ホセ・ジェイムズ(Jose James)が、前作『1978』の続編となるニューアルバム『1978: Revenge of The Dragon』をリリースした。

まず目に飛び込んでくるのは、マイケル・ジャクソン「Rock With You」、ハービー・ハンコック「I Thought It Was You」、ザ・ローリング・ストーンズ「Miss You」、ビージーズ「Love You Inside Out」といった、1978~79年のダンスミュージックの名曲たち。
当時のクラブカルチャーへの思いがわかりやすく込められている。イギリスに渡り、ジャイルス・ピーターソンのもとでデビューを果たし、クラブカルチャーに支えられてきたホセらしいコンセプトといえる。

ただ、本作にはもうひとつのコンセプトがある。ホセは、アルバムのリリースに合わせて、短編動画『Revenge of the Dragon』を制作した。これはカンフー映画へのオマージュになっていて、その一部は「They Sleep, We Grind (for Badu) 」のMVとして公開されている。わざわざ動画まで作ったこと、その動画がカンフー映画風だったことにはどんな意味があるのか。そこにアルバムを深く理解するための鍵がある。

また、この『1978: Revenge of The Dragon』は、ホセにとって通算13作目のアルバムとなる。2007年にデビューして以来、レコーディング・アーティストとしてのキャリアはそろそろ20年を迎えようとしている。今回は取材時間がたっぷり取れたこともあり、ホセにキャリア形成についてもじっくりと話を聞くことができた。

キャリアを着実に積み上げ、評価と地位を確立した今もなお、ホセは自身のレーベルから、インディペンデントな立場で作品をリリースし続けている。そんな彼は、自らの歩みやこれからのことを、どのように捉えているのだろうか。
その問いに対してホセは、その場でじっくりと言葉を選びながら、真っ直ぐに答えてくれた。

1978年とカンフー映画の結びつき

―まず、「They Sleep, We Grind (for Badu)」のビデオについて教えてもらえますか?

ホセ:あのビデオは、アルバムと連動している短編映画『Revenge of the Dragon』とつながっていて、その映画はアルバムより1週間早く公開される予定なんだ。

1978年って、僕にとってはカンフー映画が最高潮だった時代なんだよね。 『五毒拳』や『少林三十六房』『ドラゴンマスター』とか、そういう作品が盛り上がりを見せていた。 僕自身もそうだし、たとえばウータン・クランもそれらの作品の大ファンだよね。だから1978年をテーマにした前作では、ディスコやマーヴィン・ゲイなど文化的に重要な要素に触れたけど、今回の作品ではマッド・クラブ(Mudd Club)とカンフー映画にフォーカスしたかったんだ。

『Revenge of the Dragon』フル映像

―マッド・クラブってどんなところだったんですか?

ホセ:マッド・クラブは、NYのトライベッカにあったクラブで、70年代後半のダウンタウン・シーンの一部だった。1977年にオープンして、1983年頃まで続いたと思う。

元々はアートスペース的な場所だったんだ。オープンしたのはアル・ディアスで、彼はジャン=ミシェル・バスキアの親友だった。そして、この場所はすぐに、Studio 54のアンチテーゼとしての存在になっていった。華やかさやファッション性を推すのではなく、ダウンタウンの若者たちが集まれる場所だった。
キース・ヘリングも通っていたし、壁画やグラフィティもあって、まさにアートとのつながりが強い場所だった。Studio 54はアンディ・ウォーホルのシーンで、マッド・クラブはバスキアやヘリングのシーンだったって感じだね。フリー・ジャズのライブもあったし、バスキアは自分のバンド「Gray」で演奏してたこともあったんだよ。

―アルバムの最後に「The Last Call at The Mad Club」という曲を持ってきたのは、そのマッド・クラブのヴァイブスみたいなものをアルバムに入れたかったということでしょうか?

ホセ:そう。僕が最終的に言いたいのは、クラブ・カルチャーって”喜び”の文化だってこと。多くのDJは最後にハッピーな曲をプレイするよね。ラスト・ダンスのタイミングで、みんなを幸せな気持ちにさせて帰らせたいっていうのがDJの精神だと思う。 僕はそういう伝統のフィーリングをアルバムに残したかったんだ。

―だから、今回は様々なディスコの楽曲がカバーされているんですね。そして、ストリートの若者たちのためのクラブの文化と、カンフー映画の要素がアルバムに入っていると。

ホセ:当時のクラブやパーティってブラックスプロイテーション映画やカンフー映画のダブル・フィーチャー(※二本立ての映画。片方がメインでもう一本はセカンド・フィーチャーと呼ばれるB級映画だった)を観に行くのと同じような文化だったと思うんだ。


それに僕にとって、カンフー映画ってヒップホップそのものなんだよね。好きな音を自由にサンプリングして、そこに新しい文脈を作る。映像の編集もジャンプカット(同様のショットを、時間の経過を飛ばして繋ぎ合わせること)だらけでラフだし、それが逆に人の手で作られた”生っぽさ”を感じさせる。

今回のビデオも、そういった映画にインスパイアされて作ったものなんだ。17分半の短編映画で、BIGYUKIをはじめ、バンドの全員が出演してる。それぞれのメンバーがキャラクターとして登場するんだ。 今回のアルバムでは、みんなに”自分自身として”演奏してほしくなかった。 だから、架空のユニバースを作って、その中でキャラクターとして音楽に取り組んでもらったんだ。たとえば「Rock With You」みたいに大ネタのカバー曲を演奏する時でも、自意識にとらわれず、自由に演奏できるようにしたかった。

―キャラクターを演じるように1978年的な音楽を演奏する、その延長線上にカンフーのMVがある。

ホセ:そうだね。かつてはアルバムだけではなく、映画もテープ録音だった。
編集なし、やり直しなし、すべて一発録りでライブ録音。僕らもそういうプロセスで作ったんだ。

― 黒田卓也は「ああいう人、香港映画にいそう」って感じでしたね。

ホセ:まさに本物のカンフー映画に出ててもおかしくないよね、あの雰囲気は(笑)。

―ブラックスプロイテーション映画やカンフー映画って、世代的にリアルタイムではないですよね。あとからディグって見つけた感じですか?

ホセ:僕は1978年生まれだから、実際に映画を観られる年齢になった頃には『レイダース/失われたアーク』とか『E.T.』とか、いわゆるスピルバーグ時代だったんだよね。 だから、最初からそういう映画に触れてたわけじゃなくて、あとから発見して夢中になったタイプ。カンフー映画に出会ったときは、「なんてかっこいいんだ!」って衝撃だったよ。ブルース・リーは僕にとってのヒーロー。 人類やスピリチュアリティをつなぐ存在だったと思う。かっこよさとかスター性はもちろんだし、それ以上に、精神的な統一や人類の波動を高めようとするメッセージが彼の本当のレガシーだと思う。

―どうやってそういう映画を見つけたんですか?

ホセ:家のテレビのチャンネルをパチパチ変えてたら、たまたま面白い映画に出会ってたんだよね。
TVで出会ってから、カンフー映画のVHSを探し回るようになっていった。最初に観たのはたぶん『燃えよドラゴン』。あれは欧米で最初にヒットした香港カンフー映画で、アメリカ人の俳優も出てたから入門編みたいな存在だった。そして、それが多くの黒人の観客にも受け入れられた。僕が育った80年代って、お金や企業が支配する時代だった。エグゼクティブたちがヒーローだった時代。でもカンフー映画はその真逆だった。 そこにはコミュニティ、兄弟愛、連帯、抑圧への抵抗が描かれていて、すごく新鮮だった……なんか今の僕、ウータンみたいなこと言ってるね(笑)。

―たしかに(笑)。

でもほんとに、あの時代には反骨精神とか、民衆のために戦うっていう感覚があったんだよ。だから、公民権運動やブラックパワー運動を経験した黒人の観客にとって、カンフー映画にはすごく共鳴するものがあったと思う。「ドラッグがコミュニティに入り込んできてる」「政府は腐敗していて、何も助けてくれない」「だから、自分たちで戦うしかない」──そういうメッセージが、ブラックスプロイテーション映画とカンフー映画には込められていたし、それが黒人コミュニティに深く響いたんだと思う。


―あのビデオを撮影するうえで、一番大変だったことって何でしたか?

ホセ:ほぼ3日間かけて集中的にすべてを撮影したんだよね。 朝6時から午後1時まで撮影して、そこから1時間だけ休憩してシャワーを浴びて、食事して、午後2時から夜中の1時まで今度はアルバムの録音。 それを3日間連続でやったんだ。 つまり、撮影と録音が完全に同時進行。本当に大変だったよ。しかも、いまだに信じられないんだけど、友だちを森に連れてってカンフー・マスターにさせたっていう(笑)。

でも一番大変だったのは、実は僕が全部ひとりでやったってこと。 衣装も武器も自分で探して調達して、効果音もすべて自宅スタジオで自作したんだ。昔のショウ・ブラザーズ(※香港の映画製作会社、60~70年代にヒット作を量産した)方式で、完全にアナログなやり方でね。効果音はキャベツを切ったり、セロリやニンジンを叩いたりしながら「首の骨が折れる音ってどうやって出すんだろう?」って試行錯誤の連続だった。だから、 めちゃくちゃ時間がかかってる。

―ここ数年はレインボウ・ブロンド・レコーズを拠点に完全インディペンデントで活動していますよね。70年代的なアナログ録音を使ったりしながら。今回の作品は、ここ数年続けてきたスタイルのひとつの到達点なのかもしれないですね。

ホセ:まさにそうだね。 それに、やっぱり楽しくやりたかったんだ。今回が通算13枚目のアルバムになるんだけど、キャリアを振り返ってみても「やりたかったことは結構やってきたな」って思ってる。 だからこそ今は、「楽しさを保つことがすごく大事」なんだ。ジャズって、つい自分を真面目に捉えすぎるところがあるけど、それだけじゃないんだよね。楽しむための音楽でもあるべきだし、聴く人も、演奏する自分たちも楽しむべきなんだよ。ただの「軽いエンタメ」って意味じゃなくて、「ちゃんと意味がある楽しさ」のこと。

今回もそう。天才的なミュージシャンたちが二刀流のバタフライソードを持って走ってる姿を見るのは最高に面白かった(笑)。「ああ、まだ俺たちもこんなふうに楽しめるし、新しいことにも挑戦できるんだな」って思えたんだ。

―そのDIYでちょっと素人っぽい感じは、MTV時代が始まる直前の空気にも似てるように思ったんです。80年代に入るとMVは映画並みに作り込まれた作品になっていきますけど、 これはその直前の「自分たちで撮り始めた」時代の感覚に近いというか。それが1978年なのかなって。

ホセ:その通り。 あの頃って、やっと手が届くテクノロジーが出てきて、家庭用のビデオカメラを手に入れて、自分たちで映像を撮れるようになった時代だったから。そういう雰囲気も入っているよね。

ホセのキャリア形成論、お金や名声より大切なこと

―あなたに最初にインタビューしたのは、たしか2013年ごろだったと思います。あの頃、新しいことに挑戦して注目されていたアーティストでも、その後もリーダー作を出し続け、高い評価を保ちながらキャリアを築けた人は多くありません。でも、あなたはサバイブし、着実に歩みを進めてきた。あなたのアルバムは毎回しっかり計画されていて、常に新しいことに挑戦しながら、ときには原点にも立ち返る。キャリアを設計し、バランスを取りながら活動している印象です。これまでのキャリアを振り返って、自分ではどのくらい計画通りに進んでいると感じますか?

ホセ:たしかにそうだね。でも、人生では予想外のことが突然起こるんだ。たとえば(2017年に)、映画『フィフティ・シェイズ・ダーカー』に関わることになるなんて、全然予想してなかった。もしそれを事前に知ってたら、もっとトラディショナルなアルバムを出して、それに合わせたかもしれない。でも実際には、僕はあの映画のためにフランク・シナトラ風の音楽を作ったあとに、ザ・ウィークエンドっぽさもあるアルバム(『Love In a Time of Madness』)をリリースしてしまって、みんな「え? どういうこと?」ってなったんだ(笑)。あの時は自分でもちょっと混乱したよ。キャリア的にはチグハグな瞬間だった。

でもアーティストとしては、すごく学びが多い体験だった。「自分にはこんなに振れ幅があるんだ」って気づかされた。それにトラディショナルなジャズを聴きたいファンだけじゃなくて、エレクトロニカやフライング・ロータスっぽい要素を求めてるファンもいるってことも実感したしね。だから、それ以来、予想外のことが起こる瞬間を僕はむしろ歓迎してるんだ。新しい情報や刺激をくれるから。

―新しい刺激ですか。

ホセ:そもそも アーティストがすべてを完全にコントロールできる状況って、逆に危険なんじゃないかとも思ってる。たとえば、ルチアーノ・パヴァロッティは7年先までスケジュールが決まっていたらしいんだ。どのホールで、どの指揮者と、どのレパートリーをやるかすべて計画済み。それってすごいことだけど、「サプライズがない」って意味では、少しつまらないかもしれないよね。

来週、新しい映画のレコーディングがあるんだけど、それって1週間前に突然オファーが来たものなんだよ。でも、そういう不意打ちのチャンスって、自分の実力を試すタイミングでもある。 「今すぐやって、ちゃんといいものを出せるのか?」っていうテストみたいなもの。それに対して、「できるよ。今の僕ならやれる」って自分で答えられたときの喜びは大きいんだ。だから僕は、そういうコントロールできない瞬間があることが好きなんだ。むしろ、すべてが思い通りに進んでいるときほど、自分が成長してない気がする。

今の自分は「そこそこやれてる」と思うけど、もっと上手くなりたいとも思う。そう考えると今が僕のキャリアの中間地点くらいなのかもしれないね。

―「やりたいことにチャレンジしたい」という気持ちは常にあると思いますが、一方で年齢を重ねるなかで、キャリアを着実に積み重ね、評価を高めていくことも、長く活動を続けるうえでは大事な要素だと思います。こうして年齢を重ねた今、これからもキャリアを安定して続けていくために、意識していることはありますか?

ホセ:僕自身、そうしたことは、今ちょうど書いている本の中でも取り上げている。どんな年齢のアーティストにとっても大切なのは、自分の目的(purpose)を理解しているかどうかなんだ。

僕には本当にラッキーなことに、カート・エリングという10年先を歩く存在がいる。彼のキャリアの選択には、「自分だったらこうしていただろうな」と思うようなものがたくさんあって、うまくいったものもあれば、そうでなかったものもあると思う。だから彼は、僕にとって”先を行く実験者”のような存在で、「これはやめておこう」「これは真似したいな」と、学べることが本当に多かった。カート・エリングの存在には、心から感謝している。

―明確なロールモデルがいたんですね。

ホセ:そして、年齢を重ねるほどに、目的はどんどんクリアになっていくと思う。僕にとっての目的は、ジャズ・シンガーとして、他のミュージシャンたちときちんとつながっていること。つまり、自分が同業のジャズ・ミュージシャンたちからリスペクトされているかどうか。それが僕の目標なんだ。

だからもし、Instagramでサマラ・ジョイみたいに今をときめくジャズ・シンガーを見て、「自分はどんな曲を作ればいいんだ?」なんて思い始めたら、それはかつての自分が抱えていた欠乏マインド(scarcity mindset)に戻ってしまうことになる。でも、今の僕はそうじゃない。みんな似たようなことをやっているように見えても、それぞれ欲しているものは違うんだ。

―わかります。

ホセ:あと、僕にとっての喜びは、次世代のミュージシャンを育てること。自分のバンドを、アート・ブレイキーやマイルス・デイヴィス、ベティ・カーターのように、「育成の場」にしたいんだ。僕のバンドで演奏したミュージシャンたちが成長して、やがて黒田卓也やクリス・バワーズ、ジャリス・ヨークリーのように、自分の道を切り開いていく。そうやって世界に貢献できる方法を、僕は持っていると思ってる。

そこに集中していれば、お金や名声といった結果は自然とついてくる。でも、「どうやって稼ごうか」と考え始めたら、目的を見失い、結果的に両方を失うことになる。僕が学んだのは、まさにそういうこと。だからこれはある意味、宇宙を信じることでもあるし、同時にコントロールを手放すことでもある。「すべてはうまくいく。大丈夫」と思えるかどうかなんだ。

若い頃みたいに、大きなレビューや外からの評価を求める気持ちは、もうあまりない。今の僕にとって大事なのは、自分の存在がミュージシャンたちにとって意味のあるものかどうか、ということなんだ。

マイルス・デイヴィスも、きっとそうだったと思う。彼は有名だったし、裕福でもあったけど、何より「ミュージシャンたちから尊敬されているか? 若い世代が自分の音楽を聴いているか?」を気にしていた。僕も、まさに同じ方向を目指している。そして、ファンが僕の音楽を聴いてくれて、ライブでしっかりつながることができていれば、それで最高なんだ。

サッチモのように幸せに死にたい

―音楽家にとっての豊かさとは何か、という話は考えさせられますね。

ホセ:その話でいうと、僕にとって最大のインスピレーションのひとりが、ルイ・アームストロング。彼はジャズ・シンギングの原型をつくった存在なのに、ニューヨークのクイーンズで、ごく普通の家に暮らしていた。立派ではあるけれど、決して豪邸ではない。それでも、彼の人生は十分に幸せで豊かだった。それってすごいことだと思うんだ。

もし今の時代に「ジャズ・シンギングを発明した」なんて人がいたら、きっと本を出して、マスタークラスを開いて、1枚1000ドルのチケットでツアーして……なんてことになるよね。でもルイ・アームストロングは、ツアーから帰ると近所の子どもたちと遊んで、普通の人として暮らしていた。そして、自分に家があることに心から感謝していた。彼は幸せに生きて、幸せに死んだ。「ハンプトンズに別荘があったらなあ」なんて思いながら死んだわけじゃない。

僕は今、それに少しでも近づこうとしている。これは少し深い話になるけど、ちゃんと答えておきたい。僕は、僕たちの世代や社会が、すでにあるものを「足りていない」と思い込まされるトリックに引っかかっている気がするんだ。でも実際には、僕たちは本当にたくさんのものをすでに持っている。ただ、ほんの少し視点を変えるだけで、感謝の気持ちを持てるようになる。

今の僕、もしかしたらディーパック・チョプラ(※ニューエイジ思想の第一人者)みたいなことを言ってるかもしれないけど(笑)、でも本当に、それがいちばん大事なことだと思うんだ。僕は、ルイ・アームストロングのように幸せに死にたい。「自分には使命があって、それを果たして、何かを遺した」って思いながら死にたいんだ。それこそが、彼の”富”だったと思う。

―ヘルシーな活動と生活のロールモデルとしてのサッチモですか。なるほど。

ホセ:でも今は、TikTokやInstagramで四六時中、「君はここにいるべき」「これができるはず」「あれも持てるはず」といった情報が押し寄せてくる。「友達があの助成金を取った」「あの人がルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターになった」なんて、信じられないような話が次々と入ってくるんだ。すると頭が混乱してきて、「自分もBMWの何かをやるべき?」「スニーカーコラボをすべき?」「なんで自分はやってないんだろう?」って思い始めてしまう。そして気づいたときには、自分が何者なのかを見失っている。

だからこそ、そんなときほど「もっとシンプルに考える」ことが大事なんだ。僕にとって、毎年日本に来ることは、そういう情報を一旦リセットするための大切な時間になっている。「自分の使命とは何か」「精神性とは何か」「思いやりとは何か」を思い出させてくれる。日本にいると、自分のベストな状態が引き出される気がするんだ。だから、いつも日本に歓迎してもらえて本当に感謝してる。「いい仕事を続けろ。それが君の役目なんだ」って、思い出させてくれるから。そして報酬は、人からではなく宇宙が人を通して与えてくれる。それが、僕の中で起きたシフトなんだ。

音楽家にとっての「豊かさ」とは? ホセ・ジェイムズが語る人生の目的とカンフー映画の教え

Photo by Janette Beckman

―納得です。あなたは、自分のやりたいことを継続的に形にしているし、しっかりファンも獲得している。作品を出せば、きちんと聴かれて評価もされている。もちろん、もっと大きな成功を収めている人もいるかもしれない。でも、それこそがアーティストにとって本当の理想的なあり方なんじゃないかと思うんです。

ホセ:友人でもあるジェイミー・カラムからも学んだことがたくさんある。彼のレベルの成功って、ある意味ゴールデン・ハンドカフ(金の手錠)みたいなところがあるんだ。あれだけの成功を収めてしまうと、自分のやりたい方向に自由に進めなくなることもあるからね。

だからこそ、「自分の目的は何か?」って問い直すことが大切になる。大きな家が欲しいのか? 大金を得たいのか? でもその代わりに、自由を失ってしまうかもしれない。アーティストとしての自由がなくなって、「この数字を出さなきゃ」「このファン層を満足させなきゃ」「スタッフがいるから責任を果たさなきゃ」っていうプレッシャーを背負うことになる。それは僕には向いていない。僕は自由でいたいし、カンフー映画を作っていられる自分でいたいんだ(笑)。

音楽家にとっての「豊かさ」とは? ホセ・ジェイムズが語る人生の目的とカンフー映画の教え

ホセ・ジェイムズ
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