オルタナティブなサウンドとバンドの変化
ー僕は現在のHomecomingsが「オルタナ期」にあるように感じているのですが、ご自身たちとしては今のバンドのモードをどのように捉えていますか?
福富:基本的にはそのときそのときでやりたいことを選んでやっている中で、オルタナはある意味一個のルーツというか、Homecomingsはもともと京都のハードコアシーンの中で、あえてギターポップをやってるみたいな立ち位置でもあったんです。なので、フガジだったり、ハードコアからエモみたいなラインはずっと好きなものではあって、実際これまでのディスコグラフィの中でもちょっとずつは出してきたんですよね。そんな中で、一つ前のアルバム(『New Neighbors』)に入ってる「Shadow Boxer」が一つのきっかけになって、あの曲をライブでやっていく中で、自分たちもすごく楽しいし、反応もあって、「これかもしれへん」みたいな感覚があって。その流れがあったのと同時に、海外から見た日本のインディ・ロック、アジアの中の日本のバンドシーンが注目されているのも感じて。なので、今の自分たちがやりたいこと、やってて楽しいことと、時代性みたいなものが合ってる気がしたっていう、そこは一個大きかったですね。
畳野:今トミーも話してたように、オルタナティブな曲をやりたいっていうのは昔からずっと心の奥底にあって、だからちょこちょこそういう曲を作ったりはしてるんですけど、曲単体で作ることはあっても、ライブ全体のムードはそうはなってなかったのかなって。自分が想像しているよりも、Homecomingsのイメージは「柔らかくて、優しくて」みたいな感じで、そういうイメージが付きやすいライブを長くやってきたのかなって、なんとなく自分でも思ってるんですけど。
ーデビュー当時のギターポップ的なイメージも根強いでしょうしね。
畳野:そうですね。
ー去年も今年も、対バンツアーは「今このバンドが見たい」というラインナップが揃っていて、素晴らしかったです。
福富:こんなに外的要因がなく、ピュアな選び方をしてるのも珍しいのかなって(笑)。自分たちがライブを見たい人、今一緒にライブをやったらいいだろうなって人を呼ぶ、それ以外の要素がないのはHomecomingsらしいというか。メジャーデビューをして、ポニーキャニオンのIRORI Recordsに入るけど、事務所としてはカクバリズムがあって、SECOND ROYALがあって、インディ魂とかいうとあれですけど、いろんなタイアップとかをやっていく中でも、そこはずっとキープしていきたいというか、Homecomingsの活動においてすごく大切なものになってる気がしますね。
ーちなみに、出演者を選ぶうえでジェンダーバランスはどの程度意識していましたか?去年は全バンドが女性ボーカルで、今年も男女が混ざってるバンドが多かったなと。
福富:もちろん呼ぶ段階でわかってるのは見かけの上での、外から判断するジェンダーでしかないんですけど、でもそれは意識はしてます。ちゃんと混ざってるというか、そういうものにしたいなっていうのはうっすらありました。それは別に「女性ボーカルのバンドを集めるぞ」とかってことでもなく、もっと自然な形で。
畳野:メンバーだけで呼ぶ人を選んでいる段階で、やっぱりそういう会話はするというか、バランスは考えて選んでいるところはありますね。
ー今は女性ボーカルのオルタナティブな、かっこいいバンドが多い印象があって。エモが流行った90年代から00年代のオルタナバンドって、男性のバンドが多かったけど、今はむしろ女性ボーカルのバンドが多い。だから特別ジェンダーを意識しなくても、かっこいいバンドを選べば自然と混ざる感じもあるなって。
福富:そうですよね。間口が広がってるってことでもあるというか、それはボーカル以外でも、バンドをやることの間口が広がってる。SUPERCAR的な、元をたどればスマパンとかピクシーズ的な男女が混ざったバンドの理想形みたいなものもあるとは思うんですけど、でも別にそれがよさみたいな時代でももうなくなってきているというか、当たり前になってる。
ーそうですよね。
福富:それはすごく素敵なことだと思います。いわゆる「海外で受ける日本のバンド」みたいな、女性ボーカルのバンドにはそういう見られ方もうっすらある気はするんですけど、でもやってる方はただやりたいからやっていて、打算でやってるわけじゃない。SECOND ROYALでずっと一緒だったSAGOSAIDとかも、やってることは変わってきつつ、根底は変わってないし、「今これが受けるからやってる」とかではないから、それはすごく素敵なことやし、自分たちもそういう人たちの近くにいられて嬉しいです。
ー今年の対バンツアーの名古屋公演に出たMASS OF THE FERMENTING DREGSも「これがやりたい」でやってきたバンドだと思うし、最近だと羊文学もそうで、きっと彼女たちの影響も今のシーンには大きい。
福富:そこはやっぱりアジカンで育ってるところが大きくて。中学生のときにアジカンのラジオを聴いて、それこそナンバーガール、イースタンユース、ブッチャーズみたいな、アジカンが影響を受けた世代の音楽も好きになったし、LOSTAGEとかもアジカンを通じて知ったし、それは洋楽もそう。その姿勢にめちゃくちゃ憧れてるところがあるので、そこは大事にしたいなと思いますね。
若手バンドとの共鳴が示す、シーンのいま
ーでは去年と今年の「many shapes, many echoes」の出演者の中から、若手3組に対してコメントをもらいたいです。まずは昨年出演のkurayamisaka。
福富:kurayamisakaは最初に音源が出たときにアナログで買いました。実際に話してみてよりわかったんですけど、僕も彼らもブッチャーズとかtoddleがめっちゃ好きで、シンプルにそれが刺さるというか、ボーカルの処理とか、ちょっとしたコードやギターのフレーズも好きだし、ライブを見てさらに好きになったのもあるかも。熱量の塊みたいな、ドーン!みたいなバンドって、夢中になれるし、これからどんどんいろんなものを取り入れつつも、大事なことをずっと大事にしながら、大きくなっていくんやろうなと思います。あとはアートワークも含め、作品性を大事にしてるところはすごくシンパシーを感じて。
ーカルチャーを大事にしてる感じも伝わってきますよね。
福富:アー写でブッチャーズのTシャツを着てるのもめっちゃいいなって(笑)。
畳野:kurayamisakaは音楽ラバーの集団だなって。私もライブを見て感動したんですけど、熱量が全方向に向いてるっていうか、本当にバンドが好きで、音楽が好きでっていう人たちがやってるバンドって、全力でこっちに応援させてくれる、応援していいんだなって思える。そういう安心感がライブを見ててすごくあるから、それについていく人たちが今どんどん増えているのは納得がいきます。「kurayamisakaのライブに行くとこういう思いになれるから行きたい」みたいな、その気持ちがどんどん膨らんでいくのはすごくバンドの理想だと思うし、そりゃあライブを見て惚れるよなって思いますね。
ーこの前のフジロックも金曜朝一のRED MARQUEEだったけど、結構人が集まっていて。やっぱりフジロックに行くような音楽好きは気になるバンドになってますよね。
畳野:あの全力のライブを見ると、私も頑張ろうって思います(笑)。
ーではdowntはどうですか?
畳野:多分kurayamisakaとほぼ同じぐらいのタイミングで聴いて、どっちもやっぱりライブを見て、ワーってなったんですよね。kurayamisakaとはまたライブを見て感じる気持ちの燃え上がり方が違うというか…downtの良さって、言葉にできないと思っちゃうんです。メンバーのバランス感もすごいツボだし、富樫ちゃんのギターもずっと見てたいなって思うし、いろんな良さがあって。
福富:最初の話にも通じるんですけど、大学で京都に来て、京都のライブハウスでodd eyesとか、ハードコアのバンドを知ったんですよね。それまでは『JAPAN』とか、ちょっと背伸びをして『SNOOZER』や『COOKIE SCENE』を読んでた高校生だったんですけど、そういうのに全く載ってないかっこいいシーンがあるんや、みたいな。ライブハウスや町の音楽スタジオでフロアライブをして、そこにいろんなジャンルのバンドが出てる。そういうシーンにめっちゃ影響を受けて、バンドを始めたんですけど、downtはそのときの匂いがするというか、そのとき一緒に出てたら「めっちゃいい!」「負けたくない!」と思ったやろうなって。
ーああ、なるほど。
福富:kurayamisakaは人としてめっちゃ近い感じがして、音楽の聴き方も近そうなんだけど、downtはよりHomecomingsっていうバンド自体に意外とめっちゃ近い感じがする。それこそodd eyesとかbedとか、ハードコアやエモのシーンの影響がお互いめっちゃあると思うし、でもそこを大事にしつつ、その中から自分たちのアイデンティティを見つけ出して、自分たちならではの表現をしてる。これからもすごい楽しみやし、長くやってほしいなって思っちゃう、そういう存在な気がします。
ー雪国はどうでしょう。彼らは世代的にも一番若いですよね。
福富:kurayamisakaもdowntも「これが好きでこれをやってる」みたいなのがある程度わかるけど、雪国はフルアルバムが急に出たイメージがあったので、そういう意味でも勝手に突然変異的なイメージかも。サッドコア的な、スローコア的な表現かつ歌心があって、いきなりファーストアルバムが全曲よくて、「いそうでいなかったバンド」みたいな感じ。
畳野:雪国はアルバムが本当にめっちゃ好きで、若手のバンドの作品で今一番聴いてるかもしれない。電車に乗りながら、帰り道に何を聴こうかなっていう選択肢に、いつも雪国が入ってる。それぐらい自分の生活に溶け込んでて。ミュージックビデオもすごい見てるんですけど、なんかこう、知ってる感じがあるんですよね。自分が見てきた景色とも似てるし、自分が聴いてきた音楽にも似てるし、今私が高校生だったらソニーのウォークマンに入れてるだろうなって。そう思える人たちにはなかなか出会えないから、アルバムを初めて聴いたときに、「出会えた」っていう感覚がすごくあったんです。
福富:僕はLaura Day Romanceの最近のアルバムと並べて聴いてる感じがあって。全体を通して温度感があって、歪なところもあるけど、それが棘になってるわけじゃなくて、むしろ琴線に触れていく。僕の中でその感じがUSインディっぽい。ペイヴメントのスローな曲みたいな、そういうのを日本のバンドから感じられて、めっちゃ嬉しかった。
ー僕は雪国が出た東京公演を見に行かせてもらって、とてもよかったです。そこに上の世代であるART-SCHOOLがいたのもよかったし。
福富:どっちもあるのがすごくいいというか、「キャリアも10年超えたからフックアップしていくぞ」っていうよりは、組み合わせの妙があって、お客さんにとって好きになるものが1個でも増えたらいいな、みたいな感覚ですね。
新曲「every breath」が描くHomecomingsの次なる一歩
ーでは新曲の「every breath」について聞かせてください。ドラムはThe Novembersの吉木さんで、『see you, frail angel. sea adore you.』に収録の「recall(Im with you)」にも参加していたわけですが、改めてその経緯を教えてください。
福富:去年のアルバムを作ったのはなるちゃんが卒業するタイミングで、今までは良くも悪くも「4人で作る」みたいなところを大事にしてたんですけど、3人でアルバムを作るにあたって、メンバーの関係性を変に気にしないでよくなったんですよね。で、最初はライブも一緒にやっているユナと、ローラズのいそやん(磯本雄太)と一緒に作っていく中で、曲ごとにドラムの人を選べる楽しさを作り手としてすごく感じて。で、「recall(Im with you)」のデモは昔からあったんですけど、今なら「Shadow Boxer」のときよりもっといけそうな感じがしたというか、「彩加さんが思ってる『recall(Im with you)』のドラムはもっとバカでかいはずやし」みたいなのがあって、それで制作の最後の方で吉木さんにお願いして、今はライブも一緒にやらせてもらってて。
ー7月の対バンツアーは3本とも吉木さんでしたね。
福富:最初のきっかけは今年の3月にKBSホールのイベントで羊文学と一緒にやったときで、羊文学も今ユナがサポートしてるから、なんとなくどっちもやるのはなと思って、「いい機会やし、吉木さんにやってもらおうか」みたいな感じ。なので、そのとき初めて一緒にやったんですけど、そこからライブが続いてたのもあって、今ではすっかり吉木さんとやってることが当たり前の感じになってますね。
ー吉木さんとライブをするようになって、畳野さんはどう感じていますか?
畳野:メンタル的にもめっちゃ支えられてます。バンドの先輩なので(笑)。
福富:ユナはもっと友達って感じ。
畳野:吉木さんも昔から友達ではあるんですけど、やっぱり経験が違うのと、年齢もちょっとだけ離れてるし、いてくれることでメンタルが保たれる。めっちゃメンター。
福富:意識的にメンター的なことをしてくれてる部分もあると思う。
畳野:そうですね。だからバンドにいてくれるとすごく助かるなっていうぐらい大事な存在になってて。ライブで毎回違うことを叩いたり、その場でパッと思ったことをやってくれたり、そういうことも意外と今までなかったんですよね。一緒に演奏してて、こっちが笑っちゃうみたいなことって最高だなと思ってて、そういうこっちがドキッとさせられることを急にポップにやったりしてくれるのも、メンタル的にすごく助かってます。ライブに対するちょっとマイナスな気持ちって結構あるんですけど。

Photo by 池野詩織
ー当然プレッシャーもあるだろうし。
畳野:そういうときにいろんな方面から助けられることが多くて、ライブ自体もどんどんよくなってるし、ユナともそうなんですけど、試してみたいことがどんどん増えてる。サポートメンバーっていう立ち位置で一緒にバンドをやることによって自分たちも変化できる、私たちにとってすごくプラスになったと感じてます。
ーじゃあ「every breath」に吉木さんが参加するのも自然な流れだったと。
福富:これはもう吉木さんとやるっていう前提がありました。それこそデモは3月ぐらいに、吉木さんとスタジオに入るようになってから、KBSで特別にライブをするだけじゃなくて、一緒に曲も作っていきたいと思ったので。吉木さんに呼ばれて楽曲のイメージが湧いてきた感じもありますね。音像としてはアルバムの延長かつ、そこから1個また進化したい、みたいな感じで作り始めました。
ーシューゲイズ的な広がりのある音像で、とはいえ歪みすぎてはいない、もう少しクリアな音像で、そこに電子音楽っぽさも絡んでる。
福富:そうですね。アルバムはシューゲイズとかエモとか電子音とか、自分が好きなことを全部ぶち込んだ感じだったので、それが実際手応えもあったし、反応もあって。で、アルバムのときはちょっと過剰にやるっていうのが自分の中でテーマにあったので、すごいトラック数を使ったりしたんですけど、次はそれを2000年代っぽい、ポップスっぽい感覚でやったらどうなるんやろう、みたいな実験をしたくて。自分の中のテーマとして、『リリイ・シュシュのすべて』がリファレンスとしてあって、別に「リリイ・シュシュ」はシューゲイザーではないけど、でもParannoul(パラノール)以降というか、そういうところから引き寄せられてるイメージもあるし。

Photo by 池野詩織
ー『see you, frail angel. sea adore you.』のリリース時にインスピレーション源の一つとして挙げていた韓国のParannoulも「リリイ・シュシュ」を影響源に挙げていますね。
福富:「リリイ・シュシュ」はビートルズ的なところもあったり、シューゲイザー的な音像じゃないけどイメージ的には結びついているのが面白くて、僕らもそういうフィーリングを過剰なシューゲではない形でやる。その塩梅はミックスのときもめっちゃ話しました。これをもっと今のシューゲイザーっぽくミックスすることもできたと思うんです。もうちょっとドラムにリヴァーブをかけて、打ち込みっぽい感触にして、ボーカルを下げて、みたいなのもできると思うけど、そっちじゃない方向性というか、ポップスとしても機能し得る形にするのが僕の思う本当のY2Kやっていう(笑)、それを面白がってるところもある感じなんですよね。Salyuとかレミオロメン的な小林武史感みたいな。
あの映画にぐっとまた引き寄せられたのは、去年のはじめに震災があったことで自分が育った石川の町や、その町で感じていたことをアルバムっていう形に落とし込もうと思って、そのなかでやっぱりあの景色ですよね。ずっと遠くまで続くような田園風景と鉄塔と電線っていう。きれいやな、って思えるようになるのに時間はかかったけど、まさにああいう景色のなかで音楽や小説や映画に触れながら育ったんで。それにプラスしてあの町にはポツンとしたさみしい海があって、アルバムのときにはどちらかというとあの海っていうのが真ん中にあったので、今度はこっちかなっていう。

Photo by 池野詩織

Photo by 池野詩織
ー2A(※2番Aメロ)だけアコギが出てきたり、音像が変わってるのも特徴的ですね。
福富:生っぽいというかオーガニックな感触が挿し込まれるのが個人的には小林武史感かな、と思って。あの場面だけルームの音をメインで使ったりして。2Aでカカカカカって16分で鳴ってるのは、床をスティックで叩いて出してるんですけど、そういうのは多分3年ぐらい前だったら却下されてる気がするんです。僕がそれをスタジオで提案しても、笑って終わってた気がする。でも前のアルバムは「過剰なことも全部やります」って言って作ったアルバムだったので、これはあのアルバムを作った後やからこそできる実験だと思うし、そういうのを吉木さんも面白がってくれて、今だからこそできる曲になったと思います。『see you, frail angel. sea adore you.』という作品を作ることが自分のなかでかなり大きな挑戦でもあって。自分で責任をもって自分が好きな、思い描いている音像をつくりあげるっていうことをここでちゃんとできないとこの先はないな、っていう思いがあったので。音楽家として腹を括るための作業でもあったというか。そこを経たからこその自信もあるし、技術だったり、知識だったり、それこそエレクトロニカ的な打ち込みとかができるようになって、幅が広がったことでいろんなことがより深くできるようになったと思います。
ー畳野さんは「every breath」の制作をどう振り返りますか?
畳野:さっきトミーも言ってたんですけど、シューゲイザーとはいえ、ポップスとしても聴いてもらえたらなっていう気持ちがあったので、そういう塩梅をうまくバランスを取りながら作った歌で。この曲も歌詞が先に来て、それにメロディーをつけていく感じだったんですけど、今回私歌詞がすごく好きで、歌詞が好きなときはメロディーができるの早いんですよ(笑)。アルバムを作り終えて、歌詞の面でもまた1個上がったというか、表現する景色とか、注目しているものがまた少し変わったんだなと思いました。なので、私としては、曲に身を任せて作ったらこうなったっていう感じですね。

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ー歌詞はどんな着想から書き始めたのでしょうか?
福富:最初に「それでもわたしは やわらかなうたを灯しつづける水辺」っていう部分だけあって。友達がくれた短歌の本を電車で読んでて、ポンと思い浮かんで、すごくHomecomingsを表してるなと思ったんです。この前選挙があって、時代の変化を感じたりもしたけど、それでも優しさを大事にするというか、それは見て見ぬふりをする優しさじゃない優しさ。社会的なことや政治的なことも、怒ってることも全部含めた優しさみたいなものを大事にして歌を作り続けるのは、Homecomingsというものを表してる気がしたので、この歌詞から派生して曲にしようと思いました。それこそ戦争のこととかもちゃんと歌にしたいっていうのがあったんですよね。
ー〈アクアリウムで舞っている花火を閉じて 壊れながらもセカイはねむらない〉はそのイメージも喚起しますね。
福富:2Aのラインもそうですね。戦争との距離感は最近よく考えることがあって、どうしても遠くのものというか、液晶越しで見るもので、その距離感にどうすることもできひんと思っちゃうけど、その距離と、そこにいる人に歌ってる、みたいな感じがあって。遠くのものをずっと思い続けるのって、削られていくことではあると思うから、そういう人たちに歌う曲があったらいいなって。「殺すな/殺させるな」って直接的に言うことは表現として大事だと思うけど、政治参加にもいろんなグラデーションがあっていいし、旗を掲げたりは、いろんな事情があったりしてできないけれど戦争だったりいろんなことについて思っている人だったり、旗を掲げられないことに悩んでいる人だったり、そういう人たちにも歌ってる、みたいなところはあるかなって。分断で分かれた層にもうひとつ分断を生むんじゃなくて、いろんなグラデーションがあるっていうのを前提にして、そのどれもが大切なんじゃないかなっていう。戦争のことだけじゃなくてフェミニズムだったり差別の問題だったり、生活のことだったりも全部繋がってると思うし。
ーむしろバラバラであることを肯定する感覚はHomecomingsの核にある部分だと思うし、「many shapes many echoes」というツアータイトルともリンクする感覚だなって。
福富:そうですね。バラバラのままで手を取り合ったり、手を取り合えへんかったりするっていうのが、この社会な気がするんで、どんなイシューにおいても、1つになるっていうのはあんまり…もちろんそれで素敵なことがある瞬間もあると思うけど、僕が思う形はそれじゃないっていう気はすごいする。政治的なことにしても、自分はどっちかっていうとかなりリベラルな方にいるけど、右左って分けるにしても、本当はどっちにもちゃんととっていくべき意見があるじゃないですか?
ーよくわかります。
福富:そういうのはすごく大事にしたい。でも「自分は真ん中にいます」って思いすぎるのも危険というか、真ん中を規定するのは怖いことだから、難しいですよね。この曲を作ったのは選挙の前だったけど、でもやっぱりみんな不安やし、不安やからこそ1つのイシューとか、スローガン的なものに集まっていっちゃったりするんやなって。もちろん人種とか生まれで何かを順位づけることに関しては完全にノーって言うけど、でもそういうスローガンに集まってしまう気持ちをバカにもしたくないし、わからへんかもしらんけど、わかりたいと思いたい。「あんなところに入れてアホや」とか、そうじゃない感覚を大事にしたい。いろんな人が生きていて、自分と同じように、誰かがいろんなことを考えてる。つまりはそれが社会であるっていう、そこは大切にしているところではあります。

「every breath」
Homecomings
配信中
https://lnk.to/everybreath
Homecomings
"the aquarium of illumination and night glare"
2025年12月18日(木)
会場:EX THEATER ROPPINGI
OPEN 18:00 / START 19:00
出演:Homecomings(oneman show)
チケット
全席指定 一般 ¥6,000(+1drink)
全席指定 学割 ¥4,500(+1drink)※入場時学生証必須
https://homecomings.jp/