漫画家・小田原ドラゴンが語る「石川キンテツという男」【連載第...の画像はこちら >>

小田原ドラゴン(おだわら・どらごん) 1970年、兵庫県生まれ。『僕はスノーボードに行きたいのか?』でヤンマガ月間新人漫画賞奨励賞を受賞。
『コギャル寿司』で第47回文藝春秋漫画賞受賞。代表作に『おやすみなさい。』、ドラマ化された『チェリーナイツ』『3本足のちょんぴー』など。最新作に『今夜は車内でおやすみなさい。』
24年9月から週プレNEWS(集英社)でスタートした小田原ドラゴン渾身の新作漫画『堀田エボリューション』。果たして小田原ドラゴンという奇才はどんな道のりを経て、本作品にたどり着いたのか。ジックリ語っていきます。

連載第16回は小田原先生が"盟友"との濃すぎる20年をお話します。

*  *  *

ライター・石川キンテツが、昨年突然この世を去りました。

漫画家・小田原ドラゴンが語る「石川キンテツという男」【連載第16回】
不屈の名作『小田原ドラゴンくえすと』(小学館)

不屈の名作『小田原ドラゴンくえすと』(小学館)
彼との出会いは2005年。拙著『小田原ドラゴンくえすと!』(小学館・週刊ヤングサンデー)に登場するライターとしてでした。当時、彼はヤンサンの読者ページで執筆していて......まさかこんなことになるなんて、思いもしませんでした。

石川キンテツという男は、どんな人物だったかというと──牛丼チェーンを「そんな安物、食えるか!」とバカにし、新宿・歌舞伎町の大衆キャバクラに行けば「ここは安いからお触りしてもOK」などと勝手にルールを作ってしまう。要するに、わが道を行く男でした(笑)。

実はキンテツとは、2度ほど絶縁しています。原因は、まさに『小田原ドラゴンくえすと!』。あの男、とにかく仕事をしない。最初のうちは真面目に頑張っていたんですが、途中から待ち合わせに遅刻する、決められたレポートを提出しない、サボり癖が目に余るようになり......ついに僕の方から「頼むからもう辞めてくれ」と言いました(笑)。

さらに、キンテツは人を見下し、不用意な言葉を口にすることもあり、そこにもイラっとさせられましたね(笑)。例えば僕に向かって「漫画を描くなんて簡単だ」とか......。

最近、「キンテツが生きていたら『堀田エボリューション』のブレーンになっていたはず」とか、「『堀田エボリューション』はキンテツが立ち上げるべき漫画だった」といった声が一部で飛び交っているようですが、それは大きな勘違いです。彼が僕の集大成である作品にスタッフとして参加するなんて、あり得ません。前述のエピソードを読めば、わかるでしょう(笑)。

漫画家・小田原ドラゴンが語る「石川キンテツという男」【連載第16回】
2024年6月11日、新宿にて会食する石川キンテツ氏(手前)と小田原先生

2024年6月11日、新宿にて会食する石川キンテツ氏(手前)と小田原先生そんなキンテツと最後に会ったのは、昨年のこと。
正確には2024年6月11日、新宿でラムしゃぶを食べていました。そのとき僕は婚約した話をして、ちょっとマウントを取っていたんですが......その婚約はダメになってしまって(笑)。7月8日に「残念だけど結婚はなくなったよ」とLINEしたんですが、既読がつかない。

2日経っても3日経っても既読がつかず、「これはおかしいぞ」と思いました。そこで、Xで見かけた美人な女性(特に知り合いではありません)にもキンテツにDMを送ってもらったのですが、そちらにも返信はありませんでした。これはもう、何かあったなと感じました。

漫画家・小田原ドラゴンが語る「石川キンテツという男」【連載第16回】
永遠に既読がつかない、結婚破談の報告LINE

永遠に既読がつかない、結婚破談の報告LINE
振り返れば、最後に会った6月11日も、どこか様子がおかしかった。300メートル歩いただけで息が上がり、目にも光がなく、グラスを持つ手も震えていた。それを指摘すると、「僕は生まれてからずっと手が震えているんです」と笑ってごまかしていましたが......。

実は僕、キンテツの自宅住所を知らなかったんです。昔は「東京タワーが見える港区のマンション」に住んでいたらしいですが、その後赤羽あたりに移り、最近は親からの仕送りで都心から離れた場所に住んでいたようで、住所を言いたがりませんでした。

漫画家・小田原ドラゴンが語る「石川キンテツという男」【連載第16回】
2024年6月11日、新宿の街をわずか300メートル歩いただけで、石川キンテツ氏は息を切らしていた

2024年6月11日、新宿の街をわずか300メートル歩いただけで、石川キンテツ氏は息を切らしていたそんなキンテツの住所が、ひょんなことから判明しました。
キンテツには"一番の親友"がいて、その親友が「ある頼まれごと」を受けていたことで、住所がわかったのです。

僕はその親友から住所を聞き、すぐにキンテツの家へ向かいました。マンションは年季が入っていて、ドアにはキンテツのお父さんが書いた貼り紙がありました。そこには「7月8日に部屋の前で倒れていた」と書かれていました。奇しくも、僕が婚約破談の投稿をXにして、キンテツにLINEを送った日でした。

彼はもう、自宅の扉すら開けられなかったのです。

キンテツのお父さんとお会いできました。こういう言い方はアレですが......肩の荷が下りたような表情をされていました。そりゃそうです。老いてなお息子を養っていたのですから。自分と息子の未来を考えれば、苦悩を抱えていたと思います。

漫画家・小田原ドラゴンが語る「石川キンテツという男」【連載第16回】
石川キンテツ氏の自宅のドアには、彼の父親が書いた貼り紙が貼られていた

石川キンテツ氏の自宅のドアには、彼の父親が書いた貼り紙が貼られていた
キンテツは司法解剖もされたようですが、死因は不明だったとのこと。
残念なのは、家族葬だったため、彼の最後を見送ることができなかったことです。

キンテツが亡くなってから、不思議なこともありました。昨年8月2日、僕がツイキャスで話していたとき、キンテツの話題に触れた途端、「ガビガビゴボゴボ」と雑音が入ったんです。僕は普通にベッドに寝転がってスマホで話していたので、雑音なんてなかったはず。でも、聞いていた人から「雑音で先生の声が聞こえない」と言われて気づきました。

僕は、キンテツから何を書いてもOKの"石川キンテツフリー素材権"を5万円で買っていたんです。この世を去っても権利は続きますからね(笑)。もしかしたらキンテツが「だからって勝手に俺のアホ話をこんなとこですんな!」って邪魔しに来たのかもしれません。霊は電子機器に影響を与えやすいって言いますしね。僕は......そんなふうに思ってしまいました。

キンテツが亡くなってから、『堀田エボリューション』の主人公・堀田正一から「キンテツの匂いを感じる」という声をもらうことがあります。

その答えになるかはわかりませんが、僕はこう思っています。

キンテツとは20年の付き合いでしたが、「いいときに逝った」と思っています。親の仕送りで暮らしながらも将来に焦りもなく、本気で秋葉原のコンカフェ嬢を落として結婚できると思っていたキンテツは、楽しいまま終わった。とてもいい人生だったと思います。正直、少し羨ましくさえ思いました。あいつ、うまいことやりやがったなって(笑)。

ただ、もっと彼と酒を飲みながら、もっと人生の苦しみ、痛み、そして少しの楽しさを一緒に味わいたかった。

みなさん、これからもキンテツの匂いがする堀田正一を応援してください。

《つづく》

漫画家・小田原ドラゴンが語る「石川キンテツという男」【連載第16回】
『堀田エボリューション』(©小田原ドラゴン/集英社)は毎月第2/第4土曜日に更新。現在、全話無料配信中

『堀田エボリューション』(©小田原ドラゴン/集英社)は毎月第2/第4土曜日に更新。現在、全話無料配信中

編集部おすすめ