7月22日に他界したオジー・オズボーン。彼の晩年を追った最新ドキュメンタリー『Ozzy:No Escape From Now』が、10月7日からParamount+で配信開始(※日本配信は未定)。
ロニー・ジェイムス・ディオへの想いから生前最後の願いまで、新事実がぎっしり詰まった今作のハイライトを整理する。

2025年4月24日、オジー・オズボーンの地元バーミンガムで予定されていたフェアウェル・コンサート「Back to the Beginning」まで残り72日──ロサンゼルスの自宅の裏庭で、ブラック・サバスのフロントマンは涙を流していた。もはやステージに立てる見込みはほとんどない、そう確信していたのだ。

2019年の転倒事故をきっかけに、彼の身体には次々と不調が襲いかかった。慢性的な痛みと歩行困難に悩まされ、肺炎の治療中には敗血症にも苦しんだ。さらに背骨の骨折も抱えており、手術を受けるには体力が足りなかった。

「今の問題はイギリスに行けるかどうかなんだ」と彼はかすれた声で言う。その隣で妻のシャロンが涙をこぼしていた。「本当に心が折れそうだ。行かなきゃいけない。絶対に行くんだ。もう7年も病気と闘ってる。
状況は悪くなる一方で、俺をどんどんメチャクチャにしていく。歩けないし、かがむこともできない……。もしここに座ったままで、あそこに辿り着けなかったら、俺はもっと腹を立てるだろう。クソみたいな病気め!」

この痛切な瞬間は、タニア・アレクサンダー監督が率いる撮影クルーによって記録された、Paramount+で配信開始となるドキュメンタリー『Ozzy: No Escape From Now』の一場面だ。作品は2021年から「Back to the Beginning」公演までのオズボーンと家族を追う。彼がプロデューサーのアンドリュー・ワットとともに2022年のアルバム『Patient Number 9』を制作する様子、2024年のロックの殿堂入り式典に向けてメタル界の盟友たちとスーパーグループを結成する姿、家族と過ごす時間、ライブ復帰を目指して肉体の限界に挑む姿──そのすべてが描かれる(※ネタバレ注意:彼は最終的に公演を実現させ、勝利のステージを披露したのち、わずか17日後にこの世を去る。ロック史上もっとも壮絶なラスト・アクトとして語り継がれるだろう)。

このドキュメンタリーには興味深い瞬間が数多く収められている。劇中で明らかになった新事実を紹介しよう。

1. オジーはついに、ブラック・サバスで自分の後任となったロニー・ジェイムス・ディオという人物を理解するようになった

オジーは療養中、浴びるようにテレビを観ていた。殺人事件、第二次世界大戦、ベトナム戦争──そんな番組ばかり観ていたオジーだったが、意外にもYouTubeではロニー・ジェイムス・ディオのインタビューを何本も再生していたという。

「『なんでロニーを観てるの?』って尋ねると、オジーは『申し訳なく思っているんだ。
後悔しているんだよ』って言ったの」とシャロン・オズボーンは語る。「彼はロニーが歌ったブラック・サバスのアルバムを一切聴いたことがなかったし、実際に彼と関わったのも一度だけ。レインボー(LAのロックバー)で彼をフォークで突き刺そうとした時だけだったの(笑)。本当の意味で彼を知らなかったの。だから今、後悔してるのね。ロニーのインタビューを見ながら『何してるんだろう?』って思ったわ」

2. 転倒事故のあと、最初の診断は誤りだった

2018年のフェアウェル・ツアー中、オジーは首と親指に細菌感染を起こし、抗生物質の点滴治療を受けていた。その入院中、真夜中にトイレへ行こうとして転倒。救急外来に運ばれたが、混雑の中で「ただの打撲だ」と言われ、そのまま帰宅するよう指示された。翌日、彼は腕が動かなくなり、別の病院へ。「ちゃんとMRIを撮ったら、首が折れてたの」と娘のケリー・オズボーンは語る。「最初の病院が彼を帰らせたなんて信じられないわ」

3.「最初の脊椎手術が症状を悪化させた」とオズボーン一家は思っている

「父が普通に座っていられたのに、気づけば──ほかに言いようがなくて申し訳ないけど──まるでゴクリ(『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム)みたいな姿勢になっていくのを見ていた」とケリーは語る。シャロンは日程を何度も延期した末にフェアウェル・ツアー自体を中止。
オジーの容態は徐々に悪化し、背中の痛みは全てを支配するほどになっていった。「何をしても消えない痛みなんだ」とオジーは語っている。「あるレベル以上の痛みになると、思考そのものに影響を与える。何も楽しめなくなるんだ」

4. イギリスの自宅が、在宅中に侵入被害に遭っていた

正確な時期は不明だが、オジーは午前2時に目を覚まし、侵入者を捕まえようとしたものの、相手は窓から逃げてしまったという。「私たちが知らなかっただけで、以前から別の窓から家に入れられていたの」とシャロンは語る。「彼らは家の中を見に来ていただけだったのよ。本当にひどいことよ。何より恐ろしいのは、私が寝ている間に彼らが寝室に入り、ベッド横の指輪を持ち去ったこと。眠っている間にすぐそばに誰かがいたなんて、想像するだけで気持ち悪いわ」

5. 痛みがあまりにもひどく、オジーは死を望んだこともあった

「今は抗うつ剤を飲んでる。自分の人生を終わらせようと考えるようになっていたから」とオジーは語る。「頭の中でそう思ったときは、『何考えてんだ俺?』って自分に言い聞かせるんだ。自分の運命を考えると、きっと火をつけても半死半生で死にきれないんだろうな。
それが俺の人生さ」

6. アンドリュー・ワットとの『Patient Number 9』制作は、オジーにとって癒しの時間だった

「ワットは数時間でもオジーに現実を忘れさせてくれるの」とシャロンは語る。彼はローリング・ストーンズやレディー・ガガなどとも仕事をしてきたプロデューサーだ。オジー自身も「このアルバム作りは俺の命綱だった」と振り返る。「たいていの人たちが仕事を渋々やってるものだけど、俺は自分の仕事を憎んでない。本当に世界一ラッキーな男だよ」

7. ブラック・サバスを解雇されたのは、オジーにとって生涯癒えることのない傷となった

「彼(オジー)は決してそのことを乗り越えられなかった」とケリーは語る。「絶対に。絶対、絶対、絶対に。どんな言葉でも言い表せないくらい、彼を傷つけた。彼らは兄弟であり、家族であり、彼が知る世界のすべてだったのだから」

8. ロックの殿堂入り式典で歌えなかったことは、オジーにとって痛恨だった

2024年のロックの殿堂入り式典で、オジーは歌う体力が残っていなかった。そのため、ビリー・アイドル、ウルフギャング・ヴァン・ヘイレン、チャド・スミス、スティーヴ・スティーヴンス、ジェリー・ロール、ロバート・トゥルヒーヨ、メイナード・ジェイムス・キーナン、ザック・ワイルドという豪華メンバーのスーパーグループが代役を務めた。

「『自分の身に何が起きてるんだ?』って思ったよ。ステージに立ちたいという気持ちで心が引き裂かれそうだった。
『やらせてくれ』って言いそうになったけど、そんなことしたら2秒で倒れるのがわかっていた。心の中の声が『立てよ、何やってんだ?』って叫んでた。俺の中には小さな悪魔がいるんだ」とオジーは振り返る。

9.ステージに立つためなら、無茶な手段でも試そうと考えたこともあった

「前日の夜、真夜中にバイオニックレッグ(義足)とかそういうものをネットで探してたんだ」とオジーは語る。「でも途中で『もし転んだらどうする?』って考えてやめた。『最高だな、本物のアイアンマンだ』とも思ったんだけどね。今は面白いものが出てきてるから」(結局、血栓のせいで式典自体を欠席しかけたが、直前に飛行許可が下り、なんとかクリーブランドに向かうことができた)

10.「Back to the Beginning」音楽監督トム・モレロは公演実現に大きく貢献した

「最初に電話したのはメタリカだった」とモレロは語る。「ブラック・サバス、オジー、メタリカで軸を作ることができれば……と思ったら、彼らは即答で参加に乗り気だった。メタリカが決まれば、あとは次々と電話をかけるだけ。『オリジナル4人のサバス最終公演、オジーのラストショー、そこにメタリカも出演』って言うと、みんな顎を外したみたいに『やるよ!』って感じだった」

11. 「Back to the Beginning」終了後、オジーとシャロンには大きな夢があった

「このショーが終わるのを楽しみにしてる」とオジーは言った。「シャロンと一緒に過ごしたいんだ。俺たちは一度も自由な時間をもったことがない。
このギグのあと、俺たちは自由になれるんだ」

シャロンも同じ夢を描いていた。「7月5日、すべてにピリオドを打って、お辞儀して家に帰るの。そこからは普通の暮らしがしたい。どこか小さな泡のような世界を見つけて、二人でやりたいことだけをやって生きていきたい」

オジーはこう締めくくった。「ついにその時が来た。俺は40歳まで生きられないと思ってた。40歳を超えて生きてるなんて本来あり得なかったんだ。でも生き延びた。もし俺の人生が終わろうとしているなら、不満は言えない。素晴らしい人生だったからな」

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