記事は、日本については歴史的な問題で恨めしく憤りを感じる一方で「戦後わずか30年で経済や科学技術を急速に発展させ、世界第2の経済大国にまでなった」とし、「日本人の努力を認めざるを得ない」と評した。

 そのうえで、中国が北朝鮮を支援して米国を首班とする連合国軍と戦った1950年代の朝鮮戦争時「日本はどのような状況だったのか」とし、51年ごろの日本国内の様子を撮影したカラー写真を多数紹介した。


 今日頭条がこのほど掲載した写真には、当時の東京の「高層ビルはないものの整然とした街並み」や、農村の家や畑の様子、八百屋や魚屋、肉屋の様子、工事現場で働く人びとの様子が映っている。記事は、いずれの写真についても「整然」、「清潔」、「美しい」という言葉を用いて説明。そして「カラー写真から、日本の当時の状況はまるで80年代の中国のようであることが伺える」と評した。

 また、朝鮮戦争を境に日本と中国との差が急速に拡大していったとし、日本がこの戦争による特需を契機に国力を回復し、さらに以後30年の間に数多の技術を自分のものにしてきたことを説明している。

 国共内戦にようやく終止符を打ち建国された中華人民共和国は、建国間もない50年代初め、長年の戦争や内紛で疲弊した国内の再建もそこそこに「兄弟」である北朝鮮を支援すべく出兵した。その後は政治闘争を繰り返し、66年にはそのピークと言える文化大革命が発生、国土も国力も社会も疲弊した状態が長く続いた。混乱に終止符が打たれたのが70年代末で、中国にとって80年代は改革開放を柱とする復興成長期だった。そして、以後30年で爆発的な経済成長を見せ、現在に至る。

 混乱が収束して国や社会の再建が始まる時代。そう考えると、50年代初期の日本の写真に80年代の中国に似たものを感じるというのも理解できる。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)philipus/123RF)


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