ちゃんとバンドをやりたいと思い立った理由

──ここ数年のあいだに発表されてきた7インチやスプリットを聴いてバンドとしての一体感が増してきたのを感じていましたが、最新作『POLE & AURORA』はその集大成といった趣がありますね。ここまでバンドらしさを感じるDischarming manのアルバムは過去随一かもしれない。

蛯名:『歓喜のうた』(2015年7月発表)を出した後にベースの江河(達矢)さんが抜けて、それをきっかけにちゃんとバンドとしてやりたいと思ったんですよね。

それでピアノやギターを弾いてくれてた玉木(道浩)くんには自分の統率力のなさを理由にバンドを抜けてもらって、Discharming manを立て直すことにしたんです。そしたらベースにくしこ(俵谷恭子)が立候補して入ってくれて、長年ドラムを叩いてくれたのっち(野川顕史)がやめたりしつつ今に至る感じで。もう一度バンドでガシッとやってみたい気持ちがここ数年くあったのが今回のアルバムに表れているんだと思う。

──もともとは蛯名さんのミニマムなソロプロジェクトとしてキウイロールの反動的側面もありつつ始まったのが、結局はバンドという原点に返るとは面白いですね。

蛯名:ブッチャーズやイースタンユースといった諸先輩の存在や影響が潜在的に刻まれているのもあったし、Discharming manを始めた当初は逆張りじゃないけど、キウイロールではやれなかったことを進んでやっていたんですよね。でもちゃんとしたバンドになりたいと思い立って、そのときの自分とキウイロールをやっていた自分が地続きだったことに気づけたっていうか。キウイロール時代の「white」をDischarming manでやってみたりいろいろ試行錯誤してきたけど、自分がそれまでやってきたこととしっかり向き合わなきゃいけないと思ったし、キウイロールの最後のアルバム『その青写真』と勝負しなきゃダメだなとも思ったんです。そんな気持ちが今回のアルバム制作中にはあったんですよ。それをことさら意識したわけじゃないけど、どれだけ逆張りをしても消去法で考えても他に道がなかったし、自分は自分だし、地続きでやってきたことをちゃんとやるしかないと思って。

──確かに地続きではあるけれど、その時点でDischarming manとして10年以上やってきた経験もあったわけだし、そこで改めてバンドと向き合えばキウイロールとは違うベクトルの表現になるとは思いませんでしたか。

蛯名:どうだろう。もう何も考えずに曲を作るようになっちゃったんですよね。

前は「これはキウイロールっぽいな」「○○っぽいな」とか感じた曲をどんどん削って小さくまとまっていたけど、くしこが入った辺りから何も考えないようになったんです。より自由になったところはありますね。

──くしこさんの加入はDischarming manの潮目を大きく変えたと思うし、間違いなくキーマンですよね。ライブも圧倒的に良くなったし。

蛯名:そうですね。前は自分の曲を人にやってもらうのが前提だったけど、くしこが入ってからはその順番が逆になったというか。今はその人が弾くならこういう曲がいいかな、この人に合うのはこんな感じかなと考えるようになったんです。ギターの詰(橋詰俊博)は吉村(秀樹)さんに影響を受けた弾き方をするけど、高校の頃はケミカル・ブラザーズみたいなテクノとかも好きだったみたいで、細かいフレーズを弾くのも上手なんです。ドラムの(西野)みちかちゃんは54-71のBoboくんみたいにシンプルでタイトなドラムが意外と上手だったりして、個性がちゃんとある。くしこはメロディのあるベース、唄うベースを弾くのが上手だし、そういう3人の持ち味を合わせていけばいいんじゃないかと思いながら今回はアルバムの制作を進めましたね。

──今でこそ理想的な布陣が固まりましたけど、唯一のオリジナル・メンバーだった野川さんの脱退はかなりのピンチだったんじゃないですか。

蛯名:うん。

正直、もうこれで終わりかなと思ったくらいなので。どうしようかと思って残された3人で何回か話し合ったら、くしこも詰もぜひ続けたいと言ってくれたんですよ。2人に背中を押されて今に至る感じですね。

──中尾憲太郎さんによるプロデュースの『ダメージド/マイウォー』(2016年10月発表)、『Disable music / my stupid pride』(2017年11月発表)、「WOUND」(Climb The Mindとのスプリット『GLASS』収録、2018年10月発表)、「hole & hole」(bedとのスプリット『mother』収録、2018年11月発表)を立て続けに発表した流れでそのままアルバム制作に突入するかと思いきや、そうはなりませんでしたね。

蛯名:憲ちゃんがかなり忙しかったのも一因としてありましたね。Crypt Cityの他にもベンジーとやっていたバンド(浅井健一&THE INTERCHANGE KILLS、中尾は2020年10月に脱退)とか、もちろんNUMBER GIRLもまた始めてたし。あとART-SCHOOLやACOさんとかのサポートをいろいろとやってたりで、彼のスケジュールがなかなか押さえられなかったことでリリースが半年延びたことも実際あったんです。それに憲ちゃんが札幌へ来ると短期間に集中してレコーディングすることになって、その良し悪しもありました。一緒に作業できてすごく楽しかったし、いろんなことを教えてもらっていい時間を過ごせましたけどね。

──たとえば「マイウォー」は仮歌をそのまま使われたり、不意打ちのようなプロデュースもかなりあったみたいですけど(笑)。

蛯名:そうそう。そのあと何度も唄い直したのに仮歌が使われちゃって。

「ダメージド」はレコーディング前日に演奏を全面的に変えられたりとか。面白かったですけどね。俺以外の3人は大変だっただろうけど(笑)。

──憲太郎さんのプロデュースで一作フルで聴いてみたかった気もするけど、タイミングもありますしね。

蛯名:憲ちゃんプロデュースでこのままアルバムまでいこうと考えていたところでのっちからやめたいと申し出があって、そのまま時間がずるずると過ぎていって、憲ちゃんも変わらず忙しそうだったからこれはちょっと難しいかなと思ったんですよ。

社会を切り取った歌を唄ってみたくなった

──本作を自身の《5B Records》ではなくGEZAN主宰の《十三月》からリリースしたのはどんな経緯があったんですか。

蛯名:《stiff slack》からスプリットを出してたし、自分のレーベルから出すこだわりも特になかったというか。出そうと思えば出せたんですけどね。一番の理由はGEZANとの交流ですね。一緒に遊んだり、一昨年やった彼らのレコ発ライブやフジロックとかでGEZANの演奏をバックに一緒に唄ったりして仲良くなって。お互いにリスペクトし合っていたし、交流が深まっていくなかでマヒト(マヒトゥ・ザ・ピーポー)が「うちから出しませんか?」と直接言ってくれたんです。もちろん即快諾しました。

──GEZAN主催の『全感覚祭』にも蛯名さんは出演されていましたよね。

蛯名:そうですね、一昨年の。台風の影響で一度は中止になったけど、渋谷のライブハウスを急遽会場にして。まあ、相当すごい時間を体験させてもらいました。アルバムの話をマヒトからもらったのはその少し後だったかな。

──蛯名さんのなかでGEZANもしくはマヒトさんの一番信頼に足る部分とはどんなところなんでしょう。

蛯名:DIYというよく使われる言葉があるけど、GEZANのDIYは次元が桁外れに違うんですよ。何から何まで自分たちの手で築き上げていくのはもちろんだけど、まず環境を自分たちで生み出すところから始めるのでいつもすごいなと思いますね。あと単純に出してる音が好き。フジロックのときに映像作家の川口(潤)さんとも車中泊しながら話したんですけど、GEZANにはブッチャーズやイースタンユース、俺らとかの系譜を感じるんですよね。結成は大阪だけど、札幌のパンクシーンのDNAをかなり受け継いでいる気がしていて。でもZUINOSINやオシリペンペンズ、あふりらんぽといった関西ゼロ世代、もちろん難波ベアーズ周辺の雰囲気もありつつ、札幌パンクの流れもしっかりと吸収してその他のいろんな音楽とも合わさってる感じがして、いつもいいなと思ってますね。

──《十三月》からのリリースは正直意外だったんですが、相性が良かったんですね。

蛯名:レコーディングも何もかもすごい自由にやらせてもらいました。マヒトがどうしても口を挟みたいところだけ「ここはちょっと…」と言われた程度です。

──どんなところですか。

蛯名:ジャケットですね。写真の配置や色使いとか。フロントのジャケは最初、写真だけだったんですよ。しかも色付きで。それをマヒトに「重い」と言われたので、マヒトとデザイナーのアキタ(ヒデキ)くんと俺の3人で意見交換しながら修正したんですけど、そのたびにマヒトが「違う!」と言い張って(笑)。結局、ああいうモノクロのトーンに落ち着いたんですけど、アキタくんが撮ってくれた写真は一度コピーしたものを使ってわざと粗くしてるんですよ。その手法はもともとアキタくんの得意とするところでもあったので、アキタくんのやりたい感じとマヒトのやりたい感じが結果的にうまく合わさったと思います。

──ブックレットのクレジットを見ると、録音時期は2020年2月から10月にかけてということなので、コロナ禍の真っ只中でレコーディングを敢行されたわけですね。

蛯名:最初に録ったのが2月の17、18日とかで、世の中がちょっと危うい感じになってきたけど全体的に危機感がまだそこまでではなかった頃でした。

俺もリキッドルームでやったenvyのレコ発(2月11日)に遊びに行ってたくらいだし、そのときはまだマスクしてる人は今ほどはいなかったです。それから歌入れをした5月辺りになると、レコーディングしていたSOUND CRUEが営業自粛になったりして寂しい空気のなかで作業に打ち込んでいました。

──コロナ禍ならではの張り詰めた空気がアルバムに反映されたところはあると思いますか。

蛯名:すごいありましたね。俺らもあったし、エンジニアを務めてくれたSOUND CRUEの店長のジャッキー(山崎優一)のミックスにもそんな空気が含まれている気がします。彼は本当に長い時間お世話をしてくれて感謝しています。

──本作はCDをトレイに載せてプレイボタンを押した瞬間から度肝を抜かれますね。除夜の鐘のようなギターの音が鳴り響いたあとに「future」という荒々しいハードコア・チューンで幕を開けて、それに連なる粛然としたトーンの「極光」という大作を淡々と聴かせる。これだけで一気に引き込まれるし、これまでになくドラマティックな展開だと思うんです。

蛯名:どっちもオープンDチューニングだからDischarming manにしてはすごく重いんですよね。「future」は音だけ聴いたら今までにないタイプの曲かもしれない。今回は全体的に勢いのある荒削りなアルバムにしたかったという狙いもあったんです。

──「future」には「故郷の母は元気か?」「最愛の妻に会わせてくれ」という歌詞がありますが、これは日本で生活する海外からの移住労働者を唄った歌ですか。

蛯名:そうです。自分じゃない第三者の心情を唄ったのはこれが初めてかもしれません。その前に、CARDと出したスプリット(『WATER』、2020年6月発表)に入れた「無知の丘」という曲があって、それは執拗にヘイトスピーチを続ける在特会とかの人たちや全体主義に傾きがちな世の中の流れを見て感じたことを唄ったんです。「future」はその系譜にある曲ですね。社会を切り取って唄うことはそれまであまりやってこなかったけど、東日本大震災以降にいろんな本を読んだり自分なりに考える機会が増えて、そういう歌を自然と唄いたくなったんですよね。イースタンユースの吉野(寿)さんや小谷美紗子さんといった自分の好きな唄い手もそういう歌を唄っていることが多いし、自分もああいう歌を唄いたいと単純に思ったんです。「future」は外国人の技能実習生たちが搾取されて差別を受けたり、入管の収容施設で虐待されたりといった話を1番の歌詞のモチーフにして、2番は在日韓国・朝鮮人が3世、4世に至るまで今もずっと不当な扱いを受けていることをモチーフにしたつもりなんです。別にその人たちの声を拾いたいとか大それたことも代弁も絶対にできるわけじゃないけど、そういう差別や偏見がまかり通ることに自分が何を感じたのかを唄ってみたかった。

──SNSではたびたびそうした発言をされてきましたけど、曲では珍しいケースですよね。そんな歌がアルバムの1曲目を飾るのも異例だと思うし。

蛯名:社会的なことを唄うのに賛否はあるけど、なんかそうも言ってられなくなってきたというか。オーソドックスなパンクやハードコアではDISCHARGEやCRASSといったバンドが反核・反戦を歌にしているけど、自分はこの小さな島国で起きている目を背けちゃいけない現実を自分なりの言葉にしたかったんですよね。

誰かを無意識のうちに見下していたかつての自分

──「February」も差別と分断、国籍は違えど同じ人間同士が憎しみ合うことに対する違和感をテーマにした曲だし、「future」と似た傾向にありますね。

蛯名:うん。あと今は誰しもが頑張りすぎちゃうというか、人一倍頑張って働かないと生きられない社会構造になっているじゃないですか。平日に毎日遅くまで残業した結果、休みの日は何もできないくらい疲れ果ててしまったりとか。そういうのもおかしいし、もっと豊かに生きられないのかなと思うんですよ。そんなお伽噺みたいなことをいつも考えちゃうんですけど。だから「February」には「頑張らなくたっていいんだよ」というメッセージを入れたつもりなんです。

──「February」は木琴を取り入れた軽妙なアレンジの曲ですけど、歌詞はよく読むと重いですよね。「僕も差別を繰り返してた 自分を上に見せたかった」「裸の王様だと気付けなかった 今の君のように」といった歌詞がさらっと唄われていて。

蛯名:歌詞にもあるとおり、昔の自分はもっと刺々しかったし、人よりも上に行きたいという変な上昇志向があったんですよ。やってやりたいみたいなネオリベ的な感じというか(笑)。今はそうではなく、自分なりに身の丈に合ったことができればいいんじゃないかと思ってますけど。前はもっと優生思想的だったというか、できない奴は別にやらなければいいくらいのことを思ってたんだけど、音楽でも何でもやるのは自由だし、それぞれが自分らしいことをやればいいじゃないかと思うようになりました。

──以前は「溶け合ってく世界」を「毛嫌いしてた」のが変わってきたわけですね。

蛯名:そういうことです。溶け合うのを良しとする人たちが周りにけっこういたから抵抗してたところがあったんですけど、でもそれでいいんだよっていうか。いろんなやり方があるわけだから。みんなそれぞれのやり方でやりなよって感じですね。

──「future」の歌詞を借りるならば、蛯名さんは「アップデートする勇気と自分を捨てる勇気」を持ち合わせていたということですかね。

蛯名:ちゃんとアップデートできていたらいいんだけど、あまり変わってないような気もするし、だいぶ変わったような気もどちらもしますね。自分としてはもっと柔らかい人、豊かな人になりたいんですよ。誤解を恐れずにいえば、憲法9条みたいな人になりたい。日本は他国に攻められたら絶対に弱いだろうけど、9条が平和主義を謳っていることで海外の侵略から護られているし、9条はどの国とも戦争はしないという日本のアティテュードそのものじゃないですか。直接的な攻撃じゃない姿勢的な攻撃というか、それこそが真の強さというか。軍隊のない国というのは現実的ではないのかもしれないけど、それが理想だとしても発想が柔らかくて豊かだと俺は思うんです。豊かといっても経済的なことじゃなく、その人がいたら周りの空気が柔らかくなるというか。抗うことは忘れずに柔らかく豊かでありたい、そうなるための実践を今は一つ一つやってる感じですね。別に真面目に生きるとかそういうことじゃないんだけど。

──そういう意識の変化は、先ほども話に出たヘイトスピーチや右傾化する世界を見過ごせなくなってからですか。

蛯名:ヘイトスピーチを繰り返す人たちを見て、自分とちょっと重なる部分を感じたんですよ。それで、ああ、これはいかんなと思って。昔は日本のことを工業や科学技術で世界と肩を並べる先進国で、貧困層もなく中流家庭が大多数を占める経済国家だと思ってたんですよ。それも何かの洗脳だったのかもしれないけど。それが気がつけば堕落して地に落ちてるじゃないですか。どれだけ働いても暮らしは豊かにならないし、これではもう発展途上国ですよね。今はそんなふうに思える自分も、かつては誰かを無意識のうちに見下していたところがあったなと思って。そのくせ欧米の人にはおもねる態度をとったりして頭が上がらなかったり。そういう昔の自分がヘイトスピーチや全体主義に走る人たちと重なって見えて、すごく嫌だった。それでなおのこと人を見下すのはやめようと思うようになったんです。みんな同じ人間だし。

──なるほど。ブッチャーズの「no future」をカバーしていたDischarming manが「future」という曲を完成させたことに感慨深さも感じますけど(笑)。

蛯名:「no future」はタイトルこそ否定的だけど希望のある歌ですよね。「future」ができたのは去年の今頃、2020年の1月なんですけど、そのときからすでに希望を持ちづらい世の中だったということですね。コロナに関係なく。

──「極光」は11分を超える大作ですが、単調な進行なのに最後まで弛緩なく聴かせるのはバンドの並ならぬ力量だと思って。これがアルバムの肝になる予感は当初からありましたか。

蛯名:ありましたね。“オーロラ”という言葉が出てきて、氷の大陸がゆっくりと動いていく北極の画が浮かんだんですよ。でっかいものがゆるやかに動くイメージがあったから、スケールの大きい曲にしたかったんです。

──それこそ「white」をアップデートしたような曲にも感じたんですよね。広大で荒涼とした北海道の大地や雪景色を連想させる歌と演奏ですし。

蛯名:雪や氷のイメージはありますよね。「極光」の歌詞も実はヘイトスピーチやレイシストの流れがあってできたんです。イデオロギーが自分とは全然違って絶対に分かり合えない人たちはいるものだけど、こうして対話をしたり、時にはケンカしてぶつかりながらも分かり合える瞬間がいつか来ればいいなという願いを込めた曲なんですよね。

──「何か変わるかな 何も変わらない気もするけど」と唄いながらも希望は捨てていないというか。

蛯名:諦め半分ですね。だけど諦めたくはないんですよ。

──そんなふうに、悲観的な状況ではあるけれど諦めずに自分から握手を求めていくような曲が本作には多いですよね。

蛯名:一時期からそういう感じにしましたね。昔はけっこうバッドエンドで終わるような無責任な曲もあったんですけど、今は最後に自分から手を差し伸べたいし、扉が開いた状態で終わらせたいんです。

──「Disable music」や「empty boy」は自身を殺める前に連絡をくれよという歌ですしね。

蛯名:ちょっと前に周りで自死する人が多くて、そんなことになるなら電話の一つも欲しかったなと思って。亡くなってすごくショックだったし、もっと話がしたかったし。でもそれを止めることはできないし、自分でとどめを刺す権利も俺はあると思ってるので。でもやっぱり寂しいことに変わりはありませんけどね。

「Discharming man」はキウイロールの「バカネジ」と戦った曲

──「WOUND」の「だけど今はどこにも行けなくなってしまった」というくだりはコロナ禍と直接関係があるんですか。

蛯名:いま聴くとそう聴こえるかもしれないけど、コロナの状況を唄ったわけではないんです。今回のアルバムでコロナのことをテーマにした曲は一つもないですね。このなかで一番新しい曲は去年の今頃にできた「future」ですし。コロナの感染拡大が始まる前から自分のなかで拭いきれない閉塞感が芽生えてたし、そっちのほうが自分にとっては重要なテーマでした。今は終わったけど安倍政権とそれを支持する人たちのこととか。

── 一つの社会を敵と味方に安易に振り分ける分断の時代は安倍政権が生み出したものだと思うし、たとえば国会前のデモに参加すれば何かにただ反対したいだけの人というレッテルを貼られてしまいますよね。自分の思想や信条と相容れぬ人を即敵対視する風潮には確かに言い知れぬ閉塞感を覚えます。

蛯名:今の時代、驚くほどそっち寄りの人たちが多いというか。職場でも近しい感覚で話せる人はほとんどいませんからね。エコーチェンバー内は自分と同じようにリベラルな人ばかりだけど、一歩外に出たら真逆の世界なんですよね。みんなびっくりするほど思考停止してるし、辛いことには一切目を向けないことになってるから、日本の戦後教育は大成功だと思いますよ。もちろんこれは皮肉ですけどね。

──前作『歓喜のうた』では蛯名さんが敬愛するzArAmeの竹林現動さんが1曲ギターで参加していましたが、今回はdiscotortionの高橋一朋さんが「WOUND」の作曲者としてクレジットされていますね。

蛯名:discotortionの『影切』(2017年10月発表)というアルバムに俺が1曲歌で参加して(「奇異羅理」)、そのお返しがしたいと一朋くんが急にスタジオにやってきたんです。そこでいきなりリフを弾きだして、みんなで音を合わせたら「こんな感じだから」と言い残して帰っていきました(笑)。

──外部の人が作曲に携わるのはDischarming manには珍しいケースですよね。

蛯名:珍しいし、「WOUND」ができてからハードな曲が増えていった気がします。「future」、「極光」、「WOUND」の3曲はDチューニングでギターを1音下げてる共通項もあるけど、その連なりはやかましい印象がありますね。三兄弟みたいな曲っていうか。

──「February」で一息つける感じがありますしね。7インチとして発表した2曲、「Disable music」を残して「ダメージド」を外したのは何か意図があったんですか。

蛯名:時間があまりなかったのもありますね。みちかちゃんが入ったのが一昨年の6月で、初ライブがその年の10月くらいだったんです。そこから録り始めるまでに実質3カ月くらいしかなかったから、ライブでよくやってた曲しか録れない事情もあったんです。そういう技量的にできる範囲内でまず選んだのと、あとは2020年の今どうしても入れたいと思った昔の曲も選んでみました。「Discharming man」がその手の曲なんですけど。

──このタイミングでバンド名を冠した曲を発表するのは、蛯名さんが今のDischarming manに対して揺るぎない自信を抱いていることの表れのように感じたのですが、まさか昔の曲だったとは。

蛯名:曲自体は江河さんが抜けるとき(2015年10月)に目掛けて作ったんです。そのあとも何度かライブでやってたもののちゃんとした形にはできなかったんだけど、みちかちゃんが入ったときに合わせてみたらいい感じだったので、このままアルバムに入れちゃおうと思ったんですよ。

──「Discharming man」はバンド屈指の名曲だと思うし、今の布陣がどれだけいい状態にあるかのバロメーターにもなっている気がしますね。

蛯名:嬉しいです。「Discharming man」はキウイロールの「バカネジ」と戦った曲なんですよね。ここで勝負しないとダメだ、ちゃんと向き合わなきゃダメだなと思って戦ったんだけど、かなりいい勝負をしたんじゃないですかね(笑)。何も考えずにギター一本で作った曲なんですけど、それが逆に良かったのかもしれません。

──「ダメージド」を入れなかったのは「Discharming man」の歌詞に似ていることもありましたか。「ダメージド」に「あの時の僕はもういない/でも今の僕はあの時にはいない」という歌詞がありましたけど、「Discharming man」には「いつしかあの日の僕は/どこにも存在しないから」という歌詞があるじゃないですか。

蛯名:それはたまたまです。いま言われて初めて気づいたくらいなので(笑)。「ダメージド」の前に「Discharming man」ができてるので、その辺りからそういうマインドだったんじゃないですかね。

──“過去の自分はもうどこにもいない”ことをタイプの異なる2曲で唄っているくらいだから、蛯名さんがとりわけ強く主張したいことだったのかなと思って。

蛯名:キウイロールを解散してからずっとDischarming manをやってきたけど、やりきれてなさが自他ともにあったと思うんです。吉村さんがいた時期もあったし、玉木くんやのっちに支えられながらみんなでやっていた時期もあったけど、自分の曲を再現する場でしかなかったような気がして。そうじゃなく、もっとバンドとしてやりたくなったんですね。キウイロールは終わってしまったけど聴いてくれた人たちのなかに今もずっと残ってるものがあって、何か膨れあがったものがあるのを俺も感じていたんです。いまだにけっこう人気があるし、ちょっと煙たい存在ではあったんですよ。ひょっとしたらそこから逃げていたのかもしれない。さっきも言ったとおりキウイロールみたいなことはやらないという消去法でやってきたわけだから。でもやっぱり向き合わないといけないと思ったし、どう転がっても自分は自分だし、今の自分を示していこうと思った。その意思表示が「Discharming man」という曲に出ているんじゃないですかね。

納得の度合いが今までとは桁違いにある

──16年もの歳月をかけてやっとそうした境地に達することができたのはなかなか感慨深いですね。

蛯名:まあ、未熟なんですよ。別に優劣をつけるつもりはないんですけど、今回が一番いいアルバムができたと思ってるんですよね、自分のなかで。アルバムができあがったときの納得の度合いが今までとは桁違いにあって、出しきれなかった部分や達成できなかったところも正直あるといえばあるけど、やりたいことを存分にやれたし、出したいものを出せた手応えがすごくあるんです。だからこそこのあいだSLANGのKOさんにもやっとCDを手渡しできたし。本当はアルバムができるたびに渡したかったんだけど、なんだか胸を張って渡せないところがいつもあって。だけど今回はどうしてもKOさんに聴いてほしかったし、「聴いてください!」と渡せたので自分でも嬉しかったですね。KOさんも嬉しそうで良かったです。

──「Discharming man」のように一度寝かせておいてから形になった曲は他にもあるんですか。

蛯名:「empty boy」と「メイデイ」は8年前の曲で、《stiff slack》から出した『aprilfool』という7インチ(2014年2月発表)で一度録ったんですよ。そのときのベストは尽くしたんだけどうまく録りきれなかった思いがあって、特に「メイデイ」は詰が録り直したかったみたいで、じゃあやろうかということで入れました。

──労働者の祭典をテーマにした歌でもないのに、なぜ「メイデイ」というタイトルを付けたんですか。

蛯名:「February」もそうなんですけど、ブッチャーズの『kocorono』みたいに月ごとにイメージして曲を作っていた時期があったんです。そういう曲がいっぱいあったんですよ。

──そういえばブッチャーズの「5月」に歌詞を付けて唄ったこともありましたね。

蛯名:あれは吉村さんが生きてたら怒られそうなことをやったらいいなと思ってやっただけなんですけど(笑)。

──怒られるどころか、蛯名さんらしい抒情的な歌詞でとても良かったですけどね。

蛯名:あれは自分でも気に入ってます。くしこのベースも射守矢(雄)さんみたいで良かったし、いつか録り直してみたいですね。

──今回のアルバムが出た直後に蛯名さんが今のメンバー3人に対するラブレターのようなブログを書いていたじゃないですか。そこで「感性も枯れてた気がしてたし声もどんどん出なくなってて」と書かれていましたが、全然そんなことはないと僕は思ったし、こうして会心のアルバムを完成させたことはバンドとしてまだやれることがたくさんある何よりの証明だと思うんですよね。

蛯名:いいものが作れて本当に良かったと思うし、江河さんと玉木くんが抜けてから5年くらい経って、ここまで来るのにやっぱりそれ相応の時間や実験が必要だったんでしょうね。

──いま聴くと、過去の3作のアルバムは音が端正で整いすぎた感も若干ありますね。特に吉村さんがプロデュースした『dis is the oar of me』(2009年1月発表)はすごくいい音だけど、今回のバンド感溢れる荒ぶった音のほうが今のDischarming manには合っている気がします。

蛯名:『dis is the oar of me』は、あれはあれで時代の音ですよね。あの頃は吉村さんも俺もシガー・ロスみたいなバンドにハマってたし、ちょっとダイナミクスのあるサウンドというか空間のある音を好んでいたからああなったところはありますね。今回は荒々しいものを作りたい、まとまった感じのものは作りたくないとメンバーにずっと言っていて、それがいい感じで出てると思うんですよ。

──よく出ていると思うし、『POLE & AURORA』というアルバムタイトルにはちょっとしたユーモアも盛り込まれていますよね。これ、札幌市民ならくすっと笑えるところがあると思うんですけど。

蛯名:札幌市民でも意外と気づかない人がけっこういますね。自分としてはもっと外側に向けて発したくて、でっかい括りで付けたつもりのタイトルなんですけど。

──“AURORA”は「極光」という曲から来ていると思うのですが、“POLE”は“北極”のことですよね。

蛯名:“極地”、“極点”という意味なんです。『極点とオーロラ(極光)』ってなんかいいなと思って。だからポールタウンとオーロラタウンってすごくいいネーミングですよね。誰が名付けたかは知らないけど。そこから拝借して、実はこんな意味があるという洒落っけのあるアルバムタイトルにできたのも気に入ってます。そもそもDischarming manというバンド名自体がだいぶふざけてると思うけど(笑)、俺は基本的にふざけてる人なので。

──「極光」と「WOUND」の歌詞に“氷河”、「Discharming man」の歌詞に“氷の河”という言葉がそれぞれ出てきますよね。たまたまなんでしょうけど、繰り返し出てくるからには何か意味するところがあるんじゃないかと気になったのですが。

蛯名:特に意図はないんだけど、何だろう。閉塞感の象徴なんですかね。閉じ込められてる感じというか、冷たい氷河の下で溺れてるようなイメージ。そういう寒々しくも壮大さがある感じ。もしかしたら住む環境が変わったのもあるのかな。前に住んでた中央区よりも今住んでる豊平区の福住のほうが冬道を歩くことが多くて、そういうのも意外とフィジカルで影響があるのかもしれません。

──「Discharming man」のミュージックビデオは豊平川の付近で撮影されたんですか。

蛯名:あれは石狩川です。監督のアキタくんが石狩川が大好きで、事あるごとに石狩川に連れて行かれるんですよ(笑)。

──ミュージックビデオの前半とジャケット周りで使われたコンクリート打ちっぱなしの空間もその辺りですか。

蛯名:あれは東区のトンネルですね。苗穂辺りの工場地帯に地下道があって、そこへ3回くらい通って撮りました。

──ジャケットデザインから写真と映像の撮影までビジュアル面のすべてを手がけるアキタさんには全幅の信頼を寄せているのが窺えますね。

蛯名:アキタくんはもともと写真家で、個展をやりながらいろんなバンドのアー写を撮っていたんですけど、彼の写真がすごく好きだったんです。撮った写真を彼なりに加工するのも面白いし、自分にはない世界を持っているからDischarming manのイメージを増幅してくれると思ったんですよね。

今はライブをやること以外でライブハウスを支援していきたい

──オンラインショップで本作を購入すると蛯名さんの弾き語りによる「We Are The World」が特典音源としてプレゼントされるそうですが、これが独自の日本語詞をのせたユニークなカバーで。USAフォー・アフリカの誰もが知る有名曲をなぜカバーしようと思ったんですか。

蛯名:あのカバーも東日本大震災直後に作ったものなんです。震災の起きた次の週に名古屋のハックフィンで弾き語りのライブがあって、それに合わせて作ったんですよ。今回録音したのは10年前の歌詞そのままで、それが今に通じるということはこのコロナ禍の状況が震災直後と似てるんでしょうね。

──自分たちの未来はいつも悲しい闇の向こうにあるという、希望を忘れないでいようと素直に思える歌に仕上がっていますしね。

蛯名:当時はそういう歌を作りたかったんです。弾き語りのライブではよくやっていたんだけど、音源にするなら今かなと思って。

──これだけいいアルバムができたら早くライブで体感したいものですが、コロナウイルスの感染者数が激増している昨今では厳しい状況ですよね。

蛯名:東京も含めて何本かライブに誘われてるけど、3月にやる予定だった札幌のライブも結局キャンセルしちゃったんです。というのも今は入院患者を受け入れる病床数が逼迫していて、コロナ以外の病気の人やケガの人が入院できない状況じゃないですか。そのなかで感染拡大の要因となることをやるのは筋違いかなと思うんです。自分たちも去年の3月にカウンターアクションでライブを敢行したけど、1年経って社会の状況と自分の考え方、優先順位が変わってきたんですよね。これでコロナ感染が収まって世の中が鎮静化していれば話は違ってたけど、むしろ状況は悪化していますから。国はオリンピックをまだやろうとしてるけど、ライブやイベントは今年はまだやるのが厳しいと正直感じています。ただライブハウスが本当に大変なのはよく分かるから、ライブをやること以外で支援していけたらいいなと思ってできる限りのことはやってるんですけどね。微力ではありますけど。

──配信ライブについてはどう考えていますか。

蛯名:去年の9月に(三浦)洋平からぜひやってほしいと言われてカウンターアクションで初めてやったけど、難しかったですね…。リアルタイムでできなくて録画になるということで、それならドキュメンタリータッチの番組形式というかライブDVDみたいにしようと思って、その撮影と編集をアキタくんにお願いしたんですけど。そのあともSOUND CRUEで配信をやってみたものの、やっぱり慣れなかったですね。俺はお客さんに盛り上げてもらって初めて盛り上がるタイプなんだなと実感したし、配信だと暖簾に腕押しみたいな感覚なんですよ。感情をどこにぶつけていいか分からないし、それが変な力みになって声がうわずっちゃったりして。まあ、やって良かったとは思いますけどね。それでライブハウスにいくらかお金も入ったし。ただ、通常のライブと比べて伝わらない部分が大半だと思うんですよ。俺らみたいな演奏をするバンドは特に。ライブハウス存続のためになるならやっていきたいところはあるけど、慣れない辛さも正直ありますね(笑)。

──単純にライブを思うようにやれない辛さも当然ありますよね。

蛯名:去年はライブが12本くらいキャンセルになって、自分たちのモチベーションをどこへ持っていけばいいのか分からなくなっちゃって。週一の練習もいまいちどうやっていけばいいか分からないもどかしさがあるんですよ。だから今は新しいアルバムを作り始めています。実はすでに去年から着手しているんですけど。

──それは楽しみですね。ストックはあるんですか。

蛯名:いっぱいあるんですけど、今は時間が格段にあるからできれば半分くらいは新しい曲を書き上げたいんですよ。まだどうなるか分かりませんけどね。全部古い曲になるかもしれないし、全部新しい曲になるかもしれないし。今年出せるならこれを聴かせたいという曲をピックアップしていくとは思いますけど。吉野さんが『2020』のインタビューでライブがキャンセルになったおかげでアルバム作りに打ち込めたと話していたけど、俺らも同じような感じになりそうです。

──時間的余裕があるのも要因でしょうけど、今のメンバーだからこそすぐ次の作品作りに向かえるところもあるんじゃないですか。

蛯名:それはあるでしょうね。それが大前提だし、俺が持ってくる曲をただやるんじゃなくて、各自がちゃんと噛み砕いて自分たちなりのものにするからすごいなといつも思ってます。まあ、みんなやかましい音を出すなあとか思いながらいつも唄ってますけどね(笑)。もっとちっちゃくしてよと思うときもあるし、難聴も酷いことになってるけど、爆音のなかで唄うことが染みついてますからね。

──話をうかがっていると、蛯名さんの創作のスタンスが作為的ではなくなってきたのを感じますね。小手先でもの作りをせず、ただ書きたいことを書く、唄いたいことを唄うだけという。バンドに向かう意識も変に力まず自然体でいられているのが伝わってくるし。

蛯名:歌詞でいろんなことを言っているけど、所詮ただの歌詞じゃないかという感覚も同時にあるんですよね。単なる言葉遊びでいいとすら思ってるから。でもやっぱり自分が歌詞を書く以上は意味を持たせたものにしたいんですよ。歌に関しては、いま作ってるアルバムでは『POLE & AURORA』で唄いきれなかったところをより強く唄っている感じですね。バンドとしては今のこの4人のいいところをもっと出したいし、出せると思うんです。荒々しさを出した『POLE & AURORA』とはちょっと毛色が違うものになるかもしれませんけど。コンセプチュアルなものというか、骨格がしっかりとあるものを作れたらいいなと思いますね。同じようなアルバムを作ってもしょうがないので。まあ、頑張りますよ。頑張りすぎずに頑張ります。

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