サックス奏者のジェームス・ブランドン・ルイス(James Brandon Lewis)が、6月16日・17日に東京・丸の内コットンクラブで来日公演を開催する。

1983年生まれの彼がジャズの枠を超えて注目を集めるようになったのは、2020年代に入ってから。
パンク系のEpitaph傘下のレーベル、Anti- Recordsと契約したり、DCハードコアの伝説的バンド、フガジのメンバーが参加しているThe Messtheticsとコラボしたことで、Pitchforkなど非ジャズ系のメディアからも多く取り上げられるようになった。

その音楽は、一見すると激しい即興を軸にしたフリージャズのようにも聞こえるが、実は巧みに設計された思慮深いものだ。彼独自の「システム」を中心にした音楽制作や、暗号のようにさまざまな引用を忍ばせてあらゆるジャンルを取り込む手法、ヴィジュアルアートなど音楽以外の文脈を盛り込んだ作品のコンセプト設定は、アフリカ系アメリカ人の歴史とも密接に結びついている。つまり、ジェームスは即興演奏家としてだけでなく、新たな時代の作曲家として、あるいは音楽の枠を超えたアートの制作者として高い評価を得ているのだ。

2025年の最新アルバム『Apple Cores』のリリースと来日公演に際し、これまで日本ではあまり紹介されてこなかった彼にインタビューを実施した。ここでは、彼が評価されているポイントについてじっくりと語ってもらっている。結果的に、現在のブラックカルチャーをめぐる重要な議論を含む内容となった。

「モレキュラー・システマティック・ミュージック」とは?

―バプテスト派の牧師の家庭に育ったそうですね。2023年にはマヘリア・ジャクソンに捧げた『For Mahalia, With Love』も制作されています。キリスト教音楽との関係について教えてください。

ジェームス:父が牧師だったこともあり、霊性や創造主への信仰は、私の人生と常に共にありました。今も信仰は私の内にあり、宇宙や世界の中で自分の小ささを意識することで、物事に意味が生まれると感じています。
『For Mahalia, With Love』はそうした意識から生まれた作品で、祖母の影響が大きかった。祖母は幼少期にマヘリア・ジャクソンのコンサートを観ていて、その体験を語る姿は、初めてコルトレーンを聴いた人たちが語る神秘体験のようでした。

私のすべてのアルバムには、「存在の感覚」が通底しています。存在すること、アーティストであることの意味を問う姿勢は、日々の実感と深く結びついています。たとえばジョン・コルトレーンの『A Love Supreme(至上の愛)』が象徴するように、創造性は神との出会いから生まれるものだと思うんです。信仰や愛を「体験」せずに演奏することはできません。

私自身も経験や伝統を踏まえて音楽をつくっています。マヘリアについても、彼女の音楽を深く聴き込み、彼女の精神を体現することを目指しました。模倣ではなく、彼女と同じ感情や目的を喚起することが目標なんです。だから、私のアルバムには必ずスピリチュアリティに関する痕跡がある。それはすべての作品に共通する要素です。

―学生時代、トランペット奏者ワダダ・レオ・スミスに師事していたそうですね。
彼からはどんなことを学びましたか?

ジェームス:「既知のものを超えろ(Get beyond known things)」という言葉が特に印象に残っています。すでに知っている領域の先へ行け、という教えですね。彼だけでなく、チャーリー・ヘイデンやウィリアム・パーカー、デイヴ・ダグラス、ヘンリー・スレッギルといった人々からも多くを学びました。彼らに共通するのは、「限界のその先を見据える」という姿勢です。

それは「意図」や「意味」「美しさ」といった美学に関わる話でもあります。音をただの周波数や道具としてではなく、何かを”具現化”するものとして扱う。音楽家とは、音に意味を与える存在なんです。単に音を並べるのではなく、「何を伝えたいのか?」という感覚や目的意識が問われている。ウィリアム・パーカーは「トーンの世界へと逃れる(escaping to the tone world)」という概念を語ってくれましたが、それはサン・ラにも通じるものがあり、異なる次元や在り方を目指すという思想は、世代を超えて受け継がれていると思います。

―ワダダ・レオ・スミスは独自の音楽システム「Ankhrasmation」や図形楽譜を用いています。そうした部分は、あなたの音楽にも影響を与えていますか?

ジェームス:もちろんです。最初に彼と話したとき、「あなたはフリージャズのミュージシャンですか?」と尋ねたら、「違う、自分がやっているのは”システマティック・ミュージック”だ」と答えたんです。
その言葉にとても納得しましたし、強く影響を受けました。音楽を「システマティック」と捉えるという考え方は、ワダダから初めて教わったものです。私自身の作品にも、その考え方が色濃く反映されています。

自分のカルテットでの活動を振り返ると、「音楽のシステム」と作曲・即興の方法論を自分なりに発展させてきたと思います。それを私は「モレキュラー・システマティック・ミュージック」と呼んでいて、分子生物学や知覚、螺旋構造などから着想を得ています。これは西洋音楽の枠組みを超えるためのアプローチです。

今も五線譜で譜面を書いてはいます。その一方で、視覚的な発想からも音楽を考えます。実際に、自分で分子構造を描き、それを音楽理論や原子価構造の概念と組み合わせて、和声の展開を予測するモデルとして活用しているんです。こうしたシステムは、カルテットの新作『Abstraction is Deliverance』(5月30日リリース)にも反映されています。

―その「システム」というのは流動的に変化したりもするんですか?

ジェームス:アンサンブルごとに色合いや目的は異なります。すべてのグループが同じ「システム」で動いているわけではありません。
たとえば(今年リリースのアルバム)『Apple Cores』は若い世代とつながるためのプロジェクトで、ヒップホップやジャズのエネルギーを通じて交流を図っています。一方で『For Mahalia, With Love』や『Jesup Wagon』といった過去のプロジェクトでは、よりトラディショナルな編成を使いながらも、自分なりのシステムを組み込んでいます。絵を描くときに毎回同じ色を使わないのと同じで、表現に応じて使う道具や構造は変わります。「システム」とは結局、情報をどう整理し構築するか、ということなんです。

私が音楽を学び始めた頃は、西洋の楽譜や伝統に基づいた教育ばかりで、「個人的なアプローチ」について考える機会はありませんでした。でも、オーネット・コールマンやワダダ・レオ・スミス、セシル・テイラーらに出会い、音楽には別の道があると気づいたんです。サン・ラの「Space is the Place」(空間こそが居場所)やアルバート・アイラーの「Music is the Healing Force」(音楽は癒しの力)といった哲学的な思想を通じて、オーネット・コールマンのハーモロディクス理論のみにとどまらず、「音楽とは何か」というより深い問いへと向かうようになりました。

私は世界のどこにでも属することができる

―先ほど、西洋的ではないアプローチや、アフリカ系アメリカ人の偉人について話が出ました。あなたが独自の音楽言語やシステムを築こうとする姿勢は、自身のアイデンティティと関係していますか?

ジェームス:そう思います。どこかで「自分の物語を語る」必要がありますが、それは狭い視野ではなく、広がりと深さを持ったものです。自分がアフリカ系アメリカ人であることを意識しつつも、その枠を越える自由もまた重要です。

最近、ある友人と「平等とは、他者が自分に許しているのと同じ自由を自分にも与えることだ」という話をしました。
私はブラックであり、アフリカ系アメリカ人です。でも、それだけに永遠に従属しているわけではありません。私はその境界を自由に出入りできるんです。だからこそ、たとえば西洋の記譜法が私に与えられたものであったとしても、私は想像力を持って、あらゆるものになれる、あらゆる文化になれると言えます。なぜなら、私の中には「私を受け入れようとしなかった記憶に縛られない自由」があるからです。

「あなたは誰ですか?」と問われたら、「私はアフリカ系アメリカ人、でも私は世界中のどこにも属することができる存在だ」と答えるでしょう。強制的な移動によって記憶が消されたとしても、そこにはトラウマだけでなく「再創造」や「好奇心」といった新たな可能性も残される。だからこそ、サン・ラが「自分は土星から来た」と語ったように、私も自分自身の物語を自由に描くことができるのです。

ジェームス・ブランドン・ルイスが語る、西洋音楽の枠組みを超越した「即興と記憶のシステム」

©︎SELMER

―興味深いです。もっと詳しく伺いたいですね。

ジェームス:たとえば10作目のアルバム『Jesup Wagon』では、農科学者ジョージ・ワシントン・カーヴァーや、ゴスペル・シンガーのマヘリア・ジャクソンを思い浮かべながら制作しました。この作品は、抽象画家ジャック・ウィッテンの「ブラック・モノリス・シリーズ」に着想を得たものです。
彼の作品は黒人の歴史的人物を抽象的に描いていて、そうした歴史的テーマを音楽で語るアイデアにつながりました。結果的に、自分自身の物語を語る方法を見つけることができたんです。

同時に、私はパウル・クレーやカンディンスキーといった抽象画家からも強く影響を受けています。だから『Jessup Wagon』では、単に偉人を称えるだけでなく、語りの方法やニュアンスをより意識しました。

たとえば「教会体験」について。それ自体は特別なことではなく、多くの人に共通するものです。重要なのは、それをどう語るか。その語りのニュアンスにこそ、個人的な独自性が宿ると思います。教会に通うブラック・ミュージシャンはたくさんいますが、それは理解のクラスで言えば「レベル1」です。そこからさらに深く掘り下げると、「説教の響きを自分の楽器でどう表現するか」といった問いが出てくる。

アメリカでは、音楽が目的を持って「機能」している最後の現場のひとつが教会です。たとえば祈り。説教の前後に行われるそれらの音楽的実践には明確な機能がありますが、今ではそういう場は非常に限られています。だから、私としてはこう言いたいですね。「1983年から私はブラックとして生きてきましたから」と(笑)。

「暗号」を音楽に編み込む理由

―以前、Jazzwise誌で「暗号」や「コード化された情報」について語っていらっしゃいました。こうしたアイデアは、「システム」を重視するあなたの音楽観と深く関わっているように思いますが、アフリカ系アメリカ人の伝統とどう結びついているのでしょうか?

ジェームス:私は「記号」や「象徴」、「コード化」に惹かれます。たとえばスラングやアフリカ系アメリカ人のキルトの柄、アフリカのルバ族の「メモリーボード」など、意味を宿した文化的装置に心を動かされるんです。記憶や物語が「仕込まれた」ものに魅力を感じます。音楽も同じです。音符は抽象的な記号にすぎないけれど、私たちはそこに意味や価値を読み取る。詩やシュルレアリスムにも似た魅力があって、表面ではなく、その裏にある情報にこそ関心がある。私はアルバムに情報を「埋め込む」のが好きなんです。

―埋め込む、というのは?

ジェームス:「Don't forget Jayne」と書けば、誰かが「ジェーンって誰?」と調べて、詩人ジェーン・コルテスにたどり着くかもしれない。「Five Spots to Caravan」という曲の”Five Spot”は実在したジャズクラブ、”Caravan of Dreams”はオーネット・コールマンに関連する場所やレーベル。そうした複層的な意味を込めています。

「Every Atom Glows」はノーマン・ルイスの絵画から、『Days of Freeman』の曲「Able Souls Dig Planets」はディゲブル・プラネッツへの言及。私も昔、ジョシュア・レッドマンの「Groove X」を聴いて「Xって何だろう」と調べたら、マルコムXに行き着いたことがあります。そういった音楽に潜む「謎」に惹かれるんです。

―その発想はどこから来ているのでしょう?

ジェームス:詩人と仕事をするなかで学びました。詩のように、音楽にも謎や断片を仕込む。たとえば、『Days of FreeMan』に入っている「Epilogue(Brother 1976)」という曲では、ア・トライブ・コールド・クエスト『Midnight Marauders』の収録曲(「8 Million Stories」)のメロディを取り出して、そのメロディを拡張しています。誰かのフレーズの一部を取り出し、そこに自分の音楽を書き足す。断片化して配置をずらすことで、意味を直接的に語らずに残すんです。「Twenty Four」という曲では、コルトレーンの「Giant Steps」と「26-2」を素材にして新しい楽曲を作りました。元ネタを知らなければ気づかないかもしれない。そうやって「情報を隠す」ことに美しさを感じます。

―引用やサンプリングに近そうですね。

ジェームス:まさに。サンプリングは採譜と似ていて、音楽を取り入れ、再構築する行為。私はそれを「音のコラージュ」だと捉えています。J・ディラやマッドリブ、ディゲブル・プラネッツなど、好きなアーティストたちは皆、ジャズをサンプリングしています。アーマッド・ジャマルなんてその好例ですよね。サンプリングは情報を隠し、仕込む手段にもなる。好きなフレーズを膨らませたり変形させたりしながら、自分の音楽に編み込んでいく。それは、ロメア・ビアデンのようなコラージュ作家の仕事にも通じるもので、サンプリングは立派な芸術形式だと思います。

「実用性」を超えた音楽を生み出すために

―あなたの音楽において、「作曲」「システム」「即興」はどのような関係にあるとお考えですか?

ジェームス:それらは常に対話し合っています。「形式があること」と「ないこと」の境界は曖昧で、「形式がない」状態もまた一つの形式なんです。だから自分に「ジャズ」や「フリージャズ」といったラベルを貼ることにはあまり意味を感じません。

作曲と即興は双方向に影響し合っています。作曲が即興に反映され、即興がまた作曲にフィードバックを与える。たとえば、私が尊敬するソニー・ロリンズはモチーフを無限に発展させる天才です。オーネット・コールマンやチャーリー・パーカーにも同じことが言えます。彼らの即興には、作曲の「胚種(germs)」が宿っている。つまり常に自分との対話を繰り返しているんですね。

私は毎日、1小節ほどの音の断片を作っています。それが大きな作品になるかは分からなくても、自分の音楽的語彙として蓄えておく。即興の中で自然に引き出せるようにするためです。だから「作曲か即興か」という二項対立ではなく、両者は常に混ざり合っていると感じています。

さらに「自由」について考えるなら、私は学際的な姿勢が重要だと思っています。音楽以外のメディアや芸術との関係を持たなければ、アートの本質に迫ることは難しい。他分野への理解が、芸術を深く捉える鍵になります。

―というと?

ジェームス:たとえばオーネット・コールマンを理解するには、ジャクソン・ポロックの例が参考になるかもしれません。ポロックは絵画を「イーゼルとキャンバス」という枠から解放しました。コールマンも同じように、音楽を「コードという枠組み」から解放した。彼のおかげで、旋律の線をもっと自由に引けるようになったんです。

また、詩的な観点から見ると、彼の音楽は「エピグラフ」(詩の冒頭に置かれる引用句)のようにも思える。エピグラフは詩と直接関係があってもなくてもよく、発想の出発点にも終着点にもなり得る。コールマンのメロディにも、そうした自由さや開かれた感覚があります。視覚芸術や詩を通じて音楽を理解する、そうした学際的な思考が私にはしっくりきます。

作曲、即興、自由。そして「周縁」や、そのさらに外側――そうしたすべての要素は、アートの本質と深くつながっていると思います。私が惹かれるのは「実用性」を超えた音楽。私たちが敬意と愛を持って語る偉大な作品には、そうした広がりが必ずあると信じています。

ジェームス・ブランドン・ルイスが語る、西洋音楽の枠組みを超越した「即興と記憶のシステム」

©︎SELMER

―最後に、来日公演はどのようなものになりそうでしょうか。

ジェームス:私にはモットーがあって、いつも「これが最後の演奏だ」と思って演奏するようにしています。音楽とは「さらけ出すこと」であって、「隠すこと」ではない。だから、今回も感情とグルーヴをむき出しにしてプレイするつもりです。そして、今ある機会を当然のものとは思わない。それを当然と思ったら、音楽を夢見ていた子どもの頃の自分に対して失礼ですから。41歳の今も、その姿勢を大切にしています。

前回、ハワード大学のジャズ・アンサンブルで来日してから20年ぶりの来日になります。2005年に渋谷に滞在して、日本では大野俊三さんとの共演もあり、彼の曲も演奏しました。当時の私は21歳。あの来日は、プロとして駆け出しだった頃の貴重な経験になりました。だからこそ、今回また日本を訪れることを心から楽しみにしています。

来日公演のトリオ編成に参加するジョシュ・ワーナー(Ba)、チャド・テイラー(Dr)とのパフォーマンス映像

ジェームス・ブランドン・ルイス・トリオ 来日公演
2025年6月16日(月)、6月17日(火)東京・丸の内コットンクラブ
【1st Show】開場 17:00 / 開演 18:00
【2nd Show】開場 19:45 / 開演 20:30
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メンバー:
ジェームス・ブランドン・ルイス(Sax)
ジョシュ・ワーナー(Ba)
チャド・テイラー(Dr)
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