アーバンギャルドが4月27日(月)に発売した『水玉自伝~アーバンギャルド・クロニクル~』をもちいた読書感想文コンクール「わたしの水玉自伝」をnoteにて開催。このたび受賞作品が決定。
Rooftopでは受賞3作(浜崎容子賞、松永天馬賞、おおくぼけい賞)、さらに追加で藤谷千明賞(緊急創設)を順次掲載していく。
ファシスト政権下の国民らしい特徴です。あなたは自分が誰なのかわかりますか? ただ名前を言われたって、そんなのわたしは信じません。そんなにすぐ弾けてしまいそうな、空っぽの、風船みたいな声で語られる名前なんて。どうせあなたもレディメイドのくせに、虚しく繰り返される名前なんて。──Qui suis-je? あの人は、精神に病を抱えた美しい女と出会い別れて戸惑いながら、ふるえる手でそう書きました。「わたしは誰か」と問うとき、そこにはかならず、「わたしは誰を追うのか」という問いがつきまとう。あなた以外あなたじゃないなんて、わたしは絶対信じません。 あなたは記憶喪失です。わたしとの過去のことだって、きっと忘れてしまったのでしょう。ファシスト政権下においては、国民はどんどん記憶を失ってしまうのです。ええ、解離の症状と原理は同じです。ある大きな精神的負荷をかけられて、それが自分の力では対処できない、どうにもならないと感じたとき、人は容易に記憶を飛ばせるようになります。
記憶をなくすこと、それはすなわち、いままで積み重ねてきた「わたし」をなくすこと。いわば毎瞬間の歩みを捨てることです。あなたはすっかりあなたを棄ててしまって、あなたが一歩を踏み出すたびに、あなたの歩んできたその道は、かかとの後ろで、水を含んだコットンキャンディのように、ふわふわほどけて消えてゆく。 砂糖の溶けたそのベビー・ピンクの涙を、ピンク色した甘い血を、カクテルグラスに注いでだれが乾杯しているのか、あなたは露も知りません。 いいえ、でも、本当はそうじゃありません。その記憶の涙はカクテルグラスに、ミサイル積んだB29のように詰め込まれて、宇宙へ飛ばされたのです。そうして、いくつものカクテルグラスが、わたしの星へ不時着しました。あなたは小さなガラス片になって、わたしの星へ不時着したのです。わたしの星、ここはU星。月の裏面、前衛都市とも呼ばれます。 1 古めかしい喫茶店。セーラー服を身につけた少女と、眼鏡をかけたスーツ姿の男が、向いあって座っている。
男の手許にはメモ帳が置かれ、男はしばしば万年筆でそこに何か書きつける。店内には、ごく小さく、ピアノの音楽がかかっている。少女がショートケーキのような声で話しだす。 少女:東京という街には坂がたくさんあるけれども、坂という言葉は「境」から来ているのでしょうか。坂、坂、境。もしそうならば、幽霊坂というあの名前にも納得するんです。先生は幽霊坂をご存知? ふうん、名前だけ? わたし、行ったことがあるの。泉岳寺にあるんですよ。すぐ近くに、お墓があるの。それだけ。 先生:その通り、坂という言葉は、「境」から来ている。しかし泉岳寺には、もうしばらく行ってないな。
あれだろ、三田とか、高輪とか、あの辺りの……用事がないから。 少女:用事がないから行かないなんて、だっさい。そういうこと、世界一ださいわ。 先生:忙しいもんでね。忙しくしていないと、どうも落着かないんだ。 少女:わたし、知ってる。先生、このお店だって、きっとわたしが来る前からきっちり調べてあって、星3.5以上だったから来たのに違いないな、あるいは「渋谷の裏道レトロ喫茶5選」、とかなんとか、まとめサイトを見たのかもしれないわ。 先生:そんなことはしてないさ。それじゃあ、情報を食べてるようなもんじゃないか。 少女:情報の次、これからは昆虫食の時代よ。 先生:って、おい、その腕、どうしたんだ? 少女、開いたカフスから半ばはだけていたセーラー服の袖を、ゆっくりとめくりあげる。割合に骨ばった白い腕には、びっしりと紅い水玉模様が浮き出ている。
先生:水玉病だ。 少女:先生、この病気……。 先生:「水玉病は、少女だけかかる病気です。思春期、生理期、失恋期を機に発症します」……DSM-Ⅴ(注・アメリカの精神医学会より発行されている精神障害の分類および診断基準を示した書物。精神医学研究の発展と共に内容の更新が重ねられており、Vは2013年に発行されたその最新版。)には、そう書いてあったかな。いつ頃からこうなんだい。痛みは? 少女:そんな、馬鹿げた質問! 先生がいちばんわかっているくせに。 少女、静かに立ち上がる。いまや水玉模様は、セーラー服の表面を、少女の顔を、両脚を、埋め尽くしている。 少女:水玉病にかかったのは、わたしだけじゃありません。水玉病にかかったのは、わたしと先生、両方です。
いいえ、先生が水玉病にかかったから、わたしがかかっているんだわ。「見たくないものや、いやなもの全部にぽつぽつするの」。わたし、わたしを見たくない。こんな腕、こんな脚、セーラー服、まっぴらごめん! わたしの値打ち、ああやって通りでも、この喫茶店でも、みんながつけていくの。ああ! 男と女になりたくない。いなくなくなりたい。 先生:落ち着きなさい。自己消滅したがるのは、水玉病の症状だ。 少女:それは先生だって同じだわ。先生、あなた、いったい何の先生なの。いままで一度も聞かせてもらったことがない。学校の先生? 精神科医? 政治家? それとも作家? そうやって黒縁眼鏡をかけて、スーツ着込んで、ボブヘアーにセットして。自己消滅したいのは、わたしより先生のほうに見えます。ほら、ご覧なさい! 先生にだって、水玉がぽつぽつ、ぽつぽつ、ぽつぽつ、ぽつぽつ……。 少女は袖をはだけたほうの手で、男を静かに指さす。気づけば、男の全身にも、水玉模様が浮き出ている。男、眼を見ひらき、やや芝居じみてたじろぐ。 少女:さあ、あなたが誰だか、きっちり証明してもらうわ。 先生:ああ、僕はいったい誰なんだ? 2 舞台装置のからくりで、喫茶店のテーブルは、いつのまにか教室の机に替わっている。水玉病を患ったセーラー服姿の少女は、それと同時にひとりからふたりに増える。どちらも同じ見た目、同じショートケーキの声。第一の場面で発話していた少女がどちらなのかは判然としない。男と少女ふたりは、机越しに向いあっている。男は座り、少女たちはすっかり同じ格好で並んで立っている。男は少女達の話を聴きながら、万年筆で何かメモをとっている。 少女1:先生ごめんなさい。春になってごめんなさい。 先生:どうしてこんなことをしたんだね。 少女2:自己消滅したかったんです。 先生:自己消滅? 少女1:わたし、ほんとうはアイドルになりたかったんです。 先生:それは、自己消滅とは逆のことなんじゃないか? 少女2:違うんです。わたしはわたしを殺して、わたしでない誰かになりたかったんです。前髪ぱっつん、カラコン、マスクで自撮(じさつ)して、集合体のひとつに呑込まれ、自己も自我も消滅させてしまいたかったんです。ほら、中世の宗教画、イコンみたいに、同じ顔した聖人たち。 少女1:わたしにとっては、欲望がその原動力でした。アイドルという社会的システムは永久機関でした。欲望が欲望を生み、そのなかで欲望を永久に回転させていました。わたし、女になりたくない。人形になりたい。 先生:でも、こんなに身体を露出した自撮(じさつ)。 少女2:そうして、つるつるに加工された肉体を切り取り、露出させ、わたしはわたしという女をやめてしまうことに徹しました。どこかで見た腕。好きなタイプの脚。わたしの個、小さな眼は、歪んだ口許はアプリで補正して、特徴を消し、正しさのなかに埋没する。補正を繰り返して生れた正しい女、それはきっと人間の原型、イヴに近づくことでしょう。それが美しくなるための近道なんです。 少女1:でも、わたしはけっして妊娠しない。カインも、アベルも生れません。人殺しも起らない、正しい世界。プラスティック製の天使が飛び交うエデンの園。『ハムレット・マシーン』のオフィーリアさながら、わたしの乳房からは水玉模様の毒が出るでしょう。 少女2:毒! そうだ、それで男たちをひとり残らず殺してやる! 先生:そのために、わざわざ自撮(じさつ)したのか。 少女1・2:先生にはわからないんです。 少女1:天体みたいに毎月決まって血を流す女たちの気持が。 少女2:鞭打たれたときにしか血を流さない男になんて、わかるはずがないんだわ。 少女1:草間彌生の小説にあったわ、「輪廻はすべて過失」って。それがいやではじめたの、「少女都市計画」……わたし、自撮(じさつ)することで、ガラスでなくてコンクリートの子宮に手術してもらったの。 少女2: 埋め立てられた都市みたいに、血の海埋め立てて。 少女1:毎月、コンクリートの涙流すの。 先生:何のために? 少女1・2:都市のために! 先生:(歴史の授業でもするように、ややもったいぶって)現代の都市は、コンクリートによって作られた。都市は、コンクリートによって支えられた。海は、川は、堰き止められ、ビル群が立ちあがった。この無機質な哲学者は、砂、ジャリ、水、セメントを混ぜあわせて作られた。でも五〇年もすりゃあ、都会の臍のようにひび割れて、菫の花や雑草に打ちやぶられる。あんなに堅固だったのに、いまじゃあ廃墟同然だ。この有機的無機物、いや無機的有機物には、臍の緒なんか初めからなかった。臍の緒なしの臍。「母なしで生れた娘」。もしもコンクリートが歌うなら、肉声と機械音の拮抗するテクノポップが響くだろう。 そのとき少女たち、全く同じ動きで、同じ格好に倒れ、同じように呻きだす。 少女1・2:う、う、生れる! 先生:大丈夫か、おい、何が。 少女1:わたしと先生の子が! 少女2:認知してください。あの子、生れるはずのない子供が、夢の島からやってきたんだわ。 ドライアイスの煙のなかから、プラスティック製の巨大な赤ん坊が、ゆっくりと立ち上がる。 先生:あの子供の名前は……都市夫。 少女1・2:わたしとあなたの子供は、この東京です。 少女1:いつごろからか血の通わない、つるつるとした巨大な子供。母なしで生れた子供。 少女2:父の焼け爛れた喉仏の穴から生れた子供。ローズ・オニールの繭のなか……。殺してやる! 少女2がどこからか持ち出した日本刀を振り上げる。少女1は呆然とそれを見ている。舞台、暗転。 3 再び舞台装置のからくりで、机は白い簡素なものに替わる。先生は白衣を羽織る。少女たちは、2人から4人に増える。依然として、男は少女たちの話を聴きながら、メモをとっている。都市夫は向うに倒れている。 先生:想像妊娠だね。 少女1:想像のなかのことじゃないわ。 少女2:コンクリートの子宮が、プラスティックの胎児を孕んだの。 少女3:プラスティックは、熱で簡単に溶ける。 少女4:そう、暁の気配だけで溶けるもんだわ。岡崎和郎のオブジェにも、そんなのがあったわ。 少女1:真っ黄色に溶けるキューピー。 少女2:さくらんぼみたいな頬、錯乱した都市の赤ん坊。 少女3:想像って、いったい何なの。わたし、現実ほど幻想的なものを見たことない。 少女4:お金も、社会も、国家も、全部幻想だわ。 少女1:ついでにわたしも幻想だわ。 少女2:「幻想のなかにあるすばらしいところ、それはもはや幻想がなく、現実しかないということである」。 少女3:みんな、幻想を食べて現実を消化してるんです。 少女4:体内に蓄積された幻想に気づかないのね。 少女1:この子、きっと情報を食べて育つんだ。 先生:きみたち、落着きなさい。 少女2:落着けるもんですか! ああ、都市夫の泣き声が聴える。赤ん坊は忌まわしい生にぶち当って泣いている。死の優しさから引き離されて泣いている。反乱分子は、石油の涙を流してる。先生、わたしのエイズ検査して。 少女3:いますぐよ! あの子供のせいで、死の優しい声が聴えるの。 先生:僕は精神科医だよ。 少女4:そんなこと! いいから早く。 男、しぶしぶエイズ検査の準備をする。 先生:さあ、準備ができたよ……自分がいつか死ぬんじゃないかって思ったときは、エイズ検査をするに限るからね。(語りつつ、少女たちから順番に採血)死は肉いっぱいに詰まっている。噎せかえるような死が、僕たちを腐らせる。死のことを思うと、まるで肉体はB級映画みたいだ。血糊も本物の血も、大して変らない。でも、死はきっと透明なんだ。こら、動かないで。死は言葉の外にある。言葉はどんなに死を追いかけても決して辿りつけない。生命と死は同じなんだ。生れる前の美しい透明が死だ。死はまったく乾いている。乾いた流れ、流れなき流れがあって、赤ん坊はそこから生れてくる。たまたま生れただけなのに、わたしとあなたは大して違わないのに、僕は僕として、あなたはあなたとして名指されなくては生きていけない。「タクシー1メーター分の距離」、これはコンクリートで建物建てるようなもの。絶つ死は生命自身のことだ。 男:これでもう大丈夫だ。結果が出るまで待ちたまえ。 少女1:(はりつめた顔で)待つわ。 少女2:三つ数えて。 少女3:神様に奉告しなくちゃあ。 少女4:めまいがするみたい。 男:それじゃあ、結果が出るまでのあいだ、話を聴かせてもらおうか。 少女1:(再びはりつめた顔で)幼い頃から、いつも誰かに見られている気がしていました。誰もいないはずのところから、肩の後ろから、うなじのあたりから、誰かがわたしを見ているように感じていました。 少女2:それは、わたしがかわいかったからかもしれません。あるいは、わたしが醜かったからかもしれません。 少女3:しかし、「かわいい」と「醜い」は、対義語ではありません。どちらかといえば同義語だわ。 少女4:ともかく、わたしは幼い頃から、誰かに見られている気がしていました。そして…… 先生:そして? 少女1:わたしはそれを、神様と名づけました。 先生:神様。(メモに書きつける) 少女2:神様は、いつもわたしを見ていました。いいえ、いまも見ているんです。神様はわたしをあの世から透明な光で照らし、わたしがなにか悪いことをしないか見張っています。 先生:それは、精神分析の観点から言えば、抑圧のひとつの形とは言えないのかね。あるいは、統合失調症にあらわれる自我障害ではないのかね。 少女3:それは違います。この世の内側の話じゃないんです。 先生:あの世と言ったね。 少女4:ええ。 少女1:すっかりメタなの。 少女2:メタ・セクスアリス。 少女3:例えるならば、映画監督。 少女4:神様って、映画監督みたいなんです。 少女1:あるいは、観客。 少女2:映画のスクリーンのなかから、暗い観客席を見たことがありますか。 少女3:自分を自分から隔てるスクリーンの光に、ぼんやりと照らされた客席。 少女4:墓のなかから、墓参りに来た人を見ているときにも、きっとあんな気持がするのね。 先生:その神様というのは、こうは言っていなかった? 「はじめに言葉があった」って。 少女1:わたし、知らない、そんなこと。 少女2:神様は、いつもは言葉のない世界に住んでるの。 少女3:神様は、生と死のあいだをすっかり揺れて……。 少女4:スクリーンの内と外を出入りしている。 少女1:わたし、神様に見られてると、感情をもつのが怖いんです。 少女2:まるでスクリーンの外側に、感情置いてきたみたい。 少女3:内側に置いてきたのかもしれないわ。 少女4:ひとたび掴めば、トラウマが湧いてきそうなんです。 先生:感情というのは、すべて過去のトラウマの表れさ。良い感情も悪い感情も。 少女1:ふざけないで。 先生:欠乏のトラウマがあるから、満たされて喜ぶ。何かにひどい怒りや悲しみをおぼえるのは、それが過去のトラウマに重なったからだ。 少女2:この世に生れたこと、 少女3:この国に生れたこと、 少女4:メンスが来たこと、 少女1:あなたに出会ったこと、 少女2:桜咲いたこと、 少女3:いつか死ぬのを思うこと、 少女4:ぜんぶ、トラウマだわ。 先生:地震だ! 舞台、大きく揺れる。男は机の下で丸まる。少女たちは同じ格好でうずくまる。都市夫は動かない。舞台、暗転。 4 男は白衣姿から、スーツ姿に戻っている。机の上には、男の名前を白字で掲げた青いネームプレートが乗っている。少女は4人から8人に増える。全員ガスマスクをつけている。都市夫は向うで倒れている。 先生:はじめに言葉があった。「最後に声が残った」。この街は、コンクリートでできたこの都市は、崩れて境界線を失った。「日本にはシュールリアリズムは地震だけで結構ですから、繁昌しません」とは横光利一の言葉だったか。そんなことはまあいいが、なんとか形を成していた社会は、お金は、国家は、わたしは、あなたは、境界線もろとも崩れ去っていまや海の藻屑だ。コンクリートが自然とおんなじスピードで崩れるのにはわけがあった。この道路と居間とを隔てるコンクリートは、テクノポップうたいながらこう言ってた、「この境界線はいつか絶対に崩れる」。ここに建物を建てよう、こう考えて建てたから建物が建つだけだ。コンクリートの下には何万年ものあいだ、野生の土が横たわっている。そしてそのコンクリートとあなたの足のあいだには、靴底ひとつぶんの余白がある。あなたの罪は、僕の罪は、靴底にびっしり書かれてる。あなたとあなたの影のあいだにも、靴底ひとつぶんの距離がある。あの影は、いつだってあなたのことを追いかける。あの影は死だ。時計を止めたって、死はあなたの地下水路みたいに流れてる。時計なんて法律と同じなんだ。神様は見ています。さあ、皆で靴を脱ぎませんか。裸足で歩きましょう。僕が都知事になった暁には、都民を裸足で歩かせます。イエスだって、ゴルゴダの丘を裸足でのぼったんだ。 少女1:(ガスマスクのせいでくぐもった声で)生きづらそうな人ね。 少女2:生きづらいって、素敵なことよ。 少女3:生きづらそうだねと言われて嬉しそうにする人間、わたし、いちばん嫌い。 先生:ガイガーカウンターに耳を傾けてください。ガイガーカウンターは鳴っています、僕たちの靴底で鳴っています。カウンターカルチャーがなぜ下火になったか? それは「肉体」が恐ろしかったからだ。社会に「肉体」を受けいれるだけの度量がなかったからだ。いつしか「肉体」は「身体」に言い換えられ、肉を失って受肉できなくなった僕たちは透明な存在となって浮いている。僕たちは、肉体があるのが怖いんだ。カウンターカルチャーは肉体の喪失と共にサブカルチャーに変貌した。プラスティックの胎児はあちこちで生なき生を受け、政治なき政治のなかで死んでいく。肉体があるのが怖いから、広告の中で笑うアイドルは糞もできない。 少女4:あこがれるわね、アイドル。 少女5:自己消滅のマリア。 先生:けれども僕たちは肉体を忘れることができない、こうして地面が揺れる限り。この半島に生れたことは、「生れ持っての傷」なんですよ。もちろんそれはどこに生れたって同じだ、でも僕やあなたはたまたまこの「鬱くしい国」に生れてしまった。望んだわけじゃない、選んだわけでもない。肉体にはひとつの骸骨が埋まっている、それだけだ。それだけだろうか? 少女6:(男をまじまじと見ながら)警察、来るんじゃないかしら。 少女7:マスクもつけていないしね。 少女8:あなた、そうと決まればいまのうち、いまのうちよ! 少女1:もっと聴かせてよ。 先生: いまは昭和95年。明治152年。「終わらない昭和」、「終わらない二〇世紀」、「終わらないモダニズム」。戻らない青春を繰り返す漫画やアニメのなかみたいに、国家はオリンピックを、万博を、繰り返すつもりでいるんだ。時計を戻せば過去に戻れると信じてる子供みたいに……。君たち、ガスマスクを外さないか。マスクの絆を捨てないか。あなたの顔が見えない。まるで自己消滅してしまったみたいだ。僕が東京都知事になった暁には、東京都じゅうの絆を破壊します! そのとき少女のうちのひとりが、ナイフで男を刺す。たちまち広がる血の染み。男は倒れ、舞台暗転。 5 机の上にあったネームプレートは片づけられ、男は血の染みのを滲ませたまま、スーツ姿で何事もなかったかのように座っている。相変らず、机の上にはメモがあり、男は万年筆を持っている。水玉病を患った少女は8人から16人に増える。ガスマスクはなくなっている。向うに倒れている都市夫もまたいつの間にか水玉病を患っている。 先生:はじめに言葉があった。言葉によって世界は立ちあがる。コンクリートのように混ぜ合わされた不純な言葉、僕が生れる前から誰もが使っていた言葉が、僕の見るものを、感じるものを、切り分け捕えて離さない。ハナすことだけが僕に残された暁だった。言葉だけが世界を切り分けた。言葉だけが境目のない世界に境界線を引いた。分かつことで僕は分かった気になった。終らない20世紀の言葉は、僕の視界を20世紀のものさしで測ってみせた。けれども、言葉だけが世界を歌にした。これは言葉の持つ有機的側面だ。歌は僕の身体から伸びだして、世界にぶつかり弾け飛ぶ。声はこの星の空気をほんのわずかに殴った。殴られた空気はわずかに歪んだ。僕の打ちつけた頭の形に。「最後に声が残った」。君たち、いいかね、「歌だけが残る」。 少女1:先生の水玉病が、ひどくなっていくわ。 少女2:言葉が増えてゆくたびに、水玉も増えてゆくようね。 少女3:もうほとんど、先生の姿がわからない。 先生:「言葉、言葉、言葉」。言葉だけが僕を立ち上がらせた。この世に肉体が生れる前には、言葉はなかった。肉体が喪われれば、言葉も喪われる。言葉ってやつはフィクションだ。同時にそれは圧倒的な現実だ。僕は僕を僕から隔てるスクリーンのあわいで言葉を吐き出すだけだ、吐き出す、嘔吐する、吐き出しつづけるだけだ。そうして僕は無数の言葉になるだろう、こだまする非人称の叫びになるだろう。僕は誰だろうか? 自伝はそれを語れるだろうか? 少女8:自伝が語るのはいつも過去のことだけ、だから半分だけ。ほんのはじまりだけ。 少女9:舞台は半分観客が作る。 少女10:あなたは半分未来が作るわ。 少女11:未完の小説、カフカ、ドーマル。 少女12:計画倒れのロシア・アヴァンギャルド。 少女13:あなたはあなたに帰らない。 少女14:すっかり死んで、あなたの影とあなたが重なるときまで、あなたはどこにも帰れない。 少女15:これでようやくわかったわ。先生の眼鏡とボブヘアーとスーツは、水玉と同じ、どこへも帰らない人の舞台装置なのね。 少女16:誰でもあり、誰でもない存在になるための。 少女1:「もの」から「こと」になるための。 少女2:わたしも眼鏡とボブヘアーとスーツを身につけたら、先生になれるのね。 少女3:先生の名前は松永天馬。そして同時に、誰でもあり、誰でもない場所。 少女4:声と声がぶつかってよく響く、乾いた洞窟ね。 少女5:先生、あなた、何度でも死んで何度でも生れ変る。 少女たち:あなたの病気は治らない。 先生:その通り、「君の病気は治らない。だけど僕らは生きてく」。 テントがひらき、少女たち、街路へ走り去る。男は都市夫と共に、言葉の水玉模様のなかに埋没し、自己消滅する。水玉模様となった言葉は街路に流れてゆく。都市はたちまち水玉病にかかる。遠く音楽が聴える。ショートケーキの歌声で、「生まれてみたい」と歌うのが聴える……聴えますか。こちらはU星、月の裏側、前衛都市とも呼ばれます。わたしのことがわかりますか? あなたがわたしを見るとき、わたしはここに間違いなく存在しているのでした。「わたしはあなたの病気です」。でも、わたしはあなたの病気に恋しています。ピンク色した甘い血で、今夜は乾杯いたしましょう。ももいろに染まったため息は、ベビー・ピンクのインクとなって、都会の空気を汚すでしょう。そうして声に殴られた空気、言葉の残した波紋だけが、あなたが誰かを教えてくれるでしょう。あなたの声がつづくかぎり、わたしの声がつづくかぎり、歌がわたしたちを向うまでわたしてくれるでしょう。「歌だけが残る」。ここはU星、月の裏側、前衛都市とも呼ばれます。U星よりIをこめて。U星より愛をこめて。
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