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「Maze=迷路」、「Zeal=情熱」、「Mazel=幸福」の意味を持つ「MAZZEL」のメンバーがグループに加入するまで、どんな人生の「迷路」を辿り、どんな「情熱」を燃やし、そして今どんな「幸福」を感じながら世の中に何を伝えたいと思っているのかを、これまでのソロインタビューでも探ってきた。NAOYAは12歳の頃から他の芸能事務所にてデビューを目指し、その後も韓国でデビューのチャンスを掴むが自ら断るなど、MAZZELのオーディションと出会うまで「迷路」にいた。その中では自信がどん底にまで落ちる瞬間もあったが、それでもNAOYAは、自分を信じ続けることをやめなかった。誰かの痛みも華麗な笑顔へと変える力を持つNAOYAらしさは、どのように培われたものなのか――そんなことまで知ることのできる、NAOYAが歩んできた人生について聞かせてもらった。
―みなさんに幼少期のことから聞いているのですが、NAOYAさんはいつ頃から歌やダンスが好きでしたか?
3歳の時に、2個上の友達に誘われてダンス発表会を見に行ったことがきっかけで、自分も踊るようになりました。歌もその頃からずっと好きで、ずっと歌ってました。浜崎あゆみさん、大塚愛さんとかがすごく好きで。テーブルの上をステージにして、浜崎あゆみさんのマネをして扇子とかを持って歌って踊ったりしてました(笑)。
―レッスンに通うようになったのは?
小3の頃に近所の人から教えてもらって、昭和のポップス歌謡を歌うグループにちょっとだけ入ってました。「黒ネコのタンゴ」とかを歌ってましたよ(笑)。チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」とかも歌っていて、それをいかして事務所のオーディションを受けたので、すべて繋がっているとは思います。
―いつから「世界を目指したい」という気持ちが大きかったですか?
中学3年生くらいから本格的に東京にも行くようになって(NAOYAは兵庫県出身)、音楽活動というものをちゃんとやる中で、自分がやりたいのはアイドルというよりも、しっかり音楽で世界を目指せるアーティストだと思うようになりました。
MAZZEL加入前の7年間
―MAZZELに入る前、12歳の頃から事務所に所属していた7年間は、NAOYAさんにとってどんな期間でしたか。
楽しかったけど、めちゃくちゃつらい時期だったかなと思います。友達にはすごく恵まれて、そこでできた友達とは今でもずっと仲良しなので、そういった面では経験してよかったなと思うんですけど。鋭い言葉を刺されることもあったので、「経験してよかったけど、経験したくもなかったな」と思います。最後、辞める頃は、自分の実力にも魅力にもまったく自信がない状態でした。
―7年間もデビューを目指して頑張ってきた中で、「もう少しでデビューできるんじゃないか」という可能性もすべて捨て切って退所することは、当時のNAOYAさんにとってかなり勇気の要るデカい決断だったのでは?
めちゃくちゃデカかったです。まだそこで頑張ってみることも考えたんですけど、やっぱり絶対に世界へ行きたかったので決断しました。自信をなくしてはいたものの、「自分は行ける」と、心のどこかで信じていたのだと思います。
―自分の魅力を否定されて悔しいだけじゃなくて、きっと他にもいろんな感情が渦巻いていたんでしょうね。
そうですね。嫉妬の怖さを学んだというか、「芸能界ってこういうところなんや」と思うこともたくさんありました。
―周りから何を言われても、自分が自分を信じてあげることをやめなかったんですね。
ああ、本当にそうですね、そういうことです。「自分で思ってるよりも、人から見たら自分には実力がないんや」と思っていたので、辞めてからはダンスを一から学び直そうと思って、小学生のダンスレッスンに大学生の僕が参加したりしてました。めっちゃ恥ずかしかったですよ(笑)。歌も、毎日のようにカラオケに行ったり、YouTubeを見たりオンラインでレッスンを受けたり。家も改造してダンス部屋を作ったり、棚をボーカルレッスン調にしたり……色々やってました。事務所を辞めることは親から反対されていたので、「全部自分のお金でやるから」と言って、その時にかかったお金は全部自分で負担してました。
―大学にも通われていたんですよね?
はい、大学も通ってました。経営学部で、簿記の資格も取りました。将来、自分が学んだことや自分が経験したつらいことを踏まえて、会社を設立したり誰かをプロデュースしたり、自分が昔やりたかったことをやろうという人生設計があって、そのために経営を学んでおこうと思って入りました。
―それはもう日高さん(SKY-HI。MAZZELが所属するBMSGの代表取締役CEO&プロデューサー)じゃないですか。同じようなことを、日高さんと出会う前から考えていたんですね。
そうですね。いつかはプロデュースとかをしたいと、今も思っています。
―今も大学は通われているんですか?
2年生に上がる時に休学しました。めちゃくちゃ頑張って入ったので、ここで辞めたらもったいないなと思って。芸能活動をさせたいという親ではなく、自分がやりたくてずっとやっていたので、ちゃんと一人の人間として親を安心させてあげたいという気持ちがあって、ちゃんといい大学に入ることはマストとして決めていたんですよね。大学に入ってから自分が一番やりたい芸能活動を目指そうと思って、受験勉強は死ぬほど頑張ってました。自分の気持ちとしては絶対にこの夢を追い続けるけど、芸能界の仕事には波があることもわかっているので、安心材料にもなればいいかなと思って一応休学という形を取っています。
―世界を目指すために事務所を辞めて、親を安心させるためにも大学に入って……入学後には、韓国の事務所からデビューに向けて一段ずつ階段を上がっていましたよね。
そうです。
―2022年に開催されたNizi Projectのオーディションも受けられてましたよね?
そうなんです。あの時は本当に、韓国の事務所しか目指してない時期でした。
『MISSIONx2』を受けた理由
―それくらい念願だった韓国事務所からデビューを捨ててまでMAZZELのオーディション『MISSIONx2』を受けたのは、どういった想いからだったのでしょう。
その時は「韓国でしか世界を目指せない」「世界を目指すのなら韓国」という固定観念を持っていたんですけど、BMSGという会社を知ってからは諦めきれなくて。長年目指していた夢が叶う瞬間を捨ててまた一からオーディションを受け直しても、受かるかどうかわからないじゃないですか。だから何回もBMSGのことは忘れようとしたんですけど、絶対に後悔するなと思ってオーディションを受けました。選考で社長に会った瞬間、「もうここしか無理やな」って直感的に感じました。
―ここまでの話を聞くと、MAZZELに入ってから、BMSGの「才能を殺さない」「自分らしく才能を開花させる」といったビジョンに救われた部分が大きいのだろうなと感じたんですけど、オーディションを受ける時や実際に日高さんと出会った時、どういうところに強烈に惹かれたのだと思いますか。
やっぱり日本人なので日本でも深く愛されたい、有名になりたいという気持ちもありましたし、BMSGの音楽性にも惹かれました。過去には一人の人間として見られてないような扱いも受けたので、一人ひとりの人生を背負ってくれるところや、「Be My Self」という言葉に惹かれたところも大きかったです。
―「日本でデビューしたくない」というのは、K-POPアーティストへの憧れだけじゃなくて、言葉を選ばずにいうと、日本の芸能界の在り方とは違う環境に行きたい、という想いからくるものでもありました?
はい、本当にそんな感じでした。
―「もうこれしかない」という想いで受けた『MISSIONx2』の審査中は、どういう気持ちでした?
最初は、絶対にデビューしたいという強い気持ちでいたんですけど、周りのみんなが、オーディションの最中から仲間意識がすごくて。誰も蹴落としたくないし、全員でデビューしたい、という気持ちでした。人と高め合っていく環境がめちゃくちゃ楽しくて。
―嫉妬が渦巻く環境ではなく、誰かを蹴落としたり誰かの自由を奪ったりするのではない形で高みを目指せるはずだという、NAOYAさんの理想が肯定されたというか。
それこそが自分の求めていた環境で、オーディション中も「絶対にここや」ってずっと思ってました。もちろん「デビューしたい」という気持ちもありましたけど、オーディション中に練習できる時間はとにかく「楽しい」という気持ちでした。今も嫉妬とかそういうものはまったくなく、みんなで自由に、何より楽しく音楽を作る環境が、自分には合っているなと思います。
―今振り返ると、二次審査で前髪をハートにして出ていったのは、どういう気持ちの表れだったと思いますか。
あれはキャラ作りとかではなくて、毎日あの髪型で大学に通ってたくらい、自分の中でおしゃれやと思ってたんですよ! でもあの時は気合いが入りすぎて、内に巻きすぎて、ただの内巻きがハートになっちゃって(笑)。
―あ、ただの内巻きを、あの場で咄嗟に「ハートを演出した」って上手いこと言ったってこと?
そう、上手いこと言ったんです!(笑) ただの内巻きで、踊るから髪をかためておこうと思ったら、かためすぎておでこにこべりついてたんですよ。それで「内側に入ってるね」って言われたから「ハートを演出してます」って言ってみたらウケました(笑)。
―(笑)。認めてくれる人や自分の才能を見つけてくれる人を探しにいこうと決めて、人生の迷路を歩いていた中で、最終審査を終えてMAZZELのメンバーに選ばれた瞬間は……どういう気持ちでしたか。
デビューメンバーに選ばれた時、社長から「よく今まで世の中に見つからないでいてくれた(何なら間違った世の中に自分が感謝したいくらいの気持ちです)」という言葉をいただいたんですけど、それまで大人に認められずに自信をなくしていた分、「自分でいいと思っていた魅力を認めてくれる人がおったんや」「あの時の自分は間違ってなかったや」と思えました。夢を目指し始めてから、表に出る機会もあったけど、誰も認めてくれなかった時代のことも言ってくれているような気がして。その上で認めてくれている気がしたので、すごく嬉しかったです。
―実際にMAZZELに入って自分の個性を認めてもらえて、楽しく音楽と向き合えるようになって、自分のどういった魅力が開花した実感がありますか。
本当に「素の自分」を出せるようになりました。前は人気投票とかもあったのでファンを多くつけたいという気持ちで、普段の自分とは違う表現をしたり、やりたくない髪型をやったりもしていたんですけど、今は「自分はこういう人です」ということを表現したいという気持ちに変わりました。だから今は髪型とかも全部自分がやりたいことをやってます。
―「こうすればファンが増えそう」とか、媚びる行動を取るのではなく、自分の内側にある個性をどうすれば魅力として発揮できるかにフォーカスするようになった、ということですよね。
そうですね、そっちに全振りしてますね。過去の自分の動画とかを見たら、「うわあ、頑張ってるなあ」って思うことがあるんですけど(笑)。
―無理してるという意味で。
最近の自分を見ると、友達と話してる時と変わらないなと思います。素を出して、それを好きと言ってくれる人がいることが本当に嬉しいです。社長がそういう環境を作ってくれているからこそできていることなので、とても感謝しています。
パフォーマンス面での役割、アーティストとして描く理想像
―MAZZELとしてステージでパフォーマンスする中で、自分はどういう役割を担いたいと思っていますか。
声がハスキーで特徴的なので、ちょっと場面を変えたい時とかにいきるのかなと思ってます。あとはジャズダンスも習っていたので、手先まで踊ることや繊細な動きも得意です。「今回はかわいいコンセプトなんだ」「ちょっとダークなコンセプトなんだ」とか、僕を見たらわかってもらえるような立ち位置になりたいと思ってます。
―曲の世界観を象徴する存在も担えるし、場面の変化を見せたいシーンでも輝ける。NAOYAさんはそういう存在ですよね。自分の中で、MAZZELに入ってから一番のターニングポイントはどこでしたか?
デビューショーケース(2023年6月1日『MAZZEL DEBUT SHOWCASE ”Vivid”』)です。それまでは数字や画面に映るコメントでしかMUZE(ファンの呼称)の応援を確認できなかったので、どうやったら喜んでもらえるのかも正直わからないまま、求められているであろう姿になろうとしていたんですけど、デビューショーケースでMUZEを生で見てすごく安心しました。そこから自分の素を出していいと思えるようになりましたし、ダンスの練習をする時とかも受け取る側のことを想像できるようになったと思います。実際に顔を見たことで、MUZEのありがたさを強く感じたし、みんなに幸せになってほしいって改めて思いました。
―愛されるために無理して頑張る自分でなくても、素の自分が受け入れてもらえるんだとわかった瞬間だったんですね。
はい、わかりました。『MISSIONx2』は、どこにでもカメラがあって、正直恥ずかしい姿とかも出てるくらい、みんなの素が映し出されているんです。それを受け入れてもらえた上で、自分が見たことないくらいの数のファンの方がここにいてくれたので、すごく安心感を得たんだと思います。
―今、NAOYAさんにとってMAZZELはどんな居場所になっているといえますか。
「(MAZZELが)なかった時の自分、どないしとったっけ?」と思うくらい必要不可欠です。何があったとしても、絶対にこの8人は崩れない自信もあります。人間なので僕も誰かも間違えることだってあると思うんですけど、そういう時は反省して、みんなでもっとよりよい8人になっていきたいなと思います。どんなことも許せるし、どんなところも認めて高め合っていける存在です。だから、家族みたいな存在ですかね。自分では気づいてない自分の魅力にMAZZELやMUZEから気づかせてもらえるタイミングが多いので、とてもありがたいなと思ってます。
―小学生の頃から夢を目指す中で「迷路」を辿ってきて、「情熱」と自信を絶やさずに努力を積み重ねていたら、アーティストとしても、ひとりの人間としても、自分らしさをありのまま認めてもらえる「幸福」な居場所に辿り着くことができたと。
そういえば昨日、友達に「あんたは愛されるべき存在やで」みたいなことを言われて、そっか!と思ったんですよね。
―それ、なんで昨日気づいたんですか?
「自信がない」と言ったら嘘になるけど、自信がなくなっちゃう時が、今でもあるんですよね。そういう時は周りの人に気づかせてもらってます。
―そういう時に、MAZZELのメンバーから言ってもらって特に印象的だった言葉はありますか?
みんなにあるんですけど……最近だと、よく泊まりに行くし泊まりに来たりもするせいちゃん(SEITO)。僕が不安になることも多いし、色々考え込んじゃう性格なこともあって、たまに「こうなったらどうしよう」とかネガティブなことも思っちゃうんですけど、そういう時に「俺が絶対に守ってあげる」「絶対に全部受け止めてなおちゃんを守ったる」みたいなことを言ってくれて、「かっこいい~!」ってなりました(笑)。
―かっこいい!(笑) そりゃ人間だし、デビュー後だって、自信満々な瞬間もあれば、自信をなくして不安になる瞬間もありますよね。それでこそ成長し続けられる一流でもあるし。
そうなんです、それでいいなと思います。「もっともっと上に」ってどんどん理想の自分が高くなっているということなので。
―今は、どんな理想像を描いていますか。
アーティストとしては、大きなステージに立ちたいですし、もっとたくさんの人に知ってもらいたいです。プライベートではもっと友達を増やしたいです。もっといろんな人としゃべって、いろんな価値観を知りたいなと思います。
―リスナーとしては、最初に挙げてくれた浜崎あゆみさん、大塚愛さんの他に、どんな音楽を聴いてこられましたか?
MAZZELになってから、聴く音楽が変わりました。今まではK-POPしか聴いてなかったんですけど、最近はJ-POPをよく聴きます。最近は幾田りらちゃんの「ロマンスの約束」をよく聴いてます。「声が楽器ってこういうことか」と発見した曲でもありますし、歌詞もかわいくて聴いていると妄想が広がります。
―この先MAZZELとして描きたい夢を、NAOYAさんはどのように想像していますか。
『紅白歌合戦』に出たいです。お兄ちゃんとお姉ちゃんがいるんですけど、2人とも大学に行って就職してる中で僕だけ芸能という世界に入ることを親に応援してもらったので、アーティストとして憧れの舞台である『紅白歌合戦』に出た姿を見せてあげたいなと思っています。
―もともと芸能活動をさせたいという親ではなかった、とおっしゃってましたけど、MAZZELとしてデビューしてからは?
今は一番のファンだと思います(笑)。めちゃくちゃ応援してくれていて、ライブにもよく来てくれます。
―NAOYAさんが個人としてやりたいことや叶えたい夢はありますか?
もっとパーソナルな部分を見せることもやってみたいなと思ってます。たとえば、YouTubeでVLOGを出したり、最近ハマってるものを紹介したり、みんなから教えてもらったところに行ってみたり、そういうこともしたいです。昔からYouTubeを見るのがすごく好きで、YouTuber的なことにも憧れがあるんですよね。
―それはみんな見てみたいんじゃないでしょうか。今日たくさん話してくれましたけど、まだ触れてないことで、「実はあの出来事が人生において大事だった」みたいなことは何かありますか?
何かあるかなあ……。最近思ったことは――奇跡の連続でMAZZELになっているので、今ここにいることが普通ではないなと思いながら生活しています。これこそが人生の大事な出来事ですね。
Digital Single
「Seaside Story」
MAZZEL
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