1987年、スウェーデン北部の街シェレフテオにて結成。
なんと26年ぶりとなる今回の来日公演で、オープニングアクトを務めるのはラブリーサマーちゃん。ワナダイズへの思い入れは人一倍強く、2022年にロンドンに渡って彼らのライブを目撃しているほど。そして帰国後、大阪・東心斎橋のポップ/ロックバー・club WONDERで「日本に呼べないのかな?誰か呼ばないかなあ」とこぼしたのがきっかけとなり、同店の店主や常連たちが一念発起。みずから会社まで立ち上げてオファーし、奇跡の再来日が実現することになった。
ワナダイズの楽曲に宿るメロディそのものみたいな、ピュアすぎる音楽愛に満ちたエピソードを知った瞬間、筆者は協力を申し出ずにいられなかった。かくして、ワナダイズの中心人物パール・ウィクステンとラブサマちゃんによるZoom対談が実現。それぞれの視点から特別なバンドを巡る物語について語り合ってもらった。
ワナダイズ「You And Me Song」2024年のパフォーマンス映像
音楽の力を信じること
─ラブサマちゃんは2022年9月、ワナダイズを観るためロンドンに行き、そこであなたに手紙を渡したそうです。
パール:ありがとう。覚えてるよ。もらった手紙もスタジオに置いてある。
ラブサマちゃん:当時は付き合ってた男の子と一緒に暮らしていて、音楽が全然聴けてなくて。ワナダイズを観に行ったら、自分のために自分の時間を使っていると思えそうな気がしたんです。それでチケットを手に入れて。
パール:素晴らしい(笑)。
ワナダイズに書いた手紙 pic.twitter.com/tAUit0m9sq— ラブリーサマーちゃん / LSC (@imaizumi_aika) December 24, 2025
─実際にロンドンで観て、どうでした?
ラブサマちゃん:なんか生命力というか……「ワナダイズのライブの時のおいら、めっちゃ美味しい水与えられてる新芽みたいだった。生き生きしすぎて、ぷるぷるしてる感じだった」と、ライブを観た直後のツイートで言ってますね。
パール:ポエティックな表現だね。美しい。
ラブサマちゃん:本当にそう思ったんです。
パール:音楽ってそういうものなんだよ。作家や俳優、画家、映画監督には申し訳ないけど、やはり音楽が一番、感情に与える力が大きいと思う。赤ん坊が最初に心をつかまれるのも音楽だし、1歳の子でも何かを耳にすれば、自然と体を揺らし始めるものだ。
バンドのメンバーで、僕の妻でもあるクリスティーナの母親は最終的には認知症になって、クリスティーナのこともわからなくなり、話すこともできなくなっていった。でも、歌ってはいたんだ。そして亡くなる数日前に「歌うのをやめた」という。そんなふうに、音楽は生きることに不可欠な、ものすごく感情的なものなんだ。
音楽は人を泣かせたり、飛び跳ねさせたり、叫ばせ、怒らせたりもする。たとえば「どんな音楽も好きだ」っていう人は、自分からすると、本当に音楽が好きだとは言えないと思う。だって、いい音楽を聴いて感動するのと同じくらい、悪い音楽を聴くと頭にくるよね。本当に好きなら、嫌いな音楽もあるはずだ。もちろん全ては主観だから、正解も不正解もない。
ラブサマちゃん:私がワナダイズが好きな理由は、そういうまっすぐな精神性なんです。
パール:嬉しいな。僕らのやろうとしていることが伝わっているね。そう聴いてもらいたいんだ。ダイレクトに3分間、心と心をつなぐポップソングだからね。
ラブサマちゃん:そういうミュージシャンだと思っていた方から、「音楽の力を信じている」という話を聞くことができて、とても嬉しいです。
パール:バンド内でもたまに「もし違う人生の扉が開いていたら?」という話をするよ。もしかしたら僕はサッカー選手になってたかもしれない。俳優だったかもしれない。でもやっぱり違うなって思う。
ワナダイズのライブ写真(Photo by Alexander Tillheden)
ワナダイズとの出会い、ポップに目覚めた瞬間
─ラブサマちゃんがシンガーソングライターを志すにあたって、ワナダイズの影響は大きかった?
ラブサマちゃん:ワナダイズの音楽と出会った時には、もう曲作りを始めていて。その後の方向性というか、「こういうものをかっこいいと思う」という部分ですごく影響を受けています。
─人生で初めて買ったレコードが、ワナダイズのシングル「How Does It Feel?」だったそうですね。
ラブサマちゃん:ココナッツディスク吉祥寺店で、実はプロモーション盤を買ったんです。そのときワナダイズのことは知らなかったけど、バンド名を見て「絶対に聴かなきゃ!」と思って手に取ったんです。ちょうどレコードプレーヤーをもらったばかりで、レコードにトライしてみようかな、みたいな。
パール:クール! そのプロモーション盤、僕も持ってるよ。
ラブサマちゃん:(自宅の部屋に)ポスターも飾ってます。見えますか?
パール:ああ、トナカイのだよね! それは僕たちの出身地シェレフテオがあるベステルボッテン県の紋章なんだ。スウェーデンでも北の方の地域で、そこには山と海の間をトナカイを遊牧して暮らすサーミの人たちが住んでいる。
「1990年」というのはワナダイズ初のヒット曲で、故郷シェレフテオでの日々を歌った「My Home Town」がリリースされた年。同年にセルフタイトルのデビューアルバムも発表された
ラブサマちゃんの部屋に飾ってあるワナダイズのポスター(本人撮影)
─「The Wannadies」という最高なバンド名の由来は?
パール:僕たちが音楽を始めた80年代、好んで聴いてたのはダークで変わったポストパンク系のバンドだった。初期のザ・キュアー、ジョイ・ディヴィジョン、シスターズ・オブ・マーシーとか。僕の最初のバンドは「Breakfast in Africa」という名前だったし、ステファン(・シェーンフェルト)のバンドはたしか「Thirty Year Old War」だった。要するに、バンド名は変じゃなきゃいけない時代だったんだ。でもそのあと、変わった名前はやめようって決めたのさ。先に結論を言っちゃうと、それは見事に失敗したわけだけど(笑)。
で、「The ~s」みたいな──ザ・ビートルズみたいに、まともなポップバンド風の名前にしようとなって、「真ん中に入れる言葉を何にしよう?」「映画のタイトルがいいかも?」となり、図書館に行って映画の本から探そうとした。
その前は1週間くらい「Hot Water Music」と名乗っていて、一度限りのステージのために用意したバンド名だったんだけど、その3~4カ月後にワナダイズ名義でシングルをリリースすることになり、そこから定着してしまった。バカらしいけど、楽しい名前だよね。
─ポストパンク~ゴス的な時期を経て、パワーポップ的でメロディアスな作風に移行していったのは、どういうバンドの影響が大きかったのでしょう?
パール:最初に音楽で”どうしようもない多幸感”に包まれたのは、6歳の時に聴いたダニー・オズモンドの「Puppy Love」だ。笑顔なのに涙が出るような、どうしたらいいかわからない感情が全部押し寄せてきた。次にそれを経験したのがセックス・ピストルズ。「何だこれは!?」って頭が爆発し、人生で一番クールな音楽に出会えたと思ったよ。
そのあと、さっき話したザ・キュアーとかの時代があって、60年代ポップなんかを聴いてたこともあったけど、そこからオーストラリアのバンドに夢中になったんだ。ゴー・ビトウィーンズ、The Triffidsとか。そこで「とにかく変でクールであること」よりも「誰が一番ポップなサビを書けるか」に興味が移った。方向性が変わったというより、自然とクラシック・ポップに寄っていった。
あとはグラム・ロックもそうだし、ビッグ・スターのようなパワーポップの影響もあるかな。ティーンエイジ・ファンクラブとかもね。彼らのピュアさに比べると、僕らはもう少しパンキッシュかつジャジーでハードロック寄りかもしれない。時にはハードに、時には繊細に。いろんな曲を作ってきたけど、いつも核にはメロディがあった。
─ラブサマちゃんが観に行った2022年のロンドン公演でも、ゴー・ビトウィーンズの「Lee Remick」をカバーしていたみたいですね。彼らのどんなところが好きですか?
パール:いい意味でのアマチュアっぽさがあって、歌に心が感じられて、そこが魅力的だった。グラント (・マクレナン)とはいい友達になれたよ。20年近く前に亡くなったけど、彼がロンドンに住んでいたとき、一緒にパブに行ったりもした。彼の作曲パートナーだったロバート(・フォスター)が数年前にスウェーデンに来たとき、声をかけてもらって一緒に「Lee Remick」を歌ったよ。今度の日本公演では、ゴー・ビトウィーンズへのオマージュとして「Bye Bye Pride」をカバーしようと思っている。
ワナダイズ、ゴー・ビトウィーンズ「Lee Remick」のカバー動画
ラブサマちゃん:(来日ツアーの)セットリストってもう決まってるんですか?
パール:今、少し曲数を増やそうとしているところ。日本のギグは、ヨーロッパのギグよりも長くなる傾向にあるからね。ただ、僕らは演奏が上手くないから、たくさんリハーサルしないといけない(苦笑)。もしリクエストがあれば言ってね。
ラブサマちゃん:ロンドンのライブでは楽しくてアップテンポな曲が多かったけど、私は遅めの、泣きの曲も好きで。「Easier to Sing」「Friend or Foe」「How Does It Feel?」あたりをぜひお願いしたいです。
パール:その3曲なら(再結成後に)演奏したことがある。でも前回のツアーではやってないから、リハで合わせてどうなるか見てみるよ。
ラブサマちゃん:これ、私が観たギグのセットリストです(※画面越しに見せる)。
パール:「Lucky You」が1曲目で……「Low Enough」は遅めの曲だよね。
ラブサマちゃん:ですね! でも、どの曲も全部いい。私は「Friend Or Foe」のコーラスとコードの感じをそのままサビに持ってきた曲を書いてるんです。メロディは変えているけど……。
パール:なんていう曲?
─「サンタクロースにお願い」ですね。リンクを送ります。
ラブサマちゃん:恥ずかしい。
パール:来た来た。あとで聴いてみるよ。
「You And Me Song」誕生秘話
─ここからはデビュー当初から今日までの話を聞かせてください。パールさんはバンドの活動が軌道に乗り出す前、墓地でしばらく働いていたそうですね。
パール:うん。ベーシストのフレデリック(・シェーンフェルト)と一緒に、夏の間、墓地で働いてたんだ。
─『Be a Girl』日本盤CDのライナーノーツ(杉本拓也さんが執筆)には、「『My Home Town』のヒットが励みになったし、そこからスウェーデンのインディ・ポップ・シーンが始まった」という、ディス・パーフェクト・デイやエッグストーンの証言が掲載されています。
パール:その頃、いくつかのバンドで集まってMusic Factoryという音楽集団を立ち上げたんだ。ディス・パーフェクト・デイは結構売れてるバンドだったし、他にもいろんなバンドがいた。で、アルバムを出したり、ツアーをしたりする合間に、墓地で働き、また曲を書いて、ツアーして、墓地で働く……そんな生活だった。
─その後、スウェディッシュ・ポップが日本でも大ブームとなりましたが、当時のシーンについてはどのように見ていましたか?
パール:カーディガンズは、レイドバックして落ち着きがあったよね。ニーナ(・パーション)という素晴らしいフロントウーマンもいたし。エッグストーンには遊び心があった。ブレインプール(Brainpool)は最初から最後までパンキッシュでポップなバンドだった。それに比べ、僕らはジャジーな曲からヘヴィなロックソングまで、その中間もあればボサノヴァもあって、何でもありだった。スウェーデンは決して大きな国じゃないから、フェスで顔を合わせたり、海外でばったり会ったり、そんなふうにしてみんな友達だったよ。
ワナダイズのパール・ウィクステン、1997年撮影(Photo by Andy Willsher/Redferns/Getty Images)
─ワナダイズはシーンの先輩格だったのと同時に、カーディガンズに次いで世界的成功を収めたバンドでもありますよね。その辺りの経緯も知りたいです。
パール:転機になったのは1994年で、『Be a Girl』がカンヌで行われたMIDEM(音楽見本市)で、イギリスの業界関係者の耳に留まったんだ。それでUKでライセンスすることになり、95年に「You And Me Song」がイギリスでリリースされた。NMEやMelody Makerから「最高の新人」と絶賛され、カムデンの小さなパブでのギグは、入りきれないくらいの大盛況だった。そこにパルプのジャーヴィス・コッカーが観に来てくれて、「今まで観た最高のライヴアクトの一つ」と言ってくれたらしい。その結果、パルプやピクシーズ、PJハーヴェイと同じエージェンシーに所属することになった。なかなかな顔ぶれでしょ?
そこからすべてが一気に爆発して、メンバー3人でイギリスに移住し、8年間も暮らした。僕らを墓地から連れ出してくれたのは「You And Me Song」だったというわけだね。
─ラブサマちゃんは、「You And Me Song」のどんなところが好きですか?
ラブサマちゃん:色々好きだけど……「パパパパパ」から「タカタカターン」で入る、あのユニークさというか、一筋縄ではいかないところ。可憐なボサノヴァもあるし、メロディがいいのは当たり前だけど、平歌がまたいいんですよね。
パール:あの曲もそうだし、ワナダイズというバンドそのものにも言えるけど、UKチャートのTOP20に入った僕らの曲は、どれも既存のルールを打ち破っていた。ブラジルのミュージシャンからも言われたよ。「ボサノヴァを演奏しているのに、3拍子からいきなりパンクポップのサビには普通行かないよ。そこが『You And Me Song』のクレバーなところだ」って。僕らとしては「突然インディ風のコーラスに行ったら楽しいだろうな」というだけだったんだけどね。
─その「You And Me Song」は、どういうふうに生まれたんですか?
パール:『Be a Girl』の制作は、ちょうどスウェーデンでもケーブルTVが台頭してきた時期で、曲と曲の間に流れるジングルみたいな小品(ヴィネット)を入れたらどうだろう?って思いついてね。「You And Me Song」はもともと、ボサノヴァ風の4ヴァースが続くだけの、小品の一つになるはずだった。(ヴァースを口ずさむ)〈Always when we fight, try to make you laugh 'Til everything's forgotten, I know you hate that ~♫〉、ジャラーン。そこで終わって次の曲に行くはずだった。
ところがレコーディング前のリハの日、あるコードが頭に浮かんで、夢の中でサビを思いついた。それをバンドに歌って聴かせたら「曲にしよう」と話が進んでいった。だから、もしその夢を見てなかったら、ただの小品で終わっていたかもしれない。それが結果的に、僕らにとって最大のヒット曲になったんだ。
─そうだったんですか!
パール:でもあのとき、小品を入れたアルバムを作ってもよかったかなとも思う。死ぬ前にもう1枚はアルバムを出したいから(笑)──たとえば、日本公演の前に新曲を出して、どこかでライブするたびに1曲ずつ出していけば、いずれ8~10曲くらい貯まって、新しいアルバムが出せるはず。そのときは、曲間に短い小品を挟んだりして、当時のアイデアをついに叶えるっていうのもいいね。
ラブサマちゃん:楽しみすぎる!
─「You And Me Song」は、最近もFlorence Road(今年のサマーソニックに出演するアイルランドの新鋭バンド)のカバーがTikTokでバズってました。リリースから30年以上経った今も、世代を超えて愛され続けていることをどう受け止めていますか?
パール:ただただありがたいよ。「ワンヒット・ワンダー(一発屋)ってことじゃない?」と言われることもあるけど、ノーヒット・ワンダーよりはワンヒット・ワンダーの方がマシさ!(笑)実際にはTOP40入りした曲が10曲くらいあるんだけどね。
「You And Me Song」は5年くらい前、イギリスのTikTokで誰かが親友と投稿したのをきっかけに、突然バズったこともあった。「君らの曲がアデルを抜いて、最もシェアされた音源の8位になってるよ」って、知り合いに言われて驚いたよ。しかもサビではなく、イントロだけを使った動画もあって。「上司に意見を言いに行く私」「夫にFxxk Youと言う私」とキャプションをつけた動画が大量に出回ったんだ。
それにアイルランドでは、フランク・シナトラやエルヴィス・プレスリーを押さえて、「You And Me Songが史上最高の結婚式ソングに選ばれたんだ。そこまで思い入れがあるなんて……ありがとうと言うしかないよね。
@florence.road
─『Be a Girl』に収録されたもう一つの人気曲「Might Be Stars」は、「僕たちもスターになれるかもしれない」と歌う曲ですよね。結果的に『Be a Girl』は大ヒットし、ワナダイズは90年代ブリットポップのシーンからも歓迎されたわけですが、当時「スターになりたい」という気持ちをどのくらい抱いていたのでしょうか?
パール:スターになろうなんて、考えてもみなかった。スウェーデン北部の小さな町に住んでいれば、おもしろいことは何も起きやしない。だから夜の暇な時間を潰すために、バンドを組むことくらいしかやることがなかった。平日の夜はバンド練習、週末はメンバーとつるんでビールを飲み、冗談を言い合いながら、インターレイル・パスで旅行に行く計画を立てるくらい。シングルを一枚出して、それがラジオで流れたら、僕らとしてはもう十分だった。「将来、孫に見せられるものができた」ってね。その先に起きたことは、すべて完全な偶然と運に過ぎないよ。
僕はそれより、誰も書いたことがないような最高にキャッチーなポップソングが書きたかった。(バンドが売れだしてからも)状況を楽しみつつ、心のどこかにそういう思いがあった。「ポップスターになりたい」という発想はさすがになかったな。とはいえ、今思えばそれっぽい格好もしていたね。古着を着て、ピチピチのコーデュロイ・パンツで街を闊歩して……。振舞いはスター気取り。でも、実際はそうじゃなかったんだ。
僕たちが過ごした1995年~98年くらいまでのロンドンは、本当にクレイジーだった。街のあらゆるところがパーティで、どのパブにもポップバンドがいた。誰もが音楽に夢中で、街ではTOP40の曲が流れていた。あの空気を経験できたのは楽しかったよ。僕らは裏口から放り込まれたようなものだったけど。
「Might Be Stars」はプレミアリーグの総集編で、ベストゴールをまとめて流す1~2分のコーナーのBGMにも使われた。あの頃はそういう嬉しい偶然の連続だった。1993~94年の僕たちは、本当にピュアなポップソングを書けるようになっていて、それがリリースされた95年は、ちょうどUKでブリットポップが爆発寸前だった。つまり、僕らは準備万端な状態でそこにいたってことだね。
さらなる人気作『Bagsy Me』『Yeah』
─次作『Bagsy Me』(97年)も名盤ですよね。ラブサマちゃんも好き?
ラブサマちゃん:めちゃめちゃ好きですね。初めて買ったワナダイズのアルバムがこれです。いい曲が多いんですよ。「Shorty」も「Hit」もいい曲。「Someone Somewhere」もめっちゃいい曲なんだよな。「Friends」も最高だし……本当にいい。
パール:うん、僕もそう思う(笑)。史上最高の曲を目指していたのは、それまでと変わらない。でも『Bagsy Me』では、ブリットポップの熱狂を直に体験し、自信をつけてスウェーデンに戻ってきた。だからこそ、これまで以上に実験的なことを試したんだと思う。
1曲目の「Because」はパンクソングだけど、そこで使ったのはリコーダーだ。エッグストーンのシンガー、ペール・サンディングが口でトランペットを吹いた曲もある。とにかく手当たり次第、あらゆる楽器を使って、いろんなことを試してみた。
「Hit」では、僕とクリスティーナで一種のコール&レスポンスをやってみた。(スウェーデンの歌手/女優)アリス・バブスと娘のTitti Sjöblomがやってたような、50年代の古いジャズへのオマージュも少し込められている。「Someone Somewhere」ではサビで盛り上げるのではなく、逆に音を落として静かにしてみた。「You And Me Song」の逆だね。そんなふうに色々遊んでみたんだ。
─『Yeah』(99年)では、カーズのリック・オケイセックをプロデューサーに迎えてますよね。それもあって、同時期のウィーザーやファウンテインズ・オブ・ウェインにも通じるサウンドという印象です。
パール:ウィーザーのことは大好きだけど、リック・オケイセックが彼らのプロデュースをしていたことは知らなかった。僕らが頼むことになったのは、当時レーベルメイトだったスティーヴン・ダフィのおかげさ。デュラン・デュランの創設メンバーだったけど、レコーディング前に脱退し、サイモン・ル・ボンがその後を継いだ。その後、ソロ(ライラック・タイム名義を含む)として成功を収めた人物だ。
その頃、レコード会社のA&Rが会社を辞めてしまい、僕らはレーベルに不満を抱いていた。ボーイバンド全盛の90年代後半、彼らは僕らをどう扱うべきかわかっていなかった。別のレーベルに移りたい、でも辞めさせてももらえない。その不満をスティーヴンにこぼしたら、こう言われたんだ。「もっと金を使えばいいんだよ。それで売れたらみんなハッピーだし、売れなければレーベルからクビを切られる。僕は毎回そうやってメジャーレーベルで金をかけたアルバムを作り、売れなかったらクビを切られてきた」とね。
そこで、僕らはアドバイスどおり、マイク・ヘッジズとともにパリのお城を訪れた。でも、マイクはエンジニア寄りのプロデューサーだから、自分と同じシンガーソングライター寄りのプロデューサーにお願いしようと思って、リックを雇ったんだ。
ところがいざやってみると、リックはそこまでシンガーソングライター的プロデューサーでもなく、ごくベーシックなドラム/ベース/ギター/リードボーカルを録ったら、それで終わりだった。だから結局、バックボーカルもキーボードもハーモニーも、あのクレバーなフックも、自分たちで全部やったんだ。リックは「十分いいものが作れている。これで僕の仕事は終わり」って終わらせようとするから、「いやいや」と止めたりもした(苦笑)。予算をたんまり使い、レーベルからは契約を切られたので、ミッションは達成できたよ!
ラブサマちゃん:あははは(笑)。
パール:前作と比べると少しダークで……”怒っているアルバム”なのかな。いい曲もあるけどね。その後に出した『Before & After』(2002年)ではワナダイズ風のポップさと遊び心が戻ってきたけど、『Yeah』は少しアメリカンで、重苦しいアルバムになったね。
26年ぶりの来日に向けて
─2000年6月に、初の来日公演が実現しています。そのときはグラストンベリー・フェスに出演したあと、その足で日本へ飛び、そこから再びUKに戻り、夜行バスに乗ってロスキレ・フェスへ向かうという強行スケジュールだったそうですね。
パール:はっきり覚えているよ。僕の誕生日だったから、グラストンベリーに出演したあと、僕の家のテラスで誕生日パーティーをやって、そのまま日本に飛んだ。他のメンバーは少し休みもあったけど、僕とクリスティーナは分刻みのスケジュールで、インタビューやラジオの予定がぎっしり。サイン会で絵を描いてあげたりしてたら、スタッフに「絵は時間がかかるからダメ」と怒られた(笑)。
たしかに、あの頃は慌ただしい時期だった。また日本に戻れるのが楽しみだよ。前回はオーディエンスがとても行儀がよかったのを覚えている。演奏中は静かに聴いているけど、終わると大きな歓声が上がって。でも、僕が「サンキュー」と言った途端、静かになっちゃうんだ。話の邪魔をしちゃいけないと思ったのかな。
─今回は26年ぶりの来日となるわけですが、オファーをもらったときにどう思いました?
パール:とても嬉しかったよ。また日本に行けるとは思ってなかったから。それもあって、(メンバーの家族も含む)14人の大所帯で来日することになるよ。みんな「日本に行ける最後のチャンスかも」と思っているから、最大限に楽しむつもりさ。
ラブサマちゃん:日本のファンは今回だけでなく、いつでも待ってますよ。チケットの売れ行きも好調みたいなので。
パール:もちろん。また声がかかればいつでも行くよ。でも世界は広いし、日本は遠いし……どうなるかはわからない。行けるときに行って、楽しまないとね。
ラブサマちゃん:たくさん楽しんでもらって、またすぐに行きたいと思ってもらいたいです。ご一緒する日本でのライブに向けて、お客さんに伝えておきたいことはありますか?
パール:もし聴きたい曲があったら、僕らのFacebookページでもどこでもいいから書き込んでね。あと、僕が「サンキュー」と言っても「キャー!」って叫ぶのをやめないで(笑)。
ラブサマちゃん:伝えておきます。貴重なお話ありがとうございました。
パール:愛夏と話せて楽しかった。4月に会おう。きっと楽しいギグになるね。
ワナダイズ、2024年発表の新曲「It´s you it's you it´s you」パフォーマンス映像
-club WONDER Osaka 19th Anniversary-
THE WANNADIES JAPAN TOUR 2026
オープニングアクト:ラブリーサマーちゃん
2026年4月3日(金)梅田クラブクアトロ
2026年4月7日(火)渋谷クラブクアトロ
開場 18:00 開演:19:00
前売9,500円/当日10,000円(ドリンク代別)
〈チケット購入〉
e+:https://eplus.jp/sf/detail/4456090001
チケットぴあ:https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2664762
ローチケ:https://l-tike.com/order/?gLcode=75975
ラブリーサマーちゃん
新曲「ウインド・ソング」
配信中
■BS-TBS1月期ドラマ「ゲームチェンジ」エンディングテーマ
■バンド「えんぷてい」との共同プロデュース
特設ページ:https://lscwindsong.netlify.app/


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