『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『朝勃(だ)ち』について語った。
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★今週のひと言「なぜこうなったのか、"朝勃ち"の新説を聞いてほしい」
今回は、俺自身40歳を超えてめっきりご無沙汰となった"朝勃ち"について、新たな仮説を立てたから聞いてほしい。
コラムに限らず何かしらの創作に入る前にひとシコりする俺のルーティン上、賢者タイム中に「勃起」について書くというのは極めて困難な状況だ。
ということで、今回はこの執筆に当たり、ひと晩寝かせました。
そんなこんなで寝る前に「起きたら朝勃ちについて書くぞー」と思っていたからか、今朝(とはいえ昼過ぎ)は久しぶりに国を分けるほどの太い朝勃ちに見舞われて気分がいいです。
これを読んでる背伸びの10代、20代にとっては朝勃ちなんか毎朝当たり前にあるんだろうけど、30代も半ばを過ぎる頃から、次第にその頻度は減少。
42歳の今となっては半月に1度ほど現れるフェノメノンとなってしまった。
とはいえ、昨晩そうだったように10代の頃の頻度には及ばないまでも、いまだに全然シコるし、勃つべきときには勃っている。
にもかかわらず、朝勃ちの回数だけは極端に減った。
朝勃ちが減ることで若干の寂しさこそあれ、特に困ることもないので、これまでそれについて深く考察することもせず、安易に加齢のせいにしてしまっていた。
しかし、朝勃ち以外には実感できるほど如実な性欲の衰えは感じられないのだ。
これはどう考えても不自然ではないか。
そこで俺はひとつの仮説を立てた。
朝勃ちしなくなる要因は、子供の有無ではないだろうかと。
学生時代は授業中に居眠りするだけでもガッチガチに勃起して、授業終わりの礼のときに勃起で机を傾けてしまうぐらいしか寝起き勃起による弊害はない。
しかし、子供が生まれると、幼い子と添い寝することがあるだろう。
そんなときの朝勃ちは具合が悪い。
子供は親の体に乗っかってきたり、全身のあらゆる箇所、もちろん股間部分を枕にするように潜り込んできたりする。
うっかりお父さんの体の一部がいつもと違うと、なんの遠慮もなく指摘されるだろう。悪いことではないが、幼子に勃起の説明をする必要はない。サンタクロースと同じく、知らないほうが幸せな類いの真実だ。
実際、俺も第1子がまだ幼かった30代前半、当たり前に朝勃ちしていた頃、寝起きにじゃれついてくるわが子に朝勃ちを悟られまいと、さりげなくうつぶせになり、海綿体から血液を逃がす場面が何度もあった。
子供が10歳になった今でもありがたいことに無邪気にじゃれついてきてくれるのだが、もう勃起を気にして子に背を向ける必要はなくなってしまった。
つまり朝勃ちが実害として認識されることで、心理的ブレーキがかかっているのではないかと。
友達同士で最近めっきり朝勃ちしなくなったなって話してるときに、今でも毎朝だよってカマしてたあいつは確かに独身だった。
朝勃ちしなくなるということは、人の親になるということだ。
自信を失う必要はまったくない。子が大きくなり、じゃれついてこなくなったり、不幸なことに家庭を失いひとりになれば、また昔のように朝の日差しに長い影を描く朝勃ちが帰ってくるだろう。
まぁ、だったらなんだという話だ。
撮影/田中智久