だちが白血病で亡くなったりして、そのクラスの白血病の子はどうなっちゃうんだろ?と思っていた。夏休みが終わり、学校に戻ったとき、彼の姿はなかった。先生がまるで彼がいるみたいに名前を呼んだけど、実際にはいなかった。そこで初めて、夏の間に彼が亡くなったんだと気づいた。実は、彼と僕が友達だったことは誰も知らなかった。病気のことを話したこともあった。あの時、ビートルズの「Strawberry Fields Forever」を聴いたのを覚えている。当時は「ジョン・レノンがポール・マッカートニーが死んだと歌っている」と信じてたんだ(筆者注:ウェインが小4~小5だった70年代初頭はポール死亡説が広まり、一部のファンの間で信じられていた)。そういう、友人や家族が亡くなることを歌った音楽が好きだったんだ。それが、誰にも言えなかった自分の小さな痛みを和らげてくれる気がしたからさ。それを聴くことで救われた。だから、自分でもそういう音楽を作りたいと思うようになったんだと思う。今では、「Strawberry Fields Forever」がポールの死についての曲じゃないことはわかっている。でも、今でも大好きな曲だし「ああいう音楽を作ってみたい」と思うようになったんだ。とはいえ、子供の頃に聴いた音楽ほど心に響く音楽を作るのは、絶対無理なんだけどね。それでも、音楽を作るのは楽しいし、それを形にして完成させることができるのは、本当にすごいことだ。

だから「Do You Realize??」が、そういう影響を与えることに驚きはない。でも「こんなにも受け入れられるようになるなんて!」という感じで、最初の頃は気恥ずかしかったかもしれない。「結婚式であなたの曲を流しました」なんて言われたら「やめてくれよ」と思うだろ(苦笑)。今は素敵なことだって思える。昔は何がクールで何がクールじゃないかなんて、勝手にルールを作っていたけど、それが間違いだった。人を助ける音楽のほうが、ずっとクールだ。正直、どうやったらそういう音楽を作れるのかはわからない。僕はただ、自分が興味のある音楽を作ってるだけ。でも、それが誰かにとって特別な曲になるなら、こんなに素晴らしいことはないって思う。

日本で知った「もっとマシな生き方」

─今回はマイケル・アイヴァンスとジェイク・インガルズが脱退してから初めての来日ですね。ツアーにはスティーヴンも参加していませんが、現在のメンバーでのライブは、これまでとどう変わってきていますか?

ウェイン:デレク・ブラウンはバンドに入って16年目だし、マット・カークシーとも長く一緒にやってる。リハーサルもたくさん重ねてきたから、僕らとしてはそこまで違和感はないんだ。もちろん、ずっといたスティーヴンがいないのは、みんなにとって違和感があるかもしれない。でも、彼のリハビリが長引くうちに、彼抜きでやるのが当たり前になってきた。フレーミング・リップスも、もうすぐ45年だ。それだけ続けていれば、そりゃいろんなことが起こるよ。でも、あまり先のことは考えずに、まずは目の前のライブをしっかりやろうって思ってる。夏はヨーロッパを回る予定だけど、もしスティーヴンが戻れるなら、その時に判断するつもりだ。

正直なところ、スティーヴンが死んでしまうんじゃないかと怖かったんだ。ドラッグも酒もやりすぎていて、このままバンドを続けさせたら、本当に無理なんじゃないかと思った。でも今は最悪の状態を抜けたようだから、あの時の判断は正しかったと思う。どうなるかは分からないけどね。1991年にスティーヴンと出会って以来、あいつはずっとドラッグと酒漬けだった。それでも演奏にはそこまで影響がなかったんだけど、去年の9月~10月のツアー終盤では、もう演奏すらできなくなっていた。僕らも、彼がまともにプレイできないことに慣れてしまったんだ。変な話、音楽もバンドもドラッグも、ずっと僕たちの人生の一部だったんだよ。

フレーミング・リップスが語る『Yoshimi』の真実、Corneliusとの邂逅、日本で知った「もっとマシな生き方」


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フレーミング・リップスが語る『Yoshimi』の真実、Corneliusとの邂逅、日本で知った「もっとマシな生き方」

2024年7月、ニューヨーク・Artpark Amphitheater公演のライブ写真(Photo by Blake Studdard)

─今回のツアーでは『Yoshimi Battles~』の全曲に加えて、隠れた名曲、お馴染みの曲も披露しているようですね。日本でも同様のセットリストになる?

ウェイン:アメリカだと休憩を挟んで3時間近くやるんだけど、東京ではCorneliusと一緒なんで、トータルで90分くらい。『Yoshimi Battles~』全曲……それで約1時間5分……と、その後30分くらいやるよ。『The Soft Bulletin』からの曲や「The Yeah Yeah Song」とか、ファンが期待する曲はだいたいやるし、それに加えて、ほとんど演奏したことがない曲も何曲かやる。どれもいい感じに仕上がってるよ。新しいギタリストは26歳と若いんだけど、10代からずっとやってて、すごいミュージシャンだよ。僕らはしばらく前から注目してたんだ。ファンはどんなサウンドになっちゃうんだろうと思ってるかもしれないが、彼がスティーヴンのパートもちゃんとこなすし、僕らもそれぞれ役割をこなすので、これまでと変わらぬフレーミング・リップスのサウンドを期待しててくれて平気だよ。

「Christmas At The Zoo 」(『Clouds Taste Metallic』収録)2024年のライブ映像

─新しいアルバムが長いこと出ていないのでファンは心待ちにしていると思いますが、リリースする計画はあるのでしょうか?

ウェイン:『Yoshimi Battles~』に関連するリリースが続いたじゃないか。巨大なボックスセットとか、何種類も出しちまったんで、新作は少し待つことにしたんだ。最初は『Yoshimi Battles~』のツアーを1年くらいやったら、通常の活動に戻るつもりだった。でも、気づけばもう3年目に突入してるんだよ。確かに、ずいぶん間が空いてしまった。かつては半年ごとにアルバムを出していた時期もあったけど(笑)、さすがに「ちょっと作りすぎじゃないか?」って自分達でも思ってね。それで、一度立ち止まることにした。それに、マネージャーのスコット・ブッカーが『Yoshimi Battles~』のボックスセットにすごく力を入れていて。あれは彼が10年かけて準備してきたものだ。だから、新しい音源を出すよりも、まずはそっちに集中するべきだと思ったのさ。でも新曲は書けているので、あとは形にする時間を見つけるだけだ。デイヴ・フリッドマンや他のプロデューサーとも作業したし、メンバーそれぞれにアイデアを出し合って作っているよ。

初来日は『Clouds Taste Metallic』を出した1995年でしたから、30年前になります。その時の会場は、今のあなたたちからは想像できないぐらい小さいライブハウスでした。初めて日本に来た頃から、現在までの間に、日本や日本の人々に対する印象はどのように変わってきましたか?

ウェイン:間違いなく言えるのは、あの頃と今の自分がまるで別人だってこと。初めての日本で、僕はショックを受けた。日本人の礼儀正しさや互いを尊重し合う姿勢は、アメリカの音楽シーンとは正反対だった。あの頃のアメリカは「何もかも嫌いだ」「全部クソだ」と言わんばかりで……笑ったり、親切にしたり、人を受け入れたりすると「ダサい」と思われるような風潮があった。正直言うと、僕だって傲慢で意地悪なやつは嫌いだったし、「もっとマシな生き方があるんじゃないか」と内心では思ってた。ただ、どうすればいいのかわからなかったし、音楽をやるために世界中を回っていると、そんなことを考える余裕もなかった。そして、初めて訪れた日本で「こんな生き方ができるんだ」と思わされた。しかも、そっちの方がずっといい。間違いなく、僕は変わった。社会の中でのあり方、人との接し方が、日本では全然違うってことを、この目で見て知ったんだ。この国の人たちはマクドナルドで働いている人にも、大統領と何ら変わらず、敬意を持って接する。「僕は日本にいる資格なんてない」と自分が恥ずかしかった。それ以来、変わったんだ。

それは僕たちの音楽にも影響を与えたし、『Yoshimi Battles~』はまさにそうした気づきに関する作品だ。この世界でどう生き、人を愛し、敬い、優しく接し、他人の痛みを感じるとはどういうことなのか、というね。日本で親しくなった女性がいたんだけど、僕は日本語がうまく話せなかったから、彼女が持病を抱え、余命が短いことを知らなかった。彼女もそれを誰にも言わなかったんだ。日本から帰国して、その女性が亡くなったと聞かされ、ものすごくショックを受けた。ついこの間まで一緒にいたのに。その時の気持ちを曲にしたのが「Its Summertime」だ。日本のことを直接歌ったわけじゃないけど、そんな背景があったからこそ、日本的なSFの要素をさらに突き詰めていった。YoshimiOに参加してもらったのも、そうした流れの一環さ。別に日本のカルチャーを描こうとしたわけじゃないが、日本らしさを表す存在と関わる手段の一つだった。

日本を訪れ、あれほど温かく迎え入れてもらえたことが、僕にとって大きな意味を持った。日本の食べ物や建築の美しさを賞賛する人は多いし、それももちろん素晴らしい。でも、僕にとって何より心に残ったのは、直接知り合えた人たちとの一対一のふれあいなんだ。それは今でも変わらない。日本が大好きだよ。もっと頻繁に行きたいけど、世界中を一気に回るわけにも行かなくて。最後に日本でライブをしたのはもう10年前だけど、つい数年前みたいに感じる。本当は毎年でも、できる限り日本で演奏したいくらいさ。

フレーミング・リップスが語る『Yoshimi』の真実、Corneliusとの邂逅、日本で知った「もっとマシな生き方」

The Flaming Lips × Cornelius
2025年3⽉26⽇(⽔)東京・Zepp Haneda(TOKYO)
2025年3⽉27⽇(⽊)東京・Zepp Haneda(TOKYO)
開場/開演:17:30/18:30
ゲストミュージシャン:YoshimiO
公演詳細:https://www.creativeman.co.jp/event/the-flaming-lips-and-cornelius/
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