日本語と中国語(169)-上野惠司(日本中国語検定協会理事)

 「朱に交われば赤くなる」ということわざを手がかりに、朱・赤・紅の色の濃さを比べてみたが、或いはこういう順序づけは無意味かもしれない。

 「朱」は朱色の顔料で本来は名詞、「赤」は燃え盛る火の色、「紅」は布地の色(あかね色の植物の汁で染められたのであろう)と、それぞれ起源を異にすることばで、初めから濃度を比較して生まれたことばではないからである。


(45)「朱」は死火山

 朱は顔料として身近に存在し、目で確かめることができたところから、早い時期に「朱雀」「朱門」「朱墨」「朱筆」「朱纓」「朱顔」……と、アカ色を形容する語として使われた。

 「朱雀」は天の四方の方角をつかさどる神の一つで、東の「青竜」、西の「白虎」、北の「玄武」と並んで、南に配されている。唐の都長安や、わが国の平城京・平安京の南門を朱雀と称したのは、これによっている。

 「朱門」は文字どおりには朱塗りの門の意であるが、昔、高位高官の家は門を朱色で塗ったところから、貴族や顕族を指すようになった。杜甫の詩に、「朱門酒肉臭、路有凍死骨」(朱塗りの門の邸内では酒や肉があり余って腐るほどであるのに、路傍には寒空に行き倒れた凍死者の骨が横たわっている)とある。

 ただ形容語としての朱は、最も早く生まれたせいか、形容される語との結びつきが固定してしまい、今日ではすでに新しい語を生み出す力を失ってしまっている。

(46)「赤」は休火山

 「朱」が顔料として実在するのに対し、炎の色を示す「赤」は、その時々の燃えぐあいや見る人の主観によって、濃淡の差が生じやすい。「赤」がアカとして「朱」ほどには確かな地位を占めることができなかったのは、このためであろう。

 ただ、「赤」は確かな地位を占めることができなかった代わりに、「朱」のように他の語との結びつきが固定化してしまうことはなく、比較的近い過去まで、活発な生産力を維持し続けることができた。

 後発の「赤」の特徴の一つは、生まれたばかりの赤ん坊の肌の色を指し、そこからさらに「はだかの」「むきだしの」という形容詞に転じ、さらに転じて、「赤身」(はだかになる)、「赤膊」(肩、或いは上半身をむきだしにする)、「赤脚」(はだしになる)のように、動詞としても使われることである。

(47)「紅」は活火山

 「朱」に比べればはるかに活発な生産力を有する「赤」も、今日ではその地位を完全に「紅」に譲ったかの観がある。

 理由はいろいろ考えられるが、濃淡の受け取り方に幅があるとはいっても、炎の色である「赤」のもつ幅には限度がある。
この点、染色に由来する「紅」は、染め方しだいで、濃から淡まで自在に加減することができる。「最紅」だの「很紅」だの「粉紅」(ピンク)だのと、濃淡の程度を示すさまざまな形容語をとることができるのも、このためである。

 「紅臉」(顔を赤らめる;怒る、恥ずかしがる)、「紅眼」(目を赤くする;怒る、ねたむ)のように動詞として使われるのも、「赤」の場合と同様である。

 火山にたとえれば、「朱」は死火山、「赤」は休火山、「紅」は活火山といったところであろうか。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)

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