Switch 2。発売価格は4万9980円(税込)。
6月5日発売の「Nintendo Switch 2」。歴史的ヒットをした初代「Switch」の後継機だけに、任天堂にとっても気合いが入った最新ハードだ。だけど、任天堂のハードウエア史を振り返ると、ヒット機の次世代は意外とコケている!? 任天堂の歴史と今ある情報から、その本気度を探る!
■成功と失敗を交互に繰り返してきた任天堂ハード史
1889年創業の任天堂は京都の花札・トランプメーカーとして出発した。戦後、社長となった山内溥(ひろし)氏はロイ・O・ディズニー氏に直談判して、ミッキー柄のトランプを日本で初めて流通させただけでなく、トランプを文具屋に卸し、トランプゲームの説明書をつけ、大人向けの娯楽から子供でも遊べる大衆的な娯楽にした。
このように任天堂は常に「娯楽の普及には市場の開拓が必要」という理念を抱いており、現在の「Nintendo Switch」まで脈々とその思想は受け継がれている。
そして、1977年に据え置きゲーム機「テレビゲーム15」を発売すると、80年発売の携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」と共に家庭とポケットを攻略。
83年7月には「ファミリーコンピュータ」が登場。実は、発売当初はいきなりの大成功というわけではなく、85年の『スーパーマリオブラザーズ』の発売で一気に〝世界に知られる任天堂〟へと急成長していった。

【1983年】(7月15日発売)ファミリーコンピュータ《国内販売台数》1935万台/発売当初の価格は1万4800円。ゲームセンターでしか遊べなかった高品質なアーケードゲームが、自宅でもほぼ遜色なく遊べるという点で、子供だけでなく大人の心もつかんだ。意外なことに2003年まで生産された

【1990年】(11月21日発売)スーパーファミコン《国内販売台数》1717万台/発売後、瞬く間に日本の市場を席巻したハード。衛星通信でゲームをダウンロードできる「サテラビュー」やゲームボーイをテレビの画面で遊ぶ「スーパーゲームボーイ」など最先端のゲーム体験を提供した
90年発売の「スーパーファミコン」もヒットし、90年代半ばまで日本市場を席巻した任天堂だったが、96年の「NINTENDO64」から暗雲が垂れ込めた。
3DCGの描画能力は94年発売の競合機「PlayStation」(以下、PS1)や「セガサターン」と比べて高いものの、ソフト製造にコストがかかるカートリッジ方式はソフト開発のハードルを上げ、特に国内ではタイトルが集まりづらいゲーム機となってしまった。

【1995年】(7月21日発売)バーチャルボーイ《国内販売台数》14万台/「3DS」より前に発売された、"任天堂ハードの黒歴史"として名高い3Dゲーム機。ゴーグル型の本体をのぞき込んで遊ぶが、その姿勢がキツく、ディスプレーは赤一色で点滅するため目や頭が痛くなる

【1996年】(6月23日発売)NINTENDO64《国内販売台数》554万台/任天堂初の3DCGゲーム機。描画能力は高かったが、開発ハードルも高くソフトが集まりづらかった。3Dを浸透させるための3Dスティックを搭載しつつ、十字キーを残したコントローラーの評価は高い
対する「PS1」は、光ディスクを採用したことでソフトの製造コストが低く、開発環境も整っていたため、多くのソフトメーカーが参入。結果としてこの時代は「PS1」に軍配が上がることに。
2001年の「ニンテンドー ゲームキューブ」では「64」の反省を踏まえて開発環境を整えたものの、次世代ビデオ規格のDVDを採用した「PS2」相手に奮闘むなしく国内販売台数は2位止まり。
この時代の任天堂を救ったのは「ゲームボーイカラー」や「ゲームボーイアドバンス」といった携帯機だった。

【1989年】(4月21日発売)ゲームボーイ ポケット/ライト/カラー《国内販売台数》1242万台/発売当初の価格は1万2800円(税別)。画面をモノクロにしたのは緻密に練られた戦略だった。カラー液晶で電池の消耗を早くしてしまうより、長く楽しめることを優先したことが功を奏してヒットした

【2001年】(3月21日発売)ゲームボーイアドバンス SP/ミクロ《国内販売台数》1696万台/発売時には26タイトルが同時に発売されるという豪華なデビューを果たし、さらに任天堂初の前世代のゲームボーイとの互換性を持つ、子供たちにも、買い与える親にもうれしいゲーム機となった

【2001年】(9月14日発売)ゲームキューブ《国内販売台数》404万台/任天堂初となる光ディスクを採用したゲーム機。性能は競合の「PS2」より高く、「Xbox」より低いという位置づけだったが、DVD再生機能を備えたPS2に押される形となってしまい、市場では2番手に
当時はゲームの複雑化も相まって、〝ゲーム離れ〟という言葉も生まれるほど業界は大きな課題に直面していた。
〝触れるだけ〟のタッチパネルや〝振るだけ〟のリモコンによる直感的な操作を生かし、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』や『Wii Sports』が社会現象化。見事、業界首位に返り咲いた。

【2004年】(12月2日発売)ニンテンドーDS DSLite/DSi/DSi LL《国内販売台数》3299万台/発売当初の価格は1万5000円(税別)。2画面でタッチパネルを搭載した携帯機。「DS」「DS Lite」までは「アドバンス」との互換性がありゲームボーイシリーズの後継機と誤解されがちだが、当時はゲームボーイとは異なる任天堂"第3の柱"として展開された

【2006年】(12月2日発売)Wii《国内販売台数》1275万台/発売当初の価格は1万5000円(税別)。2画面でタッチパネルを搭載した携帯機。「DS」「DS Lite」までは「アドバンス」との互換性がありゲームボーイシリーズの後継機と誤解されがちだが、当時はゲームボーイとは異なる任天堂"第3の柱"として展開された
しかし、後継機の「Wii U」は、テレビ画面だけでなく手元のコントローラー(ゲームパッド)の画面でも遊べるという画期的なハードだったものの、一般層に訴求できなかった。
ハード後期にしてようやく『スプラトゥーン』『スーパーマリオメーカー』で注目されたが、続く「Switch」に向けて動いていたこともあり、増産にも消極的で品薄のまま終わりを迎えた。

【2012年】(12月8日発売)Wii U《国内販売台数》334万台/任天堂初のHDMI端子を搭載したハード。タブレット型のコントローラー(ゲームパッド)は、従来の据え置きゲーム機の欠点だった「テレビをほかの誰かが占拠したら遊べなくなる」という課題に対するひとつのアンサーだ
とはいえ、このときの〝テレビがふさがっても続きを手元で遊べる〟という発想は次世代への貴重な布石になった。
〝持ち運べる据え置きゲーム機〟はゲーム業界の長年の野望だった。
ほかにも、据え置きゲーム機ソフトの携帯ゲーム機への移植が試みられたが、スペックの差から内容の一部を削るといった代償を支払うことに。
逆に、携帯ゲーム機ソフトを据え置き機のように大画面で遊べるようにする動きもあり、任天堂はスーファミ向けに「スーパーゲームボーイ」、ゲームキューブでは「ゲームボーイプレーヤー」と、据え置き機で携帯機のソフトを遊べるようにする周辺機器を発売した。
そんな流れを受け携帯機と据え置き機の垣根をなくそうとしたのが「Wii U」だったのだが、思うような成果には至らなかった。
その思いを受け継ごうと現れたのが、17年発売の「Switch」だ。家では据え置き機、外へ持ち出せば携帯機、さらには本体スタンドを使って多人数プレイと三変化。「Switch」は〝持ち出せる据え置きゲーム機〟として任天堂の長年の悲願を成就させ、大ヒットを記録した。

【2017年】(3月3日発売)Nintendo Switch Lite/有機ELモデル《国内販売台数》3720万台 /光ディスクをやめ、新たにフラッシュメモリー方式のカートリッジを採用。発売当初から転売ヤーの買い占めなどで品薄が続き、市場としては2年ほどの空白期間が生じたものの、国内販売台数1位に
■「Switch 2」の中身を妄想する
あるインディゲームイベントに出展していた中華系のソフト開発者に話を聞いたところ、「『Switch 2』は持ち運べる『PS4 Pro』のようなもの」と全体的に高く評価していた。
これが的を射ているかどうかは怪しい部分もあるが、納得感もある。「Switch 2」のスペックについて断定的な評価ができるほどの情報は5月28日現在出ていないが、「Switch」版もあるゲーム『World of Tanks Blitz』の今後のアップデート情報に、ゲームエンジンの「Unreal Engine 5」に対応するという発表があった。
ゲームエンジンとはゲームを作るための道具のようなもの。
任天堂のハードの歴史を振り返ると、「ファミコン」「スーファミ」から「64」「ゲームキューブ」、「Wii」から「Wii U」というように、ヒット機の次世代は伸び悩む傾向にある。そして今回の「Switch 2」は、国内のゲーム機販売台数で歴代1位の記録を塗り替えた「Switch」の後継機だ。
名前を見て、かなり安直に「2」とつけたなと思う人もいるだろう。だが、もしかしたらこれは、「次こそ、後継機へのバトンタッチを成功させよう」という任天堂の覚悟の表れなのかもしれない。
●畑 史進(はた・ふみのぶ)
1989年生まれ。ウェブメディア『エンタジャム』編集長。映画『スター・ウォーズ』を中心に映画、ゲーム、アニメのコラムを書いている。ちなみに「Switch 2」の抽選販売に当選している
写真/時事通信社(「Switch2」「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」「ゲームボーイ」「ゲームキューブ」)
文・写真提供/畑 史進