1960年代末のブラジルで発生した前衛芸術運動=トロピカリアは、ヒッピー・ムーブメントに代表される同時代の欧米のトレンドと共振しつつ、自国の伝統文化を時の軍事政権やグローバリズムへの抵抗の手段として用いるという特異な性質を有していた。

オズワルド・デ・アンドラーデが1920年代に発表した「食人宣言」に端を発し、ロックやフォークを巧みに飲み込みながら、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルなど時代に楔を打つ声が若者の中から高速で飛び出してきた、ごく短い季節。
その主要人物たちは弾圧によりブラジル国外への亡命を余儀なくされ、1970年代のはじめにはムーブメントが沈静化したという見方が大勢を占めている。

それから半世紀以上が経過した現在。今もトロピカリアの精神は形を変えながら息づき、文化に新しい風を吹き込んでいる。フィリペ・カット(Filipe Catto)の言葉とアティチュードは、そう断言せざるを得ないほどのエネルギーで満ちているのだ。切れ味の鋭いパンク・サウンドとファルセット・ボイスを武器に、フィリペは20年以上のキャリアで数々のリヴィング・レジェンドたちと共演を果たしてきた。またLGBTQIA+コミュニティの当事者としての芸術活動を引き受けており、ヴィジュアル面から強烈に訴求するライブパフォーマンスは本国で高い評価を得ている。

そんなフィリペ・カットが4月19日(土)に開催されるKYOTOPHONIEに出演、コムアイ with 小林七生(FATHER)とのダブル・ヘッドライン公演を行う。本公演においてフィリペが歌うのは、トロピカリアの中心的なシンガーであると同時に、ブラジルのLGBTQIA+コミュニティにおける開放的なアイコンであったガル・コスタのレパートリーだ。フィリペは彼女の没後に開かれたトリビュート・コンサートで歌い手を務め、翌2023年にはカバーアルバム『Belezas São Coisas Acesas por Dentro』を発表している。様々な年代/ジャンルを跨いだガルの楽曲群をソリッドなロック・サウンドで再解釈した内容は大絶賛を持って迎えられた。KYOTOPHONIEでの公演もアルバムと同編成によるショーが予定されている。

今回は初の来日公演となるKYOTOPHONIEに合わせたインタビューを敢行。
その影響源やキャリアの動線、そしてガル・コスタと現在のブラジルのLGBTQIA+コミュニティを取り巻く状況を絡めた質問まで、フィリペは滔々と答えてくれた。自らを「トロピカリアの帰結」と位置付けた稀代のロックスターによる、ブラジルの現在を縁取るための、身体性に満ちた濃密なテキストだ。その深い洞察は、地球の反対側に居を構える私たちにとってもクリティカルな視座を与えるものであると、確信を持って言うことができる。(※取材:風間一慶/協力:柳樂光隆)

ロックとブラジル音楽の交点にあるアイデンティティ

─ご自身の幼少期について教えてください。ポルト・アレグレで育ったと伺いましたが、どのような環境だったのでしょうか?

フィリペ:私はブラジル南部のリオグランデ・ド・スル州の内陸部で生まれ、州都であるポルト・アレグレで育ちました。音楽的な家庭で、父がミュージシャンで、兄も音楽をやっていました。ですから、家の中には常に音楽が流れていたんです。ブラジルでは日常的に音楽に触れる機会が多く、人々は一日中音楽を聞いて過ごしています。私自身も、学校にいないときは、家でテレビやラジオをつけているような子どもでした。

思えば私は、インターネットが普及し、ブラジル国内でも海外音楽の消費が非常に活発だった、まさに「開かれた時代」を生きてきました。テレビドラマやラジオで流れていたのは主に外国の音楽だったんです。それらは非常にセンセーショナルで、例えば当時のブラジルにはブリトニー・スピアーズのようなディーヴァはいなかったのですが、MTVなどを通じてその存在が広まってから、ブラジル国内でも少しずつ似たようなアイコンが出てくるようになったんです。
それはアニメ文化においても同じです。ブラジルのテレビで放映された日本のアニメを見ることは未知の物語や価値観に触れる体験でした。

同時に、ポルト・アレグレのロックシーンにも深い影響を受けました。実はロックの伝統が息づいている都市で、私の10代はそのシーンと共にあったんです。PJハーヴェイやフィオナ・アップルといったアーティストに惹かれるのも、きっとその背景があるからでしょう。彼女たちのような存在から受けた影響と、私がリアルに体験した地元のロック・シーンとが結びついて、私の音楽的表現が育まれていったんです。そしてそのルーツは、今でも作品の中にしっかりと生き続けています。故郷との強いつながりが、私のアイデンティティの核になっているのです。

─今でも強い影響を感じているバンドやアーティストはいますか?

フィリペ:はい、たくさんいます。私にとっての影響というのは、情緒に根ざしたものを指します。「この曲みたいな音楽を作ろう」と意識して真似るようなことはあまりありません。私の中には「感情のライブラリ」とでも呼ぶべきものがあって、それらを今でもずっと聞き続けています。
それはPJハーヴェイやフィオナ・アップル、アラニス・モリセット、ホールなど、10代のころに強く憧れていた存在です。デペッシュ・モードやザ・スミスなども聞いていましたね。

だからガル・コスタやマリア・ベターニア、マリーナ・リマといったブラジルの歌手たちを吸収し始めたのは、もう少し大人になってからなんです。技術的な意味で「歌うこと」を学び直していた時期に、彼女たちの作品と向き合うようになりました。

そして最終的には、そのふたつの世界の間でバランスを取ることが、私自身の表現になっていったんです。どちらに寄りすぎることもなく、その交点にあるものが、私にとっては自然な表現でした。例えばマリア・ベターニアとPJハーヴェイを並べてみたとき、表現のドラマ性という点で、実はとても通じるものがあると思うんです。そのようにして両者は私の影響源として存在しています。

フィリペ・カットによるPJハーヴェイ「Down By The Water」とガル・コスタ「Vaca profana 」のカバー。2023年に始まったライブ映像シリーズ「Love Catto Live DELUXE」では、MPBや新旧ロックなど幅広いレパートリーを独自の解釈で歌唱

─最初は主に海外の音楽に触れていて、その後にブラジルの音楽に回帰されたと。改めてブラジル音楽を深く聞くようになったとき、どのような印象を持たれましたか?

フィリペ:まず、私にとって、1960~80年代のMPB(ブラジルのポピュラーミュージック)などは「親の音楽」でした。父や母が日常的に家で聴いていたけれど、思春期の私にとってはピンとこなかった。
当時の私はそれを理解するだけの成熟していなかったんですね。

ただ、ロックに夢中になり、音楽そのものへの関心が深まるにつれて、自然と好奇心が広がっていきました。そして自分のすぐそばに、こんなにも豊かな音楽が存在しているということに気づいたんです。

それは学習のプロセスでもありました。そこにある歴史を理解し、背景を調べ、自分自身のルーツに触れていく。ブラジルでは自国の文化をきちんと認識する機会って意外と少ないんです。私たちに提供されるものは、どうしても市場主義的なものに偏りがちで、本当に豊かな文化や芸術に出会うには、自分から探しに行く必要があるんです。「ゴンザギーニャとは誰か?」「カエターノ・ヴェローゾとは何者か?」といった問いにきちんと答えるには、学びとリサーチが欠かせない。そうして私は、自分自身の音楽的なアイデンティティと、ブラジル文化の深層との繋がりを築いていきました。

LGBTQIA+コミュニティと「私たち」の闘い

─最初のEP『Saga』(2009年)は、タンゴを取り入れたクラシカルな作品でしたが、その後の1stアルバム『Fôlego』(2011年)では、よりロックの要素が取り入れられています。この変化にはどのような意図があったのでしょうか?

フィリペ:実のところ、最初のEPこそが私にとっての「逸脱」だったと言えるのかもしれません。というのも、ロックがルーツにある私にとって、『Saga』は音楽的な探究の一環として作った作品なんです。
南部の文化に根差したタンゴやボレロなど、自分の根底にあるロマンティックな音楽の本質を理解したいという気持ちが当時はあったんです。ただ、それは必ずしも「自分の居場所」ではありませんでした。むしろ、私はロックシーンの仲間たちのほうに居場所を感じていたんです。

『Saga』はとても特異な作品で、あれ以上のことを続けるのは困難でした。今でもライブでは『Saga』の楽曲を歌っていますが、その都度アレンジを変えて、時代に合わせてアップデートしながら演奏しています。ただ、それも含めてとても愛している一枚です。

──2021年のライブ・アルバム『O Nascimento de Vênus Tour』についても教えてください。ご自身のジェンダー・アイデンティティを公表された後にリリースされた作品でしたが、このツアーにはどのようなコンセプトがあったのでしょうか?

フィリペ:このツアーは狂気のような体験でした。そして、おそらく私がこれまでに手がけたなかでも、もっとも魔法のような瞬間でした。

出発点となったのは『CATTO』(2017年)というアルバムです。この作品は、私自身がとても自由な気持ちで、自分の友人たちと一緒に作ったものであり、人生の中でも大きな解放を感じていた時期の産物です。それ以前の作品制作はどこか「探求」に近い作業でしたが、『CATTO』では自分の仕事を自分の手に取り戻せた感覚がありました。
なので、ツアーでも自分の欲望を全て許すことができたんです。これまでの楽曲たちを新たな視点で見つめ直し、今の私の人生にふさわしい形でアップデートする。まるで自分の歴史に新しい命を吹き込むような作業でした。

─『CATTO』がリリースされた前後は、法整備を含めブラジル国内でLGBTQIA+コミュニティの状況に変化が生じた時期でもあります。そのような情勢はご自身の作品に何か影響を与えたのでしょうか?

フィリペ:ブラジルはLGBTQIA+に関して大きな矛盾を抱えてきて、それは現在も続いています。トランスやノンバイナリーの人々に対する暴力が世界で最も深刻な国のひとつである一方で、私たちの文化は歴史的に多くのトランスの人々によって支えられてきたんです。ただし、それは常に「例外」として扱われてきました。

『CATTO』を発表した時期には、そうした状況が少しずつ動いている実感がありました。ちょうど2010年代の初めくらいから、ブラジルにおけるLGBTQIA+コミュニティの可視化が大きく進展し、政治的な意思を持った運動が盛んになりました。私自身もその渦中で視野が大きく開かれていったんです。個人的な闘争だと思っていたものが、実は「私たち」の闘いでもあったのだと、初めて実感できた。それは非常に大きな変化でした。

『CATTO』は表立って政治的な作品というより、むしろ「自分であること」を祝福するような、享楽的な要素が強い作品です。ただ、その「自分であること」が、すでに深く政治的な意味を持っているんです。今のブラジル、あるいは世界全体の状況において、私のような立場にあるアーティストが「政治的でない」なんてことは、もはや不可能なんです。存在すること自体が、すでに発言であり、立場の表明なのだと思います。

トロピカリアを継承するトランス・ロックスター、フィリペ・カットが語る反逆と越境のブラジル音楽史

Photo by Ivi Maiga Bugrimenko

ガル・コスタを再訪する意味「混淆によって自己を示す」

─ガル・コスタの楽曲を取り上げたアルバム『Belezas São Coisas Acesas por Dentro』についても教えてください。どのような経緯で制作に至ったのでしょうか?

フィリペ:ガル・コスタが亡くなって間もない頃、「サンパウロで彼女に捧げるトリビュート・コンサートをやりませんか?」と声をかけていただきました。ブラジルにはアーティストへのオマージュやトリビュートを行う文化が根強くあり、そうしたかたちで作品や人生を讃えることが大切にされています。そこにはそれなりの重みもありましたが、何よりも彼女への献身の気持ちで私は臨みました。

そして、それは「祝祭」でもありました。パンデミックを越えて、ようやく人々が再び集い、音楽を通じて共に過ごせるようになったタイミングだったんです。その上、当時はルーラ大統領が再選したばかりで、国全体が長く厳しい時代から抜け出して、新しい空気を吸おうとしていました。だからこそ、ガルが体現していた奔放さや野生的な感覚が、とても意味のあるものであったかのように感じられたんです。過去を見送り、未来に向かって歩き出すための儀式のようでもありました。

当初は3公演だけの予定でした。ただ、初日のステージに立った瞬間、何かとても大きなものが動いていると感じたんです。これは記録せずにはいられない、作品として残さなければならない。そう思わせられるほど、深く胸を打たれました。だからこのプロジェクトを「リスナーへの贈り物」としてアルバムにしました。

『Belezas~』全曲試聴ヴィジュアライザー

─『Belezas~』にはガル・コスタ自身の作詞作曲ではない楽曲も含まれていますが、それでもすべての楽曲が「あなたに歌われる必然がある」と感じました。どのような想いで選曲されたのでしょうか?

フィリペ:なんて素敵なお言葉でしょう、ありがとうございます。ご存じのとおり、ガル・コスタは自身で積極的に作詞作曲を行うアーティストではありませんでした。もちろん、いくつか自身で書いた楽曲もありますが、彼女の本質は「歌い手=インタープリター」であって、彼女の作品は、その時代における最良の詩や音楽を選び抜いたアーカイブのようなものだと思うんです。カエターノ・ヴェローゾ、トン・ゼー、ジルベルト・ジル、シコ・ブアルキといった有名な作曲家たちだけでなく、ジャルズ・マカレー、ハウル・セイシャス、さらにはアントニオ・シセロとアルトゥール・ノゲイラのような、よりアンダーグラウンドな存在の作品まで手がけていました。1960年代から亡くなる直前の2022年まで、時代ごとの最先端を歌い続けていた彼女のレパートリーは、実に広く、そして深いものです。

ですから、彼女にオマージュを捧げようと考えたとき、最も難しかったのは「いったいどのガル・コスタを歌うのか?」ということでした。ボサノヴァ時代のガル、トロピカリアのガル、サンバのガル、90年代のガル、2000年代のガル、テレビドラマで流れたガル……。彼女の表現には、本当にたくさんの「顔」があるんです。

そんな中で、私は「ライブ・パフォーマンスとしての演劇性」を重要視しました。一曲一曲が次の曲へと自然に繋がり、まるで一本の物語のように展開していく。そんな、ある種のテキストのような構成にしたかったんです。そのためにギターとベースとドラム、そしてひとりの歌い手という、原初的かつ骨太なクラシック・ロックの編成を組みました。ガル・コスタの身体性や自由への欲望、そして反逆精神といった要素を捉え、「ロックのカノン」として作品を組み立てたんです。

クラシックを歌うというのは、単に過去をなぞるのではなく、自分自身の人生を詩的に語るための手段なのだと思います。だから私は『Belezas~』で、自分の個人的なテキストを、ガル・コスタのレパートリーという普遍的な言葉で綴ったつもりなんです。

フィリペ・カットによるカバー、ガル・コスタの原曲、その他アーティストによるカバーを交互に並べたプレイリスト(筆者作成)

─ガル・コスタの参加したトロピカリア運動は、マリア・ベターニアやリタ・リーといった女性アーティストたちが重要な役割を果たした運動でもありました。このムーブメントを現在の視点から捉えた時、私たちが学ぶべき点や再評価できる部分はあると思いますか?

フィリペ:私たちはトロピカリアの帰結、あるいはその継承者なのだと思っています。

あの運動が始まった当時、ブラジルはまだ世界から隔絶された場所で、自らを表現するための言語を模索している最中でした。トロピカリアはそんな状況の中で、ビートルズやローリング・ストーンズといったロックの要素と、バイーア地方のバイオンや丘の上から響くサンバ、それにジルベルト・ジルらが持ち込んだ地方のリズムなど、あらゆる文化を融合させようとしました。その背景には、1922年のモダニズム運動──具体的にはマリオ・デ・アンドラーデやオズワルド・ヂ・アンドラーヂといった人物たちの思想──も息づいており、「分離」ではなく「混淆」によってブラジルというものを定義しようとする前衛的な姿勢があったと思います。

そして私たちもまた、違った形で同じ問いを生きているのではないでしょうか。例えばアニッタがスペイン語でレゲトンを歌い、世界的なポップスターとして活動していることも、ある意味で現代のトロピカリアと言えるのかもしれません。彼女のように、混ざり合いながら自己を示すという動きは、様々なリズムを通じて現れていると思います。

『Belezas~』において特に強く意識したのは、トロピカリアが生まれた時代の切実さなんです。あの時代は、軍事政権による芸術家の抑圧、表現の制限、そして文化の破壊といった状況の中にありました。そして今、私たちもまた別の形で、そうした政治的抑圧を経験してきたばかりです。近年のブラジルの政権も、文化を破壊し、芸術を沈黙させるような方向に進んでいました。全体主義において、文化はいつも最初に傷つけられるんです。

だからこそ、私たちの世代が「再びここにいる」という姿勢を示すこと。それ自体が、かつてのトロピカリアにも通じる「挑発」であり「反撃」なのだと思います。そして、今それを、トランスジェンダーの身体と声で歌うという行為は、同じ精神を持ちながらも、まったく新しい地平を切り開くものでもあります。トロピカリアが蒔いた種は、今の混沌とした、多様でありながら時に狂騒的なブラジルに、しっかりと芽吹いている。私はそう信じています。

ブラジルの「裏側」にも光を当てる

─音楽のみならず、ガル・コスタはブラジルの文化全体にとっても重要な存在でした。『Índia』(1973年)のジャケットが軍事政権下で検閲されたこともありましたね。それでも彼女は国外に逃れることなく、ブラジルで生活することを選びました。こうした姿勢は、あなたにとって何か影響を与えていますか?

フィリペ:えぇ、とても大きな影響を受けています。ガルはとても賢いので、抑圧的な状況の中で表現を続けられる方法をよく理解していたんだと思います。もちろん、彼女が作詞作曲を行うタイプではなかったことも関係していたかもしれません。カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルのように、明確な言葉で政治的な内容を歌にしていたアーティストは、より直接的に狙われやすかったですから。彼らは実際に亡命も経験しています。
ただ、ガルは「歌い手」であるからこそ、詩や身体表現、衣装、照明、そして声を駆使して、歌に込められた意味を新たに浮かび上がらせることができた。軍事政権下におけるアーティストたちは、読み替えと暗示を駆使しながら、抑圧の中でも声を上げ続けていたのだと思います。

彼女は、自らのセクシュアリティや美しさを武器として、社会に対する変革のメッセージを発していたんです。ただ魅せるためではなく、それを通して世界を変えようとしていた。その在り方はとても前衛的で、挑発的で、まさに「越境する存在」でした。

その姿勢には、私自身と通じるものがあると感じています。実はこのプロジェクトを引き受ける決断をした時、私の中にあった強い動機のひとつが「ガル・コスタの身体の反逆性」について語りたいという願いでした。また、私の身体やパフォーマンスは、常にどこかで社会に対する問いや挑戦を含んでいると思っているんです。それを受け入れて、表現として昇華していくという点で、ガルと私はとても近い感覚を共有しているのではないかと思います。

トロピカリアを継承するトランス・ロックスター、フィリペ・カットが語る反逆と越境のブラジル音楽史

ガル・コスタ『Índia』のジャケット、フィリペ・カット『Belezas~』の裏ジャケット

─ジルベルト・ジルが「Pai e Mãe」で直接的に言及したように、1970年代に入るとトロピカリアのアーティストたちは楽曲の中でクィア的な表象を取り入れ始めました。そうした彼らの姿勢も、ご自身のキャリアに影響を与えていると感じますか?

フィリペ:はい。詩的にも、そして社会的な意味においても、私たちがいま享受している「進歩性」の多くは、あの世代が切り拓いてくれたものです。ただ、それはブラジルだけに限った話ではありません。例えば同時期にはデヴィッド・ボウイをはじめとしたグラム・ロックの流れがあり、1960~70年代はアンドロジニー(両性具有的表現)やセクシュアリティの流動性が文化の最前線にありました。激しい性の革命が起きていて、人々は「自分自身にラベルを付けない」という生き方を模索していた。私たちが今ようやく実現し始めているような生き方は、実はあの時代にもすでに芽吹いていたんです。その後にHIV/AIDSの流行がなければ、もっと早く自由で多様な社会が形作られていたかもしれません。

とはいえ、当時のブラジルにも豊かな表現があったことは確かです。国としては非常に保守的でしたが、アーティストたちは自由に狂っていることが歓迎されていました。ネイ・マトグロッソが登場した時、人々は彼を「ゲイかどうか」「男か女か」といった視点では見ませんでした。それは「芸術」だったんです。彼は抑圧された時代における自由の体現者として支持を集めました。

そして1990年代には、カシア・エレールのような存在が現れました。彼女はトロピカリア世代ではありませんが、ロック・シーンの中でレズビアンのアーティストとして活動し、死後にはパートナーが彼女の息子の親権を法的に認められるという、ブラジルの司法史上初の判例を生み出しました。これはまさに、アーティストとしての存在が社会に与えた直接的な影響だと思います。だからこそ、私たちは今日その文脈を問い直し、再評価し、アップデートし続ける責任があるのだと思います。過去に存在していた多様性を、より豊かで包摂的なかたちで継承していくために。そうした人々は常に「そこにいた」のです。

ネイ・マトグロッソとフィリペ・カットの共演

─京都での公演についてもお聞かせください。LGBTQIA+を撮影した第一人者でもあるマダレナ・シュワルツの写真を使ったパフォーマンスになると伺ったのですが、どのようなショーになるのでしょうか?

フィリペ:今回はブラジルなどで行ってきたパフォーマンスに加え、特別にマダレナ・シュワルツの写真を何曲かの場面で投影する予定です。彼女が撮影したのは、軍事政権時代のアンダーグラウンドなトランス・シーン、そしてストリートで生きる人々の姿。そうした視点と、ガル・コスタの楽曲を歌うこのショーとを結びつけることに、とても深い意味があると感じています。

私にとって、これは単なる海外公演ではありません。人生で初めて日本という場所に足を踏み入れることになりますし、本当に光栄です。そして同時に、私はブラジルの文化を代表しているという意識も強く持っています。自分自身の作品を携えてはいますが、それ以上に「ブラジルという国の文化」を伝える役割を担っていると感じているんです。

その意味で、今回の公演はトロピカリアの精神を継承しつつ、もっと「裏側」のブラジルにも光を当てる予定です。ストリートのアーティストたちや、歴史に名を残していないかもしれないけれど確かに存在していた人々。今回のプロジェクト全体には、そうした人々への敬意と連帯の想いが込められています。

私が歌うのはガル・コスタの楽曲ですが、それは2025年の今、ひとりのトランス女性の声と身体を通して届けられるものです。そこにはPJハーヴェイのようなロックやパンクからの影響も含まれていて、サンパウロの路地裏の空気も息づいている。そしてその中には、1970年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代、そして今を生きた/生きているトラヴェスティ(※)たちの人生も重なっています。半世紀に渡り、私たちは同じ物語を、異なる顔、異なる身体、異なる表現で語っている。だからこそ、いま私たちがここで声をあげることに、意味があるのだと思っています。

※主に南米(特にブラジル)において、自らの性自認を必ずしも「女性」とは定義しない一方で、女性的な身体表現や装いで生きる人々を指す呼称。西洋の「トランスジェンダー女性」とは異なる文化的・政治的背景をもつ

マダレナ・シュワルツ写真展のティーザー映像

─最後の質問です。あなたはロックから強い影響を受けたとおっしゃっていましたが、現在のブラジルでは、クィア・アーティストの中でもラップを軸に活動している方が多くいます。そうしたなかで、ご自身のロック的な表現にはどのような違いや特性があるとお考えですか?

フィリペ:「今、どれが最も時代にフィットしているか」といった尺度で考えれば、ロックは主流とは言えないのかもしれません。ただ、私にとってのロックとは、自分の感情をもっともよく映し出してくれる場所であり、何よりも自分が最初に音楽を愛した場所でもあるんです。それは言語とよく似ていて、私自身の生きてきた背景、つまり「生」そのものだと思います。私は自然とロックを聞いて育った世代であり、それが私自身の物語なんです。だから、自分にとってロックは単なる懐古ではなく、感情そのものなんです。

たとえクラシックを歌うときでさえ、私はそこにロックの精神を宿らせていると思います。反抗や越境の感覚、エネルギーの爆発。それが私の核にあるものなんです。ですから、ジャンルがどうであれ、私がステージに立つとき、そこには必ずロックが流れている。ロックとは、音ではなくエネルギーの質であり、私の表現の出発点なんです。

『Belezas~』フルライブ映像

トロピカリアを継承するトランス・ロックスター、フィリペ・カットが語る反逆と越境のブラジル音楽史

KYOTOPHONIE 2025 Spring
コムアイ with 小林七生(FATHER) × フィリペ・カット
Soundscapes from Brazil & Beyond
2025年4月19日(土)ヒューリックホール京都
開演 17:30
前売券:¥5,000 当日券:¥6,000
公演詳細:https://kyotophonie.jp/program/2025spring/kom_i-x-filipe_catto/
編集部おすすめ