シド・バレットの幻影とともに作り上げた傑作
1973年に発表され、大ヒットを記録した『狂気(The Dark Side Of The Moon)』の成功を受け、ピンク・フロイドの次作には、いや応なく過大な期待が寄せられることとなった。
「正直に言って、とてもつらい時期だった。子どもの頃に思い描いていた夢がすべて叶ってしまった状態だったんだ。世界で一番売れるレコードを作り、金も名声も女も、すべて手に入れた。そのあとで、”自分たちはいったい何のために音楽をやっているのか”ということを、あらためて考え直さなければならなかった。かなり混乱していたし、空虚な時間でもあった」(デヴィッド・ギルモア)
「僕らは『狂気』までは、本当の意味で”バンド”だった。でもバンドというのは、最初は成功したくて集まるものなんだ。そして僕らは『狂気』によって、達成できるものはすべて達成してしまった。『炎(Wish You Were Here)』というタイトルは、実に的確だったと思う。あのアルバムは本当は”Wish We Were Here(僕らがここにいられたなら)”と名付けるべきだった。なぜなら、制作当時の僕らの状態は完全に”心ここにあらず”だったからだ。
Photo by Storm Thorgerson
そんな燃え尽き症候群に陥っていた彼らは、外野から寄せられる期待に逆らうように、楽器をいっさい使わないミュージック・コンクレート(具体音楽)作品を作ろうと試みたものの断念。その後のツアーにおいてようやく新曲を披露するに至るものの、その新曲を巡ってはさらに一悶着起こることになる。
レコーディング中、新曲の「Raving and Drooling」(後に「Sheep」と改題され『アニマルズ』に収録)を『炎』に収録するかどうかを巡って、ウォーターズとギルモアが本気で喧嘩となり、それが本当の意味での”決裂の発端”になったと、後にウォーターズは語っている。音楽的な見地から最後まで「アルバムに入れるべきだ」と主張していたギルモアに対して、ウォーターズは「コンセプト(歌詞)の面から辻褄が合わない」と主張し続けていたのだった。
『炎』50周年記念盤(日本独自パッケージ2CD+Blu-ray 7インチ紙ジャケット仕様)
『炎』50周年記念盤(1LPヴァージョン:Yellow Color Vinyl/輸入盤国内仕様)
『炎』の基本となるコンセプトは、喪失感と”不在”の感覚、そして商業主義に対する批判などで構成されている。その中核にあるのが、オリジナル・メンバーであり、初期ピンク・フロイドの楽曲のほぼすべての作曲に関わっていたシド・バレットの存在である。彼の存在なくしては、現在の自分たちは決して存在し得なかった──そうした想いを込めた彼へのオマージュであると同時に、彼を失ったことによる深い喪失感、そして彼が抱えている孤独が、この作品には色濃く反映されている。
『狂気』が、誰もが必ず直面する”死への恐怖”を描いた作品だったとすれば、『炎』は”狂気そのものとの葛藤”についての言及だった。偶然にも、『炎』の完成が間近に迫ったある日、長らく消息を絶っていたシド・バレット本人が、ふらりとスタジオに姿を現したという実話は、このアルバムの原題「Wish You Were Here(あなたがここにいてほしい)」を象徴的に裏付ける決定的なエピソードとなった。そしてその出来事は、『狂気』以降、次第に崩壊しつつあったバンドを、かろうじてつなぎ止める役割を果たしたとも言える。バレットの存在なくして『炎』というアルバムは誕生しなかったかもしれないし、ピンク・フロイドの解散時期がもっと早くに訪れていた可能性もあった。
ピンク・フロイドにとって2年半ぶりの新作となった『炎』は1975年9月にリリースされ、全英・全米アルバム・チャートで1位を獲得した。
『炎』のドルビーアトモス・ミックスは今年度のベスト・ミックス!
『炎』50周年記念盤は、レア音源を収録した2枚組CDをはじめ、輸入盤国内仕様のLPレコード(Yellow Color Vinyl / 貴重なMASTER SOUND帯を復刻)、2CD+Blu-rayジャパン・エディション(日本独自7インチ紙ジャケット仕様)、そして2CD+Blu-Rayに4LP(Crystal Clear Vinyl)などすべてのコンテンツを収録した豪華デラックス・エディション・ボックス・セット(1500セット限定)と、日本でもさまざまなフォーマットでリリースされる。
『炎』50周年記念盤(豪華デラックス・ボックス・セット)
●1500セット限定
●2CD、Blu-ray、4LPの全フォーマットを収録
●未発表写真満載の豪華フォトブック
●日本盤「葉巻はいかが」7インチ・アナログ・シングルのレプリカ
●コミック・ブック仕立てのツアー・プログラム(復刻)
●ネブワース公演のポスター
なかでも注目したいのは、『炎』としては初となるドルビーアトモス・ミックスの収録である。2023年の『狂気』50周年記念盤あたりから、ピンク・フロイドも本格的に取り組むようになったドルビーアトモス・ミックスは、現在までに『狂気』、『アニマルズ』、『ピンク・フロイド・アット・ポンペイ』が制作されており、今後の復刻リリースにおける主軸となっていくことは間違いない(今年リリースされたロジャー・ウォーターズの『ディス・イズ・ノット・ア・ドリル:ライヴ・フロム・プラハ』、デヴィッド・ギルモアの『ライヴ・アット・チルコ・マッシモ』も、ドルビーアトモス・ミックスに対応している)。
ドルビーアトモス・ミックスと言えば、プログレ界隈ではスティーヴン・ウィルソン(ポーキュパイン・ツリー)が第一人者として広く知られているが、そのほかにもブルース・ソード(パイナップル・シーフ)、ジャッコ・ジャクジク(キング・クリムゾン)、アラン・パーソンズなどが積極的にこのフォーマットに取り組んでいる。そうした流れの中で、ベテラン・エンジニアであるジェームス・ガスリーによるピンク・フロイド作品のドルビーアトモス・ミックスは、すでに高い評価と定評を得ており、いわゆるサラウンド・オーディオ・チェック用のリファレンス音源としても使用できるほど、極めて優秀なサウンドを聴かせてくれる。
『炎』50周年記念盤Blu-rayにはドルビーアトモス、5.1ch、4ch、StereoとのMix4種類と、ボーナス・トラックを25曲収録(スタジオ・レアリティーズ9曲と未発表ライヴ音源16曲)。さらに1975年のツアーから3公演のコンサート・スクリーン・フィルムと、ストーム・トーガソン作のショート・フィルムが収録される
『炎』のドルビーアトモス・ミックスでは、冒頭の「クレイジー・ダイアモンド」において、ストリングスとリード・シンセが頭上から降り注ぐように響き、周囲を取り囲んでいく。まるで巨大な宇宙船に吸い込まれていくような、あるいは体が宙に浮いていくかのような錯覚に陥る感覚だ。そして、ギルモアの印象的なクリーントーンのギターが鳴り響き、続いてニック・メイスンのドラムが加わってくると、ようやく夢心地の状態から醒め、地に足が着いたように感じられる。
ピンク・フロイドの音楽において、絶対に欠かすことのできない要素のひとつがSE(効果音)であり、彼らほどSEとの親和性を徹底的に追求してきたバンドは、ほかに見あたらない。『狂気』における時計やレジスターの音はリスナーに強烈な印象を残したが、『炎』においても実に多くのSEが随所に散りばめられており、ドルビーアトモス・ミックスの効果をさらに倍増させる重要な役割を果たしている。なかでも、特に強烈なインパクトを放っていたのが、「ようこそマシーンへ」における宇宙船内部(?)の機械音である。繰り返し鳴り響く機械の動作音の重低音が、尋常ではないほど腹の底に響きわたり、心臓がバクバクするほどの圧迫感を与える一方で、シンセは異常なまでに縦横無尽に飛び交っていくさまは、まさに宇宙感覚。『狂気』でも『アニマルズ』でも、ここまで大胆かつ派手に音が動き回ることはなかったが、『炎』では、これでもかというほど自由自在に音が空間を行き来しているのがはっきりとわかるのが凄い。
音の配置や動きを言葉だけで説明するのは非常に難しいが、とにかく四方八方を取り巻くシンセとギターによる”包み込まれる感覚”が実に素晴らしく、さらに一つ一つの楽器音の細部からヴォーカルの微細な息づかいに至るまで、すべてを克明に聴き取ることができるようになった。これはフロイド・ファンにとって、この上ない至福の体験となることだろう。
ガスリーは、2011年に制作した5.1chサラウンド・ミックスを単に拡張させたのではなく、あらためて一から再構築する形で、『炎』のドルビーアトモス・ミックスを完成させたようだ。すべての音が、まさに「あるべき場所」に的確に配置されており、「こう聴こえたら理想的」と思っていたイメージが、そのまま現実のものとなっているかのような完成度を誇っている。ここ数年のうちにリリースされてきた『狂気』や『アニマルズ』と比較してみても、ガスリー自身のミックスが、さらなる進化を遂げていることをうかがわせる仕上がりだ。ひとことで言えば、『炎』のドルビーアトモス・ミックスは、今年度の”ベスト・ミックス”と呼ぶにふさわしいクオリティに到達している。
今回の『炎』50周年記念盤は、ドルビーアトモス・ミックス以外にも魅力的なコンテンツが目白押しだ。これまで前半と後半に2分割して収録されていた「クレイジー・ダイアモンド」が、今回初めて9つすべてのパートを繋げて25分半におよぶ完全版ミックスとして作られている点も、大きな注目ポイントである。
「クレイジー・ダイアモンド」結合完全版ニュー・ステレオ・ミックス。コメディアン・俳優・アーティストのノエル・フィールディングが、シド・バレットの象徴的なイメージに着想を得たオリジナル絵画を描き上げ、その模様をフィーチャーしたミュージックビデオが製作された
さらにBlu-rayには、「Live Bootleg」と題された公式未発表のライヴ音源が収録されている。1975年4月26日、ロサンゼルス・スポーツ・アリーナで行なわれた約130分にもおよぶパフォーマンスを、世界に名だたる伝説のブートレッガー、マイク・ミラードが録音。その貴重な音源に、スティーヴン・ウィルソンがレストアおよびマスタリングを施し、最高のクオリティで見事に甦らせている。「Raving and Drooling」(後の「Sheep」)や「You've Got To Be Crazy」(後の「Dogs」」といった楽曲のプロトタイプ、さらに完成間近だった『炎』からの「クレイジー・ダイアモンド」組曲と「葉巻はいかが」のメドレー、そして『狂気』の全曲演奏に至るまで、まさにバンド絶頂期のパフォーマンスが余すところなく収録されている。とりわけ『アニマルズ』収録曲の初期ヴァージョンは、アレンジや歌詞が後年の完成形とは異なっており、フロイド・ファンにはお馴染みの音源とはいえ、こうして公式リリースとして広く聴かれるようになったことは嬉しい限り。
ほかにも初出音源が多数収録された、まさに充実のコンテンツ満載となった今回の『炎』50周年記念盤は、2025年末を飾るにふさわしい、文句なしのマストバイ・アイテムであると言えるだろう。
『炎』豪華ボックスの開封動画
ピンク・フロイド
『炎~あなたがここにいてほしい』50周年記念盤(豪華デラックス・ボックス・セット)
発売中
再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/WishYouWereHere50thAnniversaryDeluxeBoxset
特設サイト:https://www.110107.com/s/oto/page/pinkfloyd_wish
●日本独自3大特典
※ソニー・ミュージックジャパン限定特典:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルから出荷される商品にのみ封入される特典となります。
①日本語解説書 (豪華フォトブックに収録される英文ライナー翻訳他)
②オリジナル・ジャケを使用した「ミニCD・キーチェーン」
③ヒプノシス・デザイン「Desert Man in Bowlerポスター」
>>>記事の本文に戻る


![VVS (初回盤) (BD) [Blu-ray]](https://m.media-amazon.com/images/I/51lAumaB-aL._SL500_.jpg)








