新華社によると、台湾のトウ麗君文教基金会と中国大陸側の衛星テレビ局である湖南衛視が共同で、テレビ・ドラマ『テレサ・テン』を制作する。撮影開始は2016年後半という。
(「トウ」は「登」におおざと)

 トウ麗君文教基金会は財団法人で、文芸活動を通しての台湾文化の向上を趣旨としている。「トウ麗君」はテレサ・テンの中国語名。同基金会の設立は1995年で理事長はテレサ・テンさんの兄のトウ長富氏だ。

 『テレサ・テン』はテレビの連続ドラマで、すでに20編の脚本が完成している。脚本家は大陸に在住する台湾人という。主演や出演者は人選を進めている最中だ。トウ長富氏が大陸側と改めて話し合って決定したいという。

 テレサ・テンは華人社会で「超一流の歌手」として、現在でも極めて高く評価されている。トウ長富理事長によると「テレサのファンは多いが、テレサがどのような道を歩み、どのような困難や挫折を経験したか、それらをどのように克服したかは、あまり知られていないようだ」と説明。ドラマは、テレサ・テンの成長の過程を描くという。

**********

◆解説◆
 テレサ・テンは1953年、台湾中西部の雲林県で生まれた。両親ともに大陸の出身。
父は中華民国軍の軍人で、共産党との内戦に敗れたために台湾に移った。10歳の時にラジオ局主催の歌唱コンテストで優勝。14歳の時にプロデビューした。台湾だけでなく、共産圏を除く東南アジアで絶大な人気を得た。

 1970年代からは日本でも芸能活動を行い、人気を博した。日本レコード大賞、日本有線大賞、日本ゴールドディスク大賞など、受賞歴も華々しい。紅白歌合戦には3度出場。1995年5月8日、静養先のタイで、気管支喘息のため死去した。42歳だった。

 テレサ・テンは、「中華民国」に忠誠を尽くした芸能人でもあった。当初は強要された面もあったが、軍の慰問公演も多数回行った。1980年には「私が大陸で歌うことがあるとすれば、それは三民主義が大陸で実施されるその日です」と発言。
その後は、一族のふるさとである大陸でのコンサート開催を望むようになったが、1989年に北京などで民主化要求デモが発生すると、香港で開催された民主化支援コンサートに出演した。

 台湾当局は、テレサ・テンの歌を対大陸宣伝戦に利用した。中国共産党はテレサ・テンの歌を「猥褻歌曲」に指定して音楽テープの販売や所持を禁止した。しかし海賊版は爆発的な人気を呼んだ。1987年に台湾の商品を大陸で販売できるようになると、テレサ・テンの正規の歌唱テープなども大陸で販売されるようになった。

 テレサ・テンは、中国の体制を「共産党による一党独裁」と嫌悪していた。そのテレサ・テンをテーマにしたドラマが「中台合作」で制作されることになった。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:CNSPHOTO。10月8日に台北市で行われたテレサ・テンの遺品展開幕式)


【関連記事】
ブルース・リー生誕75周年を記念、中国で11月下旬にカンフー文化祭を開催
台湾に実在した「こち亀」派出所、なんと「両津」もやってきた・・・日本統治時代から100年以上の歴史
「台湾人が直木賞を受賞した!」・・・戦後世代初、台湾では又吉さんの芥川賞より高い関心
「抗日戦における共産党軍の貢献は最大で5%」と台湾元首相が批判・・・中国メディア「卑怯者、ここまで来て言え!」
台湾の国会内委員会が「馬英九総統は全国民に謝罪せよ」可決 中国・習主席との会談を批判
編集部おすすめ