この夏、FKAツイッグスがオランダの巨大フェスでの出演を終えてステージを降りたとき、真っ先に頭に浮かんだのは、近隣で最高のエレクトロニック・ミュージックが聴けると評判の”テクノの聖地”へ向かうことだった。
「ステージの上ではすごくカッコよく見えたんだけど、ステージを降りると……なんていうか、ちょっとパワーレンジャーみたいになっちゃって」と彼女は軽く笑いながら振り返る。ところがクラブに着くと、入口のドア係の女性は彼女を”ただの客”としてしか見ていなかった。「『ここ来たことある?』って聞かれて、私はそのパワーレンジャー姿のまま『ないです』って答えたの」。さらにその夜のDJが誰か知っているかと尋ねられ、それもまた「いいえ」。するとドア係はこう言った。「『じゃあ、横に立ってクラブのルールを読んで、DJの名前を全部覚えてからにして』って」。
ツイッグスは言われた通りにして、女性が戻ってくるまで外で待ったという。「結局、中には入れたんだけど、面白かったのは、彼女が私を見て『あなた、今まで遊びに出たことないでしょ』って言ったこと。そこで『さっきまでフェスのヘッドライナーだったんですけど』なんて、わざわざ言う気にはならなかった。私は『まあ、しょうがないよね』って感じで受け止めて、ちゃんとやるべきことをやろうと思ったの」。
クラブの外でのこんな出来事や、ダンスフロアで味わう恍惚、アフターパーティーで夜更けまで続く時間──そうした瞬間の数々が、2025年1月にリリースされた『EUSEXUA』(※読み:ユーセクシュア)、そして11月に発表された『EUSEXUA Afterglow』を形作っている。本誌が2025年のVoices of the Yearにツイッグスを選出したのも、この2枚の際立ったアルバムが大きな理由だ。どちらも10年以上に及ぶ彼女のキャリアにおける、独創的な新章を刻むものでもある。未来的なビジョンと尽きることのない想像力によって、ツイッグスはすでにポップ界で最も大胆にイマジネーションを広げるスターのひとりとして知られている。
そのツイッグスはこれまでもキャリアを通して、ファンの前で自分のすべてをさらけ出してきた。彼女が経験してきたトラウマや苦難について声を上げ、もっとも無防備な思いを音楽に注ぎ込みながら、複雑な性的関係性から、人種差別にどう向き合うか、子宮筋腫の手術に至るまで、あらゆることを率直に語ってきたのだ。音楽の外でも、虐待的な関係にあったことを公表しているし、かつて「ツアーの大惨事」に見舞われ、自分自身を立て直さなければならなかった。というのも、当時のチームがビザや必要書類を期限までに確保できず、その結果コーチェラへの出演をキャンセルし、複数の公演の延期を余儀なくされたからだ。それは、彼女のキャリアを危うく台無しにしかねない出来事だった。
それでもなお、長い時間をかけて頂点へとたどり着いてきたツイッグスは、今年ついに大きな飛躍の年を迎えた。本誌のインタビューで彼女は、自身のアイデンティティについて、脆さをさらけ出すことへの向き合い方について、そして現在地に至るまでに乗り越えてきたすべてについて、率直に語ってくれた。
―先日『EUSEXUA Afterglow』がリリースされましたが、これは『EUSEXUA』の続編でもあります。
ツイッグス:私はずっと、自分がどんなタイプのアーティストなのかに好奇心を持っていて。だって、それをずっと発見し続けている感じだから。最初の頃は、自分はビジュアルアーティストとかパフォーマンスアーティストなのかな、って思ってた。従来のアルバムのリリース形式にフィットさせようとすること自体が、私にとっては興味深いことなの。というか、そこがずっと噛み合ってこなかった。私の場合、どの作品も作り終えた後に、必ずまた創造力が爆発する瞬間がやってくるんだよね。
『Afterglow』の曲の大半はまったくの新曲で、全体の80~85%くらいは2カ月くらいで作ったと思う。いくつかは、ずっと前から温めていたアイデアだったけど。たとえば「Wild and Alone」は10年前に書き始めた曲で、実はそれ、リークしちゃったんだよね。85曲ものデモが漏れるっていう大流出事件があって、その中のひとつがこの曲だった。だから、そこから改めて作り直して、まったく違う感じに仕上げた。
「Stereo Boy」も、数年前に作り始めていたものなんだけど、それ以外は全部、本当にすごい6週間だった。浄化されるみたいな感覚で、インスピレーションが溢れて、すごく自由になれて。そこで新しい素晴らしいコラボレーターたちとも出会えた。Manni Deeっていう、アーティストでプロデューサーでもあって、かなりアンダーグラウンドだけど尊敬されているテクノDJがいるんだけど、共通のアーティストの友人を通じて繋がったんだ。Manniと私は、そこからもう狂ったみたいに音楽を作り始めて……何週間も何週間もスタジオに籠もってた。6週間の間、お互いの人生を乗っ取ったみたいな感覚で制作してたと思う。それが全部すごく自然に流れていった。私はただ、その流れに身を任せているだけ。
―それらの曲にインスピレーションを与えた体験について、もう少し聞かせてください。特に『EUSEXUA』と『EUSEXUA Afterglow』の両方で中心にある、クラブでの体験について。
ツイッグス:私のパーソナリティには、ふたつの側面があるんだよね。
それに対して、もうひとつの側面は、「私がパーティーを煽る。みんなを外へ連れ出して、朝方まで遊ばせる」みたいな感じで。『Afterglow』は、クラブを出たあと、まだ帰りたくないっていう状態のこと。最初が「Love Crimes」で、そこから楽しくて、ちょっとセクシーなフェーズに入っていく。
―あなたは『EUSEXUA』を「肉体的な人間の形を超越できる、恍惚とした空間を見つけること」だと表現していましたよね。なぜそれがあなたにとって重要だったのでしょう?
ツイッグス:だって人生って、本当にしんどいことがあるし、ストレスも大きい。常に緊張がある。オンラインの世界で育っている若い人たちのことを思うと、私は本当に胸が痛む。もし誰かに1000万ポンド(約21億円)払うから16歳に戻ってください」と言われたとしても、私は「絶対にヤダ」って言う。
今の若い人たちがどんな状況に置かれているのか、もう想像もできない。12歳や13歳の頃からオンライン上で自分を作り上げなきゃいけなくて、その刻印が残ったまま、初めて仕事をする年齢になっていく。自分がどんな政治的立場を取ってきたか、16歳のときに何を考えていたか、誰と付き合っていたか、誰と友達だったか、どんな服を着ていたか、若い頃に形になり始めた考え方──そういうものが全部追跡されていく。そしていつでも、嘲笑されたり、引き裂かれたり、裁かれたりする可能性がある。私自身も、そのプレッシャーは感じてきた。
『EUSEXUA』について考えるとき、それは自分を受け入れることであり、他者を受け入れることでもある。寛容さについての作品だし、”今ここにいること”についての作品でもある。そして、私たちは自分の器(肉体)以上の存在なんだと気づくこと。私たちは美しい光なんだよね。私はいつも胸の内側にある光のことを話す。私はFKAツイッグスじゃない。(本名の)タリアでもない。私は胸の中にある小さな光で、その光は尽きることのない愛と可能性で満ちている。私は、他の人たちとも繋がりたい。それはつまり、私たちはプレッシャーよりもずっと大きな存在なんだって気づくこと。自分が”自分だと思い込んでいる姿”よりも、ずっと大きい存在なんだってこと。こういう考え方自体は、私が最初に思いついたわけじゃない。ただ──たぶん、私が初めてそれを本気で信じられた瞬間だったんだと思う。
―『EUSEXUA』はマーキュリー・プライズの最終候補に選ばれ、グラミー賞にもノミネートされました。反響についてはどう感じていますか?
ツイッグス:混乱することもあった。『EUSEXUA』が、これまでの私のアルバムよりも少しポピュラー寄りになったからなのかもしれないけど。ときどきオンラインでいろんなものを目にして、「えっ? みんなこれ好きじゃないの?」って思うことがあるの。私のファンの中には、私に対して厳しい人もいて、それは理解してる。これは私の仕事の一部でもあるから。でも一方で、混乱するのは、そういうふうに「もしかして、あんまり好かれてないのかな」って思った直後に、8万人規模のフェスに出演すると、みんなが歌詞を叫び返してくれることもあるから。
ときどき私は、若い頃の自分から学ぶんだよね。「Figure 8」っていう曲を書いたことがあるんだけど、そこに〈Can you touch it? Is it real?〉(触れられる? それは本物?)って歌詞がある。何かに対してどんな反応が返ってきたとしても、それって結局あまり重要じゃないのかもしれない。だって、それは触れられないものだから。私が拠り所にできるのは、作ったときの自分の意図と、それを演奏したり、人に届けたりするときに自分が感じる喜びだけなんだ。
―あなたはキャリアを通して「カテゴライズしにくい存在」だと言われてきました。いまは人々が、あなたのアート性を理解し始めたと感じますか?
ツイッグス:難しい質問だね。だって私はその中心にいるから、自分では見えないんだよね。私はずっと「すべてのステップを自分でやりたい」って言ってきた。大きなヒットを出して、いきなり巨大な観客の前に立たなきゃいけなくなるアーティストを見ると、気の毒だなって思うこともある。まだ場数を身につけていないまま大舞台に立たされるわけだから。
パフォーマンスって、経験を積んで場数を獲得しなきゃいけない。私は若い頃にそれを身につけた。ロンドンのキャバレー「The Box」でハウスシンガーをやっていたときの話なんだけど、あそこは本当に荒っぽくて。客に飲み物を投げられたり、叫ばれたりして、みんな裸で走り回ってるような場所だった。でも、あれがあったから、ステージの上で本当に鍛えられたと思う。私はむしろ、ステージで何かがうまくいかない瞬間が好きなんだよね。「よし、これをどう乗り越えよう?」ってなるから。
ダンスを始めた頃の「魔法みたいな瞬間」
―いつ頃、自分はパフォーマーになりたいんだと確信したんですか? あなたは驚くほど幼い頃から始めていますよね。
ツイッグス:これまでほとんど話したことがないんだけど、うまく説明できないんだよね。ほかの子どもたちはダンスのコンペに出るんだけど、私の想像の中では、それはコンペじゃなかった。私は『親指姫』のキャラクターダンスを踊ったんだけど、ステージの上では、自分が本当に親指姫だと思ってたの。頭の中には巨大なキノコがあって、ものすごく大きな蝶がいて。たとえば私があるステップを踏むとしても、「あ、今そこでボールチェンジのステップを踏んでるね」みたいな感覚じゃなくて、「すごく大きい草があるから、その中を押し分けて進まなきゃ」っていう感覚だった。自分で世界を作り出せる、すごく魔法みたいな瞬間だったんだよね。
(目に涙を浮かべながら)……こういう話をすると感情が込み上げてくる。だって私は、ずっとそこにいたいんだよ。私が音楽でやりたいのもまさにそれで──人が飛び込んでいける世界を作りたい。それだけが、私の望みなんだ。
―カイリー・ミノーグを含め、いろいろなアーティストのMVでダンサーを務めていましたよね。あの頃のことはどんなふうに覚えていますか?
ツイッグス:好きだった部分もあるし、嫌だった部分もある。でも、すごく学びは多かったし、ある意味で準備が整った時期でもあったと思う。ダンサーなら誰でも共感できると思うけど、オーディションとキャスティングの連続なのね。あるときは「ボリウッド系のダンスができるセクシーな女の子を4人募集」みたいな案件があって、「うーん、まあいけるかも」って思う。次の日は次の日で「この年齢のクラシック訓練を受けたダンサー募集」って言われて、「うん、わかった、じゃあ挑戦してみよう」ってなる。ダンサーとして私は、いつも”もう少しでハマりそうな何か”に自分を当てはめようとしてた。私はミックスだから、自分が100%そうではないものに同化しようとしていた。完全には自分そのものじゃないけれど、かなり近い──そんなものに。
誇張抜きで、地下鉄の駅のトイレとか公共のトイレで着替えて、次の現場に向かう、みたいなことをしてたの。いつも少しフラストレーションを抱えていたと思う。でも最終的には、自分のためにかなり特別なものを開拓することができたし、キャリアの早い段階から、ロマン・ガヴラスとかダニエル・ウルフみたいな素晴らしい監督たちと仕事をすることができた。ロマン・ガヴラスが私をadidasの広告に起用してくれて、そこにはリトル・シムズも出てた。ギャラは数千ポンドだったけど、あれは本当に命綱みたいだった。あの広告のためのダンスオーディションを受けたときのこと、すごく覚えてる。「お願い、神様、もしこのadidasの広告をくれるなら、私は今まででいちばん良い人になる。すごく親切で、寛大で、優しくて」って祈ってたんだよね。
―その頃のMV撮影や現場での体験で、ほかに印象に残っているものはありますか?
ツイッグス:カイリー(・ミノーグ)は最高だった。リハーサルにはあまり来なかったんだけど、本番の前日にふっと現れて。それがもう、すごく優しくて、ちゃんとその場にいてくれて、ほんと小さくてキュートな人で。入ってくるなり「OK、私はどこに立てばいいの? 動きはどれ?」って聞いて、「OK、わかった」って。私は内心「こっちは1週間リハーサルしてきて、まだあやふやなのに……」って思ってたんだけど(笑)。それで通しで一回やってみたら、彼女は一つひとつのステップを全部完璧にこなしたの。完璧に。
それから何年か後にパーティーで彼女に会って、「私、あなたのバックで踊ってたダンサーなんです」って伝えたら、彼女は「もちろん覚えてるよ。すごく誇りに思ってる」って。
Photograph by SACHA LECCA
人生の転機となった「居場所」
―作詞のあり方はどのように変化してきましたか? 特に、作品に込められる”脆さ(vulnerable)”の部分について。『MAGDALENE』(2019年のアルバム)では手術や身体の痛み、すごく生々しいことまで語っていますよね。
ツイッグス:私はただ、真実を語るのが好きなんだよね。真実を語らなきゃいけない。10代の頃の私は、自分が何者なのか、自分がどこから来たのか、どんな環境で育ったのか、そのことに苦しんでいた。すごく白人が多い地域で育ってきたから、ミックスの人間としての生い立ちは、私にとって本当に、本当に混乱そのものだった。実の父親のことは大きくなるまで知らなかったし、でも私を育ててくれた継父がいて、彼は黒人だった。すべてが腑に落ちるようで、でもどこか腑に落ちない、みたいな感じで。
それが余計に複雑だったのは、家族がバーミンガムのすごく労働者階級の出身なのに、母が教育に関してすごく私を後押ししてくれて、イングランド中部の私立校に入れるように頑張ってくれたから。母は本当に、毎日練習テストをやらせた。私はすごく良い私立校に入れたけど、奨学金での入学だった。ほかの子たちはみんなお金持ちで、ものすごく恵まれていた。私たちは小さなフラットに住んでいて、母は生活保護を受けていて、正直、ほとんど何も持っていなかった。
私は良い教育を受けたし、そこでは”きちんと話すこと””言葉を使いこなすこと””文章を上手く書くこと”が奨励されていた。生徒に自信を植え付けてくれるのは素晴らしかったけど、結局のところ、私にとってはそれが現実ではなかった。私は白人でもないし、中流でも上流でもないから。ロンドンに出てからも混乱した。私は労働者階級のブラウンの女の子で、話し方はちゃんとしていて、素晴らしい教育を受けてきた。でも今いるのはクロイドン・カレッジで。クロイドン・カレッジの友達に「実は田舎の私立校に奨学金で通ってたんだ」なんて絶対に言いたくなかった。「父親のことは知らない」なんて言いたくなかった。「今週、食べ物を買うお金がない」なんて言いたくなかった。10代から20代にかけての私は、とにかく情報を隠して生きていたんだよね。どこかに馴染もうとして、結局どこにも馴染めない──そんな状態で。だから20代前半になって、オルタナティブなシーンやクィアなシーンに出会うようになった。
―自分らしくいられる場所、ということですね。
ツイッグス:そう、もう……本当に救いだった。似たような生い立ちの人たちに出会えたり、自分ともっと近い見た目の人たちがいたり、同じように考えている人たちがいる場所。
全然関係ないんだけど、23歳くらいのときにタクシーに乗っていて、運転手さんに「今から何するんですか?」って聞いたのね。そしたら彼が「ライフコーチングのセミナーに行くんだ」って言って。私は「ライフコーチングのセミナーって何?」って聞いたら、「誰かが人生の生き方とか、人生を良くする方法を話してくれるんだよ」って。それを聞いて私は「じゃあ行く。なんでダメなの? どうせ暇だし」って思って、一緒に行ったの。あれは本当にすごかった。そこで話していた男性がこう言ったんだよね──「脆さはセクシーなんだ」って。
それが私のソングライティングを本当に一変させたの。私は「なるほど、複雑な性的力学について書いてもいいんだ」と思ったし、20代前半に自分の官能性を見つけていったことを『LP1』で書いたっていい。23歳のときの「Kicks」みたいに、マスターベーションのこととか、そういうことだって書けるんだって。そこからはもう、「私は何について真実を語れるだろう?」という感覚になっていった。だから『MAGDALENE』に関して言えば、私は子宮筋腫があって、信じられないほどの痛みや手術を経験して、そのことと向き合ってきた。そういう状況の中で私はただ、「うん、リンゴ(apples)、チェリー(cherries)、痛み(pain)。私は今そこにいる」っていう感じだった。
Photograph by SACHA LECCA
―自分が有名になるにつれて、脆さとの向き合い方は変わりましたか? 何かを共有したくないと思うことはありますか?
ツイッグス:いまはまたそこに戻ってきている感じもあるけど、ある意味では、そうだね。というのも『EUSEXUA』の時期には、本当にいろんなことが起きたから。私はとんでもないツアーのトラブルに見舞われて、それがすごく大変だった。ファンの人たちが「こういうことが起きているんだろう」と思っていたことがあって、でも実際は真逆だったから。『EUSEXUA』のときは、みんなが「私のことを全部知ってる」と思い込んでいるのに、実際には知らない、という状況を経験したんだよね。ある時点で私は決めたの。「わかった。これは誰の知ったことでもない。私はこれを自分で処理して、大人のパンツを履いて、腹を括って、ちゃんと良くしていくしかない」って。実際にそうしたし、その状況を乗り切って、破滅寸前のところから戻って来られた自分を、すごく誇りに思ってる。
―その出来事がきっかけで、あなたは自分のキャリアを自分で舵取りするようになったんですよね。それはあなたにとってどんな意味がありましたか?
ツイッグス:どのアーティストにもアドバイスできることがあるとしたら、そういう”裏側のこと”を最初から自分で理解しておくべき、ってこと。特に若い有色人種の女性としては。私が始めた頃には、たとえば「かかとを鳴らして、求められたことをやって、みんなに拍手させろ。ステージに上がるときに尻を軽く叩かれるくらいのことはある」みたいな空気があった。あなたはただ、そのダンスルーティンをこなすためにそこにいるだけで、自分が巨大な存在で、とてつもなくすごいビジネスを担っているんだということを理解できていない。でも本当は、世界はあなたのものにもなり得るし、自分で作り出せるものは無限なの。で、周りはみんな、あなたからものすごいお金を稼いでる。
そのギャップを埋めていけたのは、本当に良かった。継父もすごく助けてくれてる。彼は金融の仕事をしていたから、いろいろ説明してくれたり、ちゃんと確認してくれたり、関わってくれたりして。恋人もそう。パートナーは、私が安心できるようにしてくれたし、いろんなことを理解する助けになってくれた。でも、私はまだ学んでいる最中。正直、自分が何をしているのか今も全然わからない。心の中では、今でも私は7歳のときのままで──ステージの上で、頭の中に巨大なキノコを作って、想像上の大きな草原をスキップしているような子どもなんだよね。ただ、いまはリスクも責任も、ものすごく大きいけど。
ニコラス・ケイジ、ノース・ウェスト、コーチェラ
―映画のプロジェクトにも携わってますよね。ニコラス・ケイジと共演した『The Carpenters Son』(※今年11月全米公開、日本公開は未定)とか。彼とのエピソードはありますか?
ツイッグス:ニック(ニコラス・ケイジ)と一緒に現場にいたとき、私はメイクさんと「遊びに行きたいね」って話してたの。撮影地がアテネで、「週末にレイヴとかやってないかな?」って。ニックはクールな人で、もっと話したい気持ちもあったんだけど、彼ってわりと寡黙でストイックなタイプだから、「距離感は尊重しよう」って思ってた。でも彼、私たちの会話を聞いてたみたいで。「君たち、遊びに行くの?」って。私が「うん、今週末は出かけたいんだ」って言ったら、彼が「Get the ya-yas out?(鬱憤晴らしに行くの?)」って言ってきて。私は「ya-yasを出す?」ってなって(笑)。もうあの言葉が頭から離れないの。今じゃ私、出かけるときいつも「get the ya-yas outしに行こう」って言っちゃう。
―彼を誘って一緒に出かけたり、レイヴに連れていったりはできました?
ツイッグス:絶対に無理(笑)。いや、ニックは、私が今まで見た中でいちばん撤収が早い人だと思う。撤収っていうのは、要するに衣装を脱ぐことなんだけど。カットがかかった瞬間には、もう家族のもとに戻ってる。あれは見てて気持ちいいくらい。ニックは本番前の集中がすごい。シーンに入る前に、内側に沈んでいくというか、完全に自分の中に入っていくのが目に見えてわかる。テイク1からすでにスイッチが入ってるんだよね。
『The Carpenters Son』トレイラー映像
―『EUSEXUA』ではノース・ウェストに日本語でラップしてもらっていますよね。コラボレーションはどういうふうに進めるんですか?
ツイッグス:このインタビューの場で、たとえばあなたが「子どもの頃クラリネットやってたんだよね」って言ったら、私は「いいじゃん、じゃあやろうよ!」ってなると思う(笑)。「何時に迎えに行けばいい?」って言うくらい。私は本当にそういう人間で、「この曲には子どもの声が必要だな」って思ったりすると、なぜかキム(・カーダシアン)が突然メッセージを送ってきたりするんだよね。
―実際、そのときもそういう流れだったんですか? 彼女から突然連絡が来た?
ツイッグス:正直に言うと、最初の段階ではYe(カニエ・ウェスト)が、友人を通じてセットアップするのを手伝ってくれた。で、そのあとキムがすごく親切で優しくて、最後までまとめるところを手伝ってくれたの。撮影現場では、みんなでノースを応援してた。ビデオの中では、彼女がちょっとだけ力を抜いた瞬間を初めて見た気がした。彼女はすごくクールだし、すごく優しいし、地に足がついてる。遊び心があってキラキラしていて、私はああいう彼女の一面を見たことがなかったんだよね。10歳から15歳くらいの年頃って、誰であっても、自分の好きなことをやるように励まされると、本当に特別な何かが生まれるもの。それ自体がすごく素晴らしいと思う。彼女とコラボできたことに感謝してる。あと不思議なのは、あの曲(「Childlike Things」)自体、私が12歳か13歳くらいのときに書いたものでもあるっていうこと。
―前回はキャンセルになってしまいましたが、2026年はコーチェラに出演しますよね。2度目のチャンスを得て、どんなことを楽しみにしていますか?
ツイッグス:すごくクレイジーな10日間になると思う。コーチェラに出るんだけど、言うまでもなく、あれはどんなアーティストにとっても夢みたいな舞台で。しかもその期間中に、マーサ・グラハム(20世紀アメリカを代表するダンサー/振付家)の年次公演にも出演するの。そこからまた飛行機で戻って、コーチェラに出る。自分の中のまったく違う二つの側面を行き来する感じだよね。かたやLAでコーチェラに出て、ものすごく盛り上がっていて、魔法みたいで、楽しいフェスの空気の中にいる。一方ではニューヨークに行って、劇場でマーサ・グラハムの100周年を祝って、彼女らのオリジナル作品のひとつを上演する。そしてまた飛行機に乗ってコーチェラに戻って、週末を最後までやり遂げる。なんか笑っちゃうよね。その2週間、私はいったいどんな気持ちになるんだろうって、すごく興味がある。だってそれって、まさに私という存在が交差する地点だから。
―次は何をやりたいですか?
ツイッグス:オペラのことをすごく考えているんだよね。それと、年齢を重ねるのが本当に楽しみ。だって私は、もっと踊りたいから──それも年を重ねた女性として踊りたい。ある年齢の女性に付きまとってくる、わかりやすい性的なまなざしみたいなものは、もう手放していきたいんだ。皺のある肌になって、ドレスを着て、身体を思いきり振り回して踊る。その日が来るのがすごく楽しみ。
本記事のインタビュー映像(英語)
From Rolling Stone US.
FKA ツイッグス
『EUSEXUA Afterglow』
配信リンク:https://wmj.lnk.to/EuAfJP


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