中年ミュージシャンのNY通信、今回はゴスペル教会を中心に演奏している筆者が、いつの間にか排他的になっていたことに気づかされて羞恥にまみれる話が届きました。ところでZ世代に「ビルマの竪琴」って通じるんでしょうかね……。
雇われている教会でふたつほど、出来事があった。ひとつは水漏れ事故のせいで半年続いた近隣チャーチでの仮暮らしがようやく終わって、自分たちの教会に戻ってこれたこと。もうひとつは少し前のことなんだけど、なんつうか反省させられることがあった。それも、ものすごく。
ある朝出勤するとピアノの席に、初めて見る白人が座っていた。初めて、というのはその人を見たことがないというだけでなく、いまのチャーチに黒い肌を持たない人がいるのを初めて見た、ということ。
前の前に雇われていたペンテコステのチャーチは割とオープンで、片手ほどのヒスパニックや白人の信徒がいたけど、ひとつ前のところと今のところはほんとうに黒人専用教会って感じだから、正直ギョッとしてしまったわけだ。
いまわざと専用と書いたのには理由があって、本来なら同じ肌の色の人しかいないってダイバーシティも何もあったもんじゃないんだけど、でも実際のところそうなっているのには、ブラックチャーチという空間には女性専用車両と似たような機能、つまりセーフティスペースとしての側面があるのだった。
それこそ、白人と同じ空間にいるときに気が休まることはもう一生ないだろう、と語るくらい差別体験がトラウマティックに染み付いてしまっている方もいる。特に、公民権運動の最中に物心ついたような年代のご婦人がたは。なのでさっきの白人キーボーディストは、いままさにジロジロ見られている最中だ。
丸イスにちょこんと座っている彼に挨拶したら、アイザックといって、マサチューセッツから引っ越してきたばかりで演奏できる教会を探している、パスターの友人に紹介されて来た。
というのも、ここベッドスタイは『ドゥ・ザ・ライト・シング』でおなじみアフリカ系およびカリブ系の集住地区で、そしてそのすぐ北は、イスラエルを除けば世界最大のユダヤ人集住地区であるサウスウィリアムズバーグ。シマが接したふたつのエスニックグループの関係性は、想像に難くないでしょう。
なんだけど、礼拝が始まって、もうね、すべて杞憂でした。 ザックは私なんかよりゴスペルのレパートリーが頭に入っていて、ばあちゃんたちも一気に受け容れムードに。そして知らない曲でもその場でなんとか取り繕う対応力があり(チャーチではとにかくこれが大事)、あとジャズの引用が上手かった。
教会の演奏にはその教会ごとのクセというか定番パターンみたいのがあるんだけど、オルガンのクエンティンは彼がそれをキャッチできるよう終始サポートし、ドラムのセドリックはお得意のウィンクで励ましている。演奏後にはがっちりハグで認め合い、みんなでミュージシャンを欲していそうな教会をいくつか紹介してあげた。
不安な初場所で最初に話しかけたのが私だったので、それについてお礼を言われたのだけど、えーと、あれだよね、ユダヤ教…… 「そうだよ。君は?」うーん、ライト仏教徒?「じゃあ一緒だ、ゴスペルを好きになって、学んでるんでしょ」。そうだった、何より肌の色の違う異教徒なのにノコノコやってきて受け入れてもらっているのは、他ならぬ私なのだった。
それを何を勘違いしたのか、白人が闖入してきて大丈夫だろうかとか、ユダヤ人なのにゴスペル演奏して奇妙だなとか、そんなことばかり気にして、実際にはミュージシャンたちはほんとに何の垣根もなく合奏して、ばあちゃんたちをアゲ倒して、何の問題もないじゃないか。他ならぬレイシストなのはこの私なのだった。ひどく恥ずかしくなって首から上が真っ赤になるのを感じていた。
ちなみに私は新しい教会に雇われるとき、牧師に「クリスチャンじゃないんだけど大丈夫かな」と確認するのがおきまりだ。面白いことに、いままで属した3か所の3人とも言うことは同じで、「時間通り来れる? あと無断で休まない?」それは大丈夫、ワタシ、アジア人。とてもパンクチュアル。「なら問題ない。ご婦人方には愛想良くしとけ」。イエッサー。
しばし間が空いた日曜日、アイザックからレジデントの教会が決まったというテキストが届いた。その日パスターは説教のクライマックスにやおら、定番曲のひとつである「We Shall Overcome」を歌い始め、私たちはすぐにキーを拾って演奏し始めた。この曲に対してはちょっと捩くれた、割り切れないような気持ちを抱いている。
生まれる前なので見たことはないんだけど、半世紀以上前の日本には、政治の季節というものがあったらしい。反体制の若者たちは新宿西口で毎週集会を開き、最盛期には7000人が集まったという。そのムーブメント、新宿フォークゲリラのアンセムだったのがこの曲だ。
運動は中央線を動脈として沿線に拡散し、私が生まれ育った立川・国立エリアにもひっそり定着することになる。その2、3世代上のフォークおじさんおばさんたちが弾き語る「We Shall Overcome」が、私は嫌いだった。反体制なんて見る影もなかったし、アコギのサウンドはしみったれていて、とにかく10代の私にとっては、何よりも忌避すべき対象であった。
それが何のめぐり合わせか、フォークを避けて避けまくってきた先のアメリカで、幾度となく「We Shall Overcome」を演奏している。ブラックチャーチではポール・モートン司教のアレンジを下敷きにすることが多いので、ピート・シーガー経由のフォークゲリラとは曲想もビートもあまりに違うんだけど、でもやっぱり同じ曲だ。おばあちゃんたちにとっては、公民権運動の思い出が染みついた曲。
果たして我々が演奏しているこれは、フォークソングなのだろうか、ブラックミュージックなのだろうか、何人種の音楽なのだろうか。どうして私はあんなにこの曲が嫌いだったのだろう。よくわからなくなってきてしまった。
唐木 元
東京都出身。ライター、編集者、会社経営などを経たのち2016年に渡米。バークリー音楽大学を卒業後、ニューヨークに拠点を移してベース奏者として活動中。趣味は釣り。X(Twitter):@rootsy
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雇われている教会でふたつほど、出来事があった。ひとつは水漏れ事故のせいで半年続いた近隣チャーチでの仮暮らしがようやく終わって、自分たちの教会に戻ってこれたこと。もうひとつは少し前のことなんだけど、なんつうか反省させられることがあった。それも、ものすごく。
ある朝出勤するとピアノの席に、初めて見る白人が座っていた。初めて、というのはその人を見たことがないというだけでなく、いまのチャーチに黒い肌を持たない人がいるのを初めて見た、ということ。
前の前に雇われていたペンテコステのチャーチは割とオープンで、片手ほどのヒスパニックや白人の信徒がいたけど、ひとつ前のところと今のところはほんとうに黒人専用教会って感じだから、正直ギョッとしてしまったわけだ。
いまわざと専用と書いたのには理由があって、本来なら同じ肌の色の人しかいないってダイバーシティも何もあったもんじゃないんだけど、でも実際のところそうなっているのには、ブラックチャーチという空間には女性専用車両と似たような機能、つまりセーフティスペースとしての側面があるのだった。
それこそ、白人と同じ空間にいるときに気が休まることはもう一生ないだろう、と語るくらい差別体験がトラウマティックに染み付いてしまっている方もいる。特に、公民権運動の最中に物心ついたような年代のご婦人がたは。なのでさっきの白人キーボーディストは、いままさにジロジロ見られている最中だ。
丸イスにちょこんと座っている彼に挨拶したら、アイザックといって、マサチューセッツから引っ越してきたばかりで演奏できる教会を探している、パスターの友人に紹介されて来た。
と言うんだけど、なんというか彼……わりとはっきり、ユダヤ人なのです。さらに雲行きが怪しくなってきた。
というのも、ここベッドスタイは『ドゥ・ザ・ライト・シング』でおなじみアフリカ系およびカリブ系の集住地区で、そしてそのすぐ北は、イスラエルを除けば世界最大のユダヤ人集住地区であるサウスウィリアムズバーグ。シマが接したふたつのエスニックグループの関係性は、想像に難くないでしょう。
なんだけど、礼拝が始まって、もうね、すべて杞憂でした。 ザックは私なんかよりゴスペルのレパートリーが頭に入っていて、ばあちゃんたちも一気に受け容れムードに。そして知らない曲でもその場でなんとか取り繕う対応力があり(チャーチではとにかくこれが大事)、あとジャズの引用が上手かった。
教会の演奏にはその教会ごとのクセというか定番パターンみたいのがあるんだけど、オルガンのクエンティンは彼がそれをキャッチできるよう終始サポートし、ドラムのセドリックはお得意のウィンクで励ましている。演奏後にはがっちりハグで認め合い、みんなでミュージシャンを欲していそうな教会をいくつか紹介してあげた。
不安な初場所で最初に話しかけたのが私だったので、それについてお礼を言われたのだけど、えーと、あれだよね、ユダヤ教…… 「そうだよ。君は?」うーん、ライト仏教徒?「じゃあ一緒だ、ゴスペルを好きになって、学んでるんでしょ」。そうだった、何より肌の色の違う異教徒なのにノコノコやってきて受け入れてもらっているのは、他ならぬ私なのだった。
それを何を勘違いしたのか、白人が闖入してきて大丈夫だろうかとか、ユダヤ人なのにゴスペル演奏して奇妙だなとか、そんなことばかり気にして、実際にはミュージシャンたちはほんとに何の垣根もなく合奏して、ばあちゃんたちをアゲ倒して、何の問題もないじゃないか。他ならぬレイシストなのはこの私なのだった。ひどく恥ずかしくなって首から上が真っ赤になるのを感じていた。
ちなみに私は新しい教会に雇われるとき、牧師に「クリスチャンじゃないんだけど大丈夫かな」と確認するのがおきまりだ。面白いことに、いままで属した3か所の3人とも言うことは同じで、「時間通り来れる? あと無断で休まない?」それは大丈夫、ワタシ、アジア人。とてもパンクチュアル。「なら問題ない。ご婦人方には愛想良くしとけ」。イエッサー。
しばし間が空いた日曜日、アイザックからレジデントの教会が決まったというテキストが届いた。その日パスターは説教のクライマックスにやおら、定番曲のひとつである「We Shall Overcome」を歌い始め、私たちはすぐにキーを拾って演奏し始めた。この曲に対してはちょっと捩くれた、割り切れないような気持ちを抱いている。
生まれる前なので見たことはないんだけど、半世紀以上前の日本には、政治の季節というものがあったらしい。反体制の若者たちは新宿西口で毎週集会を開き、最盛期には7000人が集まったという。そのムーブメント、新宿フォークゲリラのアンセムだったのがこの曲だ。
運動は中央線を動脈として沿線に拡散し、私が生まれ育った立川・国立エリアにもひっそり定着することになる。その2、3世代上のフォークおじさんおばさんたちが弾き語る「We Shall Overcome」が、私は嫌いだった。反体制なんて見る影もなかったし、アコギのサウンドはしみったれていて、とにかく10代の私にとっては、何よりも忌避すべき対象であった。
それが何のめぐり合わせか、フォークを避けて避けまくってきた先のアメリカで、幾度となく「We Shall Overcome」を演奏している。ブラックチャーチではポール・モートン司教のアレンジを下敷きにすることが多いので、ピート・シーガー経由のフォークゲリラとは曲想もビートもあまりに違うんだけど、でもやっぱり同じ曲だ。おばあちゃんたちにとっては、公民権運動の思い出が染みついた曲。
果たして我々が演奏しているこれは、フォークソングなのだろうか、ブラックミュージックなのだろうか、何人種の音楽なのだろうか。どうして私はあんなにこの曲が嫌いだったのだろう。よくわからなくなってきてしまった。
水島いっしょに日本に帰ろう、みたいな気持ちになりながら曲はターンアラウンドから長いバンプに突入し、高揚した信徒が気絶しはじめる。あのユダヤ人もいまごろ祝福を奏でてる頃かな、と思った。
唐木 元
東京都出身。ライター、編集者、会社経営などを経たのち2016年に渡米。バークリー音楽大学を卒業後、ニューヨークに拠点を移してベース奏者として活動中。趣味は釣り。X(Twitter):@rootsy
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