
今年4月にリリースされた『EN』ジャケット写真
ピーター・ゴールウェイと日本
─ピーターさんは地元のニューヨークを離れてポートランドへ移った後、日本から連絡が来て『On The Bandstand』を発売することになり、1978年に初めて日本でコンサートを行なうことになった時は、とても驚いたでしょう? フィフス・アヴェニュー・バンドの『The Fifth Avenue Band』、オハイオ・ノックスの『Ohio Knox』、そしてあなたのソロアルバム『Peter Gallway』が、遠く離れた日本のミュージシャンたちや音楽マニアに愛され続けていると知ったときは、どんな気分でした?
ピーター:とにかく驚いたし、うれしかったし、スリルも感じた。本当に音楽をやってきてよかったと実感する経験だったね。その後長年の友達になる日本の青年が僕に手紙を送ってくれたことから全てが始まって、そこからどんどん繋がって……という、本当に素晴らしい思い出だよ。
─78年の来日時に日本で細野さんと出会った後、ピーターさんは「Tropical Dandy (For Haruomi Hosono)」という曲を彼に捧げて書きましたよね(79年のアルバム『Tokyo To Kokomo』に収録)。会話する時間はそれほど長くなかったと思うのですが、彼のレコードを聴きながらイメージを膨らませて、ああいう歌詞を書いたのでしょうか。
ピーター:ホソノサンがフィフス・アヴェニュー・バンドや僕の音楽を気に入っていると聞いて、一緒にランチしたときに彼と意気投合した。そのときに彼がアルバムをプレゼントしてくれて──多分『トロピカル・ダンディー』をもらったんだと思う。僕はソングライターなので、曲を聴いた印象を土台にして、トロピカルな島にいる女性がお金持ちのジゴロを誘惑するストーリーを組み立てていった記憶があるよ。
─その細野さんがイエロー・マジック・オーケストラを始めたときは、方向性の変化にビックリしませんでしたか? アメリカでも彼らの登場が注目されていたと思います。
ピーター:ビックリしたというよりも興味深かったし、イエロー・マジック・オーケストラがアメリカでもポピュラーになってとてもうれしかった。

ピーター・ゴールウェイ
─佐橋さんがピーターさんの音楽といつ頃、どのように出会ったのか教えてもらえますか?
佐橋:僕は中学生ぐらいから今みたいな音楽オタクになってまして。中学2年のときに渋谷の道玄坂にあったヤマハの入口で、シュガー・ベイブのフリーライブを観たんですよ。友人たちと「シュガー・ベイブってかっこいいよね」って話になって、僕は駒場の出身なので自転車でヤマハまで観に行って。こんなにキラキラした音楽なのに、なんて暗い人たちなんだろうと思ったりもしたんですけど(笑)。そんな頃に、「シュガー・ベイブはフィフス・アヴェニュー・バンドっていうグループを参考にしたらしいよ」っていう話を聞きつけまして。当時はレア盤だったので、中学生には手が出ない値段だったと思うんですが。70年代の後半に入ってから、ワーナーパイオニアが「ロック名盤復活シリーズ」っていう廉価再発の企画を始めてくれて。それでフィフス・アヴェニュー・バンドのアルバムをまず聴いて、大好きになったんです。
さらに「オハイオ・ノックスっていうのもあるらしいよ」という話になっていった頃に、僕は高校生になって青山のパイド・パイパー・ハウスに通い始めていて。そこでレコードを漁ってたら、お店の人からピーター・ゴールウェイのソロアルバムもいいよって教えてもらって──今考えると、それが長門芳郎さん(シュガー・ベイブ、ティン・パン・アレーの元マネージャー)なんですけど。「Decidedly Fun」や「Harmony Grits」を聴いて、何これメチャかっこいい!と思って、ピーターの音楽にすっかり夢中になっていった……という流れですね。

フィフス・アヴェニュー・バンド『The Fifth Avenue Band』、オハイオ・ノックス『Ohio Knox』、ピーター・ゴールウェイ『Peter Gallway』、シュガー・ベイブ『SONGS』
─ここでピーターさんから、フィフス・アヴェニュー・バンド、オハイオ・ノックス、そしてソロアルバム『Peter Gallway』で、それぞれどんなことを表現したかったのか、改めて教えて頂けますか。
ピーター:僕が高校時代に結成した最初のバンド、ザ・ストレンジャーズは、「Land Of Music」と「I Need Your Love Inside Me」のカップリングでシングルを1枚作った(1966年発表)。ストレンジャーズのベーシストだったジェリー・バーナムが音楽学校で知り合ったミュージシャンたちに会わせてくれて、そのメンバーで結成したバンドがフィフス・アヴェニュー・バンドだ。僕らならではのコンセプトとサウンドを生み出すのに、かなり長い時間をかけたね……週に5日、丸1年間リハーサルを続けたんだよ。
僕のマネージメントをしていたボブ・カヴァロはラヴィン・スプーンフルのマネージャーで、彼がフィフス・アヴェニュー・バンドのマネージメントを引き受けて、リプリーズ・レコードとの契約をまとめてくれた。フィフス・アヴェニュー・バンドには4人のソングライターがいて、僕らは異なるタイプのソングライター、異なる音楽スタイルの組み合わせで成り立っていたけれど……ちょっとポップ、ちょっとジャズ、ちょっとR&Bの色を持ったボーカルグループが共に歌う、特定のサウンドへの愛が僕らを結びつけていた。このスタイルのブレンドこそが、フィフス・アヴェニュー・バンドだったと言える。しかし、残念ながらこのバンドは短命に終わってしまった。
僕はニューヨークからロサンゼルスへ移って新しいバンドを結成し、アルバム『Ohio Knox』を作った。ダラス・テイラー(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、マナサスのドラマー)や、レイ・ニアポリタン、ニューヨークの仲間でジョン・セバスチャンの友人でもあるポール・ハリスといったミュージシャンたちが参加したこのレコードは、当時のロサンゼルスの新しさや、この顔ぶれならではの感性が表れているね。
『Peter Gallway』は僕にとって初めてのソロアルバムだけど、面白いことに高校時代からの友人でザ・ストレンジャーズのメンバーだったケニー・アルトマンが参加していて、ストレンジャーズ時代に作った曲の一部が含まれている。これがリプリーズで作った最後のアルバムで、僕はロサンゼルスを離れてニューヨークへ戻り、その後ポートランドへと引っ越したんだ。
佐橋佳幸と出会い、意気投合するまで
─1987年にピーターさんと佐橋さんが出会うきっかけも、パイド・パイパー・ハウスの長門芳郎さんですよね。長門さんが主催したコンサートにジョン・セバスチャンが来日できなくなり、代役として急遽ピーターさんが呼ばれた、と記憶しています。どんな出会いだったか教えてもらえますか?
佐橋:そのコンサートは、1987年9月20日に芝浦インクスティックで行われた「魔法を信じるかい?」で、ジョン・セバスチャン、ピーター・ケイス、ヴィクトリア・ウィリアムスという顔ぶれになる予定でした。それにウェルカム・バンドが必要だっていうことで、長門さんが声をかけてくれて。PARADEというバンド名で出演しましたけど、このときのメンバーは昨年再結成した僕のバンド、UGUISSとほぼ同じ顔ぶれでした。僕らはグリニッチヴィレッジ発の、いわゆるフォーク・ロックの名曲をいくつか演奏する役目だったんですが。急遽ジョン・セバスチャンが具合悪くなって来日できなくなり、代わりにピーターが来ることになって。そこで「Do You Believe In Magic」を一緒に演ったのが最初の共演ですかね。
ピーター:サハシは覚えてるかな……初めて会ったとき、僕のギターチューナーが壊れていてさ。その翌日、君が新しいチューナーを僕にプレゼントしてくれたよね。
佐橋:そうそう! そんなことがありましたね(笑)。
#OTD 31年前の1987年9月20日、パイドパイパーハウス主催の『魔法を信じる会?』(出演:Peter Gallway+Peter Case+Victoria Williams+Steven Soles)が芝浦INKSTICKで行われました。
─1989年にピーターさんが再び来日した際も佐橋さんと共演、その時に録音した素晴らしいスタジオライブの模様が『ピーター・ゴールウェイ・トーキョー・セッションズ 1989』として2010年に世に出ました。お二人の仲がより親密になったのは、その頃からですかね?
佐橋:そうですね。1987年は他にもたくさんの出演者がいたこともあって、それほど親密に会話をした記憶はないんですけど。1989年はTOKYO FMでスタジオライブを収録して放送する番組があって、ここでのセッションが一番親密になる機会だったと思うんです。ピーターさんはフィフス・アヴェニュー・バンドの盟友、キーボードのマレイ・ウェインストックさんと共に来日されて。日本のバンドのメンバーを集めたのは僕ではなくて、長門さんなんです。そこにはシュガー・ベイブやセンチメンタル・シティ・ロマンスのドラマーだった野口明彦さんがいたり、僕がその頃プロデュースしていた鈴木祥子ちゃん、PIZZICATO FIVEからORIGINAL LOVEの活動に移行し始めた頃の田島貴男くんがいたりして。
そのときのエンジニアは、佐野元春さんのラジオ番組の新人発掘企画で、僕が初めてソロ名義でレコーディングした曲(「僕にはわからない(Don't You Care)」。1989年にリリースされたコンピ『mf Various Artists Vol.1』に収録)と、たまたま同じ人だったんです。その方がピーターさんと録音したライブの同録を、僕にDATでこっそりくれたんですよ。その様子を見ていた長門さんが、ずいぶん経ってから「あのときの録音もらってなかった?」って言うから、持ってますよ~って(笑)。
ちょうどこの頃、パイド・パイパー・ハウスが閉店することになって、関係者を集めたフェアウェル・パーティが行われて(7月18日、六本木ピットイン)。来日中だったピーターさん、僕も出演したし、ピーターさんが『ミッシング・リンク』というアルバムをプロデュースしていたブレッド&バターのお二人も会場にいらっしゃいました。その会が終わる頃に、長門さんが山下達郎さんに「DOWN TOWN」を演ってよ!と言い出して。シュガー・ベイブのメンバーはほぼいたんですけど、ベーシストがいなかったので、僕がベースを弾いて。大貫妙子さんが「私もうキーボード忘れちゃったよ」って言ったら、「あっ、私できるよ」って矢野顕子さんがキーボードを弾いて。山下達郎、大貫妙子、村松邦男、野口明彦、矢野顕子、僕っていうメンバーで「DOWN TOWN」を演奏してその会が終わったんですけど(笑)。それと同じ頃にピーターさんから声がかかって、ブレッド&バターのアルバムに僕も参加させて頂きました。
この頃ピーターさんは頻繁に来日するようになっていたし、僕も海外レコーディングに行くことが多かった時期で。確か氷室京介さんのレコーディングでニューヨークへ行ったとき、ピーターさんを訪ねて行ったら、郊外のカフェみたいなライブスポットでリッチー・ヘイヴンスとツーマンのライブがあって。楽器を持っていたので、「じゃあ一緒にやろうよ」っていうことになって、ピーターさんのライブに参加したこともありました。その辺から親交が深まっていったと記憶してます。

佐橋佳幸
ピーター:そうだね。そんな感じで一緒にやったり、またしばらく会わなかったり、ということを繰り返していった。最初の出会いから一発でサハシとは繋がりを感じたし、そういう関係は後になってもどんどん深くなっていくものだから、大切にしたいよね。
佐橋:90年代の終わりになるとインターネットの普及もあっていろいろ調べられるようになってきたので、僕はピーターさんがやってることもずっとチェックしてたし、ピーターさんの新しいアルバムが出たら買って聴いていて。彼が今どんなことをやってるのかな?っていうのはいつも気にしてました。
ピーター:僕も同じだよ(笑)。
─それから長い時間が流れて2023年、ピーターさんがイアン・マシューズと来日した時に行なわれたタワーレコード渋谷店でのインストアイベントを観に行ったら、予定になかったピーターさんと佐橋さんの共演が始まって仰天したことを覚えています。新宿MARZのライブでも、何曲も一緒に演奏された記憶があるのですが、あの時はどんな風にして共演が実現したんでしょうか?
熱烈歓迎『ピーター・ゴールウェイ東京公演前夜祭』にご来場いただいた皆様ありがとうございました。2組共各3曲ずつ。リハ入れると4曲。意外でもあり納得の選曲でもありました。急遽、佐橋佳幸君参加することになったので Decidedly Fun 演ってねと。#PeterGallway #IainMatthews #BJ pic.twitter.com/mrYSFVAj6R— パイドパイパーハウス Love not war Peace on (@PiedPiperHouse) February 24, 2023
佐橋:本当に長門さんがキーマンなんだと今話していて思いましたけど……あの日も長門さんから「イベントがあるけど来る?」とお誘いがあって。普通に観に行ったら、イアン・マシューズはギタリストを連れてきていてね。ピーターさんから突然「俺があのギタリストに頼んでみるからさ、ギターを借りて二人で一緒に演らない?」って言われまして(笑)。「いいけど、なんの曲を演るの?」ってその場で立ち話で打ち合わせして、なんとかうまく演ったんですけど。それが終わってピーターさんから「明日の僕らのライブは観に来るのか?」って訊かれて、「もちろんそのつもりです」と言ったら、「じゃあ観に来るぐらいなら一緒に演ろう」とまた言われて。その日の晩にピーターさんが歌う予定の曲の歌詞がブワーッと送られてきて、僕はそれを見ながらコードを取って、一晩で譜面にしていって。翌日会場で全曲1回ずつ合わせて、そのまま本番でした(笑)。僕がピーターさんの曲が好きでよく知っていたから、なんとかできたところはありましたね。
ピーター:そう、僕はそういう人間なんだよね。「ヘイ、僕と演ろう!」って言ってしまう。でも、その根底にはサハシが素晴らしいギタリストだから、きっとよい結果になるだろうという確信があった。もう一つ彼に感謝しているのは、あのとき新宿MARZで共演したことが、今回こうやって一緒にアルバムを作ることに繋がったからね。
佐橋:そうそう、楽屋で何か一緒に作ろうよって話になったように記憶してます。
ピーター:うん。アメリカに戻ってからも、それを形にしようと考えていたよ。
佐橋:で、本当にピーターさんから音が送られてきたんですよ。
ピーター:ちゃんと覚えているとも(笑)。まずはコンセプトありきで、そこからアイディアが生まれてきて、スタイルとか固まった上で曲作りに入る形を取ったし、今はそういうやり方をしている。このアルバムでは、自分と他の人との繋がり……自分の中の縁というものは何だろう、日本との縁は何だろうと考えた。日本で今まで出会った人たちや、ファンとの繋がり、自分の音楽を愛してくれてる人たちとの縁って何だろう?とね。それをまずコンセプトとして考えて、やっぱりフィフス・アヴェニュー・バンドのことも思い浮かんだりして、そこからインスピレーションを受けたりもしたね。
佐橋:ピーターさんから送られてきたデモにギターをオーバーダブして返したりとかいろいろ始めて、僕もこんな曲あるんだよなんて言いながら、1年ぐらいやり取りしてたんですかね。お互いProToolsを使ってることもあって、やり取りはスムーズにできました。ただそこでは、リズムセクションとかキーボードパートとかは打ち込みだったりして。10数曲あったうち、やっぱりアルバムにするならこの10曲だなって絞り込んだところで、さあどうしようと。そこからリリース先が決まるんですけど、それまで僕らは一銭もお金をかけずに自分たちだけでコツコツやってたんですね。僕はてっきり自分が東海岸に行って、ピーターさんの仲間とニューヨークでレコーディングするのかなと思ってたんですけど。まさかの円安問題が勃発しまして。「こういうコンセプトで作った作品なんだから、僕が日本に行きたい」というピーターさんの意見を踏まえて、日本でレコーディングを行うことになりました。
細野晴臣、大貫妙子、矢野顕子、松たか子…『EN』制作秘話
─そして生まれたアルバム『EN』は、ピーターさんの音楽に影響された日本のミュージシャンたちが、世代を超えて参加していますね。
佐橋:「日本の素晴らしいミュージシャンたちの演奏に差し替えたい」という話がピーターさんからあったとき、彼から条件が出て……これは作業中から言っていたことだったんですけど、ハリー・ホソノとタエコ・オオヌキは絶対に参加してほしい、と。なので、まずはそのお二人のキャスティングから始まりました。
その際に、僕が子供のときから大好きだったシュガー・ベイブと、僕が30年間バンドに参加することになった山下達郎さん、大貫妙子さん──大貫さんとは今年もツアーしますけど、そういう繋がりを作ってくれたフィフス・アヴェニュー・バンドのピーター・ゴールウェイさんとアルバムを作るんです、ということは達郎さんにメールで報告しました。ちょうどツアー中だったので「ちょっとお手伝いはできないけど頑張ってね」って、励ましのメールを返してくれましたよ。
─レジェンドだらけの豪華メンバーですが、どうやってこの方々を集めることができたんですか?
佐橋:びっくりするぐらい皆さんスケジュールを調整してくださって、本当に感謝してます。小原礼さんや林立夫さんに電話したら、「えっ、あのピーター・ゴールウェイとレコーディング? 行く行く行く!」って即答してくださいましたし。やっぱり皆さん、ピーターさんの音楽を聴いてたんですね。それはレコーディングしている間にもすごく感じました。矢野顕子さんはバイリンガルですから、英語の歌詞がすぐにわかるので、「本当に歌詞の世界が面白い、素晴らしい歌ばっかりね」ってレコーディング中におっしゃってました。
ピーター:このプロジェクトを叶えてくれたサハシはマジシャンだね。しかもみんな本当に素晴らしいミュージシャンばかりだった。この録り方で、東京でやるということに意味があるアルバムだから、実現してくれたことがうれしかったし、そこにホソノサンがいて、タエコサンがいて、あのストーリーをみんなで綴るっていう形が取れたことに、心から感謝しているよ。
佐橋:ありがとうございます。ピーターさんが作られてきた音楽を聴いてインスパイアされた先輩たちが主に参加してくださったので、これはまさに縁だなと。『EN』というタイトルは作業しながらだんだん僕らの間で浮かんできた言葉なんですけど、日本語でエンというとサークルの「円」だったりもするし、パーティーの「宴」もある。言葉自体に面白い意味があるんだよって話しながら、これがタイトルに決まったんです。何よりピーターさんが日本に来て、日本のミュージシャンとやるべきだっていう決断をしてくださったことで、物事が一気に進んだ気はしています。
今回のキャスティングの中には、エンジニアの飯尾芳史さんもいらっしゃって。アルファレコード時代から細野さんと仕事をされてきた方じゃないですか。このアルバムは飯尾さんの活躍が、僕とピーターさんの目指している作品に近づけてくれたと感じていて。そこにも縁を感じます。
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─新作の歌詞についても訊かせてください。ザ・ストレンジャーズの一員として世に出たピーターさんが、『EN』でひとりのストレンジャーとして触れた日本を観察・描写して歌詞を書いていることにも、何か運命的なものを感じました。それぞれの曲がどんな背景から生まれたのかを教えてもらえますか?
ピーター:いくつかの曲は、ツアーや制作のために日本を訪れたときの実際の経験から来ている。たとえば、最初の曲「English Football At the Prince Hotel」は、私が新宿の歌舞伎町に滞在していたときにコーヒーを飲む場所を探していて、プリンスホテルで見かけたカフェに入ったときのことについて歌っている。そのカフェにはたくさんのテレビがあり、イギリスのサッカー試合が放映されていた。
また、「Decidedly Kabuki-cho」は、ホテルの窓から下を眺めていたとき、外にバスケットコートがあり、それが私にフィフス・アヴェニュー・バンドのこと、「Decidedly Fun」のこと、「Sunday Basketball」のことを考えさせた。歌詞に「バスケットボールはどこにいてもバスケットボール」とあるけれど、ニューヨークでも東京でもバスケットボールは同じで、生きているという実感がある。歌舞伎町の感覚も好きだ。歌の中では「ここは危険だ」と歌っているけれど……人々は歌舞伎町を危険なところだと言うが、私は危険を感じなかった。ただ何か違う種類のものを感じ、生きているという実感が得られたんだ。
「Kyoto」は私の初めての日本ツアーについて歌っていて、京都に行って拾得で演奏したときのことを振り返っている。最初のショーの前夜に日本のブルース・バンドが英語で歌っているのを観た体験について、曲の中で言及しているよ。
─今回参加した二人の女性シンガーについても訊きたいです。念願だった大貫妙子さんとの共演はいかがでしたか?
ピーター:すごくワクワクしたし、うれしかった。1978年に初めての日本ツアーで来たとき、新宿ロフトで演ったときにヨシ・ナガトがタエコサンを連れて来てくれた。そのとき彼女は『MIGNONNE』というアルバムを出したばかりで、僕はそれを聴いて夢中になったし、彼女のことも大好きになった。「Tokyo To Me」はタエコサンについて書いた曲だよ。長い年月を経て彼女と再会できて感激した。YouTubeで観た坂本龍一とのコンサートも素晴らしかったよ。
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─同じくコーラスで、松たか子さんも参加されていますね。
佐橋:「タエコサンをコーラスで呼びたい」とピーターが言ったときに、「一緒に君の奥さんもどう?」と提案されたんです。会ったことはなかったけど、松さんが歌えることを知ってたみたいで。それと、松さんのアルバムをプロデュースしたときに、大貫さんに曲を書いてもらって、松さんと大貫さんはすでに交流がありました。二人の声を思い浮かべたときに、声のブレンドがすごくいいんじゃないかなと思ったんですよ。エンジニアさんも「二人のブレンドが良すぎてどっちがどっちかわからない」と言ってくれて、良い結果になりましたね。
ピーター:タカコサンが日本でこんなに有名な人だと知らなかったので、もし知ってたら緊張してうまく話しかけられなかったかもしれない(笑)。でも、会ってみたら本当に素晴らしい人柄で、音楽的にも声が見事にタエコサンとブレンドしたので、彼女に参加してもらえて本当に良かったよ。
─パティ・スミスに捧げた「And Now I Know What Nothing Is」はエレクトロニックなサウンドで、ピーターさんの興味の幅広さが感じられてうれしいです。昔のスタイルを繰り返すばかりでなく、こういうアプローチにも意欲的ですよね。
ピーター:僕はエルヴィス・コステロやニール・ヤングのように、時には実験的なアルバムを作ったり、違うスタイルを試したりするのも好きなんだ。妻のアニー・ギャロップとはハチェット・ガールというユニットを組んでアルバムを制作した。アメリカーナ調で、キーボード奏者の親友ハーヴェイ・ジョーンズとコラボレーションしている。ハーヴェイはこのアルバムでも4曲演奏しているよ。彼とはパーカー・グレイという名義で2枚アルバムを作った。これはとてもエレクトロニックなプロジェクトなんだ。アルバムのどの曲でも、違うスタイルで演奏するのが好きだ。
エレクトロニックな面では、フレッド・アゲインからインスピレーションを受けた。この曲は別れの物語を歌っているけれど、パティ・スミスに捧げたんだ。彼女の本『A Book Of Days』で見た「今では無が何なのかわかっている」という言葉からインスピレーションを得たからね。ジャクソン・ブラウンやジェームス・テイラーのように、従来の作風を踏襲して一定のクォリティを保ち続けるアーティストも素晴らしいと思う。でも、僕は違うスタイルを試して実験するのが好きなんだ。
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佐橋:僕もこの曲が送られてきたとき、最初は驚いたんですけど、これは「Nobody Can Save You」って曲と共通するところがあって。僕とピーターは、実はブルー・ナイルの大ファンだったりもするんです。「Nobody Can Save You」は、家でブルー・ナイルごっこをしているときにできた曲で。僕らが好きなそういうエッセンスもアルバムに入れられたらいいなと思っていたら、「And Now I Know What Nothing Is」が送られてきて、すごいのが来たなと思いました。で、この曲は多分、ピーターさんが普通に弾き語りをしても、良い曲だと感じてもらえると思うんです。心がきちんとあるソングライティングをされる方の作品は、言葉もメロディも強いですね。今回作業していて、そういう風に思いました。
あとは「Kyoto」という曲をもらったとき、このドラムは絶対にGOTA(屋敷豪太)だと思ったんです。GOTAは早速リズムループの音源を作って持ってきて、「こういうシーケンスと一緒に演奏したらどうかな」と提案してくれて。ピーターさんとGOTAでリズムトラックの組み立てをミーティングし始めたら、「このグルーヴを使ってブラシのスネアのループを作ろう」とか、2人であっという間にリズムセクションを構築していくのを横で見ていて、これはすごいことが起きてるなと、ちょっと感動しました。
─ソウルIIソウルやシンプリ―・レッドのヒット曲を生み出したGOTAさんが、ピーターさんと組むというマッチングも面白いですね。
佐橋:その2人が完全に盛り上がってる状態で取り組んでてね。あれは本当にマジックが起きてると感じた瞬間でした。
もうひとつ、「Coltranes Blue World」という曲は、これライブレコーディングなんですよ。ピーターさんも自分でギターを弾きながら歌ってくれて。今どき、こんな風に同録なんてなかなかやらないです。やっぱりプロじゃないと出ない雰囲気で、すごく良かった。レコーディング中のエピソードとして僕が印象深かったのは、この2曲ですね。
ピーター:本当はバンドとライブレコーディングするのは、あんまり好きじゃないんだ(笑)。どうしても自分にしか意識がいかなくなってしまうのでプロデューサーとしてはしんどいけど、あの曲ではサックスプレイヤー(山本拓夫)も素晴らしいソロを吹いてくれたし、サハシのライブレコーディングで行こうという判断が功を奏したね。
─「Coltranes Blue World」のベースは細野さんですけど、ピーターとのセッションが楽しかったと彼のラジオ番組でも話してました。ピーターさんが細野さんと再会するのは初来日以来、46年ぶりだったそうですね。細野さんは「スタジオではマスクをしていたから顔がわからなかったけど、マスクを外したらピーターのあの顔が出てきた」とうれしそうにラジオで話していました。彼とのセッションはどうでしたか?
ピーター:素晴らしかった。音楽って、ホソノさんやアキコさんやサハシのように、才能があるミュージシャンたちが集まると本当にマジックが起こって、みんなが一つになるんだ。後で聴き直してみて、やはり縁によって繋がったことでマジックが起こったなと思ったよ。
─日本でのライブは、『EN』に参加した屋敷さん、小原さん、Kyonさんと共に、東京と横浜ではシークレットゲストも出演する予定と聞きました。どんな内容になりそうか教えてもらえますか?
佐橋:シークレットゲストは、もちろんこのアルバムに参加してくれた方になると思います。セットリストはこれからピーターさんと相談しないといけないけど、『EN』からの曲を中心にしながら、やっぱりこういう曲で始まってほしいなとか、イメージもあって。これからライブの打ち合わせをするのが楽しみです。
ピーター:僕もだよ。心を1つにして、いいショウを作りたいね。

Peter Gallway & 佐橋佳幸 ”EN” Japan Tour 2025
【ビルボードライブ大阪】(1日2回公演)
2025/6/23(月)
1stステージ 開場16:30 開演17:30 / 2ndステージ 開場19:30 開演20:30
>>>詳細・チケット購入はこちら
【ビルボードライブ横浜】(1日2回公演)
2025/6/25(水)
1stステージ 開場16:30 開演17:30 / 2ndステージ 開場19:30 開演20:30
>>>詳細・チケット購入はこちら
【ビルボードライブ東京】(1日2回公演)
2025/6/26(木)
1stステージ 開場16:30 開演17:30 / 2ndステージ 開場19:30 開演20:30
>>>詳細・チケット購入はこちら
メンバー
Peter Gallway(Gt,Vo)
佐橋佳幸(Gt)
屋敷豪太(Dr)
小原礼(Ba)
Dr.kyOn(Key)
シークレット・ゲスト(※横浜&東京のみ)

ピーター・ゴールウェイ&佐橋佳幸
『EN』
発売中
詳細:https://www.vividsound.co.jp/news/15209/