2024年にLAに拠点を移して新たなスタートを切ったジャズ・ピアニスト、桑原あい。3年ぶりの新作『Flying?』は、新世代LAジャズシーンのキーパーソンであるベーシストのサム・ウィルクス、上原ひろみ のHiromis Sonicwonderのメンバーでもあるドラマーのジーン・コイとのトリオを軸に、現地ミュージシャンをゲストに迎えてレコーディングされた。
新作用に書き下ろしたオリジナル曲に加えて、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、マルーン5、マイケル・ジャクソンといった西海岸にちなんだ曲をカヴァーした本作には、新天地で活動する桑原あいの「今」が記録されている。アルバムに込められた想いについて桑原あいに話を訊いた。

―『Flying?』はLAに移住後初のアルバムですが、LAに移住するという計画は以前から考えられていたのでしょうか。

桑原:アメリカで音楽をやりたい、という気持ちは以前からありました。やっぱりジャズはアメリカで生まれた音楽ですし、日本で活動することにどこか息苦しさを感じていたんです。2019年に結婚したのですが、主人(ドラマーの山田玲)ともアメリカに行くことを話していて、〈じゃあ、来年くらいに行こうか〉とぼんやり考えていた矢先にパンデミックが起こりました。それで全く動けなくなってしまって、日本でどんどんストレスが溜まっていくなかで〈絶対、アメリカに行く!〉と気持ちが固まっていきました。LAにいる先輩方の話を聞いて、ようやくLAのミュージック・シーンが以前のように活発になり始めたのがわかって、申請したビザが下りた一週間後にはLAに飛びました。

―なぜLAを選んだのでしょう?

桑原:音楽をやるなら、まずはNYかLAかなと思ったのですが。私にとってNYはハイパーな東京っていう感じで、ギュッとした街の中でミュージシャンが競い合う、そんな街なんです。そういう雰囲気が今の自分には合ってないような気がして。NYに行くと楽しいし、刺激も受けるけど、住みたいとは思わなかった。
それに比べてLAは街も道路も広々としていて、住んでいる人たちがみんな明るいんですよ。競い合っているというより、「お前、最高だな!」って褒め合っているというか、すごくホーミーな感じ。気候も良いし、住んでみたいな、と思える街なんです。

―『Flying?』には早速、LAのミュージシャン、サム・ウィルクスとジーン・コイが参加していますが、彼らとは以前から交流があったそうですね。

桑原:8年前にクインシー・ジョーンズが2人を紹介してくれました。「絶対、あいに合うから」って。それで2人と共演して感動して、〈いつかこの2人とアルバムを作りたい!〉と思ったんです。その頃からLAのミュージック・シーンには興味を持っていました。空気がドライだからか、演奏が上手い人はきれいな音が飛ぶし、下手な人はスカスカな音になってしまうんですよ。ジーンは8年前からすごく音がきれいで、〈なんて明るい音が出るんだろう!〉って感動しました。サムは超アーティストというか、〈ベーシスト〉というより〈サム・ウィルクス〉という感じ(笑)。ものすごくアーティスト肌なんですけど、普段は気のいいお兄ちゃんなんです。
今回、ビザを取る時からサムに連絡していたのですが、いろいろ助けてくれて、LAに行ってからもいろんなところに案内してくれました。

―今回、久しぶりに3人で音を鳴らしてみていかがでした?

桑原:8年って結構前じゃないですか。当然、彼らも自分自身も当時と変わっている可能性が大いにある。でも、8年前に感じた手応えを信じて行ったのでドキドキとワクワクが混ざっていたけど、一緒にやってみて〈8年前の私は間違ってなかった!〉って確信しました。

―ついに念願のトリオが結成できたんですね。このトリオの良さってどんなところですか?

桑原:ジーンのグルーヴってものすごく幅広いんですよ。だけど、多分根っこにゴスペルがあるので、幅広いけど重いっていう不思議な感じです。そういうグルーヴを出せる人って、私は他に知らなくて。その一方で、サムのベースはものすごく点が細かい。〈ここに入れる〉って決めたら絶対ここ、みたいな。0.000001ミリも狂いがなくて、弾くというより刺すみたいな感じです。ジーンの幅広いグルーヴにサムの刺さるようなグルーヴが絡むと、すごいうねりを持つ。
そこに私が乗っかるわけですから、サムの細かいところにガッと合わせることできるし、ジーンのどっしりしたグルーヴにさらに重みをかけることもできる。いろんなところに行ける。これまでやったことがなかったプレイができる。これからも2人と一緒にやることで、私のプレイスタイルは変わっていくんじゃないかと思います。

―アルバムの1曲目「Flying?」を聴いただけで、今の桑原さんのマインドが伝わってきます。演奏は軽やか。音色は澄んでいて、今にも空高く飛んでいきそうで解放感に満ちています。

桑原:嬉しいです! LAで車を運転していると、とにかく空が広いんですよ。ほんとに飛べそうな気がしてくる。新しいスタートが切れるような気にさせてくれる、自分に自信をつけてくれる空なんです。そんな今の気持ちをそのまま曲にしました。あと、この曲で初めてギターと一緒に録音しました。
実はこれまでギターに興味なかったんです……大変申し訳ないのですが(笑)。でも、LAに来て良いギタリストにたくさん出会ったんです。みんな個性的ですが、ホレス・ブレイのプレイにはわびさびを感じました。それでホレスに参加してもらうことを前提に曲を書いて、これからの自分に期待を込めた曲にしようと思いました。

―アルバムにはもう一曲。飛ぶ(Flying)、という言葉が入った「What hummingbirds teach us about flying」という曲がありますね。

桑原:私がハチドリ(hummingbird)のことを知ったのは「Ray/レイ」っていうレイ・チャールズの映画でした。映画の中で、レイは目が見えないはずなのに「綺麗なお花が外にある」と言うシーンがあるんです。花を求めてくるハチドリの音が聴こえるって。それで〈どんな音なんだろう?〉って思っていたんです。あと、「The Golden Hummingbird」っていうお話が好きで。山火事が起きて動物たちが逃げ出すなかで、ハチドリだけはクチバシに水をひとしずく含んで火にかける。
動物たちが「そんなことしても火は消えないよ」と笑うと、ハチドリは「僕は自分ができることをしているだけだよ」って言うんです。その精神は大事だなと思っていて。そういういろんなことがあって、ハチドリを一度見たかったのですが、日本にはいないんですよ

―LAにいるらしいですね。

桑原:そうなんです! 去年の6月にうちの庭に来ました。最初はハチドリだと気づかなくて、飛び方が鳥とは違うし、ブーンって変な音を出しているし、最初は〈なんか気持ち悪いものがいるな〉と思っていたんです(笑)。

―ずっと会いたかったのに(笑)。

桑原:ハチドリだとわかってからは、毎日観察していました。見れば見るほど不思議な生命体なんですよね。調べたらハチドリのエネルギー源は花の蜜で、そのエネルギーをすべて飛ぶために使っている。だから生きるのが大変なんですよ。そんなハチドリをアメリカの人々は「幸福の鳥」と呼んで見つけると喜ぶんです。自分たちは必死で生きながら、みんなに幸せを与えているんだ、と思うと、なんて素敵な生き物なんだろう!と感動して、ハチドリが飛ぶ姿を見ているうちに気がついたら曲を書いていました。
ハチドリの飛ぶ姿に生命を感じて、自分も彼らみたいに生きたいと。

―桑原さんにとって、音楽を演奏することが飛ぶことなんですね。4曲目の「Without Water, And Music」はラテンのリズムを取り入れていていますが、そういうアプローチも西海岸っぽいですね。

桑原:もともとラテン・ミュージックは好きでしたが、日本ではあまり演奏することはありませんでした。ラテンは日常の中から聞こえてくる音楽だと思っているのですが、日本ではそういう環境がないじゃないですか。LAはメキシコに近いこともあってラテン音楽が盛んで、無料のラテン・フェスにルイス・コンテが出演していたりするんです。それでルイス・コンテのライヴを観に行ったら、彼の後ろにパーカッショニストが2人いて、その1人がケヴィン・リカルドでした。ケヴィンはコンガ担当だったのですが、その演奏がものすごくて初めてコンガに感動しました。ケヴィンとはまったく面識がなかったので、インスタグラムでラブコールをして一緒にやれることになったんです。だったら、ラテンの曲を書くしかない!と思って、この曲を作りました。

―初めてラテンの曲をやってみていかがでした?

桑原:ケヴィンの澄んだパーカッションの音色が美しすぎて、魔法使いかと思いました(笑)。パーカッションって生の楽器じゃないですか。木とか革が湿度で変化して音が変わる。だから、LAのドライな空気のなかで聴くパーカッションは格別ですね。

―アルバムにはカヴァー曲が3曲収録されていますが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ「Parallel Universe」をカヴァーしているのには驚きました。しかも、サム・ウィルクスがヴォーカルをやっている。これは桑原さんのアイデアですか?

桑原:サムのライヴを観に行ったら歌っていて、それがすごく良かったんです。それで「今回のアルバムで1曲歌ってくれない?」って相談したら「普段は断っているけど、あいが言うならやるよ」って言ってくれて。〈やった! じゃあ、サムがカッコ良く歌える曲にしよう〉と思って「Parallel Universe」を選びました。もともとレッチリは好きで、この曲はサムに合うんじゃないかと思ったんです。サムが「ヴォーカルは自宅で録っていい?」って言うので彼を信頼して任せたのですが、多分、家で集中して歌いたかったんだと思います。出来上がったものをサムの家で聴いた時は泣きましたね(笑)。ヴォーカルというか、楽器みたいな感じもあって本当に独特。サムの世界だ!と思いました。

―最後にマイケル・ジャクソン「Heal The World」のカヴァーをしたのは、桑原さんの今の世界に対する気持ちが込められているのでしょうか。

桑原:今年1月にLAで山火事があったじゃないですか。私の家は無事だったのですが、避難地域には入ったので、2日間、友達の家に避難しました。山火事で家を失くした友達もいるし、ホームレスが増えたりして、2週間ぐらいLAの音楽シーンが止まったんですよ。こういう時に音楽を楽しむのはちょっと……という雰囲気になって。その時にコロナの時のことがフラッシュバックしたりして、いろんな不安があるなかで、ミュージシャンのなかから、「今こそ音楽が必要だよ」という動きが出てきて。コロナみたいに感染するものじゃないから、できる人から音楽はやろうって。そういう動きを見ているうちに「Heal The World」をやりたいって思ったんです

―これは当事者じゃないとできないカヴァーかもしれないですね。日本にいて「Heal The World」をやっても説得力がないというか。

桑原:狙った感じがすると嫌だな、と思ったりもしたのですが、山火事の様子を見たら、そんなこと言ってる場合じゃない。今やらないでいつやるんだって気持ちが固まって、祈りの気持ちを込めて演奏しました。

―まだLAに引っ越して1年しか経っていませんが、すごくLAから影響を受けているんですね。

桑原:影響は大きいです。まず、生きているのが楽しいと思えるようになりました。毎日朝起きて、玄関のドアを開けたらカリフォルニアの空気が家に入ってくる。その時に〈来てよかった~〉って思うんですよ、いまだに。そうなると音楽も作りたくなるし、前を向いて行こう!って自分を鼓舞できる。そうなっただけでも大きな変化だと思います。

―これからLAを拠点にしてやっていきたいこと、目指したいことはありますか?

桑原:これまでは諦めていたのですが、グラミーを狙えるぐらいまでには大きくなりたいとは思っています。そのぐらいは目指してないと生きていけない場所でもあるんですよね。レベルが高い人がいっぱいいるので、這い上がっていくにはぼやぼやしていられない。常にアンテナを張って、高みを目指しながらも自分らしく音楽をする。それを何年も続けてやれたら、私がなりたいミュージシャン像には近づけるのかな、と思っています。

―桑原さんがなりたいミュージシャン像とは?

桑原:私はスティーヴ・ガッドに憧れていて、彼に出会って自分がなりたいミュージシャン像を見つけました。音楽業界の荒波の中で、スティーヴはずっと自然体で自分の音を出し続けている。それってすごく難しいはず。自分をしっかり持っていないとできない。スティーヴは「グラミーを獲ろうが獲るまいが関係ない。いい音楽ができてれば幸せなんだ」と言っていますが、確かに私も賞にこだわるのは違うと思います。視野が狭くなっていくので。だから、グラミー賞を獲るのが一番の目的ではなく、いろんな音楽、いろんな人と出会いながら、グラミーが狙えるくらいに成長できれば良いなと思います。

―グラミーを狙える場所にいるっていうだけですごいですよね。日本だったら遠くから眺めるくらいしかできないだろうし。

桑原:そう。日本にいたら、スタートラインにさえ立っていない状態じゃないですか。スタートラインに立てるっていうことが大きな一歩だと思っていて、今は〈これから人生の第2章が始まるぞ!〉という感じがしています。

<リリース情報>

桑原あいが語る、LA移住で始まった人生第2章、新作『Flying?』に込めた想い


桑原あい
『Flying?』
2025年7月9日発売
http://ai-kuwabara.lnk.to/Flying
=収録曲=
1. Flying?
2. This Love
3. The day you found us
4. Without Water, And Music
5. Parallel Universe feat. Sam Wilkes
6. What hummingbirds teach us about flying
7. Éclat
8. Heal The World

桑原あい(p, el-p)
サム・ウィルクス(el-b, vo) on 1-3, 5, 6, 8
ジーン・コイ(ds) on 1-3, 5, 6, 8
ホレス・ブレイ(g) on 1, 8
ジェフ・リトルトン(b) on 4
山田玲(ds) on 4
ケヴィン・リカルド(per) on 4
タイキ・ツヤマ(el-b) on 7
ゴードン・キャンベル(ds) on 7

2025年2月 ロサンゼルス、ヤニヴ・スタジオにて録音
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