2010年代以降、ロンドンをはじめとするイギリスの都市では、単なる地域ブランドや観光スローガンからさらに踏み込んだアプローチに挑戦している。音楽を都市のインフラのひとつとして捉え、経済、教育、都市計画などあらゆる政策分野に意図的に組み込むユニークな「ミュージックシティ」の構想は、いまや世界各地へと広がりをみせている。その実践を先導してきたのが、音楽都市のコンサルティング会社「サウンド・ディプロマシー」のシェイン・シャピロである。彼らが取り組んできた「ミュージックシティ」のアプローチを振り返った著書『ミュージックシティで暮らそう:音楽エコシステムと新たな都市政策』がこのたび日本語訳として刊行された。日本でブックツアーを行っていたシェインに対して取材を行った。ロンドンの音楽シーンを継続的に取材してきた筆者が、2010年代から現在に至るまでにイギリスでどう「ミュージックシティ」が実現してきたのか話を聞く。
Text by Masashi Yuno
Photo by Rio Watanabe, Kaori Nishida
音楽をインフラにする具体策
─あなたが著した『ミュージックシティで暮らそう:音楽エコシステムと新たな都市政策』は2010年代の”ミュージックシティ”思想の実践をまとめた内容で、今も有効であり、ほぼ手つかずと言っていい日本ではとても有意義な本だと思います。本が捉えたタイミングから10年近くが経過していますが、現在のロンドンはどうなっているのでしょうか。
シェイン:ロンドンでの取り組みはこの10年で明確に加速しました。私がロンドン市長室の文化チームに関わり始めた頃は8人ほどでしたが、今は40人規模。音楽、ナイトタイム・エコノミー、音楽教育などに専任チームができ、政策・投資・実務に割くリソースが格段に増えました。現在、私は世界各地の案件を中心に担当しており、ロンドンでは”チアリーダー”的な立場ですが、今も文化や音楽にこれほど政策・投資・時間を投じる大都市は多くありません。
─書籍では「音楽=都市インフラ」という表現が印象的でした。
シェイン:私たちは音楽を”例外”ではなく都市の前提として扱うべきだと考えています。ロンドンプラン(全市計画)から各ボロウ(区)のローカルプラン、さらにNPPF(編注:国家計画枠組。国全体の開発計画の指針となる)へと続く多層の計画体系に、音楽の言語を埋め込む。これは、本で述べた「音楽は水道やごみ収集と同じ都市インフラ」という設計思想の実装です。計画言語が揃うと、政治や人事が変わっても判断がぶれにくくなるのです。
─ロンドンのガバナンスは東京都の仕組みにも似ていますね。
シェイン:そうです。市長室が全体を見ますが、実際の計画・文化・ライセンスは33のボロウ(区)が所管します。市長室の法的権限は大きくありませんが、影響力があり、実際の行動を推進することができるのです。ここ10年で多くの区が文化支援の政策と活動を強化しました。
─お役所特有の「縦割り」をどう越えてきたのでしょう。
シェイン:要は横断の”場”を持つことです。音楽エコシステム政策委員会、ナイトタイム・エコノミーのチーム、定期的な”音楽監査”など、計画~許認可~運用~計測のループを回す仕組みです。書籍でも強調しましたが、都市の成果はプロジェクトではなく運用に宿ります。音楽を「水のように」循環させるには、配管図=制度設計と、メーター=KPIが必要なのです。

シェイン・シャピロ|Sound Diplomacy創設者/エグゼクティブ・チェアマン。都市や場所における音楽の価値について新しい考え方を定義し、それを通じて130以上の都市や場所に音楽と文化への投資を推進する
イギリス、出色のミュージックシティ政策
─ロンドンでは、2005~2015年にライヴ・ヴェニューが相次いで閉店するなかで、市の政策対応が進みました。
シェイン:英国には公的な文化投資の歴史があります。市が無料フェスを数多く催していた時期もありました。ただ、文化を尊重する気風があっても、それを都市計画や規制に組み込む枠組みが弱かったのです。閉店の連鎖で問題が可視化されていき、当時のボリス・ジョンソン市長の下で初動がありました。現文化担当副市長は当時も文化部門を率いており、政権が変わっても行政の”軸”は継続しています。
─音楽施設に関してロンドンの制度上の課題を整理すると?
シェイン:3つ挙げます。
─その断絶を埋める一策が、本にも記されている”エージェント・オブ・チェンジ(AoC)”でした。
シェイン:起源はオーストラリアのビクトリア州です。AoCの考え方はシンプルで「先にある用途に後から来る用途が影響を受ける場合、後から来る側が対策する」というものです。19世紀の工場騒音や家畜臭気の規制にも通じます。ロンドンではロンドンプランのなかの文化条項を拡充する形で導入しました。ジョンソン期は1ページだったのが、サディク・カーン市長期には4~6ページに強化され、33区のローカルプランがそれに適合する流れを作りました。のちにNPPF(国家計画枠組)にも「ガイダンス」として挿入され、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドも追随しています。
─具体的に音楽施設はどのようなことを考慮するようになったのでしょうか? また、その理念を現場で機能させるのに重要なことはなんだと思いますか。
シェイン:例えば、新たなヴェニューをオープンさせる際、図面と調達に落とし込むことです。遮音等級の指針化、機械室や排気・振動源の配置、バルコニーの向きのコントロールなど、設計・審査・監理の工程に組み込むのです。これで入居後の苦情を抑え、ヴェニューの継続性と「質の良い居住環境」を同時に確保できます。AoCは”誰の負担か”の議論に陥りがちですが、実務に翻訳するほど利害の衝突は事前に小さくできます。現在、労働党政権下での制度改編に合わせて、ガイダンスから法への格上げを働きかけています。教育と周知に時間はかかりますが、全国でここまで整った例は英国だけです。
─では、現在営業している小規模なヴェニューへの支援はどのように前進したのでしょうか?
シェイン:「定義」が政策を生みます。英国で”Grassroots Music Venue”という定義が整備され、税制軽減、家賃・事業支援、計画上の保護の対象が明確になりました。何を守るのかを言語化した瞬間、行政の列に”音楽”が割り込めるようになるからです。Grassroots Music Venuesを保護、確保、改善することを目的にMusic Venue Trust(MVT)も設立されました。
─大規模会場のチケット1枚につき1ポンドをMVTへ拠出するスキームも始まっています。
シェイン:現在は任意で、政府は支持していますが、法としてはまだ整備されていません。でも、会場、プロモーター、アーティストの判断で導入が広がっています。ロイヤル・アルバート・ホールが参加したり、コールドプレイのようにアーティスト側の選択で進むケースも見受けられます。フランスでは長年にわたって法律化されていますし、カナダでは文化基金の仕組みが機能しています。英国は「社会的規範化」から法定化へ、その合意の階段を上がる過渡期にあります。
─2025年5月には、ロンドンのインディ・シーンを称える横断キャンペーン「London Creates」がスタートしました。このキャンペーンの一環として、ロンドン交通局(TfL)は市内の179のインディペンデントなヴェニューを紹介する特別版地下鉄マップを公開しましたね。
シェイン:私の在籍時から構想はありましたが、実現したのは離任後で、市の音楽担当の同僚が主導しました。マップはガイドに留めず、来訪動線、ナイトタイム・エコノミー、交通・安全、アクセシビリティのデータと接続した”政策ダッシュボード”にすると、意思決定が速く、試行錯誤もしやすくなります。書籍でいう「アセット・マッピング」(編注:音楽ヴェニュー、楽器屋、教育機関など音楽関連の施設を地図化すること)を運用に橋渡しする段階です。

2025年7月に開催された「音楽は都市のインフラだ!Sound Diplomacyに学ぶ音楽エコシステムのつくり方」イベントの様子。ナイトタイムエコノミー推進協議会代表理事の齋藤貴弘氏を中心に、音楽と都市に関わる様々なプレイヤーによって熱のこもった議論が展開された
─あなたが携わってきたロンドンでの成果が他都市へ波及しましたか。
シェイン:私は”大きな機械の一部”に過ぎませんが、ロンドンがカタリストになったのは確かで、多くの都市から声がかかりました。一方で、ロンドンはアムステルダム、ベルリン、シカゴ、シアトルなどの先行事例から多くを学んでいます。功績はひとりのものではなく積み重ねです。私はたまたま、最初に本を書いた人間というだけです(笑)。ここ5~10年で、英国の多くの主要都市が音楽政策やミュージックボード、専任チームを持つようになりました。私自身、10都市以上に関わっています。重要なのは、どの都市も「自分たちの言葉」を持つこと。定義→可視化→合意→制度化→運用→計測→更新。このサイクルを、都市の規模や文化に合わせて設計することです。
─昨年秋に8年ぶりにマンチェスターを訪れたのですが、かつてのどんよりした街の景色が一変し、タワーマンションが立ち並ぶ一方で、Aviva Studiosなど、新たな文化施設も整備され、まさに街全体が躍動しているという印象を受けました。そして、音楽がその原動力のひとつになっているのは間違いないことでした。
シェイン:私も市の音楽戦略を支援しました。グレーターマンチェスターのアンディ・バーナム市長のリーダーシップで音楽評議会が立ち上がり、英国最大のアリーナCo-op Liveをはじめ、文化インフラが整備されています。マンチェスターでは強い音楽遺産を敬意を持って扱いつつ、新しい波にも投資する”両輪”の対話が続いています。イングランド北部と南部の経済格差のなかで、マンチェスターへの投資増加や、BBCの拠点がサルフォードに移ったことも象徴的です。ロンドンより住コストが低いことがクリエイティビティの余白を生み、ユナイテッドとシティの新スタジアム計画、音楽×フットボールの連携も進んでいます。日本との関係も進んでいて、大阪市との連携や、9月には50回目の記念すべきジャパン・ウィークも開催されます。
2023年、マンチェスターのアーウェル川沿いに建設されたAviva Studios。音楽ライブから演劇、展示まで多用途に対応できる設計が特徴で、都市再生の拠点として期待されている
ミュージックシティのはじめ方
─AIは音楽エコシステムに何をもたらしていますか。英国政府のテキスト・データ・マイニング(TDM)方針についてもあなたの見解を聞かせてください。
シェイン:立場は明快です。「人間の創造性への敬意と、正当な帰属・対価」が絶対条件です。AIの利便性は歓迎しますが、無断学習や盗用の上に築くことには反対です。AIは”産地(オリジン)”の価値を匿名化・希薄化しやすい。食ではフェアトレードのように産地が価値を持つのに、音楽ではそれを手放しかねない状況が起きています。英国政府がテキスト・データ・マイニングに寛容な姿勢を示している点には、率直に言って「不満」です。小国であり、EU離脱で自ら選択肢を狭めた英国が、米国のテック企業由来の成長に依存するのではなく、自国のクリエイティヴィティに投資すべきだと考えています。人口規模に比して、音楽・文学・映画で英国は強い国です。その比較優位を、海外テックへの税控除や特例ではなく、創造性への公正な帰属・報酬と制度設計で伸ばすべきです。私はその点で政府方針に反対しています。
─実務レベルでは、生成AI時代にどのような制度が必要だと考えますか。
シェイン:まず、学習・生成プロセスの透明化と、権利者・地域への還元メカニズムが必要です。ローカル由来の創作に”認証・表示(プロヴナンス)”を与え、観光・教育・助成・調達に接続する”フェアトレード型”の仕組みが有効です。都市政策の観点では、アーカイヴや公立教育の教材、公共調達の音源利用などに、地域由来コンテンツの優先枠やボーナスクレジットを設ける。これによって、匿名化されがちなオリジン価値を再可視化し、収益の逆流(地域への再投資)を制度で担保できます。
─あなたたちの「Sound Diplomacy」と英国レコード産業協会(BPI)など、音楽業界団体との関係はうまくいっているのでしょうか?
シェイン:良好です。私のミッションは”パイを大きくする”こと。音楽がもっと生まれ、より多くの人が正当に収益を得られる環境をつくる。その配分の細目は業界が決めればいいのです。私は都市と産業がともに成長する”仕組み”づくりに注力しています。音楽”産業”のKPI(再生数・版権収入)と、都市”エコシステム”のKPI(移動・安全・教育・雇用・健康)は異なり、それを橋渡しするのが委員会や横断チーム、そして定期的な”音楽監査”です。可視化されたデータは、財政や土地利用部局を動かす”共通通貨”になります。
─AoCやMVT、ミュージック・ツーリズムなど、現在の英国の制度と現場はどこまで達したのでしょうか?
シェイン:一言でいえば「言語と設計は整い、実装に汗をかいている段階」です。AoCは全国的にガイダンスとして浸透し、MVTへの拠出は任意で拡大、会場の定義と税制も前進しました。今は、人材・教育・夜間における交通・安全運用まで含む”運用の平準化”に力点が移っています。地方分権的に見える英国ですが、法は強い中央集権なので、中央の制度改編と地方の実装をどう同期させるかが鍵です。
─最後に、読者へのメッセージを。
シェイン:ミュージックシティの始め方はシンプルです。1) 言葉を揃える(定義)、2) 地図に載せる(可視化)、3) ルールを決める(制度化)、4) 運用して測る(KPI)、5) 直す(更新)。音楽を”水”のように扱うなら、その水路と水圧を設計しなければなりません。政策と言語は、そのための配管図です。「ミュージックシティ」は称号ではなく、合意形成のプロセスの名称であり、どの街でも、今日から始められるのです。

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このインタビューでは『ミュージックシティで暮らそう:音楽エコシステムと新たな都市政策』で記された後のことについて意識的に話を聞いた。ロンドン市長室の文化チームが8人から40人規模に拡大し、エージェント・オブ・チェンジの法制化、Grassroots Music Venueの定義確立など、「音楽を都市インフラ」として組み込む制度設計が完成に近づいていることが、著者である彼の口から語られたのは、ある意味で答え合わせになったと言っていい。
特に注目すべきは「定義→可視化→制度化→運用→計測→更新」のサイクルが機能していることだ。一方で、ブリクストンにある文化施設「Pop Brixton」の解体危機のような個別事例は、制度があっても経済的持続性や開発圧力に絶えずさらされていることを示している。シャピロが「運用に汗をかく段階」と表現する現在のフェーズでは、AIによる創作の匿名化や地方分権と中央集権のバランスなど新たな課題も浮上している。「ほぼ手つかず」の日本には、これらの成功と課題を同時に学ぶ機会があるのではないだろうか。

『ミュージックシティで暮らそう:音楽エコシステムと新たな都市政策』
著者:シェイン・シャピロ
訳者:エヴァンジェリノス紋子・若林恵
定価:2800円+税
判型:B6判/344P
発売中