電飾で彩られたアンプやマイクスタンド、ドラムセットの脇に置かれたテーブルランプが、クリスマスイブに似つかわしい温かな光を放つ中、REJAYの小さな咳払いが緊張と高揚感を客席へ伝播させる。ディレイがかったギターと鼻歌のような歌唱が混ざり合うと、アルバム同様「HAZY(Prod.A.G.O)」でライブの幕が上がった。<これ以上隠せない もし願いが叶うのなら 君のそばにいたい>の歌詞からも読み取れる通り、自分の言葉一つで簡単に関係が壊れてしまう恐怖をほのかに震えたファルセットで翻訳するこの曲は、裏を返せば、おかしくなるほど恋焦がれているこの瞬間が幸福であることを暗示しているはず。それゆえに、続けてプレイされた「Too Late」の大切だったヒーローや白馬のプリンスが去っていく様を捉えたリリックや、影の部分にフィーチャーするように先刻よりも低音域が明瞭になったボーカリゼーションが、ことさらに大きな悲しみを増幅させていく。一挙手一投足に心が揺さぶられる片想いから一世一代の別れへの急転直下を書き留めたこの2曲のコントラストは、『Grown tag』がREJAYの歩みを追体験する作品に留まることなく、生活において切っても切り離せない感情を見事に言い表していることを裏付けていたのである。
REJAY(Photo by Ryuji Kainuma)
こうした出会いと離別の対比は、ライブ中盤に披露された「Remedy」から「Love you still」を連ねたひとコマにも通底するもの。まどろむようなサウンドに乗せて、<体を委ねて 全てを忘れて 陽が昇るまで踊ろう><溺れそうな夜に 息をさせて>と放ち、身体の境界線があいまいに混じり合っていく様子をドローイングしたかと思えば、次の瞬間にはもう君はいないのである。消えゆくように会場を漂った<Ill be okay>という締めの句は、笑ってお別れしようと強がって口にした”大丈夫”の言葉そのものだった。
であるならば、「最後まで楽しんでいきましょう!」と誘った「Stand up」と「Middle of the Night」は、その強がりを本当にするための武器だったのだろう。大手を振ってご機嫌に飛び回るビート上で顔を歪めて歌い上げてくれた<この先にいつか 光が見える気がして>の1節も、荘厳なベース音が会場を満たす中で到達した<これ以上泣きたくない>のラスト1行も、涙を手の甲で拭い、ぱんぱんになるまで泣きはらした目で、ネクストステップを踏み出そうとしている証拠。そして、このどうにか上を向いてみようとする背中には、恋愛のみならず、20代を迎え、人生の選択を求められるようになった彼女のリアルな実感が反映されている。
REJAY(Photo by Ryuji Kainuma)
そう考えると、アルバム外から「Let's Just Be」を届けたことは、この日のキーポイントだったはず。JQと初めて共に制作した、いわば始まりの歌に書かれていたのは、嫌なことと無数のネガティブは昨日に置き去って、新たな今日をサバイブしようとする佇まい。それは彼女が今なお提示しているものであるわけだが、モラトリアムを終え、現実と真っ向から対峙するようになったREJAYが響かせるファイトソングは綺麗ごとに収まることなく、彼女自身がもがきながら進む風姿とオーバーラップしていたのである。
こうして、聖なる一夜にありったけの楽曲たちをプレゼントしたREJAY。英語と日本語のボーダーラインを飛び越えながら、ローファイな手触りで紡がれる彼女の音楽は、ともすると無機質で完全無欠に思えるかもしれない。しかし、蓋を開けてみれば、舞台に立っていたのは、バンドメンバーと目を合わせて気持ちよさそうにギターを掻き鳴らし、恋をして傷ついて、自分自身を見失ったりする、等身大の人間だった。『Grown tag』で自らの成長を刻み付けた彼女は、この先20代に突入した生々しい暮らしをも描いてくれるはずだ。


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