ロシアの選挙介入から日本は民主主義を守れるか? ついに「日本...の画像はこちら >>

KGB(現FSB)将校として、東ドイツでベルリンの壁の崩壊を目の当たりにした経験を持つプーチンは「西側の価値観」に対する警戒心が極めて強い

先の参院選期間中、数千~数十万のフォロワーを抱える「親露」の政治系インフルエンサーや、主に参政党を支持する発信を拡散していたボット系のXアカウントが相次いで凍結された。また、東京選挙区で当選した候補者が、ロシアの政府系メディア「スプートニク」に出演していたことも話題となった。

外国勢力の介入がどんな規模で行なわれたのか、日本側の特定の候補者や政党にはなんらかの意図があったのか/なかったのか、そのことが結果にどう影響したか。それらを検証することは簡単ではない。

しかし、欧米ではすでに日常化しているロシアや中国の情報工作が、ついに「日本語の壁」を本格的に越えつつあるのだとすれば、日本は対策を急ぐ必要がある。

以前からロシアの工作の脅威に直面しているイギリスを拠点に活動するジャーナリストの木村正人氏が、欧米の現状をリポートする。

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■プーチンの〝宣戦布告〟

東西冷戦下の1982年、ソ連国家保安委員会(KGB)少佐スタニスラフ・レフチェンコが日本国内での特務を暴露した「レフチェンコ事件」を見ればわかるように、西側に対する情報工作は旧ソ連・ロシアの常套手段である。

第2次世界大戦前夜のスパイ活動では、ロシア生まれのドイツ人リヒアルト・ゾルゲと朝日新聞記者・尾崎秀実が暗躍した「ゾルゲ事件」が有名だ。

80年代末のソ連崩壊から2000年代初頭にかけて、「ロシアは同盟国とはいかないまでも、少なくとも友好国にはなる」と西側は高をくくっていた。まさに〝平和ボケ〟の時代だった。

羊の皮をかぶったロシア大統領ウラジーミル・プーチンが最初に牙を見せたのは、06年に英ロンドンで起きたロシア連邦保安局(FSB)元幹部アレクサンドル・リトビネンコ氏の暗殺事件だ。致死性の放射性物質ポロニウム210が民間航空機でロシアから持ち込まれ、市中のホテルで使われた。

翌07年のミュンヘン安全保障会議で、プーチンは「米国はあらゆる面で国境を踏み越えている。北大西洋条約機構(NATO)の拡大は、相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発行為だ」と怒りをあらわにした。今にして思えば、ロシアの庭先に土足で入り込んだ西側に対するプーチンの〝宣戦布告〟だった

そして08年、ジョージア(旧グルジア)紛争が勃発。親欧米政権に対するプーチンの露骨な介入、実力行使だった。

ロシアは外交をゼロサムゲームととらえている。西側に損害を与え、西側の価値観を貶めることはすべてロシアの利益になると考えている

ネット空間では、自由と民主主義をバックボーンとする西側に対し、ロシアの情報機関や国家メディア、トロール(組織的な偽情報拡散)部隊が激しい「価値の戦争」を仕掛けている。

プーチンにとって何より恐ろしいのは、自由や民主主義といった西側の価値観がロシア社会に浸透し、ベルリンの壁が崩壊したように自分の権力基盤が一夜にして壊れてしまうことだ。

■影響力工作と偽情報の拡散

他国の選挙への干渉が活発になったのは、14年にウクライナのクリミアを強制的に併合して以降である。英下院情報・安全保障委員会は、20年にまとめた報告書でこう指摘している。

「14年以降、ロシアは他国の民主的な選挙に影響を与えようとする試みを含め、さまざまな分野で自国の利益をゴリ押しするために悪意のあるサイバー活動を行なってきた」

報告書の分析を見ると、ロシアによる「偽情報の拡散」「影響力工作」は別々に行なわれるが、互いに密接に絡み合ってもいる。

選挙における影響力工作は偽情報の拡散を伴っていたり、違法な資金提供、選挙制度の妨害、敵性国家に対するハック・アンド・リーク(ハッキングと情報漏洩)を含んでいたりする。

偽情報の拡散は特定の結果を狙うだけではなく、「不信感の醸成」「社会の分断」という漠然とした目的のためにも行なわれている。

こうした工作には国家メディアの「RT」(旧ロシア・トゥデイ)や「スプートニク」が使われる。極端な歪曲報道、SNSボットやトロール部隊を動員した自動投稿や扇動コメントの書き込みが多数確認されている。

ロシアの選挙介入から日本は民主主義を守れるか? ついに「日本語の壁」が突破され、参院選でその脅威があらわに! 
ロシアの介入が疑われた、スコットランド独立を問う住民投票(2014年)。結果は「NO」だったが世論調査は拮抗した

ロシアの介入が疑われた、スコットランド独立を問う住民投票(2014年)。結果は「NO」だったが世論調査は拮抗した

スコットランド独立を問う14年の住民投票でRTを通じて行なわれた影響力工作が、ソ連崩壊後、ロシアが西側の民主化プロセスに介入した最初の例とされる。

独立を唱えたスコットランド民族党(SNP)のアレックス・サモンド元党首はその後、RTで政治トークショー番組の司会を務めた。ロシアに英国を分裂させる意図があったことは容易に想像できる。

■英国のEU離脱と米トランプ政権誕生

欧州連合(EU)残留か離脱かを問うた16年の英国の国民投票でも、RTやスプートニクはEU離脱派や反EU、欧州懐疑主義の記事を多数掲載した。投票結果は「EU離脱」だった。

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イギリスのEU離脱=Brexitを問う国民投票(2016年6月)へ介入した動機は、欧州および英国内の分断を促すことだと考えられる

イギリスのEU離脱=Brexitを問う国民投票(2016年6月)へ介入した動機は、欧州および英国内の分断を促すことだと考えられる

上述の20年の英下院委員会報告書は「ロシアは英国の民主主義を弱体化させ、政治を腐敗させるため長期にわたる巧妙な活動を展開してきたが、歴代政府は見て見ぬふりをしてきた」と、政府の不作為を厳しく批判した。

16年当時、ロシアの干渉は民主主義への脅威とはまだ認識されておらず、英国政治は石油・天然ガスの巨大利権を握るプーチンとオリガルヒ(新興財閥)、国際金融都市ロンドンの腐敗にどっぷりと漬かっていた。

モンテネグロで起きた16年のクーデター未遂事件には、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)が関与していたと報じられた。NATO加盟を数ヵ月後に控えた国への大胆すぎる介入だった。

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米情報機関は、トランプvsヒラリー・クリントンの大統領選(2016年)にロシアが介入したと認定

米情報機関は、トランプvsヒラリー・クリントンの大統領選(2016年)にロシアが介入したと認定

同じ16年、ドナルド・トランプ米大統領が初当選した米大統領選では、ロシアのハック・アンド・リーク工作があったことを米情報機関が公式に認定した。西側の危機意識は一気に高まった。

翌17年のフランス大統領選直前には、エマニュエル・マクロン陣営関係者のアカウントを標的にしたハック・アンド・リーク工作をロシアが行なった疑惑も報道された。

ロシア政府につながる団体がフランスの極右政党「国民戦線」(現・国民連合)に対し、クリミア併合を支持した見返りに条件のいいローンを提供した疑いも浮上した。

■あからさまな嘘でも繰り返せばいい

ロシアとEUの間にあるバルカン半島は〝草刈り場〟と化している。

23年のセルビア議会選では、大勝したアレクサンダル・ブチッチ大統領率いる与党セルビア進歩党に対し、野党勢力が選挙不正の疑いがあるとして抗議活動を展開した。

しかしロシアは、抗議活動は国の憲法秩序を覆そうとする試みだと非難するセルビア政府の立場を声高に支持し、「野党勢力が西側と共謀してセルビア進歩党の勝利を妨害している」と主張。セルビア政府は警告を発したロシア情報機関に感謝の意を表した。

旧東欧圏のハンガリーやスロバキアでも、プーチンは巧みに影響力を広げている。

ロシアが偽情報を拡散させたり、選挙などの政治的イベントに干渉しようとしたりする動機はさまざまだが、すべては外交上の目標に収斂する。特定の選挙や政治的事案において、ロシアが望む結果に誘導する。あるいは、クリミア併合など特定の出来事において、ロシア支持の言説を流布する。

あからさまな嘘であっても繰り返せば、少なくとも「本当のことは誰にもわからない」という不信感や懐疑主義を植えつけられる。西側の政治的主張を貶めて信頼を失わせ、社会の分断や過激化を助長するのが狙いである。

■ハイブリッド戦争の脅威への対抗措置

英下院委員会報告書は、英情報局保安部(MI5)が、ロシアのような敵対的な外国勢力のエージェントから英国を守るために使える法律を整備するよう勧告した。21年の統合レビュー(国家戦略)では、「外国の脅威は増大・多様化し、自らの目的を推し進める上でますます積極的になっている」と指摘された。

本物の戦争には至らない「ハイブリッド戦争」も安全保障・経済・民主主義・社会の結束を脅かす恐れがあるとして、政治介入、選挙干渉、偽情報、プロパガンダ、破壊工作、暗殺・毒殺、サイバー攻撃、知的財産の窃取を脅威と位置づけた。

23年には、外国からの敵対的な活動の脅威に対処し、国家の安全と利益を保護するため、スパイ活動を犯罪類型化する国家安全保障法が制定された。

破壊活動、禁止区域への立ち入り、外国による干渉、国家の脅威活動に関連する準備行為が罪に問われるようになり、令状なしで逮捕・拘留する権限、国家による脅迫行為を量刑の加重要素として考慮する権限も付与された。

外国政府のために働く者に対しては、政治ロビー活動の申告を義務づける2層構造の外国影響力登録制度を創設。申告を怠れば刑事犯罪になる。指定が必要ではない「政治的影響ティア」は最大2年の禁錮、ロシアやイランなど指定された「強化ティア」は最大5年の禁錮刑。中国も指定するかどうかについては議論が分かれている

■国政調査権を持つ国会で調査を

22年、ロシアによるウクライナ全面侵攻を受け、英メディア規制当局のオフコムは英国におけるRTの放送免許を取り消した。偽情報を拡散するロシアの国家メディア、SNSプラットフォーム、プロパガンダ担当者、ニュースキャスター、政権報道官にも制裁措置が講じられた。

ロシアの選挙介入から日本は民主主義を守れるか? ついに「日本語の壁」が突破され、参院選でその脅威があらわに! 
いち早くウクライナ支援を打ち出したイギリスは今もロシアの工作の主要ターゲット(左は侵攻開始当時の英ボリス・ジョンソン大統領、右はウクライナのゼレンスキー大統領)

いち早くウクライナ支援を打ち出したイギリスは今もロシアの工作の主要ターゲット(左は侵攻開始当時の英ボリス・ジョンソン大統領、右はウクライナのゼレンスキー大統領)

23年には、違法なコンテンツや活動からユーザーを保護することを目的にオンライン安全法が制定され、外国による干渉が禁止された。SNSのプラットフォームや検索エンジンは、国家が支援または連携した英国への干渉を目的とする偽情報を特定し、最小限に抑えるなど、積極的な予防措置を講じなければならなくなった。

しかし、情報工作の脅威はロシアだけではない。

英米両政府は昨年3月、中国が政治家、ジャーナリスト、学者、何百万人もの有権者の個人情報を標的に大規模な世界的サイバー攻撃を仕掛けているとして制裁を発動した

英国選挙管理委員会のシステムが中国国家関連組織に攻撃され、高度標的型脅威グループ31(APT31)が英国議員に対し偵察活動を行なっていたとして、APT31のフロント企業と個人2人が制裁リストに加えられた。

米司法省も中国に対する批判者、米国企業・政治家を標的にしたコンピューター侵入罪で中国在住の国家関連ハッカー7人を起訴した。7人はAPT31の一員として、中国国家安全部のために活動していた。

北方領土問題を抱え、ロシア産天然ガスに依存する日本はロシアとの対話を重視してきた。そのため敵対路線に転換した欧米に比べ、対応が遅れた面は否めない。また、トランプ政権が中露分断のため対ロシア融和にかじを切る気配を漂わせる中では、日本には慎重な対応が求められる。

ただ、いずれにせよ、まずは国政調査権を持つ国会で外国勢力による偽情報工作を真剣に調査しなければならないことは言うまでもない。

●木村正人(きむら・まさと) 
在ロンドン国際ジャーナリスト、元産経新聞ロンドン支局長。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争 「サイバー戦」最新報告』(共に新潮新書)など。

取材・文/木村正人 写真/時事通信社

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