Damons Yearの音楽を貫くのは、静寂と余白の美学。日常のなかに潜む孤独感を、囁くようなボーカルとミニマルな音像で描き出す。2019年には代表曲「Yours」で初恋にまつわる不安や執着をありのまま描き、Spotifyで再生回数1000万回を超えるヒットを記録。インディーシーンを越えて、大衆的な人気も獲得した。その後も2021年に『HEADACHE.』、2022年に『Mondegreen』という2枚のアルバムを発表。韓国の有名フェスにも出演しており、2025年には3作目のアルバムリリースも予定されている。
こう書くと順調なキャリアを歩んできたようだが、本人は「友達がおらず、ほとんど家にいる」”陰キャ”なのだと強調する。転機を迎えたのは2013年のこと。彼はひとりベッドルームにこもり、ほとんど楽器経験もないまま、手探りで自作曲を作り始めた。多くの共感を集める内向的な感性はどこからやって来たのか? これまでの人生について語ってもらった。
※取材協力:ディスクユニオン
※한국어 버전은 일본어 버전 뒤에 있어요.
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繊細な感性が育まれた過程
─日本にはよく来るんですか?
DY:旅行でもよく訪れていますし、仲のいい友達もいるので、たぶん20回くらいは来ていると思います。
─日本のカルチャーで興味のあるものは?
DY:洋服を見たり、美術館に行ったりするのが好きですね。ライブを観に行くこともあります。日本のアーティストだとカネコアヤノさん、betcover!!が好きです。
─映画もお好きなのでは? Damons Yearさんの曲にはイメージを喚起させる力があるので。
DY:以前もたまにやってたんですけど、特に今制作している新しいアルバムでは、映画をずっと流しっぱなしにしながら作業してるんです。音は消して、その映像に合わせてピアノでコードを弾いて、そこからメロディを作ってみるような感じで。「このシーンに合いそうな音楽ってどんな感じだろう?」って想像しながら作るんです。そのときよく観ていたのは、岩井俊二さんの『PiCNiC』や、ミシェル・ゴンドリーの『エターナル・サンシャイン』『her/世界でひとつの彼女』などですね。
─「Josee!」という2018年の曲は、映画『ジョゼと虎と魚たち』にインスパイアされたそうですね。どんなところに影響を受けたのでしょう?
DY:主人公の2人が抱いた感情に対して、自分もどこか重なるような経験をしたことがあって。あの映画とまったく同じ状況にいたわけじゃないけど、ものすごく共感したんです。女性の側も、男性の側も、いずれ別れざるをえないことはわかっている。
─その経験や感情を、どのように曲へと昇華させたんですか?
DY:私小説のような感じで表現できたらと思いました。あくまで個人的な物語として、聞き手にそっと届けられたらいいなって。
─Damons Yearさんの楽曲は、どれも内省的なストーリーを伝えようとしている印象です。ご自身ではどうお考えですか?
DY:どうでしょう……。もともとは、パーソナルな日記を綴るような感覚で曲を書き始めたんですが、気づけばそれが自分のスタイルとして定着していったような感じがします。
─多くのリスナーと同じように、私も「Yours」という曲でDamons Yearさんの存在を知りました。どんな曲を作ろうと思ったんですか?
DY:あの曲は、10代の頃に経験した初恋のなかで感じた不安を表現したものでした。何かを強く望んだときに、同時に湧いてくる不安……その感覚が曲全体のベースになっていて、ある意味で、自分らしさがいちばん出ている曲になったんじゃないかなと思います。メロディは明るいけれど、歌っている内容はそんなに明るくないんですよね。
単なる恋人への愛というよりは、人間関係全般における愛についての曲と言ったほうが近いかもしれません。
─Damons Yearさんの曲の多くが、「孤独」「不安」「欠落」といったものがテーマになっているように思います。そういうテーマや、曲中に漂う儚いフィーリングは、どこからやってくるのでしょう?
DY:それはやはり、自分自身のパーソナルライフに起因するものだと思います。本や映画からインスピレーションを得ることもありますが、結局のところ、自分がかつて似たような感情を抱いた経験があるからこそ、そうしたものに影響を受けたり、深く共感したりするのだと思うので。
僕はおそらく、子どもの頃からそうした感情にとても敏感だったんですよね。いわゆる”ガラスの時期”、ナイーブで心が壊れやすい時期を過ごしてきたからこそ、今もその感受性を強く持ち続けているような気がします。
─そう聞くと、どんな幼少期を過ごしてきたのか気になりますね。
DY:すごく内向的で、友達をうまく作れない子どもでした。自分から誰かに話しかけるのが苦手だったんです。だから、誰かが声をかけてくれるまでずっと待っていて、幼稚園でも2カ月くらいほとんど話さなかったこともありました。でも、誰かが声をかけてくれると、そこから急にすごく喋るようになって(笑)。そこは今でも変わってない気がしますね。
─幼い頃から音楽は好きだったんですか?
DY:5歳、6歳くらいのときはK-POPや ダンス・ミュージックが好きでしたが、それは自分で選んだという感じではなかったですね。初めて”シンガーソングライター”という存在に触れたのは9歳の頃。カナダに住んでいた従姉のお姉さんが、アヴリル・ラヴィーンの「Sk8er Boi」が入っているCD(アルバム『Let Go』)をプレゼントしてくれたんですけど、それが本当に衝撃的で。ああいうメロディとか、ロックっぽいサウンドをちゃんと聴いたのはそのときが初めてだったんです。友達には共感してもらえなかったけど、自分がどんな音楽を好きなのかを気づかせてくれた存在でしたね。
それ以来、似たような音楽をひたすら探し始めました。ちょうど運よく家にパソコンもあったので、いろんな洋楽を検索しては、片っ端から聴いて。聴く音楽の幅がどんどん広がっていきました。
─意外ですけどいいですね。その後はどんなのを聴いてたんですか?
DY:中学生とか高校生になる頃には、ビーチ・ハウスやスピリチュアライズドも聴くようになってました。逆にオアシス、グリーン・デイ、レディオヘッドみたいなバンドは、聴くのがけっこう遅かったんです。
─ビーチ・ハウスはドリーム・ポップの最高峰ですよね。
DY:アルバムでいうと、『Bloom』と『Thank Your Lucky Stars』をよく聴きました。それまでは、歌詞とかメロディとか、演奏の技術だったり、起承転結のある構成が重要だと考えていたんです。でも、ビーチ・ハウスの曲は、そういう起承転結がほとんどなくて、ただぼんやりと続いていくようなものが多いですよね。音楽によって空間や雰囲気を作り上げていくというか。そういう感覚を、彼女らの音楽で初めて味わったんです。
「新たな人生」が始まった決定的瞬間
─自分で音楽を作るようになったのはいつ頃だったんですか?
DY:23歳か24歳で、わりと遅かったんですよね。自分を特別な人間だと思ったこともなかったし、音楽の習い事もしてこなかった。ただの「音楽が好きな人」だったんです。
そんななか、2013年に(韓国の)Valley Rock Festivalにボランティアスタッフとして参加したんです。3日間ずっと現場にいて、いろんなミュージシャンを観たんですけど、当時は初めて聴くアーティストばかりで、かなり衝撃的でした。それまでバンド系の音楽は、イヤフォン越しにしか聴いたことがなかったんです。
特に驚いたのはThe xxで、心を打たれたというか……ステージの演出とか雰囲気とか、すごく印象に残っています。あまりにも素晴らしすぎて。お酒を飲んでいないのに酔っ払っている感じというか。脳内からドーパミンが噴出していたんだと思います(笑)。
─とにかく興奮したわけですね。
DY:そう、ちょっと嫉妬すら感じたんですよね。「自分もああいう存在になりたいのに、なんで自分にはなれないんだろう?」って。ふとそんなふうに強く思ったんです。それで、「じゃあどうしたら、あんなふうになれるんだろう?」って考えたときに……まずは「学校を辞めようかな」と思って。
─ええっ⁉︎
DY:その後も、あのとき感じた嫉妬心みたいなものがなかなか消えなくて。しばらくのあいだ、ひとりで悶々としていました。そして学校を辞め、ピアノの弾き方もよくわからなかったので、ネットでコード表を検索して、プリントアウトして、それを見ながらコードを練習し、好きな曲をたくさん耳コピして……。そうやって、「ああ、コード進行ってこういうことなんだ」って、ひとつひとつ手探りで学んでいったんです。
でも、最初の2年間くらいは、作った曲を翌日に聴いてみると「なんだこれ?」って思うようなものばかりで。全部捨てて、また作って、やり直して……ずっとその繰り返しでした。
それで、24歳くらいのときに鬱の症状がひどくなってきて。そのとき初めて、”自分のこと”を歌にしたような気がします。それまでは、どうやって曲を作ったらいいかわからなかったから、誰かの真似のようなものばかり書いてたんですけど、そのとき初めて、「これは自分が自分に向けて語りかけるような歌だな」って思える曲が書けたんです。その曲こそが、僕にとっての”最初の歌”だったと思います。

─2017年に発表されたデビュー曲「Couldn't Sleep」を聴いて、ご自身の感情や経験、それこそ鬱にまつわることも、曲を通じて昇華していた部分もあるのかなと感じました。他の曲も含めて、”自分の体験を音楽に託す”という意識はありますか?
DY:「Couldn't Sleep」を書いたのは、たぶん、自分の話を人にうまく伝えられなかったからだと思います。本当に正直な気持ちって、かえって人に言えなかったりしますよね。だからこそ、そういう想いを歌詞に込めることが自然と多くなっていったんだと思います。
誰の心のなかにも、言葉にできないものってありますよね。でも、それをずっと抱えたまま生きていくのって、すごくしんどいじゃないですか。だからこそ、歌詞にして外に出すことが、自分にとって健やかな方法なんじゃないかって。そう思うんです。
─歌詞を書くうえで大切にしていることは?
DY:まず、難しい言葉はなるべく使いたくないですね。僕自身、普段から難しい言葉をあまり使わないんです。むしろ、日常の中で自然に使っている言葉や口癖を、そのまま歌詞に落とし込むことが多い。そして、聴く人にとっても、まるで誰かが自分に直接話しかけているように感じられることが、すごく大事だと思っています。それは歌詞だけじゃなくて、メロディに関しても同じで、目の前の誰かに語りかけるような感覚を大事にしています。
─サウンド面についてはいかがでしょう? 最初に曲を作り始めた頃、「こんな音楽を作りたい」というイメージはあったんですか?
DY:正直、最初はそういう明確なプランはなかったと思います。当時の僕が演奏できたのは、シンプルなピアノ演奏だけだったので、それをメインにして、そこに感情の流れを支えてくれる何かを重ねるとしたら何がいいだろう?って考えたんです。で、「この曲にはリズムはなくてもいいな」と思ったので、じゃあストリングスだなって。それで弦を入れるようになりました。
─リズムよりムードを意識しようと考えたわけですね。
DY:自分はピアノをうまく弾けるわけではないけど、代わりにセッション・ミュージシャンの方に演奏してもらおうと思っても、それだとなんだか”自分らしくない”気がしたんですよね。だから、「できないことも、できないままやってみよう」って思ったんです。
ちょうどその頃、フガジの「I'm So Tired」という曲に出会って、すごく惹かれました。ただただ「疲れた」っていう、そのシンプルさがすごくよくて。ピアノの音さえも、どこか疲れて聴こえるんですよね。その空気感がたまらなく好きだったんです。
─少し話を戻すと、The xxの音楽には、「最小限のサウンドで深いエモーションを表現する」ための余白がありますよね。Damons Yearさんも余白を大切にしている印象です。
DY:当時は影響を受けたとは思っていなかったんですが、今振り返ってみると、僕が聴いてきた音楽って、どれもそうだった気がします。いわゆる「音で埋め尽くす」ような音楽というより、本当に必要なぶんだけ音が鳴っているような。ミニマルで、ひとつひとつの要素がきちんと浮かび上がる音楽。
強いメッセージをもつ曲ほど、むしろ楽器はそんなにいらなくなることもありますよね。だから僕も制作していると、”足す”よりも”引く”作業のほうが多くなるんです。結果的に、サウンドもコードもどんどんシンプルな方向に向かっている気がします。
─でも、The xxはメンバーが3人いますよね。彼らに衝撃を受けたのであれば、自分もバンドを始めるという発想もありえたと思うんですが。 なぜひとりで音楽をやろうと思ったんですか?
DY:友達がいなかったからですよ(笑)。
アルバムと初来日公演、壊れた感情と「希望の光」
─過去にリリースしたアルバム2作について聞かせてください。まずは2021年の1作目『HEADACHE.』について。
DY:『HEADACHE.』では、「愛すること」からくるストレスみたいなものをテーマにしたかったんだと思います。たとえば、何かを大切にしたいのに守れないときのストレス、何かを成し遂げたいのにうまくいかないときの焦り……そういう気持ちって、誰にでもありますよね。自分の力ではどうにもならない現実にぶつかったとき、自分の限界を越えたときに感じるストレスが、まるで『頭痛(HEADACHE.)』のように重くのしかかってくる。その感覚から、このアルバムは生まれたんです。
─2022年の2作目『Mondegreen 』のコンセプトは?
DY:『Mondegreen』というのは、もともと”聞き間違えた言葉”から生まれた名詞なんです。外国語を聞き間違えるようなことってありますよね。そんなふうに、同じ言葉を使っても、相手には違うふうに伝わってしまう……どれだけまっすぐ伝えようとしても、まったく信じてもらえなかったり。僕は、そういうすれ違いこそが、人間関係における『Mondegreen』なんじゃないかって思ったんです。その点にフォーカスして曲を書きました。
─2枚のアルバムを通じて、ミニマルな表現を保ちつつ、サウンドの幅を広げようとしている印象を受けました。音楽的にはどんな試みにトライしたのでしょう?
DY:これまでよりも内向的な音楽ではなく、もっと”叫ぶように”感情を外に出せたらと考えていました。ある瞬間にストレスが一気に爆発してしまうことってありますよね。そういうエネルギーを、バンドの力を借りて表現してみたかったんです。
それから最近は、自分が持っている”言葉の癖”を残したまま、音楽のスタイルだけを変えてみる、ということを意識するようになりました。つまり、全体のフォーマットやアプローチはそのままに、使う楽器を変えてみたり、ドラムやベースを加えてみたり、ピアノ以外の要素に置き換えてみる。そういった曲作りを続けています。
─現時点の最新シングル「THE BEACON OF HOPE (희망의 빛:希望の光)」は、単なる別れの曲というより、もっと深い感情や痛みを歌おうとしているように思いました。
DY:皮肉なことに、実際に存在している”光”ではなくて、「そうであってほしい」と信じ込もうとしている……ある意味では、すでに正気を失ってしまった語り手の視点から生まれた曲です。
この世界には”ルール”というものがあって、それを破った瞬間、社会的な死や批判が待っている。誰もがより良い人間であろうと努力して生きているけれど、それが崩れてしまう瞬間って、誰にでも起こりうると思うんです。
たとえば、本当に大切なものを失ってしまったとき……その瞬間に、これまで信じてきた”正しさ”や”ルール”は意味を失い、本能的に「ただ欲しいもの」だけを求めて突き進んでしまう。この曲はそんな”壊れてしまった感情”を描いたもので、そこはミュージックビデオの内容ともつながっています。
映像では、儀式のように何かを弔い、もう一度それを呼び戻そうとする――恋人にたとえるなら、その人は今も地球上には存在しているかもしれないけれど、 「かつて自分を愛してくれたあの人」は、もうこの世にはいない。だから、”いま目の前にいるその人”ではなく、記憶の中にいる”あの人”をどうにかして蘇らせようとする……本当はあり得ないことなんだけど、この曲の語り手にはもう、それを冷静に考える余裕すら残っていないんです。
だからこそ、ボーカルもわざとチューニングを外して歌いました。正気を失った人が、まっすぐ音程通りに歌うというのは、むしろ不自然だと思ったんです。その”ズレ”も含めて、あえて”狂気”が伝わりそうな表現に仕上げました。
─そういう曲を作ろうと思ったのは、韓国の社会で生きながら「これはおかしい」と思うことへの不満があったりするからなのでしょうか?
DY:そうですね……最近すごく感じるのは、キャンセルカルチャーがあまりにも身近なものになってしまったということ。でも、それがなぜかを考えてみると、僕らは「完璧でなければいけない」「なのに自分は完璧じゃない」という思いに、どこか追い詰められているような気がするんですよね。
実際には、みんな失敗を繰り返し、試行錯誤しながら生きているはずなんです。それなのに、お互いの失敗を認め合うというよりも、むしろ”正しさ”を押しつけ合っているような気がします。誰もが”完成された大人”ではないのに、あたかもみんな、人格的に完成されているかのような前提で社会が動いている。そして、何か問題が起きると、その人を一方的に裁くような空気が生まれてしまう。それって、ちょっと違うんじゃないかと思うんです。
─「THE BEACON OF HOPE 」と「TO THE UNDYING LOVER (죽지 않은 연인에게 )」のMVには、どちらも日本人モデルの岡本ゆいさんが出演しています。これにはどういう意図があったのでしょう?
DY:理由をはっきり言葉にするのは難しいですね。僕はいつも、直感で物事を決めるタイプなんです。たまたまInstagramで彼女を見かけたとき、一目見て「この人だ!」と感じました。僕が思い描いていたアルバムの世界観にぴったりだと思ったんです。
─その2曲も収録されるニューアルバムが今年発表される予定とのことですが、どんな内容になりそうですか?
DY:全13曲入りのアルバムで、1曲目と最後の曲はそれぞれ異なる”始まりの地点”として捉えてもらえたらと思います。アルバム全体は、その間――つまり、中心に向かって走り抜けていくような構成になっています。そしてちょうど真ん中には、このアルバム全体のテーマを反映するような、軸となる楽曲が配置されます。
─それは楽しみですね。4月の来日公演はバンドセットでの出演となるそうですが、どんな感じになりそうですか?
DY:「はじめまして」の挨拶みたいなライブになると思います。人前で歌うときは……スイッチをすべて切って、完全に入り込んでいくような感覚です。正直、いつもあんまり記憶がないんですよ。ライブが終わった後はもう何も覚えてないくらい、完全に集中しきってる状態に近いんだと思います。
そういえば以前、日本でライブを見ながら、「なんだか自分のコンサートみたいだな」って思いました。僕のライブでも、お客さんがほとんどリアクションをしないんです(笑)。だから、逆にちょっと落ち着くというか。「なんか馴染みがあるな」って思いました。
─Damons Yearさんの歌に聴き入ってしまう気持ちはよくわかります。韓国のファンも、きっと内省的な方が多いのでしょうね。
DY:音楽のイメージのせいかもしれないけど、周りの人たちが、なかなか僕に近づいてこようとしないような気がするんです。でも、僕はちょっと人見知りなだけで、話しかけてもらえれば、けっこう普通にしゃべるタイプなので(笑)。

BiKN presents
Damons Year Live in Tokyo 2025
日程:2025年4月14日(月)
会場:東京・新代田 FEVER
ゲスト:寺尾紗穂
チケット購入:https://fanlink.tv/dy2025

Interview
데이먼스 이어: 내면의 어둠과 희망의 빛
한국의 싱어송라이터 데이먼스 이어(Damons Year), 가 오는 4월 14일, 도쿄 신다이타 FEVER에서 첫 내일 공연을 연다(게스트: 테라오 사호 / 寺尾紗穂) .이에 앞서 그는 3월, 같은 한국 출신 뮤지션 전진희와 함께 디스크유니온에서 인스토어 라이브에 출연했다. 본 공연을 앞두고, 그와의 인터뷰가 성사되었다.
데이먼스 이어의 음악을 관통하는 것은 정적과 여백의 미학이다. 일상 속에 잠재된 고독감을 속삭이듯 낮은 목소리와 미니멀한 사운드로 담아낸다. 2019년에는 대표곡 「Yours」를 통해 첫사랑에 얽힌 불안과 집착을 솔직하게 풀어내며, Spotify에서 1,000만 회 이상의 스트리밍을 기록하는 히트를 달성했다. 이는 인디 씬을 넘어 대중적인 인기도 확보한 계기가 되었다. 이후에도 그는 2021년 『HEADACHE.』, 2022년 『Mondegreen』 두 장의 정규 앨범을 발표하며 꾸준한 활동을 이어왔다. 한국의 주요 페스티벌 무대에도 오르며 음악성을 인정받았고, 2025년에는 세 번째 정규 앨범 발매도 예정되어 있다.
겉으로 보기엔 순조로운 커리어를 걸어온 것처럼 보이지만, 정작 본인은 ”친구도 없고, 거의 집에만 있는” 진성 내향인이라고 강조한다. 전환점은 2013년에 찾아왔다. 그는 혼자 침실에 틀어박혀, 악기 경험도 거의 없는 상태에서 손으로 더듬듯 자작곡을 만들기 시작했다. 많은 이들의 공감을 불러일으키는 그 내향 감성은 과연 어디에서 비롯된 걸까? 지금까지의 삶에 대해 직접 들어보았다.
※취재 협력: 디스크유니온

섬세한 감성이 자라난 과정
─ 일본에는 자주 오시나요?
DY:여행으로도 자주 방문하고 있고, 친한 친구들도 있어서 아마 스무 번 정도는 온 것 같아요.
─ 일본 문화 중에서 흥미를 느끼는 분야는 무엇인가요?
DY:옷 구경을 하거나 미술관에 가는 걸 좋아해요. 공연도 보러 가고요. 일본 아티스트 중에서는 카네코 아야노(カネコアヤノ), 벳커버!!(betcover!!) 를 좋아해요.
─ 영화도 좋아하시죠? 데이먼스 이어 님의 곡은 이미지가 떠오르게 하는 힘이 있는 것 같아요.
DY:예전에도 가끔 그랬지만, 특히 지금 작업 중인 새 앨범에서는 영화를 계속 틀어 놓은 상태로 작업하고 있어요. 소리는 꺼두고, 그 영상에 맞춰서 피아노로 코드를 치며 멜로디를 만들어보는 식이에요. "이 장면에 어울리는 음악은 어떤 느낌일까?" 라는 상상을 하면서요. 그때 자주 본 영화는 이와이 순지(岩井俊二) 감독의 『피크닉(PiCNiC)』, 미셸 공드리(Michel Gondry)의 『이터널 선샤인(Eternal Sunshine of the Spotless Mind)』, 그리고 『her(그녀)』 같은 작품들이에요.
─ 2018년 곡 「Josee!」는 영화 『조제, 호랑이 그리고 물고기들(ジョゼと虎と魚たち)』에서 영감을 받았다고 들었습니다. 어떤 점에서 영향을 받으셨나요?
DY:주인공 두 사람이 느꼈던 감정에 저도 어딘가 공감되는 경험이 있었어요. 그 영화와 똑같은 상황에 있었던 건 아니지만, 굉장히 공감이 됐죠. 여성 쪽도, 남성 쪽도 언젠가는 헤어질 수밖에 없다는 걸 알고 있어요. 하지만 헤어지고 싶지는 않은 거예요. 그런 상황에서 솟아오르는 감정이라고 해야 할까요.
─ 그런 경험이나 감정을 어떻게 곡으로 승화시켰나요?
DY:자기 고백적인 소설처럼 표현할 수 있으면 좋겠다고 생각했어요. 어디까지나 개인적인 이야기로서, 듣는 사람에게 조용히 전해졌으면 해요.
─ 데이먼스 이어의 곡들은 전반적으로 내면적인 스토리를 전하려는 인상이 강한데, 본인은 어떻게 생각하시나요?
DY:글쎄요…… 처음에는 그냥 개인적인 일기를 쓰듯이 곡을 만들기 시작했는데, 어느새 그게 제 스타일로 굳어진 것 같아요.
─ 많은 리스너들과 마찬가지로, 저도 「Yours」 라는 곡으로 데이먼스 이어 님을 처음 알게 됐어요. 어떤 곡을 만들고 싶다고 생각하셨나요?
DY:그 곡은 10대 시절 처음 겪은 사랑 속에서 느꼈던 불안을 표현한 노래예요. 무언가를 간절히 원할 때 동시에 생기는 불안감…… 그 감정이 곡 전체의 베이스가 되었고, 어떤 의미에서는 제 자신다움이 가장 잘 드러난 곡이 된 것 같아요. 멜로디는 밝지만, 가사 내용은 그렇게 밝지만은 않거든요.
단순히 연인에 대한 사랑이라기보다는, 인간관계 전반에 대한 사랑을 이야기하는 곡이라고 보는 게 더 맞을지도 몰라요. 사랑이라는 감정에는 늘 불안이 따라붙잖아요…… 저는 그런 불안을 유난히 크게 느끼는 편이에요.
─ 데이먼스 이어 님의 곡들에는 고독, 불안, 결핍 같은 테마가 자주 담겨 있는 것 같아요. 그런 주제나 곡 속에 흐르는 덧없고 섬세한 분위기는 어디에서 비롯된 걸까요?
DY:그건 아무래도 제 개인적인 삶에서 비롯된 감정이라고 생각해요. 책이나 영화에서 영감을 받을 때도 있지만, 결국은 제가 예전에 비슷한 감정을 느꼈던 경험이 있기 때문에 그런 것들에 영향을 받거나 깊이 공감하게 되는 거겠죠.
저는 아마 어릴 때부터 그런 감정에 굉장히 예민했던 것 같아요. 흔히 말하는 유리 같이 나약한 시기, 마음이 쉽게 깨질 수 있었던 시기를 지나왔기 때문에 지금도 그 감수성을 강하게 지닌 채 살아가고 있는 것 같아요.
─ 그렇게 들으니, 어떤 어린 시절을 보내셨는지 궁금해지네요.
DY:정말 내성적이고 친구를 잘 사귀지 못하는 아이였어요. 제가 먼저 누군가에게 말을 거는 게 서툴렀거든요. 그래서 누군가가 먼저 말을 걸어줄 때까지 계속 기다리는 편이었고, 유치원에서도 두 달 정도 거의 말을 하지 않았던 적도 있었어요. 그런데 누군가가 말을 걸어주면, 그때부터 갑자기 엄청 말이 많아지곤 했어요(웃음). 그 부분은 지금도 별로 달라지지 않은 것 같네요.
─ 어릴 때부터 음악을 좋아하셨나요?
DY:다섯 살, 여섯 살쯤엔 K-POP이나 댄스 음악을 좋아하긴 했지만, 그건 스스로 선택해서 듣는다는 느낌은 아니었어요. 처음으로 싱어송라이터라는 존재를 접한 건 아홉 살 때였어요. 캐나다에 살던 사촌 누나가 에이브릴 라빈(Avril Lavigne)의 「Sk8er Boi」가 수록된 CD(앨범 『Let Go』)를 선물해줬는데, 그게 정말 충격적이었어요. 그런 멜로디나 록적인 사운드를 제대로 들은 건 그때가 처음이었거든요. 친구들한텐 그 감정을 공감받지 못했지만, 제가 어떤 음악을 좋아하는지를 깨닫게 해준 계기였어요.
그 이후로 비슷한 음악들을 계속해서 찾아 듣기 시작했죠. 마침 집에 컴퓨터도 있었던 덕분에, 온갖 팝 음악을 검색해서 닥치는 대로 들었어요. 듣는 음악의 폭이 점점 넓어져 갔죠.
─ 의외인데 좋네요. 그 다음에는 어떤 음악들을 들으셨나요?
DY:중학생이나 고등학생이 될 무렵엔 비치 하우스(Beach House)나 스피리추얼라이즈드(Spiritualized)도 듣기 시작했어요. 오히려 오아시스(Oasis), 그린 데이(Green Day), 라디오헤드(Radiohead) 같은 밴드는 꽤 늦게 접했죠.
─ 비치 하우스는 드림팝의 정점이라고 할 수 있죠. 데이먼스 이어 음악과 닮은 부분도 있다고 생각해요.
DY:앨범으로는 『Bloom(블룸)』과 『Thank Your Lucky Stars(땡크 유어 럭키 스타즈)』를 자주 들었어요. 그 전까지는 가사나 멜로디, 연주 기술이라든지 기승전결이 뚜렷한 구성 같은 게 중요하다고 생각했거든요. 그런데 비치 하우스의 곡들은 그런 기승전결이 거의 없고, 그냥 몽롱하게 이어지는 경우가 많잖아요. 음악이 공간이나 분위기를 만들어내는 방식이랄까. 그런 감각을 그들의 음악을 통해 처음 느꼈어요.
새로운 인생이 시작된 결정적 순간
─ 직접 음악을 만들기 시작한 건 언제였나요?
DY:스물세 살이나 스물네 살쯤이었는데, 꽤 늦은 편이었어요. 스스로를 특별한 사람이라고 생각한 적도 없었고, 음악 학원을 다닌 적도 없었거든요. 그냥 음악을 좋아하는 사람일 뿐이었죠.
그러던 중 2013년에 한국의 밸리 록 페스티벌(Valley Rock Festival)에 자원봉사 스태프로 참가하게 됐어요. 3일 내내 현장에 있으면서 여러 뮤지션들의 공연을 봤는데, 당시에는 대부분 처음 듣는 아티스트들이라 정말 충격이었어요. 그때까지 밴드 음악은 이어폰으로만 들어봤지, 당시 한국에서는 그런 스타일의 음악을 라이브로 볼 기회가 거의 없었거든요. 그런 음악을 직접 몸으로 경험한 건 그 페스티벌이 처음이었어요.
특히 놀랐던 건 디 엑스엑스(The xx)였어요. 마음을 완전히 빼앗겼달까……무대 연출이나 분위기 같은 게 너무 강렬하게 남아 있어요. 너무 완벽해서, 술도 안 마셨는데 취한 것 같은 느낌이었달까요. 머릿속에서 도파민이 분출되고 있었던 것 같아요(웃음).
─ 아무튼 엄청 흥분하셨던 거네요.
DY:맞아요. 심지어 약간의 질투까지 느꼈어요. 나도 저런 사람이 되고 싶은데, 왜 나는 저렇게 될 수 없을까? 그런 생각이 문득 강하게 들더라고요. 그래서 그럼 어떻게 해야 저런 사람이 될 수 있을까? 하고 생각했을 때……우선 학교를 그만둘까라는 생각이 들었어요.
─ 네⁉︎
DY:그 이후에도 그때 느꼈던 질투 같은 감정이 좀처럼 사라지지 않았어요. 한동안 혼자서 계속 고민하고 끙끙 앓았죠. 그리고 학교를 그만두고, 피아노를 어떻게 치는지도 잘 몰랐기 때문에, 인터넷에서 코드표를 검색해서 출력하고, 그걸 보면서 코드를 연습하고, 좋아하는 노래들을 귀로 듣고 따라치고…… 그렇게 하나하나 아, 코드 진행이라는 게 이런 거구나 하면서 손으로 더듬듯 배워나갔어요.
하지만 처음 2년 정도는, 하루 지나고 다시 들어보면 이게 뭐야? 싶은 곡들뿐이었어요. 다 버리고, 또 만들고, 다시 시작하고…… 그걸 계속 반복했죠.
그러다 스물네 살쯤에 우울증 증상이 심해졌어요. 그때 처음으로 자신의 이야기를 노래로 담아냈던 것 같아요. 그전까지는 어떻게 곡을 만들어야 할지도 몰라서, 그냥 누군가를 따라 한 듯한 곡들뿐이었는데,그때 처음으로 이건 내가 나 자신에게 말을 걸듯이 부르는 노래구나라고 느낄 수 있었어요. 그 노래가 아마 제게 있어서 처음의 노래였던 것 같아요.

─ 2017년에 발표된 데뷔곡 「재워 (Couldn't Sleep)」를 듣고, 데이먼스 이어님의 감정이나 경험, 우울증과 관련된 부분까지 음악을 통해 승화시킨 게 아닐까 하는 생각이 들었어요. 다른 곡들도 포함해서, 자신의 체험을 음악에 담는다는 의식이 있으신가요?
DY:「재워 (Couldn't Sleep)」를 썼던 건 아마 제 이야기를 사람들에게 잘 전달하지 못했기 때문이었던 것 같아요. 진짜 솔직한 마음일수록 오히려 사람들한테 말하기 어려울 때가 있잖아요. 그래서 그런 감정을 가사에 담게 되는 일이 자연스럽게 많아졌던 것 같아요.
누구의 마음속에도 말로 표현할 수 없는 감정이 있잖아요. 그걸 계속 안고 살아간다는 건 너무 힘든 일이니까요. 그래서 그런 걸 가사로 써서 밖으로 내보내는 게, 저에게는 건강한 방식이 아닐까 싶어요. 그렇게 생각해요.
─ 가사를 쓸 때 중요하게 생각하는 점은 무엇인가요?
DY:우선, 어려운 단어는 되도록 쓰고 싶지 않아요. 저 자신도 평소에 어려운 말을 잘 쓰지 않는 편이거든요. 오히려 일상 속에서 자연스럽게 쓰는 말이나 말버릇을 그대로 가사로 옮기는 경우가 많아요. 그리고 듣는 사람 입장에서도, 마치 누군가가 자기에게 직접 말을 걸어오는 것처럼 느껴지는 게 굉장히 중요하다고 생각해요. 그건 가사뿐 아니라 멜로디에 대해서도 마찬가지예요. 눈앞에 있는 누군가에게 말을 건네는 듯한 감각을 소중히 여기고 있어요.
─ 사운드적인 면에서는 어떠신가요? 처음 곡을 만들기 시작했을 때, 이런 음악을 만들고 싶다는 이미지가 있었나요?
DY:솔직히 처음에는 그런 명확한 계획은 없었던 것 같아요. 그 당시 제가 연주할 수 있었던 건 단순한 피아노 연주뿐이었기 때문에, 그걸 중심에 두고, 거기에 감정의 흐름을 받쳐줄 무언가를 덧붙인다면 뭐가 좋을까? 그런 고민을 했어요. 그리고 이 곡엔 굳이 리듬이 없어도 되겠다고 생각해서, 그럼 스트링을 넣자, 그렇게 해서 현을 쓰기 시작했어요.
─ 리듬보다는 무드를 더 의식하려고 했던 거군요.
DY:제가 피아노를 잘 치는 것도 아니고, 그렇다고 세션 뮤지션 분께 연주를 부탁하면 그건 또 뭔가 나답지 않다는 느낌이 들었어요. 그래서 못 하는 건 못 하는 대로 한번 해보자고 생각했죠.
그 무렵에 푸가지(Fugazi)의 「I'm So Tired(아임 소 타이어드)」라는 곡을 알게 됐는데, 정말 매료됐어요. 그냥 계속 피곤하다고만 말하는, 그 단순함이 너무 좋았어요. 피아노 소리조차 어딘가 지쳐 있는 것처럼 들리더라고요. 그 공기감이 너무 좋았어요.
─ 이야기를 조금 되돌리자면, 디 엑스엑스(The xx)의 음악에는 최소한의 사운드로 깊은 감정을 표현하는 여백이 있잖아요. 데이먼스 이어 님의 음악에서도 그런 여백을 중요하게 여긴다는 인상을 받아요.
DY:그 당시에는 영향을 받았다고 생각하지 않았는데, 지금 돌아보면 제가 들어온 음악들이 전부 그랬던 것 같아요. 소리로 가득 채우는 음악이라기보다는, 정말 필요한 만큼만 소리가 나는 음악. 미니멀하고, 하나하나의 요소가 또렷하게 드러나는 음악이요.
메시지가 강한 곡일수록 오히려 악기가 많이 필요 없어지기도 하잖아요. 그래서 저도 작업할 때는 무언가를 더하는 것보다 덜어내는 경우가 훨씬 많아요. 결과적으로 사운드도 코드도 점점 더 단순한 방향으로 가고 있는 것 같아요.
─ 하지만 디 엑스엑스 는 멤버가 세 명이잖아요. 그들에게 충격을 받았다면, 본인도 밴드를 시작해볼 수도 있었을 것 같은데요. 왜 혼자서 음악을 하기로 하신 거예요?
DY:친구가 없었으니까요(웃음).
앨범과 첫 내한 공연 이야기, 부서진 감정과 희망의 빛
─ 과거에 발표하신 두 장의 앨범에 대해 들려주세요. 먼저는 2021년에 나온 첫 번째 앨범 『HEADACHE.』에 대해.
DY:『HEADACHE.』에서는 사랑한다는 것에서 오는 스트레스 같은 걸 주제로 삼고 싶었던 것 같아요. 예를 들어, 무언가를 소중히 여기고 싶은데 지켜내지 못할 때의 스트레스, 무언가를 이루고 싶은데 잘되지 않을 때의 조급함…… 그런 감정은 누구나 느끼잖아요. 자신의 힘으로는 어쩔 수 없는 현실에 부딪혔을 때, 자기 한계를 넘었을 때 느껴지는 스트레스가 마치 두통(HEADACHE.)처럼 무겁게 짓눌러 오는 거예요. 그 감각에서 이 앨범이 시작됐어요.
─ 2022년 두 번째 앨범 『Mondegreen』의 콘셉트는 무엇이었나요?
DY:『Mondegreen』이라는 단어는 원래 잘못 들은 말에서 유래된 명사예요. 외국어를 잘못 듣는 경우 있잖아요. 그런 식으로, 같은 말을 해도 상대에게는 다르게 전달되는 경우…… 아무리 진심으로 전하려고 해도 전혀 믿어주지 않거나 할 때가 있죠. 저는 그런 엇갈림이야말로 인간관계 속에서의 Mondegreen이 아닐까 생각했어요. 그 부분에 집중해서 곡을 썼어요.
─ 두 장의 앨범을 통해 미니멀한 표현은 유지하면서도, 사운드의 폭을 넓히려는 인상을 받았어요. 음악적으로는 어떤 시도를 하셨나요?
DY:예전보다 내향적인 음악이 아니라, 좀 더 외치는 듯한 감정 표현을 해보고 싶었어요. 어떤 순간에 스트레스가 한꺼번에 폭발하는 일이 있잖아요. 그런 에너지를 밴드의 힘을 빌려서 표현해보고 싶었죠.
그리고 요즘엔, 제가 가진 말의 습관을 그대로 둔 채 음악 스타일만 바꿔보는 걸 의식하게 됐어요. 즉, 전체적인 형식이나 접근 방식은 그대로 두고, 사용하는 악기를 바꿔본다든지, 드럼이나 베이스를 추가해본다든지, 피아노 이외의 요소로 대체해보는 거예요. 그런 식의 곡 작업을 계속 이어가고 있어요.
─ 현재 시점에서 가장 최근 싱글인 「THE BEACON OF HOPE(희망의 빛)」은 단순한 이별 노래라기보다는, 더 깊은 감정이나 아픔을 노래하려 했다는 인상을 받았어요.
DY:아이러니하게도, 실제로 존재하는 빛이 아니라, 그랬으면 좋겠다는 믿음을 강제로 쥐고 있는…… 어떻게 보면 이미 제정신이 아닌 화자의 시점에서 만들어진 곡이에요. 이 세상에는 룰이라는 게 있고, 그것을 어기는 순간 사회적인 죽음이나 비난이 따르죠. 모두가 더 나은 사람이 되려고 노력하면서 살아가지만, 그게 무너지는 순간은 누구에게나 찾아올 수 있다고 생각해요.
예를 들어 정말 소중한 무언가를 잃어버렸을 때…… 그 순간에는 지금껏 믿어온 옳음이나 규칙이 의미를 잃고, 본능적으로 그냥 갖고 싶은 것만을 향해 돌진하게 되잖아요。 이 곡은 그런 망가져버린 감정을 그린 곡이고, 뮤직비디오의 내용과도 연결돼 있어요.
영상에서는 의식처럼 무언가를 애도하고, 그것을 다시 한 번 불러오려는 모습이 등장하죠. 연인에 비유하자면, 그 사람은 아직 지구상 어딘가에 존재하고 있을 수도 있어요。 하지만 예전에 나를 사랑해줬던 그 사람은 이미 이 세상에 없는 거예요。 그래서 지금 눈앞에 있는 사람이 아니라, 기억 속에 있는 그 사람을 어떻게든 다시 되살리려 하는 거죠。 사실은 절대 불가능한 일이지만, 이 곡의 화자에게는 이미 그걸 이성적으로 생각할 여유조차 남아 있지 않아요。
그래서 보컬도 의도적으로 튠이 맞지 않게 불렀어요。 제정신이 아닌 사람이 똑바로 음정대로 노래를 부른다는 게 오히려 부자연스럽다고 느꼈거든요。 그 어긋남까지 포함해서, 일부러 광기가 느껴질 수 있도록 표현했어요。
─ 그런 곡을 만들게 된 건, 한국 사회에서 살아가면서 이건 좀 이상하다고 느끼는 것들에 대한 불만이 있었기 때문일까요?
DY:그렇죠…… 요즘 정말 많이 느끼는 건, 캔슬 컬처가 너무 당연하게 여겨지는 분위기가 됐다는 거예요. 그런데 왜 그런가를 곰곰이 생각해보면, 우리 모두가 완벽해야 한다는 생각과 그런데 나는 완벽하지 않다는 괴리 사이에서 어딘가 몰리고 있는 것 같아요.
실제로는 다들 시행착오를 겪고, 실수도 하면서 살아가고 있잖아요. 그런데 서로의 실수를 인정하기보다는, 오히려 옳음을 강요하고 있는 느낌이에요. 누구도 완성된 어른이 아닌데, 마치 모두가 인격적으로 완성된 사람인 것처럼 전제하고 사회가 움직이고 있어요. 그리고 어떤 문제가 생기면, 그 사람을 일방적으로 단죄하는 분위기가 생기죠. 그건 뭔가 좀 다르지 않나 싶은 거예요.
─ 「THE BEACON OF HOPE」와 「TO THE UNDYING LOVER(죽지 않은 연인에게)」의 뮤직비디오에는 모두 일본인 모델 오카모토 유이(岡本ゆい) 씨가 출연하고 있어요. 여기에 어떤 의도가 있었던 건가요?
DY:명확하게 말로 설명하기는 어렵네요. 저는 늘 직관적으로 결정하는 타입이라서요. 우연히 인스타그램에서 그녀를 봤을 때, 단번에 이 사람이야!라는 느낌이 왔어요. 제가 떠올리고 있던 앨범의 세계관과 너무 잘 어울린다고 생각했어요.
─ 그 두 곡도 수록될 새 앨범이 올해 발표될 예정이라고 들었는데, 어떤 내용이 될 것 같나요?
DY:총 13곡이 수록된 앨범이고, 1번 트랙과 마지막 트랙은 각각 다른 시작점으로 받아들여졌으면 해요. 앨범 전체는 그 사이――즉, 중심을 향해 달려가는 듯한 구성으로 되어 있어요. 그리고 딱 가운데에는 이 앨범 전체의 테마를 반영하는, 축이 되는 곡이 배치돼 있어요.
─ 정말 기대되네요. 4월 내한 공연은 밴드 셋업으로 진행된다고 들었는데, 어떤 느낌이 될까요?
DY:처음 인사드립니다 같은 공연이 될 것 같아요. 사람들 앞에서 노래할 때는…… 모든 스위치를 끄고, 완전히 몰입해 들어가는 느낌이에요. 솔직히 말하면, 항상 거의 기억이 없어요. 공연이 끝나고 나면 아무것도 기억나지 않을 정도로 완전히 집중한 상태에 가까운 것 같아요.
그러고 보니 예전에 일본에서 공연을 보면서, 왠지 내 콘서트 같다는 생각이 들었어요. 제 공연에서도 관객들이 거의 리액션을 하지 않거든요(웃음). 그래서 오히려 좀 차분해진다고 할까요. 뭔가 익숙한 느낌인데 싶었어요.
─ 데이먼스 이어님의 노래는 저절로 빠져들게 되니까요. 한국 팬들도 아마 내향적인 분들이 많을 것 같아요.
DY:음악의 이미지 때문일지도 모르지만, 주변 사람들이 저한테 잘 다가오려 하지 않는 느낌이 있어요. 그런데 사실 저는 그냥 조금 낯을 가리는 편일 뿐이고, 말 걸어주면 꽤 평범하게 잘 얘기하는 타입이에요(웃음).

BiKN presents
데이먼스 이어(Damons Year) Live in Tokyo 2025
일정: 2025년 4월 14일 (월)
장소: 도쿄 신다이타 FEVER(피버)
게스트: 테라오 사호(寺尾紗穂)
티켓 구매: https://fanlink.tv/dy2025