いわゆる”クラシカル・クロスオーバー”に分類される人だが、その音楽的なバックグラウンドは想像以上に幅広く、ケンドリック・ラマーなどヒップホップ勢へのシンパシーも表明。最新作『Classical Soul Vol.1』ではソウル古典を題材に選び、ソウル・ミュージックとクラシックの共通項をあぶり出すという、ありそうでなかった試みに挑んでみせた。
久々に来日が決定、6月3日にビルボードライブ東京、6月4日にビルボードライブ大阪で公演を行うアレクシスをキャッチ。坂本龍一やエリック・サティの話から、ジャズ、ソウル、アフロビートまで、彼を刺激してきた多種多様な音楽について、熱く饒舌に語ってくれた。
日本との接点:堤幸彦、沖仁、坂本龍一
─あなたと日本というと、堤幸彦監督の映画『人魚の眠る家』の音楽を手がけたことが思い出されます。どんなきっかけであの映画に関わることになったのでしょう?
アレクシス:監督が僕のアルバムを気に入って連絡をくれたんだ。その後、特に『Evolution』について話し、映画のためにどんなサウンドを作りたいのかを聞かせてもらったんだよ。僕が映画のために作曲する場合、普通は映像がすでに存在していて、その画面に合わせて作曲をする。でもこの作品は先に映像が出来上がっていなかったので、そのシーンで何が起こっているのか文字で説明され、それに基づいて感情を表現した楽曲を書き下ろす、そういうプロセスで作業を進めていったんだ。普段とは異なるやり方ではあったけれど、ある意味それはすごく自由でもあった。特定のイメージに縛られずに自由に感情を表現できたからね。監督とのコラボレーションは本当に楽しかった。
─原作は東野圭吾の小説でした。あなた自身父親でもありますが、父としての視点で観たときに、あの映画のストーリーをどう感じましたか?
アレクシス:僕の子供たちはもう成長して大人になっているけど、成長した今、昔を振り返ると数多くの忘れられない瞬間がある。今でも過去を振り返り、子供たちの成長の過程や自分自身の親としての道のりについて一人で考えたり、妻と話し合ったりもするんだけれど、その中でも、特に息子が生まれた時期のことは鮮明に思い出されるんだ。たとえば、妻が困難に直面した時、親としてどう向き合ったかとか、そういうときに妻の姿を見て自分が感じた不安や焦りだったりをね。二人のうち片方が”もしもことがうまくいかなかったら”と考えるのを避け、もう片方は世界が崩れていくような感覚に陥ったりする……そういった様々な感情の接点は、たぐい稀なものだと思うよ。そして、子供にとって親からの愛ほど特別なものはない。映画は明らかにフィクションだけれど、人間として、親として、僕たちが直面するある種のディストピア的な現実を描き出していると思うし、人間関係、愛、愛の意味、そして愛の力が僕たちをどう促すかについて深く考えさせる作品だと思う。作曲家としても親としても、そのテーマを追求する上で非常に豊かなインスピレーションの源泉となる作品だったね。
─あなたは日本人のギタリスト、沖仁との共演も経験されてますね。彼の「Kiria(キリアの街)」にあなたが客演する一方、あなたの『Truth』(2022年)で「Viva Vida Amor」に彼が客演したりと交流が続いています。
アレクシス:彼とは日本でのコンサートで初めて会ったんだ。彼は、まるで僕が彼のことを長年知っているような感覚を与えてくれる人だった。
─クラシックをベーシックに持ちながら他のジャンルからの影響も取り込んでいる点、シネマティックな曲を得意とするという点で、あなたの作品から坂本龍一のクラシカルな作品と通じるものを感じます。これまで坂本さんの楽曲に触れる機会はありましたか?
アレクシス:もちろん。僕にとって重要な作曲家が数名いると思うけれど、作曲家として、演奏家として、音楽を創造する者として、僕の個人的な哲学は……楽器の技巧を磨くことと同じくらい、まず第一に”卓越した聴き手”になることが必要だ、ということ。
若い頃、僕は多くの作曲家やピアニストの伝記を読み、レコードをとにかく聴きまくった。何が起こっているのか、何が存在しているのか、そのアーティストが何をしているのかを細かいレベルで理解したかったから。その過程で坂本龍一の音楽に出会ったんだけれど、世界にこんな美しい音楽を作る人がいることを知った時の興奮は言葉にできないよ。僕が知る限り、そこまで感動したのはたった数人だけ。その一人はキース・ジャレット、そしてもう一人は坂本龍一。その後ディヌ・リパッティや他のミュージシャンをたくさん発見したけど、坂本龍一は僕にとって”鍵”となる存在だった。なぜなら、彼の音楽にはかなり独自性があるから。彼は唯一無二の存在であり、多くのアーティストたちに影響を与えたと思う。彼の音楽には、人間性や理解の重みが宿っていたと思うんだ。人間の精神を反映していると思う。
─あなたは「”人々の生活に溶け込む音楽”というエリック・サティの哲学にインスパイアされた」と語っていますが、それは坂本龍一の作品とも通底するものですね。
アレックス:そうだね。エリック・サティは、物語が魅力的な人だと思う。彼の音楽は、今では街のいたるところで聴かれるほど普遍的だけれど、彼は”背景に溶け込むような音楽”という概念に魅了されていた。彼は人々が日常生活を送りながら彼の音楽を聴くというアイディアを愛していたんだよ。これは、現代の多くのミュージシャンが「コンサートでスマホが邪魔だ」と話すのとは正反対だ。エリック・サティは、人々がスマホを使いながら彼のコンサートを観ることを、むしろ気に入っただろうね(笑)。
君が指摘したように、サティの音楽と坂本龍一の音楽には類似性があると思う。両者のDNAに共通しているのは、音楽が人々の役に立つことを望む謙虚さだ。そして、僕もそれと同じ考えを持っている。人々が電気工や配管工を呼んで家の修理を頼むのと同じように、僕の音楽も人々の役に立つものであってほしい。僕も音楽が奉仕する存在であるというアイディアが大好きなんだ。そして、その言葉を考案したもう一人の作曲家がいる。それはベンジャミン・ブリテンで、彼は、”作曲家ができる最も偉大なことは、役に立つことだ”と言っている。僕はその言葉が大好きだし、人々が音楽を使って自分の精神を再生し、リセットし、中心に戻すことができるというアイディアに魅了されるんだ。それは坂本龍一にも当てはまるし、僕自身にも深く響くものだと思う。
クラシカル・ソウルという音楽観
─”シネマティックな音楽”という点で思い出すのは、あなたが以前マイケル・ナイマンの曲を取り上げたことです。ナイマンの楽曲のどんなところに魅力を感じますか?
アレクシス:昔、ポイント・ミュージックというレーベルがあった。そのレーベルにナイマンはいなかったけど、ポイント・ミュージックには何人かの作曲家がいてね。
─なるほど。ところで、先ほどキース・ジャレットの名前が出ましたが、他に好きなジャズピアニストは?
アレクシス:僕は3、4歳の頃、スティーヴィー・ワンダーやベートーヴェンをはじめ、自分が聴いてた様々な音楽に合わせて即興演奏をしていた。オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、モーツァルト、バッハなど、彼らの音楽のDNAを吸収して即興演奏を学んでいったんだ。そして、それは僕にとってショパンのエチュードやフーガの練習と同じくらい真剣な作業だった。僕にとって自分を魅了したピアニストたちに境界線やヒエラルキーは全くなく、クラシックのピアニスト、ジャズピアニストという概念は存在しないし、今も存在していない。だから、誰かに何者か尋ねられたら、僕は自分のことを”クラシカル・ソウル・ピアニスト”と答えている。
”クラシカル・ソウル”というのは、ソウル・ミュージックを愛し、クラシックの訓練を受けたピアニストだから。自分のアーティストとしてのルーツを答えるなら、オスカー・ピーターソン、チック・コリア、キース・ジャレット、ハービー・ハンコックはもちろんそうだし、同時に僕の枠組みを作った人として、マルタ・アルゲリッチ、グレン・グールド、クリスチャン・ツィメルマン、イーヴォ・ポゴレリッチといったアーティストたちが思い浮かぶ。ピアニスト以外にもたくさんいるよ。マイク・スターン、ジョン・マクラフリンだったりね。僕にとって境界はないんだ。ヴィルトゥオーソの世界は、境界のない宇宙。それが僕の哲学なんだよ。
─最新アルバム『Classical Soul Vol.1』のアイディアが素晴らしいと実感できたのは、僕自身もスティーヴィー・ワンダーの「Ribbon In The Sky」のような曲や、ダニー・ハサウェイが書いたメロディから、クラシカルな要素を感じてきたからです。
アレクシス:うん、わかるよ。
─クラシックとソウル、二つのジャンルの間に接点を見出して、このようなアルバムを作ろうと思ったきっかけは?
アレクシス:子供の頃にスティーヴィー・ワンダーの曲を聴きながら台所で即興演奏していたのが原点だと思う。あの頃の生活や子供時代の曲、その全てが今回の作品に影響しているんじゃないかな。そして、彼の音楽の次にショパンのような音楽を聴いた時、そこでも境界線がないことに気づいた。僕はスティーヴィー・ワンダーを聴くことで、ハーモニーや作曲について学ぶことができた。バッハやベートーヴェン、モーツァルトの音楽に対しては常に尊敬の念を抱いてきたし、彼らのような伝統的な天才作曲家たちは、僕のクラシック音楽の伝統の柱でもある。でも、過去の偉大なソウル・ミュージシャンたちに対して同じレベルの職人技や芸術性、天才性に対する尊敬が与えられているかどうかを考えたんだ。
例えばマーヴィン・ゲイなんかは、作曲や曲の構成において、ジョージ・ガーシュウィンが音楽にもたらしたのと同等のことをやっていると思う。僕がやりたかったのは、ソウル・ミュージックを含むあらゆる伝統を受け継いだソングライティングや曲作りの天才性について人々に考えさせ、職人的な技術を活かして作られる音楽と、古典的な芸術性の間にある系譜、黄金の結びつきを作品に反映することだった。だから、曲の中には実際その系譜を暗示するようなものもある。伝統的な要素と新しい音楽を作るための技術を組み合わせつつ、自分の曲作りの基盤がソウル・ミュージックの伝統に深く根ざしているものだということを明確にしたかったんだよ。
─『Classical Soul Vol.1』では、ロバータ・フラックの「Killing Me Softly With His Song」も、アルバムでアダプテーションの素材として取り上げられていますね。ロバータは惜しくも最近亡くなってしまいましたが、クラシック、ジャズ、ソウル、ポップス、すべてをクロスオーバーさせた先駆者のひとりとして、もっと高く評価されるべき人だといつも思っています。
アレクシス:まったく同感。僕が「Killing Me Softly」を用いて即興をやったとき、彼女がそのパフォーマンスに対してInstagramでコメントしてくれた時は本当に感動した。あの曲はまさに名曲だし、あの曲だけでなく、彼女の声、芸術性、壮大さ全てが本当に素晴らしい。彼女にはもっと敬意が払われるべきだし、彼女が現代音楽に与えた貢献は計り知れないと思うね。
─「Fate」という曲ではベートーヴェンの誰でも知っている『運命』のフレーズを使って、まったく異なる風景を見せていきますね。クラシックを詳しく知らない人でも楽しめる、リスナーを選ばないアダプテーションだと思いました。
アレクシス:音楽と引用には、たくさんの楽しみがあると思う。ヒップホップではサンプルという言葉がよく使われるけれど、クラシック音楽でもインターポレーションとサンプリングは昔から存在しているものだからね。例えば、ベーラ・バルトークが広場に行き民謡奏者の演奏をレコーディングして、その音を自身の音楽に取り入れていたように、その歴史は深い。ドヴォルザークがアフリカ系アメリカ人の音楽を愛し、それがクラシック音楽の未来の鍵だと考えていたことも知られている。ラヴェルはジャズを愛していたし、ストラヴィンスキーや他の作曲家たちも同様だった。つまり、音楽が存在し続ける限り、作曲家たちは常に他の要素を自分の音楽に取り入れることを楽しんできたんだよ。それこそ、僕が「Fate」でやったこと。ケヴィン・オルソラ(ペンタトニックス)との仕事は本当に楽しかった。そして、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団にも参加してもらい、僕はあの曲でアレンジとプロデュースも手掛けたんだ。あれを制作している間は、本当に楽しい時間だった。あの作品が人々を笑顔にしてくれることを願っているよ。
─あなたがBlack Lives Matterに反応して、2020年に「Walk With Us」という曲を発表したことも忘れられないです。あの時はどんな心境であの曲をリリースしたのですか?
アレクシス:あの時は、(コロナ禍で)僕たち全員の動きが制限されていた中で世界中のコミュニティと繋がり、その一部になりたいという気持ちがあった。そこで、ミュージシャンとして僕が知っていた唯一の方法である音楽を通じて、世界中の人々と繋がろうと思ったんだ。あの時期は、世界中の個人も集団もストレスを抱え、グローバルな断層線が初めてあらわになりはじめた時期だったと思う。ストレス下にあると、様々なことが起こり始める。現在、僕たちが生きる時代は、かなり不安定で分断され、人々が同盟を結ぶ方法が部族的なものになっている。そんな中、ミュージシャンとしての僕の役割は、僕のチームと共に、自分の周りに存在する世界を理解することだと思ったんだ。
今の時代、二元的な思考がよく見られる。「こう考える人はこう考えることはできない」とか、「あなたのような人は私の部族にはいない」とか。それがどちら側にあるか、と人々や物事を分ける二元論的政治の概念が、今ますます広まっていると僕は感じているんだ。それにより、人々はニュアンスを理解できず、多面的な視点への評価が欠如している。あの曲をリリースしたとき、僕はコミュニティと社会正義のための行進に参加する人々との連帯を示すことを望んでいた。全ての人々のための平等、公正、社会正義、教育へのアクセス、公平な生活水準へのアクセス、共通の礼儀と道徳へのアクセスといったテーマは、僕にとって常に重要だからね。今、世界中でそういったものの価値が侵食されている。これは僕たち全員が立ち向かわなければいけない問題だと思うし、特に政治的な分断が深刻化する現在、極めて重要な課題だと思うんだ。
─同感です。「Soar」という曲はコンゴのファリー・イプパをフィーチャーしていますね。どんなきっかけで彼を起用することが決まったのか教えてもらえますか?
アレクシス:僕はアフロビートが大好きで、ダヴィド(Davido)みたいなアーティストも大好きだし、とても素晴らしい音楽ジャンルだと思う。そして、あの曲にはもちろんアフロビートがある。この音楽について学び、その表現の中に感じる自由さに感動し、それをクラシックの文脈に取り入れたいとも思ったんだ。ファリー・イプパはアリーナで5万人を動員する、コンゴやパリで人気の大スター。彼の声は本当に美しく感動的で、彼の音楽について前に学んだことがあったから、友人を通して彼に連絡をとり、参加してもらうことになったんだ。彼は歌詞を書き、僕はゴスペル合唱団と世界的なオーケストラのロイヤル・リバプール・フィルハーモニー管弦楽団、そして友人のケヴィン・オルソラを招いて、僕が望んでいた三重協奏曲のようなものを作った。ベートーベンの三重協奏曲のアイディアを取り入れ、それをアフロビートのスタイルにアレンジしたんだ。それに加えてファリーは母国語やフランス語、英語でも歌い、ケヴィンがチェロを弾き、あの曲作りは本当に楽しかったし、プロデュースするのも楽しかった。異なるパレットや音色、テクスチャーが融合している。ケヴィンとファリーという二人のアーティストの大ファンとして、彼らと一緒にオリンピックの時期にポジティブなメッセージを発信し、広める音楽作品を作れたことは嬉しかったね。
─『Classical Soul Vol.1』を作る前にご両親を亡くされ、個人的な感情が新しいアルバムに込められたところはあるのでしょうか?
アレクシス:うん。僕にとってこのアルバムは感謝の気持ちを表現した作品。犠牲、愛、寛大さへの敬意と感謝を込め、父が僕に与えてくれた機会や、ロバータ・フラックをはじめとするアルバムで敬意を表しているアーティストたちへの想いを皆と共有するアルバムなんだ。手短かに言えば、感謝をテーマにした作品。両親の死がアルバムの形成と枠組みに影響を与えたのは事実だけれど、このアルバムは暗く悲観的なものではない。むしろ、感謝の気持ちに満ちた作品なんだ。そして何よりも、このアルバムは僕自身が僕の内なる交響曲と交わす会話のような作品になっている。僕はこれを「内なる会話」と呼んでいるんだけれど、これは時間をかけて成熟していくものだ。このアルバムは、リスナーが自分自身の内なる交響曲と繋がるための招待状のようなものだよ。
僕たちは、コンサートを通して内なる交響曲のアイディアを発展させていくんだ。その瞬間に人々が最も大切に思うことを拡大するというその行為を、僕はすごく気に入っている。これこそが、アートや音楽が持ち得る特別な力だと思う。音楽を聴くために人々が集まる時は、政治的な意見や信念が異なる、普段は一緒になることが想像できないような人々が同じ部屋に集まる。音楽の力によってそれが実現し、他者と共に座り、一つのプリズムを通して内なる交響曲と繋がるんだ。そのプリズムが、『Classical Soul Vol.1』であり、そういう意味では、このアルバムはディスクに収録された曲以上に大きな希望をもたらすことができるのかもしれない。このアルバムが、人々が内省し、自身の創造性やアイディア、情熱を羽ばたかせる機会となることを願っているよ。
─最後に、今回の来日公演ではどんなショーが期待できそうか、こっそり教えて頂けますか?
アレクシス:長く愛され、世界中の人々と繋がることができる「Bluebird」は特別な曲だから、必ず披露すると思うし、人々にとって『Dreamland』(2020年)が大きな存在であることもわかっているから、もちろんあのアルバムからの曲も演奏する予定だよ。そして、東京と大阪の人々が最も大切に思っていることを空間の中で受け止めて共に創造し、その瞬間にしか存在しない独自の芸術作品を生み出して、それを探求したいと思っている。それが喜びと美しいメロディに満ちた祝福のような瞬間となり、人々に深く響くものとなることを願っているよ。

アレクシス・フレンチ来日公演
2025年6月3日(火)ビルボードライブ東京(1日2回公演)
1stステージ 開場16:30 開演17:30 / 2ndステージ 開場19:30 開演20:30
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2025年6月4日(水)ビルボードライブ大阪(1日2回公演)
1stステージ 開場16:30 開演17:30 / 2ndステージ 開場19:30 開演20:30
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