24年ぶり最新アルバム『More』が話題沸騰中のパルプ(Pulp)。Rolling Stone Japanではジャーヴィス・コッカーの最新インタビューに引き続き、音楽ライター・新谷洋子による解説コラムをお届けする。


さる1月に千葉・幕張メッセで開催されたrockinon sonicで実現したパルプの27年ぶりの来日公演の途中、「前回来た時の僕らのライブを観た人はいる?」とジャーヴィス・コッカーが我々に問いかけた。「前回」とは1998年秋の『This Is Hardcore』ツアーの一環で行なった4公演のことだが、挙がった手はちらほら。辺りを見回すと、27年前にはライブに足を運ぶような年齢ではなかった年頃の人、あるいはまだ生まれてなかったと思しき若者たちの姿が目立ち、たしか売り切れてもいなかった「前回」の公演のひとつを観た筆者の記憶に、満員になった幕張の広大な会場の光景を重ねると、驚きしかなかった。

もちろんこれは彼らに限ったことではない。解散・無期限の活動休止を経てカムバックしたバンドを巡っては不在期間が長いほど伝説が膨らみ、来日公演ではリアルタイムのファンのそれを凌駕する若者たちの熱気を感じるものだ。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ザ・ストーン・ローゼズの場合もそうだったし、オアシスの来日公演でも同じような光景が見られるのだと思う。

問題はそのあとだ。あくまでライブアクトとしてバンドを存続させるのか、伝説に相応しいアルバムを作って物語の続きを描くのか、いつか答えを出す必要がある。しかも同様に長いブランクを経て活動を再開したスウェードとブラーが後者の道をマイペースに歩んでいる今、ブリットポップのもう1組の主役だったパルプはどうするのか? 果たして、14年前の最初のリユニオン以来アルバムを作る可能性について明言を避けてきた彼らだが、まさにスウェードとブラーと同様、今の自分たちにとってリアリティのあるアルバム『More』を、ジャーヴィスが「僕たちにできる最高の作品」と呼ぶ24年ぶりの新作を完成させ、無事ハードルをクリアしたと言えよう。

ブリットポップ時代のアウトサイダー

ご存知の通り、ブリットポップの最中にブレイクしながら他のバンドとは出自が異なるがゆえに、アウトサイダーであり続けたパルプ。唯一残るオリジナル・メンバーのジャーヴィスが15歳にしてバンドを結成したのは78年だから、地元のイングランド北部の都市シェフィールドでは、ヒューマン・リーグやキャバレー・ヴォルテールがインダストリアルなエレクトロック・サウンドのムーヴメントを興そうとしていた時期だ。81年にはデモ・テープを聞いたジョン・ピールに招かれてBBCラジオのセッションを収録し、滑り出しは順調に見えたのだが、初期のパルプはメンバーが頻繁に入れ替わり、1st『It』(83年)ではC86系に連なるジャングリー&サイケなギターロックを、2nd『Freaks』(87年)ではタイトル通りにフリーキーなキャバレー・テイストのポップを志向し、音楽性も定まっていなかった。


その後3rd『Separations』(92年)に至ってようやくジャーヴィス、キャンディダ・ドイル(Key, Cho)、ニック・バンクス(Dr)、スティーヴ・マッキー(Ba)、ラッセル・シニア(Gt、Violin)のラインナップに落ち着き、各人の華のあるスタイルを足し算した独自のサウンドを模索。スコット・ウォーカーとセルジュ・ゲンスブールを敬愛するジャーヴィスの歌い手/リリシストとしての個性も深まり、「My Legendary Girlfriend」が『NME』紙のシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれるなどして注目を集め、晴れて大手アイランド・レコーズと契約するに至った。そして94年にシングル「Do You Remember the First Time?」で初めて全英シングル・チャートのトップ40入りを果たし(最高33位)、4作目『His n Hers』(同アルバム・チャート最高9位)でゴールド・セールスを記録。勢いに乗ったバンドはクリス・トーマスをプロデューサーに迎え、マーク・ウェバー(Gt)を加えた6人編成でグラムとディスコとニューウェイヴとバロックポップが交錯するパルプ節に磨きをかけて、キャリア最大のヒット作『Different Class』を95年に世に問うのである。

そう、究極のブリットポップ・アンセムと呼ぶべき先行シングル「Common People」(最高2位)がヒットする中で、ドタキャンしたザ・ストーン・ローゼズの代役でグラストンベリー・フェスティバルのメインステージのヘッドライナーを務めて一躍株を上げた彼らは、『Different Class』を全英ナンバーワンに送り込み、最終的にはミリオン・セールスを達成して4曲のトップ10ヒットを生むと共に、マーキュリー・プライズを受賞。古着のスーツを着込んでぎこちなく踊りながら、ウィットとペーソスを介してラヴとセックスとポリティックスとユースカルチャーを歌うジャーヴィスは、マチスモとは無縁の異色のセックス・シンボルとして愛され、かつ、モリッシー以来の知性とユーモアを備えたエンターテイニングなインタビュイーとしてもメディアを賑わせたものだ。

だが、ラッセルの脱退を受けて5人で制作した6作目『This Is Hardcore』(98年/同1位)は引き続きクリスと作った作品ながら、『Different Class』の高揚は早くも消えていた。それどころか同作には、15年越しで到達したスターダムへの幻滅感とパラノイアが満ち渡り、ブラーの5作目『Blur』共々ブリットポップの終焉を告げたとされている。パルプは活動のペースを落とし、7作目『We Love Life』(01年/同6位)が届くまでに4年の年月が経過。前作でのデトックスを経て、バンドのナチュラルなアンサンブルをスコット・ウォーカーによるプロダクションでスケールアップさせた重厚なアルバムを仕上げるも、ツアーとベスト盤『HITS』のリリースをもって02年末に活動を休止してしまう。

新作『More』と年齢を重ねたバンドの”フィーリング”

その後マークやキャンディダは音楽から離れる一方、スティーヴはプロデューサー/リミキサーとして、ジャーヴィスはソロ・アーティストとして話題を提供し続け、10年末になってラッセルを含むラインナップでツアーを行なう旨を発表。一足早くオリジナル・メンバーで活動を再開したブラーにインスパイアされると共に、メンバーと親しかった同郷のミュージシャン=ティム・マッコールが急死したことにも衝撃を受けて、再始動を決めたという。
そして11年5月から1年半を費やして南北アメリカとヨーロッパを周り、行く先々でファンを沸かせ、LCDサウンドシステムのジェイムス・マーフィーとシングル「After You」を録音したのだが、アルバムには結実せず。ドキュメンタリー映画『Pulp: A Film About Life, Death & Supermarkets』の公開をもって再び沈黙し、メンバーはそれぞれの活動と生活に戻っていった。

『Pulp: A Film About Life, Death & Supermarkets』トレイラー映像

それから約10年を経て、二度目のリユニオン・ツアー『This Is What We Do for an Encore』を23年5月にスタートしたパルプ。約40公演にわたるこの旅の合間に彼らは新曲を綴り、ジェイムス・フォードをプロデューサーに選ぶと、昨年11月、ロンドン郊外にあるジェイムスのスタジオにて僅か3週間で『More』を録り終えたという。バンドをアルバム制作へと駆り立てた要因が、何よりもまず一昨年のスティーヴの死(『More』は彼に捧げられている)であったことは想像に難くなく、続いて母も亡くしたジャーヴィスは「身近な人が亡くなると、自分がまだ生きていること、そしてまだ何かを創造するチャンスがあることに気付かされる」と語っている。

レコーディング・メンバーは、ツアーに同行したアンドリュー・マッキニー(Ba)、アダム・ベッツ(Percussion, Gt, etc.)、エマ・スミス(Violin, Gt)、リチャード・ジョーンズ(Viola, Key, etc.)及び彼が率いるストリング・セクションのエリジアン・コレクティヴと、元オール・シーイング・アイのジェイソン・バックル(Gt/彼もシェフィールド出身のミュージシャンで、ジャーヴィスとは覆面デュオ=リラックスド・マッスルとして活動)。過去のアルバムのセッションで生まれた音源あり、他のプロジェクトのために作った音源あり、色んな時期に色んな形で生まれたアイデアに基づく11曲を収めているだけに『More』には全編を束ねるコンセプトがあるわけではなく、随所で様々な時代のパルプを想起させる瞬間もあるのだが(『His n Hers』時代のモードに立ち返ってジャーヴィスが欲望というミステリーと改めて向き合う「My Sex」、彼が若い頃に好意を寄せていた人を題材にしたデボラやシルヴィアに続く女性名指しソング「Tina」などなど)、同時に、美しくも枯れた、時にアンビエントに傾く瞑想的バラードの数々で新境地を拓いており、これは25年版パルプのひとつのアーキタイプと見做して良いのだろう。そしてリチャードとエリジアン・コレクティヴが奏でるシネマティックなストリングス・サウンドはパルプ生来のドラマ性を最大限に補強し、我らがジャーヴィスはと言えば、得意の”語り”や自嘲的ユーモアをふんだんに盛って、60代に突入した現在地から自身の人生の様々な局面に想いを馳せ、時間の経過を噛みしめて、今の自分にとって大切な人たちについて弁舌を振るっている。

そんな中でも序盤の彼は回想モードにあり、まずはここまでの経緯を振り返る。例えば、ジェイソンが作ったデモを曲に発展させた冒頭のアンセミックな先行シングル「Spike Island」は、90年にザ・ストーン・ローゼズが行なった伝説的ライブからタイトルを拝借。だが、ジャーヴィスが省みているのはかつての自分が取った行動やバンドが置かれていた状況だ。それを踏まえて、〈僕はパフォームするために生まれてきた/これは天職だ〉と結論付けて〈今度こそ失敗はしない〉と決意を表明し、3曲目「Grown Ups」でのジャーヴィスは、一旦1980年に遡って成長のプロセスを辿り、子どもの頃に抱いていた大人のイメージと現実を対比させている。
30年前からあったデモを60代になってようやく、実感を持って満足の行く形で完成させたわけだ。

そしてこのあとの中盤5曲のトピックは、ラヴ&セックスの領域へと移行。ジャージークラブに由来するビートに乗せて、愛の終わりをゆっくりと死んでいく感覚に準えた「Slow Jam」に対し、次々にスタイルを変えていくロマンティックなバラード「Farmers Market」には現在のパートナーとの出会いを描き込み、今の彼のオプティミスティックな人生観を投影。ノーザン・ソウル・テイストの「Got To Have Love」でも、若い頃には抵抗を感じたという”ラヴ”という言葉を全面的に受け入れている。

ノーザンと言えば、自身のノーザン・アイデンティティを抱きしめながらそれを受け継ぐ息子に優しく語り掛けている「Hymn Of the North」は、終盤のハイライト。ショッキングなほど率直な言葉で、息子の幸せだけを願う父の姿を焼き付ける。この曲には、キャリアを通じてシェフィールドを歌い続けている偉大な盟友/パルプのピンチヒッター・ギタリスト=リチャード・ホウリーの影響を感じずにはいらないのだが、フィナーレの「A Sunset」はほかでもなくそのリチャードとの共作曲だ。元を正せば、ブライアン・イーノが主宰する気候変動関連のプロジェクトに参加した際に綴った曲だといい、自然嫌いだったというジャーヴィスが人と自然とのコネクションを認め、沈みゆく太陽を眺めながら未来に希望を託してアルバムに幕を引くのである。

以上のような11曲に繰り返し登場する単語がひとつある。ずばり”feeling”だ。ゆえに、
理由付けはいらない、フィーリングがあればいい、それを信じて行動しようではないかと、彼はアルバムを通して繰り返し自他を諭しているようにも聞こえる。逡巡している時間は自分たちにはもう残されていないのだと。
そういう意味で、フィーリングに導かれるまま、若ぶらずに老いらくの美学を追求した本作は、あの1月の夜にパルプ伝説を観に体験した若者たちにはやや敷居が高いのかもしれない。しかし間違いなく、ファンとしてバンドと共に年齢を重ねることの喜びを教えてくれる1枚でもある。だから声を大にして言いたい。モア・パルプ・プリーズ!

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パルプ『More』徹底解説 ブリットポップの異端児が辿った軌跡と新たな到達点

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