改めて言うまでもなく、ソーリー(Sorry)は2010年代後半にサウスロンドンのべニュー、ウィンドミルのコミュニティから頭角を現した才能の一組。彼らが送り出す約3年ぶりのニューアルバム『COSPLAY』は、過去二作で打ち出した異なるサウンドを統合させたうえで、さらに大きく発展させたものだ。
と同時に、失われつつある人々の共通項=ポップカルチャーの様々な記憶を曲ごとにコスプレの如く身にまとい、そこに新たな意味を与えようとする試みでもある。

元々はアーシャ・ローレンスとルイス・オブライエンの2人を中心に始まったソーリーは、1stアルバム『925』(2020年)ではサンプリングや打ち込みを多用した折衷主義的でダークなサウンドを展開。その後、5人組のバンド編成へと拡張され、2ndアルバム『Anywhere but Here』(2022年)ではシンガーソングライター的なソングライティングとバンドサウンドを重視した音楽性へと発展していった。

そしてこのたび届けられた新作『COSPLAY』は、1stのプロダクション志向と2ndで手にしたバンドサウンドのエネルギーの結合を図った作品。以下の対話でアーシャが「ジャンルに縛られていない」と語るように、オーウェン・パレットがアレンジを手掛けたストリングスとダイナミックなバンドサウンドが溶け合う「Echoes」、ソーリーらしいダークなエッジが効いたエレクトロニックサウンドが展開される「Waxwing」、軽快なガレージロック調の「Today Might Be The Hit」と、その音楽性も幅広い。

日本語でコスプレを意味するアルバムタイトルは、現代文化が過去の様々な引用、つまりコスプレで成り立っていることを意味する。実際、このアルバムもまさにコスプレ的に作られたものであり、時代やジャンルを横断した無数のポップカルチャーの記号が、サンプリングや歌詞での言及によって意図的に散りばめられているのだ。即座に目についた例を挙げるだけでも、ミッキーマウス、三島由紀夫、ガイデッド・バイ・ヴォイシズ、エルトン・ジョン、ボブ・ディラン、ルートヴィッヒ・ボルツマン、ディロン&バットソース、ジョイ・ディヴィジョンと、枚挙に暇がない。

詳しくは以下の対話に譲るが、人々の価値観や生活様式が細分化するなかで、従来のポップカルチャーの記号が「人々の共通項」としての意味を成さなくなりつつあることに対し、アーシャはある種の危機意識を抱いている。そしてだからこそ、それらの錆びかけたポップカルチャーの記号を自分たちの表現に取り入れ、再文脈化することによって、新しい意味を生み出そうとしているのが、この『COSPLAY』だと言えるだろう。

普段はアーシャとルイの2人、もしくはルイス単独で取材に応えることが多いソーリーだが、今回はアーシャ単独でインタビューに対応してくれた。2人での取材はルイスが率先して話すことが多いので、今回はじっくりとアーシャの考えに迫れる貴重な機会となった。


ニューアルバムは「日々の体験の集積」

―ニューアルバムの『COSPLAY』は、デビュー作『925』のエレクトロニックな要素と、前作『Anywhere but Here』のバンドサウンドを融合し、さらに進化させたような印象を受けました。あなたたちとしては、どのような作品を目指していたのでしょうか?

アーシャ:サウンドに関しては、その表現はとても的を射ていると思う。前作よりもプロダクションを重視して、より大きなインパクトを持たせたいと考えていたから。それに、編集面でのコントロールも強化したかった。私たちのソングライティングにとって重要な要素だからね。サウンド面では、より厚く、深みのある音像を目指していて。でも同時に、ライブから生まれる生のエネルギーを保つことで、クリーンすぎない(無加工の)質感を維持したかったんだよね。

―そういう風にアルバムを完成させるにあたって、これまでとは違う大変さなどはありましたか?

アーシャ:アルバム全体のコンセプトが完全に形になるまでにすごく時間がかかったかな。何度もレコーディングし直したり、同じ曲のいろんなバージョンを試したりしながら、確かなものを見つけようとしていたから。その過程で方向性を見失いそうにもなったけど、この作品にはそれが必要(なプロセス)だったと思う。曲自体が時間をかけて育っていく必要があったし、同じ曲なんだけど、異なるレコーディングのパーツを組み合わせて完成させたりもした。まるでパッチワークみたいな作業だったけど、そのおかげで曲そのものだけじゃなくて、曲の別のバージョンへの言及にもなったし。
最終的にそれ(複雑な作業工程)は意味を成していたと思う。

Sorryが語る、共通項を失った時代にポップカルチャーを再構築する『コスプレ』アルバムの真意

左からアーシャ・ローレンス、ルイ・オブライエン

―プレスリリースには、「このアルバムを作りはじめたとき、私たちは死んだ」というあなたたちの発言が引用されています。この「私たちは死んだ」という発言の意味するところを教えてください。

アーシャ:最初はジョークのようなものだったんだよね。文字通りの意味というよりも、もっとポエティックな意味合いが強かった。と同時に、それはもっと無私無欲(個人という概念を超えた状態)というか。このアルバムに収録された曲たちは、元々そういう性質を持っていた気がする。今回の作品はアイデアの精神みたいなものだから。

―というと?

アーシャ:それぞれの曲は、私の頭の中で浮かんだアイデアを形にするためのもので。それはテクスチャーや言葉の集合体みたいなものだから、そこには”個人”という概念はほとんど存在しない。むしろ、いろんな人たちの(視点や考え方の)集合体のようなものだと感じる。(「私たちは死んだ」という言葉もそういう意味であって、)あまり文字通りに受け取るようなものではないっていう。


―もちろん、死んだと言っても、過去の自分たちのサウンドを否定するような意味もないわけですよね?

アーシャ:そう、私たちのサウンドを殺すとか、そういう破壊的な意味ではなくて。何かを殺すこととは関係ない。ただ、常に変化しようとする中で、ある種の詩的な感覚を見つけようとしていたんだと思う。このアルバムにはいろんなキャラクターが登場するけど、それらは必ずしも自分自身とは限らないっていう、そういう意味。

―よくわかりました。新作で最初に作った曲は「JIVE」だそうですが、この曲が出来たことでアルバムの方向性が見えたところもあったのでしょうか?

アーシャ:実際、最初に演奏し始めたのは「JIVE」だったけど、正直、この曲がアルバムの方向性を決めたわけではなくて。方向性を決めるような一曲はなかったと思う。というのも、曲が出来上がるたびに、それぞれがすごく違うものに感じられたから。とにかくたくさん曲を書いていたし、他にも山ほど曲があって、ようやくアルバムが形になったと感じたのは(作り始めてから)一年半が経ってからだった。その時に気づいたの。「ああ、全てが違うからこそジャンルに縛られてないし、その違いこそが統一感を生んでいるんだ」って。それが、このアルバムの本質を悟った瞬間だった。
最初はまるで独立した存在のように感じられた曲たちが、その共通点によって結びつけられたような感覚だったな。

―そうしたアルバムの本質に気づいたきっかけはありましたか?

アーシャ:ほんと、最初は全てが違うんだっていうことを受け入れるのが難しくて、正気を失いそうになったりもして。かなり長い間取り組んできたから、何ていうか、まるで物事として成立してないようにも聴こえてきたし……でもそこで、『Helgoland』(カルロ・ロヴェッリ著)という本を読んで。ある男が霧の中に入り込んで、ある種の方程式を発見するっていう話なんだけど、彼は「理屈を無理に追い求めないからこそ意味が生まれる」と気づくんだよね。それを読んで、私も突然理解できたの。「全ての曲が違うという事実こそがアルバムたる所以なんだ」って。そして、実際は(それぞれの曲に)それほど違いはないということも分かった。頭の中では、実際以上に違いを感じていたんだけどね。

―なるほど。

アーシャ:で、結局のところ、このアルバムは私自身の気持ちを反映しているとも思ってる。いまの世界って、一度に大量の情報が押し寄せてくるし、時間の流れも人それぞれ違う。私たちは、 ある考えや人物に一瞬で近づけるけど、それらは現れては消えていく。
毎日がそういう感覚の連続なんだと思う。で、それはポジティブにもネガティブにもなり得る。結局このアルバムは、そうした私の日々の体験の集積なんだよね。ただ、曲は私だけのものではなく、他の人たちのものでもあるっていう。だって、私たちは皆同じ(ような体験をしているの)だから。ただ、(アルバムの曲を書くという行為は)あの時の自分の気持ちを表現する方法だったってこと。

コスプレとサンプリング

―今回は共同プロデューサーにダン・キャリーとケイティ・オニールを迎えています。ダンは近年のUKインディのキーマンと言える存在ですし、ケイティはエラ・マイナスやThe xxのオリヴァー・シムとも仕事をしてきたダブリン拠点のエクスペリメンタルなアーティストですよね。それぞれカラーが違うと思いますが、今回この2人と一緒にやろうと思ったのは、やはりエレクトロニックな要素とバンドサウンドの融合という今作の方向性を念頭に置いてのことだったのでしょうか?

アーシャ:うん、その通り。ケイティはDominoで少し働いていた時期があったから、すぐに友達になったの。彼女の音楽に対する考え方が本当に好きで、意見をぶつけ合うのに最高の相手だったし、一緒に仕事をするのもすごくうまくいった。彼女はほぼバンドのもう一人のメンバーみたいな存在で、ずっとそばにいてくれた。
技術的な面で特に何かをしたわけではないけど、自分を信じるように促してくれたりして、彼女の存在自体がすごく助けになった。

それからダン・キャリーは、アルバムの終盤で全体をまとめる役割を担ってくれて。ボーカルをほぼ全て再録し、すべての要素をミックスして、音響的な一体感を持たせてくれた。でも、(彼らを起用したのは)友人だったからという理由が大きいと思う。というのも、最終的には私とルイが中心にいて、他人にはあまりコントロールを委ねたくなかったから。プロダクションは曲の雰囲気を左右する重要な要素で、ほぼソングライティングの一部だから、自分の色を強く押し付けるより、その魅力を引き立てる手助けをしてくれる人たちと組むのが理想だと思ってる。

―何か具体的にケイティから学んだことなどはありますか?

アーシャ:ケイティは、とにかく情熱的で、私たちに対して忍耐強く接してくれた。私は彼女から、自分自身をもっと信じる方法を学んだと思う。それに、本当に自分を信じてくれる人がそばにいてくれたのはありがたかった。だって、周りには、たくさんのノイズやボーイズたちがいるからね(笑)。わかるでしょ? でも、彼女は、私とルイの間の、物事を進めるための、より良いファシリテーター(建設的な結論へと導く進行役)のような存在だった。ルイと私にとって物事を進め、結果を出すのが難しいことが時々あって。二人とも完璧主義者だからか、何かを最後までやり遂げるのが困難というか。というのも、ルイと私はとにかくただ曲を作り続ける方向に行ってしまう。完成させなきゃいけないものがあるのに、気が散って、結局新しい曲を作ってしまったりとか。だから、そのプロセスを実際に進める手助けをしてくれる人がいたのは本当に良かったと思う。

Sorryが語る、共通項を失った時代にポップカルチャーを再構築する『コスプレ』アルバムの真意


―あなたは前作を作る前にカーリー・サイモンの『No Secrets』をよく聴いていたそうですが、『COSPLAY』の制作時によく聴いていた、もしくはインスパイアされたアーティストや作品はありますか?

アーシャ:このアルバムを作っていた時は、レコードをたくさんサンプリングして、いろんなテクスチャーを集めてた。そしてそれらをただひたすら聴いていたと思う。そのレコードは、ほとんどチャリティーショップで50ペンスくらいで買ったものだったけど。だから、一つの曲を何度も聴くというよりも、(レコードから)気に入った部分を選んで、サンプリングしていたっていう。それに、いろんなものを読み漁っていたから、特定の何かから特に影響を受けたとは言えないかな。本当にインスピレーションを得たのは様々なものからで、ピンポイントに絞れないと思う。

でも、ビル・フェイ(Bill Fay)は本当に好きだった。彼のアルバム(『Time of the Last Persecution』)に収録されている、「Till the Christ Comes Back」っていう曲。なぜか理由はわからないけど、この曲だけは確かに影響を受けていると感じる。でも、(何に影響を受けたかに関しては)言いたくなくて。というのも、何か一つを挙げると、みんな「ああ、それ好きなんだ」ってなるから。でも、もう(時間が経つと)それを好きじゃなくなることもたまにあるからね。だから、言いたくない。影響はあらゆる場所から来ているし。

―今回はサンプリングネタをたくさん集めていたということですが、曲作りはサンプリングから始まるのですか?それとも、メロディやコード進行などからでしょうか?

アーシャ:それは曲によって、いつも変わるかな。例えば、「Today Might Be The Hit」は、クールな歌詞のアイデアが浮かんで、それをルイに「頭の中でこんな曲を書いてるんだけど」って持っていくと、彼がコードを弾き始めて、そこから曲が流れ出てくるっていう。あるいは「Love Posture」みたいに、私がサンプルをいくつか持っていて、その一部をルイに渡したら曲が完成したっていうこともあったし。「Life in this Body」は、ルイが何年も前に半分書いてた曲を掘り起こした例なんだよね。だから、それぞれ曲でどう生まれたかは違っていて。つまり、サンプルが新たな意識の流れを生むこともあるし、私とルイが同じアストラル・プレーン(精神的な次元)にいる時は、ただそれが「わかる」から、そこからメロディが曲を紡ぎ出すこともあったり。

―アルバムタイトルにもなっている「コスプレ」というコンセプトに今回辿り着いたのには、どのような経緯があったのでしょうか? 何かこのコンセプトをインスパイアしたものはありましたか?

アーシャ:私たちがアルバムタイトルを探していた時に、アダム・カーティス(イギリスのドキュメンタリー映画監督)に会ったの。で、彼が突然、「今たくさんの人がコスプレしてるプロジェクトに取り組んでる」って話し始めたんだよね。なんでもそれが、ゲイ・ヴォーギング(gay voguing:1980年代後半にハーレムのLGBTQ+ ボールルーム・カルチャーで生まれた、様式化されたフリースタイルダンス)みたいなところから始まったっていう話で。それに影響を受けたわけじゃないんだけど、ただ、「ああ、これは今まさに(自分たちが作っているものと)関連性があるな」 と気づかされて。

―そのコスプレというキーワードが、具体的にアルバムのどんなところと共鳴すると感じたのですか?

アーシャ:コスプレ自体は、様々なジャンルを試す口実みたいなもので。それぞれの曲が、いろんな感情を試着しているような感覚。今は世界全体が──日本の状況はよくわからないけど──少なくともイギリスでは、人々が物事から切り離されているように感じる。ポップカルチャーも、物事の本質や意味との間に断絶があって、理解も共感もできていないのに、ただ試着したり真似したりしているだけみたいだし。だから、(コスプレという言葉は)あまり文字通りに受け取らないでほしいんだけど、それはただの比喩で、今この世界全体が「もう実際には存在しない何か」のためにコスプレしてるような感じがするの。みんなただ真似してるだけ。でも、自分が真似してるって事実を自覚して、それを新しい芸術形態に昇華させようとはしてないと思う。

分断された時代に、再び刺激を生むために

―現代のポップカルチャーがすべて引用、コスプレの上に成り立っているのだとすれば、あなたたちはそれを新しさの欠如といったネガティブな視点で捉えているのか、引用と再構築の中から何か新しいものが生まれるというポジティブな視点で捉えているのか、どちらの方が近いでしょうか?

アーシャ:個人的にはポジティブに捉えている。今見ているものには、ある種の分断があると思ってるから。自分たちをアンダーグラウンドだと言っているわけじゃないけど、ある種のアンダーグラウンドが出現してきているのを感じる。で、(引用、コスプレを)自覚し、再構築を進める人々の中には、よりスピリチュアルな意識が芽生えているっていう。一方で、単にコピーするだけのアーティストも存在していて、そこに現状に対する意識の断絶が生じている感じがするの。

―なるほど。

アーシャ:でも結局のところ、あらゆるものは常に新たな形で現れ続けるものだから。若々しいアイデア、たとえそれがAIであっても、創造的な観点から言えばまだ発展できる段階にあると思う。だから、こうしたものに前向きな形で栄養を与えられれば、それらはポジティブなものへと成長すると思う。それは人々がどう取り組むかという選択の問題でもある。でも、諦めたり、ただ形だけを追うのではなく、人々が情熱を持ち、新たなものを探し続け、真に創造的な姿勢を保つ限り、それはきっと良い方向へ向かうと思ってる。

―「Jetplane」におけるガイデッド・バイ・ヴォイシズのサンプリングにせよ、「Waxwing」の歌詞に登場するミッキーマウスにせよ、今作は様々なポップカルチャーの記号を引用しているだけではなく、それをユーモアや皮肉を交えながら異化している、本来の文脈から切り離しているところがあると思います。実際のところ、それは今作において重要なポイントでしょうか?

アーシャ:ルイと私は昔からそうしてきたから、いつものことではあるんだけど。でも「Jetplane」でそれをやったら、「Waxwing」ではわりと自然に出来て、「ああ、これは実際にフィーチャーできる要素で、しかもクールだな」って思ったんだよね。だから、そこでこのアイデアを初めて認識した感じだったな。最初は意識的ではなかったんだよね。ただ自然に「アルバムにこういう要素があると良いな」って感じるようになってきて。(ユーモアや皮肉は)そもそも私たちが好きなことだったし。

―ユーモアや皮肉に惹かれる理由は何だと思いますか?

アーシャ:ただ、私が世界をそういう風に見ているから、っていうのがあるんだと思う。それに、私はチージー(Cheesy、安っぽい、陳腐)なものが好きじゃないから、ユーモアってのはいい方法だと思うんだよね。皮肉はやりすぎるとうっとうしいし、皮肉が過ぎる人を見ると、まるで世界から感情を全部抜き取ったみたいに感じる。でも実際に起きていることをあえて軽く扱うのは、良いバランスだと思う。でも意識的にやっているわけじゃないの。ただ、私の曲作りの方法がそう、っていうことなんだよね。だから、私が作る曲にはいつもそういう要素が含まれている気がする。

―まあ、イギリスで生まれ育つと避けられないというか、ユーモアと皮肉は沁みついているわけですよね。

アーシャ:そう!すべてはTVのせいよ!(笑)

Sorryが語る、共通項を失った時代にポップカルチャーを再構築する『コスプレ』アルバムの真意


―『COSPLAY』には、ポップカルチャーの記号として、三島由紀夫やルートヴィッヒ・ボルツマンなどが出てきます。彼らの共通点として「才能溢れるがゆえに、その内面に孤独や寂しさを抱えている」というのが挙げられると思うのですが、あなたは歌詞に登場するポップアイコンに何か共通するものがあると思いますか?

アーシャ:共通項はあると思う。でも私にとってそれは(人物そのものへの共感というより)アイデアに近い。彼らが象徴するもの──たぶん孤独とかそういう感情なんだけど──
それを象徴として使っている感じ。そういう象徴を幾つか集めていくと、そこに方程式のような構造が見えてきて、何が欠けているかも分かってくる。そして、その結果として同じ感情が生まれるの。そういう参照点を使って、一つの感情のために様々な要素を集めて、それを曲に組み込んだっていう。でも、そのキャラクターたちは(意図的に)選んでいるわけじゃない。たぶんそのとき自分が読んでいた本や考えていたことが自然と音楽に反映されているんだと思う。

―ボルツマンはオーストリアの物理学者で、統計力学の創始者の一人ですよね。彼の考え方は、現代物理学の根幹を支えるエントロピーや確率的自然観の基礎を築きました。彼に関しては、どんな点に興味が惹かれたのですか?

アーシャ:ボルツマンに関していうと、彼は統計力学の理論的支柱を築いた後、(その考えが同時代の多くの科学者に理解されず、孤立の末に)自殺したんだけど、墓石にそれ(彼が導き出したエントロピーの公式「S=klogW」)が刻まれている。で、その後、世界が(ボルツマンの理論を理解して)変わった。それを知ったとき、これは「Today Might Be The Hit」だと思ったの。面白いのは、彼にとっては方程式こそがヒット(いいアイデアが浮かぶこと)だったけど、私にとってのヒットは曲が出来るってこと。つまり、他人の目を通して曲を見るもう一つの方法として、彼の物語が私にアイデアをくれたの。まるで彼ら(キャラクターたち)が私の中に入り込んでくるような感じだった。で、その精神を感じとることができて、自分の曲作りに活かせるみたいな。

―三島に関しては?

アーシャ:三島由紀夫については、ヘンリー・スコット・ストークスの『The Life and Death of Yukio Mishima』を読んで、彼の生涯に興味を惹かれて。「Rainbow in the Dark」という詩があって、それがすごく好きだった(取材後に確認したところ、15歳の三島が書いた「凶ごと」という詩の話だったそう)。で、彼の人間的な二面性が、このアルバムと私を結びつけたんだよね。彼の生涯はとても興味深いし、実際に彼の本を読んでみて、「(三島の生涯だけでなく)彼の書く本もクールだ」って思った。とはいえ、本当に惹かれたのは彼の人生そのもので、本当にクレイジーな人生だなって思ってる。

―最後の質問です。ここ10~15年で、ポップカルチャーの意味合いは大きく変わってきています。いまは大小様々なサブカルチャーの集合体でポップカルチャーが形成されるようになっており、メインカルチャーという概念はほぼ意味を成さなくなりました。また、メインカルチャーという対立項を無くしたため、インディやオルタナティブという概念の有効性は必然的に薄れています。このような現代のポップカルチャーの在り方というのは、『COSPLAY』を作る上で何かしらの影響を与えたと思いますか?

アーシャ:うん、そうだと思う。というのも、いまの時代って、ポップカルチャーどころか、映画や音楽、情報源とか、そういったものですら、みんなまったく違う場所から来てるから。普遍的なサインとか、みんなが繋がれる共通のものって、あまりないんだよね。だから、私たちが今知っているもの(共通項としてのポップカルチャー)は、ある意味ノスタルジックで、同時に無機物なものになりつつあると思う。だって、それらが少なくなり、再生産され、分割されるほど、別の何かに変容してしまうから。それでも、人々が新たな方法を見出せば、再び刺激的な時代が来ると思う。でも、文化の頂点に空虚さがあるのは、本当に悲しいことだよね。それって、普遍的な繋がりが失われていると感じるっていうことだから。

Sorryが語る、共通項を失った時代にポップカルチャーを再構築する『コスプレ』アルバムの真意

ソーリー
『COSPLAY』
発売中
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15285
編集部おすすめ