「『適者生存』は、実は進化論の父といわれるダーウィンが作った言葉ではありません」と語る進化生態学者の鈴木紀之氏
ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。進化生態学者の鈴木紀之先生をゲストに迎えた2回目です。
生物は〝適者生存〟によって進化してきた......だけではないようです。そして、人間は文化の影響が遺伝的な影響を上回ってしまうかもしれないという話です。
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ひろゆき(以下、ひろ) 早速ですが、人類は「後天的に獲得した〝文化〟を次の世代に伝えていく」ということを繰り返していますよね。これは〝遺伝〟とは違う面白い現象だと思うんですよ。
鈴木紀之(以下、鈴木) はい。人間の場合は「親から子へ」あるいは「社会全体で次世代へ」という文化の伝達が多く見られます。すると、ある習慣が遺伝子によって伝わったのか、それとも文化として伝わったのかの区別が難しいケースがあります。
それに文化は生物学的な現象ではありませんが、生物と同じように〝進化〟します。例えば、ある地域で発明された土器の作り方が改良されては、交易や移住によってほかの地域に広まっていく。これは遺伝子とは関係ない進化と言えます。
ひろ 例えば、サルのグループで道具を使うことを覚えたグループと覚えなかったグループがいたとします。そして、そのふたつのグループは、まったく同じDNAを持っていた。
もし、その道具を使うグループが、たまたまみんなブサイクだったら、後世の人は「ブサイクという形質が生存に有利だったんじゃないか!?」と誤解する可能性があるわけです。
鈴木 そうですね。遺伝子の進化と文化の進化は別のレイヤーで起きています。そして、文化的な要因が遺伝的な性質に影響を与えているように見えることはあります。
事実、私たちホモ・サピエンスが今、地球上で繁栄している理由もそうかもしれません。身体能力ではなく、文化的な能力に長けていたからという可能性があるんです。もしかしたら身体能力だけ見れば、滅びていった別の人類のほうが強かったかもしれません。一般に〝進化〟というと、強い者が生き残るというイメージですが、現実はもっと複雑です。
ひろ 地球上には、かつてネアンデルタール人がいたけれども、ホモ・サピエンスが生き残った。「ホモ・サピエンスは能力が高いから生き残った」と言われれば〝適者生存〟で納得できますが、実際は「そんなに能力は変わらなかった」と言われると「それって適者生存じゃなくね?」と感じてしまいます。
鈴木 〝適者生存〟という言葉は進化を表現する上でわかりやすいんですが、実は進化論の父といわれるチャールズ・ダーウィン自身が作った言葉ではありません。同時代の哲学者ハーバート・スペンサーが名づけたもので、進化の複雑なプロセスを正確に反映しているとは言えないんですよ。
ひろ じゃあ、例えば「高い音で鳴く鳥のほうが生存に適している」といったことが観察でわかったとします。それと同じようにして、「英語を話す人のほうが生存に適している」とか「中国語を話すほうが有利だ」みたいなことを証明することは可能なんですか?
鈴木 検証は可能だと思います。ただ、「生物学的な成功」は、突き詰めると「残した子供の数」になるんです。もちろん、それが人間の価値ではないことは、強く強調しておきますけど......。
ひろ なるほど。子供の数や有無が人間の価値ではない。だけど、あくまで生物学的な指標として成功しているのは「子孫を多く残した者」になると。
鈴木 はい。
ひろ ということは、その定義だけでいえば、進化生物学的に見て現代の日本で優れている人物は、例えば10人の子供がいる〝ビッグダディ(林下清志氏)〟ということになるんですか?(笑)
鈴木 ははは(笑)。もっと多く子供がいる人もいるでしょうが、知られている人の中ではそうかもしれません。
でも、ここで重要なのは生物学的な成功、つまり子供の数と人間社会における価値観とはまったく別問題だということです。しつこいようですが、「子供がたくさんいるほうが偉い」と結びつけるのは、進化生物学が立ち入る領域ではありません。
ひろ 単純に生物学的な成功ということで考えると、子だくさんのビッグダディみたいな人がどんどん増えていくはずなのに、現実にはそうなってませんよね。それは「子だくさんになるDNA」みたいなものが適者生存には向いていないということなんですか?
鈴木 おそらく、「子供を何人持ちたいか」という意思決定は、遺伝的なものだけでは決まらないからでしょう。
ひろ あ、ビッグダディのような子だくさんの人は「後天的な環境や文化によるもので、遺伝ではない」と。
鈴木 はい。「子供を何人持つか」という判断は、現代の日本社会においては、後天的な文化や社会の価値観に強く影響されていると思います。それに、もし「子だくさんDNA」があったとしても、その子供たちは親の世代とは違う文化の中で生きます。例えば、教育コストの増大や、個人の生き方の多様化といった極めて現代的な文化・社会要因が、個人の意思決定に強く作用します。
その結果、子だくさんの連鎖はその世代で止まってしまう。
ひろ 子だくさんが人間の目指すべき方向性でないとすれば、先進国の少子化は、ただひたすら種の絶滅に向かっているように見えます。種の繁栄のために進化したはずの形質が、逆に自分たちの首を絞めるっていう皮肉な話なんですかね。
鈴木 絶滅に向かっているというのはひとつの見方です。日本の人口が減り続けている以上、その可能性も否定できません。
一方で、生物の世界でよく見られる別の現象として、個体数には環境が支えられる限界、いわゆる「環境収容力(キャパシティ)」があります。産業革命以降、人類の人口は爆発的に増え、もしかしたら地球のキャパシティをすでに超えてしまっているのかもしれない。今、先進国から始まっている人口減少は、その増えすぎた人口が適正な規模へと収束していく過程だという見方もできるんです。
ひろ 確かに、昔は食料生産の量が、そのまま人口の上限を決めていましたからね。
鈴木 ええ。生物の世界でも、個体数が爆発的に増えた後、一度、減少して安定するというパターンはよく見られます。
ひろ なるほど。悲観するだけじゃなくて、そういう見方もあると。
鈴木 これから安定に向かう可能性も、そして残念ながら長期的に絶滅に向かう可能性も、どちらもある。それが、われわれが今いる現在地だと思います。
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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■鈴木紀之(Noriyuki SUZUKI)
1984年生まれ。進化生態学者。三重大学准教授。主な著書に「すごい進化『一見すると不合理』の謎を解く」「ダーウィン『進化論の父』の大いなる遺産」(共に中公新書)などがある。公式Xは「@fvgnoriyuki」
構成/加藤純平(ミドルマン) 撮影/村上隆保