【怒りのコメ農家対談】コメ価格高騰への無策や農家軽視..."...の画像はこちら >>

菅野芳秀さん(左)と安田淳一監督(右)(写真/本人提供)
山形県で農業を営む菅野芳秀(かんの・よしひで)さんが代表を務める"令和の百姓一揆"が3月30日に行なわれ、国の補償なしには継続困難である農家の現状が訴えられた。

一方、映画監督で、コメ農家でもある安田淳一(やすだ・じゅんいち)監督は、日本外国特派員協会の会見で「抜本的な改革が国政レベルで行なわれない限り、日本の農業は立ちゆかなくなると思う」と語った。

日本の農業が今置かれている状況について"令和の百姓"であるふたりに存分に語り合ってもらった。

*  *  *

■コメ農家の現状

備蓄米が放出されても、値上がりが続くコメ価格。2023年1月には5㎏2000円程度だった価格が、多くの銘柄で約2倍にまで高騰している。その中での江藤拓(えとう・たく)農林水産大臣(当時)の「私はコメを買ったことがない」発言だ。発言から3日後の5月21日には辞任に追い込まれた。後任の小泉進次郎氏は「コメの価格を下げる」と着任早々宣言したが、長期的な政策についてはこれからだ。

減反を続け、農業への十分な支援をせず、「大規模農業」を推し進めてきた政権与党の農業政策に問題はなかったのだろうか? 3月30日に行なわれ、弊誌『週刊プレイボーイ』でも取材した"令和の百姓一揆"の菅野芳秀代表と、映画監督でコメ農家でもある安田淳一監督に語り合ってもらった。

菅野芳秀(以下、菅野) 初めまして。『侍タイムスリッパー』と『ごはん』を拝見しました。『ごはん』は「この監督は実際に農作業をしたことがある人だな」とわかる映画でした。

私も山形県長井(ながい)市で『ごはん』の主人公と同じ、5haの水田を耕しています。ひとりで管理するには広く、兼業できる面積ではありません。コメ作りは耕耘(こううん)、田植えから始まって、刈り取り、乾燥、脱穀に至るまで、季節の変化に合わせて気が抜けない農作業が続き、失敗ややり直しができない。

『ごはん』には稲作の日々にある緊張感や空気も含めて表現されていました。田んぼの中に身を置いた経験がないと撮れない、貴重な映画です。

【怒りのコメ農家対談】コメ価格高騰への無策や農家軽視..."令和の百姓一揆"代表・菅野芳秀×『侍タイムスリッパー』安田淳一監督 「『農家頑張れ』ではなく、政治家こそ頑張れよ」
映画『ごはん』(2017年) 東京でOLとして働いていたヒカリの元に、故郷の京都から父の訃報が届く。幼い頃に母を亡くし、仕事に明け暮れていた父とはぎこちない関係のまま育ったヒカリだったが、葬儀のために故郷へ戻る。そこでヒカリは、父が年老いた農家の人々に頼られ、広大な田んぼの耕作を引き受けていたことを知る。ヒカリは父が残した田んぼを引き継ぐことを決意し、さまざまな人に助けられながらコメ作りに奮闘。その仕事を通して、亡き父の思いを少しずつ理解していく......。(C)未来映画社

映画『ごはん』(2017年) 東京でOLとして働いていたヒカリの元に、故郷の京都から父の訃報が届く。幼い頃に母を亡くし、仕事に明け暮れていた父とはぎこちない関係のまま育ったヒカリだったが、葬儀のために故郷へ戻る。そこでヒカリは、父が年老いた農家の人々に頼られ、広大な田んぼの耕作を引き受けていたことを知る。ヒカリは父が残した田んぼを引き継ぐことを決意し、さまざまな人に助けられながらコメ作りに奮闘。その仕事を通して、亡き父の思いを少しずつ理解していく......。(C)未来映画社
安田淳一(以下、安田) ありがとうございます。実はコメ作りについて、僕はまだまだひよっこなんです。20年くらい前から、田植えや稲刈りの時期を中心に父の手伝いをしていたので、トラクターやコンバインなどには乗れます。

ただ『侍タイムスリッパー』の撮影中に父が脳出血で倒れて、意識が戻らないまま半年後に亡くなってしまいました。稲作りについて、父からちゃんと教わっていないんです。

僕が本格的に引き継ぐ2年前にいとこが父から習っていたので、彼女から教わりました。

菅野 そうでしたか。私は殺菌と化学肥料ゼロのコメを目指して50年前からコメ作りをしていますが、言い換えれば「50回しか経験していない」わけです。農業は奥深いですから。

安田 僕の住んでいる京都の城陽(じょうよう)市は、昔はコメ農家が多かったんですが、すっかり減っています。父親から子供に相続するときにやめてしまうんです。父はそうした田んぼを最盛期には6.5haくらい、何十軒分か預かっていました。

亡くなる1ヵ月前、僕がコメ作りを引き継ぐことにしたときには「もう自分の田んぼだけやったらええ」と言っていたので、今は自分のところの1.3反(130a)を一生懸命、作っています。

■"令和の百姓一揆"が始まるまで

安田 菅野先輩が代表をしている"令和の百姓一揆"について、経緯などを教えてもらえますか。

菅野 農民が集まって声を上げる最後のチャンスだと思ったんです。今の農業の問題は構造的なもので、政府に声を届けたいが方法がわからない。農民が減っていく中で、誰と連携すればよいのか、諦めの気持ちもありました。そこへ去年の10月頃、かつて民主党で農水大臣をやっていた山田正彦さんから「一緒に令和の百姓一揆をやりませんか」と、声をかけてもらった。

そのときにはすでに全国で10人くらいのメンバーがZoom上で集まっていました。私は途中参加なんですが「代表をやってくれないか」と。

安田 前に、日本外国特派員協会の会見で僕は「個人的な百姓一揆が成功した気持ちだ」と言いました。それは、映画が当たって、自分のところの田んぼは何年間かやっていける成果を得た、という意味でした。僕らの親父も若い頃に京都市内をトラクターでデモしたというのを何度か聞いたことがあります。

菅野 実際にやってみて、反応はとても良かったですね。トラクターを初めて見た物珍しさもあったのかもしれませんが、なぜデモをしているのか、時給10円という現状などを訴えたら、原宿や渋谷の若い人たちが手を振って「頑張れ、頑張れ」と言ってくれて、特にうれしかった。

当日は東京のほかにも、沖縄、奈良、富山、鹿児島など全国13ヵ所でデモを行ないました。これからも継続的にやっていこうと話しています。

■多くの人が責任感でコメ農家を継いだ

安田 マスコミにも注目されて、こうやって『週プレ』でも記事にしてくれるという意味で、成果があったと思います。問題は耳目(じもく)を集めた後に、自分たちが農政を変えられるところまでいけるか。

今はコメが足りなくなって「値上がりした」というけれど、30年くらい前の価格に戻っただけです。「農家」というと野菜や果物まで幅がありますが「コメ農家」と限定すると誰も儲(もう)かっていない。

大規模化すればよいと言うが、わずかな補助金と引き換えに経営の主体性を国に差し出すことになる。「大規模」といってもほかの産業と比べると規模が大きいとは言えない。

第2次世界大戦で日本が敗戦し、アメリカから麦、小麦と輸入が拡大する中で、産業界からの要請もあって都市部に労働力を提供するようになった。

以来、政策的にコメ作りが圧迫されている気がするわけです。せっかく頑張ってコメ作りをしても「減反しろ」と減反政策を押しつけられてきた。そうした農政の結果、菅野先輩もおっしゃるようにコメ農家の時給10円といった事態になっている。

――農業の大規模化とともに、付加価値を上げたらどうか、といった意見もありますね。

安田 例えば「監督の作るおコメが食べたい。小分けで売ったらどうですか」と言われても、倍の値段にしても手間ばかり増えて年間20万円の赤字が10万円になるくらいです。

国政が動いて、農家からある程度の価格で買い上げて、逆ざやで国民に卸すくらいの大転換がないと、離農する人が増えるばかりでしょう。今残っているのは責任感からコメ農家を継いだ人だけです。だって、どう頑張っても儲かりませんから。

【怒りのコメ農家対談】コメ価格高騰への無策や農家軽視..."令和の百姓一揆"代表・菅野芳秀×『侍タイムスリッパー』安田淳一監督 「『農家頑張れ』ではなく、政治家こそ頑張れよ」
自身が所有する田んぼで稲刈りをする安田監督(写真/本人提供)

自身が所有する田んぼで稲刈りをする安田監督(写真/本人提供)
菅野 そうです。先祖代々、守ってきた土地と農民が引き継いできた知恵を守りたいという気持ちが大きいですね。自分はそう思って踏ん張ってきたけれど、じゃあ息子にも同じことをやらせることができるのか。

安田 「今こそわれわれは国の政策の変化を求めている」ことを明確にしていく必要がありますね。

菅野 "令和の百姓一揆"をやった時点で、私たちは3つの柱を出しました。これからはそれらを具体化していく過程だと思います。

第一に、生産者が農業を続けていけるだけの所得補償をすること。欧米ではすでに市場の動向で農産物の価格が左右されないように、市場と関係なく農家に補償する制度ができています。安定した制度の中で食料が作られている。

第二に、都市部で満足に食事ができない人たちに対して、人権問題として飢えることがないように補償をすべきです。私たち農家も厳しいですが、ボランティアで都市部の困窮(こんきゅう)している人たちにコメや果物を届けてきました。

第三に、自国の人たちが飢えないように、自給率を上げていくことです。

■「自助努力」と言われても無理

――SNSには「自分たちは利益を上げている」という農家の人の声や「努力が足りない」という声もありました。

安田 コメだけを一般的な慣行農法で作っている自分のような農家が「儲かる」方法があるのなら教えてほしいです。コメも取りあえず作るけど、収益を上げているのはトマトやレタスという例も。中には以前から特別な品種のコメを作ったり、ものすごく手間のかかる無農薬農法のコメをSNSで発信して30㎏3万円で販売されてたりします。

でも特別品種の種は門外不出。膨大な手間のかかる無農薬農法は平均年齢70歳の普通のコメ農家には不可能。そもそも皆が右へ倣(なら)えしたら価格を維持できず、高価格のコメを誰もが買えるのかという問題もある。

じゃあ大規模化すればいいかといえば、コメ作りってあぜ道を草だらけにしないように草刈りするとか、やることが無限にあるので、どこまで可能か。

菅野 大規模農業はとてもケミカルなんですよ。農薬、化学肥料を使うのが前提で、なんなら遺伝子組み換えの種子を使う。使う機械もさらに高額です。

安田 「誰かがコメを作らなあかん」と思って、赤字でも頑張っている農家が多いのに農政の失敗のツケを「自助努力」でなんとかせよと言われても、無理です。コメ作りなんて、ほかの商売の感覚でいったら「即時撤退」が正解です。構造的な問題なんですから。

菅野 "令和の百姓一揆"でも、衆議院議員会館で集会をして、三十数人の国会議員の方々がスピーチしてくれたんですが、トーンとしては「農家の皆さん、頑張ってください」とどこか人ごとなんです。

言葉はきれいですが、必死さがない。農家がなぜ都会に来てトラクターでデモをしなくちゃいけないのか。その背景を考えたら「政治家こそ頑張れよ」と。

安田 そうですよ。政治家がこども食堂を増やしたいというけれど、こども食堂を作らせないようにすることこそ政治家の仕事でしょう。積年の農政を変えるには、国政が変わるしかない、と僕としては結論づけたいですね。

菅野 今、原価を割った価格で農協に出している農家がほとんどですよ。去年、国民の最低賃金を巡って国会で議論されましたよね。そのとき交わされていたのは「人権問題」という言葉で、それを聞いて「百姓は日本国民じゃないのか」と思った。人権を尊重するべき範疇(はんちゅう)に農民は入っていないのか、と。

われわれは2年続けて時給10円だった。けれど農民のことを人権問題として国会が取り上げたことは一度もない。国民の主食を作っている農家が、ここまで経済的に粗末に扱われて離農していく現実を、国会議員の皆さんは知らないのだろうか。

安田 よくわかります。田んぼはお百姓さんが長年闘って残してきた人工の風景なんです。だから放っておくとすぐ失われるし、宅地や工業用地にしたらもう二度と農地には戻りません。

菅野 そうですね。『侍タイムスリッパー』の中で胸にきたセリフがあります。「俺たちは互いにこの国を思って、己の信ずる道を精いっぱい生きた、それでよいではないか」というところ、かなりガツンときました。

安田 さまざまなフラストレーションの中で"令和の百姓一揆"が起こってきたのは素晴らしいことだと思います。農業を巡る問題は背景に大きな問題をはらんでいます。長期的には、子供の頃から政治参加の大切さを学び、賢い有権者になって、国民が政治を監視することが必要です。

「安いなら海外のコメを食べる」と言われたら、こちらも感情的になるというか、なんのために自分たちはコメを作っているんだろう、と思いますよ。

●菅野芳秀(かんの・よしひで) 
1949年生まれ、山形県出身。大正大学地域構想研究所・客員教授および地域支局(山形県長井市)研究員。大学卒業後、労働運動への参加などを経て帰郷し、父の後を継いで百姓となる。水田の単作経営を経て、自然卵養鶏を軸に、水田、自家用の野菜畑との有畜複合経営を開始する。著書に『七転八倒百姓記 地域を創るタスキ渡し』(現代書館)、『生きるための農業 地域をつくる農業』(大正大学出版会)など

●安田淳一(やすだ・じゅんいち) 
1967年生まれ、京都府出身。コメ農家、映画監督。大学卒業後、さまざまな仕事を経てビデオ撮影業者に。『拳銃と目玉焼』(2014年)で映画初監督。2作目の『ごはん』(17年)はイベント上映などで38ヵ月のロングラン。『侍タイムスリッパー』(24年)が日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。23年、父の逝去により実家のコメ作り農家を継ぎ、コメ農家兼映画監督として活動中

取材・文/矢内裕子 撮影/幸田 森

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