【写真ギャラリー】Fall Out Boyサマソニ歴代ライブ写真まとめ

左からアンディ・ハーレー(Dr)、ピート・ウェンツ(Ba)、ジョー・トローマン(Gt)、パトリック・スタンプ(Vo, Gt)
2004年、初来日の記憶
―初来日の時のことは覚えていますか?
パトリック:最初の日本ツアーは今でもよく覚えてるよ。僕たちはただの新人バンドで、自分たちが何をやってるのかもわからなかった。当時ピート(・ウェンツ:Ba)とアンディ(・ハーレー:Dr)はハードコア・バンドでそこそこ成功してて、僕たちはサイドプロジェクトのポップパンク・バンドという感じで日本に行った。ただ、一緒に演奏するのが楽しいっていう空気は伝わってたと思うんだ。でも、自信がなさすぎてさ。日本のクラブのモニター担当なんて、「おまえら何がしたいのかわからん」って顔をしてたからね。僕たちも、「大丈夫、俺らもわからないから」って感じだったけど(笑)。
―本気でそんな感じだったんですか?!
パトリック:まだまだ模索中だったんだよ。僕たちはポップパンクをやってるけど、元の出身はハードコアだ。本気でチューニングのやり方もわからなかったし、アンプの音の出し方もわからなかった。自分たちですらわからないのに、そこを乗り越えて、しかも日本語で説明しなきゃいけないんだよ。
FOB初来日は2004年6月、渋谷 CLUB QUATTROに2日間出演。当時のレーベルメイト、Punchlineの来日ツアーでオープニングアクトを務めた
―初めての日本は楽しめました?
パトリック:素晴らしかったよ。着いてすぐに好きになったくらいだ。日本って他とは全然違うのに、どこか馴染みがあるところが不思議なんだよね。他の国では味わえない感覚があるんだ。文化的には全く違うのに、「あ、これは知ってる」って思えるんだ。アメリカ人は気づいてないけど、実は日本とアメリカのポップカルチャーってめちゃくちゃ交流が深いんだよね。例えば、『パワーレンジャー』なんて、普通にアメリカのTV番組だと思い込んでたのが、実は日本のスーパー戦隊シリーズのリメイクだったりする。日本から入ってきたカルチャーって意外と多いんだよ。それは逆もまたしかりで。
―それに、日本の観客は言葉がわからなくても、めちゃくちゃシンガロングしますからね。
パトリック:そうそう! 20年前の日本の観客は本当に真剣だった。熱心というか、僕たちがやってることを見逃さない感じだった。だから僕たちも責任を感じて、とにかく「ちゃんと演奏しなきゃ」って気分になったね。しかも、観客全員が歌詞を全部歌ってくれるんだ。どんなワードも漏らさずにね。それで演奏を止めると、物音一つしなくなって、全員が聴き耳を立ててる。その前にツアーをしたイギリスだと、曲と曲の合間はみんな酔っ払ってるから、叫んだりしてるんだ。でも日本は全く別世界だったんだ。日本には文化的に何かをマスターする「きわめる」という言葉があるじゃん。
―初来日はクラブでのライブでした?
パトリック:クラブだったよ。その時はギターのチューニングもわからなかったし、電圧の違いすらわかってなかった。日本は100V、アメリカは110~120Vで、電圧の違いがあるから、アンプから出る音が違うし、スゴくクリーンな音になってしまうんだ。ライブ直前に、「何でギターの音がおかしいんだ?」って、頭を抱えて混乱してたのを思い出すよ(笑)。だけどさっきも話したように、観客はめちゃくちゃクールでさ。初めて東京を見た時の衝撃も忘れられないんだ。東京の街中をライブ会場まで歩く途中で見た、巨大な交差点とか、路地裏の小さな店、店に入るのを待ってる人たち、客引きの声とか……初めて見るもののすべてが新鮮だったし、クラブでやったライブにしても、とにかく圧倒されっぱなしだった。
「Grand Theft Autumn」:『Take This to Your Grave』(2003年)収録
過去のサマソニ出演を振り返る
―今年の夏はサマーソニックの出演で再び日本に来ますよね。
パトリック:日本からの出演オファーに「No」って答えたことはないんだよ(笑)。日本でライブをやるのが大好きすぎるし、サマーソニックはずっとお気に入りのフェスなんだ。マネージャーが「ねえ、これどう?」って言いかけた瞬間に、すでに「行くよ!」って答えてたぐらいだから(笑)。
―日本には15回ほど来ていますが、いつもバンドの節目となるタイミングで来日していませんか?
パトリック:そうだね! いつもタイミングが良くてさ。不思議だよね。計画してるわけじゃないんだけど、自然にそうなってる感じだ。
―毎回アルバムを出すタイミングでも来日していますが、アルバムごとにツアー、ライブのアプローチも変えていますよね。
パトリック:もちろん! さっきも話したけど、僕たちは最初はパンク・ロック、ハードコアの出身で。バンの後ろに機材を詰め込んで、会場に飛び込んではアンプを最大音量で鳴らして、できるだけ速く演奏して、すぐに撤収、みたいな感じだった。でも日本の観客の真剣さに触れた時に、「もっと真剣に自分たちの音楽と向き合わなきゃ」って、初めて思わされたんだよね。それが前回のSo Much For (Tour) Dust(2023年の最新アルバム『So Much (for) Stardust』のツアー)の頃になると、やっと自分たちのことがわかるようになって、バンドとしての完成形みたいなのが見えてきたんだ。20年もやってて今さら?って感じだけどさ(笑)。
少しの間、セットリストを変えて演奏するのは怖かったんだ。今はヒット曲もやるし、ヒット曲以外もやって、それで盛り上がってくれる。観客と一緒に作り上げるライブという感じがするから、スゴく楽しいんだよね。特にここ2~3年はライブ・アクトとして最高にエキサイティングな時期でもあるから。正直、初めて「俺らライブ上手いじゃん!」って、自分たちを客観的に好きになれたんだよ(笑)。僕は自分自身に厳しい方だからね。以前は「ああ、これはダメだ。恥ずかしい」って思うことが多かったけど、ここ2~3年は「やった! 最高の出来だ」って思えるようになったんだ。

2006年、MARINE STAGEに出演(©︎SUMMER SONIC All Rights Reserved.)
―今は自由に楽しめるようになったわけですね。2006年のサマーソニック初出演の時は、2005年のアルバム『From Under the Cork Tree』のリリース後の来日でしたが、あのアルバムですべてが変わったと公言するくらい、大きなターニングポイントになったんですよね。
パトリック:あのときのサマーソニックはとんでもなかった。当時のアメリカではフェスというのはまだまだ新しいものだったからね。ウッドストックのような、一回限りの巨大フェスはあったよ。コーチェラはまだ始まったばかりだったし、Bumbershootもあるにはあった。ワープド・ツアーもあったけど、全盛期は90年代で、僕たちがバンドを始めた頃はすでに別モノになってた。サマーソニックみたいな、巨大で多ジャンルのフェスって、アメリカにはなかったんだよ。僕たちはイギリスのフェスにも出てたけど、サマーソニックのエネルギーは特別でさ。バンドの数もめちゃくちゃ多いし、ジャンルもいろいろある。それに、どのバンドの時も観客の熱量がスゴいんだ。今ではフェスも増えたし、どこででもやってるけど、当時は「何だこれは? スゴいな!」って感じだった。あんなものは見たことがなかったし、年に一度の大イベントって感じがしたんだよ。
「Sugar, We're Goin Down」:『From Under the Cork Tree』(2005年)収録
―初来日のクラブ公演と比べて、最初のサマーソニックはどうでした?
パトリック:サマーソニックに出る頃には、日本で演奏するコツもだいぶわかってたね(笑)。ただ、ステージでのMCは難しくて、アメリカと同じでは通用しないんだ。でも逆に、観客の反応を読みながら、バンドが観客の求めてるものを理解して、一緒にライブを作り上げていく感覚が楽しくなってきて。バンドと観客が一体になる体験が本当に最高だったんだよ。
―前回の来日は2年前、2023年のサマーソニックでした。活動を休止していたジョー・トローマン(Gt)が復帰して、メンバー4人揃っての来日が実現したので、多くのファンが喜んだのを覚えています。
パトリック:ジョーは日本に行きたすぎて、プレッシャーを克服して復帰したんだ。ジョーはどういうわけか、僕が彼に対して腹を立ててると思い込んでたから、「違うよ。自分を大切にしなよ」って言ったんだ。それでサマーソニックが決まった時に、「行かなきゃ!」ってなったんだ(笑)。あの時ジョーと一緒に日本に行けたのは、僕たち全員にとっても大きなことだったね。
キャリア網羅のセットリストについて
―最近のライブのセットリストを見たのですが、どのアルバムの曲も網羅したグレイテスト・ヒッツという感じでした。セットリストはいつもどのように決めているのですか?
パトリック:So Much For (Tour) Dustの最初の頃、(地元)シカゴにあるMetroでライブをやったんだけど、僕たちは長年「みんなヒット曲ばかり求めてるんじゃないか」と思ってて、ちょっと怖気づいてたんだ。ライブで新しいことをトライしたり、新しい曲をやったりもしたんだけど、反応が良くなくて。それで何年もほぼ同じセットリストで回ってたんだ。たまに新曲を入れるんだけど、あくまでも、同じセットリストの中のバリエーションみたいな感じで。でもMetroでのライブの時は、サプライズで超マニアックな1曲を選んでみることにしたんだ。そしたら観客がめちゃくちゃ盛り上がってね。それで(同じくシカゴの)リグレー・フィールドでも試してみたんだ。スタジアムだし、観客の数もハンパなかったけど、この時も超マニアックな曲で盛り上がってね。そこからどんどん変な曲……アルバム収録曲で何年も演奏してなかったような曲を試すようになって。予想外の反応にビックリさせられっぱなしなんだ。
僕たちと同世代のバンドって、だいたい「この1枚」みたいなアルバムがあるじゃない? 誰もが知ってる代表作みたいな。でも僕たちにはそれがなくて。別に全部が傑作ってわけじゃないけどさ(笑)。どのアルバムにもそれぞれのファンがいる感じなんだ。だからセットリストも幅広くカバーしなきゃって思うようになって。日本の観客が初めて僕たちに敬意を払ってくれた時みたいにさ、観客が僕たちの音楽を尊重してくれたら、僕たちも観客のことをもっと尊重したくなるんだよね。僕って基本的に褒められるのが苦手なタイプで、自分の仕事にスゴく厳しいんだ。誰かが「これ大好き!」って言ってくれても、「いや、こんなのクソだよ」って返してしまうから、相手を傷つけてしまう。だから「これはみんなにとって大事な曲なんだ」って認めることにして、どの曲も演奏するようにしてる。今ではツアーに出ると、リハーサルで「17年もやってない曲ってどれ?」とか言って探すぐらいだから(笑)。
―そのマニアックな曲のことを、「マジック8ボール」(占い遊びができるアメリカのおもちゃ)って呼んでいますよね。
パトリック:そうそう。ピートのアイデアだよ。今じゃマジック8ボールをやると、みんな「その曲知ってる!」って盛り上がってくれるんだ。
―マジック8ボールでやった曲があまりにも盛り上がりすぎた時、その曲が正式にセットリスト入りすることもありますか?
パトリック:もちろんあるよ! 2曲ぐらいあるんだけど、曲名が思い出せなくて。ピートが曲名を変えちゃうからなんだけど(笑)。〈イエローのチェッカーの車〉っていう歌詞の曲なんだけど(「Bang the Doldrums」のこと、2007年のアルバム『Infinity on High』収録)。ある日マジック8ボールでその曲を演奏したら、盛り上がりすぎちゃって。翌日からはセットリストに常に入るようになったんだ。マジック8ボールがなければ、絶対にやらなかった曲だと思うよ。
―マジック8ボールは日本でもやるんですか?
パトリック:もちろん。どの曲にするかはまだ決めてないけどね。
「Thnks fr th Mmrs」:『Infinity on High』(2007年)収録
―セットリストはどのアルバムの曲も網羅していますが、それぞれのアルバムには異なるコンセプト、音楽性がありますよね。でも最近のライブ映像を観た感じだと、セットリストの全曲がどれもフォール・アウト・ボーイの曲として、自然と馴染んでいるように思えました。
パトリック:僕も同じことを思ったよ! 僕たちのアルバムをいろいろ聴くと、5バンドぐらいいるんじゃないかと思うよね。でも実際にライブで一緒に演奏すると、何故か一つのバンドの音として収まるんだ。昔の僕たちは「自分たちのライブ音源なんて聴きたくない」って思うようなバンドだったけど、今の僕たちは「俺らのライブを観たら絶対に楽しいはずだ」って自負できるくらいにはなってる。全体の流れをつかむ感覚ができてるし、ちゃんと一つのバンドとして成立してるんだ。

2013年、MARINE STAGEに出演(©︎SUMMER SONIC All Rights Reserved.)
―あと、うれしい驚きなのですが、今でもライブの最後の曲は、2003年のアルバム『Take This To Your Grave』収録曲の「Saturday」なんですね。
パトリック:そうそう。ラジオのフェスとかで3曲しか演奏できないような時は別だけど、僕たちのちゃんとしたライブの時は、「Saturday」は必ずセットリストに入れてる。あの曲は何ていうか、「俺らはまだ同じバンドだ」っていうことを示してる感じがするんだ。
―ファン層の変化についてはどう思いますか? 新しいファンも増え続ける一方で、昔のファンがライブに戻ってきたりもしますよね。
パトリック:最近は昔からのファンが子供を連れて来てるよ(笑)。でも、バンドって難しいところがあってね。活動中はその時その時の見え方でしかバンドをとらえられないんだけど、バンドが終わるとそこで初めて全体像が見えてきたりするんだ。例えば、クイーンってスゴく面白いバンドだよね。最初はオペラの要素も取り入れたハードロック・バンドで、途中から「Another One Bites the Dust」「Radio Gaga」「Crazy Little Thing Called Love」「Under Pressure」みたいな曲を出して、全く違う方向に行ったし、しかもどの曲も全く違う方向性で、とても同じバンドのサウンドとは思えないんだ。でも、フレディ・マーキュリーが他界した今、まとめて曲を聴いてみると、どの曲もクイーンに聴こえるんだよね。僕たちはクイーンほど素晴らしくはないけど、クイーンと同じように、バンドが終わった時にすべてが見えてくるんじゃないかな。
『American Beauty/American Psycho』(2015年)を出した時は、多くの人がポップ・アルバムだと評価してたよ。でも、『So Much (for) Stardust』や『Infinity on High』の曲と一緒に並べると、なぜか違和感がなくなるんだ。スゴく不思議だよね(笑)。だから、『Folie à Deux』(2008年)とか『Save Rock and Roll』(2013年)あたりで僕たちをチェックしなくなったファンが、再びライブに戻ってきて、「思ってたのと全然違う!」って驚いてくれるのが、実は最高にうれしかったりする。
「The Phoenix」:『Save Rock and Roll』(2013年)収録
「Centuries」:『American Beauty/American Psycho』(2015年)収録
「The Last of the Real Ones」:『M A N I A 』(2018年)収録
FOBが追求してきた「ロックの本質」
―ここ2~3年はライブを楽しめるようになったと話していましたが、2~3年前というと、アルバム『So Much (for) Stardust』 の制作とリリースの時期と重なりますよね。このアルバムの制作が良い影響を与えたのではないですか?
パトリック:そうだね! このアルバムには何か特別なものがあったと思う。とにかくプロデューサーのニール・アヴロンともう一度仕事をしたかったんだ。ニールが重要なのは、ギターのチューニングもわからなかった頃の僕たちを知ってるからだ(笑)。ニールは昔の僕たちも知ってるし、成功した後の僕たちも知ってる。ジョーとアンディはThe Damned Thingsで成功してるし、僕は映画やTVの音楽を手がけて、オーケストラとも仕事をしてる。それで、「今の俺らとニールが組んだら何ができる?」って考えてみたんだ。経験を積んだ今だからこそできることがあるわけで、実際に再び仕事をしてみたら本当に楽しかったし、バンドに対して再びワクワクする気持ちが出てきたんだ。それがツアーへのモチベーションにもなったし、演奏の方もさらに楽しくなってきたんだ。
―『So Much (for) Stardust』では、原点回帰したり、新しい方向性を打ち出したりとかではなく、ごくごく自然な形で進化を見せているし、おなじみフォール・アウト・ボーイという感じがありつつも、どこかフレッシュなものとして聴こえるんですよね。
パトリック:面白いことにね、『So Much (for) Stardust』のデモ作りをしてた時、自分が何をしたいのかがわからなかったんだ。何曲かは気に入ってたんだけど、方向性が見えなくて。そしたらマネージャーが僕をディナーに連れ出して、「君は昔、もっとガチャガチャしてたよね」って言うんだ。「どういう意味?」って聞くと、「昔の曲はもっとガチャガチャしてたよ。あのパートからこのパートに突然飛んだりしてさ」って。恥ずかしいなと思いながら聞いてたら、さらに「あれをもう一度やった方がいい」って言うんだ。「どうやったらいいんだ?」と思いながら家に帰ったんだけど、その夜にアルバムの半分を一気に書いてしまったよ。マネージャーとの会話がきっかけとなって、蛇口をひねったら水が出てくるみたいに、音楽が溢れ出してきたんだ。「ヒット曲を書こう」なんて考えてたら、こんな風にはならなかったと思うね。
―『So Much (for) Stardust』にはファンクやディスコからの影響も感じるし、あなたは背景にR&Bを感じさせるような、ゴージャスな声の持ち主だと思うんです。もちろんいろいろな音楽を聴いてきたと思いますが、元々ハードコアのドラマーをやっていたところから、どのようにして自分の歌声を見つけていったのですか?
パトリック:(笑)正直言うと、事故みたいなものだ。昔はハードコアのバンドにいて、Hot Water MusicとかSmall Brown Bikeみたいな、メロディックだけどガラガラ声が主流のシーンでドラムを叩いてたんだ。バックボーカルもやってたけど、僕の声はなぜかきれいに出てしまってね。当時はハードコア、パンクのバンドなのに、きれいな声なんてダサいと思われてたから、自分の声にスゴくコンプレックスを抱いてたんだ。それで自分らしさを押し殺してた時期もあったけど、結局「自分」というものは出てしまうもので。僕はR&Bやソウル、ヒップホップ、ジャズ、ファンクが大好きで、家で一人の時は、特に意識することなく、皿洗いとかしながら、ルーサー・ヴァンドロスみたいに歌ってたんだよ。でも人前では絶対に歌わないし、ましてやバンドでは歌わなかった。
たまたま「おまえの声が一番いい」ってことになったのは、フォール・アウト・ボーイを始めた時だ。でも、初めの頃はまだどこかのポップパンクのシンガーなりきろうと、モノマネをやってるみたいな感じだった。きっかけとなったのは「Saturday」だ。練習中にアウトロの部分で、冗談っぽくマイクを外して、適当に〈Saturday~〉(後半をファルセットで)って歌ったんだ。誰にも聴かれてないだろうと思ってたら、他の3人が「それ、もう一回やれよ!」って言うんだ。「いや、これは違うんだ。そういうつもりじゃないんだ」って言ったけど、3人は「いやいや、良かったからもう一回やってくれ」って。それが始まりになったんだ。家で一人で歌ってた、人前ではやろうと思わなかった声が、初めて認められた瞬間だった。正直、「そんな声はカッコ悪い」と思ってた声が、殻を破るきっかけになったんだよ。あの時、偶然やらかしてなかったら、たぶん今でも隠したままだと思うね(笑)。

2019年、MOUNTAIN STAGEに出演(©︎SUMMER SONIC All Rights Reserved.)
―めちゃくちゃ良い話ですね! もう一つ聞きたいことがあるのですが、これまでずっと音楽ジャンルの境界線を超えてやってきたと思うんです。今では当たり前のように、ヒップホップの方からもロックを取り入れているし、ジャンルレスの時代が来ましたよね。あなたはあくまでもロック・バンドとして、どこまで境界線を超えられるのかをやってきたのですか? それとも、最初からロックへのこだわりはなかったのですか?
パトリック:僕の中ではロックってそもそも実験的なものだと思ってて。パンク・ロックにしても、今でこそ「こういう音」っていうイメージがあるんだけど、第1世代のパンク・ロックとか70年代のCBGBを振り返ってみると、ラモーンズやミスフィッツあたりはパンク・ロックらしい音だけど、トーキング・ヘッズとかテレヴィジョン、ブロンディ、ディーヴォ、ペル・ウブみたいなバンドもたくさんいたよね。同じシーンではなくても、同じ時期、同じ世界に、いろいろ異なるアイデアの「パンク」があったんだ。新しくて、変で、他にはないものをやるという意味では共通したものがあったわけだ。だから僕はいろいろなエクスペリメントをする音楽が大好きになった。ギャング・オブ・フォーのように、パンクだけど超ファンキーみたいなバンドもいたけど、それってパンク以外の言葉が浮かばないじゃん。ポストパンクとか言う人もいるけど、僕にはわからないな。僕がパンク、ハードコアに惹かれたのは、そういう部分なんだ。ビースティ・ボーイズだってパンク・バンドだと思うしね。
いろんな要素があるし、いろいろ変なことにトライするのがパンクじゃんっていう考え方が僕にはある。僕たちがポップなことをやると、「パンクっぽくない」って言われるけど、挑戦してるという点では本質的に同じなんだよね。もし僕が一生ずっとスケートパンクだけをやり続けてたら、ある時点からリアルじゃなくなるんだよ。それってパンクとは真逆だし、ロックンロールとも真逆なんだ。「よし、もう1曲、ポップパンクの曲を作るぞ」とか言ってたら嘘でしかないじゃん(笑)。『So Much (for) Stardust』にもポップパンクの要素はあるけど、誰かに期待されて、作れって言われたからそうなったわけじゃないし、あくまでも自然に出てきたものだ。だって、仕事としてやらされてたら意味がないじゃん? 「朝9時になったらポップパンクの曲を作りましょう」じゃないから(笑)。そんなの退屈だし、全然誠実じゃないよ。ヒップホップとの関係も同じで、僕たちはヒップホップが大好きなだけで、ヒップホップをやろうと思って無理に作ったわけじゃない。「Centuries」でサンプリングをした時も、ロック・バンドがサンプリングをするのはおかしいって言われたけど、「ヒップホップがやってるなら俺らも試してみようぜ」ぐらいの感じだったから(笑)。
―そういうことだったんですね! 面白いなあ。今日の話をずっと聞いていて思ったのですが、長くクリエイティブでいられる秘訣とかあるのですか?
パトリック:ワシントン州で野生生物学者やってる叔父がいるんだけど、ある時叔父に「世界でどこか行きたいところはあるの?」って聞いたら、「このワシントン州だけでも、全部回り切れないほど魅力的な場所がいっぱいある。だから他のどこかに行きたいとは思わないね」って答えたんだ。音楽も全く同じでさ。音楽には膨大な種類があるし、音楽の中にも無数の細やかな要素が存在する。何年も聴いてなかったレコードをまた聴き直したり、誰かの演奏のちょっとした仕草を見たりするだけで、大きなインスピレーションをもらえるんだ。叔父と同じで、僕も音楽そのものに飽きることはないと思うね。



2023年、MARINE STAGEに出演(©︎SUMMER SONIC All Rights Reserved.)

SUMMER SONIC 2025
2025年8月16日(土)・17日(日)
東京会場:ZOZOマリンスタジアム & 幕張メッセ
大阪会場:万博記念公園
※フォール・アウト・ボーイは8月16日(土)東京会場、17日(日)大阪会場に出演
https://www.summersonic.com/

SONICMANIA
2025年8月15日(金)
会場:幕張メッセ
開場/開演:開場19:00・開演 20:30
https://www.summersonic.com/sonicmania/