【モーリーの考察】いつか起きる大災害が「いつ起きるか」を"予...の画像はこちら >>
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、「2025年7月5日」に関する予言をめぐる騒動について考察する

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1980年代のある時期、「カオス理論」という学問分野に関する数多くの論文が出されました。

私はその道の研究者ではなく、正確に説明するのは手に余りますが、例えば「理想的な条件下におけるサイコロの目の出方」のように完全なランダムではないものの、不安定な"準周期性"を示す事象を取り扱う理論です。

カオス理論は天文学に大きな影響を与えましたし、株価の動きや地震の発生にもなんらかの関係があるのではないかとの指摘があります。「完全なランダムではないが、予測はできない」。これが今回のポイントです。

2025年7月5日に大地震が起きるという"予知"が大きな騒動となりました。あの手の"終末予言"は、古くから洋の東西を問わず繰り返され、多くの人々を引きつけてきました。

それは単なる恐怖心からだけでなく、「世界がリセットされる」ことへのそこはかとない渇望でしょうか。大洪水の後にノアの箱舟が現れるという物語に象徴されるように、多くの宗教、そしてカルトも"再生と救済"を描いてきました。

しかし、これだけ科学が発展してもなお、そうした言説が人々の心をつかむのはなぜなのでしょうか?

背景にあるのは、「未来が読めない」という不安でしょう。地震を含めた多くの自然現象は、実際にはシンプルな因果関係だけでは説明がつきません。

どれほど精緻な観測技術を用いても、大災害級の地震が明日起きるのか、来年起きるのか、それとも100年後なのかは、あくまでも確率論でしか語れず、不確実性と向き合うしかない――このことを受け入れるのが難しいということです。

これは多くの社会現象(「コメが高い」とか「体感治安が悪化している」など)についても同じことです。

私たちが生きているこの世界は、直線的には進みません。あらゆる現象は連続的な因果関係に従っているとは限らず、飛び飛びで、非連続で、複数の要因が絡み合っています。

この"非線形性"な性質を持つものの典型が、現代の金融市場でしょう。

複雑に構成された金融商品を通じて巨額の資金が高速移動していく。どこにどれだけのリスクがあるのか誰も把握しきれないまま、"見えない債務"が蓄積し、ある日、小さなショックが市場全体を揺るがす――。

不確実性に満ちた現象に対し、「なぜこんなことが起きるのか」という疑問が湧くのは自然なことです。だからこそ、安心を得ようとする人々の心は、極めて複雑なはずの現実を明快に説明してくれる"単純な答え"にすがり、予言や陰謀論を受け入れ、時には他人へも広めていく。

特にSNSにおいては、「まだ多くの人が知らない真実」を発見し(物語への参加・共鳴)、拡散し(布教)、それがさらに拡散されていくプロセスまで可視化される(いいねやリポスト)ことが、自己表現や承認欲求といった強い動機に直結しています。

しつこいようですが、現実は複雑で、断片的で、重層的です。それを無理に単一の物語に押し込め、"すべての原因となっている悪者"(「JA」とか「外国人」とか)を探し続けても、いつまでたっても本質にはたどり着けません。

単純な答えを拒み、「未定義なままの世界」と向き合う知的態度こそが、カオスに満ちた現代を生き抜くための最も誠実なスタンスではないでしょうか。

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