【インタビュー前編はこちら】
ブルース・スプリングスティーンが語る、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に満足できなかった理由、独自の道を歩んだ90年代
ミニ・ドキュメンタリー『インサイド・トラックスII:ザ・ロスト・アルバムズ』(日本語字幕付き)

『トラックスII:ザ・ロスト・アルバムズ』(展開写真)
★DISC1『LAガレージ・セッションズ83』:『ネブラスカ』と『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』を繋ぐ、ローファイ・サウンドを探求した作品
★DISC2『ストリーツ・オブ・フィラデルフィア・セッションズ』:グラミー賞・アカデミー賞を受賞。ドラム・ループとシンセサイザーによるサウンドに挑戦
★DISC3『フェイスレス』:未完の映画のために制作されたサウンドトラック的アルバム
★DISC4『サムウェア・ノース・オブ・ナッシュヴィル』:ペダル・スティールを含む小編成のカントリー・バンドによる編成
★DISC5『イニョー』:国境をテーマにした物語を豊かに描く、マリアッチ的サウンドを含む作品
★DISC6『トワイライト・アワーズ』:オーケストラ主体。20世紀半ばのフィルム・ノワールやバート・バカラックを想起させるサウンド
★DISC7『パーフェクト・ワールド』:アリーナ・ロック仕様のEストリート・バンドらしい力強い楽曲群
未完の映画のためのサウンドトラック、バート・バカラック探訪
―『フェイスレス』について聴かせてください。これは本当に降って湧いたように出てきましたね。誰も存在すら知りませんでした。
BS:あれはいつもと違うアルバムだったね。とあるウエスタン映画に向けていくつか曲を書いてほしいと連絡を受けたんだ。娘と一緒にここフロリダにやってきて、2、3週間くらいでアルバムまる1枚分の曲を書いたと思う。それから家に帰ってレコーディングしたんだ。そうだな、1、2週間くらいかけたかな。うちの隣にあって、臨時スタジオとして使っていた家の居間でものすごく早くレコーディングを済ませた。
「フェイスレス」:『フェイスレス』(『トラックスII』DISC3)収録

『フェイスレス』ジャケット写真
―これらのキャラクターにはどうやってなりきるのでしょうか。脚本を読んだのでしょうか?
BS:(原作の)本もあったし脚本もあったんだ。
―きっとあなたは監督の名前など出したがりませんよね?
BS:その通り。
―『トワイライト・アワーズ』の話をしましょう。
BS:そうだね。『ウエスタン・スターズ』がみんな大好きなジミー・ウェッブやカントリー・ミュージックにやや傾いているとすれば、『トワイライト・アワーズ』はバート・バカラックや往年のアメリカン・ソングブック(訳注:アメリカで古くから親しまれてきたスタンダード曲の総称)により傾いている。
「サンデー・ラヴ」や「セプテンバー・キッシズ」「レイト・イン・ジ・イヴニング」などを聴いてもらえれば、ああいう曲の多くは(フランク・)シナトラが歌っていてもおかしくないと思うだろう。アンディ・ウィリアムスやジャック・ジョーンズ、あるいは50年代や60年代初期のクルーナーでもいい。彼らが歌っていたかもしれない音源だね。ポップ・ミュージック界の『マッドメン』(訳注:1960年代のテレビドラマシリーズ)みたいな流れにあるんだ。そういう意味で『ウエスタン・スターズ』とはかなり違っている。でも「ハイ・シエラ」とかいくつかの曲は『ウエスタン・スターズ』に入っていても不思議ではないね。多分「サンライナー」も。
俺はそれまで使っていなかったコード進行を使っていた。それによって、俺が他の楽曲の大半で使っていたコード構成やソングライティングよりもやや洗練されたものを掘り下げることが可能になったんだ。
「サンデー・ラヴ」:『トワイライト・アワーズ』(『トラックスII』DISC6)収録

『トワイライト・アワーズ』ジャケット写真
―『ウエスタン・スターズ』と『トワイライト・アワーズ』をダブル・アルバムとしてリリースすることを考えはしましたか。
BS:考えたよ。そして、そうしないことにしたんだ。通常俺がたくさんの素材を一度に書くときは……特に一度に40曲くらい書くときは、いつも「そうだな、ダブル・アルバムにすべきかもしれないな」と考える。でも通常はもっとコンパクトで集中的な作品に帰結するんだ。
―「ハイ・シエラ」にははっとさせられます。この曲について少しお話しいただけますか。
BS:あれは多分『ウエスタン・スターズ』に何とか入れるべきだったんだろうな。実際入れかけたんだ。あの手この手で押し込もうとしたけれど、何らかの理由でどうにも入れられなかった。恐らく同じムードのものが他にたくさんあったんだろうな。アメリカ人としての疎外感について語っているキャラクターがたくさんあったんだ。
―コンサート・フィルムの中であなたは『ウエスタン・スターズ』を全曲演奏していましたが、公の場では一度も演奏したことがありませんね。どこかの時点でセットに取り入れる気はありますか。
BS:もしそうするのであれば多分割と小規模なツアーに出て、オーケストラと一緒にそれらのアルバムの曲に限定してプレイするだろうね。Eストリート・バンドとツアーに出るときは、ロック・ショウをやりに行くんだ。ステージに出ていって、3時間アクセル全開で、あなたを、俺自身を、そして直近20マイルにいる人をみんな疲弊させたい。そんな訳で、世の中には俺にとって(バンドに)馴染むものとそうでないものがある。自分がバンドとやる曲についてはそんな風に考えているんだ。
『ネブラスカ』:伝記映画『孤独のハイウェイ』と新事実
―今度公開される、『ネブラスカ』の誕生に焦点を当てた伝記映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』の撮影現場で、あなたはたくさん写真に撮られていますね。
BS:俺より演じる側の方が、間違いなく大変だろうな。俺が現場に顔を出した日、ジェレミー・アレン・ホワイトは俺に対してとても寛容だった。俺は彼にこう言ったんだ。「聞いてくれ。俺が邪魔になったら、そういう顔をしてくれれば、家に帰るから」。でも俺がそこにいたとき、彼は俺がいることに関して素晴らしいくらい寛容でいてくれた。とにかく愉快だったし、楽しかったよ。
まあ、映画には俺にとってある意味最も辛かった日々の一部が描かれているから、ちょっと非日常な感じはしたけどね。だけど素晴らしいプロジェクトだったし、ジェレミーと (マネージャーのジョン・ランダウ役を演じている)ジェレミー・ストロングはふたりとも見事だったし、すごく良かった。他の俳優たちもみんなね。スティーヴン・グレアムが俺の父親を演じていて、この世のものとは思えないくらい素晴らしい。
―目の前で子供時代が再現されていくのを見るのは、感情的にも実に強烈だったのではないでしょうか。
BS:まあ、立ち会わなかったシーンもいくつかあったけどね。本当に深くパーソナルなシーンのときは、俳優たちに完全に自由に感じてほしかったんだ。邪魔になりたくなかったから、そういうときは家にいた。監督のスコット・クーパーが何かしらのために俺を欲しがった、あるいは必要としていたときは、何とか立ち会おうとした。でも撮影の最初の1カ月間くらい俺はカナダをツアーしていたから、その期間は出ずっぱりで仕事していたんだ。
ところで……カナダのオーディエンスに声を上げて伝えたいことがあるんだ。あのツアーでの彼らは素晴らしかった。おかげで俺たち史上最高のカナダ・ツアーができたんだ。
―『ネブラスカ』といえば、ファンはフル・バンドの『ネブラスカ』を聴くという魅力的なアイデアの虜になっていまして、長年の間に神話化していますが……。
BS:それは存在しない、と今すぐ言えるね。
―本当に?
BS:ああ。『ネブラスカ』の曲を2、3バンドで試したことはある。マイナーなエレクトリック・バージョンで、あるいは他の何かで……はっきりは憶えていないけれど。でも、そういうアルバムは単に存在しない。みなさんが聴いている、俺たちがステージで演奏しているもの以外にエレクトリックな『ネブラスカ』は存在しないんだ。
―マックス・ワインバーグとロイ・ビタンが話してくれたんですが、ロイの自宅の居間で多くの曲をおさらいしたそうですね。
BS:記憶にないな。ただ、エレクトリックの『ネブラスカ』に相当するものがうちの保管室にないことは言えるよ。
※このインタビューが行われた1カ月ほど後のこと。飛行機を降りて携帯のスイッチを入れると、ニュージャージー州フリーホールド発信の馴染みのない番号から不在着信があった通知を見た。その番号からはテキストメッセージも入っていた。「やぁ、アンディ(筆者)! ブルース・スプリングスティーンだ。ひとつお知らせをしようと思ってね。保管室をチェックしたら『ネブラスカ』のエレクトリック版があったんだ。と言ってもアルバムまる1枚分ではないけどね。ではごきげんよう。ブルース」
―ファンは、映画の公開前にあなたが『ネブラスカ』をまる1枚演奏するスペシャル・ショウのようなものをやってくれないかと妄想しています。今まであなたがやってこなかったことですが、可能性はありますか。
BS:それをやるのは疑わしいけれど、いつかはアルバムをまる1枚プレイする可能性があるね。きっと楽しいと思うし、ファンも大喜びしてくれると思う。可能性は排除しないよ。
完成済みの新作、この先のビジョン
―前回のインタビューでは『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ Vol. 2』の話が出ました。あれは完成したのでしょうか?
BS:ああ、完成しているよ。出来上がっている。結構前にね。これもまたタイミングの問題だ。カバー・アルバムは俺が曲を書いていないときの自分の愉しみと娯楽のために作っている。作っていてとても楽しかったプロジェクトだったにすぎない。それに俺はああいう音楽が大好きだ。ああいう歌やシンガーが全部大好きだからね。という訳でもう1枚手元にあるのは確かだ。他にも、必ずしもソウルと関係していないカバーものを作ったんだ。つまり別プロジェクトだね。
―あなたは今曲を書いていたり、次のアルバムについて考えたりしていますか。
BS:ああ、完成したアルバムが1枚あるよ。
―Eストリート・バンドと作ったものですか。それともソロ?
BS:ソロ・アルバムだ。
―今それについて何か言えることはありますか。
BS:いや。
―来年には出ると思われますか。
BS:2026年のどこかの時点で出るんじゃないかな。
―『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』以外では、Eストリート・バンド抜きのツアーは19年間行われていませんね。どこかの時点でまたソロ・ツアーを行うと思われますか。
BS:そうだな、『ブロードウェイ』は240公演かそのくらいだった。でもそうだな、どこかの時点でまたやることは確かだよ。どんな音楽をやることになるかはわからないけど、俺はたくさんのアルバムを作っているから、ネタはたくさんある。ともあれどこかの時点でやってみたいね。
―この夏のヨーロッパ・ツアーは、2023年初めに始まったEストリート・バンドとのツアーの締めくくりなのでしょうか。
BS:ああ。この先の15、16公演が、130日間のEストリート・ツアーのオフィシャルな終わりなんだ。これは議論の余地がある。今回みたいに130公演やるよりも……今回は6年間ツアーしていなかったから、こうすることによってオーディエンスと再び触れ合った訳で、バンドとプレイするのも楽しかったけれど、将来的にはもっと頻繁に、公演を減らしてプレイすることになると思う。
―オーストラリアのファンが喉から手を出して待っていますよ。
BS:こうしている今もベストを尽くしてあっちに行こうとしているんだ。願わくは来年のどこかの時点で行きたいね。申し訳なく思っているよ。オーストラリアのファンには、今回のツアーで行かないことを謝りたい。でも、機が熟したら、多分来年のどこかで、すぐに行こうと計画していることはわかってほしい。
―昨夏アズベリー・パークで行ったコンサートは、とにかく信じられないほど素晴らしい夜でした。
BS:そう、あれは俺たちが今までやった中でもトップ5か3のうちに入るよ。俺にとってはそもそもそのくらいスペシャルだったんだ。誰もいない、ゴースト・タウンだった頃に自分があの街にいたからというのもある。ほら、アズベリー・パークは30年間完全に、まったくのゴースト・タウンだったからね。俺や仲間たちはいたけれど。その再生に立ち会えたこと、そしてあの街が息を吹き返すのを、9月の美しい夜にあのビーチで目の当たりにすることができたのは、俺のパフォーマンス経験の中でも指折りにステキなことだった。
―『トラックスIII』は出されるのでしょうか。
BS:ああ。保管室にまだ楽曲がたくさんあるしね。既に完成してあって、いつでもリリースできる状態になっている。単にいつ出す時間があるかの問題だね。他にも近々リリースすることに俺が興味を持っているものが色々あるから。でも次の『トラックス』まで25年も待たせることはない。今後3年かそこらで出ることになるんじゃないかな。
―他の未発表フル・アルバムが入るのでしょうか。
BS:いや、完全なアルバムの形になっているものはないな。俺の仕事人生の様々な時点で作ってきたもので、バンドと一緒のものもあればそうでないものもあるし、大昔に遡るものもある。それが出た時点で保管庫は完全には空にならないにしても、事実上空同然にはなる。これ以上は本当にないね。自分の手元にある音楽やレコーディング済みのものをようやくすべてファンに届けられると思うと、ちょっとワクワクしているんだ。
今もアメリカを信じている理由
―ジョージ・W・ブッシュ大統領の在任中、あなたはあの時代の苦悩や狂気についてたくさんの曲を書きました。今私たちが暮らしている政治的な時代については、曲を書きたい気に駆られますか。
BS:そうだなあ、それについて歌うインスピレーションにはなっていると思うね。今はまだ曲を書くインスピレーションにはなっていないけど。書くことになるか書かないことになるかは俺にはわからない。でも俺たちは明らかにアメリカの悲劇を生きている。そして俺たちは無傷で生還すると信じているんだ。この国は他の国のような独裁主義者の歴史があった訳じゃない。俺たちには民主主義の歴史がある。それが再び頭角を現してくると俺は信じている。誰かがどんなに転覆しようとしても、一夜にして消えてしまうような伝統じゃないと信じているんだ。
―希望を失っていないのですね。
BS:そう、そう、そうさ。希望は持っていないとね。希望は持っていないと。
―10年ちょっと前にインタビューしたとき、あなたは「近づいて来る列車が放つ光が心を集中させてくれる」と語っていました。この歳になってなおさらそう感じますか。
BS:ああ。時間には限りがあって、演奏できる時間にも今や限りがあるものだと気づくんだ。そして、もしバンドを観に来てくれれば、絶好調の状態のバンドをお見せできる気がしている。1980年の俺たちのプレイとは違う。1975年のプレイとも違う。ああいう特定の瞬間には、今とは違う若々しいエネルギーがあったんだ。でもこの50年間一緒にやってきた深み、共鳴、そして経験は、いよいよ俺たちのパフォーマンスの前面に出てきているんだ。しかも今、バンドはステージ上でとにかくまったくいかした状態なんだ。だから今Eストリート・バンドとプレイするのは本当にワクワクするし、将来的にもたくさん一緒にやることを楽しみにしている。ただ、その将来には限りがあるけどね。
―ショウの最後にマックスを見て、「一体どうしてこの男はいまだに元気なんだ?」と思うことが多々ありますよ。
BS:そりゃあマックスはテクニックが洗練されているからああできるんだよ。素晴らしいことだと思う。俺はみんなにこう言っているんだ「いいかい、ステージでの俺は曲の間にほんのひと息しか入れないんだ。ショウが絶えず動いている状態が好きだからね」。マックスはそれを享受できない。それは俺が「マックス、俺たちが5秒休んでいる間もプレイし続けてくれ」と言っているからなんだ。つまり、あの男はステージに出ていくと、要は3時間ノン・ストップでプレイするってことだ。アイツがストップするときというのはそうだな、30秒くらい水をひと口飲むのがひと晩に2、3回あるくらいじゃないかな。つまりマックスは人類の驚異だよ。俺の人生と俺の仕事人生にアイツがいるというのは、ものすごく恵まれていることなんだ。
―ドラマーとキーボーディスト募集の広告をヴィレッジ・ヴォイスに出したら、マックスとロイが応募してきたというクレイジーな幸運を考えてもみてください。
BS:ああ。しかも彼らはこのバンドのサウンドの実に大きな部分を決定づけてくれた。ロイ・ビタンのキーボードはEストリート・バンドで非常に特徴的だし、マックスのドラミングもそうだ。長期間やっていくつもりであれば、ちょっとした幸運が必要ってことだね。俺はいくらかの幸運に恵まれてきた。あれはなかなかラッキーな時代だったよ。
―ピート・シーガーのように、90代になってもステージに立って音楽をやっていたいですか。
BS:ああ、もちろんさ。ほら、ピートとは知り合いだったし、エネルギーに溢れていたからね。彼は声が出なくなりかけても、シンプルに他の方法を見いだしていた。彼と一緒にプレイしていたのは確か彼のいとこか誰かだったかな? ピートは、人々が彼のこの上なく力強いスピリットを経験しにコンサートに来ていることを理解していたんだ。
―彼は素晴らしいロール・モデルですね。
BS:もちろんそうだね。ウィリー・ネルソンもそうだし、80歳を優に過ぎてもプレイしていた(ロックの)父の多くもそうだった。それから今は(ローリング・)ストーンズも素晴らしいインスピレーションになっている。ストーンズは過去最高のプレイをしているよね。ポール・マッカートニーも。さらにはボブ・ディランもいる。そういう人たちが俺の少し前を行っていて、「おい、まだ寝る時間じゃないぞ。まだまだ先に何マイルもあるんだ」と示してくれているんだ。
―つまり、フェアウェル・ツアーはないということですね。
BS:ないね。
【インタビュー前編はこちら】
ブルース・スプリングスティーンが語る、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に満足できなかった理由、独自の道を歩んだ90年代
From Rolling Stone US.

ブルース・スプリングスティーン
『トラックスII:ザ・ロスト・アルバムズ』
2025年7月2日(水)リリース
再生・購入・特設ページ:https://sonymusicjapan.lnk.to/TheLostAlbumsAW
7CD超豪華ボックス・セット 日本プレスBSCD2
完全生産限定盤 輸入盤国内仕様 2000セット限定
●ブルース・スプリングスティーン本人とエリック・フラナガンによるライナーノーツ
●100P布装豪華ハードカバー本
●英文ブックレット翻訳&日本版ライナーノーツ:五十嵐正
●対訳&訳者ノート:三浦久

※『ロスト・アンド・ファウンド~ザ・ベスト・オブ・トラックスII』(1CD/2LP)
未発表ボックスから20曲を抜粋したハイライト集
発売中

映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』
2025年11月14日(金)全国公開
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(C)2025 20th Century Studios