今年10月に来日ツアーを行うフー・ファイターズ。10月8日(水)さいたまスーパーアリーナ公演にはマキシマム ザ ホルモンも出演。
10月10日(金)神戸公演は注釈付き指定席チケットが追加販売される。デビュー当初の1995年から幾度となく来日してきた彼ら。その歴史を、バンドを長年追ってきた音楽ライター・鈴木喜之に振り返ってもらった。

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フー・ファイターズ、デビュー30周年!!

この記念すべき年に、なんと17年ぶりとなる単独来日公演の開催が決定した。オーディエンスと一緒に大事なアニバーサリーを祝う場所として、ここ日本を選んでくれた理由をあれこれ推測するのはさておき、まずは大いに喜びたい。

本稿では、デイヴ・グロールと仲間たちが歩んできた30年の歴史の中でも、これまでに日本で行なわれてきたライブに焦点を当てて振り返りながら、熱烈歓迎ムードをグッと高めることにしよう。

90s

彼らが初来日を果たしたのは、1995年12月。この年、彼らはデビュー・アルバムのリリースに先駆け、マイク・ワットやエディ・ヴェダーとファースト・ツアーに繰り出すが、そこで「とにかく数多くのライブをこなすべし」というワットのパンク哲学から影響を受け、年間120本ペースで怒涛のライブ生活に飛び込んでいく。それは、ツアーTシャツの背中にプリントされた「The Not Too Terribly Hard twenty Nine Shows in Forty Two Days North American Tour with Watt(ワットと廻る、そこまで大変じゃない29公演・42日間の北米ツアー)」という言葉にも表れている。アルバム『Foo Fighters』が6月(日本盤は7月)に発表されて以降も、ウールとシャダー・トゥ・シンクを帯同させてUSツアーを続行し、その勢いのまま年末に実現したのが初めてのジャパン・ツアーだった。ニルヴァーナ解散にまつわる記憶が未だ生々しく澱む空気を、吹き飛ばそうとはしないまでも、しっかりと抜け出していこうとする生命力が感じられた。

#今日は何の日

25年前の今日(1995年12月7日)はFoo Fightersの初来日公演でした!

今もシーンの最前線で活動し、幅広い層から支持されるFoo Fighters
今年結成25周年を迎え、来年2月には新しいアルバムも発売になるそうです!

ぜひLIVEでまた観たい!日本でワンマンやってくれ!!#FooFighters pic.twitter.com/dZ8fMTP60c— CLUB CITTA' (クラブチッタ) (@CLUBCITTA_1988) December 7, 2020

フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る

「Japan Rock Archive」より引用

次の来日が、もはや伝説となった嵐の第1回フジロック・フェスティバル(1997年)。
傑作セカンド・アルバム『The Colour and the Shape』を完成させ、ウィリアム・ゴールドスミスに代わってテイラー・ホーキンスを新たなドラマーとして迎え入れた編成となっての出演だった。吹きすさぶ風雨の中、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやレッド・ホット・チリ・ペッパーズが壮絶なパフォーマンスを繰り広げたことが語り継がれる同フェスだが、比較的早い時間帯に登場したフー・ファイターズの熱演もまた、デイヴの「みんな(前方が危険な状態なので)後ろに一歩ずつ下がって!」というMCとともに、現場にいた人々の記憶に強く残っている。

「FOO FIGHTERS 初年度のフジをデイヴが語る!」(2015年の動画)

年が明けて1998年の正月には、単独再来日が早々に実現。まだ新宿歌舞伎町にあったリキッドルームで、開演前にステージを横切って愛嬌を振りまくテイラーの姿を今も思い出す。前年のフジロックを最後にパット・スメアが脱退してしまったことを受け、フランツ・スタールがギタリストを務めていたが、そのフランツも程なくして解雇。デイヴがたった一人でスタートさせ、いきなり走り出してしまったため、まだまだバンドが固まりきらない状況にありながら、持ち前の明るさと活力を武器に、フー・ファイターズはがむしゃらに突き進んでいった。

1999年にサード・アルバム『There Is Nothing Left to Lose』をリリースすると、フランツに代わるメンバーとしてクリス・シフレットが加入。ようやく定着したラインナップで、翌年のフジロック'00初日に登場している。この日のタイムテーブルを見ると、FFの出番はエリオット・スミスの次、ヘッドライナーは解散を表明したブランキー・ジェット・シティだった。(それほど激しくはなかったものの)再び雨中での演奏となったが、冷静にレインコートを着て対応できるようになった観客の逞しさと、「バンドとしては」なかなか安定できずにいたフー・ファイターズが、それでも分解せずに踏みとどまり、充実したアルバムを生み出していた姿とがダブって見える(?)。

「FUJI ROCK '00 | This Is A Call」(公開期間:~ 9/19(金)17:00)

00s

難産となった4作目『One by One』を2002年に発表した翌年には、冬フェスの先駆けとして熱心なロック・ファンの間で記憶されているMagic Rock Outに出演。これが、日本で初めてヘッドライナーにフー・ファイターズの名が冠されたイベントとなる。
アルバムがグラミー賞のベスト・ロック・アルバムを2作連続で受賞するような評価も糧にしながら、いよいよ押しも押されぬ存在感を確立したことを実感させてくれた。

自らの拠点となるスタジオ606を設立し、そこで完成させた2枚組の大作『In Your Honor』をリリースした2005年には、5月にプロモーション来日してテレビ放映用のスペシャル・ライブを披露した後、7月には3度目となるフジロックで、ついにヘッドライナーとして登場。この時は、数日前から台風接近のニュースに多くの人がざわついていたことを受けて、「ここに来るまでの飛行機で、天気予報を見ていたら、またグルグルの渦巻きが映っててさあ……俺たちが出る時はいつも雨でゴメンよ」とオーディエンスを気遣うデイヴの言葉が聞かれた。幸い、第1回の時のような荒天にはならず、多少の風雨はものともしないような、ヘッドライナーに相応しい堂々たるパフォーマンスを見せてくれた。

フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る


フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る


フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る

フジロック'05(7月29日)のライブ写真(Courtesy of Smash)

この頃からフー・ファイターズは、怒涛の展開を見せた感がある。アルバムが2枚組になったことを受け、そのアコースティック・ディスクの作風を反映した8人編成によるライブが試みられると、翌2006年には12月に日本でもアコースティック・ショウが実現。今は無き新宿厚生年金会館でのステージは、単にサウンド的な違いだけでなく、それまでなんとなく避けられてきたニルヴァーナの話題にデイヴ自ら積極的に触れるMCなども聞かれ、もはや揺るぎない信念を持ってバンドに取り組んでいる様子が伝わってきた。同じタイミングで唯一の武道館公演も合わせて行なわれており、名曲「Best Of You」が鳴り響いた場面も感慨深く胸に刻み込まれている。

2006年の来日公演、「Best Of You」を披露(ファン撮影)

ビッグ・バンドとしての地位を確立し、余裕すら感じさせる6作目『Echoes, Silence, Patience & Grace』を2007年に発表すると、2008年にも単独再来日が実現。会場は幕張メッセで、日本では最大規模の単独ライブとなった。「これまでで一番デカいフロアだ」と満足そうに話すデイヴを中心に、アコースティック・ショウを統合した8人編成によるステージは、フー・ファイターズが一つの高みに到達したとさえ感じさせるものだった。一方、関西公演はZepp大阪で開催され、これについてベーシストのネイト・メンデルがブログか何かで「今回のツアーで唯一のクラブ公演」というようなことを書いていた気がする。
名実ともに大物ロック・バンドとなったフー・ファイターズにとって、小ぶりの会場でヒューイ・ルイスの飛び入りまであった大阪公演は、それはそれで特別なものになった。しかし、それから実に17年間、彼らの単独来日公演は実現しないままになる。

10s

しばし間が空いて、2015年。4度目のフジロック、2度目のヘッドライナーが決定。おあずけを食らっていた日本のファンは歓喜に包まれる。ところが、直前のスウェーデンでのショウで、デイヴが舞台から転落して骨折するという重大インシデントが起きた。あわやキャンセルの噂も囁かれる中、特注の移動式玉座に鎮座した姿でステージに現れたデイヴは、骨折したままライブを敢行し、オーディエンスの度肝を抜く。そのガッツとユーモアで逆境を跳ね返す姿勢は、まさにデイヴ・グロールという男を象徴するような光景だった。これまた、フー・ファイターズの歴史のみならず、フジロックのヒストリーにも語り継がれる「名場面」のひとつと言っていいだろう。

フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る


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フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る

フジロック'15(7月24日)のライブ写真(Courtesy of Smash)

プロデューサーに鬼才グレッグ・カースティンを迎え、音楽性の拡大にチャレンジした意欲作『Concrete and Gold』をリリースした2017年には、初めてサマーソニックに登場。もちろんヘッドライナー。スタジアムという環境では日本初となり、自然の中のフジロック・GREEN STAGEとはまた違う、ビッグなショウが展開された。
この時はリック・アストリーが飛び入りし、「Never Gonna Give You Up」を共演している。

サマーソニック2017、リック・アストリーとの共演(リックの公式YouTubeより)

20s

そして2023年、5回目のフジロック、3度目のヘッドライナー。同日のGREEN STAGEには、テイラー・ホーキンスがフー・ファイターズ加入前にバックを務めていたアラニス・モリセットも出演。前年に急逝したテイラーを追悼する場としてはアジア地域で唯一の機会を、苗場という地で実現してくれたことになる。テイラーの死がバンドにもたらしたダメージは計り知れないものだが、同年にリリースした(現時点での最新アルバム)『But Here We Are』とともに、「それでも俺たちは歩みを止めることはない」と力強く示した姿には、詰めかけた多くのファンが胸を揺さぶられた。

フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る


フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る


フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る

フジロック'23(7月29日)のライブ写真(Courtesy of Smash)

さて、2025年10月に行なわれる来日公演が、30周年を踏まえた特別なものになることは間違いない。最初に注目したいのは、フー・ファイターズにとって最重要ポジションとも言えるドラマーに、新メンバーのイーラン・ルービンが加入したことだ。イーランは、ナイン・インチ・ネイルズのライブで長らくドラムを叩いてきた人で、すでにNINのツアーが開始されていたにもかかわらず、ジョッシュ・フリーズと交代する形での電撃参加となる。早熟の天才ミュージシャンとして知られ、NINでその優れたプレイヤビリティを発揮してきたイーランだが、先ごろ9月13日に抜き打ちで行なわれた最新FFお披露目ライブの様子をSNS経由で垣間見た限り、その才能のポテンシャルをいきなり全力で発揮しており、フー・ファイターズに新鮮なエネルギーを与えてくれている。

イーラン・ルービン初参加のライブ映像

さらに、30周年を踏まえたセットリストは、文字通り全キャリアを通しての《Best of Foo》となり、「Learn to Fly」「All My Life」「The Pretender」「Walk」そして「Everlong」などなど、決して外せない代表曲はもちろん、こんなに良い曲がたくさんあったのか?!と再認識させてくれるようなナンバーも散りばめられた豊潤なセットリストで、リスナーを熱狂させてくれるはずだ。

最後に、この7月に新曲「Today's Song」をリリースした際に公開された、デイヴ・グロールからのメッセージの一部抜粋を引用して締めくくりたいと思う。この言葉からも溢れ出る不屈の闘志によって支えられた、現代最高のロック・バンド=フー・ファイターズが、30周年の節目を迎えて真骨頂を発揮するライブを、決して見逃すことはできない。


「これまで長いキャリアにおいて、抑えきれない喜びの瞬間もあれば、悲しみに打ちひしがれる瞬間もあった。輝かしい勝利、そして耐え難い敗北もあった。骨が折れたり、心がボロボロになっても繕いながらやってきた。それでも我々はこの道を一緒に進んできた、共に、助け合いながら、何があろうと。なぜなら人は一人では生きていけないから」

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フー・ファイターズと日本、共に歩んできた30年の来日公演歴を振り返る
FOO FIGHTERS -LIVE IN 2025 SECOND SHOW ADDED


"FOO FIGHTERS LIVE IN 2025"

2025年10月8日(水)さいたまスーパーアリーナ ※追加公演
サポート・アクト:マキシマム ザ ホルモン

2025年10月7日(火)さいたまスーパーアリーナ *SOLD OUT
サポート・アクト:おとぼけビ~バ~

2025年10月10日(金)ジーライオンアリーナ神戸 *SOLD OUT
※注釈付きチケット追加販売が決定

詳細:https://smash-jpn.com/foofighters2025/
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