俺のアニタ・ベイカー。ティードラ・モーゼス(Teedra Moses)をそう呼んだのは、かつて彼女を自身のチームに迎えたラッパーのリック・ロスだ。
アリーヤ亡き後、エレガンスと官能を放つ女性R&Bシンガーとしてエイメリーやトゥイートらに続いて人気を集めたティードラは、まさにポスト・ヒップホップ・ソウル時代におけるアニタ・ベイカー的な存在だった。クリアなソプラノ・ヴォイスとメロウなサウンドが光る2004年のデビュー・アルバム『Complex Simplicity』は大ヒットにはならなかったものの、可憐さとマチュアなムードが交錯する稀有なR&B作品として伝説化。とりわけ「Be Your Girl」は2000年代R&Bのクラシックとして定番化し、2010年代にはケイトラナダにリミックスされたヴァージョンで再評価もされている。

シンガーとしてだけでなく、クリスティーナ・ミリアンの2004年ヒット「Dip It Low」を共作していた彼女はソングライターとしての輝かしい実績もある。その点では、同じく2000年代中盤にシンガーとして出世したNe-Yoと並ぶ存在でもあった。

デビュー当時の活動拠点は西海岸のLA。ラッパーのラス・キャス(96年に出したハードコアなヒップホップ・アルバム『Soul On Ice』で知られる)との間に双子の息子を儲け、その息子ラスとタージのオースティン兄弟は現在ヒップホップ・グループのコースト・コントラのメンバーとしても活躍中だ。また、ニューオーリンズ出身のティードラは故郷に対する愛も強く、同郷のアーティストをたびたびフックアップしてきた。現在はPJモートンと組んだ新作を制作中だ。

2024年には『Complex Simplicity』のリリース20周年を記念したツアーを行い、昨年はその一環として同アルバムのリイマジンド・ヴァージョンも発表。今春にはフロエトリーの再結成ツアーにラヒーム・デヴォーンと同行する予定で、ライヴを中心に再び露出が増え始めている。そんなタイミングで決定したビルボードライブ東京での来日公演(4月1日・2日)。
同ライヴハウスでは、数年前にジョイス・ライスがティードラの「Be Your Girl」を歌っていたが、今度は本家がそのステージに立つ。

来日公演を前に行われたインタヴュー。どの質問もポジティヴに受け止め、言葉を選びながら饒舌に話す彼女は、〈Lioness of R&B〉(R&Bの雌ライオン)という愛称がピッタリの情熱家であった。

シンガーとしてのルーツとデビュー前夜

―シングルの初リリースが2003年で、その翌年にデビュー・アルバム『Complex Simplicity』が出ています。当時、女性R&Bシンガーではあなたと並んでエイメリーやトゥイートなどが人気を集めていましたが、今、あの頃のR&Bを振り返ってどう思いますか?

ティードラ:エイメリーやトゥイートのデビュー・アルバムは素晴らしかった。彼女たちはメジャー・レーベルと契約していたからプロモーションをしてもらえる立場だったけど、ただ、アーティストとして彼女たちの才能が正当に評価されていたかというと、過小評価されていたと感じている。当時はR&Bに対する評価が誤っていた。かなり見損なわれていたと思う。というのも、2004年頃ってR&Bが(R&Bとして)あまり評価されなかった時代だったから。当時はR&Bとヒップホップの融合スタイルが台頭して、それがだいたい10年ぐらい続いた。「Laffy Taffy」って曲を出したヒップホップ・グループ(アトランタのD4L)がいたでしょ。別にあの曲が良くないと言うつもりはないけど、音楽的に心に訴えるものがなくて(ヒップホップには)絶賛に値しない作品も多かったから……。
2014~2015年頃にはアンダーグラウンドでR&Bに対する評価が上がり始めて、そのおかげで今はR&Bが良い位置を占めていると思う。今のR&Bの位置づけなら、仮にエイメリーやトゥイートや私があの当時のアルバムを出せば、どれもグラミー受賞作になると思う。

―日本の音楽メディアであなたのインタヴューが行われるのは、おそらくデビュー・アルバムを出された時以来になると思います。時間も経っているので改めてバイオグラフィ的な部分からお聞きしたいのですが、ご出身はニューオーリンズですよね。

ティードラ:そう。私が育ったアメリカ南部は黒人のバプテスト教会が多い地域で、母はゴスペル・シンガーだった。だからゴスペルの影響は絶大。それとジャズ。ニューオーリンズはジャズの発祥地でもあるでしょ。今も実家があって帰省するんだけど、例えば家でくつろいでいると、誰かがプレイしているサックスとかの音色が外から聞こえてくる。そういった環境は、ここではごく普通のこと。だからゴスペルとジャズ、あとは80年代のR&Bにもすごく影響を受けた。
デビュー・アルバムは子供の頃よく聴いていた80年代のR&B、それとヒップホップの影響が大きいと言える。兄がヒップホップ好きでDJになるのを夢見ていて、部屋にターンテーブルがあったの。だから、そういうジャンルはめちゃめちゃ聴いてた。

―80年代のR&Bで特に好きだったのは?

ティードラ:まず挙げたいのは、一番好きなプロデューサー・チームのジミー・ジャム&テリー・ルイス。彼らに限らず、ミネアポリスの音楽にはすごく影響を受けている。プリンスもそうだし、ずっと後に出たウィー・アー・キング(以前キング名義で活動していた女性トリオ。現在は姉妹デュオとして活動)まで。ミネアポリス・サウンドって、音の立体感や広がりだったり、控えめじゃないコード感が特徴のひとつで、そこから生まれる表現やハーモニーは型にとらわれていなくて、常にジャンルの枠に収まらない境界を超えたサウンドを求めている。アレクサンダー・オニールやシェレールもそうだし、他(ミネアポリス・サウンド以外)ではティーナ・マリーやアンジェラ・ウィンブッシュもよく聴いた。当時の女性ヴォーカリストの歌ってスウィートな声の中に力強さも兼ね備えていて、歌い出しはソフトでスウィートだけど、曲の終わりかけにその秘めたダイナミックさでグッと遠くまで伸びて、力強いトーンで響く。そこからヒントを得て、音をカーブさせるような自分のスタイルが確立されたの。

―ティーンになった頃にニューオーリンズからLAに移住されたのですよね?

ティードラ:そう。
自分をアーティストとして自覚したのは、LAに移ったタイミングだったと思う。私は生まれながらのアーティスト・タイプで、幼い頃からクリエイティヴなことに惹かれていたけど、それに気づいたのは自分でいろんなスポットに行ける年齢になっていたLA移住後だった。子供たちの父親(ラス・キャス)と出会ったのもその頃で、私は14歳だった。彼はラッパーで、私たちの周りにはファッションや美容関係のクリエイティヴな仲間たちで溢れていた。当時、そんな人たちがこぞって集まっていたのが、LA(旧称サウス・セントラル地区)のレイマート・パーク。そこはジャズやゴスペルのほかいろんな音楽が溢れる小さな場所で、私にとっては自分を磨く場所だった。16~17歳くらいだったかな、ラッパーの彼(ラス・キャス)と一緒に行動してて、彼が持ってきたJ・ディラやピート・ロックのビートになんとなくフリースタイルでヴォーカルをのせてみたりしていた。そうして試行錯誤するうちに、ニューオーリンズとLAというふたつの都市で身につけた自分なりの表現やクリエイティヴな才能が開花してアーティストとしてのスタイルが確立されていった。

―ラス・キャスとの出会いについて、もう少しお話ししてもらえますか?

ティードラ:めちゃめちゃ初々しい話よ(笑)。二人とも10代で、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)があるウエストウッドというエリアで出会った。当時私が14歳で、彼は確か16歳。学生が集まるエリアだから私もよく歩いていて、その時に出会った。
友達と話をしていた時に彼の薄い茶色の目が話題になって、実はコンタクトだったって後で知ったんだけど、私はその目の色が本当の色だと思ってて、友達に「あの子見て、かっこよくない?」って言った声が大きかったから本人に聞こえちゃって(笑)。それで彼の方から話しかけてきたことがきっかけで、私の初恋の人になったというわけ。最終的には別れることになったし、子育てに関しても私が主な養育者で、彼は音楽に専念していたから揉めたこともあったけど。

―ラス・キャスとの出会いも含めて、ヒップホップがあなたをアーティストとして成長させたのですね。

ティードラ:ヒップホップに関しては、ニューオーリンズ時代にはどちらかというとニューヨークのヒップホップに影響を受けていた。それからLAに移住した時、ちょうどドクター・ドレーの『The Chronic』(92年)が出たり、スヌープ・ドッグが頭角を現してきた頃だったから、そっち系のサウンドにもすごく影響を受けた。だからその良いとこ取りじゃないけど、東西のヒップホップ両方の洗礼を受けたと言える。不思議だけど、新人アーティストが初めて出すアルバムには、それまでの下積み時代に影響を受けた全ての要素が詰め込まれているものなの。

2000年代R&Bの象徴、ティードラ・モーゼスが語る「Be Your Girl」誕生秘話と濃密な歩み

ティードラ・モーゼス、2004年撮影(Photo by Howard Huang/Contour by Getty Images)

―デビュー前にはスタイリストの仕事をされていて、撮影中に足を骨折したことがシンガーに転向するキッカケになったという話を記憶しています。

ティードラ:スタイリストをしていた親友のアシスタントとして働いていたのよ。当時は子育てをしていたから生活のためにやっていたんだけど、いわゆるデスクワークは自分の性に合わなくて無理だってわかっていたから、自由度があって少しでも表現に関わる職種として選んだのよね。でも、足を骨折した頃にはそろそろ辞めたいなと思っていて……アーティストとして自分のスタイルを確立させたい時期が来ていた。
骨折したことで労災保険を受け取れて、それで家賃を賄えたから、シンガーとしての自分のことを考える余裕もできた。親友の彼女は今でも私のスタイリストをしてくれている。

―シンガーとして目標にしていた人はいますか?

ティードラ:さっき名前を挙げた(80年代の)女性シンガーたちで、あとアニタ・ベイカー。でも、サウンド面も含めて目指していたのは、フェイス・エヴァンスとSWVのココだった。だからすごく研究して、彼女たちの曲に合わせて歌ったりした。ただ、フェイスやココを単に真似るというより、彼女たちの曲に合わせて歌うことでどれだけ正確に声を出せるか、そうして自分の能力を見極めていた。特にフェイスは一語一句、一節ずつ、アドリブに至るまで全てを手本にしていた。というのも、当時自分の声にはパワーがないと感じていたから。フェイスは彼女のデビュー・アルバムを聴くとわかるけど、すごくパワフルな声を持っているのに、どちらかというとソフトなトーンで歌うから当時の私にはぴったりだと思って研究していた。それとカーク・フランクリン&ザ・ファミリーのファースト・アルバム(93年)に収録されている「Silver & Gold」の女性パートも曲に合わせて繰り返し歌った。そうやって独学で歌い方を身につけたのよ。

―ゴスペルといえば、『Complex Simplicity』のラストに登場する「I Think Of You(Shirleys Song)」の前半部分は教会での実況録音のようですが、そこで歌っているのはお母様のシャーリーさんですよね?

ティードラ:そう、前半で賛美歌を歌っているのは私の母。昔の教会ぽいオルガンの音が聞こえる部分。途中で曲の雰囲気がガラッと変わって私の歌になるんだけど、私と母は声のトーンが同じだから(前半の歌は私じゃないって)気づかない人もいる。音域は少し違うんだけどね。私の方が少し高くてソプラノになると思うけど、母はアルトだった。そう、だからあの曲では母が歌っているところに私の声が入ってきて融合するっていう構成。母は綺麗な声をしていた。

―美声はお母様譲りだったのですね。一方でソングライターとしての実績もあります。あなたがアルバム・デビューした2004年にはポール・ポーリーと共作したクリスティーナ・ミリアンの「Dip It Low」がヒットしましたが、他にもニヴェア、ティアラ・マリー、トリーナ、ラファエル・サディーク、メイシー・グレイなど様々なアーティストに曲を書いています。ソングライターとして曲を書く時に心掛けていることを教えてください。

ティードラ:”偽りがない”こと。真面目な話、私は自分自身の体験や考えをもとに曲を書くから、知らないことは書こうとは思わない。何の根拠もなく、ただ思いついたアイデアをもとに「これについて書いてみよう」とはならないの。それゆえに制作という観点から見ると私は二流のソングライターなのよね。曲を書いて人に提供することはできるし、むしろうまい方だと思うけど、機械的にひたすら淡々と曲を作り続けることは私には難しいから。だから、需要はあったけど、ソングライターとして続けることはやめた。曲を書いていて、時には全く何も浮かばない時もあるけど、それでいいの。たまたまその日じゃなかったというだけで、3日後にアイデアが降ってくる時もあれば、一部だけ今日浮かんで残りが降ってくるのが3ヶ月後ってこともある。でも、雇われの身のソングライターは即座に効率的に曲を書かないといけない。そうなると私は時間がかかる。だから”常に正直でありたい”というモットーが仇になる時もあった。

「Be Your Girl」『Complex Simplicity』制作秘話

―ポール・ポーリーと組んで作ったデビュー・アルバム『Complex Simplicity』について、今改めて振り返ってどんな作品だったと感じていますか?

ティードラ:あのアルバムは母が亡くなった直後に作ったという意味で、私の人生においてとても重要な出来事だった。母が他界して翌月にはスタジオ入りして曲を作っていた。それまで音楽制作なんて未経験だったのにね。教会でも歌ったことはなかったし、ジャム・セッションに参加したこともない。ましてやスタジオなんて行ったこともなかった。曲作りなんて、それまで彼氏(ラス・キャス)が持ってきたトラックにのせるフレーズを”なんちゃって”で書く程度で、ひとつの曲を完成させたことなんてなかった。だから全てが初体験のまま私というアーティストが誕生したの。そういう意味であのアルバムはすごく意義深い。自分がひとりの大人の女性になったことを象徴する作品だから。あの頃私は母を亡くして、今度は自分自身が母親になった。これから先の不安を抱えた女の子だった私が強くならなければいけなかったのよね。だからあのアルバムはあの当時の痕跡みたいなもの。

―”複雑にしてシンプル”というタイトルは?

ティードラ:タイトルも当時の自分の人生がテーマになっている。あの頃、「何もかもこんなに複雑なのはおかしい。ただ生きていくだけなのに……こんなに何もうまくいかないって一体どういうこと? なんとかしなきゃ」って思いがずっとあった。そんなある日、ポール・ポーリーがうちに来て、パティオで赤ワインを飲みながらくつろいでたの。それでアルバムのタイトルをどうしようかって話になって、私が「”Simply Complex”とか、文字通りシンプルに”Simply”とかどう?」って言ったの。で、しばらく二人でアイディアを出し合っていたんだけど、彼が帰る時間になったから車まで歩いていったら、いきなりポーリーが「わかった! ”Complex Simplicity”だ!」って思いついたというわけ。”Complex Simplicity”って私の人生の定義なのよ。もっと言えばみんなの人生の定義。思うんだけど、人の人生って社会的に自分たち自身が複雑にしているだけで、本来シンプルなものなんじゃないかって。例えば先住民族の人たちの生活って、そもそもすごくシンプルなものだったでしょ。私たちの生活は余計なことをあれこれ付け足していった結果、複雑になっているんだと思う。だから、あれ以来自分の人生はできるだけシンプルにして、物事も複雑に考えないよう心がけている。

―アルバムにはプロデューサーあるいはゲスト・パフォーマーとして、リル・ジョン、ラファエル・サディーク、ジェイダキッスも参加していましたが、基本的にはポール・ポーリーとあなたのコラボですよね。

ティードラ:そう。ポーリーも私と一緒で頑固だから制作中にはかなり言い争った(笑)。二人とも完璧を目指していたし、互いにヴィジョンがあったから。でも、すごく楽しかった。他にはNe-Yoもスタジオでのセッションに参加してくれた。当時は彼を”シェイファー”(Ne-Yoの本名はシェイファー・スミス)って呼んでいたけど、彼はたくさんの曲のヴォーカル・アレンジでアルバムの制作に尽力してくれた。それらを通じて得た最大の収穫は、いろんなスキルを身につけることができたこと。周りは全員プロで、私だけ素人という状況の中、みんなが私の能力や音感を磨く手助けをしてくれた。フレージングやアレンジメントまで、本当に彼らが手助けしてくれたおかげでプロになることができた。それからは彼らの助言を守って、自分でさらに磨きをかけていった。

―シングル・リリースされた「Be Your Girl」はあなたの代表曲です。ナズの「One On One」(大元のネタはアーマッド・ジャマル「The Awakening」)をサンプリングしたことでも知られていますが、この曲が出来るまでのストーリーを教えてください。

ティードラ:以前この話題になった時に喋りすぎちゃったみたいで、ナズのことを書いた曲っていうのがすっかり有名な話になっちゃった。私が彼の近所で育ったらしいとか、二人はよくつるんでいたとか、付き合っていたとか、事実と違うストーリーが一人歩きしちゃってる(笑)。真実はね、多くの女性たちと同じように、単に彼に夢中だっただけなのよ。当時、彼は世界中の女性を虜にしてたでしょ? そして私はたまたまその頃、アルバムの制作中で「Be Your Girl」を書いていた。当時、私は毎日のように(ナズとDMXが主演の)映画『Belly(邦題:血の銃弾)』(98年)を観ていたんだけど、ある日ソファーに座っていつものように観ていたら、ナズの演じていた役にのめり込んでしまった。ぼーっと観ているうちに、私が夢中になっていたのは彼の役柄ではなくて、ラッパーとしてのナズなわけ。もう夢中なわけよ。ナズが画面に映っているのを観ながら、「今あなたに付き合っている人がいるのか知らないけど、あなたの彼女になりたい(I just want to be your girl)」って思ったのよね(笑)。

―公開ラブレターみたいな感じですね。

ティードラ:実はこの曲のもうひとつのインスピレーションとして、アニタ・ベイカーが歌った曲があって。彼女がまだチャプター・8のリード・シンガーとして活動していた頃の「I Just Wanna Be Your Girl」(79年)がそれで(”I just wanna be your…please let me be your girl”…と歌い始める)、そこからヒントを得て自分がナズの彼女になりたい女の子という設定の曲にしたわけ。若い頃はとにかく恋する乙女だったから(笑)。今でも誰かに夢中になると16歳の女子みたいになっちゃうから、本質は変わってないかもしれない。私の性格上、それぐらい相手のことを想えないと付き合うまでいかないの。とにかく好きな人話してるとフニャフニャなっちゃうのよね。ちなみに、サンプリングしたのがナズの「One On One」だったのはまったくの偶然で、私のアイデアじゃないの。曲としてはもちろん知っていたけど、それを念頭に書いたわけじゃなくて、たまたまそうなっただけ。

ケイトラナダなど後進からの再評価

―「Be Your Girl」は2010年に入ってケイトラナダがリミックス(公式音源としては2018年にリリース)したことで再び人気になりました。彼のDJセットでもひときわ大きな歓声が上がりますが、あのリミックスについてはどう思いましたか?

ティードラ:ケイトラナダは、めちゃめちゃ仲がいい友達。今一番好きなプロデューサーかもしれない。とにかく(ミックスにおける)レンジが広いし、なんだってプロデュースできる。コードの選び方もドンピシャで、聴いたら歌いたくなる仕上がりなのよね。彼のリミックスには完全に圧倒された。まるで全然違う曲だったから。オリジナルが良くなかったという意味ではなくて、私の曲を違う解釈で仕上げてくれた。あのリミックスで、ケイトラナダは私のアートを若い世代だけじゃなくて、ジャンルを跨いで広めてくれた。すごいことだと思う。彼にはあれからまた新しいプロジェクトに参加してもらったり、一緒に作った曲もある。

―『Complex Simplicity』は2019年に15周年版が出て、2025年には前年の20周年の流れで『Complex Simplicity (Reimagined)』という再構築アルバムが出されました。後者ではジャック・ピエールが中心となってリイマジンドされましたが、曲を再構築するにあたってどういうことを意識しましたか?

ティードラ:当時の自分のチームとともに昔からのファンに戻って来てもらうための新しいプロジェクトの一環で、最初はどこをどう変えるとかまでは気にしていなかったけど、とにかく失敗だけはできないって思っていた。オリジナルの曲がみんなに愛されているわけだから、新しいからといってクオリティを下げる要素を加えることだけは避けたかった。オリジナルの要素とヴォーカルとの見事な融合といった感じで、しっかりマッチさせないと意味がない。最終的には現在の自分、もう25歳の女の子ではない自分の視点から見た作品にしたいと思った。あれからずいぶん成長して、あの頃の苦しみや戸惑いから解放された今の立場で改めて曲を振り返って再構築する。聴いてもらえばそれがわかると思う。しっかりとまとまりがあって、音楽的にも豊かな作品。ジャックと一緒にそれが実現できたと思っている。

―『Complex Simplicity (Reimagined)』はゲストも豪華です。同郷のドーン・リチャードから、エステル、デュランド・バーナー、シオ・クローカー、ローズ・ゴールド、アブ・ソウルなど、彼らがどういう経緯で参加したのか教えてください。

ティードラ:参加してくれたゲストはみんな友達だから、すんなり進んだ。私は彼らの大ファンでもある。ドーン・リチャードはダニティ・ケインでの活躍が知られているけど、ソロとしての彼女は本当に才能に溢れていて、ジャンルの垣根を超えられるアーティスト。ソウルフルに歌ったと思ったら、EDM寄りの曲もこなしてしまう。だから彼女と組むのは楽しかった。このアルバム(再構築版)にフレッシュで新しいアイディアをもたらしてくれた。アブ・ソウルは素晴らしいラッパーで、息子たちにオススメしたほど。息子たちは今はケンドリック・ラマーのファンだけど、以前はアブ・ソウル推しだったのよ。ジャズ界からのシオ・クローカーやジェラルド・クレイトンも一緒に仕事をする仲間だから自然な流れだった。あと、ローズ・ゴールドとデュランド(・バーナー)もそう。エステルは業界でもすごく仲の良い友達のひとり。仕事を離れても友達だからコラボは即決だった。彼女のサウンドはインターナショナルで、アーティストとしても大好き。

―再構築アルバムでハウス・ヴァージョンになっている表題曲「Complex Simplicity」は、2024年にデュランド・バーナーを迎えてシングル・リリースした20周年ヴァージョンがもとになっていると思うのですが、デュランドの起用は友達であること以外にどんな理由があったのでしょう?

ティードラ:デュランド・バーナーとはね、かなり長い付き合いになる(笑)。知り合う前、彼はよくいろんなシンガーのカヴァーをやっていたんだけど、そこでは、例えば私の曲なら「Be Your Girl」みたいにヒットした曲じゃなくて、ミックステープに入ってる誰も知らないようなレアな曲をあえて選んでるわけ。それを聴いた時、「私の曲を私よりうまく歌っているこの人って一体誰?」って気になったから調べたの。そして彼を見つけて、その才能に圧倒された。それがきっかけで友達になった。デュランド・バーナーというアーティストはとても珍しい存在。ディアンジェロやプリンスって「あんなアーティストは二度と出てこない」って言われてたけど、彼もそれぐらい唯一無二の存在。 彼に影響を受けたっていう人は今後も現れるだろうけど、デュランドは今活躍している中でも最高のアーティストのひとりだと言っても過言ではない。

―同感です!

ティードラ:ライヴも本当にすごい。アーティストにはいろいろなタイプがいて、例えば(録音されたもので知られる)レコーディング・アーティストでライヴをやらない人がいれば、その逆もいるし、両方をこなすアーティストもいる。ステージやスタジオを一歩出ると全く人間味がないっていう人もいる。それで言うとデュランド・バーナーはロックスターというか、生まれながらのスター。付き合いの長い私が言うから間違いないけど、今注目されているからあんな感じなんじゃなくて、昔から全然変わらない。アーティストやパフォーマーとしてだけではなく、ひとりの人間として刺激やインスピレーションを与えてくれる存在。私に限らず多くのインディーズのアーティストたち、そして音楽に関わりがない人たちにも刺激を与えてくれる。様々なプロジェクトに向けて努力や準備に余念がない姿もずっと見てきたし、友人としてもアーティストとしても尊敬している。

デュランド・バーナーによるティードラ・モーゼス「R U 4Real」のカヴァー

―あなたのTiny Desk Concertにもバック・ヴォーカルで参加していましたよね。

ティードラ:彼は以前も私のライヴのオープニング・アクトやバック・ヴォーカルをしてくれたことがあって。Tiny Desk Concertの時は、さすがにもうビッグな存在だからバック・ヴォーカルとして頼むつもりはなかった。そこで共通の友人にバック・ヴォーカルを依頼したら、その彼女から「私がコーラスをやることをデュランドに話したら、なんで自分には頼んでくれなかったんだ…って、彼めちゃめちゃ傷ついてたわよ」って言われて。彼は今でもエリカ(・バドゥ)のコーラスを務めているけど、とにかく友達と共演することを何より楽しんでいる。だからあの時も来てくれて、それもバック・ヴォーカルにとどまらずクリエイティヴな部分でも指揮をとってくれた。選曲からアレンジ、さらには衣装まで考えてくれたのよ。「君は赤いドレスを着なよ。それで僕たちが黒で統一すればアルバムのジャケットとマッチするから」って。彼は本当の友達として参加して手助けして、純粋に私が生き生きと歌っている姿を見たいと思ってくれた。だから私にとっても彼の成功や幸せは自分のことのように嬉しい。昨日、初めてグラミー賞を勝ち取ったわね(筆者註:取材日は日本時間の2月3日朝)。あれは当然の勝利。今回の受賞で脚光を浴びたことで彼の存在を知った人も多いけど、彼は私と同じぐらい長いキャリアがあって、今日まで弛まず努力をし続けてきたんだから。

―グラミー賞ではアルバム『Bloom』(2025年)が「最優秀プログレッシブR&Bアルバム」を獲得しました。

ティードラ:正しい評価がなされたということに尽きる。レコーディング・アカデミーは時々納得できない評価をするけど、今回は正しい判断だったと思う。去年はノミネートだけで受賞は逃したでしょ。いつかは獲ると思っていたけど、私はなんとなく今年だろうなって思っていた。グラミーって正しく評価されなかったアーティストを翌年にちゃんと評価することがあるから。あのアルバム(『Bloom』)に関しては、彼が作品のテーマを異性や同性の恋愛に限らず、友達を大切にするという愛も含めたものにするために徹底的にアイデアを練っていた。リリースに至るまですごく努力を重ねていた姿を目の当たりにしていたから本当に感慨深い。そういう(広い意味での)愛もいいなって気づきもあったし。その間にツアーも含めて常に活動をし続けていたから、今回の受賞は紛れもなく努力の賜物だと思う。
で、授賞式で私が最高だと思った瞬間は、あの賞の受け取り方!(笑)まさにデュランドらしい受け取り方で、あの子ったら、ステージ上で床に寝っ転がって足を宙に向かってバタバタさせてたのよ!(笑)そういう人なのよ。ありのままに自分らしくあることを体現している人間の姿を目の当たりにした。彼の自分らしさは常に世間に受け入れられるものではないけど、彼はそんなこと気にしない。ああやって自信を持っていられることは、そうやって彼を育てたご両親のおかげだと思う。彼には家族や友達によるサポート・システムが備わっている。今回の受賞は本人だけでなく、我々みんなにとっても素晴らしい出来事だったと思う。

その後の動き、息子たちへの想い

―デュランドの話でここまで盛り上がるとは(笑)。あなたの話に戻すと、『Complex Simplicity』の後は、先にお話もあったようにミックステープのリリースが続きましたね。これらは通常のアルバムと、どう差別化を図っていたのですか?

ティードラ:これまでに出したミックステープは最終的には全部”アルバム”としてリリースされている。ただ、全曲オリジナルなのは、確か最初のミックステープだけだった気がする。初期には曲はたくさん作っていたけど、ミックスやマスタリング、そしてマーケティングっていう、ちゃんとしたリリースの行程を踏むための資金がなかった。だから録ったままの状態でミックステープとして出すしかなかった。ミックステープとオリジナル・アルバムの違いは一言で言えば予算。私は他のアーティストほど曲を出していないけどライヴ活動が中心で、それを続けていくにはファンが楽しみにしてくれるものを提供する必要がある。だから小規模のコンピレーション(ミックステープ)を出した。

―ミックステープを出していた時にリック・ロスとも出会ってますよね。彼は「俺のアニタ・ベイカー」と言うほどあなたの音楽が好きで、自分のレーベル(Maybach Music)にあなたを迎えようとしたものの正式には契約に至らなかったようですが。

ティードラ:そう、契約はしていなかった。私は他にたくさんいたラッパーやプロデューサーたちで構成されていたチームの一員みたいな立場で、リック・ロスの曲や彼らのコンピレーションにヴォーカリストとして関わっていた。だから法的に拘束されていたわけではなかった。その後はお互いにそれぞれのプロジェクトに従事することになったというだけで、何か問題があったわけではないの。一緒にプロジェクトをやった時期があって、その後はフェードアウトしていったというだけ。ワーレイやミーク・ミルなんかも同じような関わり方をしていて、他のアーティストはわからないけど、私は今でも良い関係を保っている。

リック・ロスとの共演ライヴ映像

―『Complex Simplicity』に続くオリジナル・アルバムとしては、それから11年後の2015年にシャナキーから出した『Cognac & Conversation』があります。ゲストにリック・ロスやアンソニー・ハミルトンらが参加していましたが、このアルバムではどんなことを目指したのでしょう?

ティードラ:『Complex Simplicity』と比べると、もっと分散した方法で出来上がった。前作ではプロデューサーを務めたポール・ポーリーのアイデアから始まって、後に新たにプロデューサーが二人加わったというプロセスだったけど、『Cognac & Conversation』は、私自身とタミア・シェネルの主導で進んでいった。二人がエクゼクティブ・プロデューサーという形で、進め方としてはミックステープみたいなプロセス。何もないところから曲作りをするのではなくて、既存の音源から引っ張ってきて、話し合いながらそれをもとにサウンドを作っていくという感じ。すでに持っている音源をベースに、私が伝えたいストーリーの背景とか歌うスタイルとかを考察して完成させたプロジェクトが『Cognac & Conversation』だった。

―タイトルの意味は?

ティードラ:このタイトルにした理由は、自分自身が(前作から時を経て)セクシーな大人の女性になっていたから。いろんなことに怯えていた少女ではなくて、成熟した大人として自分を受け入れた自信を持った女性。大人ぶったセクシーなふりなんてする必要はなくて、正真正銘の色気を持ったセクシーな女性。だからタイトルも含めて、それにふさわしい大人向けのセクシーなサウンドにしたかったの。そのためにはアンソニー・ハミルトンは不可欠な存在だった。二人でやった曲は、私のスタイルでも彼のスタイルでもないという意味で少しユニークな曲だと思う。当初あの曲は別のトラックに歌をのせていて、みんなでどう仕上げればいいか、そのまま使うのか試行錯誤していたんだけど、どうもしっくりこなかった。それで友達のビンクに相談をしたの。ビンクはビギーやジェイ・Zをはじめ大物アーティストをたくさん手がけているヒップホップのプロデューサー。既に録っていた自分たちのヴォーカルを彼がプロデュースし直してくれた。

―「Only U」にはニューオーリンズの女性ラッパー、3D Na'Teeが参加しています。

ティードラ:3D Na'Teeは地元つながり。あの頃からニューオーリンズに戻ることが増えて、毎日のように地元の新しいアーティストに出会っていたんだけど、彼女もそのうちのひとり。色っぽさを持った大人の女性で、アルバムは大人になったセンシュアルな私自身に焦点を当てた作品だったからピッタリだって思った。デビュー・アルバムの時は実生活に追われていたから、女性として自分の色気みたいなものにはあまり向き合ってなかった。その点、『Complex Simplicity』はカクテル片手にする大人の会話とか大切な人と愛を交わすひとときがテーマになっている。

―『Cognac & Conversation』では楽曲のパブリッシャーとして息子さんたちの名前(Ras & Taj)もクレジットされています。

ティードラ:息子たちの名前が楽曲のパブリッシャーに載っているのは、私の出版会社がRas & Taj Musicっていう名前だから。二人はあのプロジェクトに関わっていないけど、社名の由来は、そもそも私はあの子たちを育てるために音楽を作ってきたし、将来私がいなくなってから遺産として彼らや孫たちに残したいと思ったから。

―息子さんたちはあなたの作品にもたびたび参加していて、『Complex Simplicity』の15周年版では親子3代の擬似共演となった”I Think Of You(3 Generations)”にも参加していました。そして、現在はコースト・コントラのメンバーとしても活躍中です。

ティードラ:これは身内だから言ってるんじゃなくて、彼らはヒップホップ本来のあり方やその起源に恥じないスタイルで活動している最高のグループのひとつだと思う。全ての面で申し分のないグループよ。ベテランのラッパーや業界のトップ・アーティストたちと会うとみんなそう言ってくれるから、これは本当に私の偏った意見ではないはず。素直にとても誇らしい。今はそれほど共演する機会は多くないけど、グループを始めた頃は私のツアーに同行してイギリスとかに行った。私のオープニング・アクトをしてくれたりね。そうやって経験を重ねていくことで腕を上げて、正式にグループとして活動するに至ったの。

これは私の口から言うべきことじゃないけど、コースト・コントラは今すごいプロジェクトに取り掛かっている。有名なヒップホップのプロデューサーも何人か参加するし、めちゃめちゃクールなプロジェクト。私も今からワクワクしている。彼らはライヴも最高なのよ。あのレベルやクオリティーの高さで活動している姿は見ていて感無量。母親として今の二人の姿がとても誇らしい。彼らがまだ小さい時、私は収入が不安定なキャリアを選択したから、十分に食べさせるお金がない時もあった。そんな幼少期を過ごした子は親に対して恨みを持ったりするけど、あの子たちはそんな気持ちはないって言ってくれた。反対に、奮闘する私の背中を見て多くを学んだって言ってくれたのは心から嬉しく思っている。

この投稿をInstagramで見るTeedra Moses(@teedramoses)がシェアした投稿ティードラと双子の息子、コースト・コントラ(2025年撮影)

―女性に”たくましい”という言葉を使うのが適切なのかどうかわかりませんが、そういえばあなたには〈Lioness of R&B〉(R&Bの雌ライオン)という愛称がついていますよね。

ティードラ:さっきナズやDMXが出ている映画『Belly』を観ていたと話したけど、それ以外でソファーでくつろぎながら観る番組は「アニマル・プラネット」だった。当時の私は若い母親で、家には姪や兄、年下の従兄弟も同居してたけど、お金は全部私が工面していた。誰にも頼らず私ひとりで。で、ある日「アニマル・プラネット」を観てふと気がついたの。群れの中で狩りに出て獲物を捕らえるのは雌ライオンだけで、雄は何か問題が起きるまでダラっと寝そべって何もしないわけ。その様子を観て、「これって私じゃん」って思ったの。しかも、その時画面に映っていた雌ライオンは雄ライオンに対してイラッとしてるように見えた。もちろん自然界ではそれが雌の役割として当たり前なんだとは思うけど、私には彼女がすごくイラついているのがわかった。その時に私は、この家族(群れ)の中の雌ライオンなんだって。働きに出て稼ぎがあるのは私。電気代を払ってなくてこのままだと切られるという状況になっても誰もそんなお金持っていない。家賃滞納で追い出される状況になっても解決するのは私。そんな毎日だった。若い女性にとっては抱えきれないほどの責任を担っていたから、そんな自分を”若い雌ライオン”って呼んでたの。それから大人になって”若い”が取れたというわけ。今振り返ると当時はただの重荷でしかなかったけど、自分に誇りを持っている。星座では獅子座が雌ライオンって言われてて、私は射手座だけど、私は実際に人生の中で自らの手で対処しなければいけない場面をくぐり抜けてきたから、自分自身では雌ライオンだと思っている。

―息子さんたちの父親であるラス・キャスとは別れましたが、シンガーとしてのあなたは、彼がジャック・スプラッシュと組んだセミ・ヘンドリックスのアルバム『Breakfast At Banksy's』(2015年)などで共演していましたよね。

ティードラ:そう。ジャック・スプラッシュが私たち二人に声をかけてくれて一緒に曲(「Heartbreak」)を作ることになったの。それぞれ個別ではジャックと組んだことがあったけど、誘われなければ一緒にやるなんて私も彼も思いつかなかった。今は普通の関係。残念なことに昨年4月に彼のお母さんが亡くなったんだけど、辛い時期は協力して乗り越えたわ。ガンで亡くなる直前まで交代でオークランドまで会いに行ったり。それがあったから通常より彼と連絡を取ることは多かった。まあ、めちゃめちゃ仲がいいというわけではないにせよ、お互いに必要な時には連絡が取れる関係ではある(笑)

LAジャズとの接点、次作と来日公演の展望

―以前あなたはテラス・マーティンのアルバム『3ChordFold Pulse』(2014年)に参加したり、息子さんたちはカマシ・ワシントンと共演していましたが、LAのジャズ・シーンとは関係があったりしますか?

ティードラ:今、LAのジャズ・シーンで活躍しているアーティストの多くは、以前はプロデューサーだったり、中にはラッパーだった子たちもいて、彼らとはその頃から付き合いがある。私はLAからマイアミに移住してもう17年になるけど、ちょうど私がLAを離れた頃にLAのジャズ・シーンが盛り上がりを見せ始めていた。既に離れていたから当時のことは具体的にはわからないけど、その流れで若い新人のアーティストたちが次々に誕生して、今では本格的なジャズ・シーンになった。いろんな楽器を演奏する若いアーティストたちが新しいスタイルのジャズを創っていて、黒人の子供たちにも親しみやすいものにしている。だから、私自身LAのジャズ・シーンをここまでのものに築き上げた人たちとは繋がりはあるけど、シーンが上向きになった頃にはここにいなかったから、そのカルチャーについて詳しいとは言えない。でも、すごくいいと思うし、LAが地元で今でもここで活動している息子たちがその一員なのはすごくクールだと思う。

―同じニューオーリンズ出身のPJモートンがルイジアナ州ボガルーサにある伝説的なスタジオ「Studio In The Country」を買収して新しいプロジェクトに取り組んでいますが、ラッパーのラ・リージー、ゴスペル・シンガーのダーレル・ウォールズ(ウォールズ・グループのメンバー)に続くプロジェクトの第3弾として、あなたのアルバムが出されるという記事を見ました。

ティードラ:PJとはいつか一緒にプロジェクトをやろうって言いながら何年も実現せずにいたんだけど、去年彼に説得されて「わかった、やろう」ってことになった。『Complex Simplicity (Reimagined)』の制作とそのツアーの準備も終わって、次のプロジェクトを考えないといけないと思っていたタイミングだった。アルバムの制作はすでにスタートしていて「Studio In The Country」にも行ったけど、最高のスタジオよ。お互いニューオーリンズ出身だから故郷に戻ったみたいな居心地のよさで。PJも私と一緒でゴスペルを聴いて育ったし、どっぷりR&Bの影響も受けている。ヒップホップに関しては私の方が影響を受けてるけど、同じ時代のアーティストはみんな少なからず身体に染み込んでるもの。実は今朝、彼と電話で話したんだけど、お互い忙しいから思うように予定を空けて取り組めなくてね。だから早いうちにスタジオ入りして完成させないといけないねって。そんな感じだから今のところじっくり集中して取り組めていないけど、私はツアーが控えているから今から2ヶ月以内には完成させないといけないって話をした。

―楽しみです。どんな内容になるか、話せる範囲で話してください。

ティードラ:アルバムのタイトルは『Grown Woman Realness』。この年齢(49歳)になった今現在の私にとっての愛、人生、安らぎといったことをテーマにしているんだけど、込めたメッセージにぴったりな曲を厳選したから全部で7曲だけなの。でも、最高のプロジェクトになるはずだから、出来上がるのが今からすごく楽しみ。音楽的にはみんなが想像しているのとはちょっと違って、私たちは二人とも自分のスタイルがあるけど、今回はそれらの最新版という感じ。シングル曲のアイディアは固まっていて、その曲はほぼ完成している。ただ、もしかしたら変更もあり得るから今は言わないでおく(笑)。とにかくめちゃめちゃ楽しみ。『Grown Woman Realness』のRealnessは、よくブラック・ゲイ・カルチャーなんかで使われる言葉だけど、リアルな姿は何なのかを示すタグみたいなニュアンス。だから、ここでは大人の女のリアルを示しているみたいな感じね。

―では最後に。Tiny Desk Concert やA COLORS SHOWでのパフォーマンス動画も評判ですが、今回の来日公演はどんな感じになりそうですか?

日本公演は今回が初めてだから、日本のファンに普段私がやっているライヴを存分に楽しんでもらえるよう、細部までこだわりたいと思っている。私の曲ってアルバムで聴くとすごくソフトで繊細な印象だと思うんだけど、ライヴは全然違うのよ。かなり激しめで情熱的。ニューオーリンズ特有の腰を動かす踊り(トゥワーク)だったり、ダンスも取り入れてる。音楽的には『Complex Simplicity』の20周年を記念した内容のライヴはひと通り終わったから、それ以外の曲も取り入れたセットにしようと思っている。もちろん『Complex Simplicity』からもたくさんやる。あと、次の(PJモートンとの)アルバムのファースト・シングルも歌う予定。たぶん今回の東京でのライヴが新曲の世界初公開になると思う。

バンドはTiny Desk Concertに出ていたメンバーが私のレギュラー・バンドで、彼らを連れていく予定。他のアーティストとツアーに出ていて予定が合わない人もいるけど、今みんなで日本のファンが肌で感じてくれるライヴになるようプランを練っているところ。私のライヴはヒップホップとソウル、ジャズ、ゴスペルが融合したもの。まさにこれまで自分が影響を受けてきた音楽の要素が詰まった内容ね。

ティードラ・モーゼス来日公演
2026年4月1日(水)・2日(木)ビルボードライブ東京
1stステージ OPEN 16:30 / START 17:30
2ndステージ OPEN 19:30 / START 20:30
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チケット:
DXシート Duo 24,000円 (ペア販売)
Duoシート 22,900円 (ペア販売)
DXシートカウンター 12,000円
S指定席 10,900円
R指定席 9,800円
カジュアルシート 9,300円(1ドリンク付)
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