世界中を飛び回るツアーの中で、ハイエイタス・カイヨーテのベーシストであるポール・ベンダーとキーボーディストのサイモン・マーヴィンが、サポートを務めるアレハンドロ・サイレントジェイ・アバポと共に始めた変名プロジェクト=トレス・レチェス(Tres Leches)。バンドのポップアップ・ショップ「LHCC MART」で流すBGMを作るために3人は集まり、互いのジョークの腕を音符の上で確かめながら、彼らは不気味なほどブリージンかつムーディーなモール風のサウンドを重ねていった。そしてこの度〈Brainfeeder〉よりデビューアルバム『The Smooth Sounds of Tres Leches, LHCC Mart Vol. 1』を発表。アートワークからMVに至るまで、20世紀後半の大量消費社会の残滓が亡霊のように張り付く、過度にレトロな世界観で統一されている。
イージーリスニング的でも、ミューザック的でも、VaporwaveもといMallsoft的でもあるトレス・レチェスのアイロニカルな態度はいかにして涵養されたのか。今回は首謀者でもあるポール・ベンダーにインタビューを敢行。彼は2020年にもザ・スウィート・イナフズ名義でトロピカルなスムース・ジャズを探求するなど、この手のサウンドにはかねてより興味関心を抱いていたようだ。その延長線上として捉えられる本プロジェクト、諧謔と好奇心のギャップに垣間見える哲学(のようなもの)を訊いてみた。
「眉毛をつける」やりすぎ感
—実は去年の11月に東京で開催されたハイエイタス・カイヨーテのポップアップ・ショップ「LHCC MART」を僕は取材していて、現地に8時間くらい滞在していたんですよ。そこではショッピングモールのBGM風にアレンジされた「Telescope」がずっとリピートされていて、取材が終わった後もずっと耳に残っていました。なのでトレス・レチェスの作品として、その音源が世に出ることを知った時はとても嬉しかったんです。
ポール:僕も嬉しいよ! トレス・レチェスは単なるジョークとして始まったプロジェクトだからね、こんな風に発表できるとは思わなかったよ。最初は「LHCC MART」のバナーを使ったプロモーション・ビデオを作ることになって、その後に「ポップアップをやるんだったらサウンドトラックも作ろう」という話になったんだ。それが巡り巡ってアナログ盤まで作られるなんて、本当におかしいよね(笑)。
—トレス・レチェスの前にも、あなたはザ・スウィート・イナフズ名義でトロピカルなイージーリスニングを作っていましたよね。こうしたサウンドには以前から興味があったのでしょうか?
ポール:うん。ザ・スウィート・イナフズはかなり違った世界観だと思うけど、甘ったるい雰囲気は僕のシグネイチャーかもしれない。
—イージーリスニングは記名性のない音楽として扱われがちです。ザ・スウィート・イナフズでそのような音楽を能動的に構想し、自分たちの手で作ったのにはどういう意図があったのでしょうか?
ポール:僕がイージーリスニングに惹かれるのは、そういう音楽をノスタルジックなレンズを通して解釈するのが楽しいからなんだ。例えばトレス・レチェスにはスムース・ジャズの影響と並んで、Vaporwave的な美学も宿っている。つまり、Vaporwaveに特有の、懐かしい夢のような記憶としての音楽。実際の音楽そのものではなく、それを覚えている自分を通してフィルタリングされたような感覚だね。少しの不気味さを含んだこの感覚が、作品の一部にも染み込んでいる。
—ザ・スウィート・イナフズは今年の前半にフェイク楽曲によるストリーミング汚染という悲劇も経験しましたね。自分たちで手を動かして作ったプロジェクトが記名性のない音楽によって侵害されるという事態について、当時の率直な感想を教えてください。
ポール:興味深いと同時に、かなりフラストレーションが溜まる経験だったね。DistroKidとかのディストリビューターを使えば、誰でもアーティストのページにサインアップして他人のプロフィールに曲を載せられてしまう。誰も止める人がいないんだ。試しに僕は「Operation Clown Dump」という企画をInstagramで立ち上げて、仲間のミュージシャンたちとお互いのプロフィールに酷い偽物の曲をアップしてみたんだ。それがどれだけ簡単にできてしまうのか、笑える反面ゾッとしたね。本当にクレイジーだよ。今もまだ、この問題に注目を集めて行動を起こしてもらえるよう、キャンペーンを続けているんだ。
僕らは影響力のあるアーティストが署名してくれた公開書簡を公表して、ストリーミング業界に対してセキュリティの抜け穴を解決するように求めている。技術的には難しいわけじゃないんだと思うんだよ。
この投稿をInstagramで見るHiatus Kaiyote(@hiatuskaiyote)がシェアした投稿
—「興味深い」という感想からは何かアイロニカルな意図を感じます。というのも、トレス・レチェスやザ・スウィート・イナフズのコンセプトは時代に応じた音楽の消費文化と密接に関わるものですし、先ほど例に挙げたVaporwaveは皮肉的なニュアンスを孕んだジャンルでもあります。ストリーミング汚染もある意味では音楽の消費文化に関連した問題ですよね。
ポール:そうだね。アイロニーって、遊び方次第ではとても面白くなるものだと思うんだ。トレス・レチェスにも、間違いなく大量のアイロニーが詰まっている。楽曲の大部分はツアー中のホテルの部屋で作ったもので、ただお互いを笑わせるためにめちゃくちゃな選択を繰り返しているだけなんだ。80sっぽいキーボードの音色を片っ端から試して……「ちょっとカッコイイけど、同時にすごく笑えて、しかも絶妙に下品」という雰囲気を狙ったんだ(笑)。
正直、トレス・レチェスは普段の僕なら絶対に作らないタイプの曲ばっかりなんだけど、だからこそ面白かった。「ショッピングセンター用の音楽」という枠組みがあったからこそ、そのジャンルの面白さを思い切り強調できたんだよね。
—確かに、トレス・レチェスは聞いててジワジワ笑えるというか(笑)。またアイロニーという点では、Mallsoftというショッピングセンターの音楽を模倣するVaporwaveのサブジャンルに近いような感覚もありますね。
ポール:うんうん。Kane Pixelsっていう『The Backrooms』シリーズ──いわゆるリミナル・スペース的なホラーだね──で有名になった若い映像作家がいて、彼が『The Oldest View』っていう作品を作っているんだ。ある人物が何もない場所で奇妙な階段を見つけて、それが地下深くにある廃墟のショッピングモールへと続いているという話。なぜそんなものが地下深くに埋もれているのか、その理由が一切説明されなくてひたすら不気味なんだよね。そしてモールの中では安っぽい音楽がリバーブまみれで流れていて、それがまた奇妙な感覚を生んでいるんだ。僕はそれが大好きなんだ。
同時に、僕はモールの音楽を色々な角度や文脈でみることの面白さにも惹かれているんだ。そこにユーモアとか、不気味でアンキャニー(不可思議)な要素まで加わることもある。
—(ここでZoomのチャットルームに動画のリンクが送られる)おぉ、ありがとうございます。
ポール:モールの奥深くへと入っていく感じが面白いんだ(笑)。彼は本当にすごい作家、彼の作品は本当にクレイジーで個性的だよ。あと、このサウンドにはティム・エリック的な要素もあるね。知っているか分からないけど、ティム・エリックはパブリック・アクセスTV(地域限定の素人番組)のプレゼンターで、そういうのをイジってもいる。通販番組の音楽みたいなバイヴスを変な角度で切り取っているというか。そういうユーモアも、今回の制作の中では間違いなく意識していたね。
—そのようなモール・サウンドを再現するために、どのようなプラグインやエフェクターを用いたんですか?
ポール:今回はホテルの部屋で完結させたから、本当に限られた機材しか使ってないんだ。マネージャーが持っていた安いナイロン弦のギターとサイレントジェイのサックス、それからMIDIキーボードだね。あとはKORGのバーチャル・インストゥルメンタルをいくつか繋いで使っていたよ。TRITONだったかな……そのあたりの90年代~2000年代のシンセやサンプラー音源をエミュレートしたものだ。
──はいはい。
ポール:あとはBPB Dirty VHSも使ったし、WAVESTATION M1も導入したはず。昔の大型ワークステーション系のキーボードをベースにした音源で、FMシンセっぽい煌びやかなキーボード音とか、象徴的なクラシック・サウンドをたくさん使ったね。最後はマスターチャンネルに少し劣化した感じを加えて、あのVHSっぽい質感を出したんだ。
それと、トレス・レチェスでのスムース・ジャズや90sのR&B的な影響は、サイレントジェイの存在が大きいかもしれない。彼は僕とサイモン(・マーヴィン)と一緒にアルバムに参加していて、主にソプラノサックスを演奏している。こうしたサウンドをとても深く掘り下げているし、3人の中でもとても深く探求しているんだ。
テーマは「お互いを笑わせること」
—スラップを組み合わせたフレーズなど、ベースプレイにもさりげないこだわりを感じます。個人的なプレイとして意識したことはありますか?
ポール:実は自分がベースを弾いたかどうか覚えていないんだ。今回はどの曲もシンセベースのはず、なんならサイモンがほとんどプラグインで作ったんだ。スラップなんかは本当にクリーンで、音程もロボットみたいに正確。まさにあの時代のサウンドという感じだよね。むしろ、僕は主にギターを弾いていて、あとはキーボードとドラムのプログラミングを担当した。
—普段ハイエイタス・カイヨーテでベースを弾き倒しているあなたが弾いていないということに、率直に驚いています(笑)。ツアーの最中にホテルの部屋で制作したとのことで、自分の主軸にある活動から退避したいという気持ちがあったんですかね?
ポール:まさにそうだね。ベースはサイモンに任せて、自分は別のことをやるというスタイルがしっくりきたんだ。僕らはアメリカを横断するツアー中のホテルで制作をしてたんだけど、オフの日なんかは本当に周りに何もないような場所にデイユースで泊まってたりしてたんだよね。逆にそれが完璧だったんだ、他にやることがなくて時間だけがたっぷりある。あんなに楽しいプロジェクトは久しぶりだったよ。何もない田舎町のホテルの部屋で他にやることがないんだから、妙なスムース・ジャズを作るしかなかったんだ(笑)。
—アルバムには深いリバーブを帯びた曲もあれば、「Love Heart Cheat Code」のようにデッドな録音になっている曲も収録されています。こうした曲はプレイヤーの「奏で方」というよりリスナーの「聞こえ方」に寄り添った演出だと思うのですが、どのようなイメージで楽曲の空間を組み立てていったのでしょうか?
ポール:それはね、僕らが最も興味を抱いていたのが曲のムードや空気感だったからなんだ。制作プロセスで一番面白かったのは、ハイエイタス・カイヨーテの楽曲を全て思い浮かべながら、再解釈できそうな曲を選び出していく作業だった。その中でローファイに加工してVHS的に歪ませた方が面白いものもあれば、リバーブたっぷりの空気感で不気味さを帯びた雰囲気に仕上がったものもある。アイデアや感覚に沿ってアレンジが少しずつ形になっていくと、やがてその曲が住みたがっている空間が見えてくるんだよね。
それと、全体を通して大切にしたのはメロディなんだ。グルーヴやテンポ、それにコード進行とかを大胆に変更できたのは、既にあったメロディを土台に据えたからなんだ。その上で「この曲を別の世界線で鳴らしたらどうなるんだろう?」っていう想像が可能になった。
—また「Red Room」はクイーカやパーカッションが用いられており、アルバムの中でも一段と「オーデンティック」なボサノヴァのアレンジになっています。どのようなアイデアでアレンジを進めたのですか?
ポール:「Red Room」のボサノヴァ・ヴァージョンを提案したのはマネージャーなんだ! 「『Red Room』のボサノヴァ版ってどう?」と言われて、とりあえず試しに作ってみたんだ。それをメンバーに持っていったら反応が良くてね。ドラムループやシェイカーループ、それからクイーカやティンバレスも、全部古いキーボードの音源を使ったものなんだ。今でも覚えているのは、サイモンが部屋でMIDIクイーカとMIDIティンバレスのソロを必死に弾いていた姿。僕らはそれを見て爆笑してた(笑)。表情豊かなティンバレスをMIDIで演奏しているのが本当に笑えてさ。
—(笑)。
ポール:トレス・レチェスのテーマは「お互いを笑わせること」だったんだよね。普段のレコーディング──例えばハイエイタス・カイヨーテの作品とか──では何か新しいアングルを探求するという真剣なプロセスがあって、それに長い時間をかけることもある。でも、このプロジェクトでは「笑えるチョイスは何か?」ということだけをずっと考えていたんだ。一番面白いキーボード、一番面白いフレーズ……それこそが全ての判断基準だった。いかにお互いを笑わせられるか考えて、変なサウンドをチョイスして、全員で腹を抱えて笑う。そんなことの繰り返しだったんだ。馬鹿みたいに大袈裟で、やり過ぎなくらいがちょうど良かったんだ。
—今回のアルバムの中で、個人的に最も笑ったのはどのパートですか?
ポール:いい質問だね。うーん、そうだな……サックスのオーバーダブは爆笑したね。さっき話したフランク・ザッパ的な「眉毛をつける」やり方を狙って、曲の中に大袈裟なピークを持って来て、パッショネイトに仕上げたんだ。それが面白かった。あと「Get Sun」で、サイモンがマイクの前で歌う代わりに、ちょっと艶めかしい感じの喘ぎ声を出してリバーブをかけてたんだけど、そこも爆笑したよ(笑)。
—(笑)。ちなみに、今回のプロジェクトに関して、ネイ・パームはどうリアクションしていたんですか?
ポール:ビビってた(笑)。でも、時間が経つにつれて面白いと感じるようになったみたい。レーベルから「これをリリースしたい、収益も出るよ」って言われたときは「まぁ、それならいいけど……」っていう感じで(笑)。彼女がトレス・レチェスの再解釈に対して引いている様子も、僕は結構気に入ってたんだよ。確かにちょっと気持ち悪くておぞましい要素もあるんだけど、そここそ僕が面白いと感じていたものなんだ。まぁ今では彼女も落ち着いて受け入れているよ。ただ、ポップアップ中にでループで流れていたから、その間にみんなで延々と聴く羽目になったのは辛かったけどね(笑)。
—ありがとうございます! 最後に、今年の10月に再びハイエイタス・カイヨーテのライブで来日公演を観れることが楽しみです!
ポール:ありがとう、楽しくなると思うよ! 待っててね!

トレス・レチェス
『The Smooth Sounds of Tres Leches, LHCC Mart Vol. 1』
日本盤CD:発売中(タワーレコード限定)
詳細・購入:https://tower.jp/item/6918025
LP輸入盤:2025年8月29日リリース
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15183

朝霧JAM'25
2025年10月18日(土)~19日(日)
会場:富士山麓 朝霧アリーナ・ふもとっぱら
※ハイエイタス・カイヨーテは10月18日(土)ヘッドライナー
詳細:https://asagirijam.jp/

ハイエイタス・カイヨーテ
a Special Night in Tokyo 2025
2025年10月20日(月)東京・渋谷Spotify O-EAST
詳細:https://smash-jpn.com/live/?id=4516