デヴィッド・バーン(David Byrne)が最新アルバム『Who Is the Sky?』をリリースした。大きな問いとかつてないほどキャッチーなフックに満ちた楽曲を携え、73歳のアート・ポップの巨匠が語る、70年代のニューヨーク、創造性の柔軟さを保つこと、そして次にスタンダップ・コメディに挑むかもしれない理由。
[翻訳:若林恵(黒鳥社)]

デヴィッド・バーンはお昼すぎに、マンハッタンのダウンタウンにあるオフィスにゆっくりと姿を現すと、すぐに靴を脱ぎ捨てた。戦前に建てられたこの建物に入居してからまだ数カ月しか経っていないが、すでにバーンらしい空間になっている。仕事場であるが、数十年にわたって収集してきた奇妙な品々を展示した博物館のようでもある。長い壁にはきちんと整理された金属製の棚が並び、音楽書、美術書、歴史書、そして「クライテリオン・クロゼット」(*)を凌駕するほどのDVDが詰まっている。オスカー、グラミー賞、MTVビデオミュージックアワードを受賞した際の盾やトロフィーが、マカダミアナッツとスパムの古びた缶や、ボブ・ドールの演説カセットといったキッチュな宝物の間にひっそりと置かれている。「棚に全部並べるのに時間はかかったのですが、並べ終わったときには『また家に帰ってきた』と感じました」とバーンは言う。

*クライテリオン・クロゼット:ニューヨークに拠点を置く映像配給会社「クライテリオン・コレクション」が所有・管理する映画クロゼットで、映画業界の著名人を招き、そのコレクションを物色してもらうYouTube動画コンテンツで知られる。

このインタビューを終えると、バーンはすぐさま新作アルバム『Who Is the Sky?』(マタドール・レコードより9月5日発売)のため、全米50公演に及ぶツアーのリハーサルに向かう。73歳にして、エネルギーは四方八方に放出され、トップ40のプロデューサーのキッド・ハープーンと共作したこのアルバムの創作過程やオリヴィア・ロドリゴとの共演についても、バーンは前のめりに語るが、多くの人々が実際望んでいるのは、かつて彼がティナ・ウェイマス(ベース)、クリス・フランツ(ドラム)、ジェリー・ハリソン(マルチ器楽奏者)と共に結成したトーキング・ヘッズでの演奏だったりする。1991年に友好的とは言えないかたちで解散したものの、このバンドのクリエイティビティは、いまなお色褪せない。解散後、バーンは幅広いコラボレーターと共に魅力的で記憶に残る作品を作り続け、2019年にはブロードウェイで『アメリカン・ユートピア』を数百回にわたって完売させるなど、目の離せないソロキャリアを築いてきた。とはいえ、昨年、A24による『ストップ・メイキング・センス』(1984年のコンサート映画でトーキング・ヘッズの最高傑作ともいえる)の再上映プロモーションで、ウェイマス、フランツ、ハリソンと共演したときほど観客を熱狂させた瞬間はなかった。


残念ながら再結成を期待する人の期待が応えられることはなさそうだ。代わりに現在のステージでは、見事に再構築されたかたちで往年の名曲を楽しむことができる。「そのときやっている音に合わせて自在に組み合わせることができるんです。古い曲の本質を壊すことなくね」とバーンは言う。「でも、そこには落とし穴もあります。古い曲ばかりやってしまうと、昔のヒット曲を演奏するだけのレガシーアクトになってしまいます。手っ取り早く収益化できますが、結果としてそれが墓穴を掘ることにもなるんです」。

デヴィッド・バーンが語る「終わりなき問い」トーキング・ヘッズ再結成より「今」が重要な理由

Photo by Sacha Lecca for Rolling Stone

―ニューアルバムのタイトルは、空耳から生まれたそうですね?

バーン:そうなんです。誰かが音声入力でメッセージを送ってきたときに、アルゴリズムがテキスト化する際に間違えて表示した ”Who is the sky?”というフレーズを「美しいな」と思ったんです。表示ミスだということはすぐ分かったのですが、「これはアルバムタイトルになるな」と候補に残しておきました。しばらくすると、このフレーズが本来の意味でも、アルバムの内容に合致していることに気づいたんです。というのは、今回のアルバムでは、多くの曲で「私は誰?」「 これは何?」「 なぜこうするの?」と問いかけているから。
加えて、自分の顔が部分的に隠れているジャケットのイメージもありました。ですから本来のフレーズ、「Who is this guy?」(こいつ誰?)も、その意味では適切なものだったわけです。

―キャリアのこの段階で自分に対して、そんな問いを投げかけているのが興味深いです。デビュー作ではないわけですし。

バーン:この歳にもなると「自分が何者か」なんてことは、もうとっくに分かっていてよさそうに思われそうですが、実際には、まだ模索し続けているんです。自分が誰で、どこに属し、何をどう感じているのかといったことに、絶えず向き合っています。おそらく、その最終的な答えを知ることは永遠にないんじゃないかな。

―アルバムには「My Apartment Is My Friend」(アパートは友達)という素晴らしい曲もあります。これはある特定のアパートをイメージして書かれたものですか。

バーン:そうですね。いま暮らしているアパートを念頭に書きました。コロナ禍のなか、曲を書こうとしたのですが、うまくできませんでした。
当時「Six Feet Apart」(6フィート離れて)という歌を書いてみたことがありました。誰かに会ってもソーシャルディスタンシングで6フィート以上近づけないし、マスクで顔も見えない、そんな状況についての歌でした。その歌詞をジョン・ムレイニーに送って「どう思う?」と聞いたんです。彼は〈彼女のバッグにピュレル(訳註:ハンドサニタイザーのブランド)があった〉という一節を気に入ってくれたのですが、結局使いませんでした。状況は深刻で、ジョークにはとてもできないと感じていました。私のアパートの外には救急車が止まりっぱなしで、サイレンが一晩中鳴り響いていました。そうした事態が終息したあとに生まれたのが、「My Apartment Is My Friend」だったんです。

―パンデミックはニューヨークにとって辛い時期でしたが、結果的に心浮き立つポジティブな曲になりました。

バーン:そうなんです。コロナ禍で感じたのは、自分がアパートによって守られているということでした。自分だけがそこにいて、訪ねてくる人もいない。夜には配信で古い映画を観て、新しい料理を試してみたりする。
人の目に触れないので、ひどいありさまになっていても誰にも指摘されない。そのうちに、自分が散らかしたんだからそれでいいじゃんか、と開き直るような気持ちになっていったんです。

―そこにはどのくらい暮らしているのですか?

バーン:そんなに長くないです。かれこれ15年くらいかな。ニューヨークにはずっと住んできたので、相対的にいえば、そこまで長いわけではないんですよ。

―1974年にニューヨークに来て、最初に暮らしたアパートのことを覚えていますか?

バーン:最初はあるアーティストのロフトの床で寝ていました。彼はそのロフトを手に入れたばかりで、私は床を磨いたり、塗装をしたり、ロフトベッドを作ったりする代わりに住まわせてもらったんです。その後、トーキング・ヘッズのメンバー二人と近くのロフトに移りました。お湯の出ない、トイレもないロフトでしたが、問題はなかったです。人によっては不便だったとは思いますが、そこで書いたのが「Dont Worry About the Government」という曲です。

デヴィッド・バーンが語る「終わりなき問い」トーキング・ヘッズ再結成より「今」が重要な理由

Photo by Sacha Lecca for Rolling Stone

―70年代のニューヨークはよく美化されますが、当時を正しく伝えていると思いますか?

バーン:あの頃の「汚さ」と「荒廃」はたしかに美化されがちです。当時のニューヨークは崩壊寸前でしたが、とはいえ、そのおかげで多くのことが黙認されていたのでよかった面もあります。
ソーホーをはじめあちこちのロフトで、ジャズクラブやディスコが営業していました。完全に違法でしたが、市は見て見ぬふりでした。家賃も安かったので多くのミュージシャンがそうしたロフトに暮らしていました。今からするとその安さは衝撃的ですが、その分街もごきげんでしたし、おかげで自分たちも足場を作ることができました。私は昼間にパートの仕事をしていましたが、それだけでバンド仲間と家賃を賄うには十分でした。親が見たら気絶するような暮らしだったとは思いますが。

―お湯が出ないロフトで暮らしていた頃、どんな夢を抱いていたのでしょう。

バーン:当時の目標は、いわゆる「ファインアーティスト」になることでした。つまりギャラリーで作品を展示するようなアーティストです。でも私がやっていたアートは、恥ずかしくなるくらいまったくウケませんでした。アンケートや調査をベースにした作品や、かなりコンセプチュアルな作品も作っていました。ニュージャージーの高速道路と同じ形状の線を、大きな紙に一本の線を引いただけの作品とか。
そんなものを世に広めるのがどれだけ難しいかは考えなくてもわかるかと思いますが、やってる本人は結構楽しんでいました。音楽については、「楽しいけれど、期待はしすぎるな。世の中には素晴らしいミュージシャンやシンガーがたくさんいる。自分よりずっと上手い人がいる」と、いつも自分に言い聞かせていましたね。

オリヴィア・ロドリゴ、ルー・リードとの出会い

―今はレコードを出せば必ず高い評価を受ける立場にあります。当初から、人が自分のやっていることを理解してくれていると感じていましたか?

バーン:いやいや。90年代初頭は特に理解されませんでした。ラテン音楽のミュージシャンたちと一緒に2枚くらいアルバムを作って、ツアーをしていた頃です。やってるこちらは楽しくて、ラテンアメリカでの評価も悪くなく、自分としては嬉しかったのですが、アメリカでは.......ワーナーの幹部に「デヴィッド、君は君自身のヨーコ・オノだ」と言われたくらいです。ヨーコに失礼な物言いだとは思いましたが、まあ、言わんとすることはわかります。

―コンセプチュアル・アーティストだったなら、「自分が自分の”ヨーコ・オノだ」というのは、むしろ褒め言葉ですよね。

バーン:たしかに(笑)。いずれにせよ、彼が言わんとしたのは「君は意図的に観客を遠ざけている」ということでした。

―それが変わり始めたのはいつ頃ですか?

バーン:10年くらい前ですかね。若い世代が突然、私の現行の活動に興味を持ち始めてくれたんです。トーキング・ヘッズを聴いて育った人たちだけではなく、まったく新しい層が聴いてくれるようになったんです。それで状況が変わりました。

ロードやヘイリー・ウィリアムス(パラモア)といった若いアーティストたちが、あなたの影響を公言していますが、その一方で、ヒーローとして崇拝の対象となることへの居心地悪さは感じませんか?

バーン:自分が崇拝の対象になっていると思うことはしませんが、とはいえ、私の作品を好きだと言ってくれるなら、それをあえて否定はしませんし、それを受け入れることに心理的な抵抗もありません。私は基本的に「いま自分がやっていること」にワクワクしているんです。それはレコードでもツアーでも何でもです。もしかしたら、それこそが彼らが私を気に入ってくれる大きな理由かもしれません。音楽業界では珍しいことですが、現在の私は、新しいことや違ったことにトライできる、かなり自由な立場にいますので、それが魅力的に映るのかなと思っています。

『Who Is the Sky?』収録、ヘイリー・ウィリアムスとの共演曲「What Is The Reason For It?」

―「ガバナーズ・ボール」でのオリヴィア・ロドリゴとの「Burning Down the House」共演は最高でした。どうやって実現したのでしょう。

バーン:数カ月前に彼女のマディソン・スクエア・ガーデンの公演を観に行きました。彼女は素晴らしいパフォーマーで、やっていることをすごく楽しんでいるのが伝わってきました。終演後に紹介されたのですが、彼女は作られた存在ではなく人間らしい人でした。彼女が生き抜いてきたこれまでの人生を考えると、彼女は立派にサバイブしたと言えるのだと思います。そうこうするうちに、「ガバナーズ・ボールに一緒に出ませんか?」と突然招待が来たんです。私は即座に「もちろん。一緒に振付も考えよう」と答えました。

―実際、踊りも完璧でした。

バーン:うまく行きました。数日一緒に練習して仕上げたんです。

―若い頃、憧れの年上アーティストと共演することはありましたか?

バーン:私たちはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの大ファンでしたが、ジョン・ケイルとルー・リードがCBGBまで観に来てくれたりしました。ルー・リードには何度か会っていて、マネジメント契約をしたいと言われたのですが、当時の私たちには荷が重すぎる気がして断りました。また、最初にロンドンに行ったときにジョンがブライアン・イーノを紹介してくれて、それが私たちにとっての大きな転機になりました。彼らはみな自分からすると恐れ多い存在です。

―ルー・リードはどんな感じでしたか?

バーン:私たちがギターをかき鳴らして曲を聴かせていたら、彼は「もっとテンポを落としてみてもいいかもしれない」と言ってくれたのを覚えています。歌詞を無理やり詰め込むくらいならテンポを落としたらどうだという提案でしたが「たしかに」という感じでした。ルーはいつも面白いアイデアを持っていました。それと彼は、ハーゲンダッツのアイスを信じられない量食べるんです。1回でクォート(約1リットル)容器を2つ平らげてしまったんです。私たちは「すげえ」とただ唖然としてました。

デヴィッド・バーンが語る「終わりなき問い」トーキング・ヘッズ再結成より「今」が重要な理由

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―新しいアルバムには「I Met the Buddha at a Downtown Party」(ダウンタウンのパーティでブッダに会った)という曲もありますね。

バーン:最初の数行かタイトルだけが浮かぶことが、たまにあるんです。そういうフレーズに出会うと、「まるで短編小説みたいじゃん」「そのあと何が起きる?」「彼はどんな姿だった?」「何を言った?」と考えていくんです。すると勝手に物語が広がっていきます。この曲はそうやって出来上がりました。ほかにも、タイトルは思いついたのだけれど、仕上げられなかったアイデアはいくつかあります。例えば「The 50-Foot Baby」(50フィートの赤ん坊)というもの。その赤ん坊はいたるところで大暴れして、ものを壊したり、車を持ち上げて投げ飛ばしたりして、まるでゴジラのようなのですが、赤ん坊なんです。ただ、これは展開の仕方がうまく見つかりませんでした。

―次のアルバムで、ぜひ。

バーン:そうですね。短編を書くようなこのやり方は、実際これまであまりやったことがなかったんです。

―先ほど、今作には「問い」がたくさん含まれていると言われましたが、曲を通して、その問いの答えは見つかったのでしょうか。

バーン:まったく見つからないですね。むしろ、やればやるほど問いが増えていきます。答えを期待して扉を開けてみると、そこにはさらに無数の問いが待っている。理解できないことが山ほどある。その度に「自分がこれを本当に理解できる日は来るのだろうか?」と問いたくなりますが、多分、その日は来ないんでしょうね。

―以前、自分が人と異なる感受性を持っていることを「ニューロダイバージェント」もしくは「スペクトラム」といった言葉で説明されていましたが、今はどうお考えですか?

バーン:今は、自分のなかにそうした要素はほとんど残っていないと思います。若い頃は、たしかに社会的にぎこちなくて、不安に苛まれていました。今でも歌や絵に集中していると、他のすべてを遮断できます。友人と過ごすのは好きですが、ひとりでも平気です。ですから、そうした要素は少しは残っていますが、昔ほどではありません。年齢のせいもあると思います。歳月とともに変わるんです。加えて、自分の音楽でも他人の音楽でも、音楽が持つ力の作用もあると思いますし、ミュージシャンの仲間と活動することの影響もあると思います。その活動は社会的な癒しをもたらしてくれるんです。音楽を作る喜びが、私を殻から引っ張り出してくれます。

トーキング・ヘッズ再結成より「今」が重要な理由

―今作はハリー・スタイルズやマイリー・サイラスなど、いわゆるポップ畑の仕事で知られるキッド・ハープーンとともに制作されましたが、なぜ彼だったのでしょう。

バーン:彼が作ったレコードのサウンドが好きなんです。もちろん私が扱う題材や歌の内容は、彼が普段作るものとは違っています。でも同時に、私の作品もある意味ではポップレコードなんです。ポップの構造やサウンドに則っていて、みんなで一緒に歌えるようなサビがある。だから「やってみよう」と思ったんです。

―あなたのライブはいつも大勢のミュージシャンが参加します。最近のポップスターがDJや小さなバンドだけでやるのとは対照的ですね。

バーン:そうですね。チャーリーXCXを観たのですが、ステージには彼女だけで、バンドもダンサーもいませんでした。「勇気あるな!」と感心してしまいました。と同時に、「なんて安上がりなんだ!」とも思いましたが、今のところ私にはそれをやる自信はないです。

「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」で披露された最新パフォーマンス

―2023年9月に『ストップ・メイキング・センス』が再上映されました。若い頃の自分をスクリーンで観てどうでしたか?

バーン:A24が再上映を準備している最中、私はニュープリント版を観せてもらいました。何年も観ていなかったのですが、スクリーンを観ながら「こいつ誰?」とずっと思っていました。まるで新しい音楽のように聴こえましたが、観ながら「気張りすぎ。もう少し肩の力を抜け。大丈夫、きっとうまくいくから」と声をかけたくなりました。実際、映画の最後の方では、だいぶ肩の力が抜けていました。

―再上映のプロモーションで、あなたは久々にトーキング・ヘッズのメンバーと長い時間を過ごしましたね。

バーン:ですね。

―あれから何十年も経って、再びあのメンバーと一緒に過ごすのはどのような感じでしたか?

バーン:私たちはあのショーと、ジョナサン・デミの映画をとても誇りに思っています。観客が今も観たいと思ってくれているのは本当に嬉しいことでした。であればこそ、私たちはお互いの齟齬を一旦脇に置いて「よし、この作品を一緒に宣伝しよう」と心に決めたのです。

―メンバーは以前、あなたについて批判的な発言もしていました。ティナは2022年のインタビューで、あなたは「いじめっ子」でトランプに似ているとまで言っていました。

バーン:幸い、そうした記事はほとんど読んでいません。人づてに多少耳にした程度です。確かに『ストップ・メイキング・センス』を作っていた当時の私は、このショーに強いこだわりを持っていました。照明はこうあるべきだ、舞台装置を運ぶスタッフもバンドの一部のように見せなければならない、といった具合にです。すべてうまくいきましたが、当時の私は決して一緒に働きやすい人間ではなかったと思います。今ならもっと協力的にできますし、人の気持ちを傷つけない方法も知っています。

―再会している間に、かつてあった友情は取り戻せたのでしょうか。

バーン:一緒にいて快適に過ごせるようになったかという問いであれば、答えは「Yes」です。お互い心地よく過ごすことはできたと思いますが、それに続く質問を先回りして答えるなら、「一緒にツアーに出よう」とか「もう一度レコードを作ろう」という気持ちにはなりませんでした。音楽的にも、私はもう全然違う場所にいます。それに、再結成ツアーやアルバムはたくさんあって、なかには優れたものもありますが、うまく行くのはほんのわずかです。昔の自分たちを完全に取り戻すことは不可能です。観客にとって、ある音楽が自分の成長に大きな役割を果たしたといったことはあると思いますが、それは再現できないものなのです。

―トーキング・ヘッズの再結成を望む人の気持ちは理解できますか?

バーン:完全に理解できます。私も音楽ファンですから。解散してしまったバンドや活動をやめたアーティストを人生の大切な時期に聴いていたら、そう思うのは当然ですし、自分が同時代に体験できなかった音楽であればなおさら、それをライブで観てみたいと思う気持ちはよくわかります。でも時間を巻き戻すことはできないのです。人生のある時期に聴いた音楽には大きな意味が宿ります。けれども、同じ瞬間を再現することはできないんです。

デヴィッド・バーンが語る「終わりなき問い」トーキング・ヘッズ再結成より「今」が重要な理由

Photo by Sacha Lecca for Rolling Stone

―キャリアの段階的には、フェアウェルツアーや引退を考えてもおかしくありません。そういうことは念頭にありますか?

バーン:考えたことないですね。むしろ別のことを考えています。フレッド・アーミセンに説得されて、スタンダップ・コメディをやってみました。完全にお忍びで。思っていたよりもうまくいきましたが、あれは本当におっかない体験でした。たったひとりで、言葉だけを頼りにステージに立たないといけないからです。またやりたいかと言われたら尻込みしてしまいそうですが、可能性がないとは言えません。

―本物のコメディクラブでスタンダップをやったんですか?

バーン:そうなんです。彼が企画しているイベントで、出演者は事前に告知されないんです。しかも多くのコメディクラブがそうですが、スマホでの録画は禁止でした。

―ということは、YouTubeにも上がっていない?

バーン:上がってないですね。

From Rolling Stone US.

デヴィッド・バーンが語る「終わりなき問い」トーキング・ヘッズ再結成より「今」が重要な理由

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