「命が守られることが大事なので、災害対策においては『空振りを恐れない』という言葉が定着してきました」と語る長谷川直之氏
天気予報が当たるようになった。雨雲レーダーの精度は驚くほど正確。
気象庁の現場で何が起こり、変化してきたのだろうか。『天気予報はなぜ当たるようになったのか』著者で元気象庁長官の長谷川直之さんに「天気予報の現在と未来」について聞いてみた。
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――本書では気象観測の現場の様子や国際的な枠組みでの気象データのやりとり、AIの登場など天気予報に関するさまざまなトピックが取り上げられています。毎日目にする天気予報の見方が変わる一冊ですが、執筆のきっかけを教えてください。
長谷川 皆さん、日々の天気予報をデータとして見ていると思いますが、気象庁の人間は天気予報などの気象情報を通して人から人へのメッセージを伝えようとしているんです。そのメッセージを知った上で、情報をより上手に使ってもらいたいという気持ちが強くありました。
気象庁が出す情報で、特に重要なのは災害につながる可能性がある場合です。「気象庁がこんな予報を出すならば避難したほうがよいだろう」といった判断を、情報を受け取った方がしてもらえたらうれしい。そのためにも気象庁が予報を出す背景を知ってもらいたかったんです。
ですからこの本では気象や気象学そのものよりも、より良い予報を出すための工夫、発表する情報に込めた思い、天気予報に欠かせない国際協力など、いわば「天気予報の舞台裏」を紹介しました。
――そもそも長谷川さんが気象に関心を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。
長谷川 私が気象庁に入ったのは1983年です。大学で数学や物理を学び「せっかくならば学んだことを社会で生かしたい」と考えていたときに、気象に興味を持ったんですね。それで地球物理学科に進学して勉強してみたらとても面白かった。
例えばコップに水と塩を入れてぐるぐるかき混ぜると、落ちた塩は中心に集まってきます。その現象は台風の発達と関係があり、そこに物理学と日常のつながりが生まれます。
何より天気予報は絶対に人の役に立つので、自分が思っていた「理科を社会で役立てる仕事をする」という目的に、気象庁はよいのではないかと思いました。
――国内では日本の天気予報しか流れませんが、気象は地球規模での現象なので、世界各国と協力して情報を共有していると知ったのは胸アツでした。
長谷川 国境を超える気象観測の面白さがありますね。天気予報のために、世界各国の気象機関が、観測気球を毎日決められた時間(世界標準時の0時と12時)に一斉に揚げています。このことを知ったとき、学生だった私も感激しました。
インターネットが登場する前から、世界各国の気象機関の人たちは温度計や気圧計を下げた気球を一斉に空に放って観測を行ない、データを交換し合っていたのです。
気象庁での最初の仕事は、各地から送られてくる観測データを見て、白紙の天気図に天気記号を記入する仕事でした。「中国で降っている雨が、これから日本にもやって来るんだな」などと考えるのは楽しい作業でした。
今ではこの仕事も自動化され、コンピューターの性能向上や気象観測技術の進歩もあって「天気予報が当たる」と言われるようになりました。おかげで防災に関する情報の出し方も大きく変わりました。
――本書で繰り返し「覚えてほしい」と出てくる『キキクル(危険度分布)』は、避難すべきかを自分で判断できる画期的なサイトですね。
長谷川 気象庁の人たちは「自分たちの予報によって、ひとりでも多くの命を守りたい」と考えています。避難をはじめとする災害対応に防災気象情報を使ってもらうために、対策を重ね、作ったのが『キキクル』です。
同じ市町村でも場所によって環境が違いますが、『キキクル』では土砂災害などの危険度が一目でわかるようになっています。報道でも使われますし、気象庁のページでも確認できます。
気象庁は定型の情報発表に加えて、記者会見、JETT(気象庁防災対応支援チーム)など、状況や伝える相手に合わせてさまざまな手段で情報提供をしています。災害をもたらすような大雨の際、各県にある気象台長が、関係する市町村長に対して、直接携帯電話で状況を伝える「ホットライン」もあります。
――気象庁が自治体はじめ多くの人たちと関係性をつくるために、熱く動いているのは驚きでした。
長谷川 基本はクールに気象を分析しているんですよ。でもそれだけでは緊急時の防災気象情報の重さが伝わらないんです。
いざというときに関係者と危機感を共有できるよう、災害が起きるような気象状況になる前に、信頼関係をつくることが大切です。こうした取り組みを進めるために、気象庁では「顔の見える関係」を大事にしています。
――近年の災害情報はとてもわかりやすくなっていますね。それでも外れることもあるわけで、頻繁に出していると「オオカミ少年」になってしまうジレンマもあります。
長谷川 それでも命が守られることが大事なので、災害対策においては「空振りを恐れない」という言葉が定着してきました。
もちろん空振りを減らすために予測の検証を行なっていますが、それでも誤差をゼロにすることはできないでしょう。だからこそ気象庁が全力を尽くしていることを理解してもらうことが重要だと思います。
――次に打ち上げられる静止気象衛星「ひまわり10号」には世界から期待が寄せられているそうですね。
長谷川 ひまわりのデータは今でも世界各国に送られているんですよ。次の衛星には水蒸気を3次元でとらえることができる画期的なセンサーが搭載されるので、実現すれば線状降水帯や台風の予測の精度を上げてくれるでしょう。
そのためには届いたデータを使いこなし、数多くの予測実験を行なうなど技術を高める必要があるので、その準備もしています。
天気予報は気象庁だけが作っているのではなく、政府機関、民間機関、研究機関、報道機関が協力して出来上がっています。AIをはじめ技術の進歩は続くでしょうが、「伝えたい」と思う人が介在することで天気予報は進化していくのだと思います。
●長谷川直之(はせがわ・なおゆき)
1960年生まれ、東京都出身。元気象庁長官。一般財団法人気象業務支援センター理事長。武蔵高等学校を経て、1983年、東京大学理学部地球物理学科を卒業。同年、気象庁入庁。2020年10月、気象庁の組織改編に伴い新設された「気象防災監」に就任。2021年1月、第27代気象庁長官に就任し、2023年1月まで務める
■『天気予報はなぜ当たるようになったのか』
インターナショナル新書 1012円(税込)
元気象庁長官である著者が、気象の予測技術や、諸外国との協力、予測困難な線状降水帯の情報発表など、進化してきた天気予報の舞台裏を解説!「天気予報」はどのように作られているのか?「警戒レベル」と「防災気象情報」の正しい意味とは? 天気に国境がないとはどういうことか? AI予報で気象庁はどうなるのか? 日本の気象業務の始まりから150年という今年、防災意識を高めるためにもぜひ読みたい一冊

取材・文/矢内裕子 撮影/幸田 森