元ブラックパンサー党員で死刑囚だったムミア・アブ=ジャマールは、警官殺害で有罪判決を受けた後も無実を訴え続け、世界的な支援を受けてきた。仮釈放なしの終身刑となった今も、彼は獄中から米国社会の構造的な不正、ファシズム化、若者による抵抗運動の可能性を鋭く語る。
音楽ジャーナリストとしての一面も持ち、ボブ・マーリーらとの交流や、ヒップホップ界からの支援にも言及。変わりゆく時代の中で、彼はなお「バビロン(アメリカ)に平穏はない」と警鐘を鳴らし続けている。

かつて国際的な支援運動の象徴だったアブ=ジャマールは、ペンシルベニア州の死刑囚房でおよそ30年を過ごし、無実を主張しながら、何百万もの人々にその釈放を訴えさせた。彼が警察官ダニエル・フォークナーを殺害したとして有罪判決を受けてから40年以上が経った今も、フィラデルフィアの政治において彼の存在は「第三軌条(触れると命取りになるテーマ)」のような扱いを受けている。

警察友愛会(Fraternal Order of Police)は、アブ=ジャマールが仲間の警官を殺したとして、彼の処刑、あるいは少なくとも終身刑を長年にわたり求めてきた。アムネスティ・インターナショナルは彼の有罪か否かについて立場を明らかにしていないが、本件が警察・検察・司法の不正に満ちていると表明している。

2011年、彼の死刑判決は覆され、地方検事はそれ以上の死刑追及を断念。仮釈放のない終身刑での決着がついた。現在71歳となった彼の釈放を訴える運動は、かつてのような「執行目前の切迫感」が薄れたことで縮小してしまった。

しかし、私たちが彼に注意を払っていなくとも、彼は確実に私たちを見ている。

「今は大混乱のような感覚がある。すべてが軌道から外れてしまったように感じる」と彼は語る。
「バビロンに平穏はないのだ」。

落ち着いた、しかし緊迫感のある口調で語るムミア・アブ=ジャマールには、適正手続きの崩壊、憲法の偽善、そして今日の危機をもたらした長い政治の道筋について、語るべきことが山ほどある。死刑囚になる前、彼はブラックパンサー党の青年指導者であり、NPRで文化や住宅、音楽などを担当する受賞歴のある記者だった。かつてはフィラデルフィア黒人ジャーナリスト協会の会長も務め、将来は明るいと見られていた──だからこそ、1981年、交通違反の取り締まり中に警官ダニエル・フォークナー殺害の容疑で逮捕されたという事実は、信じ難いものだった。

ペンシルベニア州はこう主張した。警官フォークナーがムミアの弟ウィリアム・クックの車を止め、タクシー運転手として勤務中だったムミアが偶然その場に通りかかって立ち寄った。警察および検察寄りの証言によれば、「身体的な衝突が起きた」とされ、ムミアが通りを走って横断し銃を発砲、フォークナーを撃ち、自身も腹部に被弾したとされた。また検察は、ブラックパンサー時代の政治的著作を提示し、「警察に対する敵意の証拠」とした。ムミアは一貫して「自分は政治犯であり、黒人急進派への反動としての弾圧の一環で収監された」と主張してきた。新たな目撃証言が警察の主張に疑問を投げかけても、裁判や数々の控訴は彼の釈放にはつながらなかった。

1995年と1999年、死刑執行日が迫ると、音楽界はムミアの支援運動に駆けつけた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ビースティ・ボーイズ、KRS-One、アンチ・フラッグなど、多くのアーティストが彼の釈放を訴える楽曲を発表し、コンサートを開いた。
しかし、仮釈放なしの終身刑となった今、その声は次第に小さくなった。それでも彼は、支援の言葉を受け取ることに感謝している。「今でもいろんな人から手紙が届く。どのラップも、どの言葉も、一つ残らず感謝してる」と語る。

自称「歴史オタク」「C-SPAN中毒者」の彼は、獄中で15冊の本を執筆・編集しており(最新作はCity Lights刊『Beneath The Mountain: An Anti-Prison Reader』)、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で、1950年代の革命家フランツ・ファノンをテーマに博士号を取得中だ。彼はこの国の「最も醜い現実」について書くだけではなく、それを日々生きている存在なのだ。今回、Rolling Stoneは、フラックヴィルで彼と面会し、さらに録音による電話取材も行った。15年前にも彼に取材したが、今のような政治的動乱のさなかでは、その言葉の重みも一層大きい──我々は今、「ファシズムへの道」がすでに終着点に到達してしまったかどうかを問うべき時にあるのだ。

今やアメリカは”鎖”を輸出する国となってしまった

─あなたが「スローモーションの死刑囚監房」と呼ぶ今の暮らしは、どのようなものですか?

確かに以前より静かにはなったけど、個人的なレベルではより激しさがあるね。人生の大半を死刑囚房で過ごした。あそこは僕の”家”だったし、同時に”仕事場”でもあった。毎日、読書と学びに没頭していたんだ。
1日に2冊の本を読むこともあったし、それが何週間、何カ月も続いた。大学のプログラムとかじゃなくて、ただ知りたくて、自分の頭で世界の仕組みを学びたくて読んでいた。

死という現実ほど、思考を集中させるものはないよ。読書することで、僕の心は別の時代、別の国に”旅”していた。
とはいえ、今の「スローデス・ロウ」もやはり”死刑囚房”だ。トンネルの先に光は見えない。あるのは、より長いトンネルと暗闇だけさ(笑)。29年間、肉体的な接触がなかった後で、子どもや妻、友人たちとハグができるのは大きな喜びだよ。でも、それでもやっぱり檻の中の生活であることには変わりない。そんな生き方は、人間のものじゃないよ。

【写真】2025年、現在のムミア・アブ=ジャマールの姿

─外の世界で起きている政治的状況を、あなたはどう見ていますか?

今の世界を見て、毎日、深い混乱に襲われない人がいるだろうか? アメリカが選び取ったのは、狂気と冷酷さの政治であり──そして、あえて言わせてもらえば──骨の髄まで感じる「集団的な無知」だ。これを無視することはできない。
これは今の”獣の本性”なんだ。これは本当に異常で、恐ろしい時代だよ。

─トランプは「憲法に賛成かどうか分からない」とまで言っています。適正手続き、裁判、陪審制度といった基本的原則さえも脅かされています。

憲法がどう書かれているかは問題じゃない。大事なのは、それが実際にどう「機能しているか」なんだ。僕にとって「適正手続き」という言葉を聞くと、すぐに思い浮かぶのは自分の事件じゃない。シカゴ・ブラックパンサー党の議長だったフレッド・ハンプトンだ。1969年12月4日、彼はベッドの中で政府に殺された。僕はその事件を記事で読んだだけの人間じゃない。暗殺の知らせを聞いて、フィラデルフィアからシカゴへ飛び、彼が殺された家の中に入った。彼の血で染まったマットレスの2フィート(60センチ)以内まで近づき、ドアは機関銃で穴だらけだった──まるでスイスチーズのようにね。
それが「適正手続き」だって? 冗談じゃない。

─いまやアメリカは、裁判もなしに無期限拘束された囚人たちをエルサルバドルの労働キャンプに送っています。

これは、「アメリカ発の刑務所産業複合体」が、国内だけでなく、全世界に拡大した証拠だ。民間刑務所は簡単に「拷問と死の施設」へと再構築できる。これらの刑務所運営会社は、ニューヨーク証券取引所に上場し、CIAがかつて運営していた秘密収容所、いわゆる”ブラックサイト”の新しい姿になった。「ここに新しい刑務所をつくります」と公言すらする。まさに”暴走した民営化”の結果だ。100年前、ドイツや南アフリカから人々がジム・クロウ法を研究するためにアメリカへ来て、自分たちの差別制度を構築したように、今やアメリカは”鎖”を輸出する国となってしまった。

─トランプの残虐性は、民主党市長たちが主導したOccupyやBLM、Cop Cityへの弾圧にも現れています。

また言うが、憲法が何を「言っているか」じゃなくて、何を「しているか」が問題なんだ。たとえば今日、MOVE爆破事件から40年目にあたる。これはリベラルな民主党市長の政権下で起きた出来事だった。
フィラデルフィア市が、男女子ども、動物がいた家を爆破し、数ブロックを焼き払い、消防署に「水を止めろ」と命じ、それが実行された。11人──そのうち5人は子どもだった──が焼死または銃撃で死亡した。これを引き起こした者の中で、死刑囚房に送られた人は何人いたと思う?

「30年前に始まった狂気」とは?

─かつてアメリカで最も有名な死刑囚だったあなたは、トランプが死刑制度の復活を声高に叫ぶ現状をどう見ていますか?

これは、抑圧の政治がそのまま巨大なスケールで可視化されたようなものだ。トランプ政権下の司法省は、恩赦を受けた人々に対してすら、死刑の再適用を検討しているという。まさに狂気の時代に生きているわけだ。そしてこの”狂気”というのは、日常になってしまう。毎日少しずつ与えられると、自分がどれほど狂っているかすら分からなくなるし、周囲の異常さにも慣れてしまうんだよ(笑)。でもこの狂気の始まりは、実は30年前にさかのぼる。

─「30年前に始まった狂気」とはどういう意味ですか?

今のような法と秩序の名のもとに憲法を無視するトランピズムは、クリントン主義なしには存在し得なかった。ビル・クリントンこそ、マス・インカレーション(大量投獄)のゴッドファーザーだ。死刑制度の拡張も、マス・インカレーションの延長線上で語られるべきだ。1990年代の新自由主義こそが、それを後押しした本当の原動力だ。そして新自由主義というのは、実のところ保守主義なんだよ。国家と企業の”結婚”、それは何を意味するか?ファシズムだ。”礼儀正しいファシズム”とでも言うべきかな。暴力的ではないけれど、目的と意図は同じなんだ。クリントン/バイデンによる犯罪法案と刑務所の大量拡張が、トランピズムのための道を舗装したんだよ。

─あなたはこれまで「ファシズム」という言葉が過剰に使われてきたと語っていましたが、今はファシズムの時代に入ったという認識ですか?

ああ、まさにファシズムだ。60年代の僕たちは、その言葉を政治的な効果を狙って使っていた。あの頃は分析というよりもレトリック(修辞)だった。でも今は違う。僕が考えるファシズムとは、国家と企業の完全な結託だ。今の状況を見てみろ。まさにそれが繰り返されている。企業は政治の主役だ。すべての法律は、彼らのために書かれている。そして、アメリカ最高裁判所は企業に憲法上の権利を与え、「法人も人間と同様に保護されるべき存在だ」と宣言してしまった。

─このファシスト的なトランプ路線を打ち破るような運動は可能だと思いますか?

抑圧の波には、抵抗の波で応じなければならない。僕らはいま、狂気の波に直面している。でも、どんな運動も若者の力なくしては成り立たない。この世代は、実に素晴らしいポテンシャルを持っている。若者──特に大学生の時期──は、人生の中で最も自由な瞬間だ。彼らの頭脳は高校時代とは比べものにならないほど活性化されていて、社会に出る前の”しがらみ”も少ない。だからこそ、心と精神に忠実な言葉で語ることができるし、かつてない形で抵抗する力を持っている。

思い出してほしい。ミネアポリスで、17歳の少女がスマートフォンで警官の暴行を撮影した。その映像は世界中に拡散し、ジョージ・フロイドの死が何百万もの人々を動かした。あの少女ひとりの行動が、歴史を変えたんだ。彼女たち若者は本当にすごいよ。今の彼らは、ヒューイ・ニュートンやエルドリッジ・クリーバーが夢にまで見たような”通信革命”の中で闘っているんだからね(笑)。

─41歳で初めてマルクスを読んだと語っていました。マルクス主義は、今の混乱をどう読み解く手がかりをくれましたか?

若い頃、ブラックパンサー時代に『資本論』を読もうとしたけど、ちんぷんかんぷんだった。2ページで眠ってしまった(笑)。でも死刑囚房で再び手に取り、14、15歳の時には理解できなかったことがようやく腑に落ちた。
世界をどう”構造的”に理解するか──その鍵が経済分析にあることを知ったんだ。マルクスは「資本主義そのものが革命的な力であり、あらゆる障壁を破壊する」と語った。だが同時に、それは「モノに値段をつけ、価値を破壊する」力でもある。経済の波に振り回される生き方をやめるには、別の考え方を持つしかない。資本主義は、世界規模で展開される”ギャングの支配”だ。それに立ち向かわなければならない。

ミュージシャンというのは、この世界でも最も繊細な魂を持った人たちだと思う

─『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、危機のたびにマルクスを引用します。

(笑)それはつまり、彼らがちゃんとマルクスを読んでいるってことだよね。

─「資本主義の経済分析は同意するけど、革命や体制転覆には反対」って感じですね。

その通り。でも彼らは、資本主義の破壊的な力を知っている。なぜなら、自分たちこそがその一部だから。今、私たちが見ているのは、常に危機にあるシステムの現実だ。それはこの国の政治にも日々表れている。いま、ワシントンでは白人至上主義のカウンター・レボリューションが進行中だ。連邦職員に対する攻撃を見てごらん。彼らが本当にリベラルで左翼的な人々だと思うかい? 実際は多くが保守的だ。それでもこの政権は彼らをゴミのように扱った。なぜか? それは富裕層のための減税が目的だったからだ。

この国のために、学び、スキルを身につけて働いている人たちが、文字通り”使い捨て”にされた。教師に対する扱いを見てごらんよ。子どもたちを教えるという、最も困難かつ低賃金の職業に就いている人たちを、政治家たちはまるで”泥”のように語る。

─なぜ彼らはそこまで教師を嫌うのでしょう?

教師は「批判的に物事を考える教育を受けた労働者階級」の象徴だからだ。彼らは政治的プロパガンダに対して「待った」をかける存在だ。大学に対する攻撃もそうだ。人類が築いてきた最良の知の拠点である高等教育が、今や敵視されている。無教育の労働力がいれば、ファシズムを実行しやすい。トランプは「無教育の人々が大好きだ。彼らが一番のお気に入りだ」と言ったよね。あんなこと言う政治家、彼以外に聞いたことあるかい? でも彼は本気でそう思ってる。

僕の独房では、60年代の多くの運動が大学から始まったことをよく考える。バークレー、サンフランシスコ州立、コロンビア大学……。連中はいまだに”1960年代”と戦ってるんだよ。20世紀で最も自由だった時代に対する執拗な敵意。そしてそれは、パレスチナを支援するキャンパスの占拠運動を見て、彼らが再び”挑戦”を目にしたからでもある。

─これはRolling Stoneの記事ですし、あなたは音楽ジャーナリストでもありました。私のヒーローのひとり、ボブ・マーリーにインタビューしたそうですね?どんな体験でしたか?

あれは本当に素晴らしいインタビューだった。弟と妻と一緒に、フィラデルフィアの中心街にある大きなホテルへ行ったんだ。事前にマネージャーと連絡を取っていてね。スイートルームでは、ラスタファリアンたちがレゲエを流していて、奥の寝室にはロバート・ネスタ・マーリーがいた。僕らが座ると、彼はでかいスプリフ(マリファナ巻きタバコ)を取り出して火をつけた。そして僕は90分の録音テープを回して、彼の話を記録し始めた。彼は本当に自由に、すべてを語ってくれた。テープが切れるまで90分話し続け、そのあとさらに1時間話したよ。スプリフの影響もあったかもしれないけど、それ以上に、彼の”世界的な視野”と”開かれた精神”があった。彼はこんなことを言っていた──「アメリカに来ると、俺が見たいのは”反抗する人々”だ。ラスタのような人々だ」と。

─ポインター・シスターズやピーター・トッシュなど、他にも多くのアーティストと会っていますが、あなたの音楽への愛はどこから来たのでしょう?

音楽こそ、この世界で最も”魔法”に近いものだと思ってる。僕は子どもの頃、フィラデルフィアのオールシティ・クワイアでテノールを歌ってたんだ。一番有名だった曲のひとつは、信じられないかもしれないけど……(彼は「Gloria in Excelsis Deo」をラテン語で数小節歌ってみせる)。楽譜が読めなかったから、すべて耳で覚えた。それが今でも頭に残ってるんだよ。

─レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやビースティ・ボーイズは、あなたのために立ち上がりました。ヒップホップでもあなたの名前はたびたび登場します。90年代当時、音楽家たちがあなたを支えたことについて、どのように感じていますか?

あれは本当に”電撃的”な体験だった。ひとつだけ残念なのは、当時の刑務所では地元のラジオしか受信できなかったから、ほとんどの曲を聴けなかったこと。ヒップホップがかかることはなくて、ひたすらカントリー&ウエスタンばかりだった。だから、後から若い囚人たちが入ってきて、「あの曲のリリック知ってます?」と歌ってくれた時、僕は本当に驚いた。そんな曲が存在することすら知らなかった。ミュージシャンというのは、この世界でも最も繊細な魂を持った人たちだと思う。なぜなら彼らは、”魂の音”に耳を傾け、それをアートに変えることを生業にしているから。彼らの中には、内なる魔法を持っている者だけがいる。その魔法こそが、彼らの音楽になるんだ。

from Rolling Stone US
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